はてなキーワード: 裁縫とは
どうしてもどこかに吐き出したくなったのでここで。
コスプレを、やめたい。
まだやりたい気持ちはある。
でも、もうやめたい。
漫画の絵をまねて描くのが好きで、そこから絵を描き始めて同人イベントというものがあるのを知って、友達とサークル作って参加した。
友達がコスプレをしていて、楽しいよやってみたら?って、そこからどっぷりコスプレにハマった。
手芸とか裁縫はわりとすきだった、手先も器用と言われることが多かった、服を作るのが楽しかった。
同じ作品が好きなひとと話すことも、そこから仲良くなって遊びに行ったりとかも、新しい作品を一緒にコスプレしたりとかも、今度はこんなのやりたいねとかも、もうとにかくコスプレが楽しかった。
だんだん作れるものが増えたり、ほかのレイヤーさんをみてどうやって作っているのか考えたりだとか、衣装が形になっていく過程とか、写真がいい感じに撮れてるだとか、なんかとにかく全部が楽しかった。
…楽しかったはずなんだけれど。
最近この衣装すき!やりたい!!と思っても用意がまずだるい、だるいというかやりたいけどそれを作って着て写真に落とすまでの過程を考えるとめんどくさいなって思っちゃう。
撮れ高がよくないのは自分のせいでもあるけど自分が分裂できない以上他人にお願いするしかなくしかし言うて自分程度のものが撮ってもらって気に入らないからだめを出すのもはばかられ結局微妙な写真がおおいとかほんとむり、時間かけても楽しさのリターンが少ないと感じるようになってしまった。
他にもいろいろと自分の中であるんだろうけど、楽しくないのである。
なんだかんだ作って着たら楽しく思うんだろな、でもお金を時間をかけて実行するものとしてこれは見合っているのかと。
材料と衣装と道具で場所もとるし、楽しくないし、他に勉強したいこととかやりたいこととかあるし。
いやそのやりたいことをやれよ!って話なんだけど。
何かを表現したいとかで着てたわけじゃなかった。
楽しそう、手芸とか裁縫好き、キャラの衣装が着てみたい、そんだけだった。
でも欲が出た。形に残ってしまうし見れてしまうことが欲になった。
もっとキャラっぽくなりたい似せたい、写真がそれっぽく撮れたらいいなみたいな欲。
これ最近思ってることじゃないな、ずっと思っててそしていま書きながら振り返りとどうしたいのか考えをまとめているな。
これだけ、のことなのに。
このキャラのこれをやりたいだとか、現時点でズブズブ沼ってるものだとか、やりたいのです。
最低限そこらへんかたづけないとやめるにもやめられない、気がしている。
期限をきめて、やりたかったものや約束が守れなくてもすっぱりやめたほうがいいのか。
最低限やると決めたものだけやってそのままぬるっとフェードアウトなのか。
結論は出ない。
「最後の区切りとして」でも絵を描こうとしてる時点でやめるつもりはないとしか思えない
描こうとしても描けないかどうかを確認しようとしてるんだろうか
自分はそんなこと思う間もなく描くのをやめたし、10年ぐらいしてからふと思いついてまた描きはじめたよ
そんなに気負わなくていいよ、自分に必要なものが年齢を追うごとに変わっていくのは当たり前だ
絵を描くのがうんざりなら写真でも動画でも造形でも音楽でも裁縫でもやればいいと思う、物作り云々言い出すには視界が狭すぎる
そのどれもやる気が起こらない、なにを作るつもりにもなれないならそれはもう「最後の区切り」とかいう話じゃない
まあ、個人的には「コミュニケーションの手段」と認めた時点で諦めてるようにしか見えないんだけど、それをコミュニケーションの手段ではなく純粋に描けるようになりたいということなら、なおさらなにアホなこと言ってんだと
増田が決着をつけるべきなのは物作りではなくて、コミュニケーションに他人との過剰な比較を持ち込まずにいられなかった増田の空虚さだと思うよ
料理をするのが苦手で嫌いだ。
いや、料理だけじゃない、女が得意だと喜ばれるようなもの全般苦手だ。
私はとにかく不器用すぎる。どれくらいかというと、周りの人が引くぐらいだ。
具体的にエピソードを挙げると、きゅうりの千切りを半年練習し続けたのに初めて切る人より酷い出来だったり、アルバイトでラッピングをしたのだが見栄えが汚すぎて仕事を振られなくなったり(その後毎日練習したが一向に上手くならなくてとうとうクビになった)、裁縫は波縫いさえガタガタだったり。
「練習すれば誰でも上手くなる」というが、周りの人とスタートラインが離れすぎていて一向に普通レベルまで辿り着けない。
女で壊滅的な不器用というのはとてもコンプレックスだ。なんとか料理を出来るように今も練習している。
だけど、毎日大嫌いなものをやるっていうのはとてもストレスだ。
そもそも食に興味もないのに、自分の不器用さにイライラしながら、そこそこの味のものを食べて…。私には苦痛すぎる。カップラーメンのほうが何倍もマシだ。
食材の管理もしんどい。「消費期限が切れるなら今日はあの食材使わなきゃ」という義務感だけで献立を考えて義務感で食べるあの感じ。
他の人は私みたいにいっぱいいっぱいじゃなくて、もっとうまくやっているのに。
最近はもう包丁握ってると死にたくなってきて自分の腹に刺したくなる。
かわいいお弁当とか、食材に切れ込み入れたり、そういうのが楽しいという人も多い。
死にたい。
こんなことで本気で自殺を考えるようになるとは思いもしなかった。
私は大学に通うために去年の春から一人暮らしをしている。と、周りではそういうことになっている。正確には、15人か20人くらいの家族と一緒に家を出た。今もみんなで暮らしている。実家が好きなので寂しいけど、家族と励まし合って頑張っている。
私が今言った家族というのは、世間ではぬいぐるみと呼ばれるものに当たるのだと思う。が、彼女たちは私にとっては家族で人間だ。例えばくまや、うさぎや、ネコや、いぬや、ひつじなんかの形をした、れっきとした人間だ。私の大切な家族だ。
実家にも他に40人ほどの家族がいる。元々は父、母、姉、姉、私の五人家族だった我が家。段々と家族は増えて、今は合わせて60人家族くらいだろうか。その全員に名前が付いている。苗字と名前の両方がある。それから歳と、性格と、話し方や声なんかがそれぞれにある。家族だからもちろん全員のそれを記憶している。私の元からの家族も、もちろんそれを記憶している。ベッドやソファもあるし、小さな個室もある。二つ上の姉は裁縫が得意だ。それで、私の家族はみんなちゃんと服を着ている。人は家具や住居を必要とするし、人は裸では歩かない。そういうことだ。
旅行に行くときにはいつも家族がもめる。だれがその旅行に行くのか、喧嘩は絶えない。まだ小さい子が多いから、みんな行きたがるのも仕方ない。結局は私や姉や、母がその仲裁をして、代表の子と旅行を楽しむ。一緒に写真も撮るけど、それはもちろん人のいないところで。私たちの家族が、誰からも認められるものではないということは理解している。
小さい頃からずっと一緒に過ごしてきてもう中学生になる家族には、随分と悩みを打ち明けた。私の血を分けた家族よりも私のことを知っていると思う。本当に色々なことを話したのだ。彼女の故郷の話。私の将来の話。お互いに、布団にもぐっては沢山の話をした。
この間、友人にロック画面を見られた。私のスマホのロック画面は、家族の写真だ。家族を画面いっぱいに写るように並んでもらって撮った。みんなとても可愛くてお気に入りの写真だ。友人は「このすみっこぐらしのしろくまととかげ、なんで隣にしないの? すみっこぐらしはすみっこぐらしでまとめないと」「てかノーブランドのぬいぐるみ随分持ってるね。これカエル🐸?」と画面を指差して笑った。私にはよく分からなかった。この子はすみっこぐらしのしろくま、なんて名前ではないし、すみっこぐらしのとかげ、なんて名前ではない。この子には別の名前がある。ノーブランドも何も、生きてる人間なんだからそんなものあるわけないじゃん。カエルじゃなくて人だって。言いたいことは色々あったけど、理解してもらえるとも思わない。私は「質問多すぎてわかんないよ」と言った。友人は相変わらず笑っていた。
今日は他人から見たらパンダのぬいぐるみにしか見えないだろう、私の家族と眠る。この子は寒がりだから、お腹のあたりで抱っこしてあげて眠る。
誰に理解されるわけでもない。けれどこれが私の家族の愛の話だ。私と私の、家族の愛の話。
いつかわかってくれる人に出会えるかなあ。
うんこの話じゃないです。
私が一番すきなのはボクサーで、ボクサー履いてる男は例外なくいい男だとも思ってるけど、別に彼氏にボクサーを履いてほしいわけじゃない。履き心地の好みはそれぞれだしね。いいよ。好きなのを履きなよ。ブリーフでもトランクスでも。紐パンでもいい。形は問題じゃない。彼氏はトランクスです。
ただ柄がどう見てもクソ。中学生がカタログで選んで買う裁縫箱並のセンス。クソ。本当にひどい。しまむらで買ったような、という比喩が褒め言葉になるのは彼氏のトランクスにたいしてだけだと断言できる。しまむらさんにだってもっとシックなトランクスはある。むしろしまむらさんで買ってほしい。酷すぎて言葉にできない。たぶんあのトランクスを棒にくくりつけてゴミ箱に突き立てたらカラスよけになる。あのトランクスの禍々しさにはトリさんもたまらんトリ。
別にブランドの下着を買え履けって言ってるんじゃない。男性下着のブランドなんて知らないけど女の上下セットで諭吉2人とか暴利な下着は求めてない。GUでいい。ジャスコでもいい。無地のトランクスを買ってくれ。頼む。無難は正義だよ彼氏。
本人が好きで履いてるトランクスだから柄についてはとても言及できない。それどこで買ったの?アメリカ村?とか聞けない。トランクスだって一応服なんだから、柄が気に入らないからって着てもいない第三者が本人に「俺が気に入らないからその柄をやめろ!!」って脱がせるのは絶対に違うと思うし、やりたくない。でもあのトランクスを見る度になんだかこっちが恥ずかしくなる。外に干してる時、あのトランクスの上にだけ漂白剤が降ってくればいいのに、と願うことしかできない。降ればいのに。
まゆみは男性から着古したワイシャツを貰えたらハンカチをつくることにしている。
いくら着古していたって男性が女性にワイシャツをあげる機会というのは多くない。なにせ捨てる寸前の衣服だ。でも、その機会は自分が勇気を持って言い出すことでわりに簡単に得られるものだ。気づいたのは21才の頃だ。まゆみは21才から24才までの3年間デリバリーヘルスで働いていて、デリバリーヘルスっていうのはお客さんの約半数が出張でこの地に来ているヒトだから、奥さんやお母さんか、あるいはそのヒト自身で用意された『あした着る用のワイシャツ』を持ってくる。出張経験の多いヒトほど(あるいは旅行慣れしているヒトほど)、『きょう着ていたワイシャツ』を捨てて帰るというマイルールを持っていることが多い。単純に荷物を減らすためだ。
まゆみはそれを、もらうのだ。すてるんならちょーだい、と言うだけだ。最初は勇気が要ったが、口から出た瞬間からその言葉は「捨てるんなら頂戴」以上でも以下でもない均一の意味となり、まゆみは新しい発見をしたのだった。ストレートな物言いが正義であり何よりも清潔であると、まゆみは着古したワイシャツから学んだ。
まゆみは左利きで、裁縫も左手でする。まゆみは貧乏だからミシンなんか家にないし、簡単にハンカチ一枚といってもすべて縫い終わるのは結構な時間を要する。要したわりに、まゆみはハンカチを日常生活でそれほど使わない。お手洗いに行っても近頃はどこにでも風圧で皮膚の表面の水滴をふっ飛ばす謎の機器があるし、謎の機器が無い場合でもまゆみは鏡をみながら自分の髪の毛を撫で付けて手の水分を髪の毛へ移動させる。鏡すらないトイレでは、けっこうスカートの腰のあたりで拭いたりするし、そもそも手を洗わないことも結構ある。この発見は、ハンカチづくりの習慣が生まれてからすべて学んだ。まゆみはそれで自分のことをすこし知った。
らびずぁてでぃべあ・っあーーーーーーーーーーー!!!
子どもたちが眠るのはだいたい夜の9時だと言っていた。彼がそれに間に合う時間に帰るのはまゆみの知るかぎりとても珍しいことで、たぶん一ヶ月に一回あるかないか位じゃないかなあと思う。まゆみは『ソチオリンピック日本代表応援商品 アサヒクリスタルゴールド』と書いてある缶をみつめながら、彼の子どもたちが眠っているあたたかい布団の繊維ひとつひとつを思い描いた。ハンカチにしたいなあと思った。
20140218
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夏目漱石が自著で「向上心のないものばかだ」と言っていたけど真理だと思う。
私もオタクだけどそいつよりも、というか私の周りのオタクみんなそいつよりもしっかりしている。
髪くらいキチンとセットしろ。
せめて寝癖くらい整えろ。
歯を磨け。顔あらえ。寝癖も目ヤニもついてんだよ。
集まるメンツがオタクだけとはいえ普通の食事会の時にアニメのTシャツを着てくるな。
推しの色で全身をコーディネートするな。青が似合うのはお前の好きな声優だけで、それも顔とスタイルがいいから成り立ってんだよ。
彼女いない歴年齢を自慢げに語るな。
恥と思え。お前何歳だ。お前の周りのオタク私も含めてみんな結婚してるぞ。
100歩、いや1万歩譲ってお前がちゃんとしてるならいいわ。私から見てまともだなって思ってお前が望むなら1人や2人紹介のあてくらいあるよ。
私の周りで私通じて知り合った子達みんな長続きしてるからそのへんの街コンよりよっぽど効果あるよ。
それでお前はなんだ。どの面ほざいて「女は顔で選ぶ」とか抜かすんだ。
よく見たら素材はいいんじゃねえか。
性根はクソだけどな!!!
うちの旦那なんて良くてNON STYLEの井上だぞ馬鹿野郎。悪くいえばヒキガエルだよクソが。
でも優しいし時々男らしいし一緒にいてドキドキするし記念日とかは絶対に忘れないし私が辛い時にはいつも側にいてくれる最高のいい男なんだよ。
わかるか? 顔じゃないんだよ。
「『誰』に何をされた」じゃなくて「誰に『何』をされた」かが大事なんだよ。
酒の席だからって普通コスプレセックスの話なんて振る!?!?!?
これなら趣味をただ浪費するだけじゃなくて何かしらの形に出来るって思ってやってんの!!!!!
ガシャでウン万溶かすだけのお前とは違うの!!!!
私も溶かしたけどな!!!!!
ていうか既婚者にセックスの話題振る????いや既婚者じゃなくても初対面の相手にそれはどうかと思うけどさ。既婚者なら尚更ないよね。
完全に「コスプレイヤーはキャラの見た目をしたオナホ」としか思ってない。キモすぎ。
私も好きな相手となら嫌じゃないよ。プレイの1つだもん。1回だけ提案したよ。
「お前が徹夜して衣装作ってるの見てたら無理。汚しても俺洗濯とか裁縫できないし。お前が努力してるの知ってるし」って言ってくれるんだよ!!!!
全オタクに告ぐ。
お前の中で女を画一化するな。
お前が「俺は違う」って思うように「女も千差万別」なんだよ。
「女は顔で男を選ぶ」って言うけど男もそうだろうが。
井上なんて私を好きになった理由「同じ銘柄買ってたから」だぞ。じゃあタバコと結婚しろよバカ。
女を画一化して所詮女なんてって見下して「女はどうせ俺を選ばない」ってひねくれて最低限の身だしなみすら放棄するのはやめろ。
男としてより人としてありえない。
諦めてひねくれてどうせ俺なんかってなる前にまずは向上心を持て。
今はまだいいけどそのうち人生詰むぞ。
痴漢が話題になっているから、痴漢にまつわる自分語りを少しだけさせてください。
もう何年も前の話。通学経路が乗車率180%近い区間だったから、人々が密着する季節になると、オジサン痴漢には週1~月3くらいで遭ってた。
すごく嫌で裁縫道具のリッパーをカバンの中で握りしめて心理的自己防衛をしていた(使ったことはなかった。過剰防衛になりそうだったし)。
そんなとき、若い痴漢に遭った。詰め襟に輝く「Ⅰ」の文字。明らかに年下だった。
制服を見たら、おそらく日本で一番偏差値の高い男子校の子だった。
普通の痴漢としての怖さもあったけれど、それよりも、すごく、悲しくなった。
中学生なりに、中年男性の一部にはセーラー服の女子に対するドロドロした性欲があり、
それを一方的に痴漢としてぶつけられることがあることは経験的に知っていた。最初はもちろんすごくショックだったけど。
それは、中年男性は一般的に中学生女子に真っ当に相手にされないから、痴漢という形になるんだろうと勝手に思っていた。
ある意味、自分と一線を置ける存在だからこそ、「電車内での一時的な事故」として耐えられる部分があったのかもしれない。
じゃあ、この年下の痴漢はどうなんだろう。
小学生が学ランを着ているような幼い顔立ち。学力も未来もあるのになんでこんな愚かなことをするんだろう。
何より、自分より年下の子でも痴漢になりうるんだ、年齢の上下に関係なく、痴漢のターゲットにされうるんだということに戸惑い、ショックを受けた。
今は、セーラー服でもなくなったし、満員電車が嫌で徒歩通勤にしたから痴漢にもあわなくなった。
大人になれば、自分で服も住所も選べるようになる。だから、今は大丈夫。
菊池誠という人がいて、一時はてな論壇においてそれなりの存在感を放っていた。
現在では一山いくらのネトウヨおじさん程度にしか認識していない人もいる。もはや過去の人であると断ずる向きもあるだろう。
しかしながら、彼について再考することで、論壇で今も跋扈する科学対非科学という対立軸を新たに捉え直す機会を持てる気がする。
というわけで彼の言説とその評価の変遷を追っていきたい。
2000年代後半。ニセ科学批判という社会運動が産声を上げた。
これは、自然科学に関する嘘をエビデンス棍棒で殴打するというシンプルかつ大変に社会的意義のある運動で、その倫理的な正しさからはてな市井で好評を博した。
この運動には様々な人が加わり、皆それぞれの専門分野に関する多種多様な嘘デタラメを殴り倒していた。
また専門分野のない人は、非専門分野に関する言説の妥当性をいかに評価すべきかということについて学んでいった。
よくわからんという人はid:NATROM先生がたくさんいたと考えてください。
ニセ科学とはなにか。誰が、なぜ吹聴するのか。このあたりは先人の素晴らしいテキストが山程あるのでそちらを参照するのがよい。私も一応書く。
ニセ科学批判の対象となったニセ科学は多岐にわたる。多岐にわたるがざっくり2つに分ける。
証明されていないことを証明されたと言うか、証明されたことを証明されていないと言うか、である。
科学的知見というものは往々にしてひっくり返るので、この宇宙を縛る法則から演繹していった時に実はニセ科学が正しかったということは有り得る話である。
しかしながら個人が霊感で獲得した宇宙の真理よりも、定められた手続きを踏んで得られた結論(宇宙的には間違っていたとしても)の方を評価するというのがニセ科学批判のスタンスだ。
営利企業や大学教授や特定の肩書のない個人的なブログ、政党や国そのものである場合もある。
彼らは何故嘘をつくのか。その動機を大きく4つに分ける。経済的利益(金銭)・社会的利益(名誉)・思想的利益(党派性)・倫理的利益(善意の施し)である。
どのニセ科学もこのいずれか、もしくはそれらの組み合わせから生み出されていると分類できるだろう。
例えば近藤誠や武田邦彦の動機は金と売名だし、安倍晋三や下村博文や共和党の言動は党派性の発露であり、有象無象のブログが代替医療で他人の癌を根治しようと試みるのは無知に基づく善意による。
ニセ科学批判は党派性から最も遠いところにいるとは菊池誠の言葉であるが、定義上これは正しい。
また、個々人のレベルで見ればその批判対象の選択において党派性が働くこともあるだろうが、運動を総体として捉えればそれは働かない。
組織を持たない草の根運動であるため、一貫した思想により運動員を抑えつけるということが原理的に不可能だからである。
運動自体に対して外部から党派性を見出す人は多々いるが、それは往々にして自身の党派性を表明しているに過ぎない。
例えばid:finalventにはニセ科学批判が左翼的活動に見えるそうだし、反原発派の中の放射能デマを吹聴するクラスタからは当局におもねった保守的な運動であると批判されている。
ニセ科学は大きくデマという概念に内包される。デマの分野を自然科学に絞り、真実性の判定に科学的手続きの有無を利用している場合それをニセ科学と呼称すると言い換えても良い。
ここからニセ科学批判の方法論を他分野のデマの払拭に利用できるのではないかと考えられる。特に人文科学系や社会科学系等の他分野の学問においてはその応用が容易いだろう。
ニセ科学と人文科学や社会科学系のデマとは地続きの問題であり、ニセ科学批判がニセ科学だけを取り扱うのは、単にそれが自らの領分だからというだけである。
ニセ科学批判の参加者が自然科学系以外の言説に対して取るべき態度は、専門分野外の自然科学系の言説に対して取るべき態度と同一でなければならない。
そうでない時、その価値判断には先の4つの動機のいずれかが作用しているのである。
「えー、じゃあさじゃあさ、なんで菊池さんはネトウヨおじさんなんて扱いを受けるの?だってさ、人が科学的事実を前にした時にどういう要因が認知を歪ませるのか、またその考え方は自然科学分野以外でも応用できるってことを誰よりも分かってるはずでしょ?ネトウヨなんてポジショントークが凝り固まって人型を成しているような存在じゃん。おっかしーぜ、それ。一個人が党派性から逃れることは出来ないにしても、自覚を持っていてその都度自己補正に努めればそこまで極端なことにはならないでしょ。オレ、納得できないなー」
そうだね、たかし君。じゃあ次の章では菊池誠の言説とその捉えられ方の変遷を時系列に沿って見ていこうか。それから菊池誠の言動が本当にいわゆるネトウヨ的な物なのかということもちゃんと検証してみよう。
さて、ここから菊池誠とその周囲の言説を掘り返し、断片的な事実を拾い上げ、時系列を整理し、推論を検証し、STS辺りも総括し、ニセ科学批判史とも絡め、最初のテーマに関して結論を出さなければならない。
でもなんか今週入ってから超体調悪くて、鼻は詰まったり止めどなく流れたり、体はとにかく熱っぽくて横になっているのも辛い。
よく考えたら私は菊池誠の親族でも知人でも生徒でも何でもないわけで、果たして病体にムチを打ってまでこの駄文の執筆に労力を割くべきなのだろうか?ここは潔く挫折する。
でもこのテーマ自体は割と意義があると思うので誰か調べてまとめて書いといて欲しい、個人的にはid:ublftboさんが適任かなと思う。でも多分やらないだろう。面倒くさいし。
どうやらこの記事の続きは執筆されないことが確定したため、以下に執筆時の構想諸々を記しあとがきに代えるものとする。
・7年ぶりくらいに菊池先生の名前を目にしたら、なんか凄い扱いになっていたので驚いて、矢も盾もたまらなかった。
・菊池誠に対する周囲の評価の変化点は2つくらいありそうだと思ってる。震災とそれから1年以上後。
・2009年から現在に至るまで菊池誠はネトウヨおじさんではない。ただ看過できない発言は多々あるし、愛想を尽かす人もいるだろう。これは年を追う毎に悪化しているように見える。今の立ち位置はid:hazumaにちょっと似てる。
・2009年頃と現在で、周囲から投擲される評価は明らかに変質しているわけだけど、それは菊池誠と周囲のどちらかあるいはその両方が変わった/変わっていない結果なのかという大枠の問いがあって、これは菊池誠が変わったというよりは、周囲に今までいなかった(少なかった)人種が現れたからだと思う。
・逆に言うと震災以前にもある種の題材を絡めてその手の人種と邂逅する機会があったら、今よりもっと早くこうなっていたと思う。今の状況はなるべくしてなったと言える。
・どうしてこうなったかは意思疎通が上手く行かなかったから。上手く行かない原因は個人でなく構造に求めないと仕方ない。専門家と非専門家の間にはクッションが必要になると思うんだけど、IKEAが布にガラス片を詰め込んでこれはクッションですと言い張ったり、あるいはクッションそのものを用意しなかったりするから、専門家自身が夜なべしてクッションを作らないといけない。彼らは裁縫の専門家ではないので、その出来は個々人の技術によって大きくムラが出る。ところでIKEAはSTSである。
・STSとは、何の生産性もなく相対主義ぶって科学者を腐してあてこすりで飯を食ってる人間の屑が集う旗印である、というのがこれまでなんとなく聞いていた印象なんだけど、いくらなんでもそんなものが何十年も学問として存続するわきゃないと思う。思うので、この際ちゃんと調べて、その社会的役割と意義と実際のところを自分の中で明らかにしておきたかった。震災時に(震災時でなくとも)彼らが求められる役割を十分に果たした結果がこれなのか、あるいは十分に果たせなかった結果がこれなのか。またそれはなぜなのか。
・つまり不幸な例であるところの菊池先生の件を足がかりにして、自然科学分野における専門家と非専門家とのディスコミ問題をアレできるんじゃないかと思ったというところが発端です。
・ブクマにニセ科学批判ってもっと前からあったでしょと言う指摘があったんだけど、前出の"ニセ科学批判史とも絡め"というところで今現在ニセ科学批判とされる運動の形はいつごろ成立したのかも調べておきたかった。書籍で探すと、訳語としてニセ科学を当てはめてる物は結構前からあるんだけどこれは定義が今と違っていて、今使われている意味でのニセ科学という用語はwebだと2004年が初出だと思う。ニセ科学批判についてはgoogle先生になんとなく尋ねるレベルでは天羽さんとかid:kamezoさんの2005年位のログしか出てこない。水伝での田崎さんと天羽さんは運動の拡大に大きく貢献したよねとか海外情勢(主に米キリスト教福音派系の)はid:Kumicitさんの忘却からの帰還が強かったとか、ニセ科学批判史は最終的に年表にしたかった。
以上が主観的になんとなく思いついた推論なので、これらを補強あるいは反証する材料を沢山探して、結果何かがまとまる予定だったのだということを言い残したかっただけの年度末だった。
1.冷蔵庫も、若く見られるように、分からない浮動に、雪を見るような、ベランダの、
2.歯ブラシを咥えている、循環の、たてぬねんねが壊れ、て、ベタベタべタベタ・・・・、
3.ゾンビ色、面する凸凹の麺、中腹のからだをいぬ走る、聞こえるかいとも聞けないので、
4.伝説教えてください、と言ったときに、だいぶのろってしまったね、・・・、スマホ製造で身体壊れたのに自動車部品製造だ・・・、病院つれてってやれなくてごめん、
5.ヤスクニジンジャってネタでやってるんじゃないんですか?、いやあのひとたちはマジでやってるんだよね、困り顔どっちも、そして、2005?、
6.弱り振り回したのだ、しかも激怒で、2005、・・・・・・・・・、ジェンダーが戦争を起こすのよ、2005、・・・・・・
7.僕というジェンダーはじゃあ、・・・・・・、散り散りで、カマドウマで、離れのトイレで、ばあちゃんちで、・・・・・1987、
8.なぜか保険金殺人のことを、・・・・・・、生命保険の営業で母は壊れた1987、和歌山ヒ素カレー199?、父は板金塗装で壊れた1987、
10.僕は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、
11.透析患者のばあちゃん2004、ベッドの上で裁縫作業がしたいと言ったらしい、死没2005、
14.字余り、
15.腹減った、こわれるなぁ、こわそうなぁ、はらがーはらがー はらへーはらへー、