はてなキーワード: 俺の嫁とは
久し振りに嫁とスーパーに買い物に行った。
ポイントが何倍か加算される日だったらしく大量買いしたいとのことで荷物持ち要員として同行いたしました。
結構買い物してレジ来て一通りカゴの中全部ピッピってされたので、会計は嫁に任せて俺はカゴだけもらって台で荷物を詰めてた。
詰めながらなんか遅くね?会計時間かかってんな〜って思ってレジの方見たら悲惨なことになってた。
嫁に謝り倒すレジの人、レジの人にブツブツ言いながらキレてる嫁、嫁の後ろに並ぶ長蛇の列。
まあうわ〜って思うよね。
この時点で俺も話を聞きに行けば良かったんだろうな〜とは思うけど純粋に関わるのがダル過ぎて無心で荷物を詰め続けてました。
後ろの並んでる人があからさまイライラし始めてるし、レジの人はずっとペコペコ頭下げてるし、嫁はずっと文句を言い続けてるし。
状況が嫌過ぎる。
結局ベテランっぽいパートの人が来て謝りながらサービスカウンターに嫁を連れて行った。
パートの人がカウンターで説明したけど、なんかレジの人のミスでカードにポイントがうまく付かなかったらしい。よくわかってないけど。
丁寧なご説明の上ポイントもちゃんと加算してもらい、俺としては逆にパートの人に謝りたいくらいなんだけど、というか謝ったけど、嫁は終始キレてますって顔して黙りこくってた。
帰りに別にポイントでそんなに怒らなくてもよくない?って言ったら、あっちのミスが悪いでしょって怒られた。
よく分からないんですけど、全国の皆さんはそんなにスーパーのポイントに必死なんですか?
でもさあ、まだ学生であろうレジバイトに他の並んでる人を待たせてまでポイントごときでキレるのって普通に恥ずかしくない?
まあバイトのミスを全部受け入れろ!とは言わないけどポイントごときでそんなキレるなよ。
俺の嫁こんなんだっけ〜って思いました。
そんなポイントでカツカツになるくらい低収入ってわけではないんですが。
なんか呆れちゃったよな〜。
そういう業界に就職した人間なのに俺の嫁は二次元とか思ってたし、
正直すまんかったなあ
今は社会に出て数十年経ったので丸くなったので、
多分あんな失礼なことは尚更自然と言うような人間になったので許してください
あと、社長室で某デザイナーさんにセクハラ言われて流石にショックだったけど、
ナハハみたいに笑ってごまかしたけど、今でも許せそうにありません
会社辞めたら収入が激減したまま今に至りますが私は元気ではありません大病で手術もしました
ただ、俺の嫁は二次元とはいえ、いわゆる有名人が目の前にいてもあんまりビビらなかったんだよなあ
会う前の方がビビると思ってた
今の自分には完全に別世界の人達だったけど、会って思ったのは、みんな仕事してるスペシャリストなんだなあと思うだけで、
そういうリスペクトはあった、そりゃ、世界的な映画に出てる人もいたわけだから
あと、スタッフの選別として、現場で俳優に興奮したりサインをねだったりする人間は基本入社させたくないというか、
仕事の邪魔になるんで最悪即刻解雇されてもおかしくないわけだけど、
というより、今からすればそういう神がかった俳優でも、腹が立つことを言われれば腹が立つんですよ俺は
目上も目下も対等に見るタイプなので
自分には生きがいが特に無いし、いつ死んでもいいと思っている。
仕事においては無能だし、精神が不安定だからこの先家族を持つ予定もない。ペットにも特に興味がない。
趣味はいくつかあるが、今夜死んだところで惜しく思えるほどのものでもない。
それでも(自殺か病死かはわからんが)いつか死ぬまでは生きているのだから、何か生きがいが欲しいと思っている。
自分にも好きな作品やキャラクターなら山程ある。しかし、好きなキャラを"推し"にするほどの熱量はない。
かつてよく言われた"俺の嫁"みたいに「お前の推し3ヶ月で変わってんじゃねえか」ということもあるのかもしれないが、それにしたってその時の熱量は多分本物なのだろう。
その対象を"推す"ことがどういう回路で生きがいに繋がっているのか理解できたわけではないが、「自分の応援がその対象の利益になっている」と思い込めることが重要なのだと思う。
直接その対象に金を落としたり、同人活動を行って布教したり、まあ何でも良いのだが、受動的な"好き"とは異なるエッセンスが恐らくそこにある。
家族が生きがいだという人は自分の存在が家族の利益になっていると感じているだろうし、仕事だってそうで、要は自己効力感が(得られる人には)得られるのだろう。
自分には好きなVtuberがおり、その人について呟くと本人からいいねされることがある。
HNに好きなVtuberのマークを付けているオタクを最初はちょっと馬鹿にしていたが、確かにこれはもの凄い快感だと思った。
多分、スーパーチャットを投げてグッズを買って推しマークをつけて四六時中その人について呟いていればもっと認知されるのだろう。
でも自分はそこまでする気になれなかった。
単純に金がないし、別に自分が応援しようがしまいがその人の活動になんら影響はない。
100人の応援が101人の応援になったところでほぼ誤差レベルだ。
登録者数の多い企業勢や、それこそジャニーズのように巨大なファンがいる集団ではなおさらだろう。
シビアな人生を送っている彼女には幸せになって欲しいと切実に思うが、それは自分よりも熱量と経済的余裕がある人の領分だ。
最初に言ったように自分には普通の生きがいを手に入れられるアテが今の所ない社会不適合者なので、なんとかそういう真っ当な道以外で生きがいを見つけたいと思っている。
しかし、自分には"俺の嫁"であるキャラクターを愛でる能力も"推し"であるアイドルやVtuberを応援する能力もなかったし、今後もないだろう。
はてなーの地方嫌いは前々から指摘されているとはいえ、これは……。関西圏の言語・文化に対してはいくらでも馬鹿にしていいと思ってそう。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/Tabio_JP/status/1323830743802408960
tanakakazu 「嫁」だと息子の妻だからな。
regularexception 嫁は「息子の女性配偶者」。蔑称ではないが言葉のチョイスはおそらく間違えている
kijtra “身内は下げるのが本来正しい” とか言ってる人がいて、女性が対等になるのはまだまだ時間はかかりそうな感じした。マジレスだと「嫁」は夫婦の親が使う言葉だね。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20171128231843
elm200 これには激しく違和感を感じるよ。嫁はそもそも「農家の嫁」みたいに、家の中心から見た息子の妻という意味。普通、息子の親や他人が使う言葉で、息子自身が使う言葉じゃない。まあ、言葉の意味は移りゆくものだが。
infobloga 「嫁」は、「息子の妻」以外の文脈では「イエに迎えた女」の意味。「うち(自分の所属する家)の嫁」であって、「俺の嫁」ではない。家父長制的なニュアンスに違和感を感じるのは当然だと思う。
sorano_k まあ分かればどっちでもいいけど、正しくは自分の息子(長男)の妻が嫁なので、某相談スレなどで「嫁と義理の娘の仲が悪くて・・」とあったりすると、誰と誰なのか全然分からなくて困る。 増田言葉
AyanoIchijo いや嫁は息子の奥さんでしょ。自分の奥さんは妻でしょ。わかるからいいけど、あまり好きな言葉の選び方ではないなと思う。「旦那」っていうのもイマイチだなあといつも思ってる。
「標準語」の使用方法のみを適切と考えていて、それ以外の用法を漏れなく誤用と断じられる人権感覚に目眩がする。あと100年早く生まれていたら方言札に賛同していたり「15円50銭って言ってみろ!」って詰め寄ってそう。(関西には方言札はなかったし15円50銭と言わせようとしたのは関東人だけど)
bt-shouichi そういう言い方をしてる人を見ると、関西芸人の真似なんかしてやんの、って思う 言葉
keipeace おおー常日頃違和感ありまくりだったが他にもたくさんいてよかった。嫁は息子の配偶者のことで関西の芸人とかの影響かもってのに同意。ただ普段は「うちの奥さんが~」って言ってる。妻や家内は若干堅苦しい気が。
これも間違いで、関西芸人の真似をして「嫁」と言っているわけではなくて、関西ではもともと広く男性が自らの配偶者を「嫁」と呼ぶ用法が使われていたため、それを反映して関西芸人が「嫁」と使うようになったわけで、因果関係が逆。「吉本芸人が使う」というようなツイートも目にしたが、そんなことはなく、笑福亭鶴瓶も桂南光も故・桂米朝も(芸人ではないが)浜村淳も故・やしきたかじんも故・中島らもも普通に使う。もちろん関西ではそのへんにいるサラリーマンや料理人やアスリートや医者も普通に使う。「芸人語」という理解は誤りですね。
「推し」「解釈違い」「地雷」とかそういうワードを見るとウーンとなる。
「推し」よりも以前よく使われていた「嫁」のほうが内に秘めてて自分の愛してるキャラクター!感が出てるような気がして好き。
推しは人に「この子が僕の私の大好きな○○ちゃんです!」って周りに広めたい空気がして何か合わない。別に同担拒否とかじゃなくて皆それぞれ○○は俺の嫁!って言ってる空気がいい。
「解釈違い」は国語の勉強じゃないけど受けた印象とか考えって本当に人それぞれだし、正解は作者の脳内にしかないんだからそんなわざわざ言うことか?
地雷って言うけどそれが好きな人もいるし世界は広いから別にその存在を拒否しなくてもいいのに。自分の萌えは揺らがないから「へーそういう世界もあるんだ」くらいでいいじゃん。
僕はパンフレットも買わず事前情報も得ずに見たので、Wikipediaが一番簡潔で良かったのでコピペするよ。
『異端の鳥』(いたんのとり、原題:Nabarvené ptáče / The Painted Bird)は、2019年制作のチェコ・ウクライナの映画。
第二次世界大戦中、ホロコーストを逃れて疎開した1人の少年が、様々な差別や迫害に抗いながら強く生き抜いていく姿を描く。ポーランドの作家イェジー・コシンスキ原作の同名小説の映画化。第76回ヴェネツィア国際映画祭ユニセフ賞受賞。R15+指定。
なお、本作の言語には舞台となる国や場所を特定されないよう、インタースラーヴィクという人工言語が使われている。この言語が映画で使用されるのは史上初めてのことである。
この原作本は日本でも買えるよ。映画公開で急速ランクアップで現在売れ筋・その他外国の文学作品部門でAmazon第8位。『ペインティッド・バード (東欧の想像力)』だよ 。高いな、しかし。5千円以上ってどういう事?よく知らね。
で、原作では6歳の少年らしいが、それはあり得ないね。せめて8歳にしておかないとあれは無理だろう。6歳であれだけのことが出来るって芦田愛菜並だ。ともあれ、6歳では演技不能なので、多分主役を演じたペトル・コトラール君は10歳くらいではなかろうか。もちろん彼は無名の新人だ。
しかし、ペトル君の周りを固める役者さんは豪華だよ。最も豪華なのはなんと言ってもハーヴェイ・カイテルだろうね。でもハーヴェイは大した役所ではない、アル中の司教だ(いい人だがな)。
とんでもねーのはウド・キアだ。悪役はいっぱい揃ってるが、この人の演じた村人役は凶悪すぎる。この映画の最優秀演技賞はウド・キアで決まりだろうな。
そして、変態少年性愛者を演ずるこれまた名優、ジュリアン・サンズ。流石にこいつは許せなかった、と思ったら少年はジュリアンを爽快な殺し方でやっつける。最高だったね、拍手喝采したくなった。
めっちゃ色んなハリウッド映画に出てる名脇役にステラン・スカルスガルドも、この人はドイツ軍兵士のいい人役で出てきます。印象には残りますが、少年を逃してくれるだけで特にたいした役どころではなかったかな。
で、極め付けは、なんと言ってもジャクソン二等兵だよ!いーかい?ジャクソン二等兵が出てるんだ!そうだよ、『プライベートライアン』であの教会の天辺で死んでたかと思ったら、なんと生きていつの間にか赤軍の兵士になってたんだ! え? バリー・ペッパーのことだろ?って? ちげーよ!ジャクソン二等兵だよ。ホントなんだってば! いきなり歳食ってて渋くなってびっくりしたけどあれは間違いなくジャクソン二等兵だ! 見ればなんの話かわかる。
でも、多分日本人鑑賞者の大半は歴史知識があまりない状態で見るだろうから、感動は少ないだろうね、きっと。でもホロコーストの歴史を知っておくと、これは感動するよ。このペトル君演ずる少年はユダヤ人だ。家族もユダヤ人だ。家族は父親しか出ては来ないが、ともかくユダヤ人家族の少年の物語だ。ホロコーストでは、ナチスはユダヤ人絶滅政策をとっていたことくらいは知っているだろうが、実は、絶滅はさせるつもりだったが、労働適格者は強制労働をさせるために生かして残していたんだ。ではもう一方の労働不適格者とは? それは老人であり障害者であり重病人だったり、そして14歳未満の子供なのである。アウシュヴィッツにユダヤ人が強制移送されると、労働不適格者は駅について選別されると、3時間程度以内にシャワーに入ってーと親衛隊に騙されてガス室送りにされ殺されたのだ。当然このことは親衛隊は言わなかったが(別の地域に住んでもらうとしか言わなかった)、噂レベルでユダヤ人だって知っている人は知っていた。それで、ペトル君の家族はペトル君だけを疎開させたのである。殺されるかも知れないから。これを知っているのと知らないのとでは理解が大分違うはず。あともう一点、ユダヤ人の強制収用施設はたくさんあったが、アウシュヴィッツだけが登録囚人の腕にナンバーを入れたのである。これも豆知識として知っておくといい。
あと、この映画の舞台は映画の中では一切明かされないが、ソ連領域を含む東欧地域であることは間違いない。使用される言語もインタースラブ言語(インタースラヴィク)と言って、スラブ民族の言語の特徴を全部混ぜ合わせて作った人工言語を使用している。故に言語はそれっぽいのに地域は特定できないようにしてある。この映画は史実を背景にしたフィクションであり、見方によっては仮想世界の話とも取れるだろうから、これはうまいと思ったね。安易に英語にしなかったのはナイスアイデアだ。
冒頭、ペトル君(この少年の名前は最後の最後になるまでわからない)が、林の中を誰かから逃げているところから始まる。少年は胸に白い何かフェレット?のような生き物を抱えている。しかし追手にすぐに捕まり、その生き物を奪われて、その生き物に可燃性の灯油か何かをぶっかけられ、その生き物をその場で焼き殺される場面からスタートだ。いきなりこの残酷描写には目を背けたくなる人も多いだろう。そのフェレットのような生き物がまさに焼き殺され、その場を燃えながらのたうちまわるその生き物の映像。これはキッツイぞ。それを茫然と見つめる以外にない少年の虚な視線。
しかしこの冒頭のシーンを理解できる日本人は少ないだろう。これは、今からこの少年のホロコースト物語が始まるという合図に相違ないのである。何故ならば、ホロコーストの原義は古代ユダヤの儀式、生き物の丸焼きを生贄として捧げる、だからである。これをわかった人は多分、ほとんどいないはず。親がこの少年を疎開させホロコーストから逃したと思っていたら、それは違うぞ、と。
その通り、疎開先で預かってくれた老婦人が夜中突然死し、びっくりした少年がランプを落としてしまって、それが原因でその孤立した一軒家は全焼。そこから彼のホロコーストの旅が始まるのである。少年は設定上は6歳? でも10歳くらいにしか見えないんだけど、それはともかく、大人に世話にならないと生きていけない。彼は家に帰りたかっただけなのだが、ともかく大人に構ってもらわないと、ということで色んな大人に預かってもらい続けることになるのだ。その預かられた先ごとに一つの章になっている。その章ごとに預かってもらった大人の名前を章タイトルにしている。何章くらいあったか覚えてないけど、十件はなかったかなぁ……順番もあんまりよくは覚えていないが、とにかく残酷物語だらけ、と言っても結構リアルっぽさを出してあり、普通のホラー映画のようにはっきりと悪という人はいない。でもそれだけに、本物のリアルな悪なので、ホラーよりずっと恐ろしいぞ。
多分これが一番最初だったんじゃないかなぁ? よくは覚えていないが多分そう。この少年は見栄えが少し人と違うのである。もちろん放浪してきた少年がやってきたその村からすればそもそも余所者なのだけど、とにかくその村の村人たちは、到底近代世界の住人ではなくって、風習と迷信だけで生きている世界の人たち。少年はその悪魔払いのババアに「この子は悪魔の子だ」と勝手に決めつけられて、ババアに買い取られるのである。要はこのババア、助手が欲しかったのである。そして少年は助手として実際には結構丁重に扱われ、見ている側としては若干肩透かしを喰らう。で、映画宣伝に使われている地中に埋められて首だけ出して、カラスに見つめられる写真があるが実はそれ、虐待ではなくってババアの少年に対する治療施術なのである。少年はどうやら当時流行しまくっていた発疹チフスに罹患したらしかった。
でもま、カラスに突かれまくって血塗れになるのだけど、ババアが少年を助けてくれるのだ。お前が悪いんだろうが・・・と言いたくなったが、それはまぁ演出と言うことで。
確かねぇ、その前にもう一つエピソードがあったと思うんだ。多分だけど、林の中で足に怪我をしたがために見捨てられた馬を、少年が放浪中に助けてあげようとして次の村まで連れて行くんだよね。でも馬が足を怪我したらサラブレッドがそうである様に殺されちゃうんだよね。このシーンが結構えげつないんだけど、それはさておき、その村人のある男が川で釣りをする(つっても奴隷作業だよ)少年を脅かして少年が川に落ちて流されてしまう。そのたどり着いた先がウド・キアが世帯主の家だった。救ったのは親父の妻とその家で働く雇用人。
とにかくこの親父、理不尽親父の象徴みたいな奴で嫁に体罰するのが日常茶飯事。で、ある雨の日、親父が家に帰ってくると何故か頭陀袋を持って家に入ってきた。そしてディナーの時間になる。ところがこの頭陀袋、まるで生き物の様に蠢くので、まさか子供でも入ってるの?とドキドキするのだが違った、白黒斑のネコだったのである(意味不明)。そしてこの猫が以前から飼われていた猫といきなり交尾をし始める。それを見ながら食卓で食事をする親父と妻と雇用人。ところが親父、いきなりブチギレてテーブルをひっくり返す。いわく雇用人に詰め寄って「てめー!俺の嫁とセックスしようと思ったろ!許せねぇ!テメェみたいな奴にそんなふしだらな目玉はいらねぇ!」とその場で雇用人の両目玉をスプーンでくり抜くのである。怖すぎっだろw 一応伏線は貼ってあったけどね。
で、少年、目玉をくり抜かれて家を追い出された雇用人を、その目玉を拾って、自分の荷物もまとめて出て行くのであった。途中目玉をくり抜かれた雇用人が木の根元で苦しんでいるのを発見、目玉を返してあげるのであった(返しても意味ねーだろうが、少年にはそれはわからなかったのであろう)。
エピソードがとにかくてんこ盛りなので順番がよくわからないんだけど、少年がね、これも確か野原を放浪してたのかなぁ? んでね、その近くでユダヤ人の移送列車からユダヤ人たちが逃げ出そうとするシーンがあるんだ。全員親衛隊に結局銃殺されるんだけど、その中で一人だけ生き残ったユダヤ人のおじさんと遭遇するんだけど、親衛隊に見つかり二人して町まで連行されるわけ。で、おじさんは銃殺されるけどハーヴェイ・カイテル演ずる司教に助けてもらうわけさ。で、最初は教会で一緒に暮らすことになるんだけど、司教が病気で少年をあまり構ってあげられないからと、その少年に気があったジュリアン・サンズに司教から預けられることになるわけ。で、観客の期待どおり、犯されてしまう少年。この映画、本当に少年をこれでもかと虐待しまくりますが、個人的にこのシーンが一番キツかった。だって、シーン自体は見せないで悲鳴だけが聞こえるのです。これは流石に堪えました。かわいそ過ぎます。でもですね、この後少年が森の中へ出かけるのですが、偶然、小さな軍事用トーチカを発見します。そこで二つの重要な発見をします。一つは折り畳みアーミーナイフ、これは拾って持って帰ります。もう一つはそのトーチカの天井部分の天辺に開いた口径1メートルくらいの穴です。覗き込むと・・・ひぇぇ大量のネズミがいたわけです。気持ち悪過ぎですが、とりあえず少年はサンズの家に戻ります。で、色々あって少年は拷問されて後ろ手に縛られるのですが、持っていたアーミーナイフでそのロープを切ろうとしたらこれがバレてしまいます。で、サンズは「一体そのナイフどこで拾ったんだ?」と言うことで、現場へ二人で行くわけですよ。ところは少年は機転をきかせます。サンズをうまいことそのネズミの穴に落としてしまうのです。えええええ? となりますよ。恐ろしすぎるぞ、あんなの。もちろんサンズはネズミに食われて死亡。
そしてその後、もっかいカイテルの教会に戻るのですが、ちょっと教会作業をしくじって肥溜めに投げ捨てられます。これは予告編にもありますね。で、きていた服を川で洗って、放浪再開。
思い出しました。確かー、悪魔払いのババアの次がこのエピです。あんまり印象ないんですよね。いい人なのか悪い人なのかよくわかんないんですよ、この小鳥屋のおっさん。んで、とにかく小鳥屋のおっさんの家で一緒に暮らし始めることになる少年なのですけど、ここによくわかんない全裸の女が小鳥を持ってやってきます。この女、生きてる目的が性欲しかないのです。でも何故かこの小鳥屋のおっさん、この女に惚れちゃったんでしょうね。ともかくおっさんはその小鳥をもらって、その場で野外セックス。
で、順番的に言うと、重要なシーンが入るので説明すると、この小鳥屋のおっさんの家の外に、少年とおっさんがいます。そして、少年は手に持たされた小鳥の一羽の羽を広げる様に言われます、するとそのおっさん、その小鳥に何やら白い絵具の様なものを塗りたくります。そして、その小鳥を空へ放つと、その小鳥はちょうど空を待っていた同じ小鳥の種の大群の中へ入って行くのですが、その小鳥は大群の突き回されて、死に絶えて地上にいた少年の足元に落下するのです。どうやら、その塗りたくった絵具に小鳥の餌が混ぜてあった様です。おっさんが何故そんなことをしたのか理由は不明ですが、これが映画の原題である「The Painted Bird」です。そんなに考えなくとも、これがテーマだって分かりますよね?
そして、その変態性欲女、村の餓鬼どもを誘惑してセックスするのですが、これが村のその子供たちの母親たちの逆鱗に触れて、集団リンチを喰らいます。瓶をマンコに突っ込まれ、それがおそらく原因で死んでしまうわけです。僕は平気だったけど、これもまたキッツイシーンですよ。それで、その女に惚れていた小鳥屋のおっさんはショックで首をつって自殺しようとするのですが、それを発見した少年、あまりに苦しそうなので、可哀想だと思ったのか、おっさんの足元にぶら下がって自分を重りにして死なせてあげるのでした・・・これもまたキツいシーンです。
もうね、三時間もある映画だから、エピソードてんこ盛りすぎて、端折らないとね。変態性欲女がもう一人出てくるんですが省略です。ソ連のコサックとかの話もあるけど、それも省略。とにかく、ジャクソン二等兵ですよ、二等兵。色々あって放浪しているうちに、今度は赤軍の駐屯地に少年が保護されます。ここはいい人ばかりです。そして、テントの中にいると、ジャクソン二等兵が登場! ええ、赤軍将校を演じたバリー・ペッパーなんすけどね。確かプライベートライアンの後、父親たちの星条旗くらいでしか見た記憶がなかったんですけど、最初誰だろう?と思ってたんです、事前情報なしで見たから。で気がついたジャクソン二等兵だ!と。そいでね、少年はおそらく、ジャク……じゃねぇや、そのバリー・ペッパーに多少憧れたのでしょうね、ある夜、バリーはライフルを持ってテントから出て行くのです。あれ?逃亡でもすんの?と思っていたのですが、実は仕返しをしに行くつもりだったのです。その出て行く夜に事件があったのです。駐屯地の外へ出た赤軍兵士数名が、近くの村人に殺されたのです。理由はよく知りませんが、赤軍を嫌っていた村人とかがいたのでしょうか。そのバリーの後を少年がついていったわけですよ。そして、村から少し離れたところにある、木の上で朝食を取る二人。それが済むとバリーはライフルを構えるわけです。そうです、ジャクソン二等兵なのです! どう考えたってこれはウケ狙いです(笑)。木の上から確か五人、村人を正確な照準で殺すのです。そしてジャクソン……じゃなくてそのバリー演ずる赤軍将校は少年にこう言います。「やられたらやり返せ」と。
30歳すぎてから、tinderとかで歳下とマッチする確率が格段に上がった。
ちょい年上ぐらいの遊べる男性欲しさにやってたけど、興味本位で下限年齢下げたらまぁボコボコマッチする。
金目当てかと思ったらそうでもない。
社会人の子は割り勘か向こうが多めに出してくれることがほとんどで、学生しか奢る機会はない。
みんな口を揃えて「年上の方が好き。楽だもん」だとか言う。
こんなに楽を求めて年上欲する男子って自分の年代はそこまでいなかった気がする。
そりゃ年上BBAのが楽だよ。わがまま言わないし、セックスだってリードしてくれるし、たっぷり甘えさせてくれる。
食事も割り勘でいいし、30過ぎた独身女って都心部に住んでるから繁華街で飲んだらお泊まりもできるしね。
でもさー、それでいいのかなって思ってしまう。
自分も20代前半の時分は30−40代の男性とばかり遊んでたから楽なのはわかるけど、楽し過ぎちゃうよ。
昔はオタクも「俺の嫁」って言ってたのに今は「オギャりたい」っていうしね。
同年代の知り合いに、年上とか人妻経てきた男いるけど、まあまあ拗らせてる感じはある。
こだわり強くて性根がわがままだ。
かくいう自分もそんな感じだ(だから結婚向いてないと思ってやめた)
やっぱり成長できる期間に楽しまくるとあとあと大変なんじゃないかなあ。
でも男子たるもの、男なんだから、みたいなジェンダー過激論に晒され続けるのに疲れちゃったのかな?
それはそれで可哀想な気もする。
SNSとかアプリとかで昔よりずっと年上世代とつながるの楽になってる。
なんか色々言ったけど、私自身若い男子を甘やかすのが楽しくてしょうがないのもある。
上述の年上好き男性にも「20代のころ今のあなたに会いたかった」って言われた。
若い頃あまり感じなかったけど、男のひとってめちゃくちゃ赤ちゃんぽいところあるんだよなあ。
体感だけど、7割ぐらいの男子はびっくりするぐらいバブバブする。
増田とかが特に毒親エピソードみたいのが多いだけかもしれないけど、
父親が好き、父親と仲がいいみたいな話、周りでもほとんど聞いたことない
逆に父親が嫌いって話は周りでも山ほどある
物凄い嫌ってるとか恨んでる、まではいかなくても、
別にそういうのして欲しいわけではないけど、気持ちの問題として
ちなみに自分自身はどうかっていうと、両親ともそんな好きじゃないけど、
とにかく、今まだ小さい娘を育ててるけど、
今ですらこうなんだからこれから思春期とか反抗期になれば尚更嫌われるのは目に見えてる
いや、こういう考えが見透かされてる、といえばそうかもしれないけど
嫌われるとわかってて一方的に愛を注いでいくのがしんどくなってきた
はいはい、どうせママがいいんでしょ、みたいな気持ちにたまになる
そんで金欲しい時とかだけ甘えてくるんだろうな
そんでいずれはどこぞの知らん男の嫁に行く
結局愛がねぇんだろうな、俺
それ以前の問題で「俺の嫁は上戸彩似かつ俺を養う女しか認めない」「俺の嫁は広瀬すず似かつ俺を養う女しか認めない」
でも別にいいんだよ。それが嘘偽りのない100%の本心ならば、世界中が無理だと言おうが聞く必要性がない
けど、自称非モテの増田たちはそもそも根本的に人間が好きじゃないのよ
おそらく、上戸彩似や広瀬すず似が現れても人間が好きじゃないは治らないぞ
そして好きじゃないものに費やせる労力なんてたかが知れているぞ
勇気ある就活生が「俺/私が入社する会社を選んでやるからまずは指名しろ」をやったみたいに
○ 世界一即戦力な男・菊池良から新卒採用担当のキミへ
○ メチャクチャにヤバイ就活生・近藤佑子を採用しませんか?
Webデザイナー・Webディレクターみたいにポートフォリオサイトを作って
あと一応、婚活パーティーに専業主夫希望ってパーティーあるみたいなので参加する
おそらくどれもしたくないはずだぞ
VRHMDというガジェットがまだほとんど世に知られていなかった頃、数少ない先行者達はキャラクターと共に過ごす未来を切り開いていったように思う。
主に初音ミクと〇〇するVRという内容で、かつての俺はそれが見せる未来に惹かれた。
目の前にキャラクターがいる。
このままHMDが普及するとともに俺と同じ夢を見る人も増え、ますます未来は加速していくのだろうと、ぼんやりと、しかし確実な未来に胸を躍らせていた.
ある時を境に、バーチャルリアリティを取り巻く環境は変わってしまった。
瞬く間に人はソーシャルVRの虜になり、やれアバターだ、やれ新しい自分だなどと言い始めた。
VR空間上で思い思いの容姿をした人間同士が会って会話をする。
なんだこれは。
「現実ではできないコミュニケーションが~」などとほざく人間もいるが、結局は人間と人間が会話することに変わりはない。
おい。
どうしちゃったんだお前ら。
なあ。初音ミクはどうした? お前らあんなに騒いでたじゃないか。
「俺の嫁が目の前にいる」って。あれは嘘だったのか?
もう、キャラクターと共に生きていく未来を思い描く人間はいないかもしれない。
人々はアバターで人間と会話したり、キャラクターというよりかは人間の着ぐるみ同然のVtuberに金を投げつける方が好きなようだし、もはや俺のような正真正銘の陰キャオタクにはどこにも居場所がないのかもしれない。
あれこそ俺が求めていたものであった。