はてなキーワード: 揉め事とは
私も一度言ってみたかった!って書こうと思ったら元記事消えてるじゃん。引用とかできなくなってしまったけど書きました。
10年前くらいまでニッチな業界でサポセンを10年務めてました。
大体はトラブル対応なので、お客様からの限られた情報で原因までたどり着くため聞き出す能力が自然と身についた感じです。
一応、傾聴のトレーニングは受けたことがあって、これから書くこと全てのベースになっています。
・傾聴とは
それらを掘り下げるとまたややこしい話になってしまうので、ここでは簡単に「共感」とします。
・聞き上手ってなんだ
私の思う聞き上手というのは、つまり共感上手だと考えています。
えー。なんか思ってたのと違うって人がいたら、ここから先は読んでも意味がないかも知れません。
確かにそうかも!って思えた人は先にお進みください。
なぜ共感上手が聞き上手なのかと言うと、大半の人は、話をするときに伝わっているか不安を抱えているからです。
私の体感では9割の人が話をするときに不安を抱えていると感じられました。
あくまで、不安を抱えているだけであって、不安が表面にあらわれているとは限りません。
断定表現を多用しているからといって、その人が自信に満ち溢れているかと言うと別の話です。
むしろ、不安を隠すためにあえて断定表現を用いる人のほうが多いのではないでしょうか。
いわゆる話し上手の人も、特に訓練でそれを培った人のほとんどが、自分の話が伝わっているかどうか不安を抱えていると言えます。
逆を返せば、伝わっているかどうか不安に感じるからこそ話し上手になる訓練を受けるとも言えます。
つまり、聞き上手の目的の一つは、この、伝わっているかどうかの不安に共感して、払拭してあげることと言えるわけです。
ちなみに残り1割の内訳は、相手に伝える意思がなく一方的に話し続ける人と、本当にただ単純に話をすることが大好きな人でした。
ここでは具体的なスキルを説明します。といっても、スキル自体は本当にシンプルで、誰にでもすぐにできると思います。
1.相槌
相槌です。それ以上でもそれ以下でもありません。
うん。とか、そうだね。とか、確かに。とか、なるほど。とかです。
バリエーションがあるに越したことはありませんが、うん。だけでも十分です。(サポセンのときは「はい」でした。)
まずは相手が話したいことを全て話させることが、共感にとってとても大事なことだからです。
「この人は自分が話したいことを全て受け入れてくれた。」
ただし、相槌をしていればよいというわけではなく、できる限り相手を見て、姿勢を正し、的確なタイミングでの相槌が大事です。
特に興味もない話に仕方なく付き合って適当に相槌だけ打ってたら相手の話がいつまでも終わらなかったなんて経験はある人もいると思います。
それはある意味では、正しい傾聴に近づいていたと言えるわけです。
ただ、これだけではただいたずらに話を長く引き出すだけになってしまいます。
残る2つのスキルを効果的に用いることによって、話の核心に迫ることができます。
2.伝え返し
聞き慣れない言葉かも知れませんが、伝え返しとは、相手の会話のキーワードを、こちらの言葉として相手に伝え返すことです。
例えば「聞いてよ!今日すごいことがあったんだよ!」と言われたとします。
ここで、相手に聞いてほしい内容とは何かを考え、その言葉を伝え返します。
ここでいうと、「すごいこと?」という感じです。
「最近、疲れが取れないんだよね」なら、「疲れが取れないの?」
「ちょっと辛いことがあってさ」なら「辛いこと?」などです。
難しく考える必要はなく、相手の聞いてほしそうな部分をただ繰り返すだけで十分です。
しかし、相手に聞いてほしいこと=話の核心へと近づくヒントだと考えれば、伝え返しを効果的に繰り返すことが核心に迫るための一番の近道であるとも言えます。
ちなみに、普段思わずやってしまいがちなことは、脊髄反射でのお説教です。
「会社辞めたいんだよね」に対し、「会社辞めてどうすんだよ。」
「最近、疲れが取れないんだよね」なら、「お酒のみすぎなんじゃないの」
「ちょっと辛いことがあってさ」なら「誰でも辛いのは一緒だよ」
こんな返され方をしたらそれ以上何かを話したいとは思えませんよね。
話をする側は、その話が受け入れてもらえるかどうか不安です。説教が帰ってきたら、この人には話が通じないとそれ以上話すことを諦めてしまいます。
3.質問
傾聴と聞くと、自分は何かを話してはダメだと考えてしまう人が多くいます。
しかしそんなことはなく、むしろ質問をすることで話がスムーズになることもあります。
例えば「会社を辞めたい」という言葉に対し「何?辞めたいって?何かあったの?」や「トラブル?何か揉め事とか?」といった感じです。
これでは話を聞いてもらえると言うよりは、コンテンツとして消費されてしまいそうな気になってしまいます。
聞き方そのものが大事といえる部分ですが、例えば「会社を辞めたくなるような事件でもあったなら聞かせてもらえる?」など、あくまで目的は共感であり寄り添うことであると伝わる聞き方をしましょう。
それ以外でも、話を理解するために疑問の解決を目的とした質問は一向に構いません。
話の途中で出てきた言葉や出来事そのものが理解できないままに傾聴を進めても意味はありませんので、「それって○○っていう理解でいい?」や「〇〇って言葉が理解できなかったのだけどもう一度説明してもらって良い?」などといった感じで、その時その時にできる限り理解しつつ進めていきましょう。
相手の話を聞く上で、やってはいけない3つのNG行動があります。
癖づいてしまっている人も少なくない内容なので、改めて見直してみましょう。
1.武勇伝
相手の話が始まると、すぐに自分の話に置き換えようとしてしまうことです。
特に、相手よりすごいとマウントを取ろうと、過去の武勇伝を話し始める人が多くいます。
男性に多いイメージかも知れませんが、女性でも割と多くいます。(体感は5分です。)
女性の場合は武勇伝というよりは「私だって」という切り出し方が多いという違いはあります。
いずれにしても、相手の話をすぐに自分の話に置き換えようとすれば、相手はそれ以上聞いてもらうことは無理なのだと諦めてしまうことでしょう。
2.無視、ながら傾聴
よく見られるのは、忙しいという理由で何か作業をしながら話を聞こうとする人です。
たとえそれで話が理解できていたとしても、最初に述べた通り話し手は不安なままです。
その都度リアクションが得られなければ、話を理解してもらえたという共感を得られることはありません。
3.「でも」
これについては本当にただの口癖になっている人がほとんどです。
たしかに、「でも」という言葉は、相手の言葉を遮り会話を自分のターンにするときに便利な言葉です。
しかしだからといっていつでも便利に使っていると、「でも」という言葉が出ただけで、相手は話を理解してもらえていないと感じてしまいます。
「ちょっと辛いことがあって」に対し「まあ、でもね、」と返ってきたらどうでしょうか。
・聞き上手の入り口
これだけでも相手は十分話しやすくなると思いますが、それだけでは聞き上手とは言えません。
大事なことは目的とマインドであり、なぜ聞き上手になりたいのかによって、ここから先に身につけるものが変わってきます。
キャバクラで多くの顧客をつけたり、インタビュアーとして様々な情報を聞き出したり、カウンセラーとして聞くことによって相手の内面の問題を引き出したりとするためには、別途専門的な技術の習得が必要になります。
しかし、ごく身近にいる人間との関係を大切にしたいために聞き上手になりたいという人にとってであれば、私からはこんな言葉を贈ることができます。
これは、傾聴のトレーニングを含む一連のセミナーの中で出てきた言葉ですが、その時から私の中で座右の銘になりました。
要約すると、「あなたが大切に思うその相手は、その人が大切に思うもので成り立っているので、その大切に思うものまでしっかりと大切に思うようにしましょう」ということです。
・「大切に思う」とは
ここで言う「大切に思う」というのは、何も「好きになる」という意味ではありません。
例えばあなたの大切に思う人が自分の嫌いな食べ物が好きだったとします。
傾聴を続ける中で例えばその食べ物が好きですか?と聞かれたとき、どう答えるのがいいでしょうか。
嘘をついて好きですと答えるのがいいのでしょうか。
それとも、そんなものは人間の食べるものではないと、説得を始めるのがよいでしょうか。
もちろん両方とも違います。
答えは、「自分は嫌いだが、それを好きだという相手を受け入れる」ということです。
言葉にするなら「私はたまたま好きではないけど、それを好きだということは素晴らしいことだと思います」といった感じです。(状況に応じてふさわしい言葉は変わります。)
食べ物くらいであればなんとなく理解できるかも知れませんが、例えばあなたの子供が良からぬ噂のある人間と付き合いがあったとしたらどうでしょう。
頭ごなしに「そんな人間との付き合いは辞めなさい!」と怒るべきか、それとも「あなたが言うなら大丈夫」と付き合いを無条件に認めるべきでしょうか。
しかし、ここで大切なことは、「好きと嫌い」や「いいと悪い」「その人との付き合いの大切さ」は、分けて考える必要があるということです。
「私自身はその人のことが好きではない。また、聞こえてくるその人の噂自体もよいとは思わない。ただ、その人との付き合いが大切だと思っていることは認める。そのうえで、今後どうしたらいいかを一緒に考えてみることはできないだろうか。」
もし自分が子供の立場として、こんな言葉を親に言われたらどう感じるでしょうか。
ただ単に、「ダメだ」「やめなさい」「認めない」と言われるより、自分なりにどうすればいいのかを考えられるのではないでしょうか。
私自身が過去、相手を大切に思う気持ちが伝わらなかったもどかしさのほとんどが、この言葉一つで解決しました。
聞き上手とは論旨が少しずれてしまいますが、今でも大切な話をするときには必ず心の片隅においている言葉です。
ただ、私が思う聞き上手な人は、この「相手の大切に思うもの」を見つけるのが上手で、そこから相手の話を広げて掘り下げてとできる人のようにも感じています。
そうしたマインドがあってはじめて、スキルをどのように活用すればよいかの答えが見えてくるのではないでしょうか。
ここまでの例は、わかりやすさを優先するために日常会話に置き換えましたが、なぜトラブル対応に傾聴スキルが必要なのかの説明をしておきたいと思います。
トラブル発生時の人の行動パターンは、大抵次のようなパターンに収まります。
トラブル発生→原因を予測→それに伴った解決手段を要求→責任に応じた補償を請求
ただし、問い合わせに来たときに最初に切り出してくる内容はバラバラで、人によってはトラブルそのものを問い合わせてきたり、原因から話し始めてみたり、解決手段や補償を要求してきたりします。
例えば相手が「新品交換してほしい」と要望を出してきたとします。
もし規定に新品交換がなかったとして、そのままここで「新品交換は規定にないのでできません」といくら説得しても無駄です。
なぜなら、相手は新品交換にふさわしいトラブルが発生していると思い込んでいるからです。
(もちろん、その一言で解決すれば最短ルートなので、一度は口に出しては見ます。)
ここで大切なことは、「相手が考えている、新品交換にふさわしいとする根拠になりえる原因に共感すること」です。
・相手の中では筋が通っている
相手のトラブルに対する思考パターンを図式化すると次のようになります。
これらは頭の中では一直線に並んでいて、その人にとっては筋が通っている内容なのです。
そのため、もしここで違う補償を提案したとしても、それは相手には筋が通らない話になってしまいます。
ここでいう「トラブル発生」の部分は比較的に視覚化されていることが多く、相手と自分とで共感しやすい部分でもあります。
こちらは相手の情報や機器の状況を元に原因にたどり着けたとしても、それが相手のたどり着いた原因と一致しているとは限らないのです。
「別に原因が一致してなくったってトラブルが解決すればそれでいいじゃないか」
でも実はそうじゃないんです。
あるお客様は、トラブルが解決しているにも関わらず執拗に補償を求めてきました。
お客様からヒアリングした結果、すでにお客様側の操作ミスによるものと判断した上で、むしろ本来ならば有償対応で然るべきものを無償で対応したような状況だったにも関わらずです。
その上で、補償できないことの説得を試みましたが、その結果、大事な顧客を失ってしまうほどまでに拗れてしまいました。
その件については今となってはたらればですが、そのことを大きく後悔した私は何が悪かったのかを徹底的に考えました。
そうしてたどり着いたのが「傾聴による原因に対する共感の欠落」でした。
しばらく後に、またも同様の状況に陥りました。
お客様側の操作ミスによるトラブルにも関わらず、執拗にこちら側に補償を求められる状況です。
いくら今回のケースに対して補償が釣り合ってないと説明しても聞き入れてもらえません。
そこで、補償に対する説得を諦めて、お客様側が要求してくる根拠について傾聴を試みました。
頭の良い方のようで難しい法律の言葉や理知的な批判の言葉が並べられる中を、かき分けるようにして原因について傾聴を続けます。
するとわかったことは、トラブルの原因がこちら(会社)側の責任によるもので、自分は補償を受けてふさわしいと考えていたことでした。
しかし、なぜ動かなくなったのかの原因の部分、とくにその責任の部分において大きく食い違っていたのです。
こちら側としては、恩着せがましくならないように黙って無償対応したという譲歩をしていた状況だと思っていたので、そのギャップに驚きました。
しかし、お客様の言い分を丁寧に聞き出してそこに共感した上で「実のところ今回に関してはお客様側の操作によるトラブルのため補償の対象外となります。」と説明したところ、「申し訳ない」という言葉とともに、すんなりと引き下がってくれたのでした。
この瞬間、もともとお客様の中で筋が通っていたはずの話が、傾聴により正しい原因に置き換わったことで、正しく筋が通る話に置き換わったのだと実感することができました。
お客様の要求には、それと対になる原因がある上で筋が通っている。
ならば、そのお客様を説得するには、ただ要求に対して可否を答えるだけでなく、お客様の考える筋が通っているとする話を傾聴して共感した上で、本来の原因を説明し、正しい筋道に軌道修正する必要があるのだということがわかりました。
(身バレを防ぐために色々とぼかして書いているのでわかりづらくて申し訳ないです。本来、そんな操作ミスでトラブルが起こるような製品ではありません。)
それならば最初から原因が違っていることを説明すればよいと思うかも知れません。
しかし、こうした責任問題については、お客様側が疑心暗鬼になっていることも少なくなく、まずは傾聴した上で信用を獲得してからでないと、こちらの言い分を理解してもらえないことのほうが多くありました。
つまり、「相手が原因に対してこう考えている」という部分までの傾聴なくしては、こちらの言い分は押し付けにしかならないのです。
これこそが、私自信が傾聴を行う一番の目的だといっても過言ではありません。
相手に理解してもらうには、まずは相手を理解することが不可欠なのだと言えます。
・思いがけない副産物
もちろん全てにおいてこれだけの時間コストをかけるわけにはいきません。
ある程度はマニュアル通りに対応をして最短ルートをたどりつつ、拗れそうな案件についは、無理やり近道をせず確実に手順を踏むという感じで使い分けていました。
これには思いがけない副産物もありました。
相手の言い分を理解して、こちらの言い分も理解してもらった上で、相手の要求が不当であると思えれば、それは間違いなくクレーマーだと分類ができます。
その時点でお客様からクレーマーへと分類が変わるので、当然その後の対応も解決から処理へと変わります。
残念ながらそうした当り屋的な人は一定数存在して、それ専用の対応なくしては身を守れないのも事実です。
ただ、誤解をもとにクレーマー分類してしまう件数は、傾聴によって激減しました。
その証拠として、私が受け持ったトラブル対応について、解決不能(要するに喧嘩別れ)については実に1/3以下まで減少しました。
・最後に
後半部分も気がつくと大ボリュームになってしまいましたが、まずはいわゆる普段の生活の中で、この人は聞き上手だなと私が感じる人の話を実経験をもとにまとめてみました。
もちろんもっとすごい聞き上手の人も沢山いるし、そのためのスキルも沢山あることでしょう。
「大切に思う人がいるのに気持ちを汲み取ることができない。」
自分が今まで仏教に触れてきていいなって思うところって、この世は生きている人のためにあるっていうのが大前提として成り立ってるところなんだよな。
死者には死者の世界があって、その中でよろしくやってるから生きている人は気にすることないよって考え方。
つまり、生きている人が死者のために犠牲になる必要はなくて、亡くなった人は生きている人が元気でいてくれることを一番に願っているよっていう考えが根底にある。
そのためにお葬式をして、ちゃんと送り出されたんだよってことを生きている人たちに見せるようになっている。
だから死者に失礼だとか言い出す人間は、むしろ死者をしっかりと送り出せてないし冒涜しているって言えてしまう。
そりゃそうだ。自分が死んだとき、自分が原因で家族の仲が悪くなったら最悪だよ。
そんなこと望んでないし、俺の死をお前らの都合のいい言い分に使うな!って死んでも死にきれなくなるよな。
だからこそ、生きている人たちにとってその死をどう解釈するのが一番よいのかって考え方が仏教には揃ってる。
それを知らないで死者に失礼!とか死者の代弁をしようとする奴は、死を自分の都合のいいように私物化しようとしているだけだって簡単に割り切れちゃうんだよな。
ここが仏教の一番すごいところだと思うよ。
信仰が薄れて形ばっかりが残ってしまうと揉め事も増えてくるんだろうけど、考え方の一つとして宗教を学んでおくことは割と大事だよな。
リウムの色で揉め事はデレでは聞いたことないな ミリならある(ライアー・ルージュ)
全曲UOグルグルマンとか落ちサビUOマンのことかもしれないがそれもデレに限ったことじゃないしな
ライダーベルト集団は見たことある 南条P多いなと思っていたがどうも違和感があった
外出するための精一杯のおしゃれな格好をした結果ああなっているらしい 理解できないししなくていいと思う
デレマスって界隈として異常じゃない?
「〇〇ってアイドルが〜」「この組み合わせ、〇〇ってユニットで〜」って他のPにダイマしないと認知されてないのかなりおかしいよね?(まあここはアイドル数多すぎるのが問題だけど)
ライブでもライダーベルト付けてるやつとかいるしリウムの色で揉め事起きるし、正直自分勝手なこどもおじさんばっかじゃない?
結局自分の担当が良ければそれで良い、他アイドルはモブって人多いんじゃない?
担当がメンバーにいる曲に「声あってないし要らない」ってコメント来たときは流石に凍りついたよね。
あと良くわかんないけど他アイマス嫌いな人多いよね、ミリシタはセルラン何位だけどデレステは〜とかライブやれてるのはデレだけだから他は〜、とか。
自分達の好きなコンテンツの良さで語れないの?他と比較しないきゃ良さ見いだせない程度なの???
勘違いして欲しくないのは自分はデレマスのアイドルも曲も好きだよ、嘘偽りなく。
ただ自分が好きなものとか自分の理想を人に押し付ける""アイドルマスターシンデレラガールズに真剣なプロデューサー""達といるのが息苦しくて仕方ない。
ここまで読む人もいないだろうけど魔法かけられてるのはアイドルじゃなくて、自分達かも知れないから気をつけてね。ほんとに。かけられた魔法が解けた時に後悔ない事を切に願うよ
今話題の共感性について、配偶者がまさに共感性の欠如的面を持っているので勝手に語る。
この話は傾向について述べるのみで特にオチや結論はありません。
当初ホットエントリした話題については、ツイ主が癇癪を起こす点が問題であったと思う。
癇癪を起こす事が無ければ、それは多様性だよね的な。
ただ、なぜこれだけ話題になっているのか?という点において、私なりに推測するに
共感性の欠如した人間と共感性に富んだ人間が親密になる事が多い
からではないだろうか?
文頭に話が戻るが、私の配偶者も恐らく共感性の欠如が見られるタイプの人間だ。そして私は共感性の高い人間だと思う。
そして夫婦喧嘩がとても多い。ホットエントリしたような内容でよく揉める。
恐らくこのタイプの人間が親密になると揉める可能性が高い。求めるコミュニケーションが違うからだ。
ならば揉め事を起こさないためには一緒にいないほうがいいのでは?と思う。だが皮肉なことにこの組み合わせは親密になる事が多い。
共感性の高い人は人と話す時、相手から話しかけられた内容を理解しましたよという前置きをつけた上で自分の感想まで話す。
共感性の低い人は、相手への説明が上手くないので(相手の立場に立った説明ができない)
自分の話した話がうまくまとめられていたり、イエスノーで答えられる程に情報を与えてくれる共感性の高い相手に好感(もしくは居心地の良さ)を感じる傾向にある。
共感性の高い人間は、基本的に与える情報量が多い。理解したことを伝えよう、自分の感じた事を伝えようとするからだ。
この行動は、当然ながらまどろっこしく感じる人間もいる。端的に話してくれ、と言われる例がそれだと思う。
相手の理解を求める事が念頭にあるのではなく、聞かれたことに回答する、結果をアウトプットする事が彼らなりの表現だからだ。
これに対し、だからどうしてそうなったの?結果だけじゃわからない。と言われる例が、このようなタイプと噛み合わない人間だ。
こう考えると、両者はお互いに補完し合えるのだ。
共感性の低い人からすれば、情報量が多いと回答しやすいと感じるし
共感性の高い人からすれば、自分の長くなりやすい話題に最後まで付き合ってくれるなと感じる。
だから、浅い付き合いでは仲良くなりやすく、次のステップへ進みやすい。
だが深くなってくるとこうはいかない。
共感性の高い人は、どうして私を理解してくれないのか、冷たい、何を考えているのかわからない、と感じるようになるし
共感性の低い人は、あなたのように上手く自分の気持ちを表現できない、これが自分の限界だ、となる。
今もって私がその渦中にある。
どうしてこんなにわかりあえないのに惹かれあってしまうんだろう。どうすれば分かり合えるようになるんだろう。
うちの夫婦はもう夫婦として限界かもしれません。こんな夫婦多いんじゃないかな、なんて思ったので思ったままにかいてみた。。。
電車に乗っていると、男性の声で「暴力はやめて下さい」という声が聞こえてきた。
声のする方向を見ると、若い女性が隣に座っている中年男性に対し不自然に肘を押し付けて「狭いんだよ、あっちへ行け」というような事を言っている。
一瞬、痴漢行為でもあったのかな?と思ったが、男性は両手を膝の上の鞄に置いてただ座っているのみで、不自然な動きはない様に見えた。
若い女性のイライラは徐々にエスカレートし、次の駅に停車してドアが開く頃には激しく肘打ちを連打し、しまいには足の裏で蹴りを放った。中年男性は「暴力はやめてください」などと極力丁寧な対応に徹していた。
すると他の乗客から「お2人とも降りていただけませんか!」と声が飛んだ。ただ、それを言った人は揉め事の現場から半ば背を向ける様な方向で立っており、現場の状況があまり見えておらず、声ばかりが聞こえていたのではないか?
揉め事があった時に安易に「喧嘩両成敗」にして、とりあえず両者とも排除するという風潮はあまり好きではない。
車掌がやって来て両者に下車するようにお願いした。中年男性の方は渋々従ってホームへ降りて行ったが、私の目には被害者にしか見えなかった。
一方で肘打ちや蹴りを繰り出した若い女性は車掌のお願いを頑として拒否し、座り続け動かない。電車は停車し続けている。
痺れを切らした他の車両の乗客がやって来て車掌に「この電車いつ動くの?」と聞いている。
事の始終をちゃんと見ていた別の乗客は駅員や車掌に中年男性は被害者であり若い女性が一方的に暴力を振るっていたことを説明していた。
やがて婦警がやって来て再度この若い女性の前にしゃがみ込んで「降りていただけませんか?」とお願いしたが、女性は石のように座り続けて動かない。何か理由がっあたのなら(勿論、だからといって暴力行為は許されるものではないが)婦警に話せば良いのに、「降りません」などと言うのみで、あとは無言である。この間も電車は延々と停車し続けている。
電車が止まって数十分ほど経って、「後続の列車が反対のホームに参りますのでお客様はそちらにお乗り換えください」とアナウンスがあり、私を含め乗客は後続列車に乗り込んで行った。動かない電車に1人居座り続ける若い女性がその後どうなったのかは知らない。
半年くらい前、Twitterがクソウザくなったから、高校の友人だけフォローしてた5年ものくらいのアカウントを思い切って消した
友人の推しの話とかコスメとか音楽の話を見るのはめちゃめちゃ楽しかったし好きだったけど、時折トレンドに上がるジェンダー関連の揉め事や腐女子の学級会を見るのは嫌だった
だんだん推しとか音楽とかの見てて楽しい話をする機会は減って、ジェンダーの話やら学級会もどきを頻繁にするようになったのがマジで嫌になったからTwitterやめた
最初の3日間くらいはTwitterのない生活がクソしんどくて暇でしょうがなかったけど、今までこの時間をTwitterとかいうクソサービスに溶かしてたと思うと悲しくなった
アンチフェミのキモツイもクソフェミも見ない生活、め〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ちゃめちゃ精神が健康かつ快適になった 自分でもびっくりした
もう白饅頭とかすもものツイ見てゲェッってなることもクソフェミの訳わかんねぇツイ見て頭抱えることも、アンチフェミとクソフェミのセックス見て疲れ果てることもなくなった
友人と半年も連絡取らないのは初めてだから寂しいけど、Twitterを見ないことで得られる快楽がやばすぎるんだわ 健康で文化的な生活すぎる
そういえば、高級スポーツカー乗り回してパトカーに追われて暴走して人轢き殺したジャンキー女って何だったんだろうな
市営住宅の母子家庭?で裕福とは言えない家庭だったみたいだけど、成績は優秀な方で、明治大学の法学部に折角受かったのに大学デビューを間違えたんだろうか
司法試験を目指すわけでもなく、大学時代からヤクにハマって、住んでる市営住宅でも近所と揉め事や警察沙汰起こしたり、
流石の自分もああいう何のメリットもないことをやる人間の気持ちがまったく理解できない
ネクロフィリアとか特殊な性癖でなくても死体をバラバラにすることは普通にある
旦那のDVに耐えかねて殺してしまったセレブ妻も遺体をなんとか隠そうと思ったが、旅行のスーツケースに旦那が入らなかったため遺体をバラしていた
キモいとかグロいとかそれ以前に、屠殺なども同じだが、バラすというのは非常に体力、労力、精神力を消耗する作業だ
座間の犯人が自慢気に、人間の死体はバラすと臭いので食えないと言っていたが、それは他の動物でも同じではないだろうか
週刊誌の記者との面会から感じる、彼のその自慢気な態度が個人的にはどことなく気に入らないのだが、
最近は流石に変わってきているだろうが、被差別部落と呼ばれるような人や在日朝鮮人が普通の仕事に就けないため屠殺をしていたのはそういうことを含んでいる
座間の犯人は筋トレが趣味だと言っていたが、かなりの体力バカではあるのだろう
どんな殺人犯であれ、猟奇的連続殺人犯であれ、死体の分解にはかなりの体力を消耗するはずである
つまり、その体力消耗というコストと、当然警察に逮捕される社会的ダメージを受けるなどのリスクと、リターンとしての金銭などが釣り合う必要がある
そうでなければ犯罪に手を染めようという気にならない
シャブもギッハブの陰謀とか言ってる歌手から考えると自分にはメリットがないように思える
ヤクの売人は基本的に自分の売り物であるヤクはやらないものである
商売の基本であろう
anond:20201208155032につくブコメを読んで思い出したことをダラダラ書きます。個人の思い出話です。
都内だが勉強ができる地域ではなく、治安の良い地域でもなく、学校も少し荒れていたかもしれないのでブコメで言うところの動物園に該当すると思う。
窓ガラスが割れることもあったし、喧嘩で転校させられるやつもいたし、鑑別所に行った子もいっぱいいた。少年院送りはうちの学年では1人だけだったかな。
当時の私はおそらく浮いていただろう。勉強その他諸々が得意だったので先生たちにはだいぶ贔屓されていた(そういうの嫌いなのでよく揉めていたが)。
漫画とか西尾維新とかも好きだったので、いわゆるオタク(当時いじめのターゲットになっていた層)とも普通に仲良くしていた。
でも自身がいじめられたことはないのは、おそらく幼馴染のヤンキーかぶれがずっと遊んでくれていたおかげもあるんだろう。
私が揉め事に巻き込まれそうになったときは「増田のことは俺が守る!」とかいって相手を返り討ちにしてくれていた。暴力よくない。
あとから思えばそうやってからかう遊びだったのかもしれないが、私は鈍感なので問題ない。とにかく誰からも目立ったいじめをうけず、3年間楽しく中学校に通えた。
高校はばらばらになった。私は少し離れた公立の進学校に行き、友達は地元のヤンキー校に進んだ。1年生の5月に「高校やめた!」って言われたけど。
今はお互い社会人で、相変わらずバラバラな生き方をしている。私は大企業の正社員、友達は土方仕事をしたり警察のお世話になったり。
近所に住んでいるので、たまにすれ違ったら未だに「元気そうだね」とか「お互いまだここにいるんだね」とか、そんなどうでもいい会話をしている。
そういえばつい最近、ヤンキーじゃない中学の友達と会った。おとなしくておっとりした可愛い雰囲気で、当時みんなから愛されていた女の子。アムウェイの勧誘された。
帰り道にヤンキーに会った。「おっす増田!なんか雰囲気変わった?」って言われた。そうかな、ヤンキーは変わらないね、って返した。
変わってしまったあの子にショックを受けたところだったので、変わらないヤンキーの態度にとても安心したことを覚えている。
世の中では悪しざまに言われる窓ガラスを割る系ヤンキーたち、確かにフォローしようがないこともやってるけど、彼らに救われることもあるし、一緒に学生生活を送れてよかったと思っている。
結局自分の見てきた世界しか知ることができないからどこまでいってもn=1だけど、私は公立出身でよかったなあ。人生恵まれている。
※追記
気付かないでぶつかるのはしょうがないし、お互いに一言すみませんで済む。多くの人もそうだと思う。
これはそれとは別の話です。
追記終わり
※追記
ブコメを読んだが、避けずに「停止する」は人混み避け界隈では常識すぎるテクニックです。
ただ、人の流れが一定化している場合は後ろの人がぶつかってくる事があるのであくまで「初歩」でしかありません。あまり混んでいない状況でしか使えないです。自分が避けた結果別のぶつかりを発生させるのでは本末転倒です。
あと「ぶつかってくる女」はこちらが停止してもそのまま直進してきて、目の前で迷惑そうな顔をしてから方向転換します。
追記終わり
この増田に関して。
https://anond.hatelabo.jp/20201205155542
初めに書いておくが、女性叩きが主眼ではない。
正直、女性叩きに利用されるようなことも書きたくない。
しかし、道を避けないでぶつかってくる女性は本当に多い。多すぎる。
長年この問題にイラつき、またそのイライラを周囲に漏らしてもなかなか共感されなかったため、ここに書きます。
今では徹底的に避けるが、それ以前のぶつかられ頻度は、こちらがそれなりに避けていても二週に1回はあった。大半が「ぶつかってくる女」である。
元増田では「仮説3: 女性は避ける気がない/避けるという選択肢をハナから持っていない」という仮の結論が示されている。
これはその通りだと思う。真実と言っていい。
ありがちな「空間認識」や「スマホ歩き」を却下している点も、ちゃんと見て考えている人だと信用できる。
もし女性の空間認識が他人を避けることもできない程度なら、女性が集まる空間は事故だらけのはずである。
※追記
よく「相手を見下してるから避けない」という言説を見るが、「ぶつかってくる女」は違うと思う。自分は大柄で一重まぶたで眉が薄く、髭も生やしている。
この場で思いついたことを言えば、「避けない」「ぶつかる」のはある種の甘えが生む行動なので、「大柄」な相手にも構わずぶつかるのではないだろうか。
傍目にも明らかに自分より強い相手だからこそ反撃はあり得ないと打算しているというか。
繰り返し断っておくが、一部の女性の話であり、全ての女性が甘えているという話ではない。
追記終わり。
ブコメでは「身長が低くて周りがよく見えないから」という話も出ていたが、正直、人混みエアプなんかと思ってしまう。
避けない女性(すべての女性じゃないぞ)は、遮る物のない正面同士で行き違う時でも、避けようとしないのだ。身長は関係しようがない。
目が合っても、避ける素振りすら見せない。進路も変えず、体もそらさず、歩調も緩めずにそのまま突っ込んでくる。
ギャグ漫画なら「俺に気があるのかな?」となるくらいにまっすぐこちらへ向かってくるのだ。
この現象を目の当たりにした経験がないと想像ができず、「自分がうっかりぶつかってしまった」時のイメージしか持てないのかもしれない。全然違うものなんです。
普通に相手を避ける人々にとっては信じられないだろうが、相手を目視確認しつつ、一切避けようとしないのが「ぶつかってくる女」なのだ。
ただ、これなどはまだいい方である。(どう考えてもよくないが)
元増田には書いていなかったが、かなりの確率で「わざとぶつかってくる女」が存在するのだ。
といってもニュースになったような、「女性を狙ってぶつかる男」的な異常者よりの人間とは少し違う。
「わざとぶつかってくる女」は人混みですれ違わざるを得ない状況になったとき、こちらが「0.7よけ」すると、「1.0よけ」でないことが不満なのか、そのまま直進してきて肘などをぶつけてくるのだ。
勘違いだと思う人もいるだろうが、力を込めた肘とそうじゃない肘の違いはわかる。人体が偶然ぶつかったのとは違う、異物がぶつけられた痛みだ。筋肉の狭間にあたると、かなり痛い。
最初は自分も戸惑ったが、何度か経験するうちにわざとやっているのだと把握した。
しかしそのときはまだ意図が理解できなかった(揉めたら力負けするのは女性だ)ので、ぶつかられた時にあえて自分から謝って反応をうかがってみることにした。
ちなみにこれだと、こちらから当たりにいったように受け取る人間がいるだろうが、もちろんそれは違う。ぶつかられるのが嫌で普段は「1.0よけ」していた所を「0.7よけ」にしてみただけである。
(無論、ちゃんと避けてくれた女性も大勢いたことは書いておく。そちらが多数派である)
一瞬罪悪感の表情を浮かべる奴と、知らん顔で無視する奴、あとは白々しく大声で(決まって大声なのだ)「ごめんなさ~い」という奴だった。
軽い罪悪感の表情からは、おそらくこちらが「1.0よけ」して差し上げなかったことに対する瞬間的なムカつきをその場の肘鉄で晴らしてるんだろうと察した。
知らん顔の表情からは、そもそも「揉め事にならないと思っている」「なっても被害者ぶれるようにしている」のだろうと察した。この表情は本当にムカついた。
大声で「ごめんなさ~い」という奴は、もう救いようがないなと色んな意味で察した。
いずれにしてもろくな人間じゃないな、と思った。むなしかった。
こういう風にパターン化できる程度には、「わざとぶつかってくる女」に遭遇しているのだ。(どれだけ多いんだよ)
元増田には「問題にする意味を感じない」などというコメントもあったが、「わざと」だけでも自分がこんなに体験しているのだから、意味は大ありだと思う。
あと、「自分が避ければいいだけ」とか言うやつ、こっちは普段から避けてるからな。
もうそんな嫌な思いをしたくないから「2.0」、なんなら「3.0」よけてるから。それでも障害物や他の人の流れなど、どうしても避けられない状況はあるのだ。
そういう時でも「ぶつかってくる女」は平気でぶつかってくる。
※「ぶつかるお前の方にも問題がある」と言ってくる人もいるでしょうが、元々「人とぶつからないように気にかけて歩いている」のだ。人の流れを乱さず中高年や老人を避けるのはお手の物だし、花火大会などよほどの人混みでない限り男性とはぶつからない。問題があるならこちらが知りたいくらいである。
理由はわからないが、ぶつかりに来る奴を寄せ付ける雰囲気というものがあるのだと思う。ちなみに体格は大柄な方である。
※「話に夢中で気づかないでぶつかる」人は、ぶつかった瞬間に「あっ」という反応をするのでわかります。本当に不意の衝撃で発声が飛んだり、黙ったり、一瞬遅れて文句を呟いたりします。
瞬時に痛そうな表情をするのは、「事前にぶつかることが分かっていた人」です。
※元増田には男女の体重差の話がありますが、0.7よけの状態で肘をぶつける場合、角度を調整して掠る、擦るように当てれば相手の質量を受け流せるので、体重差はそこまで問題にならないのだと思います。ただ、やられたこちらは十分に痛いです。
男同士肩がぶつかったら殺し合いの合図ですよ
令和にもなってそんなことを?と言われるかもしれないけど、こればっかりは本能に染み付いた鉄の掟。
江戸時代に刀の鞘同士がぶつかれば切られても文句を言えないのと同じ。
その時代の名残なんじゃなくて、本能的なものがその時代にそういう形としてルール化されただけに過ぎない。
かといって相手に道を譲るということは戦う前に負けを認めているようなもの。
そうして導き出された、無用な戦いを避けつつ、男としての負けを認めるでもない距離が増田のいう0.7人分という距離。
しかし全員がそういうわけでもない。そこには腕力ヒエラルキーに比例した距離感が隠されている。
1以上:弱者。そもそも道の真ん中を歩かない。危険人物に対して過敏に反応してそもそもぶつかりそうな位置に近づかない。
0.9~0.8:慎重派。怯えるほどでもないが常に遠くまで見通している。その分女性のこともよく観察しているむっつりスケベ。筆者はここ。
0.7~0.6:もっとも一般的な距離感。この距離感同士だとぶつかることはまずない。ただしスマホを見ていると反応が遅れて0.3~0.5に陥りやすい。
05~0.3:腕力強者。男性的自信に満ちあふれている。全員にぶつかるわけではないが、ぶつかってきた相手には容赦がない。
0.2~0.1:危険人物。もともと揉め事が大好きか、たまたま虫の居所が悪い人。こちらにどれだけ正義があったとしても近づいていいことはない。
0:ヤバイ人。ありとあらゆる意味でヤバイ人。故意だろうが過失だろうがぶつかって損をするのは自分。ぶつかってくるおじさんもここに分類される。当然ぶつかってくるほうが悪いが、批判してなくなるものでもないので、自分から避ける以外に避ける方法はない。
それに対して、女性は基本的に0.3~0.5までしか避けない。どうして私が避けなくちゃいけないの?という顔で平然と直進してくる。
これはやはり、ぶつかったときのリスクがぶつかった衝撃だけであるのと、命、もしくはときに命よりも重くなる男としての名誉というものに関わってくるかの違いだと思われる。
増田が書いたと通り、0.7避けているのに女性が避けずにぶつかってきたとき、いらだちを表現してしまうことは確かにある。
ただそれは、こっちがこれだけよけたのに!という気持ちより、お前それ男同士なら殺し合いだよ?という気持ちが強い。
ただ、女性が女性として大変なように、男は男で人生のこんなどうでもいい瞬間にも男が試されなきゃいけないストレスの多い人生だということも知っておいてほしい。