はてなキーワード: 簿記とは
姉と兄は、自分と3歳差ぐらい、妹は5歳年下。
で、妹が大学を卒業した。キリもいいので、ここらへんで何故このような状況になったか振り返ってみたい。
まず、僕達の親は、どちらも大卒であり、子どもに対する教育も当然のことながら熱心であった。
姉と兄と妹は大学進学を選択し、僕は就職(とはいっても僕は浪人してからだから既卒就職)の道を選んだ。
そして一人暮らしのために、最初に家から出て行った。姉の顔は、希望に満ちていた
兄も、国立。とても優秀だった。確か、工業系の学部だった気がします。
昔からおもちゃを分解して壊すのが好きなひとだった。だから当然とも言える。
姉と同じように、巣立っていった。笑顔だった。
99%の人は大学に行く、15名ほどが東大に行く、そんな高校。
一度目は落ちてしまった。国立の経営学部だった。経済的な問題で、私立には行く気がなかった。
すると両親は浪人を勧めた。僕も当時はそのとおりだと思った。浪人した。
1浪で、どっかの国公立でも、と思っていた。成績は悪くなかった。
それでも、何故か落ちてしまった。高望みしたわけでもなかった。けど落ちた。
両親は、私立を勧めた。僕は嫌がった。
「大卒者ですら厳しいのに、何で就職なんだ。もう一回浪人しろ」
とは言われても、当時の自分には辛くて仕方なかった。
確かに、そこそこ進学校だし、「大学いけ」というのは間違っていなかったと思う。
上京して、せっせと働いた。スーパー、コンビニ、パチンコ、衛生設備など色んな所で働いた。
プライドなんてかなぐり捨てて働いた。(※それでも飲食店のバイトはしなかった)
22ぐらいの時に、「経理」というモノに興味を持った。
もちろん、税理士とか公認会計士とかも興味はあったけど無理だと思ったのでやめた。
「経理事務」の正社員は意外と早く見つかった。実務なんて全くなかったのに、運が良かったと今でも思う。
このとき22、3ぐらいだった。
同じ時期、上2人の方は卒業していた。正確には、姉の方は1年留年して、卒業した。
兄の方はもうとっくの昔に内定が決まっていた。しかし姉は少し就職に困っている様子だった。
4年の半ばが来ても就職できてなくて、よく知らんがこれはまずいらしい。
姉は、大学でもう1年職探し。
僕は、相も変わらず「経理事務」の仕事を続けていた。性に合っていた。
姉は、1年我慢しても希望の職に就けなかったらしい。いったん、実家に帰った。
両親は愕然としていた。それでも、励ました。そして、大学院に進むことを決めた。
受動的なコトが嫌いなのは、よく知っていた。兄は、今にも仕事を辞めそうに見えた。
僕は、働きながら転職を考えていた。「企画」の仕事につきたいと考えたからだ。
もちろん「経理事務」も性にあっていたが、チャレンジがしたくなったのと面白そうだと思ったのが理由だ。
多くの面接で落とされ…なんてこともなく、これまたすんなりと転職できた。しかもそこそこ大手。平社員だけど。
妹は、家族の不穏な空気を感じつつも、地元の大学に通い出した。
この辺で、僕は25ぐらいになっていた。
姉は、院に進んでもまた就職に困っていた。
結局、中小企業の正社員になった。(※僕はそれでも十分だと思うんだけれども)
兄は、会社にしがみついているようだった。僕の推測なので、はっきりそうとは断言できないけれど。
それでも、給料はいいし賞与も沢山出るし、兄は満足していたかもしれない。
僕は、「企画」の仕事を楽しんでいた。
とはいっても、営業のようなこともしなくちゃいけないし、大変な部分、嫌な部分もあった。
けど、「経理」の経験も活かせて楽しくできていた。
妹は、3人分を見てきているので、就職に余念がない様子だった。大学3年だった。
現在、僕は27になった。
今は楽しそうだ。
僕は、今も「企画」の仕事を続けている。
「課長」とかではないけど、少し平社員からランクアップした。給料も上がった。
多分兄弟の中で一番堅実だ。
というのも、大学行かずに就職した自分の事件が価値観を変えたそうで。
良かったのか悪かったのか、よく分かりませんが。
強いて言えば・・・っていう程度で、人当たりも良いしリーダーもやる。
仕事ではプログラムも書けるし社内SEみたいなこともやる。営業のサポートも時にはやる。謝りにも行く。
残業ばかりやって土日も出てる。馬鹿だなって思いながら、任されることが嬉しくてやってしまう。
人が嫌がる仕事ばかりやってる気がする。
PHPとjQueryで社内SNSをGWに作って、皆が楽しんで使ってくれてるけどバグが多い。
でも何となく許してもらっている。
俺はプロフェッショナルではない。
今朝の会議でプロフェッショナルについて話があったけど、心が痛かった。
俺はいらないんだろうな。
横増田曰く、簿記2級と自動車免許持っていても、「実務経験2年」の壁あるし そういうのに向いていない人は向いていないから
数字センス無い人は別の仕事するのが正解 商業高校と大学で簿記会計7年やって25才位まで働きながら
事務の経験者でもあぶれてるぐらいだし
喧嘩が起きてるツリーの元を辿ってみた
元増田は
って話をしてる。
など。
これに対して2番目の人は
っていうコメントつけてる。
運転免許や簿記(せいぜい2級だろう)はどっちも高校生が数ヶ月努力すれば取れるもので
健常者ならほぼ誰にでも到達可能なハードルだと思うぞ…。
など。
そこへ3人目の人が現れ2番目の人にレスしていわく、
http://anond.hatelabo.jp/20130613092627
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3人目の人だけ何を言いたいのかわからない。
とりあえず話は全く噛み合ってないように見える。
しばくようなこと言いたいわけじゃないが
運転免許や簿記(せいぜい2級だろう)はどっちも高校生が数ヶ月努力すれば取れるもので
健常者ならほぼ誰にでも到達可能なハードルだと思うぞ…。
でも、飲食や土方はともかく介護もITも不動産も証券も求人数に対する求職数はかなり高い。
「営業は免許持ってる男、事務は簿記持ってる女」が現実でマスコミの言う「求人はいっぱいある」わけではない。
マスコミは何を見て「求人はいっぱいある」という世迷言を発現するに至ったのだろう。
日経にあった、京都大学院卒生がゴミ収集車に乗ってゴミ掃除をしている記事が載ったけど、あれを見ても
天下の京大ですら、いっぱいあるはずの求人に行けないのにどこの情報から「求人はいっぱいある」という結論に至ったのだろう。
100歩譲って「求人はいっぱいある」として、ではなぜ「求人はいっぱいある」のかを考えてみよう。
それは先にも述べたように求人を出す企業が求人する理由はまず人手が足りてないということだ。
しかし、人手が足りないから求職者を募集しているのに実際採っていないじゃないか。
結局、彼らも選好みしているから人手が足りない状態なんじゃないか?
つまり、「求人はいっぱいある」というのは、拡大する需要に日和見する企業が増えた証明なのだ。
たとえば求人数1人に対して求職者が仮に100人いたとしても採らない企業が、スーパーマン求職者をずっと待ってるから現れるまで永劫求人枠が空いたままなんだ。
これを人によっては空求人と呼んでいるが、これがマスコミの言う「求人はいっぱいある」の正体だ。
この大多数の空求人を、マスコミは「求人はいっぱいある」としているのだから、そりゃこの記事を見て勘違いして
受けに行って失敗するのも良く分かる。
根拠のない言いがかりで損をするのは結局現状を知らない真剣に働く意思のある求職者なんだということをマスコミはしっかり念頭に置いてもらいたい。
いろんな意見、全て正しいと思う。
俺はプライドの塊だが、それに見合った才能はない。
こういうタイプの人間は銀行には多く、銀行の後光を背にして評論家となりリスクは絶対に取らない。
けど、俺はそいつらと同類でありながら、上手だとも思っていた。
だからリスクを取った。けど、実際にはそういうタイプの人間の中でも劣っていた。
奴らは偉そうにしながら、自分たちの無能力を知っていた、隠してるだけだった。
一方俺は知らなかった、ほんとうにアホだ。
あと特定は難しいんじゃないかな。
全部本当のことだけど、こんな会社東京にはいくらでもあるし、そういう会社の数字は表に出てこない。(給料や出資額)
ITバブルの時はプログラミングとかネットワーク構築とか出来るオタク(今となっては大学生でも出来る)がいて、
まともにファイナンスとか会計の会話出来るやつ(つまり俺みたいなやつ)がいれば5億なんて簡単に集まった。
俺はプログラミングは出来ないがオタクの言ってることを一般人に通訳したり、煙にまいたりすることは出来た。
「エクセル出来るんですか?凄いっすね!今度おしえて下さい!」ってレベルの時代だ。
いろいろ書き過ぎてよく分からんようになったが
伝えたいのはただ二つだけ。
年間8760時間だから手取り500万として(そんなないけど)
時給570円になる。休憩も昼休みも一切なしだ。
旅行なんて一回も行けない。テレビも見れないし、邪魔だから1000円で売った。
風邪なんかひいたらもう終わりだと思え。
ちょっとしたことが心配になって結局一睡もしないことなんてザラだ。
親が富裕層でなければ何らかの意味で起業しなければ富裕層にはなれない。
俺はそこを目指したがなれなかった。今はフリーター層に限りなく近い。
司法試験や国Ⅰに合格しろとは言わない、無難にストレートに卒業して真面目に就職活動しろ。
日本には銀行、生保という学生のためのセーフティネットがある。
あと間違えて自分の金で株とか投資信託を買うなよ、損するだけだから。
儲かっちゃったら一部を下民に分け与え残りはボーナス、負けたら残念!ってだけ。
まあ落ち込むけどソープの姉ちゃんに慰めて貰えば忘れる。
オノレが適当にやって人の金で大損ぶっこいてるのにソープで被害者ヅラ出来るんだぜ?ワイルドだろ?
そこで定年まで頑張れば報われるんだ、上司がカラスが白いといえば、白いカラスを探し出すんだ。
仕事が終わって予定がない日は寮の食堂でアホのように資格の勉強しろ。
あんなもん暗記と訓練だ、考えずに反射で解け。
あ、予定ってのは上司に誘われる飲み会のことな、これは仕事だと思って絶対に参加しろ。
間違っても起業なんてすんなよ。
そんなこと考える暇あったら土曜の7時くらいからソープにでも行け、五反田のハ○ネス東京が安くてオススメだ。
んで3000円くらいの寿司とか焼肉とかを食って、イケメン外人が中学生レベルの思いつきだけで成功する映画でも見てそのまま寝ろ。
夢の中でそのイケメン外人になってる可能性の方が、現実で成功するより確率高いから。
ソープ行ったら、そのまま会社に戻って作業だ。メシは吉野家かはなまるだ。
金の心配があり過ぎて太ろうがハゲようが気にならなくなるからな。
俺はレールから外れて貧乏な自営業に成り下がったが、お前らはまだ間に合う。
起業なんて忘れて、豊かなサラリーマン生活を送って、俺の分まで幸せになってくれ。
■追記
資格についての突っ込みが少しありますが、難関資格ですがそれだけでは食っていけない資格です。
司法書士、税理士、弁理士、海洋代理士、レントゲン技術士、宅建もギリありです。
ちなみに銀行ではこういう資格をとったら辞める可能性が高くなるだけだから、しょうもない資格をたくさん取る方が評価されます。
一流私大文系。14卒就活生。地方出身。東京で一人暮らし。1浪。
予備校の授業には顔を出すけれども、前日に短時間で予習するだけで、復習は全くしなかった。
英単語や古文単語といった暗記モノが大の苦手で、最後までまともに覚えられなかった。
大学に行きたいというよりも、一人暮らしをしたいという気持ちが強く、大学受からなかったら専門学校でも行こうと思っていた。
でも大学に行くなら祖母でもわかる有名大と思って、高望みして受験したらなぜか受かった。
何校か受かって、どこへ行こうか選ぶこともできた。
そういう経緯で大学へ進学したけど、入学当初から就活が不安だった。
受験勉強も満足にできない、こんな自分が会社で働くことなんでできるんだろうかと思っていた。
だから、1年生の頃から、就職活動関連の新書や雑誌記事を読み漁った。
新書ではよく、マニュアル本が否定されていたから、そういう類の本は読まなかった。
一時期、新書にハマって就職活動以外も読み、講演会に行くこともあった。
サークルは文科系に3つ属し、その中の1つ(2、30人規模)では代表をやった。
成績は上の下あたりで、留年の心配はなく、少し第二外国語を頑張って資格を取った。
1年生の秋から冬にかけて、専門学校に通い、簿記2級を取った。
2年生の冬にTOEICを、何も勉強せずに受験し、750点以上取れた。
ゼミでは、何人かで論文を書き、そのときはリーダーの役割をやった。
周りを見ると、複数インターンに行っている人もいた。
絶対に通るインターンをいくつか教えてもらったけど、あまり興味が湧かなかった。
なぜならそれは金融系のものだったが、エリート意識が根付いていそうで嫌だったからだ。
大学では、自分の大学にプライドを持っている人が多かったが、自分にはそれが受け入れられなかった。
愛校心は人並みかそれ以上にあるのだが、偏差値が高いからといって、他の大学から見て上にいるなんて思えなかった。
そういう考えのもと、あまり同じ大学の人が受けないような、中小企業やベンチャー企業に入りたいと思うようになった。
12月1日にナビサイトがオープンしてからは、システムエンジニアに絞ってエントリーしていた。
システムエンジニアに絞ったのは、今でもはっきりとした理由は見当たらない。
でも多分、新書の中で、社会人に必要なスキルとして英語と会計とITが挙げられていたことと、
ベンチャー企業の多くはIT系で、ITの知識を持っていると転職しやすいと無意識に感じていたのがあるんじゃないかと思う。
そういうわけで、文系でもシステムエンジニアになれる、中小企業やベンチャー企業を多数エントリーしていた。
週に何度か説明会に参加していた。
でも周りを見ると、一日に複数説明会に参加していて、焦ってしまい興味のない会社の説明を予約してはキャンセルしていた。
年が明けて、大学の定期試験が終わってからは、説明会に加え、OB訪問も行うようになった。
システムエンジニアの人ではなかったが、他の業界を知ることができて良かった。
この頃は、大手企業の子会社でシステム開発を行っている所を中心に見ていた。
そこから掘り下げて、保険系のユーザー系SIerに狙いを定めた。
そんな中、転職サイトで調べていると、こういう会社は親会社から出向した人が上司にいることが多いとわかった。
上昇志向が強い方ではないが、ある程度で出世が止まってしまうことに違和感を覚えた。
この記述を見てから、今まで考えないようにしてきたことが溢れ出してきた。
研修制度や福利厚生、給与のことを考え始め、大企業の方がいいのではないかと思うようになった。
また、何となく決めたシステムエンジニアに絞るのではなく、総合職を目指してもいいのではないかと思った。
ある程度のレベルの大学なのに、最初から大企業を目指さないのはおかしいかもしれないとも思った。
入学当初は働くことができるか不安だったが、就活関連の新書などを読んで、
中小企業やベンチャー企業でなら自分でも働くことができるかもしれないと考えていた。
しかし中小企業と大企業の差を知り、周りの大手志向も助長し、大企業へ舵を切ろうとしたところで、劣等感に苛まれている。
自分なんかが大企業で働くことなんてできるのだろうか、というのが邪魔をして、ここ数日まともに活動できていない。
転職サイトは就活本に載っていたから見るようになったが、正直見なければこんなに悩まなかったと思う。
でもまだ選ぶことのできる段階から現実を知ることも大事だとも感じた。
システムエンジニアというのは、選ばない方がいい職種なんだろうか。
メーカーなどで総合職として働く方が、自分には合っているのだろうか。
最近はそういうことを考えては、先が見えない道のりに不安で一杯だ。
自分は、プライベートより仕事を優先させてもいいと思っている。
しかし精神的に不安定のところがあるから、社員同士が仲の良い雰囲気の所がいい。
もしものときに転職できるように、社外でも通用する能力を身につけたい。
地方や海外への転勤も厭わないが、最終的には地元か三大都市圏に腰を据えたい。
忙しい時期に深夜勤務や休日出勤があるのはいいが、それが恒常化しているのは嫌だ。
この条件を全て満たす所はあるのだろうか…
中学では体形と体力を維持するためにおやつは大豆といりこのみ、毎日30分ジョギング
進学校には通る成績ではなかった 非進学校は大学に行く人自体が少ないことに目を付け
簿記を高校と大学で7年、会計は大学の4年 大学の成績証明書は8割A
大学の授業の予習復習も欠かさない 授業が終わっても腹が空くまで大学の図書館に。
卒業してからも営業の仕事の合間に余暇があれば無料のビジネス英語メルマガ書き移したり図書館に通って
勉強しつづけるものの単純ミスが多すぎる自分の頭の低脳さでは経理の仕事はできないと見切ってやめて
総合病院職員。医事課とか診療報酬請求担当じゃなくて経営基幹業務。
経営企画とか総務とか人事とかそういう普通の会社にもあるバックオフィス的な部分。
入職にあたっての試験は一般常識とかそういうのでそこらへんの営利企業とそれほど変わらない。公務員ほど特殊な試験勉強とか要らない。ただ院長の名前とかぐらいは押さえておかないと、下手すると面接で気まずい。
実務上で要される知識はとりあえずPCの基本操作(エクセルワードパワポは最低限、あとマクロ組めたりデータベースソフトに強いといい)、それから医療経営士の3級でもとっとけばやる気アピールしやすい。(能力ではなくやる気のアピールね)あと経理採用には簿記が要る。DPCの知識も必要だけど細かい部分は入職後に嫌でも身につくので制度の何たるかとかの触りだけで充分、そしてそれは医療経営士で大体カバーできる。
病院と部署によるけど基本的に定時帰りだし休暇申請はスルスル通るし使わないつもりらしいけど産休や保育もだいたい充実してる。給与もまあ大卒税込で19ならぎりぎりアリか。
転勤はない。病院は基本的に独立採算だし他の病院との人員やり取りとかは短期的な研修に留まる場合が多い。相当出世するかあるいは採用時にマネージャ候補って銘打たれて予め転勤ありと説明されるとかを除けば、まずありえない。
勤務時間中の資格勉強にもっと身を入れろ、としか言いようが無い。
そこで集中できないのは甘え。
ちゃんとやれ。
お前は本当に本当に甘えてる。
簿記一級まで取ってみろよあと1年で。
男に向かない職業、それは事務職だ。とりわけ一般事務という職種は精神的にきわめてキツイ事を俺はこの半年で思い知った。
思えば簿記3級程度の資格で既卒1年で入れただけでも奇跡だったんだ。労働環境は悪くない、むしろ市内でも一等地に支社を構える会社では福利厚生は勿論昇給賞与も魅力的だし、完全週休二日で休日数は有給除いて120日もある。仕事内容はパソコンのエクセル上にデータ取り込んだりグラフ作ったり資料整理したりと割と簡単な部類に入る。繁忙期すら定時ちょっと過ぎる位に帰れる。だからかもしれない。
実は仕事が非常に少ない。
こればかりは何物にも変えようが無い事実だ。
振り返れば、営業職や技術職は食い扶持に困らない程度に余りある仕事を時間いっぱい使っても無くならない程の仕事量と戦いながら日々充実した生活を送ってる。
けれど、事務職の俺は日長一日ボーっとしてるだけで何もすることがない。仕事の融通をしても上司から貰える雀の涙ほどの仕事が貰えるが後は定時になるまで時計を見るだけの簡単な仕事だ。これは精神的にキツイ。正直言ってだるい。ネットしても良い環境ではないのでじっくり資格の勉強をしているのだが、家にいる時より捗らない。妙な緊張感に苛まれる。
営業職や技術職が時間に追われる仕事なのだとしたら、事務職は多分時間を追い続ける仕事なのかもしれない。
こんなに暇になるのなら、肉体労働でブラック度が増す営業職に配置換えしてもらった方が良いのだろうか。
というより事務職は男が立ち入ってはならない聖域だったのかもしれない。
時間を潰す事との戦いが俺のまだまだ若い人生に影を落とすのならいっそ転属、いや転職を考えるべきなのかもしれない。
が、まだ会社に入って半年だから退職は転職に不利になるだろう。
どうすりゃいいんだ!
ごめん、分野が違うから全然わからんわ。TOEICは学校通うっていうのと違うのわかるけど。
ざっと調べた限り簿記2級レベルの雑魚資格って出てきたけど合ってる?
それってもう自分でテーマを持って何かを研究しなきゃいけない人の勉強の話だよね?
そんなの必要ないw
っていうかさあ、もうさあ、
ボクチン過去問3回回せば資格取れちゃうぐらい頭いいんだもん!っていいたかっただけだろ。
あとなんか大学出て何年経っても未だに引きずるアカデミズムコンプレックスのにおい。
3度目まして、はてな。
みなさんに、ご報告にまいりました。
祝・内定。
サブタイトルは 生きててごめんなさい かな。
具体的には一日に約3枚の伝票と向き合い、お昼に飲み物を配ること。
たった一人の先輩、おばあちゃんはもの忘れが激しく、合うたびに「あんただれ?」って言われる。
今は先輩がそんな状態なので、業務なんて何一つないのが本当のところだ。
「一日に約3枚の伝票と向き合い、お昼に飲み物を配るだけの仕事」は、どう考えても作り出された仕事だったりする。
就職活動は続けてください、と経営者さんに言われた後に、仕事の説明を受けた。
ほんと、口にはしないけど、生きててごめんなさい、みたいな。
こんな伝え方では不十分かもしれんが、一応これも内定だと捕らえて報告した。
いやー、あれだ。
内定もらって、「あー死にたい」とか「生きててすまん」とか思うとは、夢にも思わなかったよ。
断れない人間関係のせいで、無理やり仕事作ってもらって居座る、周りの人にどれだけ迷惑かけたらいいんでしょうかね。
しかもかっこよく伝票とか書いたが、おこづかい帳(書庫用、記録用、保存用)が事実だし、簿記会計っていうより小学生のお小遣い帳だし、経理の人、別にいるし…。
見てないが、「フィナーレの家族でゴールするシーンで泣きました」とか言っておいた。
「私の将来の夢は、」でなんて書いてたと思う?
少し長いが、誰にも見せたことないし、晒したところで身ばれすることはないと思うので、載せてみる。
父と母はそれを嫁としてのつとめだというが、祖父が「俺のマネージャーだ」と言っているし、名刺にもそうあるから、そうなんだと思う。
そして、マネージャーについて調べた。
野球部のマネージャーも、芸能人のマネージャーも、それぞれを管理しているから、マネージャーと呼ばれるんだと思う。
でも、それらの関係と祖父母の関係は絶対違う。
だって、うちの野球部員と野球部のマネージャーは結婚してない。
だから違う。
そんな風にマネージャーにはいっぱい種類があるけれど、私は、待合室や診察室にいるときの祖母のようなマネージャーになりたい。
家にいるときの祖母はマネージャーっぽくないから、あんな風にはなりたくない。
父と母は私の将来に絶対口出ししないけど、正直、お金のこととか考えて、難しい仕事は無理だ。
もちろん合格した。
でもやっぱりお金のこととかで、xxxには進学できないって言われた。
とても悔しいけど、この年でお金の大切さがわかるのはすごいと思う。
祖父母はお金がないのに毎日楽しそうだけど、お金があればもっと楽しいって言っているのでそれは間違いない。
将来の夢をお金持ちのマネージャーって書いたけど、別に次の中から2つ兼ね備えている人のマネジャーでも大丈夫だ。
「経済力がある」「容姿端麗」「相性がいい」(まるで囲まれている)
将来の私は、どんな大人になっていますか? どんな仕事をしていますか? どんな家に住んでますか? 恋人はいますか? 周りの人は元気ですか? いまの夢は何ですか?
聞きたいことはいっぱいあるけれど、きっといまの自分よりずっといい感じだと思います。
これを読んでいる未来の私は、私の母が弟を産んだ年齢と同じ年齢です。
この手紙を書けとxxx先生に言われたとき、私は、どんなときに読むかなあって思って、きっと、大変なときに読むんだろうなあって考えました。
手紙だから、何回も読み返せるし、一番最後は、今の私の一番大好きな言葉で、魔法の呪文みたいな言葉を書きます。
響きも好きだし、物語の最後がこんな言葉だったらいいなって思うこともあります。
意味は「明日は明日の風が吹く」です。
Que sera sera
そんで、書いては、またがんばろうって思うかもしれない。
そのかもしれないに願掛けして、長々とすまんかった。
書いてて生きててごめんって感情がなんとかできそうなので、もうちょっと就職活動する、とここに宣言しておく。
きっとまた報告にまいりまする。
つきあってくれてありがとう。