はてなキーワード: 漢検とは
タイトルの通り。
当方、学生のころから漢字の勉強は趣味程度に好きで、社会人になって仕事が落ち着いてから、その熱が再燃して少しずつ勉強を再開していました。
あるとき、こちらも趣味でやっているX上で、漢検一級クラスタのそこそこ名が知れている人のポストを目の当たりにしました。
「漢検受けてない人は漢字税として所得から50%くらい徴収したらいい」
それ、漢検を「自分が苦手なこと」に置き換えて、他の人から言われたらどう思うんでしょうか?
そして、漢字を勉強したり漢検を受けたりするのって、ある程度生活に余裕がないと無理だと思うんですけど。
そういうことは度外視なんですか?
でも、愕然としたのが、ほかの錚々たる漢字クラスタの人も、同意ほどではないにせよ、リプライしていたこと。
あの人も、あの人も、こんな想像力の足りない、子供みたいな意見に、反応してしまうんだ。
だから、漢字は大好きだし、漢字クラスタには(もちろん、いい人もたくさんいますが)期待しすぎないようにしよう、と思ったんです。
難しいですね。
クイズなんかもそうだけど、「知っているのが偉い」「知らなかったら偉くない」になりかねない。
もちろん、当方もそういった価値観で生きてきた時間が長いので、
それこそ自分が知っている範囲なんて、猫の額に住んでいるダニの額より狭いと思うんです。
自分が相対している人々が、自分には知りえない文化・世界のエキスパートであると想像し、個々を尊重する。
世の中には「漢検」がすでにあるぞ
「両性」を「当事者」に改める
これが一番無難だと思う。これなら近親婚も排除されないし。ただ懸念点があるとすると、「当事者」という言葉だと明確に夫婦のみを指す「両性」よりも広い範囲になっちゃうんじゃないかな? という点。親や兄弟姉妹や親友が「私たちも当事者だよなぁ?」と言い出す可能性も否定できない。なので「婚姻に参加する者」のような言い方にすべきかなと思う。
これでいいよね。保守的な結婚認定団体は血の離れた男女1人ずつのみに結婚を認定し、リベラルな結婚認定団体は同性婚や複婚や近親婚にも認定証を出す、とすればよい。TOEICとTOEFLが別にあるみたいな感じで。「結婚してる」が「漢検2級持ってる」程度の重みになればいいんじゃないかなと思うよ。
ChatGPT(3.5無料版)に、漢字検定2級の問題を解かせてみた。
問題は公式サイトに2022年3月の過去問として公開されている こちら を使った。2級は一般社会人、大学入試レベルの問題。これをお読みの皆さんなら合格(80%以上)は軽いと思う。まずは自分で解いてみてほしい。
ChatGPTへの出題では、傍線などが質問欄で表現できないので「`~`内の」などと改変したものの、可能な限り原型のまま出題している。
では、ChatGPTの答案を採点してみよう。標準解答は こちら。
1. きょうけん ⭕
2. ししゅく ⭕
3. かんげき ⭕
4. ひへい ⭕
5. こだわり ❌→こうでい
6. しん ⭕
7. ふよ ⭕
8. すいよう ❌→すうよう
9. りゃくぜん ❌→りつぜん
10. けんぽん ⭕
11. にょじつ ⭕
12. いふ ⭕
13. けんま ⭕
14. こうきょう ⭕
15. てんか ⭕
16. こうそ ⭕
18. げん ⭕
19. はあく ⭕
21. けたはずれ ⭕
22. うれ ⭕
23. つぐな ⭕
24. づつまさき
25. まゆつばもの ⭕
26. むし ❌→も
27. じょうか ❌→とこなつ
28. いり ❌→い
29. てづな ❌→たづな
30. いろどり ❌→いろど
22点/30点。
きちんと傍線範囲内だけを回答しているし、意外によくできている印象。慣用的な読み方は苦手なようだ。
1. 羊 ⭕
2. 戈 ⭕
3. 十 ⭕
4. 亠 ⭕
5. 耳 ❌→耒
6. 戈 ❌→斤
7. 虍 ⭕
8. 歹 ⭕
9. 竹 ❌→竜
10. 又 ⭕
7点/10点。
ChatGPTがここまで部首を理解しているとは意外だった。卑の「十」などは人間でもなかなか正答できないのではないか。
1. オ ⭕
2. ア ⭕
3. イ ⭕
4. ウ ⭕
5. ウ ❌→ア
6. ウ ❌→エ
7. ウ ⭕
8. ウ ❌→エ
9. ウ ❌→イ
10. ウ ⭕
後半が全部ウになっちゃっているのが心配だけれど、熟語の構成を理解しているのではと思わせる回答。
[問1]
1. ショシ ❌→貫徹
2. カタゴン ❌→隻語
3. シンザン ❌→幽谷
4. キンカ ❌→玉条
5. イッシ ❌→相伝
6. イッダンコウ ❌→熟慮
7. イッビョウドウ ❌→怨親
[問2]
11. コ ❌→カ
12. ケ ❌→コ
13. ク ❌→ケ
14. イ ⭕
15. キ ⭕
4点/30点。
四字熟語はほぼ全滅。穴埋めという概念が理解できずに読みを答えてしまっている。その読みも後半からおかしなことになってくる(出題ミスではない)。
[類義語]
1. さんか ❌→侮蔑
2. ちょうばつ ❌→惨敗
3. みゃくらく ❌→丁寧
4. けんちょ ❌→懲罰
5. そうけん ❌→壮健
[対義語]
6. ていねい ❌→傘下
7. ぶべつ ❌→顕著
8. そうけん ❌→潤沢
10. じゅんたく ❌→双璧
0点/20点。
こちらも問題文をきちんと理解できなかった。後ろで示された選択肢の中から言葉を選ぶところまではできているが、それを漢字に直していない。もっとも、漢字に直せていたところで組み合わせはほとんど間違っているが...
1. 応酬 ⭕
2. 押収 ⭕
3. 好買 ❌→購買
4. 降廃 ❌→勾配
5. 一喝 ⭕
6. 一括 ⭕
7. 湖底 ❌→湖沼
8. 顧正 ❌→呼称
9. 鶴 ⭕
10. 弦 ⭕
1. た・ため ❌→短・端
3. ピアノ・ヒアノ ❌→拳・鍵
4. 奔意・動意 ❌→奔・翻
0点/10点。
「次の各文にまちがって使われている同じ読みの漢字が一字ある」という問題が理解できておらず、そもそも「漢字のテスト」というコンテキストが伝わっていない。
1. 紛れ ⭕
2. 奏でる ⭕
3. 情けない ❌→嘆かわしい
4. 焦って ❌→焦っ
5. 悟ら ❌→諭さ
4点/10点。
出題意図は正しく伝わっているが、問題文を読み違えたり解答範囲外まで記述するミスがある。
1. 態勢 ❌→邸宅
2. 君風 ❌→薫風
3. 全貌 ⭕
4. 還元 ⭕
5. 鉢 ⭕
6. 腰痛 ⭕
7. 専忘 ❌→羨望
9. 雑菌 ⭕
11. 機嫌 ⭕
12. 愉快 ⭕
13. 網棚 ⭕
14. さるし芝居 ❌→猿芝居
15. 飛沫 ❌→氷雨
16. 釣 ⭕
17. 描 ❌→得難
18. 儲ける ❌→貪
20. 善 ❌→由
21. 整 ❌→廃
22. 裾 ⭕
24. 体 ⭕
25. 酔い ❌→宵
22点/50点。
得意かなと思った書き取り問題だが、意外に半分も正答できなかった。
「薫風→君風」「羨望→専忘」「得難(い)→描」などは、読みからどうにか漢字を捻り出そうとしている様子も窺えて面白い。
結果は200点満点中83点と、合格ラインとされる80%には遠く及ばない結果となった。時間があったらもっと低い級の問題を与えてどのくらいなら合格できるか試してみたい。
小学生も中学年以上になってくると宿題に対する不満が増えてくる
じゃぁやらなくていいか、というとそうではなくてトラップしたりボレーしたりいろんな場面での基礎となってる
だからリフティングを練習するし、リフティングが上手い奴はサッカーも上手い
算数も3桁同士の足し算とか2桁同士の掛け算とか
けれど算数の足し算や掛け算が得意な奴は面積の考え方や将来的には方程式の解き方なんかも上手になる
基礎がしっかりしていると応用も上手になる
だから宿題は解くことには意味がなくて、やることに意味があるし、ズルをするのは意味が無い
一方でやり過ぎても意味が無い
リフティングを100回だとか1000回だとかできることにはサッカーの上手さにはほとんど繋がらない
めちゃくちゃトリッキーなリフティングだとかもほとんど意味が無い
そんなことするならドリブルやシュートを練習した方がよっぽど良い
宿題も同じで8桁同士の足し算や掛け算はやらなくてよい
漢字も常用漢字だけで良いし漢検の1級なんてただのクイズだから取る必要はない
自分語りすまん。
中卒で漢検2級をほぼ満点で一発合格した者だけど、普段からよく本を読んでいたせいなのか、2級がカバーしている常用漢字の範囲は元から身についていて、自分の弱点を把握して潰していくみたいな感じだった。
試験会場では2級対策の本を何冊も持ってきて読んでる人たちが大勢いて周りが全員優秀な人たちに見えてビビった。
けど合格率30%程度だから、あそこにいた優秀そうに見えた人たちの大半が落ちたってことだよな。
平均的な知能しかない中卒に負けるってどういうことだよ。
そんなわけで、常用漢字の範囲しか出題されず、一般教養と呼ぶに相応しい2級は大体なんとかなる。
あの検定の真のやばさは準1級以上から始まると思ってる。未知の日本語と遭遇することへの戸惑いを乗り越えることと、あとは純粋に暗記力と根気が試されるからだ。
自分は死ぬまでに1級取りたいなと思いつつ、取れないままかもしれない。だって準1級と1級は実用性皆無で自己満足でしかないんだもの。
書店で問題集を買ってきて、ふたりで一緒に、なるべく毎日、その問題集の1単元ずつやっている。
60~70問くらいの問題をウンウン言いながら解き、大学ノートに答えを書きつけ、終わったら交換して互いに採点しあう。
検定を受検して級をとろうとは特に考えていない。単に大人として一般教養をかためておこうよ、それくらいの動機。
そもそも夫婦ともに机に向かってお勉強をすることじたいン十年ぶりなので新鮮。
「あー! ここまで出かかってるんだけど!」
「読めるけど書けない!」
「点、つくんだっけつかないんだっけ?」「ここ突き抜けるんだっけ?」
「こんな部首知るか!」
「ほんとは書けるんだよー!ど忘れなんだよー!」
みたいにキャーキャー騒ぎながらクイズ感覚、ゲーム感覚で楽しんでいる。
ひとりでやったらたぶん全然おもしろくないと思う。ふたりでワイワイやるから楽しめている。
※恥ずかしいので級は明かさない。少なくとも準1級や1級ではない。
4回って言い方でわかる人もいるかもしれない。私は関西の大学生だ。頭は良くないけど、そんなに後悔しない大学生活だった気がする。まだまだやりたいことあるしね。
本来なら舌ピなんて1回で開けて楽しんで就活を前に閉じるものかもしれないけど、私はやっと内定が出た直後に開けた。そこの会社に行くかはまだ迷っているけど、我慢できなかったので。
ピアスは病院で開けた。ニードルかなと思ったらピアッサーで、少しずれてしまったけどまぁ満足してる。開けたのは先週土曜だから、そろそろ3日くらい。まだじんわり痛いし、違和感もある。舌を火傷した時や、口内炎が出来たような痛み。咀嚼すると痛みが強くなる。熱いものは駄目。辛いのとアルコールと煙草は控えている。奥歯の方に押し込めるものは割と食べれる。スープや飲み物や豆腐とかプリンは全く問題なし。茶碗蒸しが大活躍している。
両耳たぶは開いてるけど、他は開けてなかった。
耳は高校の卒業式のその日に開けた。アマゾンで買った一番安いピアッサーで、その日に。高校は校則が厳しくて、携帯持ち込み禁止、寄り道禁止、髪染めピアス禁止、アルバイト禁止、SNSのアカウント作るの禁止、他にも色々禁止だった。校則に書いてあるだけとかじゃなくてほんとに先生に見つかったら指導されるレベルの厳しさだった。有名ではないけど幼稚園からある女子校だからそんなものかもしれない。今となっては懐かしいけど、それは私が隠れてバイトもSNSも寄り道もしていたからで、真面目に守っていたならきっと後悔していただろう。
一度無断で休んだ時は反省文を書かされた。学校へ行くくらいなら死のうと思ってホームドアのない電車を探していた時、行かなくてもいいんじゃないかと思った。先生や親も死ぬよりサボる方が嬉しいんじゃないかなんてやたら冷静に客観視してた。反省文を書きながらこれは何の反省なんだろうと思った、だって死ぬか行かないかの二択だったのに。
両耳のピアスは私としては早かったが世間的には遅いだろう。私はいつもそうだった。みんなより全部遅い。化粧を覚えたのも高校3年だった。
前髪を初めて作ったのもはたちになる少し前だ。高校生の時から散々ある方が可愛いだろうと言われていたし思っていたのに。
髪を初めて染めたのもはたちすぎてから。しかもインナーの一部で殆ど分からないくらい暗い青だった。でもそれがきっかけで色んな色をやった、インナーだけど。大学入って直ぐに染めてたらもっと色んな色が出来たのにとも思う。
次は全頭してみたいと思っている。遅いかもしれないけど、遅すぎはしないだろう。だって大学生だし。ぎりぎり。
いつも遅い。みんながやり始める頃にはそんなの興味無いとばかりに見ていて、後からやりたくなってもっと早くても良かったなと後悔する。そしたらもっと楽しめたのに。
成人した直後からワインを飲んでいる。家にカクテルセットがあるというと驚かれる、大学生では珍しいかもしれない。日本酒もすき、ジントニックもすき。クラフトビールもすき。そんな感じ。
幼少期に読んでた本は大抵大人びていた、気がする。少しだけ。英才のように文豪たちを読破したとかカントを読んだとかはない。今はキルケゴールの死に至る病を買って、大学生だと言うのに意味が分からなくて呻いている。もしこれを読んだ方の中に哲学好きな方がいたら、あれを上手く読み解く為のコツとか解説書なんかを教えて欲しい。
閑話休題。
遅いとか早いとか、そういうことは無意識に思ってしまう。早いうちに触れるのはいいことだ、何歳になっても遅いなんてことは無い。そうは言っても現実はその通りでは無い。
小説家やイラストレーターになりたかった。学生のうちに仕事を受けられるようになっていなければそれで生計を立てるのは難しい。そもそもいちばん暇な大学生でプロのレベルまで出来なかったのは才能がないのだろう。能力ではない、やり続けるという才能が。
研究者になりたかった。小学生の頃の行きたい大学はマサチューセッツだった。ちなみに今も昔も英語ができたことは無い。向き合う度に外国語は向いていないことをひしひしと感じる。
研究者に憧れがある、科学者、数学者、天文学者、宇宙の真理やこの世の理、最先端の技術、未知の可能性、人類の進化、魔法と区別がつかなくなるまで発展する科学技術。無闇な憧れだ。論文も本も何も理解出来ず、どういうふうに系統だっているのかも分からない。でも憧れている。でももう遅い。私はサインコサインすら分からない。
頭がいい、と思っていた。昔は。人と会話することもある程度得意だ。
国語は勉強しなくても偏差値が取れた。小学生で漢検2級を取った(これは母の全力の献身によるものだ、私の努力ではない)。他の教科も聞いてたら何とかなった。でも中学2年くらいから授業を聞かなくなって、数学や理科ががくんと落ちた。相変わらず国語はトップ近くで、社会は本から得た知識でなんとかなって、英語は長文とリスニングで何とかした。文法はからきしだった。
高校ではやれば出来るのにと言われ続けた。地頭は良いのにと。そうかもしれないと思っていた。そう思いたかった。
でもそうでは無いのだろう。
本を読んでも理解できないことが増えた。読み終わっても中身を忘れることが増えた。あんなに無限に読めると思っていた本を、もうしばらく最後まで読めたことは無い。難しくなったら駄目だった、ライトノベルは多分いまでもサクサク読める。
私は天才でも秀才でもなくて、やる気とかいう最大の生まれ持つ才能も持っていなくて、やる気がなくてもなんとかなる能力もなくて、全く興味の湧かない仕事内容の会社に就職しようとしている。
昔はゲームなんて時間の無駄だと本気で思っていた。それなら勉強した方が世界も広がって能力も高まって良いと。
勉強なんてもう何年もしていない。ソシャゲに毎日数時間と毎月数万を使う立派なソシャカスだ。
ピアスやタトゥーには憧れていた気がする。酒や煙草にも。アウトロー感のあるものには憧れがあって、でもテンプレートな安い人間にはなりたくなかった。でもなってしまった。
白衣を着て、日本でも有数の大学院で試験管を持ったり数式を書き散らしたり、ドイツ文学やフランス文学を原文で読んで純粋理性批判について論文を書くような学生だったら、髪がペールブルーとターコイズの二色で舌や唇にピアスが開いてて身体にタトゥーが入ってたら最高にかっこよかったかもしれない。
そんな格好をしている美大生なんて山ほどいる。
そんな格好をしている鬱の社会不適合者なんて山ほどいる。
私がなりたかったものにはもう一生なれなくて、それでも表面だけで真似できるものだけ、努力しなくてもできるものだけ、真似している。
大学は楽しかった。散々文句を言ってやる気がなくてチャイムがなって数十分後に来てチャイムと同時に帰っていたけど、物を作るのは楽しかった気がする。ともだちもいる。そうそう人を友人と口に出せない私が友達だと確信を流石に持てるくらいには仲がいい、はず。
桜の咲く公園で夜にビールを飲んだり、宅飲みでマリカしたり、自主休講して展示を見てパフェを食べたり、ナイトプールにいったり、ディズニーとユニバにいったり、覚えてもいないくらいたくさん話して笑ってた。最近は知り合いの家に酔った勢いで雀卓をアマゾンで買って送り付けてルールを説明した。自分も分かってないのに。
彼らにとって大した思い出でもないかもしれないが、私にとっては一人では死んでも得られないそれらをくれた事に死ぬほど感謝している。
ずっと死にたいという思いはあって、でもその中にもう死んでも構わないというポジティブな希死念慮があることは間違いなく楽しかった大学生活のお陰だろう。いやなこともたくさんあった、アルバイトも大変だった。バイト先に警察が来たこともあった、これはいい経験だけど。人生で経験できることはできるだけしておきたいので普通にその時も良かったなと思っていた、店からはたまったものじゃないだろうが。
そんな気持ちだからバンジージャンプも行ったりした。単に絶叫好きなだけかもしれないが。ピアスもその一環かもしれない。開けなければどんな痛みかなんて知らない。舌ピ開いてるあのキャラクターとかも、開けた直後はポタージュとか豆腐とか食べてたのかな、と思うとちょっと面白い。
シーシャも行った。今度葉巻もいく。
努力の要らないものばかり。ボランティアでもしてみれば良かったな。したい気持ちはあるけれど時間とか労力とかいきなりその日鬱になったらとか思うとなかなか出来ない。
習い事もしてみたかった。音楽がからっきしだから何か楽器とか。バレエとかダンスとかにも興味がある。踊るのはすきだ、振り付けは真似するのが苦手だから即興ばかり。音楽を流して踊り続けるのだけは得意だ、人に見せたことは一度もないけど。あとボルダリングとか、薙刀とか、色々やってみたかった。
そういう系だとサバゲーもある。これはサークルに思い切って入った。楽しかった。銃を買ったけれどコロナでサークルが停止してそのままなくなってしまったので一度もフィールドで撃てなかった。いつか思いっきり撃ちたい。
スキーやスケートは好きだから、フィギュアスケートもやってみたかった。ずっと憧れはあるけどスケートリンクが近くにあったことがないのでこれはしょうがない。
バイクにも乗ってみたい。一度後ろに乗せてもらって、免許取りたいといったけれど、結局バイクを持つのが大変なことやお金を考えて取っていない。
美容にはすぐお金を使ってしまう。というか費用対効果だ、時短になるならやっておきたい。二重はやった。脱毛はもうすぐ一回目がある。まつパもやりたい。レーシックもやりたいけどカラコンを入れなくなりそうだと思うとちょっと躊躇する、眼鏡も少し気に入っているので。外した方が可愛いけど。
少しでもかわいくなりたい。自分が死ぬほどかわいくなくて、死ぬほど魅力がないのを知っているから、少しでもってなってしまう。
アイドルになりたかった。歌手でも俳優でもいい。最近はミュージカルがすきだからミュージカルにも憧れる。服のモデルもいい、写真撮られるのも色んな服を着るのもだいすきだ。
でも私は人前が苦手だ。頭で苦手だと思ったことはない、好きなアーティストのライブにいっても、こんなにたくさんの人の前で歌ってこんなにたくさんの人に愛されるのはどれだけ快感だろうということを考えてしまう。
でも人前に出ると勝手に身体が震えて、平衡感覚がおかしくなって、喋れなくなる。大学の発表でもそうだ。上手く話せなくなる。頭は冷静だから対処はできるけど、身体は勝手に震える。
人前というか知らない人と歌う機会があったことも少しあって、褒められたら嬉しかった。けど歌手やアイドルになれるほどじゃない。顔も可愛くないし、ダンスも下手だ。自分では出来てるつもりでいても動画を見るとキレのなさに絶望する。これは本当に才能だと思う。
女の子のアイドルゲームが出来ない。羨ましくなってしまうから。男の子なら普通に推せてたまに羨ましくなるくらいだけど、同性だと近いから難しい。でもなりたいのは男の子のアイドルだ、イケメンと一緒に可愛い女の子にキャーキャー言われるなんて最高じゃん、と思う。
先生になりたかった。人に物を教えるのはすきだ。上手い方だと思う、友人に教える時も。相手の知識量や理解力に合わせて単語に解説をいれ、分量を変え、分かりやすそうな例えを使う。フラットな目線を持っているとも自負しているし、向いている気もしてる。先生と言うよりかはマンツーマンで指導する方が向いているかもしれない。
でも一度家庭教師に登録していて、仕事の話もあったけど、大学名で難色を示された。多分向こうの親御さんが文系か理系の学生がいいと言ったんだろうな、とぼんやり思った。同じ大学でも塾講師をしている子はいるので普通に学力があれば大丈夫なんだろう。私には教える力はあっても学力はない。でもやる気がなかったからこそやる気を出させたり、本を解説するのだけは本当に上手いと思うのだけど……まぁ、仕方ない。
他にもいろいろ夢はある。理想の生活もたくさんある。でももう叶わない。分岐点はとっくの昔にある。
今できる楽しそうなことだけを積み重ねて、本は難しくて気力がない時には読めないからソシャゲの周回とTikTokをして、少しずつあの日の高潔な私が死んでゆく。取り返しはもうつかない。じきに働かなきゃいけなくなる、働けるかは分からないけど。
せめてできる新しいことをしようと思って日記を書いた、ちょっと憧れていたから。ツイッターでフォローしてる文章の上手い人のnoteが良かったから、ああいうものを書きたいと思った。
私は承認欲求が強い。物凄く。いいねひとつに一喜一憂して、私より評価されている人全員が羨ましくて、なんとかいいねをしてくれそうな人に届いて欲しいけどそれを表に出せない。せめてタグをつけてRTをするくらいだ。
私は私の作品が好きでも、クオリティが低いことは知っていて、それでも好きだと言って欲しくて、でも他の有象無象の、私から見てあまりにも稚拙で低俗な作品といっしょくたにいいねされてると悲しくなる。こういうところが本当に性格が悪いと思う。けれど好悪はもう変えられないし、今更承認欲求も手放せない。昔は承認欲求なんてないと、どうでもいいと、むしろそれを持っている人になんでそんな感情を持つんだろうと疑問にすら思っていたのに、自分に承認欲求があるとしたら全てが腑に落ちた。無いと思い込んでいても消せなかったものは、多分もう消えてはくれない。
私は自分が底辺であることを知っていて、それでも結局どこかによく見られたいという願望が残っていて、ナルシストなところもあって、性格の悪さもあって、それがこの文章からも滲み出ていることが本当にいやで、でも取り繕うことすらしないのも嫌だからどうしようもない。
理想の自分になりたかったと思いながら、今日も自分をひとつ成長させてくれるはずの買い込んだ本をめくることすらできず、朝になった。
この文章は最初からひたすら思いついたことを脱線するまま書いて、読み返しや修正もしていない。
どうせ誰にも刺さらないことを知っている。私の作品が好きですという感想を匿名で貰ったことは一度もない。一度も。本の感想も。
最後まで読んでくれた人が数人でもいたら御の字だろう。
それでも誰かが読んでくれて、コメントをしてくれることを夢見ている。認めたくないけど、心のどこかであわよくばインフルエンサーとかがTwitterに投稿したりして、バズって、はてな文学みたいな扱いを受けたりしないかななんて期待している。醜い。でもこの醜い感情を抱えていたくないから書いてしまおう。心に秘めていたりツイッターでぼかしながら細切れに話してることを、全部思いのまま書きたくてこの文章を書いた。
何が刺さるんだと言われたら自分でも分からない。実力以上の評価が欲しい訳でもない。努力もしないくせに数字だけ貰えるなんてことはないと分かっていて、それでも楽なことの方がすきでそちらを選ぶ。趣味だからなんて言い訳せずに絵の練習でもしていたら今頃もう少しましだっただろうか。漫画も描きたかった、漫画の方がバズるから。表現媒体としても面白い、ネタを思いついても小説では書けないこともある。でも描こうとしても絵が下手すぎて結局再現は出来ない。
楽な方に楽な方に流れている。
ひとつ開けたら憧れの気持ちが止まらなくなってしまった。人生で一回は開けておきたい、テンプレートに近づくとしても。死にたいとか鬱だ何だとかいっている言葉が、昔より軽くなりそうだ。ファッションが変わっても私の中身は何も変わらないのに。
楽な娯楽だ。努力しなくてできる変化、合法的な自傷。腕を切ったことはない、痛いから。でも首を絞めることはある。いつか首を吊るためのシミュレーションのように。一度失敗したきりだけど、いつかはきっと死ぬだろう。寿命まで耐えられるとは思えない。
本当は耐えて欲しい。耐えられるくらいでいい、その程度でいいから、幸せになりたい。
普通の人になりたい。創作をする、私は天才だと思っている友人は、死にたいけれどその死にたさも自分だから治らなくていいと言っていた。
私は幸せになりたいから心療内科に通った。意味はあんまりないけれど。
これを書いている間もずっと舌が痛い。これが収まる頃にスクランパーとインダストリアルを開ける。思い切り食事ができるのはまだ先になりそうだ。
何度も終わらせようといい感じに結べそうな文を書いているのに書きたいことが溢れてしまう。
私は人に知って欲しいたちだ。なんでも、やったことや見たもの、感じたことや思想、なんでもすぐツイートしてしまう。勿論セーブはかなりしているけれど。そしてそのツイートを全部見て欲しいと思ってしまう。何故なら私は好きな人のツイートを全部見たいタイプだから。ある程度好意を持っていたら何を喋っていたか知りたいかなんて当たり前だと思うけど、世の中では意外と少数派らしい。でも私の中ではそれが当たり前だから、ツイートを見ていないと言われる度にそんなに私に興味がないのかと傷つく。表には出さないようにしている、めんどくさいと思われるから。でもあえて出す時もある、相手が平気そうだったり、そういうキャラで私がやっていけそうなら。メンヘラちゃんのキャラでいたら、少しだけ私の本音を言うことができる。
だからひたすら書き連ねるのは楽で楽しくて、でと整理されてない文章なんて誰も読みたくないだろう。でも日記というか、書き散らしというか、日々の所感としてはこんなものかもしれない。
舌が痛いし眠くなってきた。多分何も無ければ無限に喋り続けられるだろう。自分の話をするのが好きだ、相手に知ってもらいたいから。好きな人のことはなんでも知りたい、血液型とか、健康診断の話になった時の視力とか、すぐメモってしまう。私の記憶力が悪すぎてメモっているだけで、覚えておきたいというだけなんだけど。締めに頭の中で用意しておいた文章のストックがもうない。前のを引っ張ってこよう。ちょっと書き換えて。
そうやって楽な方に楽な方に流れている。
今度はスクランパーとインダストリアルを開ける。お手軽な変化を得て、なんとかぎりぎり生きている。バイトの当欠も、説明会のキャンセルも、自主休講にしすぎな大学も、なんとかなってるとは言えないけど、取り敢えずまだ致命傷ではない。致命傷ではないけど、ゆるやかに死んでいくのだ。
きっと今の私は、昔の私が一番なりたくなかった姿だろう。働きたくないとか甘えるやつ、努力しないやつ、後回しにするやつ、遅刻するやつ、頭の悪いやつ、死にたいと
ウン年前に東京の女子御三家に通ってた理系大学進学者だけど、勝負強さというよりは単純に中高一貫校のカリキュラムの問題だと思う。
追記:数学の定期テストで1度も50点以上を取ったことがない(というかだいたい30点台を低空飛行していた)ので、落ちこぼれとはまではいかないけどまあ底辺から見た感想です。その点数でなぜか理系を受験する気になったのは今思うと肝が冷える。親もよく許したな。
自分のころは、
うちの高校は2年生で文理選択させられる。それまでは芸術しか選択科目がなかった。
で、高校1年生の夏休み以降はひたすら数学の演習を繰り返す。数IAや数IIBで中学のカリキュラムと被っている部分は飛ばすので効率よく勉強を進められる。
英語は得意だったので学校のカリキュラムはあまり覚えていないが……高1時点で高校レベルの文法学習は終わっていたと思う。自分は高校時代の単語帳だけでTOEIC900点とれたので(過去問演習はもちろんした)、単語帳もなにかいいものを使っていたはず。
高2までは古文のテキストを全文ノートに写して品詞分解したものを提出させられたり、世界史や地理でみっちり暗記させられた記憶がある。
特に中1時点で百人一首をすべて暗記させられた古文は役に立った。センター試験の古文は単語を覚えただけでほぼ満点が取れた覚えがある。
また、国公立大学の理系学部受験者がほとんどセンター試験で倫理を選択していたのだが、世界史のおかげで倫理の流れはすごく頭に入りやすかった。
大学時代に家庭教師のバイトをしてみてはじめてわかったが、公立中学・高校で漢検・英検を受験するのは、少なくない生徒にとって時間の無駄であって、自分で100%勉強できるのならよいが、特に中学生は、まだ学習のリズムも整っていないのに、受験すると内申点が上がる?からといって、わざわざ塾で補修を受けたりする。
何しろ問題形式や内容が高校・大学受験と大きく異なるので、せっかくの勉強を受験に生かせない。漢検はまだ少し役に立つかもしれないが。
で、試験が終わればせっかく覚えた英単語なんかは一瞬ですっぽ抜けていく。場当たり的なリスニング対策をするよりは毎日5分ずつでもディクテーションをしたほうがなんぼかましだ。
だいたい、難関私立中学を受験する子供は小学生のうちに漢検英検を受けているものである……というのは偏見だろうか。
高3の最初の化学の授業で先生が一言「センター試験では90点以上取るのが当たり前です」。実際物理化学は満点付近を取るのが当たり前。
今でもよく覚えているが、センター試験の英語記述で200点中198点取れたと喜んでいたら、その年、うちの生徒のほとんどが190点以上取ったらしい。ぬか喜びである。
これについては説明するのが面倒だし、自分は中1の途中で挫折したので気になった方は各自調べてみてほしい。
書いている途中から飽きていったのが伝わる文章ですまない。あと科目選択の話とか受験校選択の話とかいろいろあるがそこらへんを細かく書くと身バレしそうなのでやめておく。