はてなキーワード: 青年誌とは
※注意→ジャンプ+の漫画「食べる女」及び一部のグルメ漫画に文句言ってるだけなので、好きな人は読まないでね
先日、ジャンプ+の漫画「食べる女(原案:アホ太郎/作画:伊藤いーと)」(https://shonenjumpplus.com/episode/10834108156688999970)のコメント欄が荒れに荒れた事件があった。
匿名をいいことにコメント欄を荒らすような人間の民度がたかが知れてるのはもう分かっていたけど、その火元の「食べる女」を実際に全話読んだが、まあ唸ってしまった。悪い意味で。
これは確かに、少年誌(ジャンプ+をそうカテゴライズするのが正解なのかは不明だが)の「グルメ漫画」として連載したならば多くの読者から顰蹙を買っても不思議ではない。だからといって、自分が不快だったという理由でコメント欄に小学生レベルの暴言を書き込むのは勿論お門違いではあるけれども。
自分なりに「食べる女」が気に入らなかった点を箇条書きで書き出してみた。
・食べ方が汚い。圧倒的に汚い(ご飯粒をポロポロこぼす、アイスキャンデーを必要以上にベロベロ舐め回す、ヨダレ垂らす、迎え舌、「んふっんふっ」と声を上げながら食べる、口の中に食べ物が入ったまま喋る、食べ物で頰を膨らませる)
・キャラクターの表情が過剰、包み隠さず言えば情事を連想させる(目を潤ませ顔を紅潮させる、唇が色づく、さっきも言ったけど迎え舌)
・食べてる時の擬音が汚らしい(「んちゅっ」「くちゃっんちゃっ」「ぴちゃ」「ぶぼぼっ」など)←個人的にはこれが一番キツかった
と言った具合に、評判の悪いグルメ漫画ではもう見飽きたほど定番の評価が並んだ。
総括すると「汚い」「下品」であり、Twitterで感想をサーチする限り批判ツイートの大半がこれを占めていた。
特に話題となっている8話では女性上司とラーメンを食べるのだが、スープを飲んでいる時に「ぶぼっずっ ぶぼぼっ ぶ ぶはっ ぼぁ」という擬音が鳴る(原文ママ)。いやそうはならんやろという感想を抱く。汁物をこんな音を立て啜ってたら噎せてるのかな?逆流してんのかな?と心配になる。
あと「ぼぁ」て。どう食べればそんな音が出るんだ。描いてる時に疑問に思わなかったのだろうか?
ついでに個人的には、食べてる時の擬音の書き文字がモロ18禁だなと思った。
それらを除けば絵は綺麗だし、登場する女性はみんな美人で料理も美味しそうに描かれている。
(でもぶぼぼっと音を立ててスープを食べてたりカレーをガツガツ食いご飯粒を吹きながら大声で職場の愚痴を言ってると、どんな美人も台無し)
率直に表現すれば「食べ物をエロく食べる美少女・美女」というコンセプトはもう時代遅れなのではないかと思う。
普通の感覚で言えば食と性(下ネタ)は融合させるべきではない。だって食事中にウンコの話されたら嫌だろ。テレビ見てても芸能人の人が食べ方汚かったりクチャラーだと嫌な気持ちになるだろ。
グルメ漫画は「おいしそうな料理の絵→ぱくっ→もぐもぐ→おいしい!」の循環で充分ウケるだろう。てかそれでいいじゃん。なぜわざわざ変化球で行こうとするのか。
ぱくっ。もぐもぐ。で食事の描写はそれで済むじゃん。「きゅんっ!」「ぞくぞくっ…」「じわぁ……」とかもう食の何を表現してるのかわからない。
グルメ漫画の金字塔とも言える「孤独のグルメとか見てみろ。至ってシンプルだぞ。変な汁飛ばさないし五郎さんの顔は常に平静だし。
と、まあこう「嫌われるグルメ漫画の法則」を一つずつ丁寧に踏んで歩いている印象を受ける「食べる女」は、最早「無駄に性的なグルメ漫画に対する暗的なアンチテーゼ」なのではないかとすら深読みしてしまう。
頰を紅潮させて食べる美女、色づいた唇、変な擬音、飛び散る汁と米粒……。
地雷グルメ漫画の要素をこれでもかと詰め込んで融合し、「最強の地雷グルメ漫画」として少年誌に君臨し、それを読んだ読者の反応を観察するという壮大な実験……
……とでも妄想しないと、令和にもなってこんな学習能力の無い漫画が出てきた事実に絶望しそうになってしまう。
その点「不倫食堂」(著:山口譲司)でそういった批判をあまり目にしないのは(あくまで所感)、シンプルにハナから「主人公がエロい女と美味いもん食ってセックスします」というのを作品のテーマとして明言していることが大きいのではないかと思う。
その前提があるから食べてる時の女性の唇にトーンが貼ってあっても、まあそういうものかと納得できる。
予めそういう読者層を限定すること(そういうのを読みたい人だけが読む)で上手くゾーニングできてきるので、読者の大半の需要を満たすことができているのではないか。
あと食事シーンがそれなりに豪快であるものの、そこまで汚らしくないというのもある。
なので、「食べる女」もティーンズ系の少年誌ではなく青年誌もしくは成人向けで、最初から「エロに振り切ってます!」と開き直っていれば、ここまで炎上することもなかったのでは…?
「汚く飯を食い散らかす美人の女」が性癖の紳士による楽園となっていた可能性も否めない。
……いや、どうだろうな。擬音汚いし。ぶぼぼってラーメン食べるし。
わからん。もう難しいことわからん。お腹空いたな。晩御飯食べてきます。それじゃ。
ちなみに自分がオススメしたいグルメ漫画は「人魚姫のごめんねごはん」(https://yawaspi.com/gomennegohan/)です。
ついでにおまけ
「ジャンププラスの『食べる女』が最後までコメント欄が荒れていた - Togetter」(2019年9月27日)https://togetter.com/li/1409466
「雑誌の表紙はグラドルの夢」週刊少年マガジンからグラビアを奪うな (1/2)
グラビアアイドルが自ら「なくそうとしないで」と語ったわけだが、それに対するブコメ集がこちら。
megumin1 さすがにこの主張は頭が悪すぎる。何度も何度も言われていると思いますけど、「中の人のお気持ち」と「その行為が適切かどうか」は何の関係もないんですよ。露出狂が公共の場で許されないのは理解できますよね?
small_tree 自分が大変だったから後輩も同じ目に合わせてやろう(ゲス顔)って言ってるようにしか見えなかった。/エロは見たい人だけが見るではなぜいけないのか。漫画だけみたいのにエロ表紙だから好きな場所で読めないとか…
MCBYND こういうの、めちゃくちゃ失礼な言い方すると「奴隷の一番を決めるD-1グランプリは奴隷の夢」みたいな話に思える。いや、そういう価値観を土台にしたらそうだけどって話で。夢と思わせる土台についても考えてほしい。
最早失礼というにも生温いぞ。スゴイ・シツレイ。今回のNo1下衆。
aquatofana AKB系にも通じることだけど、むちゃくちゃ才能に溢れているわけではない女子にとって「性的に消費される」というのがほぼ唯一のロールモデルになっており、それが男女両方から強化維持されるのが問題なんだよ。
無茶苦茶才能にあふれてるわけでもない男子はそもそも世に出ることがないが。
チャンスがあるだけましだろ。
el-condor 「男性が女性を性的視線で見ることは当然である」ということを学習してしまうのに少年漫画の一部と少年誌のグラビアの寄与は小さくないように思うんだよね。せめて青年誌からにならんかね。
妄想乙。そもそも「男性が女性を性的視線で見ることは当然である」という部分からして妄想。
mr_mayama 言いたいことはわかるしその通りだけど論点の作り方が下手でこの人を反論者の代表にすると負けそう。例えば「一般的な基準」という表現や「仕事を奪う」とかは危ういよね。
「一般的な」とはフェミのお題目によくあるセンテンスだし、「仕事を奪う」ってのも事実だろ。
hazlitthazlitt 半分くらい読んでみたけどロジックが酷くて読み進める気にはならなかった
https://anond.hatelabo.jp/20190918134536
ウェブ連載のみ→ジャンプやサンデーやマガジンやチャンピオン等の作家ではない
少年向けで実際男子中学生のファンがいる→ジャンププラスやくらげバンチで話題になってる人気の漫画はエロ・グロ・胸糞・同性愛表現なんかが多めで青年誌に連載されてそうだけど増田の漫画はそういうのじゃなくて普通にジャンプに載せても何の問題もない内容っぽい 少年が主人公のド健全冒険漫画?
この辺と「腐女子ファンが多い」「単行本が出ている」「食べていける程度には稼げている」「同人誌を出すような腐女子がいて同人誌を購入するようなファンがそこそこいる」っていうのがいまいち噛み合わない
それからこの2019年にコミケの参加者の存在に困惑するくらいだからベテラン漫画家ではなくてプロになったのはごく最近のデビュー作=ヒット作の若手作家と思われるが
そのわりに同人作家上がりじゃないし金銭が発生する同人イベントに否定的、
金銭が発生しない二次創作も「自作品の宣伝になるのでありがたいと思うようにしている」程度でこれも若干否定的
自作品関係なしにそもそもファンアートというものを好んで見ようと思わない、二次創作のエロ絵で抜いたりなんかしたことがない、ただひたすらオリジナルの漫画を創作し続けてきた超ストイックな漫画書き、ということなんだろうか
その辺がますます「(今時こんな若手漫画家が存在するわけがない、)嘘松!!」と言われる原因になっているのでは
嘘松と切り捨てるのはあまり好きじゃないのでしばらく考えてみた
ウェブ連載でまっとうな少年向け作品で男女共に人気があって作者が二次創作文化に疎そう……分かったぞ王様ランキングだな!!と思って検索したらそんなに部数さばけるほど腐女子ファンがいるように見えなかったしヒリング王妃のエロ絵がいっぱい出てきた 知りたくなかった
次の発売で150巻を数える『クッキングパパ』は、みなさんご存知の料理漫画だが、
連載当初、主人公の荒岩一味は同僚に「過程で料理をするのは夫/父親である自分である」ことを
『クッキングパパ』の連載が始まったのは1984年(昭和59年)。
荒岩が料理を作ることを周囲に公表したのは、1998年発売の単行本51巻でのことらしい。
『クッキングパパ』と同時代の料理漫画には『ミスター味っ子』(1986年~1989年)があるし、
その後も『鉄鍋のジャン!』『焼きたてジャパン』等々、「男性料理人」を主人公にする漫画は
少年誌で連載される機会も多かったように思うが、「夫/父親が料理をする」漫画は『クッキングパパ』以降、
増えなかったように見える。
どこにも書く場所が無かった話をここでしようと思う。
女性漫画家の描く『生きづらい人の生き方漫画』みたいなものばかりという事に気付いた。
この『生きづらい人の生き方漫画』というのは大体アラサーから中年期の女性が
地味な実生活での生きづらさを感じながら身近な別の生きづらさを抱えている人との交流で
なんとなく納得して生きていく事にする、という感じの流れが多いと思う。
恋愛の描写よりは生きづらさとの折り合いという所に重点が置かれているものが多く
そこに共感できるので読んでいてどこかせつなく心地いい。刺さる場面も多い。
地味だけどみんなそれぞれ色々な事情があるという当たり前の事が描かれていて
これがぼくには女性はこうして生き方を模索しているのだなという風に見えるのだ。
実にうらやましい。
男にはこうした何者でもない人が前向きに生き方の模索をするという文化が無い気がしている。
ぼく自身この『生きづらい人の生き方漫画』について何度か企画として担当に話してみた事もあるが
青年漫画誌となるとこのジャンルは少なくとも編集の反応はものすごく悪いのだ。
この話は何度か別の青年誌で描いている漫画家とも話しているんだけど
少年~青年漫画はとにかく無目的に見える話を嫌っている。作者も編集者も読者も。
ドラマというものを設定の奇抜さとイコールにしているふしがあるので
おそらく生活メインの話は今はメシ漫画が限界ではないかと思う。
それか主人公を女性にして、いわゆるサービスシーンが見所の漫画にするか。
これはなぜなんだろう?
なぜ男の子に提示される物語は派手な世界観で確固たる目的を持ち
やがて何かを成し遂げる、もしくはエロい、というフォーマットを維持しなくては成立しないんだろう?
そうじゃない漫画もあるのはわかってる(自分の漫画もどっちかといえばそうだし)
でも少々現代社会で普通に生活している何者でもない人たちの話が少なすぎやしないか。
そう思っているところにおっさんがおっさんを~の増田が流れてきた。
あれをよんで確信したけど、たとえば男性版「たそがれたかこ」や「凪のお暇」があったら
「メタモルフォーゼの縁側」があったら
「違国日記」があったら
もちろん全く違う話になるだろうけど
それがひとつの生き方の模索を表現できているなら結構わかるわかるって読むおっさん
いっぱいいると思うんだよねえ……
https://shonenjumpplus.com/episode/10834108156652911821
http://lty.hatenablog.com/entry/2019/05/02/135439
要はコンプラ的にどうなのよという事なのかもなーとも思うけども。以下ネタバレですが最初に自分の結論から言うとこれはアリだと思ってます。
妹と姉の関係(イチャイチャ)を描きたかっただけであり、それ自体がやや気持ち悪い偏執的なものだとしてそれはまた別の話、ともかく必要だったのは姉の動機づけで。
姉の事が異常に大好きな妹と、その妹に絵の才能であっさり抜かれた事で傷ついた姉のプライド。2人の間の溝は妹が異常なほど無垢で鈍感なので姉が自分で解決するしかない。
姉が動くしかないのだけど姉には妹の絵に対抗するための強い動機付けが必要だった。それは公に妹に対してムキになってる自分を認める素直さは持ってないから。単純なライバル視ではない別の理由が必要だった。
でここで設定としてヌードと校内への張り出しというのが出てくる。自分のヌードが玄関にドーンと飾られる、それは恥ずかしいから自分の絵でそれを塗り替えてやるとう動機づけ。さらに言えばこの展開により、妹よお前の脳内で美化された私ではなく、本当の私をちゃんと見なさいという意味も含まれることになり、この辺は妹への愛情表現と姉自身の成長も一発でかましていてすごい効いてる。正直これを思いついた時点で作者はよっしゃと思ったんではないだろうか。
じゃあヌードなかったら話にならないからやっぱ重要じゃん、というのはそうだけどヌードでなくても成立はするのだ。例えばこれがヌードじゃなくて普通の着衣座り絵とかだとしても、その才能に嫉妬し自分の絵を描くという展開はできる。むしろそれならよりストレートに感動的になったと思う。ただその厚みをつけるには読み切りではややページが足らず少なくともドラマ構成に前後編くらいにはしないと難しいと思う。
この作品に全体的にややコミカルな軽いノリが残されてるのも、カウンターパンチ的に最後のオチにテンポよく持って行きたかったからだと想像する。
手放しで絶賛していいかと言われると自分もちょっとどうかなと感じた。
その違和感はブコメにある「アフタヌーン感」や「四季賞っぽさ」というのがすごくよく表してると思う。
単純明快な良い話の端々になにか作者自身の精神みたいなのが見え隠れする感がある。少年誌なら作者の顔なんてまったく見えないくらい徹底して娯楽的なものにする場合が多い。実のところ少年マンガというのは青年誌にあるマンガとかよりずっと「大人な」マンガなんだよなと改めて感じた。
なのでこの作品が少年マンガのように万人受けするタイプとはならないとは思うんだけど、どちらかというと手放しせずに大事にされる系のマンガだと自分は感じた。
きれいな姉の絵を描く妹、その絵が高く評価される、そして姉は(妹の絵ではなく)自画像を描く~という展開が素晴らしすぎる。
これがヌードでなかったらもっと良かったのになともったいない気持ちもある。ヌードのほうがインパクトがあるけどやっぱ安易になってしまうからだ。まあそれを差し引いても自分は色んな人が読めばいいと思った。
絵のタッチ含めてなんとなく香る沙村広明臭。ではこの方が同じ話で描いたらどうなっていただろうかと想像した。
たぶん、ヌードの絵は容赦なくエロい絵になる。なんなら姉が妹のヌードを描くシーンは妹の頬を赤らめさせ吐息すら漏れさすだろうと思う。絶対にやると思う。
しかしながら、全方位的に言い訳しながら描いてると思う。なんなら小さいコマで姉に「お前なんでそんなエロいんだよふざけんなよ」とか言わせてると思う。
そういうノリツッコミ的な細かい描写を必ず入れることで「許してね」と言う確かな技術が沙村広明にはあるのだと思う。これはいわゆる第四の壁の破壊というやつでこれは扱いがとても難しい。へたに入れると一気に白けて作品世界に入り込めなくなる。極端な例としては「いや読者が引くだろさすがに」みたいなのを登場人物に言わせちゃうやつ。「妹の姉」はやや軽いテンポはありつつも基本はシリアスなのでこの手はあまり使いたくはないだろうと思う。ただなんとなく登場人物がご都合主義な設定に対して軽いつっこみを入れておく、くらいはできたんじゃないだろうか、沙村広明ならそれは入れてきそうだなと感じた。
といっても沙村広明版の「妹の姉」ならあーおもろかった、で終わっちゃいそうな気もした。それくらい軽く、しかしテーマ性は感じさせることができれば一流なのかもとも思うけど。
※だらだら書いたので恐ろしく長い。
※あくまで「自分の周りでの評価」の話でこれは決して一般論でない。面白さの感じ方は人それぞれということも重々承知している。ごくごく個人的な見解だと思ってもらえれば。
※推敲もせず勢いにまかせて書いたので、多少ふざけている部分もあるし、すぐ脱線するし、色々な意味で所々間違っているかもしれないし文章も順序も何もかもめちゃくちゃだけどおおよその意味は通じると思うので堪忍してほしい。
※小学生~大学生あたりまでは欠かさずジャンプを買い続けてきたオッサンなのでいわゆるWJお約束のアンケート事情等は踏まえている。
WJをずっと読み続けている友人が数人いるのだが、誰も火ノ丸相撲を読んでいない。読んでいない理由、ほぼ全員が口を揃えてこう言う。
「大相撲編からついていけなくなった」「高校相撲の時は面白くて毎週読んでいた」「ごちゃごちゃしてわかりづらくなり読むのをやめた」系統の理由。
自分は原作連載時の初期の方だけは本誌で読んでいて元々相撲好きというのもあり、珍しい題材なのに巧みに関心を引く、驚くほど絵が上手くて話も面白い漫画が始まったなという印象だった。
そしてアニメをみているうちに改めてもう一度通しで原作をちゃんと読み直したくなったクチなので、彼らの評価を確かめるべく単行本を最新刊まで読み進めた結果、なるほどそうか・・・と腑に落ちた。
火ノ丸相撲といえば・・・知名度のわりに本当に単行本が売れていない、アニメ化されても伸びない、掲載順はいつもだいたい後ろの方。(これらはしばしば公式でも自虐ネタに使われているようだ) このような状況でありながら打ち切りの危機を免れてきたのは、根強いタニマチ(後援者、ファン)の後押し、国技を題材とした作品である社会的な評価、少年誌作品とは思えない画力と構成力、質の高さ、純粋に作品としての魅力が高かったからに他ならない。
大相撲編がイマイチな理由の一つとして「異様なほどの性急さ」が挙げられる。これはWJ連載である限りある程度しかたないことかもしれんが・・・
本来であれば、
A★→B→C→D★→E→F→G★ (★は物語の進行上外せない重要な話とする)
と進むべきところが、
★以外のエピソードをすっとばして読者を置いてけぼりにしている感がすごい。 つまり、WJ特有の事情で話を早くすすめたいがために最低限描かなければ成立しない部分しか描かせてもらっていない印象をうけるのだ。この流れは非常にまずい。なぜならばかつて打ち切られた作品で幾度も幾度も目にしてきた流れだからだ。
高校相撲編ではここらへんが比較的丁寧に描かれていたので余計に異様さが際立つ。
なお、この「すっとばし」はキャラクターにも多大な悪影響を与えている。
一人目は主人公火ノ丸。高校時代までの彼はどこか浮世離れしたつかみどころのないキャラクターでまさに相撲の申し子、ある種神聖視された存在だった。ところが大相撲編では詳細は省くが色々な意味で「人間」にまで「落ちて」しまった。神の化身(横綱)になろうとする者がそこから遠ざかってどうするんだ!?と首を傾げざるを得なかった。(もちろん無垢であること=神性というのが単なる概念にすぎないのは百も承知として)
極論ではあるが、親方に薦められるままにお見合いの女性と所帯を持つ方がよほど彼らしかった気がする。それほど色恋には淡白なのが火ノ丸だと思っていた。
彼は一見他人にも自分にも関心があるように見えて実はかなり希薄に思える。かといって他者から本物の好意を向けられれば真摯に応える度量は持ち合わせている。相手によほどの理由がない限り彼は好意に応えようと努力するだろう。とかく恋愛経験値が低い者は猛烈な「押し」には弱いものだ。誰が主人公の心を射止めるかというのは少年漫画の面白さの一要素でもある。そういう意味ではあの咲や景子ですらヒロインになりうる一種のワイルドカード的な魅力が無自覚の神性を有していた頃の火ノ丸にはあったように感じる。
さらに言えば、主人公を射止めたヒロイン(レイナ)のキャラが強く立っているにも関わらず、動機付けの弱さ、たまたま近くにいた異性、半ば成り行きのような、描写不十分でさほどの必然性がないように見えたことがとても残念で引っかかるのだ。
いささか潮火ノ丸というキャラクターに幻想を抱きすぎた感はあるが、少年期の彼の印象はどうしても強いのだ。
二人目はヒロイン枠のレイナ。ライバルらしいライバルは千鶴子くらいのものだったので、これはまぁ順当ともいえるが(ちなみに自分は1話での火ノ丸との運命的な出会いからずっと彼をひたむきに愛していた千鶴子推しであった…)、あまりにも性急に距離が急接近したのにはさすがに困惑しかなかった。彼らが後々恋愛関係になることは容易に予想できたし特に異存はない。ただあのような相思相愛関係?に至るまでのプロセスがあまりにお粗末すぎるのでは?何なら高校相撲編のレイナが火ノ丸の相撲に魅せられていく名前のつけられないあの純化された感情を抱いた付かず離れずの関係性をもっと見ていたかった・・・。
三人目はチヒロ。主人公や国宝を脅かすほどの屈指の人気キャラでありながら夢を追うために渡米し実質的な退場となった時は「なんて潔いんだ!!」と感動したものだ。しかし彼は帰ってきた。それは別に良い。問題は特段なんの経緯も語られることなくいきなり彼がシングルファーザーとなっていたことだ。読者は大困惑でしかない。あきらかに悪い意味でのサプライズといえる。
実際この漫画がきっかけで相撲に興味を持った子供もいると思うが、高校相撲編はともかく自分の子が小学生以下なら大相撲編は読ませたいとは思わない。高校相撲編に関しては各種教育関連機関や業界団体等(?)からの推薦も十分受けられそうな内容だと思っていただけに遺憾だ。
安易なお色気(下ネタ)、ギャグ、過度な恋愛要素に逃げる作品は総じてレベルが低い。(余談だがお笑いに関しても同様だ)そんなものに頼らなくても十分面白いものこそ本物の面白さなのだ。
※火ノ丸相撲は今時珍しく「硬派」な漫画だと思っていたから(大相撲編での品格の落ち方、別方向への舵の切り方に)結構ショックを受けたとは友人の弁。
硬派イメージが強かったのは、高校相撲編までは極力セクシャルな描写が避けられてきたからだと思う。
第1話で満員電車で堀千鶴子が痴漢被害に遭うシーンがあるが、彼女はあまりのおぞましさに心底怯えた表情をしている。一見流してしまいそうだが賞賛すべき点がある。痴漢という最低の犯罪行為を決して性的な興奮材料にしていないことだ。他作品には被害女性の顔を紅潮させたり目を潤ませたりといった不適切な表現が見受けられるが、火ノ丸相撲はそのようなけしからん作品とは一線を画していた。
彼女は優秀な観察眼を持つ記者であることは言うまでもないが、若い男性(とりわけ少年)の裸体や尻に向ける欲望が度を超えておりセクハラまがいの行為が目につく。女性→男性であるから流されがちだが本来はあってはならないことだ。ギャグとして笑い飛ばすにはどぎつすぎるし、もはやそういう時流でもない。
これは本当に驚いた。①であのような配慮を見せた作者とこれを書いたのは同一人物なのかと目を疑ったほどだ。事のあらましは、意気消沈して部屋に引きこもる火ノ丸をレイナがドアを蹴破り強引に拉致し車でラブホテルへ連れていき、彼の合意を得ないまま性行為を迫るという驚くべきものだ(結果未遂に終わったが)。
たとえ交際していても合意を得ない場合の性交渉はレイプである。これも女性→男性だから見過ごしがちだが、この立場を火ノ丸が女性でレイナが男性だったとしたらどうだろうか・・・笑えねえよとなるはずだ。さらに悪いことに「成人が飲酒した状態で未成年に性交を強制する」構図なのだ。これはオチウこわぁいどころの騒ぎではない!マジでどうしたんだ川田先生!いよいよウェンカムイに取り憑かれたか?(??)
主人公の魅力度が落ちた作品はその人気も下降の一途をたどるのはいうまでもない。高校相撲編での火ノ丸は他を寄せ付けない魅力があった。あの輝ける国宝たちの中にあってもだ。大相撲編になってからはあきらかに精細を欠いている。主人公陣営(メインサイド)の話よりも童子切や草薙、大包平や三日月等の敵陣営の話の方に興味を引きつけられるほどに。むしろそちら側メインの話を読みたくなるというのは相当問題に思える。
火ノ丸はまごうことなき平成終盤生まれの平成の子だ。しかし彼の中に古き良き?昭和のスポ根漫画の主人公を見ていたのは自分だけではないはずだ。
不幸(両親を若くして亡くしており裕福ではない環境)、逆境(あまりにも小柄な体躯)、自己実現能力(自らを厳しく律し、徹底的に稽古で肉体を痛めつける)、黒電話、携帯を持たない、機械音痴、時代がかった物言い、兄貴肌、相撲のことしか頭にない、私生活が見えないなどいかにも昭和のヒーロー感(?)満載である。
潮火ノ丸の中に矢吹丈のような壮絶な最期を遂げる姿を夢見ていたのかもしれない・・・。モブも言っていた「鬼丸のハッピーエンドが見えない」。決してハピエンが悪いわけじゃないしそちらの方が良いに決まってる・・・が、いかにもな予定調和エンドだけは勘弁してほしい。
ハピエンではなくとも「あしたのジョー」は不朽の名作だ。主人公は最期に勝利し真っ白に燃え尽きて生死すらどうなったかわからないなんてこれ以上ハートが震えて痺れるラストがあるだろうか?ヒーローが完全に浄化され何者にも貶められない最上級の存在になった瞬間だと思う。
取組を殺し合い、命のやり取りとまで作中で表現しているならそれくらいの危うさがあってもいい。昨今の少年誌では厳しいかもしれんが。
第1部を第2部以降がクオリティで上回る作品はほぼない。あってもごくまれである。(ちなみに続編が悉く期待外れだった作品としては東〇喰〇等が挙げられる。続編の一報を聞いた時は飛び上がるほどうれしかったものだが、完成度の高い前作とどうしても比べてしまい、しだいに期待は失望へとかわっていった。)少なくとも火ノ丸相撲に限ってはそうはなるまいと思っていたのだが・・・
WJの数多くの縛りや規制、大人の事情に阻まれて駄作になるくらいならいっそしかるべき媒体(アプリ、あるいはヤンジャンなど)に移籍してのびのび描いてほしい。青年誌の方が表現の幅が広がるだろうし。もし角界の諸問題(暴力、八百長、パワハラやモラハラやセクハラ等)の闇の部分に切り込んだりする気があるのならばなおさらだ。
高校相撲編のような神々しいまでの輝きを取り戻すことはもうないのかもしれない。それでも自分は火ノ丸相撲という稀有な作品に魅せられた一読者して、最終話まで見届けたいと思う。
長々とかいてきてアレだが、要約すると
・・・だろうか。
以前ワンピースがやり玉にあげられていたりしましたが、ジェンダーバイアス(性的な偏見)が無いor少ないと思われる漫画、何がありますか?
小説や映画と比べて、漫画は明確に男性向け / 女性向けが掲載誌で分けられている為か、たとえ時代を代表する名作でもターゲット外の人が読むと大きな違和感や不快感を覚える事が往々にしてある様に思えます。
あなたがジェンダーバイアスが無いと思われる漫画(定義がムズいので主観でいいです)、教えて下さい。
ちなみに私は、
今読んでるのだと「左ききのエレン」が該当する様に思いました。
女性誌はあまり読んでないですが「ちはやふる」は殆どバイアス感じなかった。
青年誌だとアフタヌーンの「おおきく振りかぶって」とか。
皆さんの考えを聞きたいです。