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はてなキーワード: 自由主義とは

2019-07-20

anond:20190720145725

本来共産主義って、その前の自由主義(226事件を産んだ、不況格差拡大なぞ知らん。ただ、自由にするのが望ましい)の反動からな。

まあ、自由主義自由主義でその前の封建主義反動だが。

共産党の反対側も自由主義ではなくて、ケインズ主義だった。一時自由主義世界中から放逐されている。

自民党ケインズ主義政党だったが、小泉以降それを放逐して新自由主義政党に転換した。少し揺り戻すか、新自由主義のままかまだ微妙なところ。

少なくとも自民党は40年前の自民党は全く別物。

今はどちらかといえば資本家富裕者の味方(自民党)か、どちらかといえば弱者の味方か(共産党)ぐらいじゃない?

2019-07-16

それでも私は絶対絶対選挙行きたくない

普段インターネットでふざけた話をしていた人間が急に政治を語りだすのは、辞書の「焼きが回る」の項の例文に載せてもいいくら典型的な病だと思っているので匿名で書くことにした。

私の選挙への嫌悪感は今に始まったものではない。

選挙権を与えられて初めての選挙ときもそうだったし、その前もそうだった。おそらく外山恒一中田考のせいだと思う。

特に外山恒一2007年東京都知事選政見放送は今見ると改めてパフォーマンスとしても完成されていることがわかる。時間があれば是非見てほしい。

とはいえ、私は国家転覆にもカリフ制再興にも特に興味がない。

イチオシは超絶頭の良いコンピュータによる全世界一管理だが、残念ながら今の所そのようなものは影も形もないので、消極的にではあるが選挙に基づく間接民主制を支持している。

消極的に、というのがポイントで、別に選挙に行くのが正しいとか義務だとか思っているわけでは決してない。

投票とは、例えるなら祈りであると思っている。

私が祈ろうと祈るまいと世界は何も変わらない。一票差で結果が変わる選挙などまずないからだ。

しかし私は祈ることを冷笑はしない。それは祈るという行為が(私のように)愚かで怠惰人間が唯一可能意思表示であり、一種の反射であるからだ。

そのような弱々しいものでも、数が集まれば話は変わってくる。

多くの人の祈りが届けば天は翻意し、我々に何か恵みのようなものを与えるかもしれない。しかし私達の祈りが正しいものであったか、また天からの贈り物が本当に恵みであるかどうかなど事前にわかりはしない。

投票とは所詮そんな、とてつもなく大雑把でどうしようもなく頼りないものだ。

それでも多分、投票率は上がったほうが良いのではないかとうっすらと思う。

投票率が上がれば民意が正しく反映されるとか、若者向けの政策が増えて世の中が良くなるだとかは正直眉唾ものだと思っている。そもそも人間は愚かなので民意が正しく反映されたところで合理的判断を正しく下せるとは思えない。

しかしまノイズが増えて右往左往するほうが崖に向かって全力疾走ダイブするよりは幾分かマシだろう。

私にとって選挙はこれくらいの認識だ。

さて、選挙が近づいてきた。本当に嫌な季節だ。

顔出しアイコンインテリ仕草で、あるいは匿名アイコンがさも庶民意志を代弁するかのように、いずれにせよ厚顔無恥な態度で若者選挙へ行けと叫びだす。

選挙へ行かない人間非国民だ、人非人だと偉そうに喚いている。

こんなにも頼りない投票という行為を、どうしてそんなに正義面して他人押し付けられるのか私にはさっぱり理解できない。

選挙に行かない、または白票を投じる理由はたくさんあるだろう。

単に面倒臭くて投票しないのかもしれないし、どうせ自分の一票では何も変わらないのだから(これはほぼ確実に正しい)と考えてもっと有意義時間を過ごしたいのかもしれない。納得できる政党個人存在しないのかもしれないし、あるいは棄権することで自分より賢い人間選択委託するほうが自分にとってプラスだと考えているのかもしれない。

いずれにせよ、棄権は一つの選択だと私は思う。

結果的にそれが自分不利益をもたらす行為であったとあとからわかったとしても、自由主義愚行権正当化したのではなかったか投票棄権することそれ自体社会的正義を損なうと、本当に言い切れるのか。

もしあなた特定団体からしつこく電話を受け、「X党に投票してよ」と言われれば、多少X党の人物マニフェストに魅力を感じていたとしてもX党に投票したくなくなるのではないか

少なくとも私はそういう人間である選挙自体否定するつもりはないが、選挙に行くことが絶対に正しいという思想の持ち主からしつこく勧誘されたら絶対選挙行きたくないと思う。

なぜ若者選挙に行かないのか。それは多分、あなた方のことが嫌いだからだ。

この文章が嫌味ったらしすぎて、逆に選挙に行きたくなる人もいるかもしれない。それならそれで良いと思う。もし選挙に行くなら、それくらい感情的かつ雑に選挙に行ってほしい。

いつか私も「まあ大人だし選挙くらい行かないとダメだよね」などとぬけぬけと話すようになるのかもしれない。

この文章若気の至りとして恥じ入ることになるのかもしれないが、一応残しておく。

2019-07-13

anond:20190713153105

Mastodonというか分散SNSネットワークネトウヨが居ないわけじゃない。

単にほぼすべての分散SNSネットワークユーザが「そういう人も居るよね。他人強制しなければ好きな思想持ってても良いんじゃない?」と認識しているだけ。

Mastodonに居るネトウヨですらそう思っているためTwitterでいうネトウヨvs疑似リベラルみたいな対立は生まれにくい。

この問題は「そういう人も居るよね。他人強制しなければ好きな思想持ってても良いんじゃない?」という根幹が揺れる問題のため分散SNSネットワーク全体で沸騰している。

まぁ言ってみれば「ユダヤ教強制排斥したGab絶対さなマン」が分散SNSネットワークへ登場して「Gab強制排斥したらGabと同じやんマン」が反論対立している状態

特定集団強制排斥したナチは許されないけどナチ強制排斥することは許される」みたいな現代西洋自由主義矛盾分散SNSネットワーク可視化され炎上してるんだよ。

2019-07-03

anond:20190703202754

から「だろう」としか言ってないでしょ。

任せないとわかんないよ。

あと、自由主義に対する理解が、自民党よりはある。

anond:20190703124622

実にそう思う。

この国民あっての今の現状。

ただ、政府も、マイルドな"愚民化政策"が、自民政権を維持しやすいということも自覚しているでしょうしね。

日本の歴史には騒ぐが、そもそも人権自由主義の成長過程なんかを学んだ人間が増えない限り、そのうち、自由主義新興諸国に追い抜かれちゃいますよ。

2019-07-01

韓国への経済制裁を進めよう

北朝鮮への経済制裁違反したことなどを理由に、米国から韓国への経済制裁が発動される可能性が高い

日本自称徴用工(ホントはただの出稼ぎ)に対する因縁つけに対して半導体材料の輸出規制7月4日から強化する

自由主義諸国は手を携えて韓国経済を疲弊させよう

日本にいる韓国人は帰国させよう

韓国人の入国規制しよう

韓国への経済制裁を進めるか否かは参院選の焦点の一つだ

参院選立候補する議員韓国に対する経済制裁を進めるかどうかをハッキリ表明すべきだ

それが踏み絵になるのだから

2019-06-25

そもそも恥という概念自由主義民主主義に反している

別に真っ裸で外を練り歩いたとして何ら恥ずかしいことはないのだ

2019-06-14

日本政治について

僕らの国の政治の最大の弱点は、極端なことだ。

ここでいう極端とは「イデオロギーを持っていないかイデオロギー無茶苦茶に振り回しているか」ということである

例えば、日本維新の会立憲民主党

この二つの政党共通点は、イデオロギーがない、柱がないことである

自由主義を掲げているが、実際はじの字も知らない。

もう一つ。社会民主党日本共産党

この二つの政党共通点イデオロギー無茶苦茶に振り回して、迷惑をかけている。

要するに、イデオロギー第一主義に陥っている。理想自分思考に縛られている。

そして、イデオロギーを持って、かつ振り回されていない政党がただ一つ存在する。

それが「自由民主党」だ。

自民が長期にわたり政権を担った最大の理由はここにある。

保守主義というイデオロギーがあって、それに関わらず、現実維持を第一として、政策実施してきた。

それが自民党が支持される最大の理由である

しかし、現実維持は長期に見れば衰退の一途を辿ることとなる。

しかし、いま、僕らの国には、「現実維持の政党」か「急進変革の政党しかない。

「漸進的改革政党」はないのだ。

漸進的改革は目に見えづらい。故に支持されにくい。

しかし、僕らの国に一番必要なのは、漸進的改革なのだ

もう、僕らの国は斜陽なのか。

anond:20190614191123

そこはそうでもないんじゃね? 歴史を遡ったらどっかの時点で人類聖人になって個人の打算なんかもたない時代があったのかって言えば、ないでしょ(キリスト教的にはロト以前はそうだった設定だけど)。

すべての思想ってのは不満ある現場に対するカウンターとして現れるわけで、個人主義や自由主義が現れた背景には、個人自由がなかったっていう現実があったんだよ。つまりイケメンだろうが腹筋割れてようが、次男三男ってだけで労働や行動の自由もなく当然恋愛も嫁取りもできないみたいな不自由封建社会っていうものがあって、そこからの脱却として個人主義や自由主義が出てきた。

いまはてなで「非モテ男性」だの「KKO」だのいう話が出てきても、そこには次男とか三男とか畑がもらえないとか、そういうボヤキはほぼほぼ出てこない。長男だろうが非モテ非モテだし、次男でも要領よくヤリチンになれる。そこが自由主義なわけだ。

封建制時代には限られたリソースのオート割当として「長男家財家業と女を優先割当する」「次男三男や定住財産を持たないものや家柄に劣るもの残飯食ってるか死ね」ってルールが当然としてあったんで、そのルールの中で長男’sに平穏平等があっただけだ。

それに比べりゃ現在状況は相当マシなはずなんだけど、人間やっぱ豊かになると、その豊かになった周辺の中で相対的に貧しい(あるいは相対的に劣位の)自分っていうのに耐えられないんだよね。

anond:20190614190159

そもそも「あてがう」は異性のみに適用される言葉じゃないでしょ。仕事をあてがう、身分をあてがうってことはあるわけで。

まりは「あてがう社会」ってのはあっせんが行われる社会ってだけの話だ。封建社会日常だね。

自由主義が台頭して社会自由競争戦場になり、限られた席やステータス競争トロフィーとして争奪されるようになったからこそ、勝者と敗者が生まれてるわけ。

2019-06-08

anond:20190608115858

いやだから自由主義権威主義って分けるにしては権威主義をやたらと振り回すリベラルが多すぎやしませんかねえ?

anond:20190608112642

もろリベラルやな。消極的自由主義規制を全部取り払って商売人が自由に)と積極的自由主義国家が適切に関与して、結果的自由に)というのがある。

もう一つ、権威主義自由主義。偉い人のいうことに従うか、各々が自分で考えるかという枠組みがある。

で、、、、、、男が偉い!上の人間が偉い!の腐った儒教思想という権威を振りかざしたいやつが

「どうだ!各々が自分で考えるのはだめで偉いやつである俺に従え」とやりたいがためにリベラル攻撃するというのに使ってる気がするね。

なお、本当の儒教は上の人間自分の行動をわきまえないとならないというもののほうが多い模様。

anond:20190608102503

リベラルというのが消極的自由主義商売人を自由にする)=右と、積極的自由主義政府の関与で結果的自由になるようにする)=左というが両方ある。

王政が打倒されて自由にしたらいいという流れがあるが、そこで一度自由主義になった結果大恐慌とその後の不況を作った。

二・二六事件国家を守る兵士姉妹が貧しさ故に売春宿に売られないとならない状況は何たることか!という、自由主義への反動でなされている。

そこで、ケインズが生まれて、累進税や、需要の創出という流れが生まれた。

ケインズ自由主義の枠組みであれば左側になり、右側は消え去ったんだよ。

と同時にマルクス自由主義の枠組みともなり、ここでも右側が消え去った。

相対的に、マルクスケインズで、ケインズが右側だったのが1980年代まで。

ただ、1970年台のオイルショックインフレケインズ対応できなかったことと、マルクス国家崩壊マルクスはだめだということで、かつての自由主義が再び起きた。

ケインズVS新自由主義で、ここではケインズ左側になる。

しかし、自由主義根本的に国は自由にしたらいいというだけで、経済政策は金の量も金の回転も全く見ないから、失われた30年を作った。

オイルショックインフレなんか目でもないぐらいの長期不況

故に、ケインズが右か左かも相対的ものしかないんだよ。

と同時に、右、左は経済以外の多くの観念も巻き込む。

他の観念で、強者を重んじるという右、弱者を重んじるという左、だが、経済政策は両方新自由主義に巻き込まれた。

故に右の小泉自民党でも左の民主党でも経済政策公務員にボロカスに石を投げて、法人富裕層減税と同じことをやってる。

ゆえに、中初等教育大学教育介護児童保護医療みたいな経済原理にそいにくい+公務員が多い産業がみなぼろぼろになってしまった。

2019-06-06

痴漢で一番悪いのは満員電車ですよ」への反発が面白すぎる

はてなブックマーク - 「痴漢で一番悪いのは満員電車ですよ」 社会心理学者がツイートした理由とは - 毎日新聞

すごいな~。「満員じゃなくてもやる奴はやる。満員電車じゃなくて犯人が悪い!」の大合唱だ。

いや、俺は賛成だよ。俺は自由主義者から、たとえ犯罪を容易にする環境があったとしてもやっぱり犯罪を犯すのは自分自由意志であり、第一に悪とされ責められるべきは犯人であろうと信じている。

からここで社会心理学者の発言を叩いてるみんなは全米ライフル協会の言うことにも賛同してくれるよな?

「銃が人を殺すのではない、人が人を殺すのだ」ってまさに「満員だろうがそうじゃなかろうが痴漢するやつはいる」ってことだもんな。

どこかの悪人が銃を学校で乱射したせいで無関係なやつが銃を持つ権利文句つけられるのはおかしいよな、わかるよ。

ガラガラ電車でも痴漢するやつがいる、ってのも、銃が撲滅されたとしても攻撃衝動の高いやつはナイフとか使って他人攻撃するだろ、という反論と一緒で、それじゃ本質的解決にはならないってことだよね。

規制反対派としては、まさか規制の厳格な日本でここまでNRAの主張に賛意を示してくれる人が大勢いるとは思わなかった。すごいぞニッポン。ビバ自由主義

満員電車痴漢するのは痴漢が悪い、スクールシューティング犯人が悪い、満員電車銃社会をなくしたって根本解決にはならない、って連帯して言っていきましょう。

2019-05-20

anond:20190520150139

ポスト自由主義は、自己他者自由尊重する社会的公正を指向する思想体系のことをいう。性的な分野での自由を主張する近代自由主義(モダンリベラリズム)とは異なり、それが人々の自由をかえって阻害するという考え方が根底にある。現代において個人自由独立した選択実質的保障し、極度の恋愛的、性的は貧富差における個人社会的自由侵害する偏見差別などを防ぐためには、政府による制限や介入をなくしたりするのではなく、政府地域社会による積極的な介入も必要であるという考えに基づく。

「公正」とは、ジョン・ロールズによれば「立場入れ替え可能性の確保」を意味する。これは人々に「社会のどこに生まれても自分は耐えられるか」という反実仮想を迫るものであり、機会平等と最小不幸を主張する。ロールズ格差原理では、格差ないし不平等存在は、それをもたらす関係につく機会が平等に開かれており、かつ、それによって社会で最も不遇な人々の厚生が図られない限り、その存在は公正ではないものとされている。

よって、ポスト自由主義積極的自由に基づく自己決定を推奨し、国家による性の再配分または地域社会による相互扶助肯定する。すなわち、市場原理主義では経済的容姿的、コミュニケーション強者利益を最大化する一連の行為のために、少子化問題構造貧困介護問題などさまざまな弊害社会問題が生じ、それは近代自由主義の「意図に反して」人々の社会的自由をかえって阻害しているとし、近代自由主義修正する思想である


階級間の融和不可能対立中央集権的な統制を是認しない一方で、近代自由主義者のように自由競争が市場における「神の見えざる手」のように最大多数の最大幸福自動的に実現するとは信じず、政府によって、各人の社会的自己実現をさまたげ、市場社会における相互欲求最適化や調整のメカニズムを阻害する過度の集中や不公正などの要因を除去することが、まさしく「自由」の観点から言っても必要だと考える。

なかでも○○は「自由放任の論拠とされてきた形而上学は、これを一掃しようではないか。持てる者に永久権利を授ける契約など一つもない。利己心がつねに社会全体の利益になるように働くというのは本当ではない。各自別々に自分目的を促進するために行動している個々人は、たいてい自分自身の目的すら達成しえない状態にある」と述べ、アダム・スミスに由来する「見えざる手」に信頼する自由放任論からの脱却を求めるとともに、具体的には不完全婚姻均衡からの脱却のための人口政策が、政府によって実現されることを求めた。

2019-05-18

anond:20190518014232

うーん、そもそも君の考えである個人幸せ社会を食い潰す』というのが誤りであると思うんだよな。

個々人の幸せの追求の結果、社会が発展していくというのが自由主義経済から

それにそんな共産主義に平伏す様な政策を取ることをアメリカが許すだろうか?

人口を増やしたいならかつての封建社会を目指すのではなく、現在人口が増えている自由主義国家モデルにすれば良いとも思う。

anond:20190518010625

へぇ、その維持した社会とやらで、生きてる人が全然しあわせじゃなくても、その社会を維持する必要があるんだね!

さすがに、今がすでに幸せじゃない人は考えることが一味違う。私は今幸せから自分幸せより社会維持を優先される世の中にはなってほしくないなーと思うよ。

ちなみにそういう思想って共産主義にも通底するね。あとはね全体主義がまさにそういう思想だね。資本主義下における自由主義社会ではそれは無理だよ。

2019-05-11

anond:20190511010515

天皇陛下生前退位に追いこんだ卑劣フェミの悪行を絶対に許すな。

フェミは我々自由主義諸国の奉ずる価値感に反する売国奴絶対日本国土から根絶やしにしなければいけない。

2019-05-09

左翼右翼の種類

自由主義

政治面では「俺たちには自由に生きる権利があって国王貴族でさえそれを侵害できないぜ」という感じ。

民主主義とか共和主義フランス革命時における「左翼」。

経済面では「俺たちが自由商売すれば自然バランスが取れるんだから政府は余計な口出しすんな」という感じ。

資本主義とか市場主義

どちらにせよ、個人権利を重視して「国家権力は小さくあるべき」と考える。

社会自由主義」の台頭後は、区別のために「古典的自由主義」と呼ばれる。

社会自由主義リベラル

古典的自由主義のように市場に任せて野放しにしていると、

差別や不平等が拡大して却って個人自由制限されるから

政府が介入して是正していくべきだ、という感じ。

中道左派。いま日本で言われているところの「リベラル」。

新自由主義ネオリベ

社会自由主義反動から、一周して市場主義に戻ってきた感じ。

自由市場のために規制緩和をし、法人税を下げたり、国営企業民営化したりする。

リベラルとの対比で中道右派と見なされる。

社会主義

資本主義格差が激しくてついてけないからもっと平等を目指そうぜ、という感じ。

共産主義マルクス主義)と社会民主主義に大別される。

左翼

マルクス主義

資本主義の発展に伴い、土地工場などの生産手段私有する資本家が、

労働者をこき使って搾取するようになったので、それを打破して平等社会を目指す。

そのためには、労働者自身生産手段管理する体制プロレタリア独裁)を、

武力を用いてでも築くべきだ(暴力革命)、という感じ。

暴力革命志向するテロリストスターリン毛沢東のような独裁者を生み出す。

左翼テロリストとかまでいくと極左

社会民主主義

マルクス主義反省して、暴力革命プロレタリア独裁否定する。

民主主義を通じて政府に働きかけ、平和的に社会主義を達成しよう、という感じ。

中道左派北欧福祉国家など。

保守主義

何らかの急進的な政治運動に対して、それに反対する立場が「保守」と見なされる。

それぞれの政治体制歴史的経緯によって何が「保守」となるかは異なってくるが、

現在のところ、政治的には「国家主義」を、経済的には「新自由主義」を指すことが多い。

右翼

国家主義ナショナリズム

もとは自由主義と連動していて、

かに支配されたりするのではなく「俺たち」が主体的に行動すべきなんだ、という感じだったが、

国民国家が成立して「俺たち=国家」となると、

「おまえも俺たちと一緒だよな」と均質化を強要したり、

「おまえは俺たちと一緒じゃない」と排外主義になったりした。

「俺たち」を結びつけるものは「民族「家族」宗教」「伝統文化」などである

個人権利よりも国家利益が優先される」までいくと「全体主義ファシズム)」となる。

こうなると自由主義とは対極という感じ。

スターリン毛沢東全体主義者とみなされたりするが)基本的には右翼排外主義とかまでいくと極右

2019-05-06

ワクチン接種を強制することは反道徳的

ホッテントリの反ワクチンに関する記事を読んだ。

議論道義的ものであるべきで、(病気に対する)慎重さに関するものであってはいけない。

ジョセフ・ヒース「ワクチン接種は集合行為問題だ」(2015年2月5日) — 経済学101

でも、これはいくつかの意味おかしいと思う。この記事は、多くの人がワクチン摂取するべきであり、そうしないのは不道徳である、という考えに基づいて書かれている。だが、私にはそれが自明の前提とはどうしても思えない。

自分身体に何を入れるか決める基準を「公益」に置くのは必ずしも道徳的とはいえない

そもそも自分身体に何を入れ、何を入れないか、決めてよいのは自分だけだ。自分身体自分だけのもの。当たり前だろう。これが身体ペニスを挿入してよいかという問題であれば、ほとんどの人がそれを決める権利自分しかないと答えるはずなのに、どうして同じ理屈ワクチンでは通用しないのか。

公益のために注射針を刺して弱毒化された抗原を身体に入れろ、なんて、他人強制してよいこととはどうしても思えない。毒であることが問題なのではない。私はそれがほとんど無害であり極めて低い確率しか副作用は起こらずおおむね安全であることを知っている。そうではなくて、自分身体に何を入れるかを他人に指図されるべきではないということだ。

今回はワクチンにすぎないかもしれない。でも、次が行動監視ナノマシンだったら? 治安の良さは公益だ、やましいところがなければ入れられるはずだ、公益のためのナノマシン接種拒否不道徳だ。そう言われたらどうする?

自分身体に何を入れるかを決めてよいのは当人あるいはその親権者だけだ。それを他人に強いるのは不道徳である(もちろん、説得はしてよい。ワクチン安全性を説き、公衆衛生重要さを熱弁するのは自由であろう。相手自由を損なわない範囲においてだが)。

(この立場は、アメリカの反ワクチン運動を紹介しているWIREDの記事でも紹介されていた。私はニセ科学に傾倒した反ワクチンはばっかじゃねーのと思うが、「政府自分たちの子もの体内に入るもの強制すべきではない」という主義主張自由主義者として大いに頷ける)

現在日本において、ワクチン義務化は必ずしも道徳的とはいえない

それでも、そのような自由公益のために制限されてもよい、という主張もあり得るだろう。では、ジョセフ・ヒース氏の住んでいる国ではどうだか知らないが、我々が住んでいる日本という国においてその理路は成り立つだろうか?

自由制限し、義務化するのなら、当然その負担は最低限にまで低減されなければならない。だが現実にはどうか。インフルエンザワクチンの接種は自由診療であり、無料でないばかりか保険すら利かない。風疹ワクチンの未接種が話題になったが、ある世代男性に限っては無料になったとはいえ、多くの人にとってそれは保険診療として打つものである

公益のために義務で打てというなら、その負担は最低限のものであるべきだ。高い診療費を払ってわざわざ病院診療時間に打ちに行く手間とカネを惜しんでいったい何が悪いのか。保険診療にすらなっていない現状で接種は道徳的義務なんてちゃんちゃらおかしい。

公益のために自由を踏み躙るなら、当然それによって被る不利益は最低限度であるべきだろう。高い代償を払ってこれこれのことをしろ、そうしなければお前は反社会的な行動をしていることになるのだ、道徳をわきまえた市民ならばこのくらいの代償は払えるはずだ、などと恫喝してくる国家社会は、正直かなり胡散臭い

それでも、ワクチン接種費用程度ならたいした実害はないじゃないか、という反論があるかもしれない。なるほど、もしもあなた貧困層でなければ、確かにちょっと痛い出費程度で済むだろう。だが、問題はその「義務」はどこまで拡大されるのかということだ。今あなたが遵うべきだと言っているその「公益のための義務」が、いつの間にか「兵役」になっていなければよいのだが。

そして我々が住むこの日本国は、経済的自由主義の名の下に医療費を着々と削っている。小泉純一郎以来この国の福祉自由主義の旗の下で掘り崩され、削られてきた。このような状況で「道徳的義務」などというものが持ち出されることには警戒した方がよい。国家市民生活に対して負う義務を年々縮小しながら、市民に対して「公益」を根拠負担を迫ってくる。冗談ではない。なぜもらえるかどうかわからない年金を払い続ける人びとが、そんな「公益」とやらを慮って差し上げねばならないのか?

経済的自由主義公的サービスを縮小するのなら、民間自由も拡大させなければ筋が通るまい。もちろんそこにはワクチンを接種しない自由も含まれる。逆に民間自由にある程度制限を加えようとするならば、失われた自由に見合うだけの大きな政府を実現してもらわねば困る。

往々にして反・反ワクチン論者は不道徳であり、彼らの要求に従わない人間が現れるのは当然である

感染症にかかった人間不用意に出歩いてウイルス拡散され、流行が広がってしまう。なるほど悲劇だ。だがそういう悲劇が起こる度に、公衆衛生を錦の御旗のごとく掲げる人びとは、大元罹患者に向かってバイオテロだのと心ない言葉を浴びせかける。彼もしくは彼女もまた、病気犠牲者であることを忘れ去って。

たとえば敵国の社会を壊滅させることを狙ってウイルス炭疽菌を散布するような意図を持ったテロリストは、道徳的非難対象となって当然だろう。だが、不幸にも病気にかかってしまった状態不用意に歩き回ったという、ちょっと迂闊だった程度の人が、患者が、そこまで非難対象とされるのは絶対に間違っていると考える。それは犠牲者非難かいうやつじゃないのか。犠牲者非難を許してはいけない。

病気人間意志を超えたところに存在し、運やら体質やらの本人にはどうしようもない状況に付け込んで罹患させる。そのような感染症患者を、運悪く感染不用意な行動を取ってしまったという理由で、バイオテロだの加害者だのと責めるのは道徳的に間違っている。そして、道徳的に間違っている主張をしている人間の言うことに従わない人間がいることは当然である

少なくとも私は、このような言説を振りまく一部の反・反ワクチン派の醜態を見て、風疹ワクチン絶対に打たないと心に決めた。政策の失敗によってワクチン接種の機会を失っただけの、なんの責任もない特定世代の人びとを加害者呼ばわりする連中に腹が立ったからだ。風疹流行をめぐって吹き荒れた犠牲者非難の言説は本当に醜悪だった。あれを見てしまった以上、風疹ワクチン接種に加担することはできない。

まとめ

以上、反ワクチンが必ずしも道徳的に間違っているとはいえず、むしろワクチン接種の強制こそが道義に反していることを示した。自由主義者として、そして犠牲者非難を憎む者として、私は反ワクチン主義にも聞くべき理があると主張する。なるほど彼らは科学的にデタラメなことを信じ込んでいるのかもしれない。だがそれは、彼らにワクチン接種を強要する側の道義的な正しさを裏付けものではないのだ。むしろその強要こそが、反ワクチン論者に三分の理を与えているのである

ほらやっぱり

あっ反知性主義者

自分がかかった麻疹自分が生き延びても他人を殺してもかまわない覚悟がありそう

熱を押して主要駅にでかける麻疹テロとかやりそう

anond:20190506182500

こういうトラバが速攻でつくわけだろ? こういう言説を(たとえ自分宛てのものじゃなくても)見る度に、絶対ワクチンは打たないぞという決意を固めるよね。

ブコメ

権利と他の権利は常に対立するもの100%正義存在しないところではあるが、我々は武装する権利他者を傷つける権利行使することはできない。

他人を傷つける権利行使できないというなら、身体注射針を刺すことを強要することはできないという結論になるはずでは。医者行為傷害罪構成要件に該当することはご存知ですよね? 正当業務行為から違法性が阻却されるだけで。そして医者にかかる患者医療を受けることに同意しているわけですが、ワクチン接種を拒否する人たちの身体ワクチンを打つことを強要しようとしたら当然彼ら彼女らの身体への侵害となります他人を傷つける権利行使してはいけないというならまずワクチン接種の強要をやめるべきでしょう。

そもそも感染症他者うつしてしまうことは基本的他者への加害ではないわけで。それを加害と呼ぶのなら人より感染症への抵抗力が弱く生まれついた人間としては全力で抵抗せざるを得ないですね。そのような言説を振りまく人間の言うことに従わないという消極的抵抗を今後も続けていきたいと思います基本的にめんどくさがりなのでデモとかも意義は認めるものの参加したことはないのですが、これはコストのかからない良い抵抗方法だと思うので加害者呼ばわりバイオテロ呼ばわりに憤る人たちにオススメです。

2019-04-29

anond:20190429141708

これ憲法理解してないから生じるんだよな

刑罰法律によって規定されてることで、やっていいこと、悪いことが明確にされて、国民自由に行動できるようになる

自由主義のために行ってることで、簡単に多少のあいまいさといって許容していいものじゃない

遡及処罰禁止も同じ原理

2019-04-28

anond:20190428075505

封建制的な社会では、個人個性自由以前に社会要求されるロールのほうが個人を作り上げてたんだよ。社会安定のためにそういう仕組みが必要だった。

たとえば農民小作農とか富農とか地主とかのクラスわけ)や庄屋や蔵元や名主なんていうロールシステム農村が作られていて、家庭は世帯主と妻と嫡子次男三男、娘どもみたいなロールこそがコミュニティ安定の要だった。社会には役割がありその役割参加者が担うことで安定させていたわけだ。

年齢に関しても一緒で、ある年令になったら子供から若者にロール変更してコミュニティ防衛に参加してもらわないと困るし(自警団青年団)、もう少し年が行ったら結婚して家庭を持ってもらわないと困るし、一家が自立したら寄り合いに参加してコミュニティ運営の一部を負担してもらわないと困るし、子供が成長したら隠居して発言権を譲ってもらわないと困る。それらが「年齢相応である」ってことであって、それらのロールを義務として果たしてもらわないと、コミュニティ不安定化する。それはつまり社会に対する攻撃でありテロなわけだから役職のロール、家庭内のロール、年齢なりのロール、そういう役割放棄は罪だったわけ。

現代になって個人主義自由主義の思想からそういう抑圧は随分減ったけれど、日本では一世代とか二世代まえまではそういう価値観バリバリ現存してたんだよ。じっさい、今だってそれらのロールを全放棄できるかっていえば、社会観点では異論が出る。全員結婚しなかったら少子化解決しねえだろ!とか声を荒げる人は増田にもいるでしょ?

現在は過渡期なんだけど、過渡期としても後期なんだよ。過渡期の前記は「年齢相応(=年齢要求ロール)ってなにをすればいいかはわかるけれど、そんなの個人自由でしょ。おれは嫌だね」って反発だった。今は後期なんで「なんで年齢相応なんて概念があるんだかわからねえ。個人自由でしょ。なにすればいいのさ?」になってる。歴史的経緯喪失だね。

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