昔から絵を描くのが好きだった。いや、絵を描くのが好きだったというのは違う。
正しく言えば、絵を描いて褒められるのが好きだった。勉強も運動も得意というわけでは無く、進学校だったので周りより相対的に能力があったのが絵なだけだった。
それなら絵の学校に進めばいいじゃないか、と言う人もいる。いろいろ理由をつけてはいるが、今考えると行かなかった理由は簡単だ。
絵を描くのが当たり前の世界で、自分には勉強も運動も絵もダメな凡人だと自覚するのが嫌だっただけだ。
絵は努力の世界だ。才能じゃない。しかし努力の才能が無ければ居られない世界だ。
特に日本という国は芸術大国と言っても過言ではない。所謂現代アートや西洋美術等の『古典美術(笑)』には認められてない世界だが、マーケティングの精度や技術的なレベルから言ってもそれらは優に超えている。
そんな世界に僕は憧れた。しかし僕は努力ができなかった。絵が好きじゃなかったからだ。
絵が上手い人というのは、絵に対する異常な執着心がある。同時に、その時の流行りや廃りに敏感だ。いわば凡人でミーハーな感性と、絵に対する非凡な執着。
人が好きだと言う作品の二次創作に、対価が無くとも熱い思いを込めて何時間も集中して書き続けられる力。そんな職人的な、ともすれば搾取されがちな思考が神絵師を形作っている。
僕はそのどちらも無かった。世間からズレた非凡な感性と、凡人レベルの努力。やっとの思いで掴んだ絵の仕事、時給200円の末端底辺背景イラストレーター。
時給100円で神絵の依頼を受ける絵師を見て、この世界に俺の居場所は無かったと気付いた。
何度も出される無料リテイク、思いを込めた部分が雰囲気に合ってないと修正される。仲介会社は足元を見て、いかに安く絵を完成させるしか考えていない。
そんな中ふと手を出したライター業。2chや増田で文章を書きまくり、凡人でミーハーな感性と、文章や人間に対する非凡な執着を身に着けた大衆の仕事。誰でもできるお仕事。
時給換算すれば1000円は当たり前。2000円、4000円も行ける。
「この文章を読んで理解できたでしょうか。」ありきたりで形式的なまとめ文を書く。多分これを読んだ人は、解ってるんだか解らないような神妙な顔でアフィリンクを押すのだと思ったりする。
僕がイラストレーターを諦めた理由なんて多分この文章を読んだ人には一ミリも伝わらないだろうなと思いつつ。数年後には「だから僕はライターを諦めた」なんて文章を書くのかなと思ったりもする。
その時の媒体は多分紙。遺族はそれを見てどう思うだろうか。