はてなキーワード: 学術用語とは
つまりだな、社会がどうやって個人をカタに嵌めてくるかという、権力論で本来使う概念だった。そういう用語がつく前から、我々は上司からそういう詭弁みたいなやり方で、反論を封殺されていた。だからもともと存在した社会現象、よく見られる行動類型に名前をつける。
それは学問だわ。
ところが増田の言うような、レッテル貼りにしか使われないんだよね。
これは、例えば「ハラスメント」という概念で社会を良い側に変えるのに成功?した成果があるので、誰も彼もが二匹目のドジョウを狙ってるせいだ。
まあ正直、濫用されすぎて、マナー講師めいてるよね。自分の立場のために違反を作り出すというか。増田のような違和感は当然のことだ。
はてなーのお陰で色んなジェンダー横文字用語を覚えたけど、よく考えたら学問・学術の専門用語としておかしくね?って気がしてきた。
100歩譲って「これこれこういう状況をこう呼びますよ」、ならいいんだけど、自分が目にするのは批判したら反論されて「トーンポリシングやめてください」「それはマンスプレイニングだ」「これ以上はシーライオニング」みたいな議論の逃げ口上としての使い方ばっかじゃねーか。こんな使い方される学術用語、他の学問じゃ聞いたこと無いんだけど。
議論や対話自体を非難するために学術用語使って拒否するようなのが、本当に学問なのか?それともそういう使い方をしてる社会学者や研究者が特異なだけなのか?
「試し行動」という聞きなれない言葉があったので調べてみるとネットや保育などの現場ではけっこう使われている言葉のようだが学術論文で取り扱っているものは少なくて使う時も「試し行動」と(いわゆる,という意味の)カギカッコつきで使われていることが多いようだ。
https://twitter.com/marxindo/status/1458303156056559622
この厚労省のなにかのマニュアルにも『理解しがたい子どもの言動を説明してくれる言葉として,よく「試し行動」という言葉があてられますが,注意を要する言葉でもあります』とあるように,やはり学術用語ではないようだ。
https://twitter.com/marxindo/status/1458304093542223873
偽教授ちゃんの言う通りで「境界性 試し行動」で検索するとドーッと出てくるが「解説系」のページが多くて論文や学術系のものは少ないラジね。
https://twitter.com/marxindo/status/1458307406098665476
「児童福祉の業界用語」としての「試し行動」と「メンヘラ用語」としての「試し行動」があるようラジね。
https://twitter.com/marxindo/status/1458349612033470464
「試し行動」という便利な概念で一緒くたにまとめられちゃってるいろいろなことを解きほぐすことのほうが学者の仕事ラジかねえ。
プロダクトライフサイクルという言葉でも経済やコンテンツで起こることは説明できるのだが、より直感的な説明をしたい時には「境界線上のホライゾン」の「歴史再現」という言葉を引用したほうが早い気がする。
新しい文化ができると近似する文化の歴史を再現したかのような動きをするからね
経済学ではこれを「プロダクトライフサイクル」と言って黎明期から安定期に至るまでをグラフと注釈で描くのですが、より実感の伴う形で表現すると「歴史再現」なんです。
近似する文化で起こったことが今新しく興った文化で再び再現される。
私が境界線上のホライゾンすごいなぁ〜と思ってる理由ってその辺なんですよね。
決してそこまで詳しいわけじゃないのですが、作品を読んで覚えた言葉や意識した概念を引用したくなる魅力や便利さを持ってるんです。
1巻しか読んでないのに境界線上のホライゾンを語るアオニイ
学術用語で言うところの負の性欲ってやつか
数学や科学などの用語を日常的な文脈で暗喩として用いるのはやめてほしい。ものすごく頭が悪そうで、見ている側が恥ずかしくなる。
公共の場所で、「ウチの地元でタクさん知らない人なんかいねえよ。三中のフジモトとタメ張ってたからね」なんて言ってる人がいたら、学の無い人なんだなあ、と思うだろう。それと同様。
日本で反知性主義という専門用語/学術用語の誤用が広まっており批判もされていると認識していながらあえて使っているとは思ってなかったから
については謹んで訂正しておきましょう。
すでに意味が定義されており、いくらかの権威も付与されている専門用語をわざと正反対の意味で使うのは無知や誤解よりも悪質だと思うけど。
論理や事実に基づかず観念論だけで愚策をとり続けるみたいなのを「日本型」反知性主義と呼ぶのをあちこちで見かけたが、まだコンセンサス得られてないみたいだな。(ちなみにそれはご存じ?)
それが誤用だと言ってる。
内田樹の『日本の反知性主義』については山形浩生が5年も前に十分批判してるから今更付け加えは要らないだろ。
https://cruel.hatenablog.com/entry/2015/08/20/185544
上に書かれている"事実に基づかず観念論だけで"というのは、むしろ知識人やエリートにありがちな態度。
そんな象牙の塔に閉じこもって机上の空論をこねくり回して、実際の問題に対処している下界の人間を見下す知識人に対して、
反-知性主義は一般大衆の地に足つけた身体感覚と直観こそが重要だと説く。
つまり、あなたが言う日本型反知性主義の意味は、元の反知性主義の意味とは正反対だ。
新しい概念に対して名前をつけたいという場面はあるし、それを今使われている言葉からそのままにせよ少し改変するにせよ持ってくることもある。
ただ、「すでに意味が定義されている専門用語・学術用語をそれとは正反対の意味で使う」というのは、
わざとやってるなら悪質だし、気にならないなら言葉のセンスが無いよね。
まぁ日本型反知性主義とやらが使われている場面のほぼ全てが、単に対立者というか気に入らない人間に対する「バカ」の言い換えかレッテル貼りだから、素直にバカを使ったほうが良いよという結論は変わらない。
一般はもちろん、オタク界隈でも大ブームになったとは言い難いはずだよな?
エロゲが一定の評価を受けたのはゼロ年代ネット空間における、評論においてではないか。
ここら辺のルーツはまず、西洋人を真似て芸術を評論してみようとした
浅田彰らの批評空間が、ベースにあるはずでそこの影響を受けて、大塚英志や東浩紀がオタク文化評論をしてる。
一方で別の文脈でオタキングや同人誌における作品評論もあって、
彼らはフロイトの精神分析や民俗学を用いて(解説書・新書レベルだが)、評論を行っているので近親交配のように
指摘しておきたいのは、上述の流れは偏差値65以上の人たちと50~65の人たちが合流しているのであって
50未満のオタクたちは、かなりのボリュームが存在しているであろうに取り残されている。
(こういった背景が、なおざりにされているので、質アニメvs美少女動物園という対立軸や
最近のオタクはルーツを探らない論に通じてしまっているのがあると思う)
で、重要なのは芸術の評論というのは、実は人文エリートの中でもトップクラスの作業領域で
実家が太くて、曾祖父の代やそれ以上から文化資本潤沢な、文化貴族のやるもんなんだよ。
西洋で言えば、フロイトやT.S.エリオット、W.H. オーデンみたいな人たちね。
こういう人らは学術用語ぶん回して評論するとかしなくて、すごいハイコンテクストで
「青、いいよね」をさらに嫌らしく発展させたような、言語ゲームをばりばり行う人たちなので
上述の浅田彰等々でもくらいつくのは、すごく難しい領域なんだな。
でも、一応は日本人としてもそれを真似してみたいという欲求はあるわけだ。
ここで登場するのが、大塚英志や東浩紀が薫陶を受けたポストモダン。
この哲学思想において、これまでメジャーとされた文学や価値観より
マイナーとされた文学、価値観も光るものがあるぞ!って流れが強く打ち出された。