はてなキーワード: 既定路線とは
(追記)
客観視できて少し冷静になれたり、溜飲が下がりました。
彼女と一緒にいたい気持ちは変わりないし、親に寄り添ったとして恨むのは目に見えてる。
こちらとしては彼女との結婚は既定路線として、どうソフトランディングするかに頭を悩ませている。答え出すしかないけど。
強硬過ぎると結婚後に親から彼女に向かう「当たり」にも繋がるし、色々世話になってきた親だから。
とはいえ勝手に入籍できたらどんなに楽かとは、常々頭をよぎります。法律上は可能だし。
一定の対話はするとして、「結婚するが、イベントへの参加不参加はお任せします」以上のアクションは取れないんじゃないか?と思ってる。
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正直、親と疎遠にするか、なし崩しで結婚するしかないかなと思ってる。
原因は相手の家族環境が合わないのと、親自身が結婚を前にしてブルーになってる点の2つ。
家族環境というのは、流行りの思想信条的にイレギュラーな人が兄弟にいるため。
彼女はその人と縁を切ってる状況だし、価値観や居心地もいいし、社会的にも自立してる。
2点目は自分の親がかなり保守的な考えなのを、自分自身よく理解できてなかったのが原因。
同棲を反対されてから、聞く耳を持たなくなり、彼女に洗脳されてると思われてる。
同棲は結局ご破算にしており、結婚までは親の意向に沿うとも話してるんだけど別れろの一点張り。
こちらから連絡・報告は続けてるけど、正直どこまで気持ちが続くかなと途方に暮れてる。
「結婚 親 反対」とか調べると「3年間LINEし続けた」とか書いてるけど、年齢的にもそこまで待てない。
彼女とは相談所経由の出会いで、休会期間が終わるタイミングを期限に先に進めようと話してるけど、
別れて婚活しなおせとか簡単に言う親には、かれこれ5年近く恋活・婚活してきてなので怒りしかない。
自分たちも見合い結婚レベルの売れ残りで、選り好みできる立場にいると思ってるのは何様なんだろうか。
親が紹介した人もたいがいな面々だったのはまた別の話。
どうやって皆結婚してんだよ。
興味を持ってくれてありがとう。
私が考える「つまる人生」すなわち面白い人生とは、一言で言えば内発的な動機と偶然性に彩られたものです。
内発的な動機とは何か。
人はそれぞれ違った関心や性質を持っています。度肝を抜かれるほどの変人や天才はほんの一握りだけれど、それでも誰もがそれなりにはユニークです。
大勢の人と社交するのが楽しい人がいれば、独りで黙々とこなすのが好きな人もいる。競争や勝負に燃える人がいれば、それらに興味のない人もいる。絵を描かずにはいられない人、気がつけば星空を見上げている人、なぜか魚類に深く心を寄せる人。
そのような、その人だからこそ持っているものを突き詰めたり、大いに発露している様をとても興味深く感じるのです。
たとえそのような生き方が、世間的に評価されず、まったく金銭的な価値を生み出さず、場合によっては呆れられたり白い眼で見られるものであったとしても。
なぜ登るのかという問いに「そこに山があるから」(正確には「そこにエベレストがあるから」であるようですが)と答えた登山家の話はあまりに有名ですが、内発的動機というのはまさにこれです。
私は登山どころかアウトドアに全く親しみがありませんが、彼が見事に言い表しているように「ただ、そうしたいからそうする」という生き方に心を打たれるのです。
もう一つ、偶然性とは何か。
人がそれぞれ違っているように、一人の人生の中で起こる出来事も様々です。何が起こるかを予測することはできません。
この時代に日本に生を享けたという出生の偶然性に始まり、実に様々な偶然性に晒されながら人生は進行していきます。そういう偶然性の一片に、人生全体を方向付けるものがあったりするものです。
重い病気に罹った自分や家族を治療してくれた人への感謝と畏敬の念から、医療の道を志すとか。ある芸術作品に衝撃を受けて、創作や研究活動にのめり込むとか。
もし、それに出遭っていなければそうはならなかったかもしれない、でもなぜかその出来事が起こって現にこうなっているという面白さ。似たような経験した人は他にもいるはずなのに、その人にとってはそれが決定的に働いて今があるという不思議さ。
偶然性そのものは何でも良いのですが、偶々起った出来事とか人や物との出会いによって人生が動かれていくというのが、また人生の妙味だと思うのです。
こうやって考えていくと、内発的動機も偶然性の一つと言って良いのかもしれません。
(なぜか分からないけれど、それをしたい。そういう性質に生まれた、あるいはそういう経験をしたという偶然性。)
「激レアさんを連れてきた。」という番組がありますが、そこに登場する人にはそのような面白さを感じることが多いです。(たまたま何度か見たことがある程度で、特に熱心に見ているわけではないですが)
そんなにレアではなく、経歴や属性だけ聞くと凡庸に思えても、内発的な動機に突き動かされて、そして不思議な縁に引っ張られて生きていれば、それはとても面白いものです。
なので、元増田の人生もつまらないものでは全くなく、とても面白いのかもしれません。普通の家庭を持ったサラリーマンとしての側面しか記述されていませんが、その仕事は(なんらかのきっかけで深い関心を寄せて)人生を捧げるようなライフワークとして取り組んでいるかもしれないし、あるいは賃労働とは別の社会貢献活動に情熱を注いだり、何らかの創作に精力を傾けているのかもしれません。
ただ、大多数のレールとしてある学歴を重ね、就職するものだからという常識で就職して、結婚した方がいいという観念で結婚して、子どもを産み育てるべきだという規範でそうする・・・そういう既定路線・予定調和的なものを逸脱するものを見出したいという思いがあります。
常識を逸脱するもの・普通を横溢するものを、(程度の差こそあれ本当は誰しも持っている・出遭っているはずなのに)無いことにした生き方を「つまらない」と思うのです。
そういうわけで、私は、ライフプランとか人生設計とかいう考え方が嫌いです。
何歳ごろに結婚して、何歳までに子供を何人産んで、それから家を建てて、教育費がこのくらいで、老後の生活費がこのくらいかかるから、貯金がこのくらい必要で・・・とか、そういうやつです。
(「一流のプレイヤーになる」とか「自分の店を持つ」とかの目標を持つことは良いと思いますが(持たなくても良いと思いますが)、それは志とか野心とか呼ぶべきもので所謂ライフプランとは別です)
中等教育くらいまではこの社会を生きていく前提としてレールの上を歩くということで良い(そうでなくても良い)と思いますが、そこから先は偶然性の織りなす世界で自分の心の赴くように生きるものだと思っています。
人生で何が起こるのかなど分からないし(極端に言えば明日死ぬかもしれない)、自分の考え方だって変わります。貯金とか保険とかある程度の備えは必要と思います(生き方によってはそれすら無くても良いけど)が、結局その場その時で決めていくしかないし、その方がきっと面白いはずです。
プランなど立てるのは偶然性を塗りつぶす所業であって、人生の醍醐味を毀損するものとしか思えないのです。
最後に「つまる」人生ということで、私が大好きな映画を紹介しておきます。
デヴィッド・フィンチャー監督の『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』という映画です。
もちろんフィクションなのであまりにドラマチックなのですが、この作品には人が生きるということの面白さ(内発的動機と偶然性)が詰まっていると思うのです。
この映画の中で何度か主人公が口にするセリフ(それがこの作品のテーマでもあります)が、「人生、何が起こるかわからない(You never know what’s coming for you.)」です。
未見でしたらぜひご覧ください。
そういえばサブスク終了もあったわ、予兆。予兆多すぎで解除不可能やろがい。
モバマスの思い出続き。
初回の新年ビンゴ以外は何とか1枚取りしてた。うっかり無料ガチャで出た他アイドルとトレードして必死でチェンジさせてた。3年目からは無料貯金が増えて課金をしなくても行けた(アクティブが少なくなったからかもだけど)。
チームにも恵まれた。グラブルのやり方とか予め教えてくれたし、チーム戦でもギスらず楽しく出来て本当に有り難かった。その後グラブルの騎空団にも恵まれ、3年くらいはどちらのゲームも特に楽しかった。まあ今は無言団にいて、それはそれで楽。
声帯がついた時は驚いたが、既定路線だとは思った。(やっぱ最初のCDシリーズのジャケが一番好き。一部シリーズって作画崩壊酷くない?)
けどぶっちゃけ声優にはミリ興味ないのでライブや超常みたいな劇中キャラCDはむしろ苦手。この辺が今回の件で一番大ダメージを受けた原因。
翼上位とチーム戦以外は完全にパネミログインだけだった。移籍後のチーム戦とライプロの時はパネミすらやらなかった。翼の為に惰性でやってた。正直あのゲーム性で結構課金してる人がいるのはひとえにキャラパワーがあったからだと思う。
そんな中Mステ爆誕。ガチャが無料貯金で引けるよ!?というかモバマスがエグくないか?必死でリセマラした記憶。ライブで動く、動くよ!決して綺麗なモデリングでは無かったけどそれだけ。立ち位置や衣装の変更、表情や振り付けの差分。今思えば相当頑張ってくれてた。惜しむべくは別にライブ見ないでもイベントが進めた事。推し以外のライブ見てなかったので、サ終後にYouTubeで見てその進化に驚いた。10人ぐらい登場してたんか!
不評の木魚システムは音ゲー苦手民には有り難かった。エクストリーム普通にクリア出来たし。
今必死で思い出してるけど、意外と覚えてない。兎に角イベントが実質一種類なのがキツかった。一瞬出た強制ライブ参加型イベントは何だったのだろう。フレンドの意味もあって悪くは無かった筈なんだけど。wayはUIがめんどくさ過ぎて翼もゴールしなかった気がする。スタミナ全回復にならない程度にはやってたような?
長くなったのでここで一旦切ります。
AIイラストにやや否定的な立場なんだけど、なぜ否定的なんだろうなと考えてたので便乗。
自分は稀に趣味絵を描くが基本的には消費者、かつAIは機械学習の分野を過去にちょっと齧った程度で、多分に想像や自問自答を含む。
結論としては "自分たちの領域にAIが入ってきて声を荒げているだけ" という説を自分では否定できなかった。自分たちの領域が侵されたらそりゃ声を上げるし上げて何も悪いことはないとも思うけど。
とはいえAIイラストが嫌い、イラストAIの利用者が嫌い、イラストAIが嫌いはそれぞれ微妙に異なる背景がありそうなので、試しに分けて書いてみる。
(前提として以下は「絵を描かない人間がAIイラストをSNS等にあげることを、なぜ絵描きが叩くか」、という観点から見ている。もう一つの大きな要素である商用利用(仕事を奪う事)への批判については含まれていない。(そんなの既存のイラストレーターがAI使うようになるだけやろと思っているので。))
これは多分、絵を描く行為と「AI生成したもの自体をイラストと呼ぶこと」の相性が悪いから。
だいたいの絵描きは模倣から始まるが、人間はコピー機みたいに精密ではないから模倣の過程で個性が生まれ入り込む余地がある。
絵なんてRGB値で表せる色の点の集まりが二次元的に並んでるだけでしょ?と思うかもしれないがそのじつ配置やサイズ比、コントラスト(明暗比)や色相変化だとか、一つの平面内にいくつもの関係性が詰め込まれていてその組み合わせにこそ絵描きのこだわりがあったりする…らしい。
「一見して似てない(パクリに見えない)からOK」だけでなく「自分なりに再構成したかどうか」とか「製作者の意図があるか」という模倣の過程における主体性が重要なんだろうね多分。
(余談だが現代のCGイラストレーターはブラシやテクスチャ、ストックフォト等の共有リソースを当然のものとして受け入れているから、似ているのが悪いとか楽をするのが悪いという風潮はあまりない。イラストAI自体、ツールの一つとして導入する流れも既にある。)
その視点でいえば現時点のAIの文脈における「学習」は「AI利用者の意思」が介在しない模倣であり、機械的な抽象化は「創造性のうわべをコピーし盗む行為」であり、
そんなAIツールから出力されたま生のモノをイラストと呼ぶと絵描きはキレる、という論理めいたものが見えてくる。
生成に使った呪文それ自体には創作性があるかもしれないがそれは呪文の創造であってイラストの創造ではないぞと。
どんなに多数の学習データで希釈されモデル内で分解・抽象化されていようと、そのブラックボックスが最終的に出力しているものは性質的に既存の作品を意思も悪意も無いままコラージュしたものでしかないぞ、という考え方。
(だから多分、現時点でもAIを作るところから自分でやれば十分に「絵を描いた」ことになるから、AIが出力した絵をそのまま出してもそういう作品として受け入れられるんじゃないかなとも思う。絵を描くとは絵を描くことではないのか?)
ということで、絵を描く人間にとってイラストAIから出てきたAIイラストがイラストには見えないとする。
そんなものを1人が手書きでせっせと投稿するならともかく、大量生産して流されたら嫌がらせや荒らしでしかない。AIイラストならそれが現実的なコストで実現可能であるから、その量を原因として否定される。
(もっとも、これを表立って言うと「お前のへたくそな絵こそ俺にとってはスパムなんだよ」という不毛なバトルが始まりかねないので多くの人はこれを言えないだろう。インターネットでナワバリバトルするな。)
(量的問題)
感情的な理由でいえば、AIイラストをイラストとして流しているからだろう。先の理由により、絵描きにとってAIイラストとイラストは別ジャンルだ。
サッカーしてる所にラグビーのルールで突っ込んでくる人、嫌だし迷惑でしょ。しかも通常の人間ではありえない速度で大量に。
使ってもいいけどよそでやれ、という考え方。
多少論理的な理由があるとしたら、小説と絵の性質の違いに由来するのかもしれない。
小説は時系列の創作だが絵は時間的に静的な平面の創作だ。一言で創作物と言っても共通点は少ない。
時系列を持ったチャンクの膨大なつながりからなる小説と、実世界の解像度でもせいぜい数十センチ四方の平面からなるイラストではイラストの方が「ぱっと見の印象が似てる作品」は生まれやすい&判別しやすい。
この特性上小説AIは過去の作品の盗作と呼べるほどのものは滅多に出さないが、イラストAIは割とあっさり出す印象がある。特徴的な絵柄やキャラクターがそのまま出てしまったりね。
またimage to image等の悪用しやすいAIの存在や、AI以前からトレパクや転載で荒れがちな環境も既にあった。
盗作と呼べるレベルのものが見つかったとき、イラストAIというブラックボックスから出てきたからパクリじゃありません!機械のやったことです!なんていうのは被害者からすれば理不尽だし、お行儀の悪いAIとその利用者がいればなおさらだろう。
技術的に問題があったり悪用可能なものを公共の場で使うな/公開するな、という考え方。
好き/嫌いどちらのスタンスの人もいる。当然だが。
イラストAIはが好き、あるいは積極利用する動きはある。「AIイラストを嫌う理由」で書いたように、ツールの一つとしてイラストAIを取り入れようとしている人はプロ/アマともに見かける。
法的に問題もないなら便利なツールとして使おう、という考え方。
これは体感だが、実際のところ絵描きの間でもこのスタンスの方が優勢だ。「自分の絵にイラストAIをツールとして利用すること」にまで否定的な人は少ない。(だから元増田の "AIに対して怒っているのではなく、自分たちのアイデンティティを奪おうとするから騒いでいる。" という指摘はよくわかる。例外的に「嫌われるAI」は明らかによくないデータを使ってるAIとか、絵師の絵を下書きに別の絵を生成しますとかに悪用されたAIぐらいだ。)
そもそも一部の絵描きが嫌おうがイラストAIの利用が止むわけもないので今後よほど大きな事件でもない限り画像生成AIの利用拡大と画像処理ソフトへの統合は既定路線だ。嫌うことに意味はない。Adobeも画像生成AIの利用に前向きだからこの流れはもう止められないぞ。
あれ?なんでこの増田書いてるんだっけ…
まあぶっちゃけ今ある感情的・技術的な問題は放置されたままイラストAIが飽きられ、問題の大半が勝手に解消されるっていうが一番あり得えそうなオチなのかね。
寝よ。
退職を決めて心がざわつきを感じながら寝て起きた朝
少し気持ちの整理が出来た
ここ数か月頭の大半を占めていた葛藤が無くなったせいか気持ちが楽になった
ただ、退職を告げた時に言われた上長から指摘について自分なりの考えをまとめておきたい
(正直に言えるわけないけど)その通りなんだ。
効率化出来ればその分仕事が早くなるし、別の仕事を見つけるなり作るなりすればいいと思ってた
生活厳しくて食費削り続ったら元気でなくて、最近は寒くて朝食も食べる気力も無くて…
新しい職場でお金増えたら、最悪コンビニで朝食買うようにしよう
仕事に対する考え方は合わなかったから嫌だったけど、人として嫌いではなかったよ
(嫌な感情が顔に出てるんじゃないか?って言われたけど)上司の正解が判断付かなくて困ってたから相当嫌な顔だったとは思う
ただ、仲が悪いとは思ってなかった…
別に全然親しくはないけど、必要な最低限の事は教えてくれるし、上司が機嫌悪そうにしてたのは忙しいからかな位にしか考えてなかった…
仕事が止まるレベルなら仲が悪いけど、仕事が進められるからそこまで問題じゃないと思ってたよ…
それは申し訳ない、口頭で伝えるのは慣れてなくてね…
別に「対して重要な話でもないからチャットで詳細を送って見てくださいで良いだろ」って言われたけどそう思うよ
上司がチャット嫌いなのか直接言えって言うから、とりあえず報告しにいっただけ
それは不安
元から前職に戻る算段ではいたから既定路線だったとはいえ、ネガティブな状態からの退職だから気持ちを切り替えられるか不安
とりあえず、フリーランスから会社員に戻るための準備運動だったと思って心機一転頑張るしかない
でしょうね
東京都もColabo擁護派も如何に軟着陸させて波及範囲を小さく出来るか?みたいなスタンスになっていて、正直に言って来年度からColaboへ公金が拠出されることはないと皆がわかってるって状態
来年度からColaboとその関係者、そして仁藤氏は再出発することになるのだろうけどColaboの立ち上げ当初のように半民半官みたいなところから寄付金を集めることも難しいだろう、世間体を気にするからね半民半官みたいな団体って
Colabo追求派・擁護派の双方が何を言い合ってもColaboの活動が来年度から縮小するのは既定路線なので、むしろColaboの活動が縮小した後に少女保護活動がどうなっていくか?が一市民としては気になるところだ
Colaboについて書くわけではないのですが、
という形について。
まず、一般的に国は事業をあまりやらない。政策を作ったり、誘導したりする。その中でも、補助金という形があるが、政策誘導なので、最終的に補助金依存になっても困る。そこでよくあるのが、最初に10/10補助で都道府県等に手を挙げさせ、後に5/10補助へ、最後は補助ゼロへ、と持っていくやり方だ。10/10補助、費用が全部国から出る、というとオイシク思えるが、一旦喰らえば事業の受益者ができてしまうのでやめるにやめられない、結局は全部自分の持ち出しで続けなければならなくなってしまうので、地方から見ると本当に毒饅頭に見えている。
ただ、どうせ既定路線ならば補助が出るだけありがたいので、毒を喰らえば皿まで食いつくことはありえる。この最初の時点では地方の持ち出しはない。地方の持ち出しがないと言うことは、議会や市民からの追求も少ないということ。10/10補助金の時点では、事業担当者が恐れるのは内部ではなく、会計検査だ。
会計検査院が国の機関として国の税金の使い道をチェックする。地方自治体については地方自治体の執行機関として地方自治体の諸々をチェックする。先程も書いたとおり、10/10補助金では、どちらかというと会計検査院が国の税金の使い道をチェックする会計検査のほうが比重が大きい。会計検査では、会計検査院が各自治体を回って、国の税金の使い方である補助金がどうだったかをチェックする。ただし、これは検査の対象になるかならないかは検査を受ける側からはブラックボックスなので、対象にならないこともある。
さて、何年か経てば5/10補助金、既に毒が回った状態に移行します。半額は地方自治体が負担しなければならない。ここに至れば議会や監査委員の目も厳しくなってきます。国から補助金を引っ張ってきた!ナイス!という面と、でも半分は住民の血税ぞ。効果出してもらわんと!が半々です。この段階では会計検査院からも見られる可能性がありますし、もちろん監査委員からも見られます。
最後、補助金0の段階ですが、めでたく会計検査院からは離れられますが、今度は議会と監査委員ですね。完全持ち出しですので、効果のほどは大きく問われます。
今度は国から補助金で地方自治体に入ったお金が、民間に出るときには委託になりがちなところについて。冒頭書いたように、補助金というのは政策誘導なので、本来事業を民間が自主的にやってくれる世界線が望ましい。ただ、国と地方自治体のパワーバランスでは足抜けができますが(無慈悲に補助金打ち切り)、地方自治体が民間・市民に同じことをするのは難しい。一旦作られた補助金は政策誘導の効果を果たさずに、補助金受給者の既得権益となりがち。また、成果を測ることも難しくなる。てなわけで、事業の建付けとしては委託になることが多いと思われます。土木会社に補助金出すから道路作って、はちょっとないですよね。
しかしながら、実は補助金と委託は意外と近くて、まあまあ、補助金とすることはできないけど、実際は補助金みたいなもんだよ、という形で委託という形を取ることはできてしまいます。あとから取り繕うのが難しいし、委託の相手方が補助金的なものだと勘違いしてしまうこともあるので、あまりいい形じゃないと個人的には思っています。委託であるならば、計測できる成果がないとわかりにくくなる。わかりにくくなるなー。国の補助金が入ってなければいいんじゃないかなー。
総括して、国や地方自治体のお金が入っている、ということは、「こういう世界になって欲しい」の政策誘導です。本来「あらまほしき未来」があって、それの実現のために、ちょっと溝をつけて水を流すのです。途中途中でチェックが甘かったり辛かったりしますが、ほんとは実現して欲しいことがあるのです。だからその「実現して欲しい」こと(成果)が計測できないと国も地方自治体も国民も市民も困るのではないかなー。
これの続きかな?↓
クレセット・キャピタルのジャック・エイブリン最高投資責任者は来年に米景気が緩やかに後退し、FRBが金融緩和を迫られると予想。それまでは投資家が景気循環の落ち込みに強い投資先を志向していくとみる。
ブラックロック・インベストメント・インスティテュートのストラテジストらによると、各中央銀行がインフレ抑制を目指すと引き締め過ぎになりやすく、今後のそうした打撃を株式市場はまだ織り込んでいない。来年は景気変動の影響を受けにくいと考えられるヘルスケア株が推奨という。今年のS&P500種のヘルスケア部門は年初来で約1.7%下落にとどまる。エネルギー株や金融株にも前向きだが、新興市場は全般にアンダーウエートにしているという。
JPモルガンも来年を軽度の景気後退と予測。第1・四半期にはS&P500種が今年の最安値を再び試すとみる。米株は過去平均より割高なことなどから他先進国株より魅力が落ちるとし、推奨するなら一番は英国株とした。
BofAグローバル・リサーチも米景気後退懸念と米企業の収益鈍化により来年の米国株は悪環境になるとみて、米株が値上がりしても弱気相場の中の上昇に過ぎないと受け止めるよう顧客に助言。一方で中国株をオーバーウエートにし、コロナ感染予防の厳格な規制の緩和や政府による不動産部門支援が中国株を押し上げると予想している。
ただ、誰もが今後の米景気後退やその影響を既定路線とみているわけではない。
UBSのストラテジストのルーカス・カワ氏は中国や欧州の経済成長減速といった今年の悪材料が来年は一部改善に向かうとし、資産価格は全般に支えられると予想する。「今年の向かい風が来年は追い風に変わっていく可能性はかなりある」という。
ナティクシス・インベストメント・マネジャーズのストラテジスト、ガレット・メルソン氏は来年は米経済が軟着陸するとの見方。「軟着陸への道は恐らく現在の予想コンセンサスより広い」とし、消費は金利上昇で抑制されるが壊滅はしないとみている。米小型株が既に景気後退を織り込み済みとして、投資に強気と指摘した。
https://jp.reuters.com/article/usa-stocks-weekahead-idJPKBN2SP0F5