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はてなキーワード: 大国とは

2021-11-05

日本人は右も左も「権威主義者」「事大主義者」でしかない。

国内に住む日本人の「庶民なのに統治者目線」と、海外在住日本人の「先進国成功国、大国目線

海外から出羽守する」のは、全く同じ心性。

統治者目線」≒「出羽守発言」。

要するに日本人は右も左も「権威主義者」「事大主義者」だという揺るがない事実

ブルマー増田まとめ、その3

直近の記事まとめ

タイトルブックマーク
チェコの民族意識と社会主義とブルマー16
ドイツ映画と黒ブルマー、日本と海外のブルマーフェチ44
ポーランドのブルマー、結局名称は何なんだ?3
非ブルマー地帯ハンガリー、代替としての野外レオタード1
ロシアではレオタードと水着とブルマーを区別しない(?)?
ブルマーについての拾遺集?

投稿時刻は省く。前のまとめで掲載していたのは、平日朝のブクマのつきやすさを調査していたからだ。

実際、近頃5000文字エントリを書いたが、祝日の朝に掲載したためか、スルーされた。

僕の仕事祝日が平日に当たっている場合、出勤なので、うっかり忘れていた。

内容がまずかっただけかもしれないけれども、参考にはなる。

ところで、東欧よりもドイツのほうが関心を持つ人が多いせいかブクマ数が多い。

過去のケースから考えると、「日本人と接点が多い大国について」「露出度が多い」場合に注目されやすそうだ。

過去ブルマー増田まとめ

バズる増田の書き方と、ブルマー増田のまとめ

ブルマー増田のまとめその2、noteでやらない理由

鉄腕アトムとブルマーと。

以上。

またいつか会いましょう。

2021-11-03

anond:20211103163120

日本ある意味移民大国じゃない?技能実習生とか居るし。

難民ほとんど受け入れてないけどな。

anond:20211103105115

気の利いた核大国ならこっそり各国の首都重要地域携帯型の核兵器を設置済みだろうから無問題

2021-10-31

KKにだまされた

KKはエチオピアコーヒーがまずいっていっていたけど。とんでもない話。しらべてみたらエチオピア独自に発展したコーヒー文化もつコーヒー大国だった。これからエチオピアコーヒーを買いに行ってくる。みんなもエチオピアコーヒー飲もうぜ。

2021-10-28

多様性統一」について一言言っておく

共産党擁護する義理はないのだが、共産党が「多様性統一」の標語を掲げた事にあたって、独裁だと揶揄するブコメが目立つんだがこれらの人達どうも意味判ってなくない?

これって頻出スローガンだよ。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/jcp_cc/status/1452192530871697413

 

多文化主義文化多元主義

最近だと多文化主義(multiculturalism)と文化多元主義(Cultural pluralism)の橋渡しというか良いトコ取りの標語として使われる事がある。

 

多文化主義っていうのは人々の属する文化並置されて存在している状態。〇〇人っていう属性、特色を捨てる必要ないよって考え方。でもこれだと国家内がモザイク状になって対立が発生したり、特定宗教原理主義とかはどうする?「自由の敵」に自由を与えて多文化主義の基盤を破壊するのはどうする?って問題が発生する。

 

文化多元主義は色んなオリジンを持つ人々が集まるが、個々人は一つの公共モデルに集約され、主体の改変を求められるって考えだ。

一番有名なのが合衆国の「人種のるつぼ」。

人種のるつぼって色んな人種が居る事を指していると思ってる人が多いが「るつぼ」は坩堝と書いて金属を溶かす溶鉱炉の容れ物だ。だから人種」は溶けて元の色や性質を失っている。

そして坩堝の湯(溶解金属)は型に入れられる。冷えて出来上がるのが「アメリカ人」という合金インゴットだ、という考えに立脚している。かなりイデオロギッシュな言葉なのな、実は。

から結構抑圧的な面があるのな。

 

ハワイ空港名前にもなっているダニエル・イノウエはその尤もなモデルケースだろう。

日本軍真珠湾で奇襲攻撃を掛けてアメリカ戦争に巻き込んだので、ハワイ日系人は立つ瀬がない。そこでイノウエは自分アメリカ人である事の証に陸軍に志願してかの有名な442連隊に配属された。死傷率300%以上という有名な部隊だ。海兵隊では新兵訓練の際に442連隊の事は必ず触れると聞く。「アメリカとは何か」を象徴するからだ。

イノウエはそこで日系人じゃなくてアメリカ人インゴットになった訳だ。戦後政治家となって上院議長まで登りつめた。

からこれ書いてる増田はイノウエに日系人としての親近感なんて抱かない。彼は立派なアメリカ人だった。

この生き方を強いたのが文化多元主義であり人種のるつぼなのだ

 

イノウエの例は戦争という情況が強いた極端だが、この抑圧的な文化多元主義と、バラバラ政治主体としても弱くて実効性にも疑問符が付く多文化主義の良いトコ取りしようぜって言い方で使われることがある。

 

インドネシアの国是「パンチャシラ」

あと有名なのがインドネシアの国是、「パンチャシラ」。意味は「多様性の中の統一」。

インドネシアっていうのはこれはもう完全に人口国家であって「インドネシア人」なんて人種民族も無かった。言語も違う。旧ユーゴと似ている。

そこにまだ統一国家も無いのに「インドネシア人」という国民意識が立ち上がっていった。「国民」はトップダウンだけで出来たのでは無い。

この意識の成立の鍵になったのが植民地下での出版業で、同一言語での大量出版がやがてその頒布される広範囲公共心や共同性を立ち上げる事になった。

これを観察して書かれたのがかの有名なベネディクト・アンダーソン想像の共同体』なのな。アンダーソンはインドネシア歴史研究していて、そこから国民国家の成立を発見したのだな。

 

パンチャシラを提唱したのは国父であるスカルノで、重要理念として憲法前文に入れられた。

共産党を叩いている人の中には旧日本軍人がインドネシア独立に協力した事を重視する人が多いはずだが、インドネシアの有名な国是を思い出さないとはどういう事だろうか?

 

TPP参加決定時の炎上で見たぞこの流れ

この流れはTTP参加決定時に似ている。

民主政権TTP参加を決定した折、ネット大炎上した。すると炎上の仕方が厨房っぽいので一歩ずらして「そもそも米国利権に”環太平洋”と名付けるのがおかしい」とかかしこぶる人が出てくる。

ところが「環太平洋」という概念ソ連との冷戦終結した90年前後からある。そして実際日本の周囲では環太平洋での経済的結びつきが強化されてきた。製鉄大国で「鉄のハブ」になっている日本の最大原輸入国鉄鉱石石炭)は豪州になった。

そういうの知らんのな。知らんというか20年以上知らないを継続してきたって事だ。

 

因みに環太平洋の当初のアニキ役は米国日本が想定されていたが、日本に代わって中国アニキ役になりそうな塩梅になってる。これはGDPの伸びだけじゃなくて、日本震災港湾が壊滅したり鉄道民営化の上に貨物分社化して海コン扱いが出来ないなんてクソ失政を重ねたせいで物流コンテナ、航空)の拠点中国なっちゃったせいだ。

多様性統一」に噛みついた人らは、物流的に日本中国から出てるローカル盲腸線の扱いになってるのとか知ってる?

 

共産党より高いアンテナを持てっての

共産党揶揄したいって気持ちは判るよ。なんせ彼らは「民主集中制」について破棄したのかちゃん説明も総括もしていない。

プロレタリアート独裁だってソ連韓国東南アジア開発独裁の評判が悪くなってから言わなくなっただけであれってどうなの?ちゃんと破棄したのって事は有耶無耶になっている。

欧州なんかは左翼ポピュリズムが押してきているが、そういう訳なのでその流れに乗るの?って事もよー判らん状態

から多様性統一って字面民主集中制そっくりでんなぁ」とかイヤミいうのは判るが、わざわざこんな有名な語彙を出しているのに悪意の解釈しているっていうのは、単に「国民国家の成立とか、多文化主義が起こす軋轢とか、人種のるつぼ本来意味とか、ハワイ空港が何で日系人のイノウエの名前付けてるのかとか、インドネシア建国理念とか知らねぇし、興味も無い生活送ってるんだろうなぁ」という情報しか外部に与えんよ。

2021-10-24

anond:20211024131137

たとえライフリングまでたどり着いたとしても

一瞬先進国になって元寇みたいなのが中国荒らして、すぐに技術伝播して中国が銃大国になるだけじゃないか

そしたら中華文明ヨーロッパに勝ってたかもね

2021-10-22

から僕はイラストレーターを諦めた

から絵を描くのが好きだった。いや、絵を描くのが好きだったというのは違う。

正しく言えば、絵を描いて褒められるのが好きだった。勉強運動も得意というわけでは無く、進学校だったので周りより相対的能力があったのが絵なだけだった。

それなら絵の学校に進めばいいじゃないか、と言う人もいる。いろいろ理由をつけてはいるが、今考えると行かなかった理由簡単だ。

絵を描くのが当たり前の世界で、自分には勉強運動も絵もダメな凡人だと自覚するのが嫌だっただけだ。

絵は努力世界だ。才能じゃない。しか努力の才能が無ければ居られない世界だ。

特に日本という国は芸術大国と言っても過言ではない。所謂現代アート西洋美術等の『古典美術(笑)』には認められてない世界だが、マーケティングの精度や技術的なレベルから言ってもそれらは優に超えている。

そんな世界に僕は憧れた。しかし僕は努力ができなかった。絵が好きじゃなかったからだ。

絵が上手い人というのは、絵に対する異常な執着心がある。同時に、その時の流行りや廃りに敏感だ。いわば凡人でミーハー感性と、絵に対する非凡な執着。

人が好きだと言う作品二次創作に、対価が無くとも熱い思いを込めて何時間も集中して書き続けられる力。そんな職人的な、ともすれば搾取されがちな思考が神絵師を形作っている。

僕はそのどちらも無かった。世間からズレた非凡感性と、凡人レベル努力。やっとの思いで掴んだ絵の仕事、時給200円の末端底辺背景イラストレーター

時給100円で神絵の依頼を受ける絵師を見て、この世界に俺の居場所は無かったと気付いた。

何度も出される無料リテイク、思いを込めた部分が雰囲気に合ってないと修正される。仲介会社は足元を見て、いかに安く絵を完成させるしか考えていない。

そんな中ふと手を出したライター業。2ch増田文章を書きまくり、凡人でミーハー感性と、文章人間に対する非凡な執着を身に着けた大衆仕事。誰でもできるお仕事

時給換算すれば1000円は当たり前。2000円、4000円も行ける。

「この文章を読んで理解できたでしょうか。」ありきたりで形式的なまとめ文を書く。多分これを読んだ人は、解ってるんだか解らないような神妙な顔でアフィリンクを押すのだと思ったりする。

僕がイラストレーターを諦めた理由なんて多分この文章を読んだ人には一ミリも伝わらないだろうなと思いつつ。数年後には「だから僕はライターを諦めた」なんて文章を書くのかなと思ったりもする。

その時の媒体は多分紙。遺族はそれを見てどう思うだろうか。

2021-10-20

id:greenTへの返信

https://anond.hatelabo.jp/20211019210515

はじめに

最初に、どんな立場から物を言っているのかを明確にしておいた方がいいと思ったので少し自分語りをする。

自分は昔から漫画も読むしゲームもやる。いわゆるオタクコンテンツで一番好んでいるのはライトノベルで、なろう系もこれは酷いなと思いつつ読んでいたりする。

エロ漫画も読むしエロゲ―もたまにやる。DMMブックスの新規会員割引キャンペーン既存会員なので知らなかったクチ。

以前「なんでエロゲ―って未だにパッケージ販売にこだわってるの?特典とかいらんでしょ」みたいなコメントを書いたら「こいつエロゲ―やらずに言ってるだろ」と叩かれたことがあるが、やってるから言ってる。

ただ、そういうのは一人で楽しめばいいのであってわざわざ公共の場開陳しなくていいと考えている。

記事スタンス

記事id:greenTへの返信の形式をとるが、反論の体はとらず自分の考えとの一致点と相違点を明らかにしたい。

この長文を書こうと思ったモチベーション最近まり攻撃的なコメントが目立つブコメ欄で自分コメントを読んで考えてくれた人がいたことが嬉しかったというものなので

まり否定的なことを書きたくない。

人類に元から備わっているもの社会的に構築されたもの」について

この段でid:greenTが述べていることは「欲求には本能的な欲求後天的欲求がある。そして性欲は本能的な欲求だ」ということだと思う。

これを心理学的に整理すると、マズロー自己実現論にあたるのではないかと思う。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%B7%B1%E5%AE%9F%E7%8F%BE%E7%90%86%E8%AB%96

マズロー欲求を五段階に分け、性欲のような本能の部分を土台の部分の「生理的欲求」に分類した。

そしてそれ以外の後天的欲求生理的欲求が満たされた後に生まれてくるものとしてさらに四段階に分けた(ここではひとまとめに「社会的欲求」とする)。

この理屈に従うと、元の自分ブコメで挙げた欲求の例は下記のように分類できると思う。


こうした分類に則って社会的欲求(の一部)を制限する必要があることは認めるが、生理的欲求社会的欲求に分類してはならないというのがid:greenTの考えだと思う。

自分もここまでは考えが一致するところだ。

では違いは何かというと、実は前提のところに違いがある。

これはマズローへの根強い批判として存在するものでもあるのだが、そんな単純に生理的欲求社会的欲求を分類できるものだろうか?

先ほどの例はよく考えると色々雑である


繰り返しになるが生理的欲求社会的欲求に分類してはならない、ということには賛成である

ただ、現実的にはどの欲求がどちらに属するのかを明確に分類するのは難しく、人によって線引きが違ってしまうのではないか

で、ここで元になったツイート引用するのだが

日本社会で性暴力性搾取は許されないっていう合意なんてもう既にあって、むしろ搾取暴力を伴わない性欲や性行動まで一緒に悪いもの存在しないものにしようとする理想像押し付けこそ性虐待だし、性暴力を受けた子供男性女性が口を噤むことに繋がっているんじゃないか

日本社会で性暴力性搾取は許されないっていう合意」は既にある。

あるのだが、「性暴力性搾取」と「搾取暴力を伴わない性欲や性行動」の線引きは人によって大きく異なるのではないか

「ここまでは生理的欲求から仕方ないよね」というラインが別の人にとっては許容できない社会的欲求となっているのではないか

以上が考えが異なる部分なのではないかと思う。

欲求を悪だと断罪すること」について

id:greenTは「欲望勝手に悪に分類するな」と言い、自分は「欲望制限するべき」と述べた。

「悪に分類するな=制限するな」という意味に受け取ったので「制限するべき」と反論したのだが、この段落を読むにどうも反論になっていなかったようだ。

反論しておいて申し訳ないのだが、ほとんど同じ考えだ。

たぶんid:greenT性的コンテンツ規制を心底嫌だと感じているので「悪に分類された」と感じており、自分はそこまでではないので「制限必要」という認識違いが発生していたのだと思う。

自分制限されたら嫌だと思っていることを意に反して制限されたら「勝手に悪に分類された」と感じるだろうが、関係ない物事制限されてもそうは感じないだろう。

たとえば自分登山趣味の一つなのだが、各自治体が「コロナ禍で山岳救助とかやってられるか!入山禁止な!」と言い出したとする。

登山関係ないほとんどの人の感想は「ふーん入山制限ね。仕方ないんじゃね」くらいのものだろう。一方自分は「登山者を悪者にしやがって」と感じるかもしれない。

だが、「制限すべき」もの「悪」ではない。上記の中で明確に悪なのはいじめくらいだろう。基本は「欲望自体尊重されるものだが、社会リソースに限りがあるのでみんなで制限も受け入れましょうね」というスタンスを取るべき

自分もそのように思う。

1つだけ付け加えると、後段で「上段でいじめを明確に悪だと分類したが、性欲はそれとは違って人間関係の維持に良好な影響をもたらすものからだ」とあるのだが

いじめいじめられる人以外の人間関係の維持に良好な影響をもたらすケースはあると思う。

だが、そういう価値の相対化を許さず悪だと断じなければならない物事もあると考えている。

制限を受け入れるとして今の性欲の扱いは正当なものか」について

  • 権利制限を受けることは誰も否定していない。ただ人間に備わっている物が特に制限を受けるわけでもない
  • 制限のあり方には濃淡があり、今の性欲の扱われ方は過剰に制限があると思っている

上記結論部の一つ目には同意する。ただし…と続きがあるが、それは上で述べた通り。

2つ目については、個人的には性産業大国となりつつある日本で過剰な制限があるとは思っていないがそのように感じることは理解できる。

日本歴史的に見ても性的に奔放で、AVエロ本が無い時代でも春画やら吉原やらが存在した。無批判欧米基準を受容しても上手くいかないだろう。

身近な例で言うと、近所の小学校の数百メートル先にエロゲショップがあり下校中の小学生ポスターを見ていたりするのはこれまずいんじゃないのと思っている。

しかし、だからと言っていきなり議員抗議文を送りつけたり法律を持ち出したりして圧力をかけるのは性急すぎる。

エロゲショップに張り出されるポスターも昔に比べるとソフト表現になり、過激ものは店内だけにという使い分けがなされていると思う。

それでもなおポスターを剥がせと突然言われたら店舗としては規制が過剰すぎると感じるだろう。

共産党もそういうわけで社会的合意形成を目指そうとしているのだと思うが、合意と言うのは双方の合意によって成り立つの規制される側抜きには成り立たない。

規制したい側だけで話し合うようになってしまわないことを願いたい。

ネットでは時折炎上案件が発生しそれが過剰に取り上げられることによって憎悪を煽る結果を招いているが、社会全体を見ればオタクコンテンツますます受け入れられる一方である

これは関係者が世間から広く受け入れられる表現模索した結果であろう。

最後

最近の人気ブコメ感情的に書きなぐったようなものが多く、話が通じない思いを受けていた。

なので反応し色々考えてくれたid:greenT感謝する。自分も当て擦りは控えようと思う。

2021-10-19

フランス文化芸術大国って言うけど

日本人フランステレビドラマやポップミュージックってどんくらい浸透してんの?

市場規模どんくらい?

ってふと思った

https://anond.hatelabo.jp/20211018095500

2021-10-18

ぼくのかんがえたさいきょうのJリーグ改革案

1ファン戯言をまとめてみた。

今のJリーグの弱点(1)他競技と比べて試合数が少ない

通年ならJ1リーグは34試合カップ戦6~12試合天皇杯1~4試合。合計すると最大で50試合くらい。

実は日本プロスポーツでは決して多くない。プロ野球は143試合あるし、大相撲は90試合中央競馬100強の開催。

この試合数の少なさは日本プロスポーツ興行を考える上では明確な弱点だ。ホーム主催試合では年間最小で20試合しかなく、スタジアム整備の話が出るとすぐ「稼働率が~」と騒がれる理由でもあるし、試合結果が報道される機会もその分少なく、競技存在が薄まってしまう。

今のJリーグの弱点(2)トップリーグのチーム数が多すぎかつ固定ではないため覚えきれないまま敬遠されがち

18チームは明らかに多い。プロ野球12球団固定に慣れた国民が新たに18チームも覚えるのは至難の業J2の22チームやJ3の15チームも加えて覚えろと言われたら神業レベルである

しかも昇降格制度があるので毎年トップリーグメンツが入れ替わる。

「チーム数が多すぎる」と言う理由Jリーグを避けている層は少なから存在する。

日本プロスポーツ大国でもあり、サッカーに割ける脳内リソース平均値はそう多くないのだ。

改革案トップリーグのチーム数を10に絞り、6回戦総当たり制にする

まず、チーム数を絞ることで認知されやすくなる。

たこれでリーグ戦試合数が54と20も増える。カップ戦12試合天皇杯で4試合合わせると合計70になる。

ホーム主催試合も年間30試合以上となるため、スタジアム稼働率問題認知度低下問題が緩和される。そしてスタジアム整備もしやすくなる。

選手層をその分厚くする必要があるが、それは登録枠を拡大すればよいだけの話。これでもブラジルの強豪チームよりは10試合以上少ないのだ。週2回開催を続ければこなせるだろう。

代償としてACLの枠が2にまで減ってしまうが、元々ACL罰ゲーム色が強いし、韓国チームとかは他国チームを兵糧攻めしてくることがあるので(今年、日本の出場チームがいくつかこれを食らっている)、「仕方なく出る」程度でよいだろう。

ぼくのかんがえたさいきょうの改革案しかないだろうが、一考はしてもらえないだろうか。

2021-10-15

anond:20211015224704

そういう要因もあるだろうけど、基本的には日本CD大国なのが大きい

ただしここ数年で大きく減少してるらしい

ダウンロードストリーミング配信欧米比較してまだまだだけど、それでも増加してることが原因らしい

バラで購入できるからかな?

anond:20211014111638

日本はというけど海外はどうなってるの?と調べたら

音楽売り上げで見たら1人当たりでアメリカよりも多い

イギリスと同じくらい

ドイツフランスよりもかなり多い

高齢化云々考慮するなら高齢化大国日本高齢者以外はさらに購入金額が多い

日本世界一金を使ってるかもしれない

anond:20211015134009

アメリカはずっと戦争していたけど、暇で金を持て余した国家のお遊びしてた。

戦争貧困というのは、資源もないのに大国喧嘩を売るような馬鹿な国の考え。

2021-10-10

anond:20211010142156

地震大国日本において、震災時に使えない通貨など、丸で意味がない。

あらゆるメリットデメリットが上回ってしまう。

2021-10-08

anond:20211006211009

共産主義の是非なんて戦前からずっと検討されているから、良い面も悪い面も出尽くしている。その上で現状があるわけで、今の状況で再検討しても新しいものは出て来ない。

色々な書籍でさんざん検討されているので、まずはそれらの本を読んで欲しい。新書がとっつきやすい。

ざっと解説するなら、

共産主義個人資産所有を禁止国家の所有と個人への貸与という形に移行する。これは富の再分配効率良く行うため。

→所有欲は個人が持つ基本的欲求だが、それを否定するところから始まっているので既にひずみがある。所有欲が満たされない場合は前向きな動機付けが損なわれ、それを補完するために後ろ向きな動機付け強制労働収容所送り)が強化される。

富の再分配は、分配される前に集約される。この集約時に、抑圧された所有欲が得てして汚職という形で姿を現す。目の前に山ほどの札束が合ったら少しくらい貰ってもばれないって思うでしょ?

・富の生産政府コントロールするのは強権と知能が必要

→知能については、政府コントロールより市場原理の方が優れている。戦後証明された。

→強権は相対的人民権利を下げることとなる。中国情報統制等はその一例。結果、個人利益は低下する。

・主な共産主義国はソビエト連邦中国ベトナムキューバ共通するのは、劣悪な状況を改善するための方法論として共産主義標榜したこと

→劣悪な状況が改善されると、弊害が目立ち、瓦解する。これがソ連

→未だ劣悪な状況にあるとの立場で引き続き推し進めているのが中国中華世界の中心を名乗っていたころに比べたら未だ復権は成っていないとの立場

大分良くなったので市場に関しては市場原理に戻したのがベトナム

大国アメリカが近くにあり、気を抜いたらまた革命前に戻ると思っているのがキューバ

東欧ソ連衛星国は、ソ連テコ入れ西欧との緩衝地帯として赤化された面が強いので、共産主義国として検討するのはあまり意味がない。

まり、よほど酷い状況でなければ共産主義という選択肢は出て来ない。特に戦後ドン底を内需拡大復興してきた経験がある現在日本では、共産主義を取る必要性が薄い。

昨今の情報革新がそれに輪をかけている。

これから共産主義が出てくるとすれば、アフリカかな。

マルクス資本論は「すべてをコントールできる知能が市場政治コントロールする」という理論なので、かなりの理想論

今となってはその理想は「実現し難いもの」と認識されている。

「こうしたらいいじゃん!」が「出来ないんだってば」で反論しつくされている。

そのプロセスがあって今がある、ということを勉強した方が良い。

2021-10-06

ノーベル賞日本人を持ち上げるやつ

ノーベル賞日本人が取ってそれが報道される度に反発するやついるけどさどこの国のどんな人がその研究結果を出したのかって大事じゃないの?

どうでもいいならこの話は終わりなんだけど、科研費削減の話が出るとほぼ確実に科研費がどんどん増えてる中国と対比されるよね。本当にどの国のどんな人が研究したのかが重要じゃないなら科研費削減も問題ないよね。

日本科研費が削減されてもそれ以上に中国科研費を増やしてバリバリ研究をやってくれてるんだから世界全体の研究にはほとんど影響ないよね。

「誰が研究たか重要では無いので日本の代わりに中国研究大国になってもどうでもいい」とか「科学大国日本としての地位を守るべきだから科研費を増やせ」とかなら分かる。でも「誰が研究たか重要ではないが日本科研費が削減されるのは問題だ」というのは明らかに矛盾してると思うんだけどどうやってこの理論整合性を保ってるのか

2021-10-03

NHK特集シルクロードをもう一度見た

40年ほど前の番組だ。

子供の頃に断片的に見ていたけど、何しろビデオもろくに普及していない時代だ。

見るのも途切れ途切れになってしまい、終わりの方は全然見れなかった。

それでも、メインテーマとともにはっきりと記憶に残っている番組だ。

中国は唐の都長安、いまの西安から西へ向かうシルクロード旅路を伝えるドキュメンタリーだ。

数千年に亘る歴史が積み重なった土地のかつてと今をこれでもかと見せてくれた。

敦煌楼蘭天山山脈といった異郷への浪漫を駆り立てる番組構成は、当時の大ブームにもなった。

自分より少し上の世代中国好き、シルクロード好きになった人間は、結構な率でこの番組の影響を受けていると思う。

それがNHKBSで再放送されていたので、録画して少しずつ見ていった。

今見ると、日中共同取材班という名前中国共産党・人民解放軍の全面協力の下に作られた番組だったのがはっきりとわかった。

覇権主義に陥る前の、それ自体は友好的なもので、当時の門外不出のような情報ばんばん出てくるわ、よくそんなところまでカメラが入るのを許したというかヘリまで使ってどんだけ協力してるんだよという場所映像がどんどん出てくる。

こんな番組を見たら中国好きになるのも納得で、それから数十年くらい日本人中国観をかなり友好的にしたんじゃないかと思う。

現地に旅行に行った人もいっぱいいたそうだし、そのまま中国との商売日中友好のために活動するようになった人もいただろう。

この番組がなかったら、その後の中国への日本投資もだいぶ違ったのではないだろうか。

なにも証拠は挙げることはできないけど、少しずつ世界史を変えることになった番組ではないか勝手に思う。

牧歌的景色の中に、ウイグル生活侵入していく道路鉄道と、中国共産党によってあの地の生活が変えられていく予兆のようなものが伺えるのは怖かった。

あそこで笑っていた人々の多くは40年も経って大半がもう亡くなっているだろうけど、自分と歳の近いあの子たちは今どうしているだろうと思ってしまう。

第二部に入って中央アジア突入するとかなり印象が変わる。

良くも悪くも中国共産党の協力が無くなって決められたルートが消え、かわってソビエト科学アカデミーの協力とともに旅路が多岐にわたるようになってくる。

まだソビエトが現役だったこであるという事実とともに、それからの四十年であれほどの大国が消えたということがシルクロードをめぐる国家興亡の歴史の最新の一ページになっているとも思う。

かのバーミアン石仏破壊される前の姿が番組で記録されていないのは、かつてのソ連アフガン侵攻の影響で取材班が入れなかったかなのだそうだ。

それでも、NHK取材班の人々の冒険家ぶりには何度も心躍らされた。

何十年ぶりかで人が訪れた砂漠廃都とか、歴史上初めて日本人が訪れたことになる山間部の村とか、四人もの通訳を介してようやく取材できる古い言葉とか、NHK取材班自体シルクロードを行く旅人のものとなって歴史を記録していく様が残る。

シリア砂漠では、数十年前に終わってしまったラクダキャラバン隊に参加していたかつての少年が成長したラクダ牧場の主を見つけ、シルクロードキャラバン旅路再現を頼み込んで、それを実現してしま旅路の記録を撮影していた。

民族故郷の地から遠く離れても続く結婚風習商人たちが集う市場に集う食材や茶、纏う色鮮やかな服と絨毯、そこに息づいていた確かなシルク足跡とそれを作る技術の伝来は確かにシルクロードの記録だ。

現代に生きる自分にとっては、当世風の見慣れた異世界よりもはるかに物珍しい、それは異郷の数々の確かな記録だった。

あれからの四十年で消えてしまったものの、最後の記録となったものも山ほどあるだろう。

グローバリゼーションインターネット世界は大きく激変し、風習が消えた村も人が消えてしまった村もたくさんあるだろう。

現に、シリアにあった数々の美しいものたちは、その後の内戦瓦礫となってしまった。

長安からの長い長い旅路の先に、ボスポラス海峡渡りアッピア街道を走り、NHK取材班がついにローマにたどり着く光景には、言いようのない感動を覚えずにはいられなかった。

取材班が到着した日にイタリアラジオニュースで、取材班の到着を現代マルコポーロに喩えた報告がなされていた、と番組中で説明されていたのはメタ的で笑うしかない。

だがマルコポーロのたとえも過言ではないと思う。

取材は足掛け五年に及び、訪れた国の数は二桁に及び、映った人の数は万を数えよう映像の数々はさながら見聞録だ。

世界が近くなってしまった今、これほど遠大な紀行番組が作られることはもはやないだろう。

世界が変わってしまった今、あれと同じ光景は二度と撮ることはできないだろう。

だが、子供の頃に見られなかった旅路の果てに、ようやくにたどり着けた。

ありがとう、かつてのNHKありがとう再放送してくれた今のNHK

2021-09-29

高齢化大国ニッポンでは高齢者の総意がほぼ民意になってしまう。なんで年齢調整死亡率みたいにしないんだろうか。

2021-09-25

こっそり核融合完成させて全部秘密にして電気だけ海外に輸出すればエネルギー大国として復活への道。

そんなふうにしてやっていけたら幸せなのかも知れない。

2021-09-24

ウマ娘すっかり飽きられたけど皆本物のゲームをやりたかったんだろうな

本物のゲームってのはさ、運に見えて運じゃねーんだわ。

究極を言えば全てのゲーム運ゲーなんだけど、運の質が違うんだよな。

本当の本当に究極だけど、たとえば将棋プロ同士の対局で本当は詰んでるけど相手が見落として、そのまま試合が続いてる時に詰めろをかけた側が脳卒中で突然死したら、それまでの過程関係無しで詰まされていたはずの側が勝ちになるわけだろ。

そういう運はどんな世界にもある。

だけどそうじゃない運がある。

その2種類の運の間にある無限可能性がゲームに深みをもたせる。

そのバランスゲーム運ゲーとしての質であり、全てのゲーム絶対ファクターとして持ち合わせる部分なわけだ。

要するにそのバランスが崩れてしまうと蔑称としての「運ゲー」になってしまうわけで、それは本物のゲームじゃねーんだわな。

ボードゲーム大国ことドイツじゃあ、正しく運が絡むゲームは本物のゲームとして愛され、「運ゲー」も偽物のゲームとしては愛される。

でも偽物のゲームってのは結局の所、酒の肴子供と一緒に遊ぶためのおままごとしかねーんだ。

やり込むほどにかえって本物のゲームがやりたくなる。

本物の世界、運が勝ち負けの言い訳から残酷現実として襲ってきて、それを読みきれなかった自分こそが悪かったと本気で悔しくなれるゲームをやりたくなる。

ウマ娘はおままごととしちゃあ面白かった。

だが本気でやり込んじゃいけねーんだ。

双六やってるときダイスロールを完璧に決めて毎回6や5が出るように踏ん張る奴らが増えてきたら萎えるだろ?

今のウマ娘はそこに辿り着いちまった。

ままごとの終わりなのさ。

そっから先を、おままごととして面白く出来るか、それとも本物のゲームを目指すか、それが問われているんだが、運営はどっちかに決めるのを怖がって時間稼ぎだけしかしてねえ。

だがそれが結果として、一部のプレイヤーに「おままごとに全力を出しちまう俺様」という狂った狂騒を与えて何とか形を保ってる。

その狂騒が崩れ去ったとき、どうなるかだな。

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