はてなキーワード: 自由主義とは
このコピペ思い出した
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朝日が日露戦争をマンセーした事をもって保守化したとか言ってる奴がいるが、
親大陸派=親アジア主義、親儒教、親社会主義、親官僚制(=中央集権) 親全体主義、親人治主義と
親英米派=親国際主義、親資本主義、親封建制(=地方分権)、親自由主義、親立憲主義
なんだよ。
親大陸派は天皇制を認めるかどうかで国家社会主義(親ドイツ)か共産主義(親ソ連)に分かれ、
親英米派は伝統の重視の度合いで保守主義と自由主義に分かれる。
今風の言葉で言えば、反米保守は親大陸派で、親米保守は昔ながらの親英米派なんだよ。
両者は戦後、反共産主義という一点で手を組んだ訳だが、元々は水と油。
共産主義が崩壊した90年代以降、元の親大陸派vs親英米派の構図に戻っただけの話。
戦前の革新官僚や軍部の中に国家社会主義者に儀装した共産主義者が沢山いたってのは
有名な話で、この両者は天皇の扱いを除いては対立点はないから、転向は簡単。
でも、親大陸派は絶対に親英米派にはなれない。逆もしかり。根本の思想が違う。
で、日露戦争の評価について言えば、「白人に対する被支配者有色人種の勝利」と言う点を重視するのが
親大陸派の特徴で、英米日の文明国が専制的(=アジア的)なツァーリのロシアに勝利したと言
う点を重視するのが親英米派の特徴。当時の人々はどう思っていたかと言うと、圧倒的に後者
が多いだろね。当時の一般の日本人は文明の度合いを肌の色よりも重視した。
このように考えると、朝日が日露戦争を賛美したのは何の不思議も無い。国家社会主義と共産主義
の間は容易に転向できる。そのうち、大東亜戦争の「白人支配からの解放」という面について
賞賛する日も近いだろうね。そして孫文のアジア主義の訴えだが、中国は伝統的に日本と英米との
イラン以外でも「政治的に保守的価値観でも経済が発展すると非婚少子化が進む傾向」の事例はあんのね
http://www.pref.toyama.lg.jp/sections/1015/ecm/back/2014dec/tokushu/_img/1_3_04l.gif
https://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/data/img/sekai-shusshou1.gif
自由主義や個人主義の進んでる印象のあるアメリカや北欧より、儒教価値観の歴史があった日本や韓国、カトリックの道徳観が強いイタリアの方が少子化は深刻なんだよ
「リベラル」はそろそろダブルスタンダードを止めよう(橘玲) - 個人 - Yahoo!ニュース
今まで当事者以外誰もが分かっていて、しかし言わなかった事。それが上の記事には書いてある。
要約はたった二言ですむ。「じゃあお前らからやれよ」「自分が出来もしない事を求めんな」
1.自由なこと。
2.自由主義的。
3.《名》自由主義者。
「リベラル」。この言葉を名乗るものは日本にも米国にもいるが、しかしそこに見える大多数が全く自由主義的でもないのは私の錯覚だろうか?
【2019/4/16】松浦たけあき候補「杉田水脈議員を呼んだことを後悔しています」「皆さんに謝罪します」 #会いに行ける杉田水脈 - Togetter
見るがいい。この暴虐な行為を。
彼らはかつての「反差別」から膨れ上がり、逆らう者は全て悪だと称しているが、 それこそ悪であり、人類を衰退させていると言い切れる。(唐突にシャア並感)
この行いのどこに、自由があろうか?寛容があろうか?
「自由のため」と称して、人々の自由を奪い去ってるのは誰であろうか?
そこに「リベラル」はあるのか?
いささか話が脱線した。元に戻そう。
「リベラル」は夢みたいな目標を持ってやるから、いつも過激な事しかやらない(唐突にアムロ)。
しかもこの「過激な事」というのは、実は全くその「目標」に近づく事になってないのだ。
先にあげた杉田水脈の件なんか見てみればいいよ。ドン引きである。
「権力者の横暴を止める」という御旗の元に、数の力でもって黙らせる。これがリベラルか?自由か?
こういうと、「リベラル」諸氏は言うであろう。
「不寛容には寛容であらねば寛容は失われる」、と。昨日の増田も「「不寛容」は追い出すのが「寛容」だ」と息巻く者がいた。
これこそ、冒頭の二言を突きつけるべき思想である。「じゃあお前らからやれよ」「自分が出来もしない事を求めんな」
「リベラル」自身が自らと異なる思想を「不寛容」と断罪し、弾圧する。それは「寛容」と名乗っているものの、実態は不寛容である。
異なる価値観を受け入れないその姿勢のどこに寛容さがあろうか?
「不寛容」に対して不寛容になった時点でもう寛容さなどどこにもありはしないのだ。自分に出来ない事を、なぜ他人に求めるのか?
それは「寛容」な思想以外は社会に存在を許さないというファシズム、究極の不寛容ではないのか。
トランプの問いはこれをもっと現実的な形で「リベラル」に突きつけたものである。
美しい理想を振りかざし、他人を殴るのは幸せである。みな、心豊か(になった気になれる)であろうから。
いや、覚悟だけじゃなく、実際にやって行けるのか?10年、20年と。
自分の守ろうとした「可哀想な者」が血の通う人間で、しかもエゴも悪意もあると実感したときにこそ「リベラル」の真価は試される。
便乗して語らせてください。
上野千鶴子がこういうことを言っていた時代と、「(ギャルゲーなどを消費するするシスヘテロ男性の)オタク」の側と、彼らに対する批判の内容が変わった結果、上野が過剰に非難されているのだと見ている。
*以後、いちいち書くのもうっとうしいので、「オタク」をもって「ギャルゲーなどを消費するシスヘテロ男性のオタク」に変えます。
当時、オタクの側の主張の大勢は、現実の女性とのセックスや恋愛は本当に必要ない、三次は惨事、二次元こそ至高!というものだった。代表としては、本田透の『電波男』だろうか。
対して、非オタの世間はオタクを、女性をものに出来ないからゲームや漫画を代替物として危ない性癖をこじらせている、本人の表面上の意思に反しても現実の女性とつがわせるべき。と論じがちだった。
で、上野は、オタクが二次元にしか興味がないというなら本当にないのでしょう。だったら現実に女性に加害をしないのだから、女性にとっては無害で、問題にする相手ではない。血縁家族を社会保障の前提とする現代日本では子供を作らないと困るフェーズが来るだろうが、それもオタクの自由のうち。というようなことを、過不足ありつつ散発的に言っていたと記憶している。
要するに、オタクの主張を信じて彼らのしたいようにさせておけ。というだけの主旨で、オタクの積極的な味方ではないが敵ではなかった。
十年以上時が流れて現在は、KKOとオタクがニアイコールになり、現実社会で救われるべきと、オタクの主張の方が変わってしまった。非オタの世間の方は、美少女コンテンツの氾濫ですっかり慣れた結果、いちいちオタクに違和感を表明しなくなった。プラス、上野は他にもオタクに嫌われる言動があり、上野の能力主義で自由主義な古典的リベラルフェミニズムとコンテンツ規制論を含む他の流派のフェミニズムとが混同された。結果として、当時の発言が実際以上にオタクを敵視したものとして取り沙汰されてしまっている。
と、こんな流れなのではないか。
ピエール瀧を非難してる連中が気持ち悪過ぎる。特に、好きだったのにバカヤローとか言ってる連中な。
20代の頃からコカインやってた結果が彼の今のポジションなわけで、お前らそれを全肯定してたんじゃねえのかよ?
だったら薬物使用の何を批判してるんだよ?「バレちゃった」以外、何も変わってないのに。
薬物使用そのものでは全く人に迷惑かけてないわけで、そんな話も全然出てこないしさ。
結局、迷惑を引き起こしているのは、コカインを禁止している法律って、なんでそう考えられないのかね?
例えば、反社の資金源みたいな事も言われるけど、それだって違法にするから反社に独占されてるってだけ。根本は法律。
違法だから世間がギャーギャー騒いで、それが結果的に迷惑を引き起こす。
その世間に自ら迎合して、迷惑だー迷惑だーバカな事しやがってーって無茶苦茶バカじゃん。
お前の善悪の判断基準は国の決めた法律しかねえのかよ。ほんと、知性のカケラも無いと思う。
結局さー、ピエール瀧ほど模範的な薬物常用者に対してもこれじゃ、やっぱ日本人って自由主義の考えが根付いていないんだと思う。
あ、別に俺はコカインを規制するなとか言いたいわけじゃないよ。
でも、法律って当たり前だけど柔軟性がないの。そこの部分を汲み取るのが人間の知性ってもんだろ。
ま、芸能関係の人間は、商売上、表向き正々堂々擁護するわけにはいかないってのはわかるけどさ。
でも連中、本気で違法だから悪い事なんだって考えてそうで、それに一般人がつらいだろうなーとか言ってるの、ホント吐き気がすんだよね。
法に反しない範囲で可能な限り事実を捻じ曲げ身内を守り無謬性を保つというのは霞が関メソッドそのもの。
大臣の問題に限らずあらゆる不正と疑惑をこのメソッドで乗り切ってるし、内閣人事局の発足で官邸がダメ出ししない限り官僚自身も責任を取る必要がなくなった。
内閣人事局により表面的には官僚主導から政治主導になったとされるが、与党議員と官僚が一体化することでより強力な権力を持つようになったというのが実際のところ。
野党の追求が中央省庁の役人にすら及ばなくなったのは、決して野党が不甲斐ないからではなくこうした背景が強い要因になっている。
現政権の正体が全体主義・適者生存・弱者切り捨て型の自由主義経済を志向する一部の政・官・民の複合体だと考えればごく自然な振る舞いといえる。
確信したわ
お前は単にフェミや左翼のキチガイ的主張に対して駄々こねてるだけで、表現の自由とは何なのかについて一度たりとも考えた事もなければ古典を読んですらいない
ただの反フェミ反左翼で表現の自由には最初からこれっぽっちも関心はない
キチガイのリアクションにしか特化してないので諸々の思想的裏付けや自由主義については何も知らないし、勉強しようという気概もない
は?俺の言論の自由を奪うの?しかも別にこれは差別でも誹謗中傷や名誉毀損の類でもなく評論の範疇
ある意見に対して、自分の意見を述べる事が人権侵害に当たるので許されないとは一体何をどうしたらそのような馬鹿げた結論に行き着くのかちっとも分からんね
じゃあそれは勘違いなんじゃね?
元増田の
という問題提起に対して
もちろんいいに決まってる
が俺の意見
つまり表現の自由を尊重してるのが俺で、それに対して「他人に意見できるような表現の自由は制限すべきだ」というのがお前の主張なんだろ?
もはや「保守の旗頭を名乗れば正義だ!」みたいなので奪いあうために好き勝手な定義してるからな。
そもそもは、100年前の自由主義が格差拡大と恐慌、不景気を創りだした。
そこで、ケインズ主義とマルクス主義が生まれて自由主義は放逐された。
ケインズ主義は政府が金融政策、国の借金、税金で金回りを調整した。マルクス主義は全部国が管理をしたほうが良いという形だった。
ケインズは自由主義から変化が少ないから保守、マルクスは自由主義から変化が多いから革新だった。
だけど、マルクス主義が失われた。で、元ケインズ主義政党だった自民党が100年前の自由主義の焼き直しの新自由主義に大きく転換した。
大きく転換するのは本来革新なのだが、保守政党だった自民党を乗っ取ったから何故か保守ということになってる。
正直、政治で保守、革新なんて区分は、俺の敵か味方か、敵なら攻撃する、味方なら俺の意見に同調しよというたちの悪い同調圧力の素材でしか無い。
うちは妻のほうが稼ぎがいい。外資で働いている。
俺は零細家族経営の会社で営業職。ノルマもなく気楽だが安月給だ。
自分では、男女平等とか自由主義とか好きでブコメではよくはてサ扱いされる。
元々働くことが好きじゃないし、上方婚ていうの?妻の稼ぎだけで食っていけるくらいあるので
妊娠がわかってからある日、ふと思った。あ、主夫ってありやん。
その日から頭にそれがよぎって段々大きくなってくる。
会社員してなくても月10万くらいは稼げるとおもうし、ネットみてたら夫婦フルタイムで子育ては無理ゲーらしい。
だから俺が妻の仕事に支障がでないように支えるとうまくいくはず。
無名大学を出てからフリーターとかニートとかお寺に入ったりマスコミで働いてみたり、
まともなレールに乗れずフラフラ生きてきたし、男としての社会的などうだこうだみたいな自負というものは持ち合わせていなかったはず。
なのに主夫になりたいって妻に伝えることが出来ずに半年も経ってしまった。
誰にも男らしさとかも期待されてないし、自分でもそういうのない方だと公言できるし、自分の根本にも男女平等とか自由みたいなんが
近代自由主義(モダン・リベラリズム、英: Modern liberalism, Reform liberalism)は、自己と他者の自由を尊重する社会的公正を指向する思想体系のことをいう。レッセフェール(自由放任)を基本原理とする古典的自由主義や自由至上主義とは異なり、それが人々の自由をかえって阻害するという考え方が根底にある。現代において個人の自由で独立した選択を実質的に保障し、極度の貧富差における経済的隷属や個人の社会的自由を侵害する偏見や差別などを防ぐためには、政府による制限や介入をなくしたりする(無政府資本主義、リバタリアニズム、新自由主義)のではなく、政府や地域社会による積極的な介入も必要であるという考えに基づく。
(中略)
日本語では消極的自由を重視する古典的自由主義とのニュアンスの違いを表すため、また、混同を避けるためにあえて自由主義ではなくリベラリズムと呼ばれることが多い。英語圏ではSocial liberalism(社会自由主義)と表現される。