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はてなキーワード: 研究とは

2024-08-26

anond:20240826114031

その通り

国が研究費出さないかレベルが落ちたとか学者どもが喚いてるけど

実際は日本学者レベルが低いだけなんだよね

anond:20240826092711

まさにそういうことで、社会保障費を何兆円減らそうが、「基礎研究大事だ」と思う政治家当選させなければアカデミアに予算は来ないし、そういう政治家が増えれば社会保障費がいくら掛かろうが(ある意味で将来の社会保障費を減らすためにこそ)アカデミアに予算はつく。

anond:20240826113838

学校行かせてれば割と勝手教育されるし

自分が頑張って教育してるつもりでも、子供ガチャ当たった時の方がリターン大きいと言うか子供活躍するってのはどこかの研究で出てたな

国内外アカデミアの立場の差というのは、そもそも英語ベースの国際会議国内会議という序列を打ち崩さない限り解消されないんだよな。日本自主的負け犬であることを選んでいる。ポスト不足はそもそも国内外研究力の差の原因ではないよ。

経済学の未解決問題

以下は経済学における未解決問題リストである。これらの問題の一部は理論起源を持ち、一部は正統派経済理論経験的観察を説明できないことに関するものである

資本理論

ケンブリッジ資本論争

1950年代に始まった経済学における論争である資本財の性質役割、および集計的生産と分配に関する新古典派見解への批判が争点となった。自然成長率が外生的か内生的かという問題が論争の核心にある。この論争の決着については経済学者の間で合意が得られていない。

転形問題

マルクス経済学特有問題で、社会的必要労働時間に基づく商品価値市場競争価格に変換する一般的規則を見出すことである本質的な難しさは、直接労働投入から剰余価値の形での利潤と、商品間で大きく異なる直接労働投入と資本投入の比率を、全投下資本に対する平均利潤率の傾向と調和させることにある。

行動経済学

顕示選好

消費者がすべての選択肢を購入できる場合、顕示選好理論は本当に消費者の選好を明らかにするのか。例えば、消費者が3つの商品を購入できる場合、AからCへ、そしてBへと購入順序が変わっても、これは消費者の選好がA > C > Bであることを示唆するのか。

タトヌマン

一般均衡理論の定式化において、タトヌマン試行錯誤)が重要役割を果たす。初期契約が均衡をもたらさな場合、それは終了し、新しい契約策定される。初期契約が解除されない場合、元のプロセスの誤差の程度に応じて、異なる価格セットにつながる可能性がある。

人間バイアス統一モデル

行動経済学研究により、人々が認知バイアスの影響を受けることが明らかになった。これらのバイアス経済モデルに組み込む統一的なモデルはまだ見られていない。

金融経済

株式プレミアムパズル

過去100年ほどの間、米国株式の平均実質リターンが債券のそれを大幅に上回っている理由説明することが課題となっている。

配当パズル

配当を支払う企業投資家から高い評価を受ける傾向がある現象説明が求められている。

改良されたブラックショールモデルバイノミアル・オプション価格モデル

これらのモデルには多くの重要制限があり、特に歴史的市場の動きを考慮できないことや、オプション過大評価する傾向がある。

国際経済学

貿易における自国バイアスパズル

国内地域間貿易が、法的障壁がない場合でも、異なる国の地域間貿易よりも実質的に大きいという観察結果を説明するフレームワーク現在存在しない。

株式自国バイアスパズル

多くの国の個人機関が、グローバル経済ポートフォリオを大幅に分散させる能力があるにもかかわらず、外国株式わずしか保有していないという観察結果の説明が求められている。

バッカスキーホー・キドランドパズル

消費が産出よりも国家間で相関が低いという経験的観察を説明することが課題となっている。

フェルドシュタインホリオカパズル

OECD諸国において、長期的な国民貯蓄率の平均が国内投資率の平均と高い相関関係にあるという観察結果の説明が求められている。

PPPパズル

実質為替レートが多くのモデル示唆するよりも変動性が高く、持続性があるという観察結果を説明することが課題となっている。

為替レート切断パズル

為替レートと経済の他の部分との間の短期的なフィードバックリンクが弱いことを説明することが求められている。

経済人類学

形式主義実体主義論争

新古典派経済モデル普遍的妥当性に関する論争が続いている。形式主義者は適切な修正を加えれば任意社会適用できると主張するが、批判者は合理的選択効用最大化の普遍性に疑問を呈している。

anond:20240826092348

科研費増やしていいことある

研究費増やしたら研究してますます大学教育しなくなるじゃん

バカが増えちゃう

anond:20240825191149

増田は逆が言えることを理解しているだろうか。すなわち、「老人のために日本研究は死んでほしい」。

文句があるなら、パワハラ捏造にまみれた研究環境改善してから、言い給え。

研究をしたいだって?じゃあ、海外に行けばよい。行けない研究者が文句を言っているだけなのだ。そうではないのか、増田君?

anond:20240825191149

>「国の立場なら、社会保障という優先度の高い施策にすぐ予算が付けられると思っていた。実際はそれぞれの立場で優先度の高い施策があり、そこの間での予算の取り合いだった」

> という趣旨のことを述べていて、知り合いの官僚が「そんなことも理解せずに批判ばっかりしてたのか」とブチ切れてたけど、今のアカデミアはそれ以下だよね

アカデミアでも同じで、優先度の高い研究があり、そこの間での予算の取り合いです。

まり、この増田さんもそんなことも理解せずに批判ばっかりする人です。

anond:20240825191149

単純にそれが間違った意見からだよ。金の多寡で考えて、実体経済を考えれていないという過ちを犯している。

金なんて所詮ヴェールであって、それで動く労働力その他の実体経済が大切なわけだが、高齢者のために使われる実物資産というものは多くの研究者にとって関係がない。介護などの肉体労働に若年労働力が吸収されなくなったところで研究者にとって大して利益とならないわけ。労働力に限らず機材なども高齢者向けとの競合にはあまりならない。

で、だったらどうして研究者たちが金がないか研究に打ち込めないと嘆いているかといったら、潤滑油としての金を出し惜しみされているから。これは所詮潤滑油レベルから出せないものじゃないんだけど、出す出さないの判断によって出されなくなっているわけだ。

2024-08-25

anond:20240825213622

えっと、映画も観てない先行研究も知らない素人議論の流れを追ってるだけの日記が表層的じゃなくて何なの?

実際アメリカンニューシネマに関しては特段何も言ってないよね?議論をなぞってるだけで。

anond:20240825184718

自分が主張するターンになると急にデータ根拠参考研究が怪しくなる弱オッスさん

anond:20240825193657

なるほど予算配分完璧だし研究費なんて一銭の増額も認める必要はないんだなぁ

ありがとう

何故アカデミアの人達は「私達の研究環境のために老人は死んでほしい」と言えないのか

研究費がないだの給料が安いだのポストがないだの、研究者周りの愚痴を見ることが多々ある。そして、医療費保険料を含む社会保障費なら1%削減するだけで、今のアカデミアの人達は十分に潤う。

その他の財源から移すと焼け石に水

増税は確実に消費減から不景気か、設備投資から不景気が来る。

国債増発は更なる円安圧力になる。円安論文が講読できないとか海外学会への出張がデキないなんて愚痴を聞くが、それが現在よりやりにくくなる。

ただ、もちろん社会保障費の減ってのは今ギリギリラインで支えられてる人達生活を直撃する。直接的に言うと生命の維持が難しくなる。

これくらいらは頭のいいアカデミアの人達絶対にわかってるよね?

なら何故、

私達の研究環境を整えるために老人や困窮者の犠牲は許容すべき

と主張しないのか。

悪役になるのは政治家行政に任せて学者倫理的に善の位置に居たいんだろうけどね。悪質だよホント

わかりやす社会保障費を取り上げたけどそれに限らず、「私達の研究環境改善するためには◯◯円必要でそのためには◯◯費を削減(又は国債発行や増税)すべき」って何故主張しないのか、理解に苦しむ。ワルモノになりたくないだけだろ。

まぁ規模の大きい費用社会保障と比べたら小銭だが)でいうと、

防衛(8兆円)→今でも自衛官の自腹で賄ってる部分が多いのにどこ削るんだ?

土木(7兆円)→これだけ災害の多い国で、さら温暖化で雨の災害が増えてるのに?

となるのは目に見えてるよね。

ちなみに文教学術予算は5.5兆円だからインパクトのある増やし方するとなると、防衛とか土木から引っ張ってくるなら大鉈を振るう形になる。

余談

民主党政権参与だった湯浅誠さんが、参与を退任する際、

「国の立場なら、社会保障という優先度の高い施策にすぐ予算が付けられると思っていた。実際はそれぞれの立場で優先度の高い施策があり、そこの間での予算の取り合いだった」

という趣旨のことを述べていて、知り合いの官僚が「そんなことも理解せずに批判ばっかりしてたのか」とブチ切れてたけど、今のアカデミアはそれ以下だよね

追記

ブコメで「削ったって学術に回ってくるとは限らない」、「そんなこと主張しても炎上して得がない」って意見散見された。

なるほど理解できる。

なら優秀な方々が揃っているのだから研究費を増やすための実現可能方策提案したらどうだろうか(机上の可能性ではなく政治家国民も頷く方策ね)。

しかし、「私(この文章)が、社会保障費を削減すべき、と考えている」と読む人が人気ブコメを含めて結構いて驚いた。どちらかというと逆なのだが。

anond:20240825161623

「単に俺が気に食わなかった」というだけの話を学問体系全体にまで飛躍させて人文系が悪いとするお前はもうどうしようもないね。腹を痛めて産んでくれた母親謝罪しなさい。

時間かけて先行研究を示して、こうこうこういう理由男性中心的なんですよ、といくら示しても「お前の感想だろ」で済ませるの無敵すぎるだろ

anond:20240825155054

ブログの「にわか」も、誰も聞いていないのに「俺は中卒だけど」「大学大先生なのに」みたいなこと書いてたね。北村権威主義的なんじゃなく、にわかやお前が学歴コンプレックス持ってるだけでしょ。

権威主義ってのは権威盲目的に信仰することであって、先行研究をしっかり調査するのは学問常識だよね。それをいちいち権威主義だとか言われてもな。

北村も言ってるけど、先行研究ではこう言ってるけど俺はこう思う、って単に独自見解を述べるだけなら良かったんじゃない?でも「北村はめちゃくちゃ言っている嘘つきだ」とまで攻撃するからには、最低限先行研究事実関係は調べなきゃいけないよね

anond:20240825135042

なお、北村氏のいう「問い直してない」というのは文系学問によくあるレトリックで、須藤にわか氏の「運動実態がないもの運動責任を問う」ているように見えるというのは、本質を突いていると感じた。

「問い直してない」論法は、レッテル貼りに使いやすい。

ダーティハリー』含む「ニュー・シネマ」と呼ばれる作品群は、「男性白人中心主義」的であることを「問い直せていない」からダメ作品だという、作品ファンが反発を覚えるのも無理はないだろう素人批評を容易に生み出す。(なお、これは北村氏の主張ではない。北村氏はあくまでニュー・シネマが好きではないだけだ)

須藤にわか氏が作品擁護する姿勢理解できる。

この部分は論理的に接合しておらず困惑した。

運動実態がない云々はにわかや増田独自理解だよね?北村氏が言っていないことを問い直してもそれこそ意味がないと思うが。

「問い直す」の意味は、運動に対してではなく、単に作品単体として見た際に監督が「問い直す」対象から男性白人中心主義が抜け落ちているということでは?

かつ、男性白人中心主義が「問い直す」対象から抜け落ちているのは事実であるし、多数の先行研究でもそれを指摘されているのに、それらを素人批評根拠もなく断じているお前はどこの大先生なの?レッテル貼りとまで言うのならその論拠を示してほしい。

anond:20240824195712

有識者っぽい人の一言解説 / X

https://x.com/yota1967/status/1826484158782115905

これは恐らく単純な未実現利益への課税案ではなくて、米民主党バイデン政権下で法案出してるULTRA方式による課税で、資産課税当局仮想の無議決権のエクィティ持分を付与し、資産売却時にその持分から税を徴収する仕組みです。アメリカめっちゃ頭いい人がいます租税研究7月号に紹介書きました


情報ソースに近そうなもの
  • Kamala Harris backs Biden’s tax proposals — including a tax on unrealized capital gains / MarketWatch

https://www.marketwatch.com/story/kamala-harris-backs-bidens-tax-proposals-including-a-tax-on-unrealized-capital-gains-66c55df2

Biden’s Treasury Department said it’s proposing “a minimum tax of 25 percent on total income, generally inclusive of unrealized capital gains, for all taxpayers with wealth (that is, the difference obtained by subtracting liabilities from assets) greater than $100 million.”


日本語報道 / COINPOST

https://coinpost.jp/?p=552986

1億ドル(145億円)以上の資産を持つ富裕層に対しては、換金されていない投資の含み益に対しても、キャピタルゲインとして25%の税を課す提案がなされている。

今のネット言論は全てが正義と悪の戦いになる

須藤にわか氏と北村紗衣氏のアメリカン・ニューシネマについての論争。

北村氏は初手のブログで、ニューシネマについて通説的なことを述べ、

須藤氏は、その通説に対して、「いや、俺は違うと思うんだ!」と反論ブログを出した。

本来なら、これはアメリカン・ニューシネマとは何だったんだという議論であり、

アカデミズムでの研究シネフィル(映画好き)の実感との対立である

この論争に、どちらが正義でどちらが悪か、は関係ないはずだ。

しかし、Xでもはてなでも、この映画論争が、正義と悪の戦いになっている。

パレスチナイスラエル、どちらが正義で悪なのか、それを議論するのと同じような態度で、

アメリカン・ニューシネマとは何だったのか議論する。

そして、それは議論としては成立せず、敵と味方を峻別し、敵をいか貶めるかの言論しかない。

アメリカン・ニューシネマについての理解や見識は何も深まらない。

今のネット言論は全てが正義と悪の戦いとして理解され、正義論になってしまう。

そのうち、きのこの山たけのこの里、どちらが正義か、吉野家松屋、どちらが正義か、

戦い始めそうである

もうネット言論は完全に終わっているよ。

北村紗衣と須藤にわか論点はずれているが、共通問題あぶり出している

太田出版Webマガジンにおける北村紗衣氏の連載に対して、須藤にわか氏という映画ブロガーが異議を唱え、それに対して北村紗衣が反論してホッテントリ入りしている。

私は須藤にわか氏のように映画を多く見ているわけではないし、北村紗衣氏のように多数の先行研究に実際にあたったわけではないが、発端となった連載と二人のやり取りをみて、話の主眼がずれていると感じた。同時に、二人とも結局、「ニュー・ハリウッド」という批評の枠組みに問題があることを浮き彫りにしているとも思った。

発端となった元連載の内容

まず連載の企画趣旨は以下の通り

映画を見た後に「なんかよかった」「つまらなかった」という感想しか思い浮かばない人のために、フェミニスト批評家・北村紗衣さんが、初めて見る映画感想を話しながら注目してほしいポイントを紹介する連載

北村紗衣氏の主な論点は以下の通り

①初めて見た『ダーティハリー』はサスペンスとして全然面白くなかった

自分アメリカン・ニュー・シネマが好きではない

60年代後半から70年代に、アメリカン・ニュー・シネマ英語ではニュー・ハリウッド)という潮流があった

④ニュー・ハリウッド反体制的な要素と、あからさまな暴力セックス表現が主な特徴として挙げられる

アメリカン・ニュー・シネマはかなり男性中心的な潮流

⑥『ダーティハリー』はニュー・シネマの影響下にある警察映画

北村紗衣氏の素朴な感想は、末尾にある「名作と言われてみんなに愛されている作品でも今見て面白くなかったらけなしていい!」と結びつくが、③~⑥の知識を持っていると『「なんかよかった」「つまらなかった」という感想しか思い浮かばない人』でも理解が深まる、というのがこの連載の趣旨みえる。

須藤にわか氏の異議

これに対して、須藤にわか氏の主張は以下の通り。

①「あからさまな暴力セックス表現が主な特徴」という認識は実際のアメリカン・ニューシネマからズレている

アメリカン・ニューシネマフィルム・ノワールと同様に映画批評家らによって作られた映画分類のカテゴリー

アメリカン・ニューシネマは「ヌーベルヴァーグ」や「ドグマ’95」のような映画運動ではない

④「アメリカン・ニューシネマ」と「ニュー・ハリウッド」は分けて考える

⑤ニューシネマは「暴力セックス」の映画ではない

⑥「ニュー・ハリウッド」もしくは「アメリカン・ニューシネマ」というカテゴリーは(白人の)批評のために作られた作為的カテゴリー

⑦「アメリカン・ニューシネマ」もしくは「ニュー・ハリウッド」が差別的に見えるとすれば、それはそもそも批評カテゴリー自体差別的

北村氏の反論

須藤にわか氏の異議に対する北村氏の反論は、目次にわかやすくまとまっている

①New Hollywoodの特徴のひとつセックス暴力があげられるのは当たり前

②New Hollywoodが男性中心的であるということは1970年代からずーっと言われている

③広く使われているジャンル用語勝手に変更しない

論点のズレ

須藤にわか氏の明確な誤り

須藤にわか氏は

例の著者は自分で決めた「これがニューシネマ」というカテゴリー自分で見て「このカテゴリーには黒人映画女性主人公映画が入ってないか差別的」だと言っている

と述べているが、これは明らかに違っていて、

北村氏がいうように、

決めたのは私じゃなくて今までの批評

まり北村氏は一般的な「New Hollywood」解釈を述べているだけなのだ

ただし、須藤にわか氏が本当に主張したいところは上記にあるのではなく、「New Hollywood」というカテゴライズのものに反発している。

北村氏は出典をたくさん挙げているが、須藤にわか氏の主張であるそもそも『ニュー・ハリウッド』が作為的カテゴリー」への反証ではない。須藤氏のいう北村氏本人への批判、「知ったかぶりして、しか知ったかぶりした上でこれは差別的だとかなんとか非難」への反証である

(「たくさんの出典があってすごい!」的なブコメの反応は、ただマウント取りたいだけのリアクションに見える)

さらなる食い違い

須藤氏は北村氏の姿勢について、

「ニュー・ハリウッド」もしくは「アメリカン・ニューシネマ」というカテゴリーが(白人の)批評のために作られた作為的カテゴリーであることを度外視した上でそれを非難している。

と言っており、

北村氏は

「(白人の)批評のために作られた作為的カテゴリー」なんだから批判されて当然ですよね?

という。ここは互いに噛みついていながら二人とも同じことを言っているように見えて混乱したが、批判対象範囲が違うようだ。

須藤にわか氏はそもそも、「ニュー・ハリウッド」というカテゴリーのものが、当時の映画作品群を評価するのに適切ではないと主張している。一方の北村氏がいう「批判されて当然」の対象は、須藤氏と同様にカテゴリーのものであると同時に、カテゴリーに含まれ作品群も含まれると私は解釈した。

須藤にわか氏の論の本質と、北村紗衣氏の指摘

須藤にわか氏の論で一番重要なのは、元の北村紗衣氏の連載にあった以下の部分への反論ではないだろうか。

60年代後半から70年代の潮流であるニュー・シネマは、それ以前にあったいろいろな制約が外れ、暴力セックス描写ができるようになり、そしてアメリカの秩序を問うような映画がたくさん作られた時代です。

そのくせに、結局は男性というか、主に白人男性が中心であることは問い直してないんですよ。

これに対して須藤氏は、

だいたいニューシネマは映画運動ではないのだから「問い直していない」って誰に対して言っているんだろうか?運動実態がないもの運動責任を問うたところで、まるで意味がないと思うのだが。

アメリカン・ニューシネマ」もしくは「ニュー・ハリウッド」が差別的に見えるとすれば、それはそもそもそうした批評カテゴリー自体差別的

この点、北村氏も、

>>New Hollywoodを決定づける作家主義的な監督の大半が白人男性であり、白人男性主人公にした物語代表作として受容され、研究白人男性監督だけを対象としてきたこはいたるところで指摘されています<<

と述べているように、「ニューシネマ」というカテゴリーのもの問題があることは認識しているように見える。

まり、二人とも、「ニュー・ハリウッド」というカテゴライズ問題があるという点では、共通認識がある。そのうえで、北村氏は、「須藤氏のニューシネ解釈一般的ではないから、私を嘘つき呼ばわりするのではなく、自分で論を立ててね」としている。

しかし、「ニューシネマ」というカテゴリーのもの問題があるなら、北村氏の連載における「『ダーティハリー』はニュー・シネマの影響下にある警察映画」という紹介の仕方も、「ニュー・シネマが男性中心的だ」というのも、安易に見える。元の連載において、ミステリサスペンス的にいまいちという北村氏の感想にはうなずけるが、「ニュー・シネマ」という潮流の紹介は片手落ちで、「研究白人男性監督だけを対象としてきた」ことも含めて紹介すべきだったのではないだろうか。

なお、北村氏のいう「問い直してない」というのは文系学問によくあるレトリックで、須藤にわか氏の「運動実態がないもの運動責任を問う」ているように見えるというのは、本質を突いていると感じた。

「問い直してない」論法は、レッテル貼りに使いやすい。

ダーティハリー』含む「ニュー・シネマ」と呼ばれる作品群は、「男性白人中心主義」的であることを「問い直せていない」からダメ作品だという、作品ファンが反発を覚えるのも無理はないだろう素人批評を容易に生み出す。(なお、これは北村氏の主張ではない。北村氏はあくまでニュー・シネマが好きではないだけだ)

須藤にわか氏が作品擁護する姿勢理解できる。

増田感想

文系学問特に文学社会学)においてありがちな、世の中の傾向や潮流を仮構して、ミクロ作品人間を論じるスタンスは、使い方を間違えると、色々なことを損なう。その作品人間もつ、複雑さや豊かさが捨象されるし、俗流に応用されれば簡単差別につながる。「この時代に生まれ人間は●●である」と決めつける世代論などを見ればわかりやすい。もちろん社会を論じるなら、そういう傾向を仮定して話を進めざるを得ないが、学者でもない人間が個々の作品人間評価するのであれば、マクロ的な枠組みでは拾えない面白さや豊かさにも目を向けるべきだろう。

少なくとも発端となった連載は素人映画をより深く鑑賞する視点提供するものだったはずだ。北村紗衣氏の視点須藤にわか氏の視点を踏まえて、もっと映画を楽しみ人生を豊かにしたり、世の中を考え直すきっかけを得たりするのが、私のような素人にとってはいいのではないだろうか。

たとえば北村紗衣氏がいうように、

「やっぱり、この映画ハリーのことをどう捉えているのかの解釈が難しい」

というところが、「ダーティハリー」を考える上でおもしろそうな部分で、北村紗衣氏は第一印象がつまらなかったため深堀りすることはないだろうが、「ダーティハリー」をこれから見て逆に「面白い!」と感じた場合には、ハリーを起点に「ニューシネマの影響下に本当にあるのか」などを考えるとまたおもしろそうだ。

あるいは、須藤にわか氏のいうように

そういう自分の知らないものとたくさん出会えるのがニューシネマの面白さで、あえて一時代アメリカ映画をニューシネマとして括る意味があるとすれば、それはその作品群がこうした「新しさ」を観客に与えてくれるから

ということを踏まえて、様々な作品に触れれば見えてくるものもあるだろう。

須藤にわか氏のエントリについたクソブコメ

serio フェミニストはありとあらゆる事象フェミニスト視点から語ってしまうので、たまにホームランを打つことがあっても、バットキャッチャーを殴って三塁に走り出すみたいな大外しをすることがよくある。

→元連載は「フェミニスト批評家・北村紗衣さんが、初めて見る映画感想を話しながら注目してほしいポイントを紹介する連載」なので、北村紗衣氏が好きに「ありとあらゆる事象フェミニスト視点から語ってしまう」わけではなく、そういう企画趣旨に基づいて仕事としてやっている

hazlitt アメリカン・ニューシネマってカテゴリーとして昔からよくわからんなとは思っている。わりとどうでもいいが野次馬的には町山某が反応すべき話題だな

→「わりとどうでもいい」と保険かけながら野次馬根性さらけ出しているのがキモい

jassmaz 文学理論批評理論を知らないオタクの見当はずれな批判。この時代アメリカ価値観完膚なきまでに破壊したことは十二分に暴力である。87年出版アラン・ブルームアメリカン・マインド終焉』を読もう。

→「この時代アメリカ価値観完膚なきまでに破壊したことは十二分に暴力的」北村紗衣氏も須藤にわか氏も言っていない新たな論点。見当はずれはこのブコメでは

北村紗衣氏のエントリについたクソブコメ

tokuniimihanai あちらの記事批判相手職業を間違えている時点で無知あるいは礼儀知らずなので読む価値がないと判断したが、やはり読まなくてよかったな。引用部分だけでも論外とわかる

→読まずに断じているゴミ

takeda25 こういうの、詳しくなければとりあえず態度を保留するのが賢明なはずだけど(現にこちらのブコメはそういうのが多い)、女性叩き側のブコメでは調子に乗って叩く人間大量発生するのが歪み

→態度を保留するって、どういう立場後出しジャンケンに勝ちたいだけの姿勢が見えてキモい

ponkotsupon 須藤氏の批判記事は出典やら参考文献やら先行批評への言及が何もなかったのに対し、北村氏は複数の出典と研究史を出してるので、学術的には(須藤氏が再反論で論拠となる文献を示せなければ)これで勝負ありよなぁ

そもそも商業媒体ブログ応酬で、学術的な議論ではない。かつ、出典と研究史さえ出せば「勝ち」というのは学術的でもないだろう。

どちらのブコメにも共通していえること

二人に対するクソブコメの数々は

権威主義的で映画のものにも映画史にも興味がなく、自分では頭を使わず他人が貶されるのを娯楽として消費するだけを生きがいとする、野次馬根性と異常マウント欲、ハエ以下の精神性で駆動する人工低能

ではないか、ということを己に“問い直して”みてはいかがだろうか。

近い将来、親の介護での離職が必要になりそうだけど田舎のまともな求人って中途採用公務員くらいしかない

でも年齢制限ひっかかるから無理

人生で一度もバイトせず、研究職で就職してしまたから、この仕事辞めた時に何にも出来る仕事が無さそう

接客レジ打ちもしたことなく、肉体労働に耐える体力もない

かといって早期リタイアするほどの蓄えもない

詰んでるわ

文系学会理系全然違った

自分理系で何本も英語論文出している。

  

文系って、関連研究との比較もほぼなしなんだな。

主張する理屈根拠が、「作者にインタビューしました」、とか、「映画見て私はこれ感じました」みたいな。

それじゃ積み上がっていかないだろって感じ。

テーマが大量にあるから、1つ1つがさらに薄い感じ。

2024-08-24

anond:20240824141759

別な視点では現時点でも安倍晋三評価されてるらしいけど、政治的なしがらみがありすぎて評価無理そう

後世では昔の政治家なんてイデオロギーで引っ張り出される以外真面目に研究するやつなんていないだろ金にならんし

取り残されているオタク文章

文末の()や(自画自賛)でセルフツッコミするしぐさ

ティーンエイジャーならまだしも、インターネット10年を超える人間がずっと続けているのはなぜだろう。

自分文章が恥ずかしくなって改める機会が無いのか?おばさん構文/オタクユーモアとして肯定されているから変えないのか?文体変化に関する書籍研究を知りたい

anond:20240824072644

俺とあなたの間でオタク一般人の認識がずれちゃってるな。


そりゃワイドショーとかでは「なぜ流行っているか」みたいな真面目な取り扱い方するだろうけど、道行く人がそれで感想言いあったりしないでしょ?

鬼滅なら「炭治郎がかっこよかった~」みたいな感じでしょ?


元来オタクっていうのはそういう作品に対してアカデミックな感じで向き合うのが主流で、高齢オタクなんて今もそう。ヨxistにもかなり若い人がいるけどもそういう方向性が好きなんだよ。

ここではオールオタクって呼んでおこう。

また鬼滅で例えると、「輝かしい未来想像できないから幻の中に逃亡していく、幻を見るために列車に乗るというのは、極めて現代的な描き方である~」とか「禰豆子は『白い女』か『赤い女』か~」みたいな一般人にはよくわからんアカデミック対談よ。

これ俺が適当に書いたわけじゃなくて、noteでこういう対談あるのよ。(出典は自分で探してくれ。下手にリンク張って変なことに巻き込まれたくない。)

もう一度聞くけど、道行く一般人こんなことしてる?


テレビ番組で例えると、

一般人場合ゴールデンタイム番組で、観覧のお客さんもいて、数十人の芸能人ライトなところを楽しくワイワイ感想を言い合う感じだけど

オールオタク場合CS放送で、観客無しで、2,3人の専門家ディープなところをじっくり静かに討論しあう感じ。

時々バラエティでも深夜にディープなことを語り合う番組あるけど、そういう比較ライトなノリじゃなくて、ガチ大学の授業。学会研究発表。超お堅い。


こう考えると、ブルアカで「過酷なオ〇ニー」っていってるのはどちらかというと一般人的な態度になるのよ。

大概の人間AVグラビアで「エッッ!!」ってやってるのを、一部の人間がアニメゲームで「エッッ!!」ってやってるだけ。それがあなたが言ってる「オタク」。

どっちにせよそんなアカデミック研究会はあんまり行われない。

別にブルアカエロだけじゃないしね。ストーリーちゃんとしてるし、そこで出てくる感想も「このストーリー良かった」みたいなよくよく一般人がやるようなものばっかり。

時々「このキャラって〇〇をもじってますよー」みたいな豆知識っぽいものツイートに上がってきて、みんな「へぇーそうなんだー!」で終わる。

ここから実際の歴史と絡めてあーだこーだなんて行われてるの見たことない。


一般人から真面目に討論して、オタクからエロネタにしてる」は大間違い。

一般人から娯楽として緩く楽しむけど、オタクから真面目にガチで深く向き合う」が正しい。


これをこじらせてしまうと、「オタクを名乗るならば~~~!!!」みたいなのがヨxistから出てくる。

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