はてなキーワード: ポスターとは
羽生結弦とか冬季五輪大会2連続金メダルとかめちゃくちゃ活躍してたけど
「羽生は凄いけどお前は凄くない」とか言い出す奴は皆無だった
恐らく羽生を応援してるファン層のイメージの大半が女性だったから
「俺の私の大嫌いなネトウヨオタクミソジニーが夜郎自大してる」というイメージに結びつかないので
イライラしなかったのだろうね
あの日、神に願いを託したのは、ある一人の男だった。
「この世の性欲と撮り鉄欲を、どうか交換してください…!」
男は名を田中健二、30代後半に差し掛かった独身男性で、いわゆる“撮り鉄”という部類に属する。
鉄道を撮影することが何よりの生きがいで、日々全国を渡り歩きながら、名だたる鉄道をカメラに収めるのが彼の生涯の目的だった。
しかし、その情熱を周囲に理解してもらうことは難しく、家族や友人からは「どうしてそんなものを撮るのか」と常に冷たい視線を浴びせられていた。
女性との出会いはあったものの、彼の会話の半分以上が「今日の特急あずさの迫力」や「新幹線の美しい流線型」についてだったからだ。
テレビをつければ性欲を煽るような広告が流れ、街を歩けばラブホテルの看板や恋愛を謳う雑誌が彼の視界に入ってきた。
性欲を抱くことが当然で、むしろそれがないことが異常とされるこの世界に、彼はひどく疲れていた。
そんなある日、鉄道の神社に参拝した彼は、思い余ってその願いを口にしたのだった。
「どうか、性欲と撮り鉄欲を交換してくれませんか?」
撮り鉄欲なんて、そんなのが性欲並みに強力なものになるなんて、あり得ないと思っていたのだ。
しかし――彼の願いは、なぜか神に届いた。
翌朝、健二が目を覚ました時、世界は一変していた。
彼が最初に気づいたのは、スマートフォンの通知がやけに多いことだった。
何事かと思って画面を確認すると、SNSには膨大な数の撮り鉄動画が投稿され、YouTubeのトップページも鉄道関連の動画で溢れていた。
何より奇妙だったのは、それらのほとんどに「年齢制限」がかかっていることだ。
健二は頭を掻きながら、YouTubeを開いてみた。
「この動画はセンシティブな内容を含んでいます。18歳以上でないと視聴できません。」
表示されたのは、ただの電車が駅に滑り込む映像。それがなぜセンシティブなのか、健二には理解できなかった。
「めちゃくちゃ良いシーン。完全にアウトだろこれ」
「バンされる前に保存しとけ!」
いつもの撮り鉄の動画が、まるでアダルトコンテンツのように扱われ、視聴者たちも異常に興奮している。
どうしてこんなことに?
混乱しながらも、次に目を向けたのは、街中の広告だった。
以前なら恋愛ドラマや化粧品の広告が目立っていたはずの看板には、なぜか鉄道写真のポスターが貼られ、キャッチコピーには「最高の瞬間を捉えろ!」や「巻頭グラビア芋坂跨線橋!」といった文字が躍っていた。
さらに、健二がコンビニに立ち寄ると、週刊誌のコーナーも異様だった。
普段はファッション雑誌やタレントのゴシップ記事が並ぶ場所に、まるでポルノ雑誌のような過激な鉄道写真集が置かれている。
「な、なんなんだこれは…」
すぐに理解できたのは、健二の願いが本当に叶ってしまったことだ。
性欲と撮り鉄欲が入れ替わり、世界中の人々が鉄道を撮影することに異常なまでの情熱を抱くようになっていたのだ。
それは健二にとって、ある意味理想の世界かもしれなかった。だが、次第にその異様さが浮き彫りになっていった。
街を歩くと、至る所で人々がカメラを構えて鉄道を撮影している。
どんなにささいな路線でも、彼らは真剣な眼差しでシャッターを切っている。
昼夜を問わず、鉄道の動きに敏感に反応し、駅のホームは常にカメラを構えた人たちでごった返していた。
「現在、撮り鉄欲による社会的混乱が拡大しています。専門家によると、この現象は世界的に見られ、既に政府は対策を検討中です。ネット上では過激な撮り鉄動画の規制が進んでおり、多くのサイトが取り締まりを強化しています。」
なんと、撮り鉄動画がアダルトコンテンツとして規制されていたのだ。
YouTubeだけでなく、他の動画共有サイトでも同様の対応が取られており、過激な鉄道撮影はすぐにバンされる。
それでも一部の愛好者たちはこっそりと鉄道動画を共有し、アダルトサイトでは“禁断の鉄道映像”が取引されていた。
完全に狂っていた。
街角の書店に寄ると、性教育のコーナーは消え、代わりに「撮り鉄マナー教本」や「鉄道撮影の基本」などの書籍が並んでいた。
学校でも、保健体育の授業で「撮り鉄の心得」や「撮影の倫理」が教えられている。もはや性教育ではなく、撮り鉄教育が標準となっていたのだ。
健二は家に帰り、ぼんやりと窓の外を眺めた。
外では、鉄道が走るたびにカメラを構える人々が見える。シャッター音が響き渡り、その度に興奮した叫び声が上がる。
「どうしてこうなったんだろう…」
彼の願いは叶ったはずだった。
だが、これは本当に望んでいた世界だったのか?
撮り鉄という趣味が尊重されることは嬉しいが、それが人々の生活を支配するようになるとは思いもしなかった。
欲望というものは、どれも程度を超えれば狂気に繋がるのかもしれない。
そしてふと、彼は気づいた。
撮り鉄欲が支配するこの世界では、性欲を持つ者はほとんどいなくなっていた。
もはや人々は鉄道を追いかけ、カメラを構えることに夢中で、恋愛や繁殖を考える余裕などなくなっていた。
「俺がこんな世界にしたんだ…」
健二は深い罪悪感に襲われたが、同時にどこかで安堵している自分もいた。
少なくとも、誰も彼を「なぜ鉄道を撮るんだ?」と不思議がることはなくなったからだ。それが、彼の心の平穏を保っていた。
人類の存続を危ぶんだ科学者たちが、性欲を取り戻すための研究に着手したのだ。
だが、一度交換された欲望は、そう簡単には元に戻せるはずもない。
プロジェクトのリーダーを任され、プロフェッサーと呼ばれていた男は自宅のPCから鉄道ポルノが見つかり解任された。
人々は撮り鉄に狂い、既に撮り鉄欲を手放すことはできなくなっていた……。
b:id:kowyoshi 兵庫滅亡の始まり
b:id:beresford めでたく大阪の植民地になりました。本当にありがとうございました。/井戸の度重なる失言失政が吉村松井竹中に兵庫を明け渡すきっかけを作った。万死に値するとしか言いようがない。2025年に追い出せればいいが…
b:id:ryun_ryun 名古屋に続き、兵庫県民にもガッカリ。
b:id:take-it 関西はマゾが多いんかいね。政治的にどうにも兵庫もあまり良いイメージないし、うーん、なんというか自滅していくんだなぁと。
b:id:anigoka 兵庫も腐海に沈んだか…
b:id:motsu-sk 何でやねん!!!!アホばっかりか自県民は!!!!!!維新だけはないやろが!!!!!!…マジでどないなってんねん…憂鬱でしかない…(投票に行ったけど入れた候補者は落ちた兵庫県民)
b:id:sek_165 次の神戸市長選で維新が勝ったらいよいよ神戸市は終わりだな。
b:id:robokichi よりにもよって維新推薦を選ぶとは。お隣の県は大阪の何を見ていたんだろうか。この1年だけ見ても相当ひどいのに...
b:id:repon 植民地支配の始まりか
b:id:tecepe 神奈川も他人事じゃないなあ…うちの周りこの1年で吉村洋文知事のバカ面貼ってるポスターぐんと増えて本気で危機感感じてる。
b:id:nicottowatch 維新が出張ってくるやん。移住しよかな
b:id:oyagee1120 神戸市長も維新系になったら、実家に帰る夢もいよいよ絶たれてしまうな…対抗候補があまりにも碌でもなさ過ぎた
b:id:pgohannote わたしは維新だけはNGと思って金沢のおっさんに入れたよ!上手くやってくれたらラッキーやし、ダメでもすぐ引退かなと思ったから。これから兵庫でバタバタ人が死ぬかなぁ。。。
b:id:miyauchi_it こうなるのは予想してたけどやはり実現してしまうと辛い。医療や福祉や教育が疎かにならないでほしい……。
b:id:hearthewindsing 維新の食い物にされる自治体が増えた。県民がチンピラに何を期待してるのか分からん
b:id:z1h4784 井戸前知事が酷すぎたからこうなるだろう。さらに酷い知事でなければいいけどね。ただ淡路島の住民は奴隷として玉ねぎ栽培に従事させられる前に逃げ出す算段が必要かもしれない
b:id:gmkzmrn はてぶの意見は世間と相当ずれてるからな
b:id:Ad2Jo はてぶ民いつも負けているな
b:id:georgew ブコメは怨嗟の声で満ちていたが、「井戸知事が全面的に支援した前副知事の金沢和夫氏」よりはマシだと思った。井戸県政の継続は最悪。刷新は必要、って言ってもどう転ぶかはわからんが...
b:id:stand-out はてなー、いつも通りの敗北に愚民コールですか。選挙結果を一番軽んじてるのはあなた達ですよ。
b:id:nuara 勤勉に維新ディスブコメを毎日付けてるのは、明らかに大阪自民か市役所労組とかでしょう。共産かもしれんが。そういう、少数が毎日書き込めば、このサイズのコミュニティの世論誘導など簡単にできる事を示している。
b:id:taizomaru1123 クソハテブざまあwww
b:id:fishma しかし本当にはてブって世論に全く影響してないというか、別の地平にいるんだな
b:id:high-speed-soba 維新って字を見ただけでビクンビクンするはてブ民、予想通りの反応←8割が関東人、昨夜のニュースまで兵庫知事選の存在すら知らなかった印象
b:id:asahiufo はてなの選挙大敗北者達が馬鹿な有権者は今後酷い目に合うであろうと顔真っ赤、涙を流しながら必死に言って、星一生懸命付けてるわ。チョロくなくてとっても賢い誇り高き少数派の皆様は絶望して国外に引っ越しては。
部隊の休日公開みたいなのってさ、「僕たちはこんなにも毎日休日出勤してお客さんの対応してますよ~~~当然のように全然休めるわけありませ~~~ん」ってセルフネガキャンでしかないよね。
ちゃんとした頭持ってる人なら「そっかーこうやって毎週のように平然と休日出勤させて平気な顔してるカス共とは働けないな~~~~」ってなるでしょ。
逆にそういいう頭を持ってない馬鹿を事前に選別して、馬鹿だけが自衛隊にやってくるようにしようっていう国策なのかな?
パンツ丸出しの女が空飛んでるポスターとか、10年前にブーム終わったゲームの立て看板とか、最終章とか言い出して10年経ってるのにまだ全然終わってないアニメとのコラボとか、そういうのも「僕たちはミソッカスなので時代遅れなキモいオタクくんぐらいしか友達がいませ~~~ん。まともな人はみんな僕たちを見限ってます~~~企業もドンドン軍需産業から撤退してま~~~す」ってアピールとか?
凄いな。
クリーンな日本を作るために自衛隊の規模縮小計画を進めてるのかな?
それとも、本気で自分たちの良さをアピールしようとして、思いつきで休日出勤させられる頻度の高さや、キモいオタクと仲良しなことをPRしてるの?
マジで?
頭おかしいの?
まあ半分グレーな組織だしそうなるか。
全然関係ない増田でフリーっていう競泳アニメのポスター貼られてて思い出したんだけどさ(以下フリー関係なし)
あれすごく変だった、嫌とまではいかないが
実写でそこにあるべきものがないの
他とか過去とかはどうしてる?と思ったらジャージ着てたり、顔だったり、競技中のそもそも乳首映らないアングルだったりでそこらへんは違和感なかった
消しゴムマジックとか流行ってた時期だったと思うし時勢に乗ったのかなと思うけど、個人的にはやめてほしかったな
と思いました
その「落ち着く」は「正常な判断を促す精神的余裕」ではないでしょう?
公共の乗り物空間は「落ち着ける場所」ではないので落ち着いてもらっては困ります
「なんらかの充足を得る」ことを「落ち着く」としているならばそれは充分な個別のサービスを受けたいという事です
公共交通機関は多数の人が同時に利用するため常に緊張を持って行動してもらいたい場所です
周囲に気を配り注意しながら自分の行動が他の人にどんな影響を与えるのか気にしてもらいたい場所です
起立したままの利用が困難な人むけにあるべき座席以外は無いほうがよい位でもあります
もし、多人数の利用する中で問題が発生した場合、自身を含むその場の人たちに迷惑をかけてしまう可能性がある場合、利用を差し控えたり異なる状況での利用をすべきです
そんな事いっていたら間に合わない、約束が守れない、不便だとするならば、安全な経路確保に合わせて約束や予定をすべきです
感染症に罹患した方が電車の利用をするのにもし理由があったならば、それについて配慮する必要があるのかという理由でのマスク着用や消毒喚起ではないはずです
自分の生活空間や自分の時間利用に目的をもって使用するのと、自分の制御下にない環境にそれを使用させられる事について不満や不安、好適でないと感じるならばそれを避ける行動をすべきです
他の方が利用している空間や提供物について、個人がそれを好まないため大多数に制限を要請する様をみてもし有意義だと感じるならば、一個人が利用したい内容を自分を含む大多数が許容することも認められるべきでしょう
それがもしこの件ならば、我慢すべき側にまわっているという事について不満がもしあるならば、その不満を申し出たい内容についてもほかの一個人からの意見からでも聞き入れるべき事になろうということは想像されてしかるべきです
ポスター掲示やラッピングが、安全性を損ねるという理由であったりあやまった利用や損害を発生させる理由として個人の事情以外があるならばそれは問うに足りるのではないでしょうか
これだ‼️
Apple Vision Proみたいなヤツで、周囲の「キライな広告」をAR技術で「お好きな模様」とかに置き換えて、見なくて済むアプリってのを作るんだ! 特許申請だ!! スタートアップ起業だ!!!
これでオレも億万長者目指せるぜww
(ついでに追記)
オレは自分の部屋の壁に森高千里のポスター貼ってたけど、十分勉強できて、偏差値60いくつかの大学りっぱに卒業して、ITエンジニアとしても活躍できましたw
ひろゆきが「壁にポスターを貼っている人は勉強ができない」と断言しているのですが、
言いたいことは、まあその通りだと思います
特に人間の描かれているポスター、アイドルとかの写真の視線が自分側を向いてる、カメラ目線である、というのは常に監視されている、という圧迫感があります
俺は圧迫感なんか感じていない、という人も自然と気が付かないだけで感じているはずなんです
1984のbig brother watching youです
誰かに見られている、という状態は緊張感を生み出し、自分の実力を発揮できない状態になります
実は、私は人前に立つと手が異常に震えてしまうことがあり、ギターとか楽器が弾けなくなりますし、そのことで職場で上司にバカにされたトラウマもあります
しかし、人前でなければ、例えば自室での練習であれば、なんの緊張感もなく、ちょっと難しいフレーズも弾けるようになります
で、ですね、自分はパニック障害気味なところもあるので、バスや電車自体が苦手で、且つ今は人生で最も酷い状態で、まったくバス、電車に乗れない状態なのですが、
それでも、バスとか電車とか、ちょっとでも落ち着きたい状況の場所では、周囲の壁のテクスチャーとかはニュートラルであってほしいと思ってます
まったくの白、マットな白の床や壁の空間が合ったら、多分ですが、距離感がおかしくなるはずです
でも、ロシデレの絵もそうですし、他のラッピングとかもどうかと思っています
単純に、オタ絵のラッピング、痛車みたいなのが嫌いというのもありますけど、痛車は個人の自由の範疇じゃないですか
でも、公共のバスとか電車はそれが不愉快な人、困る人も強制されてしまうわけで、そうなると公共のものというのは、多少無味乾燥になっても仕方がないのではないでしょうか?
そんなことよりも、アニメーターの労働環境なり、もっと社会を良くするべきことはいっぱいあるはずなのです
あと、ネットでウザイ広告が出てくることが不愉快で、広告をブロックしたり、ブロックできない広告に泣かされたり、普通にあると思うのですが、
ロシデレラッピング電車みたいなのも広告ですし、ウザいネット広告と同じだと思う人がいたっておかしくないですよね?
というか、私はそのひとりなわけですけど、現実世界の広告もブロックできるプラグインがあるならブロックしたいんですが、
そういう意味でも、ロシデレラッピング電車が不愉快だよね、と表明するのはそんなにおかしいことなのでしょうか?
まあ、言いたいことをまとめると、電車とかバスでは気分を落ち着けたい、というのが私の意見です
ラッピングバスやラッピング電車は、ウザいネット広告と同じで、今、見たくないものを目せつけられる、という強制感さえあります
ロシデレはつまんないので見てないですが、マケインは見てますし、逃げ上手も見てますし、エロ漫画も読んでるし、VRのAVも鑑賞しています
でも、外でマケインや逃げ上手やAV鑑賞はしませんし、エロ漫画も読みません
ロシデレはnot for meですが、ロシデレはまったく悪くありません
数年来の歌舞伎ファンだけれど、ネットに放流される歌舞伎の感想を見ていると、グロっ!と思うときがある。
いちばんそれを思うのは、歌舞伎の家に生まれた子ども(特に未成年)に対しての、「お父さん(orお爺さんその他親戚)に似てきたね!」っていう感想。そういう感想には、ふと見ていて自分で思い至ることもあるけれど、一方で、自ら振り返ってみると、又は他の人の感想として見ると、うわっ!グロっ!と思ってしまう。
思っているだけだとモヤモヤするから、何がグロいかを言語化してみると、それは、本人が決めるべきこと(将来の職業選択、そこで役者を選択するとしてその芸風・方針)について、生まれや血族といった本人の意思ではどうしようもできない事実を評価の基準として、第三者にすぎないいちファンが勝手に判断して評価しているから、だと思う。
もっと踏み込んで言うと、無限の職業選択の自由が拓けているはずの子どもに対して、第三者がその子どもの将来を(職業だけではなく芸風まで)決めつけてしまっているという点について、無意識であるにしろ、ものすごく高慢に見える。
この所感は、古典演目を、比較的若い役者が、過去の大役者が確立したような型に倣ってやるような場合に、当該大役者の親族(又は、その中でも風貌が似ている者)にやらせないとおかしい、みたいなコメントが出てくる場合にも同じことを思ってしまう。結局それは、今の演者ではなく、過去の演者を求めているに過ぎないし、(こういう鑑賞態度は歌舞伎だとあるあるではあるけれど、)個人的には、そのような鑑賞態度である限り、今の演者を(自ら理想化した過去の演者と比較して)批判的な目でしか見ることができないから、観劇が辛いものにしかならず、実りのある観劇体験にならないんじゃないかと思う。
(逆に、役者に対する「〇〇屋に生まれたんだから(or所属しているんだから)、△△さんから指導を受けて××(演目)をやらないとおかしい」みたいなファンの意見も同じ。言ってるファンは、親祖父母から指導を受けて同じ仕事やってるんだろうか……。)
いや、そもそも上記のようなことを言ったら、御曹司のかわいい初舞台で、ベテランのお弟子さんがセリフもなく後ろに座っているという構図自体、あたりまえだけど普通にグロい。
もっとも、もうこういう家による階級制度は、あと20年(いや、10年?)経ったら、消えて無くなってるんじゃないかなあと思う。そして、そういう兆候がちらちらと現実にも顕れていることは、今の歌舞伎ファンならば分かると思う。
つまりは、これからの中心的なファン層は、歌舞伎への入り口が、刀剣乱舞歌舞伎その他の2.5次元歌舞伎、又は、大河ドラマその他の映像作品である人が多いと思われる。そういう人たち(そうでなくても、これからファンになる若者層)に、「お家」とか「名跡」とかに重きを置いて、扱いに差を設けることを正当化するような価値観は、もう通じないんじゃないかなあ、ということだ。ただでさえ、「親ガチャ」が流行語を超えて浸透しているような世代だし。
(個人的に、初報が発表されたとき、刀剣乱舞歌舞伎は今できる最高のコラボ歌舞伎だと思った。和の世界観と親和的で、既存のファンの方の数が多くて、しかも観劇に抵抗がなく、むしろ積極的であるというのがすごい。これから若い歌舞伎ファンの殆どが刀剣乱舞が入口、ということは、普通に起きるんじゃないかなあって思う。いや、もう起きている?)
一方、上記で、階級制度が無くなるという兆候が顕れている、とは言ったけれど、現状は、それは、名家の御曹司が座頭を務める舞台で、実力のある弟子を大役に抜擢することがある、という形にしかなっていないとは思う。つまり「使う側」(座頭)と「使われる側」(大役に抜擢される弟子)がある、という権力構造には変わりはなく、単に「使う側」のお慈悲が発揮される回数が増えただけ、という状況にしかないようには思う。すなわち、従来の力関係にはそこまで変わりはないんじゃないかっていうことだ。
(あと個人的には、そういう「抜擢」をした役者/「抜擢」をされた役者のことを、美しいストーリーとしてSNS等で賞賛する行為は、度が過ぎると、上記の権力構造の再確認になりかねないし、弟子の苦しい立場ごと消費しているような感じがして、あまり乗り切れないところがある。歌舞伎御曹司の感動ドキュメンタリーと消費の仕方が同じというか。但し、そういう風潮が抜擢を後押ししていることは否めないし、全部を否定はできない。結局、観劇というのは突き詰めると観客による役者の消費ではあるし、役者のバックグラウンドごと観客に消費させるのは、歌舞伎が今まで取ってきた手でもある。)
(さらに言うと、一部SNSによる一部の役者・家への軽率なDISも好きではない。ちゃんと芸単体を見て評価できる人が評価しているならともかく、SNS(というか、その人が構築しているタイムラインに流れてくる限られた情報)の、この人なら批判対象としてもいいんだ、という雰囲気に流されて、大した芸の批評もせず批判をしてるんじゃないかって気もするし、自分が「見巧者」であることのアピールとして軽率に使われてるだけな気がする。)
じゃあどうするんだという話だけれど、近い将来、御曹司と弟子をキッパリ区別して取り扱うような現行制度について、どこかのタイミングでアナウンスがあって形式的な解消がなされる、という事象が起きてもおかしくないんじゃないかなあとは思っている。あくまで、上場企業である松竹が、今の門閥制度は上場企業に相応しくない、とか言って形式的にやることかなとは思うけれど。具体的には、まずはポスターに名前を載せる基準とか、筋書きの後ろの方の写真の大きさとか、動静表のあの色分けとか、あそこら辺の形式的な取り扱いから(一律、名代試験→幹部昇進で区別するとか。)。
もっとも、役付きも、それに伴って柔軟になっていくってこともあるかもしれない。ただし、私は幕内の事情は全く知らないし、上記権力構造は変わらないのかもしれないし、この考え方も全くの的外れかもしれないけれど。そもそも、歌舞伎名家の権力(私から見えるのは、歌舞伎座古典の大役の配役くらいだが)がどこに裏打ちされているのかもよく分からないし(メンツを見てると、必ずしも集客じゃない気がする。そうすると、本当に“名家”であることの一点のみで権力たりうるということなのかもしれないけれど、平成生まれの自分にはピンと来ない。)。
最近の御曹司はみんな上手いなあと思う。やっぱり、現代になって、色々な選択肢が拓けている中で、今の若手世代の御曹司の皆は、自ら歌舞伎役者になることを選んだんだと思うし、やはりその覚悟に見合うだけの実力がある。これから歌舞伎がどうなっていくか全くわからない中で、歌舞伎を将来の道として選択してくれたことは、歌舞伎ファンとしてとてもありがたい。そんな御曹司たちとそうじゃない人達とで切磋琢磨していくのが健全なんじゃないかなあと思う。
そして、冒頭に戻ると、「お父さん(orお爺さんその他親戚)に似てきたね!」といった一連のグロい感想も、今の価値観にそぐわないものとして自然と淘汰されていくんじゃないかなあ。そして、価値が大き過ぎて空席になっていたはずの大名跡の価値は、空席のまま忘れ去られることになり、古典演目が歌舞伎座でかかるとネット上でもかろうじて見受けられる、あの動作は過去に誰々が始めたものだ、みたいなコメント兼マウントと、それを把握しなければならないという価値観も、良くも悪くも間もなく消えていくんだろう。
――最近は研修所への入会やお弟子さんの入門自体微々たる数しかないから、まずそこから増やさないと、歌舞伎文化の継続自体がかなりマズい? それはそう。
牛角の女性半額問題、この手の論争には結論も出ず解決もしないだろうからもう疲れてたし見ないことにしてたんだけど、
某業界の有名人が呟いてたのがちょっとピンと来たので書くことにした。
以下
(マルコピは怖かったので一部言い換え 内容変わらず)
別にこの呟きを批判するつもりはない。むしろ一般というか当たり前な反応なんだと思う。
忙しい人だろうし男女論とか弱者男性云々とかなんて見る機会ないだろうし、これが当たり前なんだと思う。
でも、この言い分が通らなかった例を何件もしってる。くだらないと思ってても対応させられてきた問題をずっと見てきた。
男性客の新規層開拓のため「アニメポスター」ってアプローチを取っただけでしょ。
新規層開拓のため「コラボ展開」ってアプローチ取っただけでしょ。
若い人向けのためにvtuberやってみただけでしょとかこのキャラ人気だから少しでも目に留まるようにとか。
でもデザインが卑猥だ女性蔑視だ非現実的だキモイ、言われて批判されて
今じゃ少なくなったかもけど、結構企画中止に追い込まれる場合も多くて
くだらない論点だったじゃんキャラデザとか服の影とか。企画の目的や意図とは明らかに別の批判が飛んできて
しかも議員やNPOのお墨付き、社会的意義がある批判のように扱われ
なのに発言に責任を持たない。「女性活躍推進」の活動実績にされ、批判されても反省などせず罰則もくそもない。
「正しい」連中がずっとイカれたことをして何もなかった。
「次の正しいこと」を主張する奴も多分イカれた奴なんだと思う。
だって女性の人権運動も黒人の人権運動も、最初の最初はイカれた奴扱いだったんでしょ。
俺はもう疲れたし、何かしら明確な基準や法的平等が実行できるとは全く思わんけど
イカれた奴が言う「正しさ」が本当に正しいのか、ただミイラ取りがミイラになって狂っただけなのかはちゃんと考えないといけないけど、