はてなキーワード: 風紀委員とは
炎上気味な時点であのデレポには問題があったと言えるんだけど、満開スマイル組が悪いっていうのはやっぱり違うと思うんよ。
なわけであそこで杏bot再開させないと清美の悪印象につながるわけで(実際この件で私の中では一時的に清美への好感度が相当落ちた)、満開スマイル組は一見杏を擁護してるように見えるんだけど、杏ファンの不満から清美を守ることにもつながってるわけ。最後の方はきっちり清美にフォローも入れてるし。
杏にとってはあんなbot一つ簡単に辞められるどうでもいいネタの一つに過ぎないわけだし、天然気味な卯月を除いては満開スマイル組がbot再開を後押しする理由はそんなにない。
そもそも清美のキャラである風紀委員ってものが好き嫌いが激しく分かれる属性であって、風紀委員支持派は絶対自分達が正しいと信じてるけど、大多数の学園アニメでは抑圧的な嫌われ者って側面もある。アイドルの仕事も風紀と矛盾があるし、シンデレラの自由な雰囲気とも合わない。特に今回みたいに他人の活動を妨害したら駄目だよね。それ含めて彼女の個性として肯定されるべきだとは思うんだけど。
非担当であるが、冴島清美という子は自分の信念に基づいて風紀を守ろうとする子であると思っている(たしかどこかのコミュで、風紀委員ポジションが存在しないため自分が立ち上げたという話があったはず)。
その前提でいくならば、杏botに関しては本来の使い方ではないと注意する、というのも納得。
ただ、その『本来の使い方』の基準そのものが清美個人として思っている基準であり、必ずしも総意を得ていない。そのため、他のアイドルから見られなくなって寂しいといった意見が出てくる。
この流れを防ぐのであれば、清美がデレぽ以外の場で注意をして(別に直接でなくともいい。きらりを経由して「ダメだにぃ」ってのもありだし、この辺りは想像の範囲で)、杏がなんらかの対応策を書き込む。といった流れが考え得るが、たぶん杏だったらそのルートで怒られたらフェードアウトで済ましそうだし、そうなったら結局誰かが「最近見ないよね~」って話になりかねないか。
とまぁ個人的な意見をつらつらと書いたものの、結局今回の一件、少し前のまゆりーなの件と似た扇動の流れになってる。それだけデレステに触れているユーザーが幅広くなっているということでもあるんだが、これ、どういう決着を望んでいるのだろうか。多分だけど、これ誰も得しないよね?
デレステ内のコンテンツであるデレぽで、杏botとそれに対する冴島清美、および他のアイドルの反応について、問題があると感じている人もおられるようです。
ただ、この件、問題があると思った人は強く主張するが、問題があると思わなかった人は特に言及しないため、後に「すべてのユーザーが問題を感じていた」というイメージだけが残る可能性があります。
そこで、問題があると思わなかった私から見て、あのやり取りをどのように解釈していたか、というのを書こうと思いました。
杏botの件に問題があると思っている人は、これを読んでも意見を変えることは無いでしょう。
あくまで、「こう考えた人もいた」という程度の駄文と思ってください。
これは明言されていませんが、杏botがbotであることを隠さず再開できていることから、デレぽには「bot禁止」というルールは存在しない、と考えるのが自然です。
そのため、杏botの問題点は、「botを使っていた」ことではなく、「自身の手による投稿であるかのように周囲に誤解させていた」という点になります。
この問題点に対して、最終的な「botであることを明示する」というのは、妥当な落とし所だと思われます。
それに対して、「botを即時停止させる」という冴島清美の行動は、行き過ぎがあったと思われます。
では、この行き過ぎた行為は、冴島清美というアイドルの株を下げるための表現でしょうか。私はそうは思いません。
私は、botを即時停止させたという冴島清美の行動は「張り切りすぎたがゆえの勇み足」だと感じました。
彼女がデレぽのマナーに関して張り切っていることは、4/27の以下の投稿から窺い知れます。
このように、マナーやルールを大切にしたいという思いが強すぎ、時にそれが勇み足や空回りに繋がるというのは、この冴島清美のアイドルの魅力ではないかと、私は思います。
(もちろん、私が冴島清美について正しく理解できていない可能性も高いので、担当Pから「そんなことはない、誤解している」という批判があれば甘んじて受け入れます)
ただ、こうした空回りは、必ずしも悪いものではなく、それが魅力となることは十分にあると思います。
隙あらば担当について語ってしまいますが、私の担当する今井加奈というアイドルも、「張り切りすぎて空回りする姿」を見せることがあり、それもまた1つの魅力だと思っています。
次に問題となるのは、botの即時停止が冴島清美の勇み足だったとして、双葉杏がなぜそれを受け入れたか、という点です。
これは、単に双葉杏が「正当性を争うよりbotを止めた方が面倒ではない」と考えた、ということだと思います。
これもまた、双葉杏というアイドルの特徴をよく捉えている部分だと思います。
こうして、張り切りすぎた冴島清美と、面倒くさがった双葉杏という2人の特徴を踏まえて、杏bot停止という1つの結果に繋がります。
ただし、このままでは冴島清美は「勇み足をしただけ」になってしまいます。
この部分は、蛇足だと感じる人もいるようですが、私はこの再稼働こそが今回の勇み足をフォローし、冴島清美のもう1つの魅力を表現する部分だと思っています。
杏bot再稼働後、冴島清美が反省していることについて、「なぜ反省する必要があるのか」という意見を見ました。
ですが、「bot禁止ではない」という前提をもって、冴島清美の投稿の以下の部分をよく読んでみましょう。
「私の一存で」という部分は、非常に重要です。
この時点で冴島清美は、本来は自分にbot停止を強制する権限がなかったという点に気づいており、そのことを反省していると捉えられます。
このことは、先述した冴島清美の「張り切りすぎて勇み足をする」という魅力に加えて、「勇み足に気づくことができる」という点、そして何よりも、その2つを総合した魅力としての「生真面目さ」が表現されていると思います。
双葉杏側にも「botの投稿を自身の手による投稿であるかのように周囲に誤解させていた」という非があったにも関わらず、あまり反省していない双葉杏と深く反省している冴島清美の対比には、やはりこの2人の性格の違いがよく現れており、この一件の特徴的な締めくくりとなっています。
ただし、先述したように、争うことを面倒くさがっている双葉杏をbot再稼働に向けて動かせるためには、「杏に有利な状況」が作られないと、話が進まないという問題があります。
ここでbotを止めたままにしてしまうと、冴島清美の勇み足のフォローを行うことができません。
(デレぽをbot禁止という設定にしてしまうと、今後他のbotを生み出す余地がなくなる、という事情もあるかもしれません)
そこで、杏に有利な状況を作る「他のアイドル」が割り込む必要があったのだと思います。
そのためのメンバーに深い意味を持たせる意味はなかったと思うので、最近のイベントで杏と一緒に組んだメンバーが選ばれたのではないでしょうか。
この部分のやり取りが陰湿に思われることが今回の問題の本質であり、ここへの言及が少ないことへの批判を複数の方からいただきました。
この点への言及が少ない理由は、まず1つには、私はこのbotを巡る一件でデレぽ内で表現したかったメインの部分は先に述べた部分にあり、この部分は本質ではない、と考えているためです。
もう1つの理由は、私はこの部分のやり取りが陰湿だと感じなかったためです。
前段に書いたように、この記事は私がどう解釈したか、ということを書いたものであり、今回の問題への解答をしようだとか、他の人にこう解釈すべきと押し付けるものではありません。
まず、そのことを前提としてご理解ください。
ですが、この部分への言及が必要だという意見をいただいたため、私が陰湿だとは考えなかった理由について、述べさせていただきます。
くどいようですが、あくまで他の人にこの解釈に従って欲しいというものではありません。
まず、この件では、全員が一方的に冴島清美を責めてはいません。
むしろ、直接的には誰も冴島清美の行いを責め立てる発言を行なっていません。
この「正しく楽しく」という言葉が、私は最初に引っかかりました。
この「正しく」というのは、冴島清美のキャッチフレーズである、「清く正しく」に繋がっているのではないでしょうか。
続く「楽しく」は、それへの対比として、双葉杏を表している言葉だと考えられます。
ここで、「正しく楽しく」という表現をあえて用いることで、冴島清美と双葉杏の2人の落とし所として、その次の2人の相談に繋げていると思えます。
冴島清美も、本来はデレぽの利用を締め上げたいのではなく、悪用を防ぎたいという考えで行動しています。
そのため、佐久間まゆの発した「正しく楽しく」は、彼女にとっても自分の意思を曲げずに受け入れることのできる考え方です。
私はこのように、
の流れと、直接冴島清美を非難しないことにより、書き手の配慮としては、一方的に追い詰める形にならないようにする意図があった、と思っています。
問題があったとすれば、この描写が中途半端であり、中途半端に配慮したことで返って裏の意図を感じて「陰湿」に思う人がいたということかもしれません。
ですが、私はここで4者の発言に裏の意図などはなく、小日向美穂も本心から冴島清美の事情を肯定していると解釈しました。
顔ぶれを見ても、思ったことを隠して遠回しな発言をするようなメンバーではないと思います。
ここまで、私がこの件をどう感じたかを書きました。
このように、冴島清美というアイドルの魅力を感じることができたため、私はこの件が問題だとは感じませんでした。
ですが、この件の表現に問題がある、という受け取り方を否定するつもりはありません。
ですが、2つだけ、気をつけてほしいことがあります。
まず、多数を持って1人に圧力をかけているような構図に見えることを問題視しながら、「皆でこの件を問い詰めよう」と拡散を呼びかけている人がいます。
その構図こそ、この件を問題視した人がけしからんと言っている行動に近いのではないでしょうか。
SNSにおける数の力による圧力を醜いと思うのなら、自分もSNSを使った数の力で圧力をかけるのではなく、個々で意見を送ればそれで良いと思います。
問題に感じた人が多ければ、自然とその意見は力を持つはずです。
もう1つは、「この件を問題に感じない人は、他者が傷つく気持ちに鈍感である」という中傷を行なっている人がいることです。
ですが、果たして、本当に他者が傷つく気持ちに敏感であれば、相手の意見も聞かずに一方的に「こういう人は鈍感だ」と非難するでしょうか。
人の気持ちを語るのであれば、本当に自分は相手の気持ちを考えることができているか、気をつけたほうが良いかと思います。
1人でも多くの人にこの件を問題視して欲しいのであれば、このような人格攻撃はかえって逆効果となります。
複数の方から、先にこの件を問題視していない人から、問題視している人への「陰キャ」などの中傷があった、という指摘をいただきました。
私のTLではこの意見を見ておらず、この経緯を把握していませんでした。
この点は、記事を書く前に経緯を調べ切れていなかった私の落ち度です。
これに関する言及がないことについて、不快に思われた方には申し訳ありません。
記事内で何度も言及しているように、私は「問題だと感じることも、一つの捉え方」だと考え、そこに優劣は無いと考えています。
この記事も、優劣をつけるために書いたものではなく、私の解釈が優れていると主張するつもりもありません。
はじめに書いているように、「こう考える人もいる」ということの主張です。
そのため、問題視した人を下に見て人格を攻撃するということは、私が記事で書いた考え方とは完全に対立する考え方です。
自分が問題だと考えなかったからといって、この件を問題視した人を中傷するということは、あってはならない行為です。
(上記で私が行なっている批判と矛盾している、と感じるかもしれませんが、私が批判しているのはこの件を問題視することではなく、それを主張するための一部の行動です)
問題視している人は、こうした中傷を受けて、腹が立ち、「相手の主張になど耳を貸すものか」と頑なになったことでしょう。
これは当然の反応だと思います。
ここでもまた、人のふり見て我がふり直せという言葉が価値を持ちます。
この件を問題視している人も、自分の主張を伝える際に、そこに中傷を混ぜてしまうと、相手は「そんな主張になど耳を貸すものか」と頑なになってしまいます。
私が気をつけてほしいと思っているのは、まさにこうした点になります。
また、この記事自体が他者への批判になっており、以下の点が自己矛盾しているのではないか、という批判もいただいています。
開き直るつもりはありませんが、これはまったくご指摘の通りで、私もこうしたことが実践できている訳ではありません。
これはとても難しく、だからこそ、常に気をつけなければならないことだと思っています。
今回の件で、単に騒動に乗っかって楽しんでいるだけ、という人もいないわけではないと思います。
そういう人に対して私から言うことは何もありません。
※REBORNおよび雲雀恭弥が好きな方の閲覧はおすすめしません。
現在大学4年生・就活生の私が、黒歴史を文字通り燃やす話を思い出して書きとめます。
登場人物☆
小学4年生に進級するちょっと前だったか、私は友達のハルナちゃんに家庭教師ヒットマンREBORN!を布教された。
ゲーム好きでも決してオタクではなかった(昼休みは活発にドッヂボールで遊ぶ外向的な児童であった)私が、現在まで重く引き摺るキモ・オタクになるきっかけであった。
ハルナちゃんはランドセルの底にこっそりと漫画を忍ばせていて、放課後に1~3巻を貸してくれたのを覚えている。
家に帰って漫画を読むと、暴力的で偉そうな赤ん坊が主人公の頭に向けて銃をぶっ放しているではないか。
衝撃的展開に3巻一気読みした。読み進めていくごとに、REBORNの面白さに・そして何より雲雀さんというキャラクターに一瞬で惹き込まれ、登下校中も授業中も雲雀さんのことしか考えられないクソキッズになっていた。
群れるのは嫌いと言いつつ並盛中の風紀委員のトップに立つ姿。トンファーという武器をまるで体の一部のように操り華麗に戦う姿。
彼のかっこいいところを表現したいと思い、授業中に絵を描くことも増えた。オタクは推しの絵を描きたくなる。ならない?
(この頃から算数の成績が落ち込み、現在まで数学に苦戦することになる。完全に雲雀恭弥のせいです。)
そんなこんなでREBORNにどハマりした私は、数か月後ハルナちゃんに連れられてアニメイトデビューを果たした。
アニメイトのことについて一切知らなかったが、ちょっと意地っ張りな私は知ったかぶりをした。
素直で優しいハルナちゃんは、「そうなんだ」と微笑みながら、静岡駅から10分ほどのところにあるアニメイト静岡に案内してくれた。
当時覇権ジャンルだったREBORNのコーナーは、入り口すぐの目立つところにあった。
クリアファイルが、ミニポスターが、雲雀さんと同じ風紀委員の腕章が、所狭しと並んでいた。
私は目を輝かすと同時に激しく後悔した。
こんなに雲雀さんのグッズがあるとは思っていなかったので、お財布にあまりお金を入れてこなかった。
なけなしのお金で制服姿の雲雀さんクリアファイルを買った。アニメイトポイントカードを作ってもらった。
REBORNが好きな人同士で繋がって、毎日雲雀さんへの愛を綴っていた。
2000年代のインターネット文化「バトン」をご存じだろうか。知らない人はググってください。
アメブロ上の友人から「バトン」が回ってきたら、 雲雀さんと会話しながら回答します☆ という地獄のようにキツい回答方法をとっていた。
A.私「REBORNを読むことかな~♪雲雀さんもそうでしょ?」
A.私「雲雀さん~~!好き~~~!!」
雲雀「...///」
等々、今見るとキツすぎて全身震えるくらいの痛さだ。
私は小学4年~6年の約3年間、黒歴史をマッハ1で製造していたのであった。
何事にも終わりがくるというが、私の「終わり」は唐突であった。
中学1年生の冬。
何故か突然雲雀恭弥への愛が消えた。
萎えたのだ。全てに。
ジャンプ漫画特有の、あのダラダラとした引き延ばしが原因なのだと思う。
REBORNにも雲雀恭弥にも(勝手に)愛想が尽きてしまった。
私はその日のうちに、部屋にある大量のREBORNグッズをゴミ袋に入れた。
部屋に貼っていた雲雀恭弥のポスターも、ビニールフィルムがついたままのクリアファイルも、勿体なくて使わないままだった雲雀恭弥イメージの入浴剤も、
更にはコピー用紙に描いた雲雀恭弥の絵も全部全部ゴミ袋に突っ込んだ。
ゴミ袋に投げ入れた雲雀恭弥のサウンドロップが、経年劣化で変質したへんてこな声で「咬み殺すよ」と鳴いた。
私のお父さんは小さな会社を経営していて、その敷地内には焼却炉がある。
私はお父さんに頼んで、夜も更けたころに会社に連れていってもらった。
焼却炉の中に雲雀恭弥を押し込んで、いくつかボタンの操作をしたら焼却炉がゴオゴオと音を立て始めた。
上を見れば、冬の澄んだ空に白い煙が立ち上っていく。
リベンジポルノものって好きで、たまに見てるわけ。見てるっていうか、見つけたら「あ、あったあった」って喜ぶ感じ。
なんかこう、身近にあるエロっていうか、生々しい感じがしてよいわけ。
グラビアアイドルが水着でいても面白くないけど、セーター着てたらなんかグッとくるみたいなやつ。
そうは言っても、世の中のエロって大体が作られたものだから、「リベンジポルノもの」を見てることになるよね。まあ、「リベンジポルノもの」は好きだからそれでいいんだけど、でも、本物はもっと響く何かがあるかもしれないし、その昔ファイル共有系の流出ものとかほんと、なんていうか、あれだったし、、よかったよね。
その頃って、ハメ撮りなんて撮ってる人そもそもあんまりいなくて、そのうえで流出までして、相手もかわいくて、って、なかなかレアものだったわけだけど、今ってそうじゃないでしょ?写真撮るのがそもそも通信機器だし、手元に常にカメラがある状態だし、撮るほうも撮られるほうも慣れてるよね。
で、恋人と別れる時なんて、円満なのもあるけど、揉めて、刺したり殴ったり周りの人間関係おかしくしたりって色々あるのはきっと今も変わらなくて、そうすると、円満な頃のいとおしかった写真とかももう憎しみを膨らますだけで、相手を貶めようと、ばらまいたりすることも、それなりにありそうじゃない?
で、ばらまいたほうは満足するし、見た俺はうれしいわけで、ばらまかれた人は世の中にあふれるエロの中から自分を見つけるなんて実際無理だし、ほとんどの場合害もないんじゃない?ちょーいいね。生産性上がる感じ。特に見るだけの俺はいいことしかない。
でだよ。探してみても、なんかそれっぽいのないんだよねー。なんで?これっていうキーワードがあって、それさえ見つければ世の中には大抵のものはごろごろしている感じじゃない。なのに見つかんないんだよね。そうこうしてるうちに、作られた「リベンジポルノもの」で一息ついちゃって探索意欲もなくなっちゃうの。
あれなのかな。リベンジポルノとか、俺が思ってるよりも規制とか厳しくて、あっという間に消されていくのかな。あるいは、商業エロに比べるとどうしてもクオリティが低いから、検索順位とか低くて表に出てこないとか、あったとしても俺も一瞬で見なかったことにしてたりするのかな。
ツイッターとかだと、勢いづいたアホが「こいつはろくでもない女!」とかつぶやきながらエロ動画あげたりしてそうじゃない?でもそうでもないんだよね。通報?通報なの?風紀委員的な趣味の人がどんどんつぶすの?でもさー、自撮りとかしてエロ写真あげてる人たちはわんさかいるよね。って、あれは通報する理由がないのか。
リベンジポルノを探すために、自分が恋人とのエロ動画を上げるとしたらどうするかって立場で考えてみると、確かに難しいことがわかる。youtubeとかじゃあっという間に消されるし、エロ動画サイトに載せるの大丈夫っぽいけど、、でも検索できないんだよなー。できればエピソードとかなれそめとかもあったほうが見る意欲湧くから、リベンジポルノのためのサイトとか作って、エピソードとそれにまつわるエロ写真とか動画とか掲載してほしい。
とはいえ、自分だったらそこまで別れた相手のために労力割けないなーとも思うし、掲示板とかにポイって投げてざまあみろってなんとなく思うくらいなのかな。でも掲示板とかってヒット率悪いよね。
突然だがお姉さん属性がついたキャラクターによる女性同士のセクハラが結構好きだ
お姉さんキャラによるセクハラ行為は普通の漫画だと展開上ありえないため
エロ系だと普通の陵辱系のほうが好きだからお姉さんキャラで抜くことはない。
しかし、これがレズものだとお姉さんキャラによる陵辱プレイが見られるのでダブル効果で物凄い興奮するのだ。
これが疑問であった、なぜ自分はこの展開で興奮しているのか
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男性と同じ欲望に忠実であることで、男性は親近感を得て、感情移入がしやすくなる。
(どこかでネット記事を呼んだが忘れた、女性はあまり逝くことはないが、男性は逝くので、男性はその違いを埋めたがるという話だった気がする)
さらに大体のお姉さんキャラはセクハラしてる時の興奮ぶりがすごいのだ。
大体の絵師は男だからか、男性側の感情を細かく描くことはないが、女性であれば存分に描くことが出来るのだろう。
ここで性という欲望に忠実であろう、ビッチキャラについても考えてみる。
ビッチキャラも同じく、性の欲望に忠実であるという点は共通している。
しかしそこには、自分の欲望の発散であれば誰でも良いと言う考えがある。
他のキャラクターでは駄目であり、この人でないと駄目という条件付きの性の欲望の発散なのだ。
つまり、その一途であることを全面的に押し出しながらも性に積極的であることができるのはお姉さんキャラでしかありえず
もちろんここで一途で性に積極的であることができるのは、その属性をつければ何にでも適用できるといえる。
しかし違う点といえばお姉さんキャラには元から、詳しい説明もいらず女性に対してセクハラを加えることが可能だ。
その理由はお姉さんキャラは長女であることが多いため通常は禁欲的であることや、庇護欲が強く、それは独占欲にもつながっている。
お嬢様学校に通っていることや、通常時はまじめであることなどが禁欲的であることのシンボルは満たす、庇護欲は何だろか?風紀委員、お節介焼きか
黒子のこれら設定は、明らかにお姉さんキャラを意識して作られている。ああ黒子のキャラを考えると頭が痛い・・・
雑多な根拠が弱すぎるお姉さん論でしたが、文章になったので公開。
※これは半端な二次元の記号についての話なので、実際三次元のお姉様方が禁欲的であり、庇護欲があると言ってるわけではないので注意されたし
風紀委員を気取る奴には教えてあげない
今回は少年ジャンプ+
個人的に『あの娘はヤリマン』連載してたころから、この作家のパロディ描写は安っぽくて無意義だから好きじゃないんだよね。
行き当たりばったりな演技、ボキャブラリ皆無かつ説明能力のなさ、感情のゴリ押し、相手の話を聞かない、隙あらばズルをしようとする、努力や才能の方向オンチ。
本作はメムのダメダメっぷりを楽しむ漫画だが、今回はその要素が役満レベルで笑わせにきているなあ。
ハンコを無理やり止めようとしていたけれども、次のページもよく見たら紙の上に乗って何が何でも押させまいという悪あがきっぷり。
そして、思わぬトラブルが発生してなお、行動しだいでは名誉挽回のチャンスなのに、失望(ある意味では期待を裏切らない)行動と一貫している。
でもセリフ回しはノってるね。
『ホステル』とか『SAW』みたいなスプラッター作品を「トーチャーポルノ」っていうことがある。
トーチャーってのは「拷問」って意味らしいけれども、広義的にはスプラッターが多かったり印象的なものも指すらしい。
なのでいつかの感想で私はこれを「トーチャーポルノ」って表現したけれども、今回はそのコンセプトが明らかだよね。
今回は実質主人公がひたすら殺されまくるだけなので、スプラッター描写やりたいってだけにしか感じられなくて無意義に感じる。
別にそういう表現がダメというつもりはないけれども、やってることが今までとほぼ同じだから正直飽きてる。
過激なものって映える分、飽きやすいから演出にもっと工夫が必要だと思うんだよね。
数ある中から、なんでよりにもよって『群馬アイドル神話 馬セブン』の作者にパロディ描かせたんだろう。
「よりにもよってこの作家にパロディ描かせた」という意味ではキャッチーだけど、逆にいえばそれだけだし、冷静に考えれば誰得であることはいずれにしろ明らかだし。
ちなみに、内容についての感想だけれども、プロットに関してはギャグ漫画としてそこまで酷くはなくて、むしろちゃんとしているとすら言ってもいいかもしれない。
ただ、それで評価できるわけではない程度の欠点を抱えているのは相変わらずなので……。
まあ、正直なところ『群馬アイドル神話 馬セブン』に対する悪印象に、私が引っ張られているのは否めない。
意図的だろうがなかろうが、クソ漫画はクソ漫画であることには変わらないんだけれども、あの漫画のすごいところは物作りに対する姿勢が編集含めて酷いことなんだよね。
『フードファイタータベル』も読んでいるよ、感想は書いていないけれども。
仕事が一段落ついて、まとまった時間が取れたので、表題のアニメを見ました。
端的に感想を言えば、馬鹿だなあ、ほんと馬鹿だなあということです。絶対に人と一緒に見たくないアニメだね。頭を空っぽにして、美少女の叫ぶ下ネタにひたすらニヤニヤしていればいいという感じです。アニメはどこまで低俗になれるのか、という問いに真摯に答えようとした見応えのある作品です。ただし、無意味にセクシーなシーンをブチこむというよりは、露骨なシーンと一捻りあるシーンが混在して、そこが独特のノリのよさを醸し出していると思う。
作品全体を包み込む雰囲気の良さは、例えるなら男子校のそれだと思う。男子校は下ネタの楽園である。そして男子高校性は密かに権力への反抗心を心中に貯めている。そんな感じがする
主人公は、活動的な美少女に巻き込まれ、ヤレヤレといった感じで騒動に巻き込まれていくというパターンのストーリーになっている。下ネタというフィルターを取っ払ってみると、凄くテンプレっぽい感じがするね。でも、主人公たちの活動のゴールがいまいちはっきりしないので、物語りに終わりがあるのか?という印象を受ける。もしかしたら、原作は状況次第でいくらでも引き延ばしができるように目的指向なストーリーを避けているのかも。
原作は未完らしい。ラノベアニメの目的は「原作ラノベの販促」にあるなんていわれていますが、この作品は本当にその目的を果たせていると思います。思わず、原作は、続きはどうなるのかと気になってしまいます。しかし、テンポ良く、アホみたいに下ネタを叫ぶ爽快さは文章による想像ではなくビジュアルと音声を伴ったアニメでこそ活きるシーンだとおもう。
軽快な下ネタの連呼に、会社で疲れた心に少しだけ癒しを感じた。そんな晩秋の夜であった。
お気に入りは黒髪ロングの白タイツで主人公に電気あんまを喰らったアンドロイド風紀委員です。これはヤバイね、マジで。
丁度、コノアニメを見ている途中で死去のニュースに触れたのでとても複雑な気分だった。アンナ会長の声を当てている人は、もうこの世にいないんだなとおもうと、ギャグも笑えないなあとおもいつつ、でも最後には死ぬ間際まで役者を貫く、それも下ネタをバンバン言っていくというのは凄いことだなと思った。
どうしてそんなにメガネキャラが嫌いなの? - 猫箱ただひとつ
漠然と「メガネキャラ」と言われた場合、人はどんなキャラクターを想像するのでしょうか。
当方は生物学的には男性なので、嗜好対象としては女性キャラクターのほうがイメージしやすいことを断わっておきますが、
元記事では具体例が挙げられているので、そちらのほうがわかりやすいと思いますが、ともあれ、単純に「メガネキャラ」といっても、人によってイメージする像は異なるでしょう。
「メガネキャラ」というグループの共通項なんて、物理的に「メガネをかけている」ということだけでしかありません。
もちろん、物質としての「メガネ」が好きだったり、「メガネをかけている容貌」を好む人もいらっしゃることでしょう。
ですが、姿かたちの好みと、その人の人格、性格、キャラクターの部分に対する好みとが、必ずしも一致するとは限らないでしょう。
ええと、話が逸れかけていますが、キャラクターを類型ごとに分類することが無意味だと主張するつもりはありません。
けれども、「メガネキャラ」という括りでは、その内包するものがあまりにも多岐に広がりすぎてしまうのではないかと懸念するのです。
外見の分類と内面の分類とを混同しているためにわかりにくくなっているかもしれませんが、
「メガネをかけている」という共通項だけで同じグループに分類されてしまうのが納得いかない、ということを申し上げたい次第です。
そんなわけで、まぁまぁ眼鏡どうぞ。