はてなキーワード: 研究とは
女子高にいたとき、友達が体操服持ち帰るの忘れてスペアも持ってきてなくて、2日連続で同じやつ着てたけど普通にその子の匂いしかしなかった。
それも柔軟剤くさいとかじゃなくて、うち匂いやばくね?って聞かれたから嗅いだのに夏の父親みたいな臭い全然しない。わかる人はわかると思うけど女子の匂い。
教室は制汗剤の匂いとかで汗臭さを感じないのかもだけど、服からは消えないだろ。本当に謎。
社会人になった今、家帰ってくると襟元とか普通に汗の臭い気になるし、1日置いたら洗い忘れた弁当箱みたいな臭いになる。パジャマのTシャツとかそう。
女子全員じゃないんだろうけどあの年頃に特有のなんかがあるのかなー。この季節になると毎年首を捻ってる。
※追記
ロート製薬「女性のニオイ変化に新知見。「プレラクトン™」は肌の上で若い頃の甘いニオイ「ラクトン」に変化する」(https://www.rohto.co.jp/research/researchnews/technologyrelease/2023/1108_01/)
若い女性の匂いはラクトンという成分によるもので、その前駆体であるプレラクトンが時間経過によってラクトンに変化することで「女子の匂い」になることまではわかった。
ただ、ここに書かれたものは人の肌の上で起こる変化であるため衣服では変化しないのではないか?
また「プレラクトン」で検索した際にロート製薬のこの記事か、ロート製薬の研究成果に言及するものしかほぼなかったため、もう少しいろんな資料を見た方が良いと思われる。
女子って謎
※追記終わり
そろそろ、知的好奇心をくすぐる別の話題に目を向けてみませんか?
今日は、数学の中でも特に魅力的な分野である数論について語ってみましょう。
一見シンプルな概念から始まりますが、その奥深さは計り知れません。
1. 完全数って知ってる?自分自身を除く約数の和が自分自身と等しくなる数のことだよ。例えば28は1+2+4+7+14=28になる。じゃあ、次の完全数は何だと思う?
2. フェルマーの最終定理って聞いたことある?x^n + y^n = z^n という方程式が、n>2の整数に対して正の整数解を持たないっていう定理。これの証明に350年以上かかったんだよ。
3. 素数の分布にはどんな法則があると思う?実は、素数定理というのがあって、xまでの素数の個数がx/log(x)に近似できるんだ。
そこには美しさ、神秘、そして私たちの知的好奇心を刺激する無限の可能性が広がっています。
哲学的ゾンビとかの仲間。
神経の研究とかでも、「クラゲの細胞がちょっと反応して縮んだからこれは痛がっているはず」とかで痛覚を定義してて、実はそれは痛覚があることの証明ではない。
が、しょうがない。
https://x.com/tarafuku10/status/1828207094962573666
性同一性障害の症例は過去10年間で5000%増加した。現在の治療法は「医学史上最大の倫理的スキャンダル」になるかもしれないとあるフランスの報告書は指摘する。
ローザに初めてボーイフレンドができたとき、彼女は利発で幸せな14歳だった。「一生の愛を見つけた」と彼女は周りに言って回った。彼が突然別れを告げるまでは。ローザは打ちのめされた。Covidのロックダウンが事態を悪化させた。一日中、部屋に籠ってスマートフォンの画面を見つめるようになった。
ロックダウンが長引くにつれ、ローザは不機嫌で怒りっぽくなり、さらに引き籠りがちになった。 タンクトップはオーバーサイズのパーカーに変わり、ショートパンツはだぶだぶのスウェットパンツに変わった。ある日、ローザは髪を丸刈りにした。自分は少年なのだと宣言し、男性ホルモン剤を要求した。
私が医学生だったころ、現在は性同一性障害と呼ばれるようになったローザのような症状は非常にまれだったので、人生でこのような症例に実際に出会うことになるとは思いもしなかった。しかし、この10年間で、性同一性障害の症例は5000%増加した。何が変わったのか?
ローザはなぜ自分が間違った体に生まれたと信じているのか? なぜ薬と手術がなければ幸せになれないと信じているのか? 米国小児科学会や米国児童青年精神医学会など多くの医師会が、なぜローザの妄想を正常だと主張するのか? 彼らはなぜ不妊のリスクをおかして健康な体を傷つける治療を推奨するのか?
これに答える前に、まず何が変わっていないかについて話そう。性別は受胎時に決まる。性別は永続する。ローザの体を変えることはできるが、少年にはけっしてなれない。けっしてだ。しかし、私の職業は、男性と女性という概念そのものを断固として消し去ろうとする政治的十字軍に乗っ取られてしまった。
医師会は、以下のようなジェンダー狂信者の急進的な理論の代弁者となった。「個人のリアリティを構築するのはその個人自身である。ローザが少年だと感じれば、彼女は少年である」「性同一性障害を解決するのはホルモン治療と外科手術のみである。ローザが髭を伸ばし、乳房を切除したいなら、それは彼女の基本的権利である」
ジェンダー肯定ケアの支持者は、このアプローチはエビデンスに基づいていると主張する。しかし、その根拠はよく言ってもぜい弱だ。それは、オランダで30年前に行われた小規模な研究に基づいている。その研究の被験者はたった55人だった。
被験者になるための主要な要件は、小さい頃から深刻な性別の違和感に悩んでいることだった。被験者には思春期ブロッカー(二次性徴抑制剤)と性ホルモンが投与され、手術が行われることもあった。18か月後、被験者の一部にいくばくかの改善が報告された。この研究にはt対照群は存在せず、再現もされなかった。他にもさまざまな理由があって、この研究には重大な不備が存在し、信頼できないものと見なされている。この「ダッチ・プロトコル」は、自分の性別に苦痛を感じるすべての個人を助けるための基礎となることを意図したものではけっしてなかったのだ。
しかし、現実にはそうなってしまった。この欠陥のある小規模な研究が、世界のジェンダー医療の基礎となってしまった。これは、多くの人の暮らしを破壊した医療のスキャンダルであり、人間が引き起こした大惨事である。若い人々だけでなく、彼らを愛する人々の暮らしも台無しにした。
ローザのような傷つきやすい子供を守るべき私の同業者たちが、この残虐行為に加担したのだ。ある者は処方箋を書き、ある者は外科用メスを使った。しかし、多くの者がこの邪悪を目の当たりにしながらだんまりを決め込んだのだ。
しかし、最近のことだが、イギリスの国営医療サービス事業である国民保健サービスが、ジェンダー肯定ケアに関してこれまでに例のないほど包括的なレビューを行うことに決めた。
レビューを任されたイギリスの王立小児科大学の元総長であるヒラリー・キャス医師は、イングランドのタヴィストック・ジェンダー・クリニックのデータを分析した。タヴィストックは2004年に閉鎖されるまで世界最大のジェンダー・クリニックだった。
彼女の報告書は、同クリニックの医療行為を厳しく批判している。性別に苦しむ若者が医療的な介入により恩恵を得るエビデンスはないということを彼女は示した。子供たちが必要としているのはカウンセリングであるとキャス医師は結論付けた。
イギリス、ノルウェー、フィンランド、スウェーデン、デンマークでは、100%健康な体を持つティーンエイジャーへの治療を基本的にストップし、彼らの心に焦点を合わせることにした。
オランダ、フランス、ベルギーも後を追っている。2024年3月、フランスのある報告書は、未成年者の性別の再割り当ては「医学史上最大の倫理的スキャンダルの1つ」になりうると指摘している。
私は医師として、同業者たちの責任を問う。自分で調べてほしい。あなたたちは反対意見を聞こうともしないではないか。キャス・レビューを読んでほしい。あなたたちの属する医学会は道に迷ってしまっている。これが思いやりの話でも権利の話でもないことを理解しよう。これは残虐行為の話なのだ。
特に、これらの活動が他者の権利や自由を侵害し、社会に不必要な対立や混乱をもたらしている点について、以下に説明します。
多くのトランス活動家は、トランスジェンダーの権利を擁護することを目的としていますが、その方法がしばしば過剰であり、他者の意見を抑圧する形で行われています。例えば、トランスジェンダーに対する疑問や異論を表明することすら許容されず、「トランスフォビア」として一方的に攻撃されることがあります。これは、言論の自由や学問の自由を脅かし、健全な社会的議論を封じるものであり、民主主義社会における自由な言論の基盤を危うくします。異なる視点や議論の余地がある問題に対して、抑圧的な手法を用いることは、社会の多様性や寛容さを損なうものです。
トランス活動家の主張の中には、女性の権利や安全を直接的に脅かすものがあります。例えば、トランス女性が女性専用の空間にアクセスする権利を強く主張することが挙げられます。これは、生物学的な女性が安全な空間を求める権利と衝突する可能性があり、女性たちの不安や懸念を無視するものです。ジェンダーアイデンティティを尊重することは重要ですが、それが他者の安全や権利を犠牲にするものであってはなりません。このような活動が無批判に推進されることで、女性の権利が後退するリスクがあることは見過ごせません。
トランス活動家の中には、科学的根拠に乏しい主張を展開し、それを広く受け入れさせようとする者もいます。例えば、「ジェンダーは完全に社会的に構築されたものであり、生物学的な性別は無意味である」といった主張は、多くの科学的研究によって否定されています。性別には生物学的な基盤があり、それを無視することは、医学的および社会的な混乱を招く可能性があります。科学的根拠に基づかない主張をもとに社会の規範を変更することは、無責任であり、長期的には多くの人々に悪影響を及ぼす可能性があることを認識すべきです。
一部のトランス活動家は、過激なレトリックを用いて社会的対立を煽る傾向があります。例えば、異なる意見を持つ人々を「敵」と見なし、彼らを排除しようとする姿勢は、社会の分断を深める原因となります。このような過激なアプローチは、トランスジェンダーの権利の正当性を損なうだけでなく、より広範な社会的理解や共感を得ることを困難にします。人々が互いに対立するのではなく、共通の理解に基づいて問題を解決するためには、対話と妥協が必要ですが、過激な活動家たちはその可能性を閉ざしています。
以上のように、トランス活動家の中には、他者の権利や自由を侵害し、社会に不必要な混乱や対立をもたらしている場合があります。トランスジェンダーの権利を擁護することは重要ですが、それが他者の権利や社会の安定を犠牲にするものであってはなりません。冷静で理性的な議論と、すべての人々の権利が尊重される社会の実現が求められています。
LINEオープンチャット「はてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらにAIを使用し、試験的にまとめまています。
多岐にわたる話題: 日常生活、趣味、社会問題、仕事など、非常に幅広い話題が取り上げられています。
情報共有: 参加者同士で情報を共有し、意見交換を行っています。
個人的な経験: 過去の経験や個人的な意見が頻繁に述べられています。
ユーモア: 会話の中にユーモアが散りばめられており、和やかな雰囲気で会話が進んでいく様子がうかがえます。
生活: 食事、住居、家事など、日常生活に関する話題が多く見られます。特に、料理、掃除、引っ越しなどの具体的な経験や悩みが共有されています。
趣味: 特撮、漫画、アニメ、音楽など、個人の趣味に関する話題も頻繁に挙がっています。過去の作品に対する懐かしさや、新しい作品に対する感想などが述べられています。
社会: 社会問題、政治、経済など、社会に関する話題も取り上げられています。ニュースや時事問題に対する意見交換が行われています。
仕事: 仕事に関する悩みや経験、職場での人間関係などが共有されています。
技術: コンピューター、プログラミングなど、技術に関する話題も一部見られます。
参加者の特徴
多様な価値観: 参加者それぞれが異なる価値観や興味を持っていることが伺えます。
情報収集: 最新の情報やトレンドに関心を持っている参加者が多いようです。
コミュニケーション能力: 会話の流れをスムーズにするためのコミュニケーション能力が高い参加者が多いと考えられます。
友好的: 参加者同士が互いを尊重し、友好的な雰囲気で会話が進んでいる様子がうかがえます。
オープン: 自分の意見や経験を率直に話すことができるオープンな雰囲気です。
リラックス: 日常生活の悩みやストレスを共有し、互いに励まし合っている様子がうかがえます。
このチャットログの分析から、参加者たちが多様な関心を持ち、互いに情報を交換しながらコミュニケーションを楽しんでいることがわかります。また、このチャットを通じて、参加者たちはストレス解消や心の安定を得ている可能性も考えられます。
感情分析: 会話の内容から、参加者の感情を分析することで、より深い理解を得ることができます。
コミュニティ分析: 参加者間の関係性やコミュニティの構造を分析することで、チャットの動的な側面を把握することができます。
トピックモデリング: チャット全体から主要なトピックを抽出することで、会話のテーマを可視化することができます。
このチャットログは、参加者たちの多様な興味や価値観、そして人間関係の深さを垣間見ることができる貴重な資料です。今後の研究において、この種のチャットログを分析することで、人間コミュニケーションのメカニズムや、オンラインコミュニティの形成過程などを解明できる可能性があります。
https://anond.hatelabo.jp/20240722084249
「論破」しているのは北村氏だけど、心情的に共感できるのは明らかに須藤氏だな。
一つ一つの作品に思い入れのある映画マニアが、通説だとしても映画史研究の一般論的な枠組みでまとめられたら、それに違和感や抵抗感を覚えるのは当然のことで、もう少し一つ一つの映画の個性や独自性を尊重してほしいと思うのだろう。
それに対して北村氏は「私は映画史研究に基づく通説や一般論しか話してません」の一点張りで、そもそもの通説や一般論の妥当性については一言も触れない。確かに須藤氏の議論には粗が多く、そこをついて見事に「論破」はしているけど、ひろゆきと同様の誠実ではない論法という印象は否めない。
須藤氏は映画の知識でマウントをとっているというが、北村氏も映画史研究でマウントをとっている。マウント合戦についてはお互い様だろう。
そして指摘している人もいるが、不当な絡まれ方をしたとは言え、知識の専門家である大学教員のインフルエンサーが非専門家の素人(非インフルエンサー)をタコ殴りにしていいと思っているとしたら、プロのボクサーが素人から一発殴られたらボコボコにして返していい、というレベルでヤバいと思う。
過剰って言うけど、それってどこまで本当なの?トランス活動家さんたちが声を上げるのは、自分たちの存在が否定され続けてきたからだよね。これまで抑圧されてきたから、今ようやく「聞いてほしい!」って言ってる。それを「抑圧」とか「過剰」と言うのは、ちょっとフェアじゃないよね。みんなが対等に話せる場を作るのが大事じゃない?
トランス女性が女性専用の空間に入ることが危険だって?それ、ちょっと考えすぎじゃない?トランス女性も女性であることを忘れないで。女性同士で仲良くできるって、すごく大切なことだと思う。女性の権利を守るのはもちろん大事だけど、それが誰かの権利を侵害する理由にはならないよね。むしろ、みんなで協力して安全な空間を作っていこうよ!
科学的根拠がどうこう言うけど、ジェンダーに関する科学もどんどん進んでいるのさ。昔の考えに固執しないで、新しい知見を受け入れるのも大事なこと。生物学的な性別が全てじゃないって、今の研究でも言われていることだし、時代は変わっていく。だから、トランスジェンダーの人たちのこともきちんと理解していくことが、みんなの幸せにつながるんじゃないかい?
うーん、過激な言葉が飛び交うのは確かに良くないけど、でもそれは一部のことさ。ほとんどのトランス活動家たちが求めているのは共感と理解。だから、私たちもその声に耳を傾けて、みんながハッピーになれるように対話を進めるのが大事なんじゃないかい?分断じゃなくて、手を取り合おうよ!
トランス活動家さんたちが社会に与える影響って、決して「他の人の権利や自由を奪う」なんてことじゃない。むしろ、みんなが平等に、そしてハッピーに生きられる社会を作るための大事なステップ!あなたが指摘してる問題点は実際にはトランスジェンダーの方々の権利がこれまでずーっと無視されてきたことに対する反応だと思う。それも仕方ないことだよね。でもね、もっと理解し合って、みんながリスペクトされる社会を一緒に作っていくことが一番大事!そう、女性も、トランスの方々も、みーんなが幸せになれる世界を目指そうね!
何故アカデミアの人達は「私達の研究環境のために老人は死んでほしい」...
まあ、詳しくはWikipediaでも読んでくれって話なんだが、選択肢が3つ以上あるときは、自由で民主的で合理的な判断が不可能ってことが証明されている。
「トランスジェンダーに対する疑問や異論を表明することすら許容されず、「トランスフォビア」として一方的に攻撃されることがあります。これは、言論の自由や学問の自由を脅かし、健全な社会的議論を封じるものであり、民主主義社会における自由な言論の基盤を危うくします。異なる視点や議論の余地がある問題に対して、抑圧的な手法を用いることは、社会の多様性や寛容さを損なうものです。」
→むしろミスジェンダリングなどのトランスジェンダーの存在や尊厳を無視するような内容を含む「議論」はトランスジェンダー当事者に対する排除的圧力として働き、民主主義社会における自由な言論の基盤を危うくする。これはあらゆるマイノリティに関して同様であり、同じ理由で「女性には理性が足りない可能性」「黒人は生物学的に知能が低い可能性」などは民主主義的な自由な言論における健全な意見とは見なされない。
「トランス女性が女性専用の空間にアクセスする権利を強く主張することが挙げられます。」
→基本的に主張していない。主張されているのは主に「これまで通りトランスジェンダーの人々が各々の移行状況やパス度に合わせて各種の設備を利用できる状況を維持するようにし、『トランスジェンダーの使用を禁じる』のような過剰反応による排除をしないこと」である。要するに、「いま使っていない者を入れろ」ではなく、「いま使っている者を追い出すな、攻撃するな」である。トランスの人権を求める側が望んでいるのは基本的に現状維持+ジェンダーレストイレの増設くらいのものだろう。
「トランス活動家の中には、科学的根拠に乏しい主張を展開し、それを広く受け入れさせようとする者もいます。例えば、「ジェンダーは完全に社会的に構築されたものであり、生物学的な性別は無意味である」といった主張は、多くの科学的研究によって否定されています。性別には生物学的な基盤があり、それを無視することは、医学的および社会的な混乱を招く可能性があります。」
→もちろんひとによって意見は異なりうるが、大抵の場合そのような主張はしていない。生物学的な特徴も無意味ではない。そのことを誰よりわかっているからトランスはホルモン治療などを重視する(すなわち、生物学的、生理学的レベルでの介入を求めている)。ジェンダーが完全に社会的に構築されるという主張も、せいぜい少数派である。むしろマネーの実験の失敗や、割り当てられた性別への適合を望みながら失敗した過去から、「ジェンダーは社会からの要請によって決定されない」という主張をする者のほうが多いだろう。実際、トランス当事者にはホルモンシャワー説などを採用し、脳における生物学的基盤に自身の性自認の根拠を求める者も多い(それはそれである種の本質主義ではないかという批判はありうる)。
医学に関しては、トランスの人々が求めるのは自分の身体とメンタルに適した医療的ケアを受けることである。その際、ホルモン治療などにより典型的な男性でも典型的な女性でもない身体になっているトランスの場合には、その非典型的な身体状態に合わせたケアが必要になるが、生物学的決定論的な男女二元論の元では、そうした非典型的な身体に適したケアが難しいため、より繊細な扱いが必要となる。
また、科学的研究は多くのトランスが求めるところのものである。むしろジェンダー肯定医療などに関する査読付き医学論文や専門家によるレビューを無視し、手法に問題のある疑似科学的論文や非専門家によるセンセーショナルな問題含みの本ばかり取沙汰す非科学的な態度に批判的な者が多い。トランスの身体的、メンタル的ケアのために科学的/医学的なエビデンスに基づいた手順が求められている。
「一部のトランス活動家は、過激なレトリックを用いて社会的対立を煽る傾向があります。例えば、異なる意見を持つ人々を「敵」と見なし、彼らを排除しようとする姿勢は、社会の分断を深める原因となります。このような過激なアプローチは、トランスジェンダーの権利の正当性を損なうだけでなく、より広範な社会的理解や共感を得ることを困難にします。」
→これに関してはそういう人も中にはいるかもしれない。他方でトランスへの危惧を表明する側にも、「トランス女性は男性」などの攻撃的なレトリックを用いたり、トランスジェンダーを性的な加害者かそれに類似した存在のように語り社会の「敵」であるかのように扱うなど、分断を深める言説が多く見られる。両者がそうしたレトリックをやめ、トランスジェンダー当事者の実際のニーズを聞きながら、合理的な社会的調整を目指すべきだろう。
ところで、1点目で「意見の多様性」を語る一方で、こちらでは「過激なレトリック」の排除を求めるというのは、整合性が怪しいという点は意識すべきだ。トランス側にどうしても耳に入れたくないような意見も否定されず聞かせるようにしたいのであれば、自らも「過激なレトリック」と感じる言葉に耳を傾けるべきであるし、「過激なレトリック」が対話にとって問題だと考えるなら、相手が「過激なレトリック」と見なすような意見表明を控えるべきである。両者が思うがままに語ることを求めるか、両者が節度を持つことを求めるかのいずれかが合理的なのであり、そうでない立場はダブルスタンダードである。
これらに関して、「それはリベラルやフェミの特徴では」という疑問の声が上がるのは理に適っている。というのも、トランスに怯える者の「トランス活動家」への見方は、表現の自由が危ういと怯える者の「フェミ」や「リベラル」への、治安の悪化を恐れるものの移民やその権利をサポートする者への見方と相似形となるためだ。まさに、「フェミ」や「リベラル」のようなことを言うのが「トランス活動家」なのである。実際、トランスの権利を擁護する層とフェミニスト、リベラルは大きく重なっている。トランスの権利を擁護する者はほとんどフェミニストでリベラル、ないしは左翼である。またトランスの権利を擁護してきた主要な層のひとつはフェミニストである(むろん、フェミニスト内部でのトランス排除の問題はあったが)。
ところで、「トランス活動家」の運動に懸念を抱く者は、それが具体的に誰を指し、その人のどの記事、本を念頭に置いているのかを意識してみてもいいだろう。Xなどでは成りすましも含めた有象無象が好き勝手なことを語っているし、ウェブメディアは信頼性が担保できていないものも多い。率直に言って、実際のトランスのことも、アクティビストのことも、運動のことも、すでに一定の知識があるのでなければそれらで調べてもまずわからないだろう。基本的には社会的に信頼されている出版社からの書籍、査読付きで一定の評価のある学術ジャーナルを中心に、その中で言及されているアクティビストや運動に目を向けるべきだろう。
特に、これらの活動が他者の権利や自由を侵害し、社会に不必要な対立や混乱をもたらしている点について、以下に説明します。
多くのトランス活動家は、トランスジェンダーの権利を擁護することを目的としていますが、その方法がしばしば過剰であり、他者の意見を抑圧する形で行われています。例えば、トランスジェンダーに対する疑問や異論を表明することすら許容されず、「トランスフォビア」として一方的に攻撃されることがあります。これは、言論の自由や学問の自由を脅かし、健全な社会的議論を封じるものであり、民主主義社会における自由な言論の基盤を危うくします。異なる視点や議論の余地がある問題に対して、抑圧的な手法を用いることは、社会の多様性や寛容さを損なうものです。
トランス活動家の主張の中には、女性の権利や安全を直接的に脅かすものがあります。例えば、トランス女性が女性専用の空間にアクセスする権利を強く主張することが挙げられます。これは、生物学的な女性が安全な空間を求める権利と衝突する可能性があり、女性たちの不安や懸念を無視するものです。ジェンダーアイデンティティを尊重することは重要ですが、それが他者の安全や権利を犠牲にするものであってはなりません。このような活動が無批判に推進されることで、女性の権利が後退するリスクがあることは見過ごせません。
トランス活動家の中には、科学的根拠に乏しい主張を展開し、それを広く受け入れさせようとする者もいます。例えば、「ジェンダーは完全に社会的に構築されたものであり、生物学的な性別は無意味である」といった主張は、多くの科学的研究によって否定されています。性別には生物学的な基盤があり、それを無視することは、医学的および社会的な混乱を招く可能性があります。科学的根拠に基づかない主張をもとに社会の規範を変更することは、無責任であり、長期的には多くの人々に悪影響を及ぼす可能性があることを認識すべきです。
一部のトランス活動家は、過激なレトリックを用いて社会的対立を煽る傾向があります。例えば、異なる意見を持つ人々を「敵」と見なし、彼らを排除しようとする姿勢は、社会の分断を深める原因となります。このような過激なアプローチは、トランスジェンダーの権利の正当性を損なうだけでなく、より広範な社会的理解や共感を得ることを困難にします。人々が互いに対立するのではなく、共通の理解に基づいて問題を解決するためには、対話と妥協が必要ですが、過激な活動家たちはその可能性を閉ざしています。
以上のように、トランス活動家の中には、他者の権利や自由を侵害し、社会に不必要な混乱や対立をもたらしている場合があります。トランスジェンダーの権利を擁護することは重要ですが、それが他者の権利や社会の安定を犠牲にするものであってはなりません。冷静で理性的な議論と、すべての人々の権利が尊重される社会の実現が求められています。
バズってもないのに、わざわざそんな皮肉った感想を書き込む時点で、相当都合の悪いことが書かれているって自ら認めてるようなもんすね。
研究でも、「どんな長文に対しても、たった一言程度の反論が最後に付くだけで、主張の説得力が一気に落ちる」って証明されてる。
まず、自説については、さも客観的な言い方で、「全く無根拠なことではない」とか言っておく。
もちろん、そこにエビデンスは何一つなくても。
それから、相手の提示してきた客観的に正しいエビデンスに対しては、さも偏った研究結果からばかり引用してきたかのような言い方をして、「それに関しては、より広範な研究結果が求められるだろう」とか言っておく。
最後には、相手の提示したエビデンスも、「ちょっとは認めてやる」みたいな言い方をして、「自分は、反対論者のエビデンスを無根拠に否定する反科学主義者ではない」というスタンスを取りながら、結局、全否定された自説を変えることは頑迷に抵抗することだ。
なぜ言論の自由は前進と後退を繰り返すのか──『ソクラテスからSNS: 「言論の自由」全史』
https://huyukiitoichi.hatenadiary.jp/entry/2024/04/12/080000#fn-3a907ef9
フェイスブックやツイッターはアルゴリズムによるコンテンツモデレーションを行っているし、それはグローバルサービスが避けては通れない国家権力の圧力を受けてのものだ。
当然、そうした規制も無根拠なものではない。人種差別、扇動にプロパガンダ、あらゆる表現が世に溢れる。2018年のMITの調査によると、虚偽のニュースは正しいニュースよりも70%もリツイートされやすいという。ソーシャルメディアにおいては、虚偽やネガティブ、誇張され、感情をかきたてられる特徴を持つコンテンツは速く、広く拡散されるが、事実に即した話、理路整然とした話は拡散されない。
では、どうすべきなのか? 著者は、SNS上でのヘイトスピーチは想像以上に少なく(全体の0.1%から0.3%)、言論の抑制はヘイトスピーチを減らすよりもむしろ増幅する効果をもたらし得るとフェイクニュースも含めいくつかの研究を引きながら書いているが、ヘイトスピーチやフェイクニュースの反乱にたいしてどのように対抗していくべきかについては、より広範な研究が求められる部分だろう。
言論の自由に負の側面があることは間違いないが、同時にそれがどれほどの発展を促し、言論以外の自由の防塁として機能してしてきたのかを思えば、言論の自由を死守する意義が、本書を読めばよくわかるはずだ。
この文章の素晴らしい点は、言論の自由に負の側面があるどころか、ヘイトスピーチを減らすなど、好の影響しかなく、逆に規制は逆効果にしかならないことしか、エビデンスで証明されてないにも関わらず、「規制も無根拠なものではない」だの「言論の自由に負の側面があることは間違いない」だのと、のうのうと言ってのけている点だ。
自分たちが出している根拠は、MITの「虚偽のニュースは正しいニュースよりも70%もリツイートされやすい」という研究たった一つだけだが、これは、「言論規制は逆効果で、ヘイトスピーチを増やす」という不都合な真実を否定していない。
むしろ、言論を規制すればするほど、MITの研究通りに、虚偽のニュースがより拡散されやすくなるということが、この二つの研究結果から見えてくる。
これが、言論の自由ではなく、例えば自然保護などで、あらゆる結果から、逆効果にしかならないとわかっている政策などだったら、それが逆効果でしかないとエビデンスで証明されているにも関わらず、「広範な研究が待たれる。」だの「環境破壊は深刻で、このような措置も無根拠ではない。」だとか喚いて、逆効果な自然破壊行為を続けていたら、「環境破壊してる元凶はテメーなんじゃボケ」と、真っ当な突込みが飛んでくるだろう。
なお、こうした言論テクニックは、実際に林野庁などが、スギ植林を自己正当化して、日本人を花粉症で苦しめながら、日本の景観を破壊し続けていることに利用している。
ほかにも、同じ言論テクニックは、官僚たちの怪しい政策が、真っ当な科学的根拠によって否定されても、おそらく別の思惑によって、その逆効果な政策を続けようとする場合に、いくらでも見ることができるだろう。
そうした官僚の拙い杓子定規な使い方は、真っ当な人間に官僚不信を呼び起こすだけだが、昨今のネット叩きと、表現や言論の自由が憎くて憎くて仕方ない勢力の影響下にあるネットでは、同じ噴飯ものの反知性的言論テクニックが、拍手喝采で迎えられはしなくとも、されるべき突っ込みが起こらないというところに、最悪のポピュリズムが極まった感がある。
規制するほどヘイトスピーチが広まるのは、規制の網を掻い潜ることに長けたマスコミが、規制によって、有効な反論がされ難くなったことを良いことに暴走しているからとしか思えないが、そのマスコミが扇動すれば、こないだのイギリスのように、関東大震災朝鮮人虐殺事件を彷彿とさせるような暴動が、簡単に惹き起こされかねない状態になっているように思える。
「朝鮮人が井戸に毒を!」デマも、全ての火付け役は、マスコミだったことを忘れてはならない。
まとめブログ全盛期の頃の、悪質な大手サイトも、実際は、個人ではなく広告代理店が運営していたのだ。
マスコミの作った日本ファクトチェックセンターは、まさに「我々マスコミは事実を報道しようと努力しているので対象にしませーん」と平気でのたまって活動している連中だが、規制によってネットの一般人のファクトチェック機能が弱体化し、そうしたマスコミ製ファクトチェック機関しか残らなくなれば、また「朝鮮人が飲料水に毒を!」というデマをマスコミが拡散しても、それをファクトチェックする者はどこにも残ってはいないだろう。
マスコミが、まず在日外国人などを味方に付けるように、逆差別的な報道を繰り返すのも、明らかにこの思惑があるからだ。
「将来的には、衆愚を煽ってお前らを自由に虐殺できるように整えるけど、それまでは味方だと思わせて協力させたるわw馬鹿ネトウヨは、ただ扇動して殺し合いしてもらうだけのブタだけど、最終的には朝鮮人憎しで俺らの味方になるしなwww」
というわけだ。
実際にネトウヨが憎むべきは、逆差別的報道を繰り返したマスゴミで、朝鮮人ではないのだが、未だにマスゴミ工作員の扇動にまんまと乗せられている嫌韓ネトウヨを見ていると、彼らの工作はまんまと成功しているように見える。