はてなキーワード: グラフとは
国別の100万人あたりのPCR件数と1000人あたりの死亡数でグラフ作ってみたけどPCRをたくさんしている国って何かいいことあったの?
バカだからこんな比較の仕方しかわからないし、英語を読み違えているかもしれないけど。
1.https://www.worldometers.info/coronavirus/#countriesのデータで100万人あたりの検査数(Test/1M pop)で件数が多い順にソートする。
2.コピーしてLibreOffice Calcに貼り付ける。
3.比較できるように100万人あたりの死亡数(Deaths/1M pop)に1000を乗じる。
4.縦棒と折れ線のグラフを作る。青の縦棒が1000人あたりの死亡数で赤の折れ線が100万人あたりの検査数。
死亡数が0のところはデータなしのところもある。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210717/k10013144191000.html
この記事のブコメ見たらイギリスの死者数とブラジルとかの死者数を比べているコメントが人気になっていて頭痛くなった
普通に考えたら感染したらすぐ死ぬんじゃなくて、感染→重症化→死亡というプロセスを経るんだから感染からタイムラグがあるのは普通分かるだろ
実際にグラフを見ていると、感染者数の増加と死亡者が連動するまでには3週間ぐらいラグがあるのが見て取れるので、その頃のイギリスの感染者数を見ると大体15,000~20,000ぐらいなのが分かる
そのイギリスと感染者数が30,000~80,000ぐらいでずっと推移しているブラジルを比べるのは意味がなさすぎる
単純計算すると今から3週間後ぐらいのイギリスの死亡者数は2~3倍ぐらいになることが分かる
もちろん俺は感染者数と死亡者数の相関がすぐに表れないこを言いたいだけで、ワクチンに効果がないことを主張したいわけじゃないので、死者が抑えられるのは間違いないと思う
ただ、現状の死者数で楽観視するのは時期尚早なのは間違いない
まあそれを言っちゃあ一番馬鹿なのは10日ぐらい前に感染と重症化・死亡の間の関係が断たれたとか言ってたボリス・ジョンソン首相と英政府だが
https://www3.nhk.or.jp/news/special/coronavirus/data-all/
ここを見ると、昨年からのコロナの感染者数、死者数、重傷者数の推移がわかる。
スクロールバーを動かすとこの去年からの推移がとてもわかりやすい。
例えば、感染者数。去年の1回目の緊急事態宣言が出た際の棒グラフの高さと、現在の棒グラフを見ると今がどれだけコロナに慣れきってしまったがよくわかる。
重傷者数は去年の5月からのデータになっているが、今のほうが重傷者数が多い。
それでも医療が逼迫してるとあまり聞かなくなってきていることを考えるとそれなりに体制が整えられてきているんだなと思ったりする。
現在のコロナ感染状況は概ね、6月に予想されていた国立感染症研究所・京大等のシミュレーション上でデルタ株の影響が大きい最悪のパターンになりつつあった。
2021年6月16日厚労省新型コロナウイルス感染症対策アドバイザリーボード資料
これはオリンピックの人流増でコロナ感染が大きく増えるとも報道されてた内容だ。
(ちなみに、TV報道は、デルタ株の影響・小、緊急事態宣言なしのグラフを報道していたので状況はより悪い)
予想通りの悪化っぷりから緊急事態を宣言することにしたのだろう。
ここで、オリンピックを批判するならば同じように科学的な問題点として扱わないと「安心安全のオリンピックです」「コロナは風邪」と何ら変わらない非科学になるので
一般人のネット民は上記予想をベースに反対の根拠を上げる必要がある。
個人的には緊急事態宣言+オリンピック無観客の決断により、オリンピック自体の人流増加の影響は最小限になったと考えているので、
「解除後人流10%・オリンピック全般的な人流変化なし」の予想シナリオで進行すると思っている。
後オリンピックに残ってるのは未知の変異株が持ち込まれるリスクと、政治家が好き放題した負債くらいで
中止するほどとは考えてない。
https://anond.hatelabo.jp/20210706105230
土下座して謝れや
===
何年かかって10万人?
たしかに少子化はゆっくりすすんでるけどオマエの見てる統計うそやぞ おっと土下座はまだか
https://resemom.jp/article/2021/06/07/62123.html
出生数は前年(2019年)より2万4,407人少ない84万832人
グラフで見てわかるとおり漸減だが急に2020だけ凹んでることはない
コロナのない2019年もそのくらい減ってる
2019年はコロナがなくても
https://resemom.jp/article/2020/09/18/58189.html
前年(2018年)比5万3,161人減
グラフの描画も表計算も数値計算もExcelの方でよくない??
関数、ピボット、VBA、ソルバー当たり使いこなせばだいたいのことできるのでは…
強いて言うならpandasのdf.describe()には感動したけど、普通にExcelでも関数書くだけだしな〜と思ってしまう。
データ分析の基礎しか勉強していないから、あれなんだけど、これからどんどんExcelではできない作業がPythonではできるようになるの???
ちなみに、スクレイピングとかは圧倒的にVBAよりPythonとかなんだろうなってのは思っています。
(追記)
日本語以外のダジャレ、ダジャレの歴史に興味があって英語版Wikipediaの"Pun"のページを見ていたが、どうにもよくわからん記述がある。
History and global usageの項にある以下の記述がなんともよくわからない。
DeepL翻訳によると「日本では "グラフマニア "もダジャレの一種だった。」と出るが……
graphomaniaってなんだ?というのをぐぐってみるとずばりこれという検索結果は出てこないが、「書字狂、何でも書かずにはいられない症状」のような意味合いか?
書字狂ってダジャレなんだろうか……
仮説1:英語で"Pun"はダジャレ以外の意味もある(まず全文読みましょうということだな)
仮説2:"graphomania"の意味解釈が間違っている
参考文献の"The Cambridge History of Japan"の中の記述が元ネタのようなのでこれを読むのが確実か。
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以下追記。
"The Cambridge History of Japan"の該当部分を引用。
The ultimate in orthographic word games is provided by such a rebus as "on top of the mountain there is another mountain," represented by five characrers that form the verb ide, "come out." The point of this visual pun is that the character for "come out" resembles two superimposed "mountain" characters. Graphomania of this order was not only a Japanese malady. In fact, the "two mountains" rebus derives directly from a much more complicated series of conundrums in Chinese poem included in Yu-t ai hsin-yung.
要約するならこうだろうか。
「山の頂上の上に別の山がある」というなぞなぞの答えが「出」で、このようなGraphomaniaは日本人に限った病気ではなく中国の古い詩に由来する。
自分の中で変わったなと思うことをまとめてみる。
今まではコンパクトデジカメを使っていたが、メディアを差しなおしたり、ケーブルに繋いだりするのが面倒だった。
スマホなら普通にケーブルをつなぐようになるし、そこから「PCから」操作していくらでも吸い出せる。
最近はさらにNASを購入して「スマホから」操作して画像データを共有フォルダに送ることができるようになった。
これが結構重要で、必要な画像だけを確認しながら転送できるので利便性が数段アップした。
もはやコンパクトデジカメはスマホ自身の画像を撮る以外の用途はなくなっている。
今までつけていなかったわけだが、せっかくアプリがあるのだからということで書き込んでいる。
入力が面倒にならないようにいろいろな分類やUIに工夫が凝らされており、6月分は飽きずに入力できている。
入力してみて面白いのは、やはり収支が一覧できたりグラフ化できたりするところだ。
今まで何の気なしに散財してきたな、と言うのがよく分かった。
これもアプリがあったので入れてみた。
毎日間隔で体重を入力していくだけなので、とくに入力が苦になることもなく1か月続いている。
先述の家計簿と一緒で、蓄積したデータがグラフ化できるのが分かりやすい。
YouTubeのマイミックスリストで好きな曲が勝手にリストアップされるので、気分よく聞くことができる。たまに広告が入って気分が害されるが。
ウィジェットでGoogleカレンダーを表示させるようにするとなかなか便利だということに気が付いた。
以前PCでも予定を組んで作ったことはあるのだが、確認するのにわざわざPCを立ち上げ泣けなければならず、結局放置してしまった。
スマホは基本的にすぐ見られるし、急な変更ならスマホからでも編集できるのでとても便利だ。
買い物系(Amazon・ヨドバシなど)はやっぱりPCの方が使いやすかった。品物を選ぶのも、購入するのもやはりPCの方がいい。
漫画ビューアも試してみた。片手で見られるのは画期的だったが、やはり画面が小さい。タブレットにしたい。
プロダクトライフサイクルという言葉でも経済やコンテンツで起こることは説明できるのだが、より直感的な説明をしたい時には「境界線上のホライゾン」の「歴史再現」という言葉を引用したほうが早い気がする。
新しい文化ができると近似する文化の歴史を再現したかのような動きをするからね
経済学ではこれを「プロダクトライフサイクル」と言って黎明期から安定期に至るまでをグラフと注釈で描くのですが、より実感の伴う形で表現すると「歴史再現」なんです。
近似する文化で起こったことが今新しく興った文化で再び再現される。
私が境界線上のホライゾンすごいなぁ〜と思ってる理由ってその辺なんですよね。
決してそこまで詳しいわけじゃないのですが、作品を読んで覚えた言葉や意識した概念を引用したくなる魅力や便利さを持ってるんです。
1巻しか読んでないのに境界線上のホライゾンを語るアオニイ
でも安心してぇ。入試問題で出てくるようなぁ、接線の本数問題、そっから何本引けますか問題!
いつも、この式が成り立つぅ、接線と接点が一対一対応するぅ、二重接線が引けないようなベーシックなグラフしか出されないからぁ!安心して君達はぁ!tを数えたらいいんだよぉぅ。
ただな、この解法を覚えたからといって、全ての接線の本数が数えられるようになったなどと思うな。
所詮、手際よく解けるように作られた入試問題という箱庭の中でしかぁー、いっ、生きていけない解答に過ぎないんだ。いぃかぁー?
ヤクザみたいな語り口ばかりが話題になることが多いけど、ちゃんと「数学」をやった人間と大学受験合格請負人、そのどちらのプライドも感じられる名講義だと思う。他にも面白い雑談がニコニコとかYoutubeに上がっているので暇ならちょこちょこ見て見てほしい。
弱者男性論はフェミニズムへのカウンター・ミラーリングから生まれた概念で、だからこそカウンター・ミラーリング以上の社会的意義を持たないし目的もないというのは正しいと思うし、そのカウンターとしての意義すら見失ってしまった「あてがえ論」や「女性の教育や社会進出を制限」などという時代錯誤な意見は論外だと思う。
そういった過激な思想を取り除いたとしても弱者男性論は結局の所かわいそうランキング向上運動でしかなく、弱者であるから優遇されるべきだ、弱者なんだから強者(女性)への攻撃は正当化されるといった外部への責任転嫁に終止してしまい、その「成果」を得るためにますますかわいそうランキングを向上しようと自身の弱者性をアイデンティティにしてしまう矛盾に苛まされることになる。だからこそ、弱者男性論に解決すべきイシューはなく救いようはないという意見や反論もわかる。
そうは言ってもフェミニズムという性別による差別に戦ってきた先輩の方法論に学び、弱者男性という階層・集団が発見され名前がつけられたことは意義があったんじゃないだろうか。名前があることで初めて対象を考察できるようになる。弱者男性の存在を頑なに認めない人もいるが、課題があることを認めることはそれを即時解決しなければいけないことを意味しないし、ましてや解決していないからと咎められることもない。人間できること・やれることには限界がある。まずは「弱者男性」という概念があることだけでも認識されれば十分な気がする。
そんな非モテ弱者男性を本当に救うのは、あてがえ論や女性の社会進出の制限など女性の権利を押さえつけることではなく男女平等を実現することではないかと思い至ったので簡単に書き下してみる。この増田では上でも書いたとおり特に非モテにフォーカスした非モテ弱者男性論について書くので低収入等については考慮しない。一般に弱者男性とモテの話が切り離せない理由、弱者男性論が女性に向けられる理由も同時に書こうと思う。
フェミニズムや反女性差別の本丸の一つは間違いなく所得格差だろう。具体的な数字もありわかりやすく、女性の社会進出の指標としてよくあげられる。実際のところ、正規雇用社員において女性の所得は男性の75%程度に留まると言われており、男性と同一の労働でありながら女性であるからという理由で所得格差がもたらされているとすればそれは差別的と言える。
たとえば、統計的に女性の20代後半から30代の離職率が高いので女性という属性によって雇用を渋ったり昇進を阻んでいるとしたら、それは犯罪率が高いという理由で男性保育士の雇用を渋るのと同様に差別的だ。
グラフやデータはほしい結論を仮定して読むと見誤る。女性の所得が低いのは女性が差別されているからというのは本当だろうか?女性自体が高い所得を望んでいないとしたら?日本の女性の幸福度は男性の幸福度に比べて著しく高い。目的と手段を取り違えてはならない。大金を手にすることが目的ではなく幸せに生きることが本質的であり金はそのための手段に過ぎない。日本の女性は稼ぐ必要に迫られずとも幸せになれるからそもそも稼ぐ必要がないということはないだろうか?逆に男性は「稼がされていて」それゆえに不幸で、女性は労働から解放されていて「稼ぐ必要がない」ゆえに幸福なのではないだろうか?
仮に実際に稼ぎたかったとしても女性は稼ぐ努力をしているだろうか?非モテ弱者男性が悲鳴を上げているとき真っ先に投げかけられる「モテる努力をしていないのでは?」「だからモテないんだ」という言葉、そのまま返ってくることは考えなかったのだろうか?まさかキラキラ文系キャンパスライフみたいなことをしてなんの学も積まずそれゆえに「パンプスを履かされる」ような労働しか選択肢がないことを差別などといっているのだろうか?低い職業能力しかないから容姿が問われるような目にあっているというぐらいの想像力もないのだろうか?女性性を求めず、責任に伴って高い給与を与えてくれる仕事なんていくらでもある。
シンプルな話として、そんなに稼ぎたいならなぜ女性は理系を選ばないのか?少なくとも稼ぎたい女性であれば実際的に稼げる能力やそういったキャリアパスに投資すべきだろう。理系修士・博士女性の知人友人なら年収1000万程度かそれ以上も珍しくない。
成果物を求められる仕事は成果物こそが全てだ。愛想笑いでは機械は動かない。そういった世界では性別なんてものは些末で、結果を出す人間こそが正義だし高い対価も支払われる。なぜそれを目指さないのか?「稼げる努力をしていないのでは?」「だから稼げないんだ」と言われても仕方ないのではないだろうか?
フェミニズムや反女性差別の文脈で特徴的な表現に女性の性的客体化や性的消費というものがある。性的客体化はものすごく簡単にいえば「女性をモノとして扱うこと」「女性の主体性を認めないこと」である。
女性に限らずだが同じ人間を人間として認めずモノのように扱うのはまったくもって不当であるし、そういう風景を見るのも不快に感じる。そして女性がそのような人間的でない、男性の性欲を満たすためのモノ扱いを受けるといったシーンは見たり聞いたりする。そういった加害者と戦うべきだ。書くのも嫌だがいわゆる「ヤリ捨て」といった言葉などにもあるように、モテ強者男性が女性をモノのように扱うような話は枚挙にいとまがない。ではフェミニストや女性はモテ強者男性と戦っているだろうか?
これはトートロジーではあるがモテ強者男性は女性にモテるのだ。すなわち、なぜかフェミニストや女性は自らを性的客体化するモテ強者男性を攻撃しない。それどころかモテ強者男性に群がっているのだ。つまり女性の性的客体化を積極的に支持しているのは女性自身という矛盾が生じる。そしてなぜか女性には触れることも会話することも早々にかなわない非モテ弱者男性を攻撃するのである。
フェミニズムの文脈ではこの性的客体化の不自然な適用がしばしば行われる。いわゆる二次元女性に対して「これは女性を性的客体として扱っており、そのような表象は女性の累積的な抑圧経験の強化につながる」と。たしかにこういった表象は男性をATMに例えたり年収で評価するようなことを公の場で発言することで直接的な男性の経済的客体化・モノ化と同様抑圧的かもしれない。
このような過激な言説は一部の極端なフェミニストの行動であり大半の女性はそのような攻撃的なことは行っていないと思うかもしれない。しかし様々な研究で明らかになっている通り女性は男性の上位2割程度にしか魅力を感じず、そして魅力を感じない非モテ弱者男性8割についてはその行動の如何に関わらず不快だと感じる。席替えで非モテ弱者男性が隣の席になったからと泣く女性がいた場合、加害者はどちらだろうか?
このような非モテ弱者男性を積極的に排斥しようという女性の本能的欲求が、相手を求める男性の「正(+)の性欲」に対して相手を排斥しようとする女性の「負(-)の性欲」と表現されたことは記憶に新しい。
この負の性欲と「女性が不快と思ったら加虐」とされるセクハラ・性的消費という概念の組み合わせは非常に強く、何をやっても女性に不快と思われかねない非モテ弱者男性は女性の気分を少しでも害したらセクハラだと指弾され社会的に抹殺されかねない。
女性は男性に対して身体的に弱いため男性が近くにいると恐怖を感じるという話と同じように、非モテ弱者男性は女性からの中傷やセクハラ指摘ナイフによっていつ刺されるか常に怯えながら生活しているのだ。悪いことに、暴力を振るえば逮捕は免れないが、セクハラ指摘なら非モテ弱者男性を社会的に殺してもなんの罪にも問われない。
これが弱者男性論が非モテと不可分であることの理由である。モテの量は女性の感情的な加虐性からの盾であり、非モテであることは女性からの加虐を受けることを直接的に意味する。そしてその意味において現代日本の男性はほとんどが弱者男性であり、結婚していても「本当に結婚したかった男」にはなれずATMとして扱われたり旦那デスノートで罵倒されたり托卵されたりなど被虐される立場にあるのだ。あてがえ論は女性の人権を制限するという意味でもまったくもって荒唐無稽であるが、同時に弱者男性の救済にも値しない。
ここまでだらだらとフェミニストの主張や女性差別について考察してきた。端的にまとめると現代日本では一般的に女性は理性的に行動ができず本能を抑えることができない野蛮で怠惰な状態にあるということが言えるかと思う。そしてそれが非モテ弱者男性という女性に加虐される被差別階級を生み出している。
しかしここで短絡的に「だから女が悪いんだ!女はダメなんだ!」と思った方々は少し落ち着いてほしい。これは上記のあくまでごくごく僅かな例から一般化した話であり、女性のすべてがそのように振る舞うということを意味しない。今短絡的に怒りに飲みこまれたあなたより遥かに理性的で、高い成果を上げ人類に貢献してきた女性はそれこそ星の数ほどいるだろう。すなわち「女性であること」は「理性が弱く本能を抑えることができない野蛮で怠惰な状態」の必要条件でも十分条件でもない。つまり弱者男性論に散見される女性叩きではなにも解決しない。そうではなく、現代日本の女性がそのような野蛮で怠惰な振る舞いをしてしまいがちな構造的な問題があると考えるべきだ。
そしてその構造的問題を解消できれば、女性が理性的で主体的になり男性同様本能を抑えられるようになることが期待できる。そしてそれは非モテ弱者男性にとって本質的な救いになりうる。
社会が男性に本能を抑制するように要請することで近年の社会秩序の発展と女性の地位向上がなされてきたように、女性が本能を理性によって抑制できるようになれば女性による非モテ弱者男性への中傷や排斥的加虐が抑えられ、何度も訴えられてきた非モテ弱者男性の消耗した自尊感情や社会とのつながりの回復も期待できるだろう。
では、女性が本能を理性で抑制できず野蛮になってしまう構造的問題とはなんだろうか?おそらくそれは男女の不平等だろう。
未だに「女性が高学歴だと結婚できない」「男性は自分より所得の多い女性と結婚したがらない」「女性は家事と愛嬌」といった女性に対する社会的抑圧は残念ながら存在する。そしてこのような女性の教育や社会進出を推奨せず結婚して扶養されることこそが幸せだという価値観の押しつけは女性の教育・社会進出を阻害するだけでなく、そういった過程で培われる理性的思考や主体性を女性から奪ってしまう。同時に女性に「私は社会から抑圧された」という言い訳を与えてしまい努力するモチベーションを失わせて堕落させてしまう。こうして本能のままに弱者男性を攻撃排除し被害者面をしながら強者男性に媚びを売る怠惰な女性が構造的に発生してしまう。繰り返すが彼女らにその責任はない。構造的問題は構造的に解消されるべきだ。
ではこれらの慣習を打破し、男女平等を実現して女性に理性的になってもらうにはどうしたらよいだろうか。高度化した現代では教育の水準がある程度強く所得に影響しており、経済的事由によって教育を受けるインセンティブを設定できる。すなわち女性が「稼がねば」と自ら思うような状況を生み出すことで、必然高い教育を受け理性が鍛えられ本能を抑制できるようになることが期待できる。
ではどうやったら女性が「稼がねば」と思うようになるだろうか?わかりやすいのは婚姻制度にメスをいれることだ。しばしば「女性は婚姻制度で楽をしている」「理解のある彼くん」と批判されるように、女性が男性の収入に依存する構造が女性を怠惰に堕落させ社会進出を阻んでいる。ひいては最初に上げた所得格差などを温存する結果となっている。
そのため女性が男性の収入に依存できないようにし、女性自身が必死に「稼がねば」と思うように法律を修正するのが効果的なはずだ。たとえば
このように、女性が男性の収入に依存するための多くの法律や制度が存在する。基本的にこれらの法律の修正をしたとしても「一人暮らしが二人」の経済状況とは変わらないため、女性がきちんと社会進出し労働し稼げている限りにおいて女性が極端に不利になることもないはずだ。にもかかわらずこれだけ「女性は男性の収入に依存せよ」というシグナルが法律にまで入り込んでいるのはグロテスクに感じる。女性が社会的制度によって強く婚姻や男性に依存して堕落することを動機づけられてしまっているのは異常だし、社会で活躍したかった・できたはずの多くの女性にとって悲劇と言えるだろう。フェミニストとしても解決したい課題のはずだと思う。
もちろん女性の出産に伴うフォローのための法改正も同時に必要になるだろう。これだけは男性にはどうしようもない。1年間の法定産休・育休と休職期間中の給与保証などの大胆な支援策もあるべきだと思う。フェミニストのいう結果平等はこういった形で強力に推進されるべきだろう。
出産後に男性の経済的支援があるならとパートタイム等の責務の軽い・時間の短い仕事に移ってしまう女性も多いと聞くが、上記婚姻制度改革によって男性依存を断ち切ることで改善が期待できる。男性のように「働かなければ・キャリアを失ったら死ぬ」という緊張感があれば成長意欲も刺激されるだろうし離職率も下がって「女性は30代になると離職するから」などという理由で採用・昇進を渋られることもなくなっていくだろう。
このような先進的な男女平等の実現・婚姻制度の解体によって女性も男性同様社会に参画し、男性に求められるよう女性も理性によって本能を抑え他者への加虐性を抑制することで、弱者男性は初めて「弱者男性」としてではなく「弱者」として男女平等な救済の道に進めるだろう。弱者男性の本質的な救済は男女平等を推し進めることにあるはずなのだ。
週 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 | 日 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
4/26 | 15 | 14 | 44 | 8 | 50 | 41 | 16 |
5/03 | 19 | 20 | 25 | 28 | 50 | 41 | 19 |
5/10 | 15 | 55 | 50 | 33 | 33 | 42 | 15 |
5/17 | 23 | 33 | 22 | 32 | 22 | 24 | 14 |
5/24 | 35 | 27 | 27 | 30 | 13 | 31 | 8 |
5/31 | 16 | 21 | 27 | 19 | 22 | 8 | 5 |
6/07 | 15 | 25 | 27 | - | - | - | - |
ソースはNHKの毎日の報道。ちまちま各日の報道から数値抜いた。抜き終わってから、ふとどっかにデータまとまってるのではと思って検索したら、以下にあった。
https://www3.nhk.or.jp/news/special/coronavirus/data/pref/osaka.html
無駄な作業だったかと思ったが、グラフで見るより毎日の数字で見る方がインパクトがあるのではと思う。毎日これだけの人が亡くなって、家族は直接見送ることもできずに悲しんでいると思うと、ただごとでない。
100万回/日を超えるという目標が荒唐無稽だと馬鹿にしてた馬鹿を窘める記事が、あまりにもはてなーがバカすぎて文盲であるためにまだ100万回超えてないじゃんという謎の指摘を受けてるのは、笑い話にもならないよねw
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20210507/k10013017981000.html
mur2 「How?」
TakamoriTarou 日本の約3倍の人口がいるアメリカで、軍隊から街の薬局まで動員して一日400万回が最大だったわけだが。少なくとも薬局で接種できない日本で同じ事をどうやるつもりなのか? 全く分からない。これじゃ根性論と変わらん
bigapple11 会見酷かったな。かなり本気で痴呆を疑った。
le_cinema 7月末がゴールなのに具体的な計画じゃなく、堂々と目標を述べちゃう。なんか、自分を王様かなんかと勘違いしてない?
JAMILAR アメリカの1日の接種回数300~400万件を考えると目標としては妥当なラインだが、1日わずか数万件の検査で現場がパンクする日本でできるわけないと今から諦めている。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20210509012539
shatomori 今年中に国民全員に2回打ちたいなら1日100万回は目標として正しい。問題は今の政権がそれを実現する具体的な方法を考えてるとは思えないこと
codingalone インフルの60万回が今年無くなるわけでもないし、コストとしては上積みなのだが可能と判断しているの?60万が可能なら100万が可能という根拠も示せてない / "いろんな情報を全部収集してます" この回答がバカっぽい
mazmot 開業医が競って接種するインフルワクチンを、そこそこの病院でも接種に参加するのを躊躇しているコロナワクチンの根拠にするのはおかしい。もっと医療機関が協力しやすい制度をつくるという話ならともかくも。
ご存じのようにインフルエンザワクチン接種が60万回出来ているという現状から、歯科医や潜在的な打ち手となりうる潜在医療従事者まで動員する事で、100万回接種をとりあえずは達成した訳だ。
まともな頭があれば全国の歯科医は104,533人いるらしいとか、潜在看護師が71万人存在するとか、そういう情報を調べた上で、インフルエンザワクチン60万回/日を短期間に接種する体制を維持できると仮定して
更に歯科医や、潜在看護師までを動員すれば、100万回/日は難しいながらも、荒唐無稽な数字ではないってことは分かると思うんだよね。
実際に
Baru 難しいと思ってる人が多いのが不思議。インフルエンザワクチンは特別な体制を取らずにピーク時は70万人/日以上打っているはずなので、100万人/日以上は可能なはず。ただそのペースの長期間の持続は難しい。
と、現状を把握できていた人もちゃんといる。インフルエンザワクチン接種ペースを維持すれば、通常医療にしわ寄せがくる。
それを歯科医や潜在看護師などで補う事で、通常医療のひっ迫を防ぎつつ、大規模な接種会場で回していく、という当然予想できる事をやって目標に近づいて行ったわけだ
情報を集めて合理的な判断を重ねた上で、批判するなり意見するなりしたらどうか?って言ってるんだよね。考えもなしに自民党が気に入らない以外の思考ルーチンがない、人工無能でいるのはやめたら?って言ってんの。
必要な批判はするべきだし、しっかりとした議論が行われるのは望ましい。だが、考えなしの馬鹿な意見は非常時には要らないの。それが良い結果をもたらす事は殆どないだろうし。
論われて悔しかったら、今後は情報を当たって、自分の中でニュースをかみ砕けるだけのソースを持ってからコメントをしたらどうだろう?
海外のニュースソースは、文章から映像から幾らでもあるし、論文もデータも見放題の現代社会で必要な情報が手に入らないって事の方が稀なケースなのは分かるだろ。
お前らの愚かさは、才能の不足でも知能の不足でもなく、無責任な怠慢が生み出してるだけだ。
お前らは単に愚かなだけでなく、怠け者で無責任なんだよ。そう言われるのが嫌なら少しは頭と時間を使えw
さて、最後に、目標を達成したと報じたニュースの☆を集めまくってる、多くの人が同意した人気コメント見ておこうか
接種 目標の「1日100万回」達成 - Yahoo!ニュース
yas-mal 土日の分が月曜日にまとめて集計/発表されるからね。「発表日ベースで1日100万件」というのは、嘘とは言い切れないが、誠実ではない。(発表頻度を月に1回にすれば、「発表日ベースで1日1500万件」も可能!)
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/4911adfdebc4b506488cf4812089b4a2a00adf5f
yP0hKHY1zj 発表ベースなのでまだ達成したとは言えないが、正直こんなに早くここまでペースアップできるとは夢にも思わなかった。
まともに考えてなかったとしても、こんな風に驚くと同時に不明を自覚するのがまともな反応ですわ。嘘とか言い出すはてサの党派性にはうんざりするよ。
言わなくても分かると思うが、後は戦時体制といっていい現状をどの程度、持続させられるか?更に加速できるか?にかかっている。だが、100万回/日を目標にするのが荒唐無稽ではないことは分かったはず。
tetora2 政府がワクチンと打ち手を確保しなきゃ絶対に達成できない数字。後はちょっと遠いからと大規模接種会場に来ないようなサボり野郎などの国民側の問題だな。
その通りだね。
諸外国のワクチン接種回数のグラフを見るに、どこかで上げ止まる時が来る。その理由は、やはりワクチン接種をしたがらない人が20%程度いたりするかららしいが
わが国では、ワクチン接種をしたら最高で6億円あたりますなんてくじを作って宣伝しなくても、国民に最後まで協力してもらう事が出来るか?国民の側の賢明さも問われる訳だ。
はてなサヨクみたいな人工無能が、国民の20%もいないことを願いたいね。
これが持続すると接種日ベースでも100万回になるのですが、君らってほんと負けっぱなしw