はてなキーワード: 知的障害者とは
俺はこれの逆バージョンで、色々諦めきれずに試行錯誤してたら三十半ばになっても仕事が落ち着く気が全くしないし子供の世話なんてしてる暇無いって感じだ。
あとは兄弟が知的障害者で万が一にもアレが当たったら本当に終わるという恐怖もある。(何とかして逃げたいが)いずれ兄弟の面倒を見なきゃいかんだろうし、親も金ないし色々やばい。
周り見てる限り、素直に子供欲しがる人って何不自由無い恵まれた家庭に育って「家庭=最高」という価値観を自然に内面化している人が多いと思う。幼少期に無償の愛をふんだんに受けると無根拠の自己肯定感が育まれるという話があるけど、正にそういう感じの人達。
障害者の中には、性別がない人もいるようです。私も、発達障害傾向で、性別がない感じするのでそうです。
同性愛者や性別がない人たち?などがいますが、偏見で見られやすいですよね。
知的障害者や発達障害って、つながっている面は多少、あると私は思うんです。
ぶっちゃけ重症の動けない病気の人や、知的障害者の子たち、発達障害の子を見て、
気持ち悪いと笑う人って、あんまりいない気がしませんか。。。その中には性別がない子もいるので、
同性愛者がいるとしたら、別に、「それが原因じゃね?」って思うんですが。
「あ、自閉症の子だ。ああいう子たちって性別がない子もいるらしい」
それが発展して、発達障害。発達障害傾向、ほんのちょっとだけ傾向の人いると思いますが。
その人たちがレズビアンで、ホモやオネエ、オナベなどだとしたら、
笑えないような?と不思議なのですが。。。知的障害の子とか自閉症の子を見たあとに、
LGBT(でしたっけ?)の子たちを見ると、同じでは?と思うのですが。
理由は、周りのそういう子たちを見る限り、ほとんど発達障害っぽい子たちばかりだったので、
なんだか怖い世の中じゃないかな?と思ったのですが、どうなんですかね。
知能が高い自閉症の子を笑っている、だけでは、と思ったのです。極論ですが。。。
http://anond.hatelabo.jp/20170107012908
「90年代の雑誌」というワードで、当時の雑誌はとにかくイカれてたことを思い出した。
今みたいにネット炎上なんてものはないから、とにかくやりたい放題。当時、実際に読んで痺れた雑誌記事の記憶を並べていこう。主に90年代後半から00年代前半の雑誌だ。
注)今の人はピンと来ないかもしれないが、90年代は「悪趣味ブーム」と言われており、エログロバイオレンス、胸糞悪いものがお洒落で最先端なものとされていた。お洒落な雑誌でも普通に死体写真とかが載っていた。それを頭に入れておいてほしい。
「いじめはタダでできる、とても楽しい遊びだ!学生時代のいじめエピソードは、とにかく笑える!」とした上で、学生時代にいじめっこだった人の武勇伝をインタビューしてゲラゲラ笑う連載。悪趣味ブームの象徴。
学生時代いじめられていた人は現在何をしているのか?と、追い回したりもしていた。
周りに迷惑をかけることで業界では有名な作家志望の知的障害者に敢えて原稿を書かせ、それをバカにするだけの企画もあった。
後に「俺は雑誌に書いたプロなんだぞ!」と、更に迷惑をかけたらしい。
今でも定期的にネットで話題になるので、当時でも胸糞悪くて鮮烈に覚えている人が多いのだろう。
今、「危険ドラッグ」と呼ばれるものは、90年代は合法であり、その辺の雑貨屋で普通に売っていた。
当時の若者は酒やタバコの感覚で平気で使っており、身近なものだった。
そんな、手軽に入手でき身近なドラッグ類を実際に接種して、どのような効果があったかのレポート記事は当時よく若者向けの雑誌に掲載されていた。
キマッた状態で車を運転したとか、今じゃ完全アウトなレポート満載。
「キマッた時に一番うまいタバコはどの銘柄か?」とか知らねえよ。
当時はネットなんか一般家庭に普及していないので、オナニーのおかずは若者もオッサンもエロ本だった。
エロ本の読者投稿コーナーには、中学生・高校生の読者による投稿が普通に採用されていた。
「先月号は○○ちゃんの巨乳で抜きました!(山梨県・13歳・中学生)」みたいな。今じゃ中学生の投稿なんて恐ろしくて掲載できないだろう。
また、90年代は「クリーム系」と呼ばれるアイドルが存在した。
当時は「クリーム」という、女子中高生のアイドル専門の雑誌があり、中高生の水着グラビアが載っていたのだが
中学生のうちは水着で、高校生になればヘアヌードになるのがお決まりだった。
その流れで、コンビニに売っている、AV女優のヌードグラビアが主な内容である、いたって普通のエロ本でも、
現役女子高生アイドルのヘアヌードグラビアが普通に掲載されていた。
90年代はまだ児童ポルノが禁止されていなかった。(99年にやっと販売禁止。)
児童ポルノが堂々とコンビニで販売されていた、単純所持で逮捕される今では考えられない時代だ。
90年代のエロ本を今でも持っている人は、普通のエロ本でも平気で児童ポルノが掲載されているので気を付けたほうがいい。
90年代は悪趣味ブームであると同時に、女子高生ブームであった。
流行の最先端は女子高生。女子高生がブームを作る時代。女子高生であることがステータスだった。
猫も杓子も女子高生。とりあえず、何でも女子高生にやらせておけば良いという、今じゃ謎でしかない状態。どうかしている。
俺が読んでクラクラしたのは、
某大手出版社の少女漫画誌で漫画家デビューした現役女子高生が漫画家パーティーに初出席したレポート漫画だ。
最初は大手出版社のパーティーだけあって、大物漫画家がたくさんいて挨拶するだけでも緊張したと初々しい内容だが、
そのうち周りの大人たちにワインだシャンパンだとガブガブ飲まされ、記憶が無くなるほど酩酊して気づいた頃には編集部の男とホテルの一室でセックスしていたという内容。「でもカッコ良かったから、別にいいか」的なオチ。
これ、作り話だったとしても
こんなのを実体験レポートとして女子高生に描かせて、雑誌に掲載しちゃうとかアウトだろ。
また、某音楽誌では「女子高生をクラブに連れていったらどうなるか?」という記事。
16歳のクラブ初体験の女子高生を深夜から早朝にかけて行われるオールナイトイベントに連れて
途中、DJが酔っぱらって全裸でパフォーマンスしたらしく女子高生の感想は「カッコ良い男のチンポが見れて良かった」だった。
当時は、もちろん学校ではダメとは呼び掛けていたが、周りの大人たちは「高校生になれば飲酒喫煙も仕方ない」という認識だったし、親も何も言わなかった。むしろ、飲酒喫煙して朝帰りする女子高生が最先端とされ、当時のメディアでの女子高生の描かれ方は援助交際して飲酒喫煙して朝帰り、というのが多かった。世間の女子高生像とはそれだったし、実際そうだった。とにかくゆるい。
これも今じゃ考えられない。表紙は中学生から高校生くらいの未成年女子の読者モデルの写真で、「女子中学生に人気のコーデ」「ラブラブ度がわかる恋占い」という文字が躍り、どう見ても女子中高生向けファッション雑誌である。
肝心な中身といえば、ファッション記事なんて言い訳程度で、エロ記事ばかりである。「カレが喜ぶフェラのテクニック」「ラブホの入り方」とか。読者投稿ページには、中高生、なかには小5とかの読者によるセックス体験談が並ぶ。
「この間、家庭教師のお兄さんとセックスしてしまいました☆とっても気持ちよくてイッちゃった☆(愛知県・中2)」みたいな。全ページに渡って、「この歳で処女なのはダサい」とでも言っているかのようだ。
笑っちゃうのは、女子中高生読者が投稿したヘタクソなエロ漫画も載っていたことだ。
極めつけは、エロ漫画やボーイズラブ漫画のレビュー、袋綴じでAV撮影現場レポートなんて記事があり、オッサンが読むエロ本との違いがわからないレベル。しかも、新作AVやピンクローターといったアダルトグッズを読者プレゼントしていた。もう一度言う。これは女子中高生向けファッション雑誌である。
00年代になり、雑誌に付録DVDがつくのが当たり前な時代になると、AVのサンプル映像が数本収録されたDVDを付録にしていた。もう一度言う。これは女子中高生向けファッション雑誌だ。
あまりにも酷い内容のため、有害図書に指定され販売されないところもあったが、ほとんどの都道府県では一般書店やスーパーで普通に販売されていた。(なぜかコンビニには無かった)
長年売られていたのを見ると、親御さんたちはそんな内容とも露知らず、普通のファッション雑誌と思い買い与えていたのだろう。恐ろしい恐ろしい。
にうつつを抜かしている間に、女子はファッション雑誌の皮を被ったエロ本をこっそりと読んでいたのだ。
もちろん、今はそんな雑誌は絶滅してしまっている。安心して欲しい。
個人的に記憶に残る90年代の雑誌の内容を並べてみたが、ネット普及前だけあって、当時の雑誌は過激さで勝負していきすぎた感があるものばかりだ。
当時は娯楽が少なかったこともあるが、どの雑誌を読んでも面白かった記憶がある。今の雑誌は少し物足りない。
やっぱり、今の雑誌じゃ絶対にできない企画が罷り通っていて、何でもやりたい放題だったのが面白かった。
当時はバカ殿様など、ゴールデン帯のテレビ番組で普通に若い女性がおっぱい丸出しになり、それを家族団らんで笑って見ている時代だ。少なくとも我が家はそうだった。
深夜12時ともなれば、地上波でもAVがそのまま放送されたり、若手芸人が風俗嬢のサービスを受ける風俗店紹介のコーナーなどが放送されていた。
この前、都バスで重度知的障害者のグループと乗り合わせたんだけど、後方座席に乗っていた知的障害者が隣の席に座っていた高齢者の手に突然噛みついて、車内が一時期騒然となったの思い出したわ…。
高齢者の顔にもパンチかなにかして眼鏡も壊してたみたいで、同行していた女性は悲鳴のような声で高齢者にひたすら謝り続けるし、知的障害者たちは不穏な空気を察知したのか一斉に「ああ〜」「おうおう」と唸り始めるしで、申し訳ないけど正直とても怖かったよ。
http://anond.hatelabo.jp/20170106103435
これ読んで思いだいた。
中国人の可愛いお姉さんがマッサージしてくれるエステ店というのは建前で、
実際はちんちんと金玉のマッサージをしてくれたり、店やお姉ちゃんによるがセックスしてくれる場合もある、違法風俗店だ。よく「警察24時」とかでガサ入れされているアレだ。
そういう店は大体雑居ビルか、マンションの一室を店舗にしている。
ネットで評判のよかった、隣町のマンションの一室でやっているチャイナエステに一度訪れたら、
お姉ちゃんは美人だし、セックスこそさせてくれないものの、ちんちんのマッサージもしっかりしてくれて、優しくイチャイチャさでてくれるし居心地も良かった。
一度でこの店の虜になった俺は、次の給料日もさっそくそのマンションへと向かった。
店に入り、美人のお姉さんに迎えられ、紙パンツに履き替え、アロマとヒーリングミュージックが漂う薄暗い一室でマッサージを受ける。静かで落ち着く、幸せな時間だ。
気持ちよくてウトウトしていると、いきなり「アウーー」という男の唸り声が響き出した。
それと同時にドッタンバッタンという階段を上る騒音も響き出した。
その男は上の階の部屋に入ったらしい。
そこからは延々
バターン!
おおおおお!あうううううう!
パリーン!
あううううううううううううううううううううう!
あああああああああああああああああああ!
あうううううううううううううう!
という、唸り声と騒音が鳴り止むことはない。
あ、これは上の階に重度の知的障害者が住んでるんだ!と気づいた瞬間、うっとりと安らいだ気分は消えうせ、これから美人のお姉さんにちんちんのマッサージをしてもらうという下心も消え失せた。こんな騒音が響いているようじゃ、スケベどころの話ではない。
せっかくいい店を見つけたと思いきや、隣人による被害が甚大な店であった。
決して店は悪くないのだが、あの店には二度と近寄ることはなかった。
俺ですらすぐ逃げ出したレベルなので、あのマンションに住む人のストレスは相当なものだろう。
中国人の違法風俗店は入居してるわ、重度の知的障害者の騒音は鳴り響くわ…
この世の地獄を見た。
深夜早朝の区別なく四六時中、叫びまわる。ひたすら精神がすさむ。その知的障害者は家族と一軒家に数年前引っ越してきた。しかしその家族ももはやおかしくなってるのか、まともに対処しない。始めは大変だなと同情の心もあったが、数年奇声やインターホン鳴らしまくり、花壇の荒らしなど、被害にあううちに、そのような心などまったく無くなった。
こちらが引っ越すのが一番だろうが、一軒家にすむ年老いた両親に引っ越せというのもかなり難しく、どうしたら良いのか八方塞がり状態。こんど姉が妊娠し、生まれる前に実家に帰るらしいが、知的障害者の奇声を浴びせ続けられるが大丈夫なのか実に心配。両親の老後が知的障害者によって、悲惨なものになっていくのがかなり耐えがたいです。
役所に相談しても何の変化も無く、色々調べても、障害者が保護されることがあっても、障害者からの被害を受ける人は、泣き寝入りという対処ばかりであった。
知的障害者をどうにかしてボコボコにして、恐怖を覚えさせるべきか、その時はどうにかして声帯を潰すことを目標に喉を狙うべきなのかなど、ほんとすぐさま死んでくれねえかなと、いらぬ攻撃的な事ばかり考えてしまう。ほんとどうにかならないものか。実家が受ける理不尽さに怒りが募るばかりです。
最近になって母に打ち明けて母は俺や父に話した。
母は宗教が好きではなく、それというのも少し前に有名宗教の知り合いと
ちょっとしたトラブルになってそれから宗教そのものを批判することがあった。
そんな母を見て、耐えられなくなったようで
父はそこまで悪評の少ない宗教だよと言っていたから俺も安心していたんだけど
最近検索したら、2chの危険宗教ランクのコピペの上位にあって吹いた
何年も黙ってたのに母に打ち明けたからか、今度は次女に打ち明けて
神社に行こうだのなんだのと誘うようになった。
次女は俺にそれを相談して、見せてもらったLINE内容があまりにもガチ過ぎてひいた。
手をかざしたら病気が治る系のことを言ってて、
母の持病も治るとか言ってんの
もう完全に詐欺やんけってわかるんだけど
それを信じ切っているのね。
お兄ちゃんはめちゃくちゃブルーになったよ。
ただ信者には完全にマインドコントロールをかけるらしい
そんなにちょろい非科学に騙されるとは思っていなかった。
togetterのまとめって、恣意的で限定された情報を元にした放言が多くて、下手なまとめサイトよりタチ悪いなーって思うことが多いんだが、中でもこれはとりわけひどい。
http://togetter.com/li/1040814
根拠もなく「~な人が多い」ということを平気でつぶやく人らのつぶやきをこれでもかと並べて、まとめた人の、とにかく世間を煽りたいという下賤な欲求が全開である。
この手の「世間より刑務所の方が楽だ」と軽微な犯罪を繰り返す人、というものの実態を考える上で重要なのは、刑務所の居心地などではなく知的障害者が罪を犯しやすいという社会構造のほうだ。
http://www.nozomi.go.jp/newsletter/news_19/news_19_1.html
や、あるいは増田の
http://anond.hatelabo.jp/20141020190944
など。少しまともに調べたり、アンテナを張ったりしていれば、この手の話はすぐ耳に入る。手元の機械を使ってその程度の手間もかけられず、上記のまとめなんかをみてコメントしてる人間は、悪いこと言わないからネットから離れるか、自分自身のリテラシーが社会的に問題を引き起こすレベルで低いことを自覚するべきだ。
例えば、30代で無職。体は至って健康。みなさんその人を見下しますよね。穀潰しwwニートじゃんwwwって。
社会ってのはみんなが頑張って働いて、価値を生み出して、その価値の一部を税金として納めて、やっと維持できるような代物です。みんなが働かずだらけたら成立しないわけですね。
もっと言えば、知的障害者が社会の中で3人に1人もいたらその社会は確実に崩壊しますし、人工透析者が3人に1人いてもそうなるでしょう。
だからU被告とかH氏の思想の根底にあるのは、こういう社会のお荷物を人権保護とか言って過剰に保護してたら、社会そのものが破綻して、頑張って働いてた人たち含めてみんなが割りを食うぞ、という危惧なわけです。社会そのものが立ち行かなくなったらそれこそ大変ですからね、119しても救急車が来ないかもしれません。
結局、知的障害者が保護施設で暮らせるのも、人工透析者が人工透析を受けられるのも、彼らの数が社会の「まともな」構成員に比べて十分に少ないからなのです。
さて、そういうわけで、社会を維持するためには、頑張って働いて価値を生んで納税してくれる「まともな」構成員を増やすことが重要になります。
全員平等を謳った共産主義では、怠け者に罰を与える事でそれを達成しようとしました。怠け者はシベリア送りです。一方資本主義では、頑張った人に御褒美をあげることで達成しようとしています。みんな頑張って働いてお金を稼いで都心のタワマンの高層階に住もうぜ、と発破をかけて、働き者を増やそうとしているのです。
しかし、生活保護で最低限の生活が保証されている、資本主義のこの国であっても、働かない者には罰があります。その罰が社会的評価です。
職にもつかず、生活保護で貰ったカネでパチンコを打ってぷらぷらしてる、そんな人間は、徹底的に人々から見下されます。当然ですよね、必死になって働いた俺達のなけなしの給料から払ってる税金が、アホ面した穀潰しのパチンコ代に消えているわけです。なんだあいつ、死んじまえよ。こんな人間がどんどん増えたら社会全体が破綻するわけですから、そういった人間をコミュニティから排除しようとするのは、社会的生物として至って正当な判断ではないでしょうか。
そして、人間は社会的生物ですから、コミュニティから排除されることを本能的にたいへん恐れます。それこそいじめを受けた子が自殺してしまうくらいに。
だから、人が働く動機としては、遊ぶカネが欲しいということ以上に、村八分は嫌だ働かなくちゃ、ということがあるように思います。文系が院に行かないのも、理系が博士に行かないのも、他のみんなが就職するからなんじゃないでしょうか。
また、生産価値の高い職業に就くほど、社会的評価も付随して上がっていきます。医者や一流企業に就けば「立派な人」になれるのです。自己承認欲求の満たされ具合も上々でしょう。
こうして、みんな働いてますよ、働かないと差別されますよ、と唆されることによって、社会のうち大半の人が働いてる面があると考えます。自分だけひとりぼっちになりたくないという人間の心理を突くのは、社会を維持する上で非常に優れた戦略ではないでしょうか。
そして、私はこの戦略が少子化対策にも適用できると思うのです。
少子化は、社会にとって非常に深刻な現象です。中国の脅威やテロの脅威など一瞬で吹き飛ぶ程度には深刻な脅威です。尖閣が取られようがビルが爆破されようが日本の社会システムそのものが崩壊することはないからです。
しかし、少子高齢化がこのまま進めば、2060年には65歳以上の高齢者率は驚きの40%です。現在の社会保障の仕組みを維持することは難しくなります。労働人口が減少しますから経済は停滞します。介護施設はパンクします。暗黒時代です。そうかと思って移民を入れれば治安が悪くなります。また現在の人口を維持するペースで移民を受け入れれば、2100年頃には移民のほうが日本人より多くなります。
というわけで、子供は社会にとって超重要な資本です。これが途絶えたら社会は終わりです。もう暗澹たる未来がすぐそこまで来ています。これを打開するためには、すこし強硬な手段を講じても良いのではないでしょうか。
フランスのように子育て支援を充実させるのも一つの手です。しかしそれだけでは多分足りない。出生率を2.1程度には上げておきたい。
じゃあ、子供がいない人を無職・ニート並みに社会的に差別したらどうだろうか。
子供という最大の資本を生んでいないのだから、働いていない人間と同程度の扱いを受けるのも仕方がないのではないか。
結婚しない人生のあり方を肯定するなんてもっての外。独身者の暮らしをまるで薬物中毒者みたいな悲惨な感じに演出してワイドショーで特集したりとか、相手を選びまくって結局結婚しなかった人が悲惨な末路をたどるようなドラマとか流せば、未婚者を差別する社会の下地ができるだろう。
そして、未婚者をSNSとか職場とかで八分にしよう。「30代独身女のヒステリーがやばいwww」とかをはちま起稿あたりがまとめて、コメント欄でどんどん叩こう。30代で独身はありえない、非国民だ、そういった風潮が醸成されればなおよし。
そうすれば、みんな必死になるでしょ。自分の趣味の時間がどうこうとかキャリアがどうこうとかの問題じゃなくなる。自分のコミュニティを失う恐怖。道行く人全員に嘲笑されている気がする。もう残った奴に不細工しかいなくても、結婚するしかない!みたいなところまで追い詰める。美男美女を見て、ありもしない甘酸っぱい恋愛に憧れを抱いている場合ではないのだ。恋愛に興味がない?そうか、クズめ。道端で干からびて死んどけ。
そして同じように3人子供がいないやつは甘え、3人も養えないとか底辺かな?と煽っていく。一人っ子に愛情を注ぎすぎて破綻する家族関係とかの映像をテレビで流しまくれ。もちろん子無し夫婦を叩くのも忘れるな。
するとどんどん周囲の人が結婚していく。ひとりぼっちになる恐怖。家族がいないひとりぼっちだけでなく、社会からもひとりぼっち。怖いなあ。絶望で自殺しちゃうよね。だから結婚しなくちゃ。結婚したら、みんな3人子供を生むのがノルマらしい。じゃあ産むよね。みんなと同じが絶対いいから。
……と、トントン拍子に行けばいいのですが、そんなにうまくは行かないだろうとは思います。しかし、子供が社会にとって最大の資本である以上、子供がなければ社会から差別されても仕方ないのではないでしょうか。だって次世代の社会に貢献してないし。
ただ困るのは、不妊治療しても子供が出来ない夫婦や、ゲイ・レズの方々、努力しても極端にモテない方々。養子縁組は日本でほとんど進んでいないですし、極端にモテない人は残念としか言いようがないです。
結論から言えば軽度の障害者は社会ではクズ扱いされるのに、障害を認めてくれないので生活保護や障害年金をもらえず、
人並みの生活を送れるだけの福祉を受けさせてくれないなら安楽死させてくれよって話。
刑務所ですら、軽度の知的障害でぼーっとしてて店のモノをとったり、ちょっとした喧嘩で自制できずに傷害事件になっちゃって累犯して入所する常連の犯罪者がいる。
医者にうまく症状がつたえられず、ギリギリ働けるって判断された時点でケースワーカーに働いてくださいと労働を強要され、
ケースワーカーの言われるがままに生活保護を切ってホームレスや犯罪者に落ちる人もいる。
会社の仕事についていけないのに、人とそれなりに会話ができるだけで健常者扱いされて、つまはじきにされる知的障害者や発達障害者がいっぱいいて
そういう人たちは刑務所のお世話になるか、大企業でクビにされにくい副収入前提の低賃金パートのような、生活するだけの給料をもらうには厳しい単純労働でしか生きられない。
明らかな障害者には不十分とはいえそれなりに福祉の手が差し伸べられるのに、会社でクズ扱いされる程度の軽度の障害者は人間のクズ扱いされるだけで
生活保護もうまく取得できず、友人などの協力で出来たとしてもケースワーカーとの折衝がうまくできないためすぐに生活保護を手放すしかなく、
ホームレスになるか越冬のために軽い万引きして刑務所の世話になるしかない。ちゃんとした支援団体に協力してもらえる人は運がいい。
そういうクズみたいな人たちがギリギリ税金を払って、懲戒一歩手前の失敗を重ねたり職を転々としながら、生活保護や障害年金をもらわないことで維持される社会ならこんな社会は潰れてしまえ。
生活が苦しくて、でも死ぬのは怖くて死にたいと思いながら働くような人もいる。
そういう人は痛みなく楽に殺してくれる制度を求めている人もいる事を忘れないでほしい。
人類は、ヒトに人権というものを認めてるわけだ。人権があるから簡単に殺しちゃいけないし、いじめちゃいけない。
一方で人類は動物にたいして厳しい。ウシやブタを殺して食べたりするし、熊がヒトに危害を加えたら裁判にもかけず殺してしまう。
野山や平原からサルやキリンなどをさらってきて、動物園で見世物にしてしまったりもする。
つまり人類はヒトに対してもろもろの権利を認めている一方、動物にはそれを認めていないわけだ。
さて、ヒトには認められている人権が、動物には認められない理由とはいったいなんだろうか?
そもそも人権とはいったい何物なのか、なぜヒトには人権というものが認められているのだろうか?
「ヒトはヒト(ホモ・サピエンス)であるがゆえに人権を有するのだ」などとトートロジーのようなことを言う者もいるだろうが、しかし私にはそうは思えなかった。
このサルは一見なんの変哲もないサルに見えるが、実は単なるサルではない。
人のように物を考えることができるとても賢いサルで、そのうえ、人の言葉を操ることができる「高知能サル」なのだ。この高知能サルはしっかりと自身の脳で物を考えて言葉を発するのであり、オウムのようなものではない。
このサルにはおよそ、ヒトの成人の平均程度の知能があると考えて欲しい。
はたして、この高知能サルを、通常のサルのように動物園などに閉じ込めてしまうことは許されるだろうか?
また、もし、この高知能サルが「私にもヒトのような権利を与えて欲しい!」と訴え出た場合、人類はこれを聞き入れるべきだろうか?
哲学的な話はともかく、私の個人的な感覚では、この高知能サルを動物のように扱うことは許されないと思った。
書 い て る 途 中 で 飽 き た
東アジアの不可解さを感覚的に理解したいのならば、柿(Kaki)と杮(Kokera)の違いについて知るのが最も近道だ。
日本人は秋になると甘味の強い「柿(Kaki)」と呼ばれる濃いオレンジ色のフルーツを楽しむ。
このフルーツを天日で干してドライフルーツにして楽しむことあり、これを「アンポンタン(日本の方言で知的障害者を指す)」と呼ぶ地域もある。
(日本の伝統的菓子は、このドライ柿以上の甘さにしてはいけないという不文律がある)
一方、迷信深い日本人は、新築の建物を建てると「杮(Kokera)」と呼ばれるモンスターを駆除すると称して、何らかのイベントを催す。
すなわち、人が入る前の建物には必ずコケラという怪物が住み着くので、これを多数の来客者による迫力で追い払おうとするのである。
私たち西洋人には、この Kaki と呼ばれる漢字と、Kokera と呼ばれる漢字は全く同一に見える。
しかし、高度な形象文字の文化圏の住人である日本人には、これらの文字は全く別の文字であることが明らかだという。
京都市に住む Keiko Wanatabe (78) が嘆息して言うには、
「近頃、日本が好きといって外国人さんがたくさん京都にお見えになりますけど、
Kaki と Kokera の違いもわからずに日本をわかったつもりになってもらっては困ります」
このように、日本人には極めて微小な差異に対する感受性が受け継がれている。
私たち西洋人には「ワビ・サビ(Wabi and Sabi)」や「萌え(Moé)」は深遠で理解に及ばぬもの、というイメージがあるが、
それは無理からぬことで、こうした概念は日本人の持つ独特な「差異の感性(sense of disctinction)」に依るものなのである。
フランスの偉大な哲学者アレクサンドル・コジェーヴは、日本の持つ独特な感性体系を「日本的スノビズム」として称揚したが、
この点において私たち西洋人がこの多神教的精神性を感覚的に理解するのは、不可能か、
あるいは少なくとも数多くの障害が立ちはだかっていると言えよう。
私たち西洋人は日本人の持つ奇異な性文化 --- 例えば Gokkun や Bukkake --- を受け入れつつあるし、
Baby Metal のような「萌え(Moé)」に対する強い渇望も存在する。
それ故、私たちはゆっくりと、しかし確実に日本的「差異の感性」を身に着けつつあると言えるし、
彼らが西洋発祥の文化を上手く取り込んで世界の TOYOTA を作ったように、