はてなキーワード: 婦人科とは
30代になって初めて婦人科検診に行った。
子宮がん検診と、乳がん検診をした。受付で注意事項を読んでいたら「以下の場合は子宮頸がん検診を受けられません」の中に、「性交経験のない方」とあった。私は経験がなかった。しかし、当日までに渡された書類の注意事項には確かこんなことは書いていなかった。念のため受付に「すいません、これに該当するんですが」と言うと、そんな事あるの初めて見たみたいな戸惑いの対応をされた。ここでキャンセルするか保健師と相談するかと聞かれた。受けられないと明記しているし、同じ説明したくないし、検査もイヤだったので「じゃあキャンセルで」と即答した。
なぜ子宮頸がん検診が受けられないかというと、セックスしてなければ子宮頸がんにかかる可能性が極めて低いから検査する必要がないらしい。そりゃそうか。セックスもしてないのに器具で細胞取るとかやだなーと思ってたが、よく考えたら検査する必要ないか。
乳がん検診は超音波でやるやつで、ぬるぬるを塗って器具を当てるだけで終わった。板で挟んでぺっちゃんこにする検査は、「めちゃくちゃ痛いから30代は超音波で十分」と言われた。しかも繰り返し言われた。よほど痛いのか、痛いだけじゃないデメリットもあるのか、とにかく親戚に乳がんはいなかったし言う事聞いとく事にする。
あっさりと終わった。
増田は「50歳の時」と書いているので少し昔の話なんだと思う。
今はホルモン療法が確立されているから更年期??と思ったら即婦人科へ。
エストロゲンジェルやパッチを入れれば一週間もすれば嘘みたいにホットフラッシュは落ち着く。
先輩や友達の話をよく聞いて理解を深めて40過ぎたら通いやすいところでいい医者を探すことをおすすめしたい。
しかし、50歳の春、私は更年期障害になった。正直、更年期障害なんて大したものではないと思っていた。
更年期障害は私の人生を大きく変えてしまった。 家族、友人、多くの人を傷つけ、大切なものも多く失った。
でも周囲の粘り強い支え、幸運な出会いもあって、何とか克服ができた。今では元の幸福を取り戻すことができたと言える。
更年期障害は心身共に症状が現れる。それゆえに知識がないと混乱をしてしまい、治りが遅くなるばかりか、周囲の人を傷つけ更に自分自身を追い込むことになる。
そう思うことが沢山ある。
それを今更年期障害に悩んでいる人に伝えたくなった。
興味があれば読んでみてください。
私は昔から特に見た目、賢さに恵まれたわけではなかったが、健康だけには自信があった。風邪らしい風邪は引いたことがないし、入院したことも出産のときぐらいだ。
子供を産んだときもあまりにあっさりと産んでしまったので、主治医が若干苦笑いをしていたほどだ。
そんな私は、当然、華やかな人生を歩んできたわけではない。しかし女性としての普通の幸せは手に入れることができているという満足感はあった。
私にはもったいないくらいの優しい夫、26歳の長女は嫁ぎ、23歳の長男は社会人に。子供が自立したのと、夫の定年退職もあと数年に迫っていたので、「老後ものんびり楽しく過ごしていこうね。」と仲良く話し合っていた頃だった。
その変化は突然やってきた。
最初に異変を感じたのは3月、事務のパートに行く電車の中だった。
暖かくなってきたとはいえ、その日はさほど暑い日ではなかった。
午前10時、電車の中は通勤ラッシュも終わって混雑はしていなかった。それなのに顔がほてり、汗が止まらなかった。私はそんなに汗っかきではないはずなのに。
「なんだろう・・・」
不思議に思いながらもその場は特に深刻に考えることもなかった。
だが、職場に着いても汗は止まらない。クーラーの効いた室内でみんなが涼しそうにしているのに私だけは暑くて汗がでてしまう
一瞬そう思ったのだが、仕事が忙しかったため、その心の声をなんとなく流してしまった。
この判断が私を長い苦しみの追いやったのかなーと今でも後悔している。
汗の症状はその後も続いた。
特に夜に暑くて目が覚めてしまうことは辛かった。パジャマやシーツが汗で濡れて冷たくて目が覚めたこともあった。
汗だけであれば慣れてしまえばどうってことはなかったのだが、1ヶ月経つ頃から別の症状も出るようになった。
朝起きるのが辛く感じるようになった。起き抜けから身体がだるく、軽いめまいもあった。なにより気分が重い。仕事に行きたくないな-と思い休んでしまうことも増えてきた。
家事に関しても大好きだった料理もする気がおきず、惣菜を買って帰ってしまうことが増えた。 掃除も洗濯も苦痛になり週末まで溜め込んでしまう日が続いた。
これまで主婦としてしっかり家事をこなしてきたことには自負があったので、そんな自分が許せず、罪悪感でいっぱいだった。
そんな心身ともに不安定な時期が続く中、 あの事件が起きてしまった。
さすがの夫も家事が以前のように行われていないことに気がついたのだろう。
「最近家事があんまりできてないみたいだけど、何かあった??」
心優しい夫は気遣いながらもそう聞いた。
夫は優しく聞いているだけだっただろう、ただ罪悪感に追い込まれていた私は夫に対して怒りを露わにして
「何にもわかってないくせに!私を追い詰めるの!!」
と大きな声をあげてしまった。
私が感情的になることなんて結婚してから一度もなかった。昔から気が長い方で怒ることなんて滅多にない。ただこのときの私は感情までコントロールできなくなっていた。
夫の驚いた顔が今でも忘れられない。
ケンカ一つしない、互いを尊重し、問題は優しさで解決するそんな関係を長年続けてきた。でも、その大切に育んだものに大きなヒビが入ってしまった。そう思った瞬間だった。
すぐにフォローをしなくては。そう思うけど心が追いつかない。 一体わたしはどうなってしまったのか。
夫はそう言ってくれるけど、私は認めたくない気持ちがあった。
夫は最も信頼できる人ではあるけれど、異性ゆえに相談しにくいこともある。特に心や身体のことは打ち明けるのに抵抗があった。
とはいえ、私にも明らかにおかしいという自覚はあった。けどどうしたらいいかわからない。追い詰められていた私は遂に親友に相談をした。
大学の同期の加奈子だ。大学を卒業してからも定期的に会い、今でも家族ぐるみの付き合いをしている。私の全てを話すことができる唯一の人。それが加奈子だ。
私は加奈子にこれまで起こった全てのことを打ち明けた。
「それって更年期障害じゃないの??」
今まで、病気一つしたことが無い私は、正直更年期障害と言われてもピンと来なかったが、加奈子の言う典型的な症状と私のそれを照らしてみると、確かに当てはまることが多い。
実は加奈子も昨年に経験をしたという、加奈子とは3ヶ月に一回は会っているのに全然気が付かなかった。
「私は軽かったというのもあるけど、職場の友人が更年期障害を疑ってくれて、早めに対処できたのが良かったかもね。まさみも早いうちに病院に行ったほうがいいよ。更年期外来ってのがあるから。」
友人の話というものはすんなり入ってくるもので、すぐに病院を探し、近くの婦人科に足を運んだ。
その医師によると、更年期障害は一般的に2から3年続き症状が収まることが多いとのこと。
「これが2,3年も続くのか」
この医師はHRTという療法があると提案をくれた。しかし、あまり病院に慣れていない私は、なんだか大掛かりな治療のように感じ少し抵抗感があると伝えた。
それであれば漢方という方法もあるとのことなので、まずは漢方治療から行うことにした。しばらく加味逍遥散喉、半夏厚朴湯、大防風湯、抑肝酸、を服用し様子をみた。
しかしながら、3ヶ月経過しても、だるさ、めまい、気分の重さに関しては改善がほぼなかった。これでは辛い生活は続くばかり、夫に対しても感情的になってしまうことが多くなったため会話も減ってしまった。
娘、息子への連絡も減ってしまったし、たまにする電話でも以前より感情的で口うるさくなってしまったのか、前ほど家に寄り付かなくなってしまった。
私の世界がどんどん狭くなり、壊れていくような感覚に包まれていった。居てもたってもいられなくなった私はまたも加奈子に相談した。
「加奈子は何で治したの?」
以前はなんとなくプライドが邪魔して具体的な治療までは聞けなかったが、今度は率直に聞いた。
「私はHRTをやったんだけど、あんまり改善しなかったんだ。軽度だったというのもあって大豆製品を中心に食べる食事療法をやってた。途中からちょっとエクオールのサプリメントも飲んだよ」
漢方にも改善はみられなかった。HRTはやはり抵抗があったので加奈子と同じ治療を選択した。
私は加奈子より症状が重いように感じたので、食事療法を中心に最初からエクオールのサプリメントも服用した。
友人同士体質が似ているというのはないだろうが、この選択は私にとって正しかった。
効果はわりとすぐに現れた。約2週間程度でずっと持っていたイライラ感が少しずつ減ってきた。それに伴い感情のコントロールができるようになり、夫との会話の回数が増えてきた。
1ヶ月経った頃には身体のだるさが改善してきて、家事に対して前向きになれた。
掃除は軽くではあるが毎日、洗濯は週2程度、料理は週に1度くらいしか作れなかったが、簡単なものなら毎日作ろうという気分になってきた。
一度改善の兆しが見えると気分は晴れやかになってきた。治療に対してどんどん前向きになって大豆食品を多く取り入れた食事を調べたり、エクオールに関する知識も積極的に仕入れ、よりよいものを探すようになった。
そして、3ヶ月目には、ほぼ以前の私を取り戻すことができた。
休みがちだった職場の方々も理解をしてくれて、職場にも以前のスケジュールで復帰することができた。
家事も以前のようにしっかりとこなせるようになった。夫も私を気遣って家事を身に着けてくれたので、以前より2人で一緒に家事をやるようになった。
夫との会話も以前のように弾むようになり、信頼関係も戻ってきたように感じた。夫も私が更年期障害であることは理解してくれていたようで、
「症状が収まろうが収まるまいが、ずっと寄り添っていくつもりだったよ」
と言ってくれた時には思わず大泣きをしてしまった。この感情の動きは更年期障害によるものではないと今では確信できる。
結果的に私は友人の進めた食事療法+エクオールサプリメントの民間療法で幸い比較的短い期間で更年期障害を乗り越えることができた。
自分の心と身体が思い通りにならない約半年間は本当に苦しかった。
周囲も理解はしてくれるけど、気持ちが離れていっていることはわかる。その孤独感が特に辛かった。どうにもできない自分も本当に歯がゆかった。
私が今も後悔していて、あなたに伝えたいのは、一つだ。
ほてりを感じる日が続く、気だるさ、気分の重さがなかなか抜けないといった症状を感じたら、すぐに更年期障害かな?と疑い病院に行くべきだということだ。まずは更年期障害であるということを理解してほしい。
もちろん私に効果のあった治療があなたにとってベストだとは思わない。HRTを受診したほうがいい場合もあると思うし、漢方が効くこともあると思う。また他にも治療法があると思う。
なので、どんな治療でも良いと思う。開始することで前向きになれるし、意外と周囲の理解も得られる。更年期障害は早い人は30代後半から、誰もが抱えうる問題であって、決して恥ずかしいものではない。
一人で抱え込んで、症状が悪化し、周りに迷惑をかけることが、孤立を招き更年期障害を非常に辛い病に変えてしまう。
病院が嫌だということであれば、気軽にカウンセリングを行ってくれるNPO法人もある。まずは更年期障害であることを疑い一歩を踏み出してみて欲しい。
私はいちばん大事な家族という存在を失ってしまう寸前まで精神的に追い詰められてしまい、本当に苦しい体験となってしまった。
この体験談が役に立ってくれることを願っている。
ゴムが無くなった。
おかしい。私がちゃんとつけたはずなのに。
それも2度目。
でもそこには生ちんがあるだけである。
ねぇ。ちょっと指突っ込んで探してみて。
ごそごそごそごそ。
あっ。
どうやったらこんなになるんだ。
愛を育んでいるんだ。
そういえば。
1度目に無くなったゴムはどこへ行ったんだろう。
役目も果たさず、中折れしたのをいいことに。
だめだ。気になり出したらずっとゴムがある気がしてくる。
会社の席で課長も営業もいないお昼時に目を血眼にして婦人科の予約をした。
診察の結果。
わたしの膣には何もなかった。
医者はおっさんだったけど、ゴムが消えたなんていっても顔色一つ変えずにじゃあ見てみましょうと言ってくれた。
診察台も怖くなかった。
あいつはどこに行ったんだろうか。
中学生まではオタクで小デブで捻くれた性格を前面に出して生きていたので、不適応を起こした高校以降は生き方を改めようと過剰適応の良い子ちゃんになり、ダイエットしたらやりすぎて摂食障害になったよ。
表面上は素直な良い子になったので人からは好かれるようになったし、見た目も努力して磨いてそれなりになったので男からもモテた。彼氏もできた。
だがセックス恐怖症で彼氏とも本番はできず、そうこうしているうちに、とうとう30代なのに処女になった。
まあ正確には婦人科の検査で破瓜しているので、もはや自分が処女なのかどうかよく分からない。
で、何が言いたいかと言うと、過剰適応でいい子になって周りから好かれても、結局は無理しているわけで、心はいつも空っぽで虚しかったよねということ。
もちろん、遊びに誘われたりして仲間に入れている感覚は嬉しかったが、かなり無理していたので、のちのちの破綻が見えていた。
今じゃ開き直って、外ではほどほどに自分らしく振舞って、それで孤独なら仕方がないと割り切っている。
ネットでは良い子ぶっても仕方がないので自分の醜さも何もかもすべてぶちまけていくスタイルで今は安定している。
ほかに何か言いたいことあるか?
大学で知り合い、結婚して6年。夫と私は性格は違えど、食べ物や旅行の楽しみ方がとても合う。この人と家族を作りたいと思って結婚した。
結婚してから子作りを頑張った。夫は子供が得意ではなかったが、私が望むなら、と協力してくれてた。お互いフルタイムで働いているので、次の日仕事でも頑張ってタイミングを合わせたりするのは大変だった。私は同時に婦人科に通って色々と検査した。ホルモン値を測る血液検査、卵管造影、排卵誘発剤など一通りやった。私は生理痛が酷かったので私のせいだ…と何度も何度も自分を責めた。
子作りを始めてから2年目くらいで、ある記事を読んだ。男性不妊の記事。記事には、旦那さんの性器のサイズも平均的でEDなどもなく、普通に性行為が行え、旦那さんも全く自覚が無かったという話だった。この記事を読んだとき、これかも!と思った。それから、意を決して夫に一度精液検査を受けてほしい、とお願いしたが、夫は「原因は僕じゃないと思うよw」と半笑いで返してきた。それから私は、私が悪いんだ…とずっと悩んでいた。
それからも3年子作りを頑張った。夫は直接は私を責めた事はなかったけど、なんとなくお前が悪いって言われてる気がしてた。
子供ができないことで夫の前で泣いたことは二回ある。でも、一人で泣いたことは数え切れない。この頃、不妊な私は人間として、生物として価値がない、死んだほうがましと、思ってた。でも、死んだら夫が悲しむだろうなぁと思うと死ねなかった。
子作りを始めてから5年、引っ越した事で、今まで通ってた婦人科をやめて新しい婦人科に移った。そこで前の病院から受け継いだカルテを新しい主治医に見せると、これは旦那さんにも検査してもらう必要がある、と強く言われた。どうしていいかわからず、色々込み上げてしまい主治医の前で号泣した。主治医は困惑しながらも、「これ以上の検査は旦那さんの精液検査の結果がないと出来ないと、旦那さんに言いなさい」と優しくアドバイスしてくれた。その夜、その通りに夫に伝えた。夫はいやいやながらも精液検査を受けることを了承してくれた。おそらく夫は、私の検査に付き合うのは面倒だなぁ思ってたんだろう。
主治医から、「夫さんの精液には、一匹も精子がいません。」と言われた。
主治医の顔は見れなかった。下を向いて私は「あー…なるほど。」と口にしてた。
長年不妊の原因が自分であると自分で自分を責めてきた。でも違った。私じゃなかった。3年前にそれを知ってたらこんなに自分を責めなくて済んだのに…。と色々頭を巡った。
その次に夫にこの事をどう伝えるか悩んだ。どう伝えれば傷つかないだろうか。ものすごく悩んだ。病院から家に帰る車の中でものすごく泣いた。そうして腫れぼったい目で夫に伝えた。「検査の結果が良くなかった。夫くん、無精子症みたい…」夫の顔は見れなかった。夫はしばらく固まって「そっか…」と呟いた。
そこからは私が男性不妊の場合の子供を授かるための方法を調べて夫に提案した。夫は「そこまでしてやりたくない。二人で、楽しく暮らそうよ」と言う。
私は夫と子供がいる家族を作りたいから結婚した。今、その夢がぽろぽろと崩れてる。子供が居ない選択肢なんて今まで考えたことが無かった(考えようとしなかった)。
これから先、周りにずっと「子どもはまだ?」と言われ続けないといけないのか。
卵巣のう腫は、卵巣の中になんか出来ちゃうやつ。
中身はまちまち、人によってはお腹がぽっこりするくらい大きくなったりする。
気付かないことも多いけれど、大きくなった卵巣がコロンとひっくり返って卵管が捻れたり、破裂したりすると一大事。
https://jsgo.or.jp/public/ransou.html
私の場合はこうだった、というのを書く。
婦人科系の症状は個人差大きいので、あまり参考にならないと思う。気になることがあったら病院へどうぞ。
※後半に摘出した部位を食べ物に例える描写があるから、苦手な人は気を付けて
1.発覚
社会人なりたての頃に「自治体から子宮頸がん検査の無料チケットが届いたから」とか「生理痛しんどい」とかそんな理由で近所の婦人科にかかった時に、ついでに発覚。
「片方の卵巣デカいですねー。卵巣のう腫でしょう。現状問題ないので年1回くらい様子見ましょう。」とのこと。
この時、痛いとかお腹出てるとかそういう症状はなかった。全然気が付いてなかった。生理痛はそこそこ重かったけど、のちにチョコ菓子を控えるようになったら軽減されたので卵巣のう腫とはあまり関係ないと思っている。
2.手術を決めたタイミング
時は流れて30代手前、「年1で」と言われていた検査のこともすっかり忘れた頃に結婚が決まり、別の病院でブライダルチェックを受けた。
特に問題はなかったけれど、そこでも言われる「片方卵巣デカいですねー」。
近所の病院に通ってた時よりも少し大きくなっていた。この時で6cmちょっと。通常は2〜3cmで、大体クルミと同じくらい。
このままにしておいても問題はないけれど、妊娠・出産を考えるなら早めに取っちゃった方がいいですよ、とのこと。
やっぱり捻れたりするのが怖いし、妊娠中にのう腫を取ることも出来るけど、今の内の方がリスク少ないし楽なんだって。
それまで手術も入院もしたことがなくて好奇心はあったし、その場で手術が出来る病院を紹介してもらった。
3.手術の内容
へそとその周辺数ヶ所に開けた穴からガスとカメラと器具入れて患部を切ってもらうタイプ。術中は全身麻酔、入院はトータル1週間。お腹を切って開ける開腹手術よりも、術後が楽で回復が早いらしい。
「のう腫部分のみ切除します。術後の生殖能力には影響はないですよ」の言葉に安心したのをよく覚えている。
ちなみにこの時点ではのう腫が良性か悪性か分からない。
担当医曰く「検査した結果を見ると良性っぽいけど、のう腫を摘出して中身見ないと分からない」らしい。
なんとなく、生理予定日を避けて手術の日程を決めた。
入院の少し前、採血・採尿・心電図・肺気量・MRI……色々やった。
クリアファイルを片手にスタンプラリー気分で大きな病院内をウロウロ。
みなさん手術や業務の合間を縫って時間を作ってくださったようで、とても忙しそう。
麻酔担当・手術の際立ち会ってくれる看護師さん・病棟でお世話してくれる看護師さん……他にもいらしたかもしれない。
「こんな手術します、こんなケアします、これ準備してください、もしもの場合も一応覚悟しておいて下さい、質問ありますか、では書類にサインを」大体こんな感じ。とにかく書類が多い。
5.手術当日
「浣腸の後、出来るだけトイレ我慢して下さいね。5分頑張って!」と言われたものの、1分で脱落。今入れたものがそのまま出てきた。無力。
病室で手術着に着替えてから、歩いて手術室に向かう。
手術室は予想に反して朗らかな雰囲気で驚いた。
ベッドに横になり、手術担当の看護師さんとおしゃべりしている内に麻酔が始まり、気付いたら病室に戻っていた。2時間は経っていたらしい。
夫と親の顔を確認して、その後は丸一日眠った。
時折、看護師さんが私の股座をゴソゴソと開けてチェックし、時に拭い、そっと戻して去っていった。事前の浣腸、もっと頑張ればよかった。
腕からは点滴、腰付近からは痛み止め用の管、尿道からは私が麻酔で眠った後に入れたらしい管がそれぞれ出ていた。
腰から出た管は小振りな筒に繋がっていて、痛みで辛い時に自分でその筒のボタンを押すと痛み止めを注入出来る。幸い使う機会は無かった。
点滴のおかげで喉の渇きや空腹感はないけれど、口が渇くので看護師さんが様子を見にきてくれる度にうがいをさせてもらった。
6.術後1〜2日目
手術から丸一日経つと、自分で歩いてトイレに行くくらいは出来るようになった。
多少下腹に痛みがあったけれど、それ以上に丸一日寝ていたせいで体力が落ちたのがしんどい。
あまり寝っぱなしでいると臓器が癒着するからどんどん動けと言われたので、トイレの他にも病室近くの談話スペースで漫画借りて読んだりテレビ観たり、ベッドから出てる時間を増やした。
食事も徐々にあからさまな病人食から普通の食事に変化していった。
7.退院
手術したのが月曜日、退院予定は金曜日だったが、木曜の朝に「元気そうだから後で診察して問題なければ今日退院していいよ」と言われた。
執刀医2人と面談、診察してOKが出たので会計を済ませて退院した。こうもアッサリ終わるものなのかと大層驚いた。
退院後1〜2日はゴロゴロしていたが、3日目から散歩に出て、4日目には仕事に復帰した。元々暇な座り仕事なのですぐ復帰出来たけれど、そうでなければもう少し自宅で安静にしていたかもしれない。
摘出したのう腫の写真には、髪の毛がピンピン飛び出した鶏皮の塊のようなものが写っていた。
中身は歯・骨・髪・脳・脂肪等。
流石は人間の素が入ってる臓器、中身のバリエーションに富んでる。実物は見せてもらえなかった。残念。
8.手術痕
私の場合は腹の4ヶ所に穴を開けたらしい。
へそ・へその下・そこから拳1つ分を空けて左右2ヶ所。
小さな穴ではあるけれど、放っておけば勝手になくなるタイプの糸で縫合されていた。
術後数週間で穴の一つから糸が出てきて抜けた時は驚いたが、あとで正直に担当医に報告したら「別にいいですよー、また出てきたら抜いちゃって下さい」と言われてホッとした。糸が残っている間は少ししこりのようなものがあるが、気付いたらなくなっていた。
傷口の赤み・痒みは時間と共に薄れて、今では乳首色で小指の爪サイズの痣が3ヶ所あるだけになった。
いちばん大きな穴はへそに開けたそうだが、見た目は全く分からない。
手術前が決まった頃、会社に指示を仰いで「健康保険限度額適用認定申請書」なるものを用意した。
医療費がめっちゃかかるというのが事前に分かっていれば、最初から自己負担限度額で請求してくれるらしい。
これを出さない場合は、かかった費用を一旦自分で全額支払い、後日全額から自己負担限度額を差っ引いた額を戻してもらう為の申請が必要になる。
どっちにしろ、支払う額は変わらない。
詳しくはこのあたりを参考にどうぞ。
https://www.kyoukaikenpo.or.jp/g5/cat550/1137-91156
私の場合、通院から手術まで全部合わせてトータル10万行くか行かないかくらいだったかなぁ……
もちろんおりた。
それなりに女性特約をつけた生命保険だったので、今回の治療費をペイ出来るどころかあと2回同じ手術受けられるくらいおりた。月々安くない金額払っているだけある。
今回の費用を余裕で払える程度の貯金はあったのでお金については心配していなかったけれど、入院手術で心身しんどかった後にちょっとしたお金が貰えたことで少し気持ちが上向いたのはありがたい。
書くまでもないと思うけれど、貰える金額は各々の契約内容次第なので、私のもらった額は全く参考になりません。
11.その他
意外なことに、術後割とすぐ子作り可と言われた。人によるかもしれないので、同じ手術を受ける人は担当医にちゃんと確認してほしい。
生理周期もズレたりするかと思いきや、変化なし。
変わったことと言えば、他に要因があるのかもしれないけれど、おりものの臭いが軽減され、へその臭いがキツくなった。なんで?
以上です。
婦人科でもいいと思うけどね。^^;
汚い話を書く。
昔から1ヶ月に1〜2回くらい、こうやって乳首がかゆくなることがある。
かゆくなるだけじゃなくて、乳首から変なウミ(?)のような、ジクジクしたものまで出てくる。
私は肌が弱いので、今までこれは単なるウミだと思っていた。
けど、数ヶ月前に婦人科でホルモン値を調べたとき、高プロラクチン血症を指摘されたのだ。
もしかして、これって乳汁分泌なの?
って一瞬思ったけど、つい最近あらためて受けた血液検査では、プロラクチン値は正常値に戻っていた。
数ヶ月前は、たまたまバイオリズムでプロラクチンが高かっただけみたい。
というわけで、今日も乳首のかゆさと謎の分泌液にイライラ半分、怯え半分。
ああクソが、かゆくて眠れねえ。
凄く長くなったので一言でここに表すと努力する力を含め将来への生きる自信がない。
セックスの頻度は週に2〜3回。
旦那はあと数年で精子の劣化が始まる年齢と言われる歳にもなる。二人きりの生活が楽しいので寂しくも感じる。旦那さんは自分の子孫ができることが嬉しいものだと私に説明をしてくれた。発達障害の遺伝の可能性も気にしていないらしい。
旦那の喜びを奪うわけにもいかないが、子供が出来れば家事すらギリギリの不器用な自分に子育てが増える、金銭的負担も増える。寂しいのが建前に見えてしまい悲しくなるほど、自分は子育てなんてキャパオーバーだと嘆いてるのだ。
頼れる家族はいない。親は無自覚だが祖母に入れられた宗教(カルトでない)の思考で出来ており、神の部分を世間や一般人に置き換え整合性の全く人は尊いと言いつつ、家族全体にはモラハラだらけ。私は無意識に罪悪感を感じて生きるようになった。小学校入学頃から対人恐怖になっていた。子供に合わせていい者ではない。旦那の方もよくないようで、酷い過干渉で逃げてきたらしい。
私はわかってくれる旦那一人で満足なのだが、旦那は子もいる家族を作りたいらしい。
子作り目的になってから私は安定剤を漢方薬にしてもらっている。その間に全く関係ないが婦人科に行った時には、排卵されてるのがカメラ?に写っていたが、まだ妊娠しないのである。
こんな時も頭に「貴方がそんな暗いから子供が逃げていくのよ」という母の言いそうな言葉が自動再生されるほど自分はポジティブにならなきゃいけないことに対して異常なノイローゼになり参っている。
自分が変わればいいと頭の声がずっと巡っており、生きてるだけで常に頭に説教めいた言葉が再生されるのだ。頭の中が常に自己啓発本の朗読をしていると言っていいだろう。
カウンセラーも通い、人を変えてみたりも何度かしたが、怒鳴られたり、否定され、その都度話を聞いてもらってるのに我侭だ失礼だと親から冷たく言われ、加えて認知療法しないと一生幸せになれないと脅しのような発言をされたり、治療のことを考えたり行ったりすること、それを思い出すことでより精神的に追い詰められてしまい、もう説教の一言にも耐えられなくなってしまった。
一年前に親から離れたのに今も思い出せば目の前の家事すら手につかなくなる。向上心がなくてはならないと言われる状況なのに、向上心が最も私をパニックに陥れているのだ。
精神医療を先にと提案されることを何度も想像したが、もうどうしたらいいのかよくわからなくなっている。世間的な美徳とされてるものにノイローゼの私には何が落ち着くものになるのだろう。
旦那の幸せを思うと本当に自分は旦那の前から消えなくてはならない。
頭の声を消すために曲を聴けば頭を酷使し、眠れば悪夢を見る。とても一人で生活できる者ではないのは確かだ。こんな自分に悲劇のヒロインぶってると一部増田は言うだろうし、実際昔母に言われた。母が常に一部増田のような発言をする親なのだ。
親の愚痴になりかけているが我慢出来ないことは事実であり非常に情けなく自己嫌。子供の頃から散々自信を持てと言われたが、何かすれば必ずパニックになる私には家事が限界だった。自分の今のポンコツな現状が限界であるし、発達障害の特性だからとか、ベストを尽くしていると医者や旦那は言ってくれる。私はその言葉に甘えているのか?と優しい言葉をかき消すこの正論のような頭の言葉を私はどうしたら良いんだろう。
ここ最近仕事の成績が著しく下がり、勤務態度も悪いと上司に言われた。
私語が増えたのが特に駄目らしい。
以前仕事中に同僚に雑談をふられ、今忙しいのでそれどころじゃないと返したら協調性がないと同僚をガチギレさせてしまった。
人付き合いの下手さを反省し積極的にコミュニケーションを図ろうとした結果だった。
不眠で相談した精神科医からアスペルガーの検査を薦められたレベルだけある頭の悪い対処だと思う。検査は受けた。結果はお察し。
話しかけるということは他人の時間を奪い自分に付き合わせる行為であり、同僚の生産性まで下げてしまう。
記憶力も落ちたのでよく思い出せないが、小さな辛いことが積み重なっている気がする。
そんな調子なので集中力も落ちたし、体も重く動作も緩慢になった。
食欲はあるしよく眠れているので鬱ではないと思う。
重いPMSのような気もするが、コミュニケーションに難がありすぎて婦人科で相談するもビタミン剤を握らされ追い返された。
とりあえず家でいると理由もなく涙が出てくる。
とにかくそんな調子なのでだらだらと仕事をし、交流のつもりの自己満足に忙しい同僚を付き合わせ、成績が下がり続けた。
書いていてクビにしちまえと思うが、実家は頼れないので給与収入がなければホームレスか犯罪者か電車のストッパーになるしかないから困る。
上司は優しいので、思考力が落ちているなら頭を使わなければと言った。
ゼロ秒思考がいい。1分間の時間制限内にA4の紙にアウトプットをする思考法でおすすめだと。
早速Kindleで購入し読んだ。
先程仕事帰りにコピー用紙と水性ボールペンを購入し、早速メモを書き始めた。
結果から言えば駄目だった。
余計に鬱々としてきた。
1枚目。
何がつらいのかというテーマで書いた。理由がないけどつらい。自殺を考えるほどではない。ひたすら自己嫌悪に陥る。
2枚目。
本当につらさには中身がないのか?というテーマだった。ふわっとした言葉しかでてこない。強いて言えばアスペルガー。普通の人間になりたい。普通の人間らしく思考したい。
3枚目。
じゃあどうすれば普通になれるのか。死んで生まれ変わるしかない。無理。でも好きなマンガやゲームが終わるまで死ねない。おわり。
普通の人間のサンプルを無数に見ながら生きてきたのに、普通になれないということはもうそういう生き方しかできないということだ。一生ハンデを背負うしかない。
ここまで書いてプツンと何も浮かばなくなった。浮かぶには浮かぶがアウトプットしたそばから同じ内容が延々と湧き出てくる。
それは無理だなと思ったのでここに吐き出すことにした。
他人が躓かないようなことで悩む自分は、人間になろうとしていまいち溶け込めてない妖怪みたいだなあなんて思ってしまう。
早く人間になりたい。他人を助けて焼死するフラグがたったきもするがなりたい。
■■追記■■
反応があると思わなかったのでびっくりした。私の文章に時間をさいてくれてありがとう。
鬱だとすれば原因は上司ではないと言い切れる。
私のようなめんどくさい人間向けの対処もある程度知っているようで配慮してもらっているので感謝してる。
発言も実際はアドバイスと励ましと注意を綺麗に混ぜた感じだった。
仕事が感情労働なのと女性中心で空気の読み合いが半端じゃないのがストレス源のような気もする。
人生初の痴漢に遭ったり家族が病気になったりしたのも大きいストレスだと思うし、原因が分散しているような感じがする。
認知療法も簡単に読んでみたけどいい方法だと思う。詳しく読んでみる。
すぐマイナス思考になってしまうので一人で実践するのは厳しいかもしれない。歪みを探し出せてもプラスにするのは難しい。けど試す価値はあると思う。
吐き出したとりとめのない愚痴に優しい言葉をかけてもらえたことが本当に嬉しい。
本当にありがとう。
生理だった
さっきおしっこ行って拭いた後のトイレットペーパー見たら血がついてた
あーそろそろ生理来るなーってすぐ分かるけど休日だと気づきにくいね
私は2日目にちょっと腰が痛くなるくらいであんまり生理痛がない方だけど
しかし月曜日に来ちゃったか。理想は金曜に始まって特にきつい2日目3日目を家で過ごすことなんだけど
ただ年度末なので来週は送別会とかいろいろと社外で仕事関係の人と長時間過ごす予定があるので今来てよかったのかも
飲み会と整理が重なったらナプキン取り換えるハードルが高くなる
鈍いおじさん上司が「えっ何で増田さん荷物持っていくの?大丈夫だよ誰も盗らないから置いていきなってwww」とか万が一言われたらなんて考えてしまってあまりトイレに行けず限界まで血を吸い込んでずっしり重くなったナプキンつけたまま過ごすことが多い
あ~~~~ここまで書いてたら貧血が出てきた。ちょっとふらふらする
ただでさえ体力なくて生理じゃなくてもメンヘラに片足突っ込んでるのに。嫌になる
若者向けの命の母買って飲んでた時期があったけど効いてるのかどうなのかよくわかんなかったのと
朝昼晩の食後に三錠ずつ生理が来そうな数日前から飲み続けるってちょっときつい
これでも私は相当生理軽い方だと思うし、具体的に「お腹がめちゃくちゃ痛い!!」って症状があるわけじゃないからこの程度で……と思って婦人科とかには行く予定はない
妻は生理痛がキツいらしい。
と言っても常時痛くてだるくて全く動けないほどというわけではなく、
だるいながらも動けるけれど、たまに差し込むような痛みがあるんだとか。
生理中は不意に「ウッ…!」と呻いてうずくまったり、立ち止まったりということをよくしている。
物を取り落としたり、跳ねた体がぶつかって物をはじき飛ばしてしまったり、
うずくまってしまうから心配されて帰されたりと、逆に邪魔になるので仕事は休むことにしているようだ。
どうしても大きな声が出てしまうから外で注目されるのもイヤなので、なるべく出掛けたくないらしい。
俺はある程度慣れているので、妻の意向もあってなるべく取り乱さないように気を付けながらオゥ?……イェェス!はいお疲れー、とか言って応援している。
妻も自分で調べたり、いろんな婦人科の評判を聞いては何度も相談しに行っているようだけれど、
「いたって健康」「何の問題もない」と言われ、最後には「個人差が~」で帰らされてばかりらしい。
大体どこも一応ロキソニンとかの痛み止めを処方してくれるようだが、飲んだところで全体的な痛さは多少緩和されても結局差し込みはなくならないようだ。
病院に行けば解決するってものでもないのは難儀だなぁと見ていて思う。
食べ物とかも色々試しているけれど、今のところこれと言った成果は上がっていない。
妊娠検査薬で初めて陽性が出て「おお…」って呟いた。
予想に反して、飛び跳ねて喜んだりはしなかった。
妊活始めてから半年、毎月検査薬を数本無駄にしていた。生理の時期になると「わたしが考えるつわり」症状に襲われては検査して撃沈してを繰り返していた。生理も遅れがちになっていた。身体が妊娠していないことを認めようとしなかったのだろう。
さてさて。
その日のうちに婦人科に駆け込んだ。
……時期が早すぎて受診できなかった。
そうだね、生理予定日当日のフライング検査だからね。見ようとしても何も見えない時期だから、お金の無駄だからまた来週おいでと優しく言われた。
一週間待たないといけない…………。
とてつもなく長い。
正常な妊娠かもわからない。このまま流産してしまう可能性も高い。わたしの母も旦那の母も流産経験者で苦しんだと聞く。
まずは袋が見えるまで。
安定期に入るまで。
産まれるまで。
まだなんにも安心できないんだな。
妊活中は生理が来たら「リセット!」で来月頑張っていこ〜の気持ちに切り替えられた。妊娠したら、産むまでひたすら緊張しなきゃいけないんだな。産んでからももちろん大変だし。
妊活中も辛かったけど今からも辛いことだらけなんだ……。妊娠が目標だったから忘れてたよ馬鹿野郎……。
とりあえずいまの目標は、一週間後、「正常な妊娠でいまのところ大丈夫やった〜!」ってはしゃぐこと。まだ緊張しすぎてなにもできてないから
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追記:産まれました
女のマネジャーに目をつけられ。『私はあなたの為を思ってやっているの!』ってのりでいびってくる。
おかげで精神的にやばくなり、昨日体調を崩し休んだ。
更年期になってしまい毎月3日ほど目眩頭痛腹痛冷えのぼせ耳鳴り下痢に悩まされ休んでしまう。
婦人科でホルモン治療、漢方、ピルなど多種多様に受けたが改善せずほんとに困っている。
毎月女のマネジャーに呼び出されてはネチネチいわれる。
暫く毎月呼び出されて対策していこうと言われたけど、余計プレッシャーで会社に行きたくなくなる。
休む前もわからなかったので手を上げて聞いたら『切り分けができてない』と言われ、履歴を書けば
『これじゃわからない』と言われた。
研修では深く掘り下げて教えないから、独り立ちして実際のケースに触れて質問して覚えていくのに、
萎縮して聞けない状態。
もうやめたほうがいいのか?
就職と同時に結婚して、一年半程経ったのでそろそろ妊娠してもいいかと考えた。
職場の女性上司に若いうちに産んだ方が楽だと何度か言われた。仕事が楽しくてうっかりするとそれなりのポジションを与えられるまで妊娠を避けてしまいそうだと思った。生きてるうちに親に孫を抱かせたかった。
色々理由はあるけど、一番は同年代に子持ちがまだあまりいないので試しに子どもを産んでみたいというのが大きい。
排卵日や基礎体温やなんかを調べて出来やすそうな日にセックスをした。企みを夫には特に話さなかったけれど気付いてはいたかもしれない。
結果的に、2ヶ月くらいで妊娠した。生理が遅れたので妊娠検査薬をフライングして使い、線が出た時にはオッと思った。これ本当に線が出るんだ、って面白かった。
結婚する前から、不妊体質だったらどうしようか、妊娠する気がしないなと思っていたので思ったよりあっけなく妊娠した。生育環境もあり、私に普通は訪れないと思っていたが、とにかく妊娠に関しては普通だ。
セックスしたら妊娠するという当たり前のことをしみじみと知り、たかがといってはナンだがセックス程度で命が出来るということに驚いた。
婦人科のエコーで初めて胎動を確認した日の帰り道はキラキラしていて、こうして普通の幸せを求めていくのだな、となぜか寂しい気持ちになった。そして、出産予定日という新しい楽しみな日をもらえたことが嬉しかった。
https://togetter.com/li/1073168
ブコメ見て。
性的な目で見る変態が一部いるから自分の娘を男性保育士に着替えさせたくないって言うのは差別。
それは黒人の犯罪発生率が高いから黒人を雇わないのは差別でありレイシストだから。
ということは産婦人科や婦人科で女性医師がいいっていうのはレイシストなの?
男性ならその日は予約しない。力も強くていいけど精神的疲労が凄いから。
男の保育士と遊ぶのも学ぶのもいいけど「着替え」はイヤって女性からして普通なんだけど違うのかな?
医者やマッサージは選んでいいけど保育士の着替えはダメなのか、そもそも医者やマッサージも選んではダメ?
詳しい人教えてください。
基礎体温をつけることで、排卵の有無とその時期を知ることができる。
排卵がなかったら妊娠はできない。自分の体の状態を知るためにも、まずはつけ始めよう。
性交は「排卵日二日前〜排卵後一日」あたりがキモ。狙い撃て! 毎日ヤれ!
排卵日前、は基礎体温に変化がないためわかりづらいが、前回生理開始日と次回生理開始日の真ん中が一般的に排卵日のため、自分の周期で計算してみよう。
この時期以外に性交しても、妊娠につながることはほとんどない。
腰の下に枕を当てて横になる、横になった状態で足を壁に立てかける、などして、精子を子宮の入り口に留まらせるのが大切。
時間は最低30分。テレビでも見ながら過ごそう。トイレも我慢しよう。