はてなキーワード: 簿記とは
偏差値65以上の高校卒なら、ポテンシャル的に可能性は少しある。
簿記が日商2級レベルとあるが、2週間くらいで合格するガッツがあるのなら、起業でもいいかもね。
よく中卒とか高卒社長の成り上がりの話があるが、あれはひとむかし前の話。
当時は経済的な事情もあり頭はいいがすぐに働かざるを得なかった人間が多かったので、
学歴=能力 という結びつきが今よりも少なかった。頭のいい中卒や高卒が多かった時代なんだよな。
翻って今はそんな事はなくなっているので、能力がそのままに学歴に反映されやすい。
飲食ならまだ高卒でもいけるんじゃないかな。ITだと厳しそうだが。
事業主になって1000万いくようになるかもね。
チャオ。
1.20代後半
3.ITスキル適性なし(2年程度会社でプログラマをやったが天才的なひとを見て挫折)
4.勤め人の適性なし(お金を稼ぐのは好き)
5.簿記は日商2級程度で損益計算書と貸借対照表はざっくりと読める
7.高卒
以上です
皆さんお忙しい中お返事いただき大変恐縮です
もうひとつ別に書くか悩みましたが読みづらくなりそうなので追記します
スペックについて書き忘れました
大した成績ではありませんが60人くらいの中で1位2位を5ヶ月くらい取ったことがあるんで(さぼって数字が0だったこともありますが)、営業スキルは中の上か上の下程度でしょう
楽過ぎてやめられなくなってたんですけ良い年なんでそろそろ一財産作ろうと思ってました
それで皆さんの声をまとめると
・営業は良い
・上客を引っこ抜いて独立
・役員になる
・馬車馬のようにとにかく働くべし
・技能あったほうがいい
読みこぼしもあるけどだいたいこんな感じでしょうか
かなり参考になりました
なぜ労働時間を聞いたのかというと、20歳前後で月400時間働くのを4ヶ月続けてニートになって貯めた金を食いつぶした経験があるからです
技能や知能やコネがないのに長時間働けなければ大金を稼ぐのは無理というお言葉は最もだと思いますが、労働時間は僕にとっては重要な指標でした
大雑把な計算(税金や支出諸々を勘案せず)で時給2000円で月400時間(休日無しで一日13.5時間程度)働くと月80万
月80万を12ヶ月でだいたい一千万という計算です。が、もちろんこれは上記の通り僕には無理でしょう
皆さんのアドバイスを参考に時給4000円で月200時間稼げるビジネスプランを考えて実行に移してみようと思います
もちろん最初に時給換算して、というのがナンセンスなのは百も承知ですがあくまで参考にする概算としての数字です
皆さんお時間を割いて頂き本当にありがとうございました。また追記するかもしれませんが、ありがとうございます。
-ねこ大好き
一般事務はいわゆる事務作業。お茶くみとか書類整理とかそういうやつ。古い表現だけど一般OLみたいなやつ。企業規模によっては簿記とかもやるかもしれないけど、まぁ普通はそういうのは経理として採用すると思う。会社の受付とかこっち。
経理事務は経理作業。所謂簿記。企業規模によっては一般事務みたいなこともするけど、まああんまりないよね。
って感じ。
取締役:株主とかが選んだりした人たち。そのまんま会社の取締をやる。経営者。代表選ばないといけないから代表取締役ってのがある。大体社長がやる。
高校を卒業して10年以上が経って気づいたことがあったので書いておきたい。
商業高校は真面目な部類のマイルドヤンキーが通う場所だったのだと。
その場所が退屈だと感じると言うことは人間関係がうまく行っていないと同義だ。
いま思えば、そこに集まった人たちとは現代の言葉でいえばクラスターが違っていた。
どういうクラスターか。
地元に残りたいかそれとも地元を出たいと強く願っているか、の差。
私の印象では、女性は9割くらいが若さを武器に若いうちに結婚し子どもを育てようとしている人。
だから(?)、彼女達はたいてい、バイトをしている。年上と遊んでいる。彼氏は年上。年上との関係を自慢しあっている。
そして受験勉強をしなくて良いから高2~高3を極めて謳歌している。
そして5割は自営業の息子。
卒業後5年位してから気づいたことだけど商業高校の男性の実家が自営業率は本当に半端なかった(女性のそうなのかもしれない)。
いや普通高校の調査結果を知らないからから事実かどうかはわからないが、あんなにも彼らがまったりと高校生活を送っている理由はそういうところにあるのかぁと納得できた。
家業のためにちょっとした簿記の知識を得られればいいや、という姿勢で過ごす高校生活はとても楽しいものだろうと思う。
この「地元に残りたいか否か」というモチベーションの差は、何に興味関心をもって生活するかに極めて影響していると10年経って思った。
地元に残りたいと言うモチベーションで動いている人と、地元を出たいと思って動いている人の思考回路にはかなりの差があると思った。
不思議なことに高校で比較的話しがあった人も高校を卒業した今でも付き合いがある人も、基本的には地元から出た人だ。
地元も家族も小中の友達も、まったく大事だと思わず、できれば一生会いたくないとさえ思っていた私にとって、
もちろん、そういう思考回路の違いに関係なく仲良くなれるのが本当のコミュニケーション能力とも言えなくもないけれど、
少なくとも私のコミュニケーション能力の低さだけが人間関係構築の下手さにつながっていたわけじゃないのだと思ったら当時の自分を少しだけ許してあげたい気持ちになった。
「どうしようもない」とか書いているけど、多分どこかで将来的な展望というか、「こうなりたい」っていうのは絶対にあると思うんだ。それくらいは聞かせてほしい。どうせ増田(匿名)だし。
なんか、クレカデート増田の方向性次第では、「ワープア」というマイナスから「普通」というプラマイゼロまで持って行くことに対して、増田の連中で後押しできるんじゃないか。本当、「可能性がなくもない」程度だけど。
言いたくもなるが、言っても無駄だから言わない。言ったところで、貧乏増田の生活は変わらないだろうし。
恐らく、貧乏増田だって生活を変えたいと思っているだろうが、想像するに生活を変えるための原資がないんだろう。転職するための費用であったりとか、さらに収入を得るための資格を取得するための時間や資金なんかがな。大原言って簿記くらい勉強してこい、と言いたいところだが、学校に通うことなんかまず無理だろう。
この増田は、「働いて食って寝るだけ」の繰り返しで、次の段階へ進むための「タメ」がない状態。そして、実はこういう人って実社会にはたくさんいる。平均年収750万円(笑)の増田たちには、ピンとこない人が多いと思うけど。だから、俺は特段「個人レベル」という感じには捉えていなかったりする。大袈裟かもしれんけどな。
みんな、女とデートした話題から食いついているから、「貧乏のくせに遊興費に金つかってる場合か」ってツッコミ入れてるけど、どんな人間にも遊びとゆとりは必要だよ。そのための社会にしていくにはどうしたらいいか、を一人でも多くの人が考えると、生活保護やら過労死やらといった問題も減ってくるんじゃないかな。
20代後半のゲイ、恋人あり。仕事は情シス。自分の将来に関しては今まで仕事以外ではあまり悩むことがなかった。
しかし今年の内に恋人が転職して遠距離になるかもしれなくなり、もしそうなったらどうしようか、ちょっと考えざるを得なくなってきた。
恋人は僕より年上で、自分より遥かに稼ぎが良い。外資系だからなのか、年齢の割りに高い職位についている。
話を聞くとやはりとてもストレスのたまりそうな仕事だな、と思う。
今度上司が引退するらしく、その後を引き継ぐか、それが叶わなければ別の会社から来ているオファーにのりたいとのことだ。
その会社は今の住所から新幹線で一時間ほどの都市へ引越しする必要があるらしい。
語学力含め極めて優秀な人間で、とにかく仕事に困ることはないだろうから、その点で彼は迷う必要がなく、
一方自分も特段収入が少ないわけでもなく、福利厚生は充実し不満に思ったことは一度もない。おまけに仕事ははっきりいってかなり温く、
システムの新規開発・更新や障害がなければ、就業時間の多くが自由時間みたいな有様だ。人によっては天国だと思う。
会社はまあ日本的な古くて大きい会社であり、ゲイであることを言えぬがゆえに飲み会のときなどストレスに感じることもたまにある。
なにより技術系だからなのか、職場には男しかいない(異動する可能性のある部署も男Only・・・)。
ほかにも会社の特徴によく言えば手堅く慎重なのだが、物事が決まるのがどうにも遅く、その場をしのぐ、
お茶を濁すためのアイデアばかりが採用される傾向にあるので、そういった面ではあまり魅力的でもない。
この会社で定年まで働くというイメージができないまま、なんとなく宙ぶらりんな気持ちで5年が過ぎている。
本題に戻る。
もし恋人が転職することになった場合、今の会社に残って遠距離として今の関係を続けるか、
それとも自分も転職して相手についていくか。男女であれば、既婚もしくは結婚を考えている場合、女性がついていくことはそれほど
珍しくはないと思うのだけれど、やはりその場合とりあえずは仕事を止めるという選択になるんだろうか。
正直な自分の気持ちを言えば、今まで付き合った中で一番心落ち着く大好きな人だから、
結婚は法的に無理だけどこれから先もずっと一緒に時間を過ごしたい。
その点はお互い意識の差はない・・・はず。遠距離を続けられる自信も過去の経験からしてあまりない。
問題は自分が転職するとしてそもそも出来るのか、そしてお金のことだ。
散々ぬるま湯に浸かってきた自分であるから、情報処理や簿記の資格を持っていて、
少しばかりはITの知識・経験・調整・契約ごとのやりとりをしてきて、
いくつかのしょぼいウェブアプリで小遣い稼ぎしているといっても、
常時開発しているベンダーの人やウェブ屋さんとのさまざまな差は、比べるまでもないと思う。
また今と同じ職種の仕事を続けたいという熱意ががあまりない(嫌いではないけど、はてなに多いIT開発大好きな人たちとは本質的に感覚が違うように思う)
にも関わらず、ほかに何がしたいのかというと、まだはっきり定まっていない。こんな状態で転職活動としても良いのだろうか、探しているうちに
もう少し鮮明にイメージできるようになるのだろうか。これがふたつめのハードル。
そしてお金。僕の兄姉はみな既婚の子持ちでお金に余裕のある生活をしているわけではない。
両親に何かあったときなど、孫の顔を見せることはできない代わりにせめて経済的負担くらいは出来るだけ引き受けたい。
また当然どちらかが先に死ぬまで一緒にいることが希望とはいっても、将来二人に何があるかは全くわからない。
だから、いくら恋人が高給取りであっても、僕も経済的に自立していなければならないし、自立していたい。
結局、もし恋人が転職することになってもならなくても、良い機会なんだ。
このまま同じ会社でズルズルと過ごすことに不安と焦りを感じていたのだから。
何にせよ決断が遅くなればなるほど身動きがとりにくくなるのは避けられない。
どこへ行っても食い扶持と少しの余裕は稼げるような仕事を見つけなければならないんだ。
それでいてその仕事が好きになれれば最高だ。
▼やる気
やる気がないと、どんな作業をしても効果はあがらない。
ちょっとしたイベントでもへこむと、すぐに最悪のやる気の状態になってしまう。
まずはやる気を最大の状態に持っていく事が大事。パワプロでいうピンクの超笑顔のやつ。
▼体力
1日に、1週間に、出来る事は限られている。
どんな行動をしても体力は減っていくので貴重な体力を何に当てるかは考えるべし。
▼走り込み
体力の最大ゲージがあがっていくイメージ。
ジョギングなどの運動していくことで、体力があがり、1日で行動できる事も増えていく。
▼各能力値
オールAを目指したくなるけど、オールB、オールCくらいだと何の役にも立たない。
全体的に高めつつ、何かしたらでAを作らなければ。
(コミュ力、企画力、英語力、プログラミングスキル、簿記、、、)
▼初期能力値
持って生まれた能力値ってあるよなあ。
いくら高い初期値から始まっても、失敗してしまう人生もあるけども。
「チャンス○」「お祭り男○」など特殊イベント発生時に身につけていきたいね。
第三者視点で、今何をすべきか、どの能力をあげるべきかが見えてくるかも。
自分の人生をパワプロ風に管理するアプリとかあったら面白そうだけどな。
能力値を他人と比較する難しいとは思うけども、客観的な指標をつくって?
少し時間が経ってしまいましたが、個人的にはなかなか効率よく勉強できたのではないかと思うので、備忘録も兼ねて勉強方法について書いてみたいと思います。
簿記2級を理解していること。
公認会計士 短答式対策シリーズ ベーシック問題集 財務会計論 計算問題編
公認会計士 短答式対策シリーズ ベーシック問題集 財務会計論 理論問題編
公認会計士 短答式対策シリーズ ベーシック問題集 管理会計論
計16冊30660円也
TACのサイトで買うと割引されるので僕は全てTACで揃えましたが、
ネットスクールのとおるシリーズでもいいと思いますし、大原の短答式シリーズでもいいと思います。
基本的な流れとして、テキスト→問題集→過去問→過去問→過去問という流れはよくある簿記2級に○週間で受かる!みたいなのと同じです。
まずはテキストを読んで練習問題を解きます。1冊10hくらいで読みたいところですが、連結や意思決定のあたりは時間がかかるかもしれません。
連結や税効果はなんとなく難しい感じがしますが、個々の仕訳はそこまで難しくないので、意味と出所を理解できるといいと思います。
トレーニングの問題には重要度に応じて星が1~3つ付けられています。
時間があまりないので、星1つは無視して2つと3つの問題を解きます。
わからないところがあれば、都度テキストに戻りつつ、どうしてもわからなければ先に進みましょう。
後からわかることもあるし、最後まで理解できなければ計算テクニックとしてこういうもんだと覚えてしまってもいいと思います。
160hあれば2周くらいは解けると思います。
各回に商簿・会計・工簿・原計で大問が4つずつあるので、それぞれ1時間くらいで解きます。
たぶん全然できないので、解説を読んでテキストを読んで、わからないなりにどんどん進みます。各回8hくらいはかかると思います。
今度は本番通りに商簿・会計で1.5h、工簿・原計で1.5hで解きます。
合格点は取れなくても、前回は手も足も出なかったところが、今回は戦えたくらいでもいいと思います。
各回4hくらいで進めるといいと思います。
・一つ一つの仕訳をきらず、ダイレクトに答えの数字を出す練習になる。
などがあります。連結なんかはこっちの問題をやった後だと1級は基本的過ぎてつまらないくらいです。
3回目ともなると見覚えのある問題も多く、スピードはずいぶん上がっているのではないかと思います。
わかっている問題は考えずに一直線に解ける分、各回2~2.5hくらいで解きたいです。
ここにきてまだ「何でそういう処理になるか分からない」というところがあったとしたら、
「この数字とこの数字を使うと答えの数字が出る」という方法を見つけてそのまま覚えてしまいましょう。
ここまでで500hです。きちんと測っていたわけではありませんが、勉強期間と1日の勉強時間から逆算して丸めると大体こんなところだと思います。
500hというと、勉強期間としては学生なら3ヶ月~半年、社会人なら1年~1年半といったところでしょうか。
簿記の試験勉強は1にも2にも問題演習だと思いますが、問題集と過去問だけでなく、会計士の教材を使ってみるのもおすすめです。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1781066.html
本の購入はAmazon一筋だったんだけど、北海道引っ越したら届くのがずいぶん遅くなってしまってちょっと困ってた。
そんなにしょっちゅう本を買うわけではなかったからまあいいかなと思ってたんだけど。
どうしても過去問がたくさん入ってるやつが欲しくなって十何年ぶりに本屋さんに行った。
(ちなみに他のテキストは勉強始める時にAmazonで買ってた)
マップで調べたらそこくらいしか場所がわからんかった。札幌駅もなかなかのラビリンスなのです。
そいで、入ってみたらマアーすごい!ワー楽しい!
明るい!広い!
完全におのぼりさんと化した私は一階と二階、
二人の店員のお姉さんに参考書どこですか?
とリンク先のような質問をしてしまったのですが、二人とも即座に教えてくれました。
まじで間髪いれず。いやな感じはしなかったよ!私が話している間は真剣に聞いてくれて、そのあと静かな雰囲気にあった控えめな笑でハキハキと答てくれました。
それで簿記コーナーに辿り着いたわけなんだけど、
これがすごかった!
確かに売り場広いからいろんな種類の本置けるのはわかるんだけど、そうじゃないのよ!
簿記って教科書はスッキリシリーズとサクッとシリーズの二大巨頭だと勝手に思ってるんだけど
それが一番上のたな並べて三列くらいづつ置いてあった。二者択一、対決の並びでした。
ここで買った人は中身をみながらスッキリか、サクッとか、選べたのねぇー。
それから、簿記界ではネットで広まった救世主がいて、簿記の勉強教えてくれる会計士の方がいるのね。パブロフくんっていうんだけど。
そのコーナーがあった!ちなみにサイトではオススメの過去問、あまたある簿記検定書籍の中で二個だけ過去問のオススメがあるんだけど、
紀伊國屋ではそれ、コーナー作って置いてあるの。えぇー!すごい!
ネットで情報をみて過去問を買いにきた私だったけど、参考書関係って表紙がどれも似たようなもんだからちょっと探すの大変かなあーなんて思ってたけど
パブロフコーナーのおかげで一発でわかった。
パブロフオススメの過去問なんてネットみてないとわからんだろー。すごいぞ紀伊國屋!
そんなのりでレジに並ぶ。もう何もかもすごいように感じて来ちゃってお店出るまで感動しきりでした。
ずいぶん紀伊國屋誉めちゃったけど比較対象がないから仕方ない。ご勘弁!
こんど近所のとこも探して行ってくるよ!
リンク先では実店舗のある本屋は衰退しているって意見がたくさんあったけど、私はAmazonの方が努力が足りないと思うよ!
配送はもうこの際早くしなくてもいいから、なんかさらに新しい体験させてくれ!
ただでさえ本なんて買わないんだから!
以上、
こんなことがあったよってだけの話
土曜日に大学時代の友人の結婚式に行ってきた。これで自分以外の女性は全員結婚した。
一方の自分はといえば、一番初めに結婚した友人の結婚式に前後して精神疾患にかかってしまった。
適応障害の診断に始まり、抗鬱剤を飲みつつステージ4まで肝がんが進んだ父親の世話をしていた頃の私は、かなりしんどそうに見えたらしい。実際私は女性にもかかわらず、友人の結婚式にリクルートスーツで参列しようとして友人に諭されてようやくブローチをつけていたぐらいだった。
その後父親が死んでから躁転。自分で何をしているのか何が起こっているのかわからないまま、気がついたら数年前に卒業した大学の近くにある精神病院の閉鎖病棟で手足を縛られた状態で横たわっていた。数週間して個室に移ったあとも自由な外出もままならず、病棟の廊下を死んだような顔で歩き回っている人たちの輪に加わっていた。
その後、半年ほど引きこもり、その間に私の病状を心配した家族から長年住んでいた家から引っ越したのちに、半年ほど精神科デイケアに通った。
そのころから、もう自分は普通の人間(いわゆる健常者)では、なくなってしまったと思うようになった。実際そのころはストレスと精神病薬の副作用による食欲亢進のお陰でBMIが30位上になっていたし、今は父親の遺産や社会で働いていた頃に入っていた保険からでた入院保険金で生活出来ているけれど、いつかは障害年金や生活保護で生活することになるのかなとぼんやり思い始めていた。実際私が通っていたデイケアの利用者の大半は障害年金や生活保護で生活しており、丸々と太っている人たちが大半だった。
いつだったか、ふとその話を母親にした時に、「そんなことがこれからも出来ると思うな。外に出て働け。働くことができなくても復職のために準備をしろ」と言われ、簿記1級の受験のために資格予備校に通った時期もあった。2級受験から5年以上立っていた上に、精神病薬を飲みながらだったから、受験直前期になってやっぱり無理だと思い、受験料だけ払って受けなかったけれども。
簿記1級を諦め、パートで1年働いている間に肥満外来に通って、なんとかBMIを健康的な水準に戻した。その後契約社員ではあるけれども、中堅企業に採用されてフルタイムで働いている。
でも、肥満だった証のだるだるの皮膚を見るたびに、閉鎖病棟にいた現実を思い返すたびに、もう私は普通ではないと思ってしまう。みんな普通に結婚して、子供も産んでいるのに、小学校の頃から結婚して家庭を作るんだ~などとのほほんと考えていた自分ができない立場になってしまった。
職場恋愛をしようとしても、会社には病気のことを隠しているのでできない。外部で婚活しようとしても、妊娠するためには断薬する必要があること、断薬すればまた躁転するかもしれないことを条件に結婚してくれる相手などいやしない。それに楽器演奏と月1のお笑いライブを趣味にしている今が一番ラクだと思っている自分もいる。
けれど、このままは嫌だ、自分にもパートナーがほしい、早く親元から離れたいと思っている自分もいる。でもパートナーは作れないだろうな、ある程度貯金がたまったら一人暮らしして、いきなり紐なしバンジーしたくなっても周りに心配かけないように物品の処分や死後の手続きについて書き置きしておかないと…
ソースも何も、自分で税務処理をしていれば自明だろ。当たり前過ぎる。これをデマ扱いする奴は、単に税理の知識がないだけ。
基本的に複式簿記でさえも、帳簿は銀行口座をベースにする。厳密には預金と現金の2つにわかれるが、現金だって預金から引き出すわけで、ベースは預金という事業主がほとんどのはずだ。
さて、その預金だけど、国民は税金を申告する際に、全ての口座の履歴を簿記に記さなくてもいい。事業に関係ない口座であれば。
実は事業に関係している口座であれば、税務署が調べて、脱税の疑いがありなら聞き取りに来る。
で。
自分とは全く関係ない名前だとしたら、もう税務署も追い切れない。脱税の完成だ。
これを「デマ」とか言ってしまうのだから、通名擁護なんぞデタラメもいいところだ。
せめて朝鮮銀行の通名で口座をひらく事が出来る権利は即刻禁止すべきで、こんなの在日特権に反対する勢力はそれこそ数十年前から指摘してるんだけどね。
僕は漁師の家に生まれた。
当然の様に跡取りとして育てられ僕自身も漁師となり家業を継ぐのが当たり前だと思っていた。
祖父や父から漁師の技術を学び取り、中学校へ上がる頃には多少の波風があろうと岸壁へ船を着けられたり、漁網の補なんてお手の物になっていた。
僕は小さな頃から「力持ちだ」と褒められるのが何故か無性に嬉しくて多少辛くても重いものを調子に乗って運んだりしていた。
家業は毎日筋トレをするようなものだから、その甲斐もあってか身体は同年代の子と比べて大きく筋骨隆々を地で行くような成長をした。
ただ僕は末弟長男であり他の兄弟は全て女兄弟であり、ちょっとだけ気が弱いところがあった。
実家のある場所は田舎なものでヤンキーがハバを利かせており、身体が大きな僕は多少の威圧感があったのかよく喧嘩を売られた。
女兄弟の中で育った僕は殴り合いの喧嘩の仕方なんてわからず(喧嘩の買い方や売り方すらわからない)、気も弱いのでいつも相手を抑えつける戦法で事なきを得ていた。
しかしある日僕は人生で初めて喧嘩で人を殴ってしまった。今でもその感触は覚えていて、拳を思いっきり振り抜いた感触は「ガボッ」といったものだった。
僕が殴った相手はその場で崩れ落ちる様に倒れ、死にはしなかったけれど歯と顎は粉砕という重症だった。
相手へ重症を負わせたことで父は学校まで急いでやってきて、怒り狂い僕を何度も殴って蹴った。父も大きいので3人の先生がやっとのことで父を止めた。
僕が家に帰るなり母は言った。「あなたはもう絶対に喧嘩をしてはいけない」と。僕自身もあの感触の恐怖がありもう喧嘩はしまいと心に誓った。
それから僕はどんなに喧嘩を売られても殴られるだけにして抵抗をしないようにした。できる限り他人へ威圧感を与えないように常に笑っていることを心がけた。
常に笑っていると人は集まってくるもので、僕の学生生活は今まで以上に充実したものになっていった。
中学3年生となって進学を考えるようになり僕はそこでも夢を追って船乗りになるための高校へ通うことにした。
色々調べると「水産高校」の他に「商船高専」や「海上技術学校」があることを知った。このどれもが卒業すると高卒以上の資格を得られた。
僕はそこで「どうせ乗るなら一度はデッカイ船に乗ってみたい!」と考えて商船高専と海上技術学校のパンフレットを自分で請求し親と担任の先生に見せた。
実家の漁村では前例がない、そして僕の母校の中学校でも前例のない進学先だった。
後を継ぐたいていの漁師の子は地元から近い水産高校か普通高校へ進学するのが定番だったからだ。
親と相談した結果、商船高専は都道府県すら変わってしまい何かあっても直ぐに行けないので同じ都道府県である海上技術学校なら良いという承諾を得た。
担任へ親の意見を伝えると「君の成績なら推薦も可能」ということなので推薦をしてもらうことにした。
実は悪い同級生と付き合いを持たなくなったので生徒会や運動部、そして勉強でそこそこの力を得ており、推薦は難しいけど地元では一番の進学校へ余裕で受かる成績だったのだ。
担任は「多少もったいないけどウチのクラスの子の枠が1つ増えたと思うのなら」ということで推薦を了承してくれたのだ。
海上技術学校へ危なげなく進学した僕は学生寮住まいだったので先輩からちょっとだけ悪いことを教えてもらいながら海の知識と技術を真面目に取得していった。
それもこれも「大型船の新しい技術を何かしら漁師家業へ活かせたら」という考えのもとに頑張っていたからだった。
実際に海上技術学校で学んだ船舶機関に関する知識と技術は、夏休み中に実家の漁船を整備する点で非常に役立った。今まで細かい部分であれ業者に頼んでいたのでコストダウンが出来た。
エンジンの買い替え時期には従来型2サイクルエンジンから新型4サイクルエンジンへ切り替え、燃費向上という結果も得られて、この流れは他の漁師の家にも波及した(漁師にとって燃費は非常に厄介な問題)。
新しく使われるようになった素材も海上技術学校へ通っていると僕の耳に入りやすく、僕は実家へ勉強の成果をどんどんフィードバックしていった。正確な数字を今はもう出せないが掛かっていた経費は2割程度下がっただろう。
就職する時期になり海運企業では大手の国内貨物船へ就職できた。乗れるようになった船も全長100m超(排水トン4000G/T超)の国内ではかなり大きい方のものだ。
日本全国津々浦々まで行けて航海中は各海域の漁船が見れ、詳しい先輩上司にその漁船の情報を教えて貰って僕は非常に勉強になった。この知識を思う存分に実家へフィードバック出来る日が待ち遠しかった。
こういった海の知識だけでなく経営や経理の重要性も社会人となってよく理解できたので、上陸の際に本屋へ行っては経営の本や簿記の本を買い込んで勉強した。
船乗りになって7年、僕は引き止める仲の良かった先輩上司や機関長、船長に頭を下げて会社を辞めて実家へ戻った。
家業を手伝いながら漁師の生の感覚を思い出しているとある日両親から呼ばれた。そして父は何度も躊躇しながら僕へ次の言葉を言い放った、
「漁師は継がせない。俺の代でたたむ。お前が中学生の頃から考えていたことだ。漁師は今後儲からない生活が出来ないんだ。すまない漁師をしてもらうにはいかない」
何を言われたのか全く理解できなかった。信じられない言葉を耳にして僕の思考は完全に停止した。何を馬鹿なことを言ってるんだこの人達はと思った。
あり得ない。中学生の頃から?今更?僕は自分の人生を漁師になるために今まで頑張ってきたんだぞ。会社辞めるのも伝えたはずだ何で?おかしいだろ。
思考が動き出すと僕の頭の中は疑問でいっぱいになった。
社会人になった僕は家業が傾いていることには気づいていた。そのため僕が戻るまではと考えて35万あった手取りから僕自身の小遣いとして5万円だけ抜き、ボーナスが出ても5万円だけ抜き(ボーナスの月は小遣い合計10万円)、残りは全て実家へ収めていた。7年間毎月だ。総額1000万はくだらない額を納めたはずだった。
海上技術学校時代も独立行政法人化したとは言え、国から金が出ていたので授業料は数千円で格安、寮費もかからない。僕の学費も相当安いはずだった。
例え僕に黙ってた漁業から大きな借金があったとしても、漁師が借りられる限界はあるし、まだ残高があっても10年以内には余裕で返せるレベルの金額のはずだ。
ヤクザみたいな借金取りが来た記憶はない。ヤミ金の筋はない。全くわからない僕が継げない理由が全くわからない。
税制対策に漁業法人化することを考えてた。銀行からの融資も受けやすくなるはずだ。同様の漁業法人化した漁師の家の情報も集め、実際に各地の漁師からノウハウを教えてもらってた。
今後は今以上に収支の負担が間違いなく減る。僕はこの家の子だ。祖父や父の堅実的な仕事ぶりを見て育った。ドデカイ賭けに出るなんて気の弱い僕には勇気も無いから大型投資とかしたりしない。
なんでだ。なんでだ。なんでだ。父さん母さんなんでだよ!なんで儲けられないの一点張りなんだよ!
1週間待ってくれよ事業計画書だって直ぐに作ってやるよ。他県では新しい漁法の研究や水質改善の研究も進んでて、それを地元の大学と一緒になってやろうよ。国の補助金も出るんだよ。
僕は皆と笑っていたいんだ。父さんも母さんも泣くなよ。僕を怒らせないでくれよ泣かせないでくれよ。いつもみたいにヘラヘラ笑っていたいんだよ。お願いだよ!!!
見えていた道筋が無くなり、どうして良いか全くわからない。父や母が引いていたレールを僕は信じて進み、そのレールを自ら強化していたら、突然その先のレールを両親は取っ払った。
数ヶ月間無職で居た僕は貯蓄も底を付き始めて再び海運企業へ就職した。新卒で入った海運企業よりもずっと小さなところだ。
だけどやる気がでない。仕事に身が入らない。つまらないミスを何度も繰り返し、人間関係を悪くして結局数ヶ月で辞めた。
次の会社も、その次の会社も同じように辞め、僕は海での生活自体を辞めてしまった。
派遣に登録をし、土木や解体などガテン系の仕事をよくやるようになったが気持ちはずっと上の空だった。
実家に居ると涙が出てくるので再就職した辺りから実家を出ていて一人暮らしを始めていた、
ただ、家事のやる気がでない。学生時代や新卒の頃は口うるさく掃除を教育された甲斐もあり、先輩上司から「お前はきれい好きだな」と言われるような人間だったのに、この頃はTVに出てくるような「片付けられない人」の部屋のようにゴミで溢れかえっていた。
どうでも良い、そんな感情が常にあり、そしてそんな風にしかできなくなった自分を嫌悪するようになった。
でも実家への送金はやめなかった。ちょっとでも両親を助けたかった。自分が貧乏しても両親に辛い思いはさせたくなかった。
ある時僕は一人の女性と出会う。年齢は同じだけど学年は一つ上の女性だ。
そこまで可愛くはないけれど妙に馬があった。その女性は賢く、僕のする昔読んだ本から得た小難しい話を黙って聞いて、更に自分の意見を返してくる。僕が学生時代から苦手だった英語が留学経験もありペラペラで尊敬できた。そんな女性だ。
いつの間にか男女の関係となり、僕は「家事ができないんだ」とちょっと嘘をついて告白したら彼女はいきなり僕の部屋に掃除業者と共に来てあっとう言う間に部屋を掃除してくれた。
「良い?今の状態を出来る限り維持すること。出来ないんだったら私に言って」そう頬を膨らませて言った。
こんなに素晴らしい女性と付き合えたのに僕は家事が上手く出来ないままで、職を転々としている状態だった。
ある新しい職場で比較的話すリーダーが僕に言った。「お前頭がオカシイと思うぞ。お前の様子を見ていると脳の病気を疑わずには居られない」
それから僕はよく考えるようになった。僕は頭がオカシイのかと。
彼女に相談したら少し考えた様子を見せ、数時間後にいくつかのURLを僕に示してきた。精神異常のセルフチェッカーみたいなWebサイトだ。
それで彼女と一緒に検査してみたら何処のWebサイトでも「重度の鬱」という診断結果になった。
僕は彼女に言った。「これでこのまま医者に行ったら僕は鬱を自覚してダメに成ってしまいそうだ。だから医者へは行きたくない。鬱の証明書なんて要らない」と。
彼女は「あなたが行く必要があると思った時に行けば良いんだよ」と言った。
そこから僕は何度も職を転々とする。自分を鬱だと疑いながら職を変え続けた。
僕は悪いやつだ。こんな状態なのに彼女を独占したかった。結婚したいと物凄く強く思うようになっていた。
僕の今の状況で結婚しても上手く行かないというのだ。彼女は色々と罵倒された「水商売女か?」とかそういう系のかなりひどい罵倒だ。
そして実家が結局何が言いたかったといえば「二人が結婚生活を始めてこちらへの送金が止まるのも困る」という話だったのだ。
僕はその時完全に察した。「あぁ儲けられないんだな」と。
そういうことだった僕は漁師よりも海運の船乗りをやってたほうが実家は儲かるのだった。外で金を作って実家に入れたほうが実家は安定して儲かるのだった。
僕は実家の金づるだった。全く気づいてなかった。僕の送金が両親を金の亡者に変えていた。
今まで居たアパートを引き払い、携帯電話の番号を変え、彼女以外の全てのアドレス帳を削除し、地元から県外へ僕は引っ越した。
全てにケリをつけようと精神科を受診し、やっぱり鬱だと診断されて薬を処方された。
欝だと診断された瞬間、涙が溢れて止まらなくなり医者の先生にものすごく迷惑をかけてしまった。
今は新しい仕事につき鬱を治そうと受診しながら彼女との結婚のためにお金をためている。もう海には戻らないけどね。