友達関係って、何気ないやりとりが編み目となっていってほどけない編み物になるイメージなんだけど、その何気ないやりとりをし続けることができない。
だからいざ助けを求めたくても普段から編み進めてないからほどける恐れがあって、非常に連絡しづらい。友達なのかもわからない。年に0〜1度頑張って理由を作って会う方々が1,2人いる(対面の最高の頻度)のだが、そういう状態がずっと続いている。
原因は主に自分の病気と肩書きのなさ。治療に勤しんでると思われてると思う。ただそれはこちらが「メールはできるよ」と送れば済む話で、何気ないやりとりという編み目を編まないのか編めないのかは自分でもわからん。何気ない会話は本当は好きだけど、いつからか話すときのルール(システム)みたいなのが気になりだして、自分たちはただこのルールに踊らされてるんじゃないかという気がしてしまう。そんな消化試合感を密かにもって会話をしていることが相手に対して失礼な気がする。等々の理由であとで落ち込むのがわかってるので連絡しづらい。つまり本当の原因は気性。最近ますますアウトプットしにくさが募っているのでアノニ増田になってみた。どうも失礼しました。
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他人から良く思われたい=他人の価値観に合わせて生きる=自分の価値観で生きていない? 日本人は、物事をありのままに観察して、自分の頭で解決策を考える訓練をしていない? 企業...
何となくわかる。 「なんか知らないけどコイツといると楽しい」そういう関係が友達なんだろうかと考えた時に「じゃあ自分は相手に対して「楽しい」を提供できてるのか?」とどうし...
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