はてなキーワード: 編み物とは
久しぶりに更新してみようと思う。
友人達を巻き込むだけ巻き込んで爆発しって散った恋をしていた。
まさに地雷原を歩みゆくようなもので、とある友人には「陽だまりに行くために何も吹雪の中裸足で外に踏み出る必要はないし、霜を踏む必要もなければ、氷柱に刺される必要もない」とまで言われた始末。
それでも私は「恋は盲目」という慣用句の通り、まあその先にある陽だまりを信じていた。
多分、実際ちゃんと頑張れれば想像よりずっと小さかったとしても、おそらくそこに陽だまりはあったのだろう。けれど、頑張りに対してそのご褒美があまりに小さいと感じたので今回、そこを目指すのをやめて囲炉裏に火を焚いている家に戻ることにした。回復するかどうかは分からない。凍傷にもなっているだろう。だけど、戻ることに決めた。
ありがたいことに、私の両親は私の数々の趣味に対して、詳細を知ろうとはしなくても概ね否定せずにいてくれた。コスプレは嫌な顔をされることもあったけれど(主に片付かない的な意味で)。
本を書くことについては、その内容を読まなくても装丁や出来栄えを褒めてくれた。イベントで本が捌けると喜んでくれた。NLが多かったのもあって「読みたい」と言われたら当たり障りないものを渡す準備もしていたけど、言われはしなかった。
頒布数は決して多くないけれど、頒布数の割には感想をよくいただいていた。拙作と言っても過言ではないけれど、それでも一生懸命考えて書いていたし、愛着もある。だから、純粋に自分が書いたものを褒められることはうれしかった。
私のそれぞれの趣味に対して、厳しいことを言う人ももちろんいたけれど、正直そういう人はどうでもいい。直接危害を加えられないのであれば、いないのも同然。そしてありがちことに、ほとんどそうした粘着質の人とは関わらずに生きてこれた。
で。
私は趣味の中で自己顕示欲を満たしていた。だからそれを全部なくすことに抵抗があった。
まして発行から1年も経っていない本もあるし、再版をかけてしまった本もあった。
それでも、恋人のことが大切だったし、趣味の中で得られていた様々なものをひとまとめにしたメリットと、恋人から与えらえる感情とを天秤にかけてみて、やっぱり後者が重いと感じられたので、コスプレはさくっと上がったし、同人活動も止めて、家にあった在庫も欲しい人に配った後は実家のリフォームに際して処分した。印刷費は回収したかった。
手持ち無沙汰になった私は積んでいた小説を読み漁ったり、編み物を楽しんでいる。
読書も編み物も楽しいけれど、それを共有できる人がいない。長くオタクとして生活してきたから、どうやって繋がって共有していけばいいかがよくわからない。私は、私らしさを少し失った。
甘いものが好きだ。
果物もケーキもクッキーも好きだ。マカロンも大好き。そんな中、流行にのってタピオカにハマった。
デートの時に「タピオカを飲みたい」と伝えたら「毒じゃん」と笑われた。
私の中の小さな私が死んだ。
わたあめを食べに行った。
かわいらしい色で大きなわたあめを頬張る娘が嬉しそうで、こちらまで嬉しくなった。
また「毒の色だよ」と言われた。
私の中の小さな私が死んだ。
やめてほしいと伝えた。
好きなものを同じだけの熱量で好きにならなくていいから、せめて否定しないでほしい。私は私で、あなたはあなただから。否定しないでほしい。同じ熱量で好きになれるかはわからないけれど、私はあなたの趣味を否定しないし、理解したいと思ってる。同じように理解はしなくていいから「ああ、好きなんだな」で気持ちをとどめてほしい。そう伝えた。届かなかった。「じゃあ喋らない方がいいね」「帰るわ」。
まったく私の言葉は届かないのだと、涙になった。
私は私で、それはあの人の恋人であり、娘の母であり、企業に勤めるサラリーマンであり、母や父にとっての娘であり、友人にとっては友人であり。どれも私で、全てを束ねて私だ。
私は責任の中で生きていて、全てが過去の選択の結果。だから、母としての私を認められないことが苦しかった。どうしたって時間に制約はある。人付き合いもある。そういうのをやり繰りしながら時間を作って会っていた。だけど、それではいけなかったらしい。
もう一人、小さな私が死んだ。
じゃあ、と、振り返ってみたら。
殺された私の代わりに新しい誰かが生まれていたかと考えてみたら。
そんなことはなかった。
こちらからお願いしたことも、むこうから言ってきた約束も、何一つ、一週間だって守られたことはなかった。そして更に悪いことに、気づいてしまったのだ。言われたことも嘘ばかりだったのだと。
気づいたら、中くらいの私が死んだ。
そうしたらもう、ダメだった。
言いたいことも言えず、伝えてもかなわず、期待しても裏切られる。
こんな人の傍にいてはいけない、と。
きっとあの人は叶えてるつもりだっただろうし、言ったこともその時は本気だったのだろう。
だけど、継続的に叶え続けられないのならそれはただの気まぐれ。
後戻りできないほど周りを巻き込んだ私と、生活は何も変わらない恋人と。そんな分の悪いシーソーゲーム、降りてしまって良いだろうと。
ここから私はまた周りに説明をして回らなくてはいけないし、家族に謝らなくてはならないし、下手をしたら連れてこられた男と見合いなりなんなりしなくてはならなくなる。けれどこれも、私の選択の結果だ。
傷ついても嫌なことを言われてもされても、努力していた私は確かに存在した。
調べものも沢山したし、時間も作ったし、理解し合いたいからと対話の努力もした。
だから、結果については残念だけれど、私は私の努力を讃えたい。
一番大きな収穫は「言いたいことも言えない恋人なんて、とっとと別れちまえ」だ。
私はもういちど、自分の好きなことをやりたい。
自分の母親が洋裁好きで、お洋服とかカバンとか、学芸会の衣装とか作ってくれてた。お母さんの手作りすごいね!って褒めてもらえるのが嬉しくて誇らしかったのを覚えてる。
いずれは子供の服なんかを作れたらいいな…と思いつつまずは身近にあるもののリメイクを始めた。
大学のときに自分の服を作ろうと一念発起したこともあったんだけど、布を断ったところでやめてしまった。
無心で手を動かすのが楽しい。
まだ思い通りに手が動かず、ぎこちないけど、針と糸を使って縫い進めるのに、手の全体や指先をくまなく使う感覚が気持ちいい。
料理でもここまで細かな手の動きはしないし、普段はキーボードを叩くかスマホで親指をぽちぽち動かしてるだけなので、指ってこんなに動くんだなあと妙な感動を覚えたりした。
しばらく使っていなかった脳みその領域を使ってるような気がする。
そういえば工作も好きだったなあ。
ウェブデザイナーをやってるんだけど、結局成果物はデジタル上にしか存在せず手ざわりが無いので、こうして触れるものを作るのが新鮮で楽しい。やっぱ人間って現実世界に生きてるんだな。
んで、棒針で編み物をやろうと思って毛糸玉と編み棒100均で買ってきた。
編み方全く覚えてない…!
一時停止や巻き戻し、スロー再生を繰り返して編み方を学んでる。こういうのって動画学習と相性がいいよなーって思う。
でも他の角度からも見れたらいいのにって時々すごくもどかしい。360度動画?VRなんかで他の角度からも観れたら一定の需要無いかな。
なんかみてると、凄い可愛くてやばい。
私は絵はちょこっと落書きするけれど、
心がふわふわになりました。
可愛くてすごいよ、みんな。
ずっと考えてしまうので(母のことと交互にだけど💦)
かといって現状出来る事と
したいこととは相容れないので
そのへんを縮めるために
出来ることをするのだけど
それはしたくないことだったり
一から全部調べたり人に頭を下げまくって
教えを請わないとよくわからないようなこと。
なので
調べて出来てしまう事はあるけど
やらなきゃなことが多すぎる。
善いことは無い気がするの。
ストレスがあるの判るわ、という共感や、優しい気持ちに触れることは出来るのだけど
恐縮するばかりで、ありがたいばかりで。
現状お返しめいたことができないので
それがまた私をかなしくさせるのです
ふがいないとか、そういうこと。
これがいつもあとまわし。
Priorityの順だけど、それに
頑張ります。
未だに固定電話のDataが某所で残ってて、
でも書き換え出来るProfileは携帯番号にちゃんとなってて、
何処の階層にあるんだろうこれは、という。
訂正して貰わないと、電話をかけたけど現在使われていませんになってしまう。
どうして、自分の個人情報を、自分で書き換えられるようになってないんだろう。
最新じゃないんじゃないの?とも思えてしまう。
父は、三男なんです。
でも違うからって言っても
正しくても
訂正してくれる機関がしてくれないと
間違ったままなんだよ。
そこを触れる権限の人たちが。
ブコメが図らずも橋本治レファレンスの様相となっているが、自分にとって意外なIDが影響を受けている。さすがにファンの裾野も広いのだなと思う一方で、お前は影響を受けてその仕上がりなのかという驚きもある。もちろん大きなお世話ではあるが。
ブコメ界のミソジニーの王子様ことKoshianX、橋本治に影響を受けてアレだとしたら、もし少量でも読んでいなかったら王子様どころか非モテミソジニーの暗黒帝王になっていてもおかしくないだろうと戦慄する。読んでくれてよかった。橋本治も山ほど文章を書いた甲斐があろう。いやしかし、橋本治を読んで影響を受けてアレってある種すごい強固だ。影響を受けたと言いたいだけで影響受けてないんなら別に良いのだが、いや俺は確実に影響を受けたのだというのなら編み物編んで出直してほしいところではある。
あとはtokage3だ、私にとってのtokage3は、過剰な嫌中韓、マイルドな極右、自称現実派その実態は脇が甘いキュートなナイスガイという印象なのだが、橋本治を若い頃に摂取して今の仕上がりというのはなかなか興味深い。どこをどう読んで今の仕上がりになっているのか一度じっくり話がしてみたい気もする。
母親は別段奇行があるだとか、毒親だとかいったわけでもなく、むしろ善人の類である。
平凡な主婦であり、毎日の家事と週三日のパート以外の時間を編み物に費やす、立派な母親だ。
自分自身も、そんな母親に日々感謝しつつ、良好な親子関係を築いてきたつもりだ。
自分は母親がやる事なす事全てに苛立ちが溜まり、やがては母親自身に激しい嫌悪感を抱くようになった。
別段高校に入って母親が変化したわけではない。自分がただただ嫌悪感を抱くだけなのだ。
このような感情の働きは自分でもさっぱり理解できず、これが世に言う反抗期というものか、などと考えている。
しかし、今まで散々世話になっておきながらこのような感情を抱く、忘恩極まる自分に嫌気がさす
だが、このような気持ちを表に出すことなど出来るはずもなく、内からの感情を押さえ込み、日々生活を送っているが正直限界だ。
仕方がないので増田に突っ込んでおく
指編みをしている
なぜなら驚くほど早く編みあがるから
でも編み物に使える指が4本しかないので、出来上がったマフラー様毛糸の集合体を多数製作しつなげる。
併せて端っこもつなげていくことでネックウォーマーを作る、ということをやっている
この、マフラー様毛糸をつなげる作業及び端っこをつなげる作業が、かぎ針を使わないと出来ない(現時点では。私の技量があればもっと上手くかぎ針を使わずにできるやり方があるかもしれない)。
そのため、結局棒編みの出来損ないをやっているという時点で、指編みをやっているメリットはあまりないのでは?と感じる
近々棒編みにシフトチェンジしようかと思っているが、それはまた今度にして、とりあえず今は製作途中のネックウォーマーを作り上げることにする。
友達関係って、何気ないやりとりが編み目となっていってほどけない編み物になるイメージなんだけど、その何気ないやりとりをし続けることができない。
だからいざ助けを求めたくても普段から編み進めてないからほどける恐れがあって、非常に連絡しづらい。友達なのかもわからない。年に0〜1度頑張って理由を作って会う方々が1,2人いる(対面の最高の頻度)のだが、そういう状態がずっと続いている。
原因は主に自分の病気と肩書きのなさ。治療に勤しんでると思われてると思う。ただそれはこちらが「メールはできるよ」と送れば済む話で、何気ないやりとりという編み目を編まないのか編めないのかは自分でもわからん。何気ない会話は本当は好きだけど、いつからか話すときのルール(システム)みたいなのが気になりだして、自分たちはただこのルールに踊らされてるんじゃないかという気がしてしまう。そんな消化試合感を密かにもって会話をしていることが相手に対して失礼な気がする。等々の理由であとで落ち込むのがわかってるので連絡しづらい。つまり本当の原因は気性。最近ますますアウトプットしにくさが募っているのでアノニ増田になってみた。どうも失礼しました。
アニメの感想の言い合いっこを夢見つつ感想を書き溜めていたら、夢は醒めないまま8月を迎えそうなので、増田に書いてみた。まだ観ていない作品もあるけれど、このままだと一つも完走できなさそうなので切り上げる。風呂敷の広げ過ぎはやっぱり良くない。それっぽく並べてあるけど、作品の優劣は付けてない。容赦して。
~のみ見放題…対象サービスでのみ全話見放題。その他のサービスでは有料配信。
~のみ最新話無料…対象サービスでのみ最新話見放題。その他のサービスでは有料配信。
私はTVでアニメを観ない(BS見れないし、TOKYOMXもAT-Xも受信できないし)ので、配信情報はこれ以外の手段について書いている。
なお、囲い込みをしているサイトの中ではAmazonPrimeVideoがゆるいみたい。他サイトでは有料配信しているか、放送後しばらくしたら見放題になったりする事がある。
特殊なアクション作画のスポ根アニメ。OPだけ既に10回以上見てるかも。ストーリーは高校のバド部を舞台にした群像劇で、「灼熱の卓球娘」や「響け!ユーフォニアム」に似てるけど、本作のバドは個人競技として描かれてる側面が強く、先の2作品とは違うキツさがある(灼熱の卓球娘は部内でランクマッチしてたけど)。また、主人公がとても卑屈な性格なのも輪をかけて強烈なストーリーに仕上がっている。そんな彼女らを含むバド部の子達がバドミントンを通じて変わっていく姿を描く作品。3話のエレナすごい良かった。バド部と関係ないメガネちゃんは、その「変わらなさ」が対比関係になってるのかな。
本作のアクションシーン(バドミントン)のクオリティが異常。バド独特のスナップを効かせた打ち方、ジャンプをする時の太ももの筋肉隆起、まるで実写のような(バストアップではなく)全身の動き、バレットタイムと3DCGを駆使して描かれるバドのシャトル等。インタビューによると、本作の作画工程は
とのこと(バドミントンは独特の動きが多く、想像だけでアクション作画をするのは限界があったため、実写を取り入れたらしい)。結果、まるで実写のような生々しい動きでありつつ、作画特有の柔らかさがある特殊な映像になっている。特に2話Bパートの試合はコマ数も非常に多く、「なにこれヤバイ」という感想しか出てこない。OPでアクションアニメーターが3人クレジットされていることからも、相当ガチの模様。
また先のアニメ「宝石の国」では、作画アニメが得意な演出と3DGCアニメが得意な演出の違いがちょっと話題になっていたけれど、本作ではそんな3DCGアニメが得意としていた「カメラが回り込むような演出」を作画でちょくちょくやってて、これがめちゃくちゃすごい。宝石の国が「作画アニメの良さをうまく取り入れた3DCGアニメ」とすると、本作は「VFX(ロトスコープ)の良さをうまく取り入れた作画アニメ」という感じかも。
あと、全体的に映画のような仕上がりになってるのが好き。強めの陰影や風景描写を使って心情を表現したり、オケ主体のBGMを効果的に使ってたり。加えてキャラデザがすごく好き。上記のアクションを綺麗に表現するための体格だし、加えて群像劇のシリアスさをうまく強調してる。
- 私が、聖地だ - でお馴染み日常系お仕事アニメ。体の中で起こっていることをエンタメ風に紹介していく内容。人の体は概ね、平和かつ物騒だった。
とにかくキャラデザが良い。メインの舞台は血管なので、白血球、赤血球、血小板(血液の45%くらいがこの3種)が主要な登場人物なのだけれど、赤血球は静脈にいるときと動脈にいるときで服の赤味が違うという謎のこだわり。白血球はマンガ→アニメの過程で着色されない(何故か肌の色も白)というデザインを返り血で彩るというすげえ発想、そして血小板ちゃんかわいい。血小板は1話で何をするわけでもないのに非常に作画熱量が高く、すごく惹き込まれた。自傷行為で血小板にいたずらしたい。それぞれの大きさは概ね、赤血球は7-8μm、白血球は10-15μm、血小板は2-4μmなので、その大きさも反映したデザインだとすると非常に3キャラとも完成度が高い。
そして、思った以上に専門用語のオンパレード。特に1話冒頭の「血管内皮細胞がぁあああああ」が好き。ただし作中で文字付き解説に加えて能登さんのナレーションが容赦なく入ってくるので、たとえ白血球が雑菌と殺し合いをしていてもあの声でナレーションがすべてを持っていく。エンタメとしてとても面白い。高校で生物を習っていればもうちょっと楽しかったのかな。
また、体というのは誰でもある程度関心のある分野なので、私も「あれをアニメでやってくれないかなぁ」がたくさんある。ガンとかアルコールとかインフルエンザ(ワクチン)とか骨折とか。
これまでの集大成。スタッフは2期のチーム。夏は終わっても山を登るお話。
これまでのストーリーを踏襲しながら進んでいく物語にグッと来た。教室での編み物とか、富士山の話とか、ロープウェーを普通に乗るとことか。筑波山頂のシーンなんかBGMが「スタッカート・デイズ」のアレンジったりしてすごく良かった。山の風景も引き続きムクオスタジオの綺麗な絵が見れるので、この先も非常に楽しみ。
「メイドインアビス」でおなじみキネマシトラスによる、闇のアイカツ。ミュージカル科に通う女の子たちの物語。2017年から同名のミュージカル(ライブ?)が行われている、アイドルアニメ。
アイドルアニメを殆ど観たことがないのだけれど、こういう登場人物が多い作品は、なるべく早い段階で各キャラの印象を視聴者に与えるため「ほぼ全キャラの自己紹介パートを設ける」とか「各キャラ同士の関係性を描くため、楽屋みたいなところでやいのやいのする」という描き方が多いのだけれど、その辺りの演出がとても控えめ。名前を言う流れも、表示する白文字のフォントもすごく良い。また「メインのストーリーをメインキャラ同士の会話で進めながら、音声なしの映像でその他のキャラ同士のやり取りを描く」等、声だけではなく身体表現によるキャラ紹介がすごくうまくて、各キャラを覚えるのが楽だった。
同様に、心象風景や陰影表現を使ってキャラクターの心の機微を描くというか、行間を読ませるような演出がすごく決まってて、まるで映画みたい。キャラ紹介に尺を取られるとこういう演出が難しいので、ほんとすごい。特に東京タワーから落ちるシーンとかほぼ静止画だし、演出の引き算がめちゃくちゃ優れた作品になっている。
演出の緩急が優れているといえば、特に1話ラストのミュージカルシーン。あそこまで劇的な転調は殆ど見たことがないかも。「輪るピングドラム」とか「天元突破グレンラガン」くらい?このパートでは、リアルでミュージカルを観ているときに感じる「五感が全て奪われるような不思議な魔力のようなもの」を、非常に高い作画熱量によって見事に映像化している。起きている事自体はファンタジーだけど、実際ミュージカルって超現実的な体験なので、もし映像化するなら本作のような感じが一番近いのかもしれない。マジですごい。
本作の音楽を担当するのは、「宝石の国」「宇宙よりも遠い場所」でお馴染み藤澤慶昌。題材が歌劇なので、劇的なオケがメインなのだろうか。もう劇伴だけでご飯3杯はいける。
Netflix独占
100年くらい前の日本を舞台にした、殺し屋家業の日常アニメ。ヨルムンガンドみたいな?ゴリッゴリのP.A.Works作品。
まず戦闘シーンの熱量がヤバイ。京アニの作品「境界の彼方」の戦闘シーンくらいすごい。純粋にアクションがぬるぬるというのもあるけど、加えて出血表現がめちゃくちゃ美しい(境界の彼方も出血表現きれいだよね)し、SEが圧倒的にヤバイ。一撃を防いだ三節棍の音とか、マシンガンの弾丸が石畳に刺さる音とか、横転した車が鉄橋のフレームにぶつかる音とか(やっぱり音響効果:小山恭正だった)。挙げるとキリがない。ヨルムンガンドやGGOみたいに純粋な銃撃戦ではない(強いて言えば異能バトル系)ので、色々な戦闘音が発生する。これはこれで耳が幸せ。横山克の音楽も最高にかっこいいし、とても戦闘シーンの中毒性が高い作品。
また、舞台となる大正〜昭和の町並みがめちゃくちゃ丁寧に描かれている。東京駅から始まり、看板建築の町並み(ということは震災後。新聞を見る限り1930年頃っぽいけど)、和洋入り混じった街ゆく人々、自動車、路面電車。主人公たちの向かった邸宅も和洋の融合した、時代を感じる日本邸宅。ちゃんと道場、和室、洋室、洋風庭園など網羅していて強いこだわりを感じる。その後出てくる、街灯に照らされた夜の町並みも非常に美しい。背景美術を担当しているのはスタジオなや(有限会社GREENが解散後、事業を継承した会社)。モブで言えば、特に日本の警官の描き方がすごい活き活きしててめちゃくちゃ好き。あと邸宅の主人も、葉巻に火をつける仕草がすごく良いのでぜひ見てほしい。
AmazonPrimeVideo独占
いろんな愛の形を描く、狂人の手記。ガンガンJOKERという雑誌は魔境かなにかなのだろうか。子煩悩な主人公が愛のためにあらゆる受難と戦う話なので、概ねハートウォーミングなストーリー。久野美咲(先のアニメ「ひそねとまそたん」では甘粕ひそねを好演)のグロい演技もあってしおちゃんマジ天使。
1話ではヤバイ主人公がバイト先のヤバイ店長を打ち負かす話なので、ともすれば勧善懲悪ならぬ勧悪懲悪、ダークヒーローみたいな話っぽい?のだけれど、ちゃんと1話のなかで「その限りではないからこその狂人」であることが描かれているのが好き。
狂人の話でいえば「殺戮の天使」も狂人の話だけど、あっちは狂人であることに対して自覚的な登場人物の話で、ディケンズの短編「狂人の手記」も『実は私、狂人だったんです!』みたいな話。対して本作は無自覚な狂気を描く作品なので、めちゃくちゃ怖い。また彼女は非常に器用な女の子なので、あらゆる困難を自力で乗り越えてしまいそうな悪寒があって非常に良い。主演の花澤香菜といえば、物語シリーズではヤンデレ子ちゃんこと千石撫子を演じていて、あっちも後者(無自覚)の話だけど、物語シリーズが「恋に恋する女の子の話」に対して、本作は「愛に目覚めた女の子が、愛の力で頑張る話」みたいな、ステージの違うヤンデレ物語になっている。どっちも好き。
主人公の心にフォーカスを当てた、とても静かな演出が印象的。彼女の感じた穏やかさ、満たされた感じ、燃えるような敵意が、とてもかわいいキャラデザや演出によって描かれているのでなおさら強烈に仕上がっている。
制作のEzo'laは初元請けっぽいので、ぜひうまく行ってほしい。
AmazonPrimeVideoのみ見放題
アニメで観るOUTLAST。原作の脱出ゲームのシナリオを踏襲したストーリー。とはいえパニックホラーでもなく(1話は結構その気があるけど)、主人公の心情を丁寧に描いている。また「主人公だけがマトモ」ではなく全員やばい人なので割とツッコミ不在のブラックユーモアボケ合戦みたいになってる。
ストーリーの縦軸はフロア移動→その階のやべーやつに気をつけながら謎解き→フロア移動なのでやや単調になりがちだけど(ずっと室内だし)、全体的に凝った演出が多いのでずっと緊張感があるし観ていて飽きない。OUTLASTみたい。ゲームの雰囲気をそのままに「主人公の視線」をうまく映像化していて好き。音作りが岩浪美和と小山恭正なので、バトルシーンもとても良い。大鎌がシンクの金属板に刺さる音とか。
もしかしたら同じ経験がある人がいるかもしれないので、ここに記そうと思う。
まず始めに、私と夢について。
私は幼少期から夢を見るのが好きだった。
小学生になる前に好きだったのは、足や腕が伸びる夢。布団から飛び出し、ぐにゃぐにゃとどこまでも伸びる。
小学校低学年の時好きだったのは、校舎の屋上から飛び降りる夢。大体地面に着地すると同時に目が覚める。
小学校を卒業するくらいになると、自宅の周辺を歩いている殺人鬼(みたいな何か)に追いかけられるという夢が好きになる。スリルがあっていい。
ここまでは、普通の夢が多かった。
中学生になると、徐々に夢の内容に変化が見られた。
思春期になって視野が広がり、色々なことを考えるようになったのが原因な気がする。
その変化というのは簡単に言うと「夢の中の体感時間」の変化。ここで初めてタイトルと繋がってくる。
とは言ってもこの頃はまだ30分から1時間くらいのものである。
そして次に、内容が変化していく。
中学生から高校生になるというあたりから、私は夢を見るのがもっと楽しくなってしまった。
その人物は出会うたびに容姿が違う。身長や髪型が違ったり、自分との関係性が違ったりする。
ただ唯一、声だけはいつも同じであった。
そして自分はこの人物を見るたびに、なぜかすぐにその人物だと分かる。感覚的に分かる。
では声で判断しているのかというと、そういうわけでもない。声を聴く前から、その人物だと分かる。
友達だったり、同居人だったり、所属している超能力者集団の仲間だったり、遠く離れた場所に住んでいる親戚だったりする。
そしてこの人物は、19歳になった今もなお夢の中に現れ続ける。
そして、その人物に会いたいと思えば思うほど、どんどん夢の中にいる時間が長くなっていく。
3時間くらい。
半日くらい。
丸一日。
3日間。
そして1週間…
その時の関係性は恋人であった。結婚しているのかどうかは分からなかった。
一面金色の麦畑しかない、周りにはだれも住んでいないような場所に二人で住んでいた。
岡のようなものがあり、その上に家があった。
楽しい生活だった。毎日二人で話しながら何やら作っていた。編み物の類だと思う。
目が覚め、一瞬で今までのものが夢だったと気付く。少し残念に思う。
そしてその残念な気持ちは消えることはなかった。何日か経っても、思い出すたびに悲しくなった。
私は思ってしまった。
「もっと夢の中にいたい」
現実で友達と話している時よりも、趣味に向かっている時も、夢は魅力的だった。
夜から朝にかけてみる夢よりも、朝から夕方にかけて見る夢の方が体感時間が長いことに気付いたのだ。
さて、この記事を書いている今私はどうなっているかというと、だいぶ落ち着いている。
夢の長さも、少しずつではあるが短くなってきている。
毎回のように現れた「その人物」も、少しずつ現れなくなってきている。
目が覚めた時のショックも以前より小さくなっていた。
でもこれだけは言える。
下手な絵があるから上手な絵が綺麗に見えるように、つまらない現実があるから夢が楽しいのだ。
同じことの繰り返しである変化のない現実よりも、毎回違う話の主人公になれる刺激だらけの夢の方が楽しいに決まっている。
でも夢はあくまでも夢だ。
息を吸っている、心臓が動いている場所はずっと変わらず現実である。
理想的ではない現実での生活を補うように、自分が心を病まないように、私の脳が見せてくれた夢。
つまらない私を、数え切れないほどの物語の主人公にしてくれてありがとう。
もし、かつての私のように夢に操られている人がいたら、私は伝えたい。
夢の中の空よりも、現実の空の方が綺麗だと。
せっかくプライムに入ってるのにあんまり見放題使ってないのがもったいないのもある。
ちなみに編み物は趣味としてはハードル低い方だと思うよ。道具も安いし、本もたくさん出てるし。
手を出してみると案外ハマるかも。