はてなキーワード: コジェーヴとは
東アジアの不可解さを感覚的に理解したいのならば、柿(Kaki)と杮(Kokera)の違いについて知るのが最も近道だ。
日本人は秋になると甘味の強い「柿(Kaki)」と呼ばれる濃いオレンジ色のフルーツを楽しむ。
このフルーツを天日で干してドライフルーツにして楽しむことあり、これを「アンポンタン(日本の方言で知的障害者を指す)」と呼ぶ地域もある。
(日本の伝統的菓子は、このドライ柿以上の甘さにしてはいけないという不文律がある)
一方、迷信深い日本人は、新築の建物を建てると「杮(Kokera)」と呼ばれるモンスターを駆除すると称して、何らかのイベントを催す。
すなわち、人が入る前の建物には必ずコケラという怪物が住み着くので、これを多数の来客者による迫力で追い払おうとするのである。
私たち西洋人には、この Kaki と呼ばれる漢字と、Kokera と呼ばれる漢字は全く同一に見える。
しかし、高度な形象文字の文化圏の住人である日本人には、これらの文字は全く別の文字であることが明らかだという。
京都市に住む Keiko Wanatabe (78) が嘆息して言うには、
「近頃、日本が好きといって外国人さんがたくさん京都にお見えになりますけど、
Kaki と Kokera の違いもわからずに日本をわかったつもりになってもらっては困ります」
このように、日本人には極めて微小な差異に対する感受性が受け継がれている。
私たち西洋人には「ワビ・サビ(Wabi and Sabi)」や「萌え(Moé)」は深遠で理解に及ばぬもの、というイメージがあるが、
それは無理からぬことで、こうした概念は日本人の持つ独特な「差異の感性(sense of disctinction)」に依るものなのである。
フランスの偉大な哲学者アレクサンドル・コジェーヴは、日本の持つ独特な感性体系を「日本的スノビズム」として称揚したが、
この点において私たち西洋人がこの多神教的精神性を感覚的に理解するのは、不可能か、
あるいは少なくとも数多くの障害が立ちはだかっていると言えよう。
私たち西洋人は日本人の持つ奇異な性文化 --- 例えば Gokkun や Bukkake --- を受け入れつつあるし、
Baby Metal のような「萌え(Moé)」に対する強い渇望も存在する。
それ故、私たちはゆっくりと、しかし確実に日本的「差異の感性」を身に着けつつあると言えるし、
彼らが西洋発祥の文化を上手く取り込んで世界の TOYOTA を作ったように、