はてなキーワード: 吐息とは
『レヴェナント』はめちゃくちゃ難解なんですが、ポイントを押さえれば、イニャリトゥ監督の過去の作品と大してテーマは変わんねぇことが分かります。
イニャリトゥ監督はデビュー作『アモーレス・ペロス』から前作『バードマン』までひたすら「親子」をテーマに映画を撮り続けてきた監督です。なので『レヴェナント』でもテーマは「親子」です(インタビューでもそう言っています)。もうちょい言うと、『レヴェナント』では「親の子に対する愛がいかに深いか」ということを描いてます。
主人公グラス(ディカプリオ)の台詞をちょっと考えてみれば分かります。
“All I had was my boy... but he took him from me.“
「私にとって息子は全てだった。しかしフィッツジェラルドは私から息子を奪った。」
“I ain't afraid to die anymore. I've done it already.”
「私はもう死ぬことを怖れていない。私は既に死んでいる。」
これはグラスが救出された後にヘンリーに語った言葉ですが、この2つの台詞から分かることは、①グラスにとって息子ホークは生きる意味そのものであったこと、②グラスは物語のどっかで既に死んでいて、それにもかかわらず基地までたどり着いたということです。
死んでます。具体的にはフィッツジェラルドにより埋葬された後、息子ホークの死亡を確認した時点で力尽きています。通常、熊に襲われて、内蔵が見えてしまっていて、脚は複雑骨折、その上発熱していて、ろくな治療を受けられないまま生き埋めにされたら(さらに生きがいであった息子が殺されたら)、それは死ぬだろ、と思いませんか。
あれは肉体が死亡していながら精神の力(息子を愛する力)だけで動くゾンビみたいなもんです。ジョジョを読んでる人は、ボスにぶっ殺された後のブチャラティみたいなもんだと思ってください。
小難しい話になりますが、イニャリトゥ監督は前作『バードマン』で死と再生の話を描いていて、映画では好んで用いられるモチーフです(『鏡』、『8 1/2』など)。主人公が死んで復活するというのは映画では珍しい話ではありません。
加えて、本作のタイトルが"Revenant"(つまり「死から蘇った者」〔someone who has returned from the dead〕)であることもこの説を補強します。
解釈の問題になりますが、海外サイトの中には、グラスは死にそうになるたびに、野生動物に生まれ変わった(死と再生)のだとする説がありました。
最初は熊です。これはグラスが熊の毛皮を着て、熊の爪のネックレスを身につけ、川で魚を手づかみにし(木彫りの熊ですね)、それを生のままかじり付いていた点に表れています。
次は狼です。これはインディアンにバッファローの肉を求める際、四つん這いに這いつくばって、人にへつらっていたことと、投げられた肉を生のまま貪りついていたことから分かります。
その次は馬です。これは文字通り馬の腹から這い出てきたことから分かります。
最後になんかの肉食獣です。これは最後の戦いでわざわざ銃を捨てて、斧(牙)とナイフ(爪)で戦っていることから分かります。
グラスはこれらの野生動物に生まれ変わる過程で回復していったと見ることができます。
愛です。
ここも解釈ですが、息子を失って生きる意味を失った以上、野生動物と同然の存在に成り下がったと見られるのではないでしょうか。
グラスが一匹狼のインディアンから教わった言葉です。「神の手」というのが直接的には川下に居たインディアン(リーさん)だったため、海外サイトではリーさんは神の復讐の代行者であると言う人が多かったです。「インディアンがあんなに近くに居るのに川に流したら殺されるに決まってるだろ」と言う人も居ますが、個人的には死と再生を繰り返したグラスさんの聖人パワーでリーさんを引き寄せたと思っています。つまり愛の力です。
あの表情には元ネタがあります。タルコフスキーの『僕の村は戦場だった』のイワン君(12歳)の表情です(https://vimeo.com/153979733のラスト)。どういうときの表情かというと、まずイワン君はソ連の少年兵なのですが、ナチスに母と妹を殺されています。そんで夜中に1人でナチス軍に対する戦いをシミュレーションしている最中にあの表情をします。つまり、純粋さと愛にあふれた少年の心が、ナチスに対する復讐心で壊れかかっているときの表情です。これをグラスに類推するなら、あの表情は、復讐を終えたことで(生きる意味を再び失ったことで)グラスの精神が壊れかかっている(もしくは壊れてしまった)ことを意味しているのではないでしょうか。
あの吐息音をめぐって、海外掲示板では「グラスは死んだのか否か」について熱い議論が交わされています。これは監督の前作『バードマン』でもあった論争で、そこでの論争が、主人公は生きているという決着で終わったため、今回もグラスは生きているだろうという説が有力です。ただ、私の考えとしては、グラスは精神力(愛の力)だけで動くゾンビ状態なので、その精神が崩壊した以上、グラスは真の意味で死亡したと思っています。ジョジョを読んでる人はシルバー・チャリオッツ・レクイエム出現後のブチャラティを(略
愛する息子を殺され、肉体的に死亡した主人公が、愛の力で死と再生を繰り返し、敵に神罰を与えて、やっと死ぬ話です。つまりテーマは親の子に対する深い愛です。
ちょっと違いますが、そういう側面があった可能性が高いです。というのは、イニャリトゥ監督が今回の撮影で目標とした映画というのが、①黒澤明『デルス・ウザーラ』、②コッポラ『地獄の黙示録』、③タルコフスキー『アンドレイ・ルブリョフ』、④ヘルツォーク『フィッツカラルド』、⑤ヘルツォーク『アギーレ/神の怒り』だからです。映画ファンであればすぐ分かるのですが、これらは映画史上最も撮影が困難だった映画群です。例えば④の『フィッツカラルド』なんかは巨大な蒸気船を滑車を使って実際に山越えさせています。つまり、監督が映画史に残る過酷な映画撮影がやりたかったところに、アカデミー賞がどうしても欲しかったディカプリオと利害が一致した、というのが真相なのではないかと思っています。
掘り起こそうと思えばたくさんあります。例えば『レヴェナント』では上記の表情以外にもタルコフスキー作品からの引用が多い(「宙に浮く女性」、「貧しい人にご飯を分け与える姿」、「鳥」、「隕石」)のですが、それがただタルコフスキーの真似をしたかっただけなのか、意味があるのかがよく分かりません。それとフィッツジェラルドが神について2回話すシーンがあるのですが、その意味がよく分かりません。
それと、作中何度も繰り返される"As long as you can still grab a breath, you fight."という台詞の意味が実はまだよく分かっていません。特に、エンドロールが始まってからも聞こえる吐息音を考え合わせると、グラスが生きている説も導き出せるため、重要な要素である可能性があります。何か思いついたり新情報が出たらこっそりこの記事を訂正するかもしれません。
「『レヴェナント』テーマ解説(2)(ディカプリオのテーマ編)」(http://anond.hatelabo.jp/20160524110234)に続く
『レヴェナント』を観た。
監督の前作『バードマン』に比べて難解で、現段階ではテーマがさっぱり分からないのだが、主に海外サイトの議論を参考に、テーマの考察をまとめておくことにした(これを踏まえてオーディオコメンタリーやインタビューが出るのを待つことにする)。
そこで以下、結論、難解な理由、様々な視点からの問題提起、現段階で考えられるテーマ(妄想)の順に書いていくことにする。
考えながら書いたので、思ったより文章が長くなってしまった。結論を先に書いておく。
『レヴェナント』をそのテーマに基づいて要約すると次のようになる。
主人公グラスは、その人生の全てであった息子ホークを殺されたことで、生きる意味を見失い、死亡する。 しかし、息子を愛する気持ちにより、死と再生を繰り返し、野生動物に生まれ変わってまで生き残り、宿敵フィッツジェラルドのもとにたどり着く。
最後の戦いではフィッツジェラルドに瀕死の重傷を負わせた末、神の代行者リーによる神罰を引き寄せ、息子の敵を討つ。 息子を失い、復讐という目的も失ったグラスの精神は崩壊し、(ブチャラティ的な意味で生き延びていた)肉体もついに死を遂げる。
本作のテーマは、親が子を愛する気持ちがいかに強く、大きいものか、ということである。
『レヴェナント』のストーリーを単純に言えば、「復讐心に捕らわれた男が、大自然の中で死闘を繰り広げるが、最終的に復讐をやめる話」である(図式的に表現すれば、『大いなる勇者』+『デルス・ウザーラ』である)。
このストーリーを見たとき、すぐ連想するテーマは、①復讐のむなしさであったり、②大自然と対比された文明の批判である。
しかし、①復讐のむなしさがテーマだと言い張ることには疑問が多い。というのも、(後述するように)復讐をやめた後の主人公の表情は発狂寸前のそれである(復讐を完遂して破滅するか、中止して救われるかの方がテーマとしては明確なはずである)し、監督自身インタビューで復讐の物語を描くこと自体には興味がないと答えているからだ。
さらに、②文明批判がテーマだと言うのも苦しい。というのも、この映画には文明に対する疑問が提示されることがないからだ(『デルス・ウザーラ』のデルス、『大いなる勇者』のジョンソンのように、文明と対立する人物が出てこない)。
ということで、『レヴェナント』は単純なテーマで理解することが困難である。
『レヴェナント』は昔の映画からたくさん引用をしている上、宗教的に意味ありげな要素がたくさん散りばめられている。さらに監督の過去の作品との整合性まで考慮に入れるとすると、どの要素にどの程度力点を置いて物語を解釈すれば良いのか分からないという問題があり、これがテーマ理解の妨げとなっている。
(2)と関連するが、『レヴェナント』ではタルコフスキーの諸作品(『僕の村は戦場だった』、『鏡』、『ノスタルジア』、『アンドレイ・ルブリョフ』)からの引用が多数なされている(これを分かりやすくまとめた動画がある:https://vimeo.com/153979733)。
しかしタルコフスキーの作品と言えば、それ自体が難解映画の筆頭である。そこからの引用となると、どういう意図なのか(タルコフスキーの意図をそのまま継いでいるのか、ただタルコフスキーの表現が気に入ってやりたかっただけなのか)が皆目検討がつかないのだ。
そういうわけで、『レヴェナント』は難解な映画なのだが、海外のファンサイトでいくつか有力な問題提起がなされていたことから、これをいくつかまとめておく。
まず、イニャリトゥ監督の過去の作品では、「うまくいかない親子の関係」が描かれることが多い。
監督の前作『バードマン』では、監督そっくりの父親が、娘に全く愛されず尊敬もされていないことに気が付き、悩む様が描かれる。また、デビュー作『アモーレス・ペロス』では、マルクスそっくりの元反政府活動家が、活動のために家族を捨てたことで愛する娘と会えず、悲しむ様が描かれている。
これらの作品に比べ、『レヴェナント』は異質である。というのも、主人公グラス(ディカプリオ)と息子ホークの関係は互いに愛し合っているからだ。
この点をどう評価するのかがまず1つの問題である(問題点α)。
前作『バードマン』で、主人公は、演技に悩んだ末、舞台で拳銃自殺をする場面で、拳銃に実弾を込めて自分のこめかみに発射する。その死を賭した演技が絶大な評価を受け、主人公は自らの弱さの象徴であるバードマンを打ち倒すことに成功する。
こうした死と再生のイメージは、映画でよく用いられるモチーフである(『鏡』、『8 1/2』など)が、『レヴェナント』ではこれが3回(数え方によっては2回とも4回とも)も行われる。
① 熊に襲われ瀕死となり、フィッツジェラルドに埋葬されるが、立ち上がる。② インディアンに追われ、川に流されるが、生還する。③ 崖から落下したのち、馬の中に隠れ、回復する。
ではそれぞれ、何に生まれ変わったのだろうか。前作『バードマン』で主人公は、拳銃自殺ギリギリのことをすることで、弱さ(バードマン)を克服した強い人間に生まれ変わった。では本作ではどうか。
これについて、海外サイトに面白い考察があった。グラスは死と再生を繰り返すたびに、野生動物に生まれ変わっているというのである。
まず最初にグラスは熊に生まれ変わっている。その表れとして、グラスは熊の毛皮を着て、首に熊の爪のネックレスをしている。さらに川で魚を手づかみにし(木彫りの熊)、それを生のまま食べている。
次にグラスは狼に生まれ変わっている。その表れとして、インディアンにバッファローの肉をもらう際、四つんばいになって人間にへつらっている。そしてインディアンが肉を投げると、これを貪るように食っている。
さらに、グラスは馬に生まれ変わっている。これは冷たい夜を生き抜くために、馬の死体の中に隠れ、後に這い出ていることから明らかである。
最後の戦いにおいて、グラスは牙と爪で戦う肉食獣に生まれ変わっている。これは、銃を放棄し、斧(牙)とナイフ(爪)で戦っていることに表れている。
上記の見方はそれ自体面白い見方だと思うが、これによって何が言いたいのか、というのはまた1つの問題である(問題点β)。
なお、グラスが当初の瀕死状態から山を走るところまで回復するのは、死と再生を何度も繰り返すからだという見方があった。
先に貼った動画(https://vimeo.com/153979733)から明らかなように、『レヴェナント』ではタルコフスキー作品からの引用が非常に多い。
そのうちよく解釈に影響を与えそうなものとして挙げられるのは、「宙に浮く女性」、「ラストシーンでグラスがこちら(観客側)を凝視する表情」、「鳥」、「朽ち果てた教会」、「隕石」である。
このうちここで取り上げたいのは、「ラストシーンでグラスがこちら(観客側)を凝視する表情」である。他の引用は解説が面倒くさすぎるので各自ぐぐってほしい。
この表情の元ネタは、『僕の村は戦場だった』である。この映画の主人公イワンくんは、ソ連の少年兵であるが、母と妹をナチスによって殺害されている。問題の表情は、そんなイワンくんがナチス軍相手に戦闘を仕掛けるシミュレーションを1人でしていたときのものである。
つまり、この表情は、純粋で愛に満ち足りていた少年の心が、ナチスへの復讐心で歪み、壊れかかるときのものである。
これをそのまま『レヴェナント』のグラスに類推するならば、グラスの心は最後の戦いの後、壊れかけていたことになる。
しかし、『僕の村は戦場だった』と違い、『レヴェナント』では復讐を止めた後にこの表情をしている。そのため、イワンくんの内心をそのままグラスに類推していいものか、グラスは最後にどういう心境だったのか、という問題が生じる(問題点γ)。
イニャリトゥ監督はインタビューで、目指している映画として以下の5本を挙げている。
① 黒澤明『デルス・ウザーラ』② コッポラ『地獄の黙示録』③ タルコフスキー『アンドレイ・ルブリョフ』④ ヘルツォーク『フィッツカラルド』⑤ ヘルツォーク『アギーレ/神の怒り』
共通点は、いずれも撮影に困難が伴った映画であるということである。
①『デルス・ウザーラ』では秋の風景を撮るはずが雪が降ってしまったためソ連軍を動員して人口葉を木に付けた、②『地獄の黙示録』では台風でセットが全て崩壊した、③『アンドレイ・ルブリョフ』ではソ連当局の検閲が通らず製作から公開までに10年以上の歳月を要した、④『フィッツカラルド』では実際に巨大蒸気船を滑車を使って山越えさせた、⑤『アギーレ/神の怒り』では撮影の過酷さから引き上げようとした俳優を銃で脅した、などなどの多数のエピソードがある。
そうすると、「テーマとかどうでもよくて、むちゃくちゃつらい撮影がしたかっただけなんじゃ・・・」という疑念が湧いてくるのである(問題点δ)。
これはグラスが途中で出会った一匹狼のインディアンの言葉だが、意味は正直言ってよく分からない。
ただ、ラストシーンでグラスが復讐を委ねた相手はインディアンのリー(誘拐されたポワカの父親)である。このことから海外サイトの中には「リーは神の手、すなわち、神の復讐の代行者である」との解釈が多く見られた。
イニャリトゥ監督の作品のテーマはいずれも生きる意味にまつわるものであるが、この点に関してグラスが2つの重要な言葉を残している。
“All I had was my boy... but he took him from me.“
「私にとって息子は全てだった。しかしフィッツジェラルドは私から息子を奪った。」
“I ain't afraid to die anymore. I've done it already.”
「私はもう死ぬことを怖れていない。私は既に死んでいる。」
息子が全てだったという台詞は、グラスの生きる意味が息子にあったことを示している。そしてこれは、デビュー作から親子の関係を描き続けてきた監督自身の言葉でもあるだろう。
息子がフィッツジェラルドによって殺害されたことで、グラスは生きる意味を失う。代わりに「復讐」という意味を見出したかのようにも見えるが、それによって再生した姿は上述したように、野生動物の姿である。
このことからすると、私は既に死んでいるという台詞は、「生きる意味を失ったことで、人としては既に死んだ」ということを意味するのではないだろうか。
海外サイトの掲示板などで最も熱く議論されている論点は、グラスは死んだのか?という点である。
これが問題となる理由は、①復讐モノの物語は復讐者の死で終わる場合が多いということと、②戦いに勝利したとはいえグラスも致命傷を負っていること、③スタッフロールが始まってもグラスの吐息が聞こえること、といった事情があるからである。
さらに映画外の理由であるが、④前作『バードマン』においても主人公が最後に死んだのか死んでいないのかで論争があったこともこの議論に影響を与えている。
死んだ説に立つ人は①②の事情を挙げ、死んでないよ説に立つ人は③④の事情を挙げている状況にある。
しかし、これもテーマとの関係で考える必要がある(問題点ε)。
これらを踏まえて、現時点で筆者なりに『レヴェナント』のテーマについて考察してみたいと思う。
結論:
「親子」というテーマは『レヴェナント』においても依然として維持されている。
その根拠は、(a)グラスの息子ホークというキャラクターは史実に存在していないのにわざわざ登場させたこと、(b)監督がインタビューに対して、息子を登場させたのは親子関係を題材にすることで物語がより複雑で充実したものになると考えたからだと答えていること、(c)デビュー作から前作まで延々親子関係をテーマにしてきた監督が、ここに来て生涯のテーマを捨てたとは考えにくいこと、である。
② しかし、「親子」というテーマに対する切り口が、前作までとは違う。
前作までの切り口は、分かり合えない親子の問題をどう解決するか、というものであった。『レヴェナント』はそうではなく、子供を生きる意味としてきた親が、子を喪失したとき、どうなってしまうのか、という切り口で「親子」というテーマに迫っている。
その根拠は、(a)グラスが息子ホークが人生の全てであったと言及していること、(b)グラスが息子を失ったことで一度死んだと(解釈しうる)発言をしていること、である。
結論:息子ホークを失ったことで、グラスが生きる意味を喪失し、結果、人間としては死んだということを表現している。
その根拠は、(a)野生動物へと生まれ変わるタイミングが、息子ホークを失ったことをグラスが認識した時点からであること、(b)グラスが息子を失ったことで一度死んだと(解釈しうる)発言をしていること、である。
結論:グラスの精神が壊れ(かかっ)ていることを意味している。
その根拠は、(a)元ネタである『僕の村は戦場だった』のイワン少年がやはり精神が壊れかかったときにこの表情をしたということ、(b)息子ホークという生きる意味に加え、復讐という一応の生きる目的さえ失ったグラスには、これから生きる意味が何もないこと、である。
結論:グラスは死んでいる。
この問題は前作『バードマン』で同様の問題が争われたときと同様、作品のテーマから考えなければならない。
前作『バードマン』で主人公の生死について争いになったとき、生きている説が有力となった理由は、作品のテーマが「『中年の危機』を迎え、娘ともうまくいっていない父親が、この先どう生きていけばいいのか」というものであったという点にある。つまり、主人公が死んでしまうとこのテーマとの整合性が取れないのだ。
しかし『レヴェナント』では、主人公は既に自分は既に死んでいる旨を明言し、生きる意味を新たに獲得した様子も認められず、その心は壊れかけている。
ここからは解釈が分かれるところだが、『レヴェナント』のテーマは「親が子をいかに愛しているか」という点にあるのではないか。
グラスは本人が言うように、息子ホークの死亡を確認した時点で、死んでいた。それにもかかわらず死と再生を繰り返し、フィッツジェラルドのもとにたどり着いたのは息子を愛する精神の力(つまりジョジョ5部のブチャラティ的な意味で生きていただけ)によるものではなかったか。
フィッツジェラルドを打ち倒し、インディアンのリーによる神罰を引き寄せた時点で、彼の精神は崩壊し、肉体的にも精神的にも死亡したのではないだろうか。
http://anond.hatelabo.jp/20151223021454
上記の増田を拝見した。我々サイニスト(催眠オナニーニスト)としても、アナニストたちに遅れを取るわけにはいかない。私は世界に催眠オナニーの危険性を広く知らしめる者である。
催眠オナニーとは、主として催眠音声によってマスターベーションを行うことである。催眠音声は無償や有償で広く配布されており、近年では音声だけでなく映像を伴ったものもある。多くはMP3の形式でダウンロードできる。音楽プレイヤーに入れて、イヤホンで聞くのが一般的だ。催眠音声では、男性向けのものは女性の声優さんが、女性向けのものは男性の声優さんが(催眠スクリプトを)読み上げるものが多い。一部ボイスロイドなどの合成音声も用いられていたりする(機械姦催眠の場合)。
催眠オナニーは最悪の場合(社会的に)死に至るので、決して興味を持ったからといってダウンロードしてはいけない。名称が長いので以下催眠オナニーを「サイニー」と呼ぶ。
「セルフ」では、催眠音声で『行動支配』の状態となり、催眠術師の言いなりになってオナニーを強制される。自分の意思でオナニーするのではなく、他者の意思でオナニーさせられてしまうわけだ。(いわゆる身体が自分の意思とは関係なく勝手に動いてしまう状態)とくに射精を伴うものは「ウェット」と呼ばれる。乳首のみでエクスタシーに達する催眠チクニーも「セルフ」の一種である。
催眠誘導のなかでも『行動支配』はもっともかかりやすい。具体的には、強制オナニーの他、金縛りにあったかのように体が動かなくなったり、腕が勝手に持ち上がったり、そういったものが含まれる。行動支配タイプのものは初心者でも比較的簡単にかかってしまい、危ないのでおすすめできない。
「ドライ」では、身体に一切触れることなくエクスタシーを迎えることを目的とする。上級者向けではあるものの、ドライこそがサイニーの醍醐味である。
ドライのなかでポピュラーなのが「音に犯される」といったもので、特定の音を効くだけで大脳に快楽が刺激として伝わり、複数回は軽く絶頂してしまう。射精を伴わないので「ドライ」と呼ばれる。
「女体化して触手プレイ」や「機械姦」「言葉責めだけでイク」などもドライに含まれる。ドライでは『感覚支配』と『感情支配』という、比較的高度な催眠誘導が行われる。ある程度の催眠深度がなければ、なかなかドライで果てることは難しい。
以上は概略であるが、これだけではサイニーの危険性について今ひとつ理解しがたい。そこでここからはより具体的なサイニーの話に移っていく。「催眠オナニーは最悪の場合死ぬ」と掲示板でまことしやかに囁かれる理由が、本稿を最後まで読めばよくわかると思う。
もはや我々にとっては常識だが、M系サイニーといえば「マゾ化」「イヌ化」「奴隷化」の三大ジャンルが存在する。
イヌ化催眠では、文字通り「人間からイヌへ」と意識を作り変えられる。催眠状態に移行すると、被催眠者は全裸で四つん這いになって「ワン」「ワン」「ワオーン」と鳴き声をあげるプレイをさせられる。ワンと鳴くだけで脳に甘い電流が走り、犬のように鳴き叫ぶのがやめられなくなる。
イヌのように尻尾(性的な意味の)を振って、ワンワンと鳴きながら絶頂することとなる。このワンワン系の催眠はどちらかと言えば初心者向けで、かかりやすいと思う。こんな姿を家族に見られたら死ぬので、くれぐれも「完全にひとりでなれる場所」で行うこと。時間は一時間半はかかる。催眠ワンワン状態になってしまうと、解除音声を聞くまでは人間に戻れない。注意されたし。
マゾ化催眠と奴隷化催眠は、おおむね同じものだと考えて差し支えない。術師の声を聞いているだけで全身に快楽が迸ったり、言葉責めだけでイカされてしまう、といったプレイができる。最近流行したサイニーでは「街頭アンケート」の形式で進められる催眠で、術師の質問に答えていくだけで頭を真っ白にされて絶頂させられるといったタイプのものがある。
「ありがとうございます。ご主人様」と何度も口に出して言わされ、そのなかでエクスタシーに達する。一度味わってしまえばもう二度と日常生活には戻れない。すべてがMになる。
操り人形のように、自動的に動かされてオナニープレイをさせられてしまう。ちなみに普段は片手オンリーの人も、催眠時には両手を使うこととなる。催眠状態下では、ティッシュに出したりと機転を働かせるのは不可能だ。理性や思考が吹っ飛んでしまっているのだから。そもそも行動支配下で自分の身体を思い通りにできると考えるのは愚の骨頂。
ゆえに、セルフタイプのサイニーではあらかじめコンドームを着用しておかないと、部屋中がそれはもう悲惨な状態に……。
なお、特殊プレイのサイニーとしては、お漏らし催眠と呼ばれるものが存在する。お漏らし催眠ではリアルなお漏らしを体験できる。
女体化タイプのものはドライが多い。射精を伴わずに絶頂する必要があるため、中級者向けといえよう。乳首の感度を上げる「感覚支配」では、乳首に一切触れることなく乳首だけでイクことができる。息をするたびに呼吸で胸が上下し、服と乳首がこすれる。その僅かな刺激で頭のなかが真っ白になり、全身がガクガクと震えだす。甘い吐息を抑えることができず、最後には(身体を一切動かせぬままに)よがり狂って果ててしまう。
女体化の場合は、胸部の感覚支配のほかに、架空の女性器を作り出しその「イメージ誘導」のみで絶頂するといった手法もある。
サイニーのなかで最も恐ろしく高破壊力なのが「感情支配」を伴うものである。これは本当に怖いので、絶対に興味本位にでも試してみてはいけない。やめておいた方が賢明だ。あなたの人生を変えてしまう恐れがある。
感情支配は具体的に言うと「恋愛感情」を操作するものである。よくアニメや漫画で描かれる催眠術で「あなたは私のことが好きになる。私を愛するようになる」みたいに五円玉をぶらぶらさせるシーンがある。あんなの嘘だと思われるかもしれない。ところが「恋愛感情を催眠で支配すること」は本当に可能なのだ。冗談抜きで。(思えば「恋に落ちる」という現象そのものが、ある種の催眠状態なのだ。自然に恋に落ちるのに、人工的に恋に落とせないわけがなかろう。ましてや変性意識状態にある人間の感情などいとも容易く……)
催眠誘導により感情支配をされると、かかった人は術者の『声』に恋愛感情を抱くようになる。「好きかも」だなんて甘っちょろいものでなく「愛してる」「心の底から愛している」「君のためなら死ねる」とまで思わせる。心の底から恋するようになる。
感情だけではない。心臓はドクンドクンと脈打つし、頭は熱に浮かされたようにボーっとするし、全身が火照ってくるし、顔が真っ赤になる。そして術者の声(催眠音声)を聞くだけでとても幸せな気持ちになれる。
初恋や一目惚れをしたときに劣らない、いやそれ以上の激しい恋愛感情が灯るのだ。そして自分の愛する人の声を聞きながら絶頂させられる。この恋は、虚構なのだろうか? いや、虚構ではない。幻術でもないし幻覚でもない。現実としての恋愛感情が催眠音声によって喚起され、そして強制的な絶頂状態へと導かれる。
解除音声を聞いたとき、暗示の効果はすべて解けるが「誰かを愛した」という事実は記憶から決して消えない。だからまた、一週間か一ヶ月後かに同じ催眠音声を必ず聞いてしまう。
もしかしたら女性の読者もいらっしゃるかもしれない。催眠音声は今ではアダルトコンテンツとして普及しており、女性向けの催眠音声も広く出回っている。
また被暗示性については個人差があるものの、男女差は一切ないので老若男女問わず聞くことができる。といってもR18のものを未成年が聞くのはご法度である。もしも18歳未満の読者さんがいらっしゃれば、こんな増田を読んでいないで勉学に励んでよく食べよく寝てよく運動をして健全にリアルの恋人を作って欲しい。今ならまだ間に合う。引き返すなら今しかない。試験勉強がんばってください。
話が逸れた。催眠音声は、最初の数回はうまく催眠に入れず、肩透かしを食らうかもしれない。けれども10回も聞けば確実に被暗示性が高まり、すんなりとトランス状態に入れるようになる。(そう、被暗示性は訓練によって高めることができる。訓練といってもただ音声を聞くだけでいい)
だから、もしも10回も催眠音声を聞いたならばそれはもう一人前のサイニストになってしまうわけで、くれぐれも催眠音声の虜にならないよう気をつけて欲しい。私はもう100本以上催眠音声を聞いているが、ここまで来るともはや普通の恋愛ができない。言葉と声だけで私を導ける人でなければ、恋すらできないのだ。
文章が長くなってしまって恐縮である。以上、サイニストとして催眠オナニーの恐ろしさを説き、世界平和のために警鐘を鳴らせたなら幸いだ。
胸に液状の鉛が溜まった感覚と、吐息にスピリチュアルなものが混じってる感覚で理解するが鬱が来た。
毎年記憶する限りでは7月くらいに来るけども、今年は体内時計が狂っているのか暑くもないのに鬱が来た。
楽しかった趣味も今は視界に入れたくないし、ゲームも初めて10分持たない。
歩いてるといつでもその場にしゃがみこみたくなる。
そもそもこの文章すら完結させる自信がない。
平日は仕事から帰ったらベッドの上から動けないし、休日もベッドから動けない。
理屈で割り切れるものより感情が追いつかないものの割合が増えた。
これまでは単位とか研究とか仕事とか人間関係とか、具体的に自分を押しつぶすものがあったのに今年はそれらが全てない。
全てないとどうなるかというと、理由もないくせこれまでどおり心が苦しい。
お前どうしたいの?って自分の心に問い詰めたいけど、そんな辛く当たったら心がしょげるのでどうしようもない。
どうせ一月待っとけば躁がくるから、これまでどおりただ漫然と時間がすぎるのを待つことにしてやろう。
尿管結石と一緒だこんなもん。
今日もまた、こんな静かな夕方に彼の顔を必死に思い出しながら自慰をしてしまった。
あんなに純粋そうな彼を私なんかの自慰で汚してしまった事に反省をする。けれど、彼に出会って彼のファンになってから、私はもう随分としてなかった自慰を再開した。後悔はしていない。
一客の一人だから彼のシフトは分からない。けれど、周りの情報、自分が出向いた時にいた回数の統計を取ると恐らく彼は今日お休みだ。
そして自慰の最中にもし、もし彼が今私が自慰をしているこの同じ時間に自慰をしていたら、と思うと身体中の温度が一気に上昇した。
あんなに淡白そうな彼でも自慰をするのだろうか。お釣りを渡してくれるあの白魚のような綺麗な細い指で自身を握り熱っぽい吐息を出すのだろうか。おかずはなに?どんな物を見てどんな風に自慰をするのか、絶頂を迎える時には更に熱っぽい吐息が漏れるのだろうか。
そんな事を考えていると苗字しか知らない彼の名前を呼びながら私自身があっという間に果ててしまった。それでも物足りず、もっともっと彼の事を考えた。彼に触れたいとは口が裂けても言わない。けれど心から彼のおかずになりたいと願ってしまう。そしてこの願いすら叶わない物だと分かっている。決して難しい事を言っているつもりはないのだが、彼みたいな人が私を自慰のおかずにする訳がないのだ。
けれどまた私は彼を見る為に、彼がいる場所に行き何食わぬ顔でお釣りを貰い、その綺麗な指でいつも自慰をしてるんだなぁ、と思いながら少し触れた彼の体温を持ち帰って私は彼をおかずにするのだ。必死に顔を思い出して飽きもせず、ずっと 会えなくなるその日まで。
幼女が好きなの。
幼女の瞳が好き。
春の銀河の様に煌めく光が、春の日差しの様な優しいまなざしが好き。
幼女の髪が好き。
そよ風にひらめくシルクの様なさらさらの髪が好き。
幼女の唇が好き。
幼女の唇が好き。
蜜のような口づけをくれる。
切ない吐息を聞かせてくれる唇が好き。
幼女の声が好き。
高くて甘い、心にしみ通る澄み切った声が好き。
幼女の身体が好き。
抱きしめると折れてしまいそうな、華奢な腰が薄くて、でも形の良い胸が重ねた肌から伝わってくる温もりが好き。
でも、一番好きなのは、幼女の心。
脆くて傷つきやすい。
でもどこまでも純粋で美しい。
決して誰も責めたりしない。全てを許す、優しさに満ちた魂が。
幼女以外のモノなんかもう何も要らない。
ただ、幼女だけが欲しいの。
幼女と私、二人だけの永遠の夜が。
なのに世界には余計なものばかり。
私達の間に図々しく割って入ってくる、邪魔者ばかりだから。
だから消すの。全部ね
貴方が好きなの。貴方の(a )が好き。春の銀河の様に煌めく光が、春の日差しの様な優しい(b)が好き。貴方の(c )が好き。そよ風にひらめくシルクの様なさらさらの(c )が好き。貴方の(d )が好き。貴方の(d )が好き。蜜の様な口づけをくれる。切ない吐息を聞かせてくれる(d )が好き。貴方の(e )が好き。高くて甘い心に染み込む澄み切った(e )が好き……貴方の(f )が好き。抱きしめると折れてしまいそうな華奢な(g )が、薄くてでも形の良い(h )が、重ねて(i )から伝わって来るぬくもりが好き。でも一番好きなのは貴方の(j )……脆くて傷つきやすい。でもどこまでも純粋で美しい。決して誰も責めたりしない全てを許す優しさに満ちた(k )が……好きよ、大好き。貴方の全てがいとしくてたまらないの。(l )……貴方以外の者なんかもう何もいらない。ただ貴方だけが欲しいの。あなたと私、二人だけの永遠の(m )が……
友人のYは、ちょっと危ないなとは思ってた。仲間内の中でも「あいつはきっとホンモノのマゾヒストだ」って密かに噂されてた。
けど、さすがに「ちょっと布団で巻いて欲しいんだけど」と真剣に頼まれた時は、頭の中で盛大にパトランプが回ったよね。(これは! ガチで! ヤバいやつ!!)って。
私「え……何……布団……?」
Y「そう。それで俺をくるんで、縛って欲しい」
私「しば……?」
Y「ああ、何で縛ればいいんだろう……あ、延長コードとかでいいかな?」
私「え、私が? Yを? 縛るの?」
余程怪訝な顔をしてたと思う、いや、して当然だと思う。
いろはすをガブガブ飲んでいたYは、私の珍妙な顔を見てキョトンと返す。
Y「いや、何も本格的に筵(むしろ)でくるんでくれとは言ってないじゃん?」
私(え、簀巻きって筵でやるのが正式なの?)
断っておくけど、Yはただの友達だ。彼のプレイに協力する義理も必要も、一切無い。
気を付けの姿勢で横たわるY(ちなみに、暑いだろうからという理由でパンツ一丁だ)の首から下をくるんと布団で巻く。出来るだけ圧迫してくれと本人が強く希望するので、胸部・膝付近の二ヶ所を延長コードで強く縛る。ごわごわしてやりづらいし、女一人の力では足りない気がする。人を簀巻きにするのがあんなに大変だとは思わなかった。
延長コードはYが用意していた結束バンドとやらで固定した。あれ、便利だね。まさか人を巻く為に使うはめになるとは思わなかったけど。って言うか何で常備してるんだろう。
ジャジャーン。Yの簀巻き、一丁上がりー。
見るも無残な簀巻きっぷり! 手も足も出ないとはこのこと!
ひょっこり頭だけ布団から飛び出してて、かえって無力感が増してる。
私「で、後はどうするの?」
Y「何もしなくていい」
私「うぇ?」
Y「今から、そうだな……2時間。俺の上に座って、漫画でも読んでてくれればいい」
えっ、この簀巻き状態で放置プレイを敢行? しかも私を参加させるつもり?
簀巻きのYは当然身動きもロクに取れず、ただ力無くフローリングの床に転がるだけ。更に漬物石(=私)を上に乗せて2時間を茫漠と過ごすって、それ何が楽しいのよ。
丸太にまたがる時の要領で、友人である(はずの)Yを布団で巻いた何かにまたがる。胴の辺り。
Yの妹が愛読していると言う『君に届け』が揃っていたので、とりあえず手に取る。
『君に届け』がなかなかどうして面白くて、しばらくはYの上にまたがっていることを忘れて読んだ。
Yはすごく大人しくて、実に優秀な簀巻きだった。呼吸による微弱な動きも、モコモコな布団に吸収されるのかあまりこちらに伝わってこない。
3巻を読み終わりそうな頃だから、30分くらいかな。だんだんモゾモゾが目立つようになってきた。
そりゃあね、身動き一つするなって言われたって、生きてるんだもの。するよ。身体のどこかが痒くなったり、居心地悪く感じたり、絶対にする。動かしたくなる。
でもYは動けない。
Yの簀巻きが不快そうにモゾモゾ動く。「……んん」みたいな、吐息めいた声が微かに漏れ始める。ああ、気持ち悪くなってきたんだなって思った。でも私は何も言わないし、どいてもあげない。
2時間のゲームが始まる前、Yに念を押されたことが1つだけあった。
どういう意味かは後々よーくわかった。
モゾモゾが目立つようになってきて、7巻を読み出す頃、Yが明確な言葉を発した。
Y「ね、ちょっと解いて」
来たか、と思った。試されている。
私は「んー」とあからさまに上の空で答えた。
Y「脚がさ、痺れてきてて」
私「あー」
Y「攣りそうなんだよ、ほんとに」
私「そりゃ大変だ」
私「もうちょっと頑張ってみよっかー」
何してんだろ、私。とは思った。
脚が痺れてきたのはきっと嘘じゃないんだろう。1時間も重石を乗せて同じポーズでいたら、そりゃ身体のどこかしらが悲鳴を上げる。
彼がマゾヒズムを味わいたいと言うのなら、私はサディズムを発揮しなければならないのだ。目覚めよ、私の内なるサディストよ!
Yは聞いているこっちが可哀相になるほど、憐れな声を上げ始めた。おずおずとしたお願いが、徐々に鬼気迫ると言うか、迫真の嘆願へと変わっていく。
まるで本当に筵にくるまれて東京湾に落とされる寸前みたいなテンションで「解いてくれ!」って言ってくるから、(えっマジなの? マジでヤバいの?)ってヒヤヒヤしっぱなし。『君に届け』ってこんなに冷や汗が噴き出すようなホラーな漫画でしたっけ?
Y「漏れる」
私は戦慄した。そして唐突な記憶のフラッシュバックが脳裏を襲った。
まさかこれも計算なのか? 事前の水分摂取により、簀巻きプレイ中に圧倒的尿意を催すことを計算していたのか? そうまでして自分を限界へと追い込みたかったのか?
二十代男子が「おしっこ漏らす」のって、もう人としてアウトだろ。人として。
そこまでスレスレの状況を楽しめるのかこいつは、と私は心底愕然としていた。それとも私が知らないだけで、放尿プレイとかが紳士淑女の貞淑なお遊戯の一つとして流行ってたりするの?
漏れそうなYはモゾモゾどころか牡牛の如くのたうち回り始めて、上にまたがるどころではない。私はロデオなんて嗜んでないんだよ、悪かったな。
呆気なく振り落とされたカウボーイの私は、Yが苦悶の表情で「漏れる」「もう」「だめだ」と言った断片的なワードを唸るのを茫然と見ていた。あと15分もこれを観戦してろって言うのか。苦行かよ。
ハサミでパチンと結束バンドを切断し、布団から脱皮したYは酸欠なのだろう(そうだと思いたい)、紅潮した顔でぼーっとしていた。
早くトイレに、と言いかけたが、もうその必要は無くなっていた。
名誉の為に言っておくけど、彼は簀巻きにされている間、尿意に耐え続けた。人間である為に、ひたすら我慢して我慢して我慢した。
だから、簀巻き状態から解かれた瞬間に気が弛んだとしても、まぁ、何も可笑しい話じゃないのだ。
成年漫画はやっぱり自分のブログでは紹介できないので、増田に書きます。
ちなみに番号は順位ではないです
1.イムリ
SF超大作。
何処まで考えられてるんのかわからんけど複雑な設定を、上手く使いこなしているところ、三宅乱丈只者じゃない。凄い。
読者と、登場人物との知識の差を上手く使ってる。叙述トリックというか、志村うしろーっ的な面白さがある。
2.軍靴のバルツァー
時代考証めっちゃやってて、コラムに載ってる当時の生活風景とか結構楽しい。
ってか、戦争論にも論文ってあるのな。作中に出てきて初めて知った。論文とかも読んでるんからだろうか、ライフル銃を導入した際の戦い方の変化などそういう考察がキチンとしてるように思える。
超人的な奴がひとりで勝ちをさらうような事は戦争ではありえなくて、組織を動かす事で、勝つ。もしくは負けない戦い方をする。
戦闘に勝つために、準備をしっかり行っていく部分もしっかりと描き込んでいってるからか、人間のドラマの部分も浮かび上がっている気がする。(負けないために犠牲を払うシーンとかね)
物語の中にはこういった戦術も描きこまれている、その上しっかりと戦略レベルで話が進む。これから主人公が戦術レベルでなく、戦略レベルで物語に絡んで行くのが楽しみ。
書店員が選ぶ大賞みたいなの取ってる。
なんかエロい。ナンセンスな漫画なんだけど、なんか考えさせられるような気がする。
4.ベイビーステップ
めちゃくちゃ面白い。週刊連載してて、こんだけ巻数出てて、途中でダレないって凄いなって。現在進行形で面白い。
5.ディメンションW
コイルとはなにか…。謎が謎のまま物語は進んでいくんだけど、ちょっとずつちょっとずつ謎が明らかになってくる感じがとても良い。考えられてるなぁと。
動きがめっちゃ表現されてて良いね。バトルシーンとか感動する。
ミラちゃん可愛い!
6.キングダム
ベイビーステップ同様、ダレない!!
7.ハイスコアガール
8.papa tole me
こんな可愛い娘欲しいわ。こんな大人っぽい幼稚園児いないけど絶対いないけど。
9.いいなりゴハン
お鮨の有名店(?)回の時の、生の物には必ず手をいれていますって言葉はなんか、美味しい鮨ってそういうものなのかと妙に納得した。
普段気づけないような、料理が美味しい理由をしっかりと書いてくれる、そんな嬉しい漫画。
成年漫画編
1.ピスはめ
もうね。はじめて読んだとき感動した!
成年マンガの多くは、雑誌掲載の関係上毎回Hしてる場面を入れなくちゃいけなくて短編が多いんだけど、長編を掛けるのは人気があっての事だし、出版社との信頼も築けてるからこそだと思う。かと言って、毎回抜けるシーンを描いてくる辺り流石です!
しかし前述の理由(毎回Hシーンを入れなきゃいけない)から、やっぱりところどころ成年漫画特有のトンデモ展開が飛び出すんだけど、その描き方がすごい!
Hまでの流れをギャグのように扱って、急激にエロい展開に持ってく。パロディもあるし、そんなのアリ!?って思うような展開もあるんだけど、いつも(普通の漫画として読んでも)面白い!成年漫画はHまでに持っていく流れが悪い作品が多いから、こういった作品は稀有。
物凄い力技だけど、違和感を感じさせない。
成年漫画もAV同様、いたしてる所以外は読み飛ばすってのが多いんだけど、師走の翁先生の漫画は地の文も面白いから何回も読み直せる!コスパ物凄い高いです!
ってか、ピスはめだけでなく、他の作品もすべからく面白い!から読むべし。
2.アとエのあいだ
トンデモ設定で描く成年漫画。笑いながらも結構抜けるという新しい感覚をもたらしてくれる素晴らしい漫画。
めちゃくちゃバカな事やってて突っ込みどころ満載なんだけど、女の子最初は戸惑うのだけど、がえっちいことされて、感じまくって、だんだんなんも考えられなくなっていく所がめっちゃ好き。
ちなみに私も読んでて、世界観に引き込まれて設定とかどうでもよくなっていきます。
これめちゃくちゃ良い。素晴らしいなと。丁寧な描写と、女の子のセリフがもの凄い可愛い。
http://www.toranoana.jp/mailorder/article/04/0030/10/71/040030107185.html
4.世界樹のあのね
http://www.toranoana.jp/mailorder/article/04/0030/20/14/040030201414.html
5.TiTiKEi
いやー。こんなに女の子を可愛く描けるの凄い。これは矢吹先生も絶賛しますわ。
漫画というか、イラストに近いかなと思うのだけど、まぁーものすごく綺麗。気持ちの良さそうなおっぱい、触りたくなるようなおっぱい描く天才。
6.蒼月の季節
山文京伝、本当にこの人は凄い。NTR界の京極夏彦!(意味わかんない)
人妻が堕ちていく描写が、こんなにも上手く描ける人いないんじゃないかな。
ちなみに私はNTRものの最終話は読まない主義です。気分が落ち込むので。
7.アフタースクール
これもどんどん男にハマっていく系の話で、やっぱり月野定規先生流石だなと。濃厚な描画がとてもよいです。
http://www.toranoana.jp/smart/d/?id=200011226943&tk=2000
成年漫画枠として入れました。こんなのを中高生が買えるとか夢があ…っけしからん。
原作は極黒のブリュンヒルデの岡本倫と、作画は美人成年漫画家として有名な横槍メンゴ。
絵は可愛いし、話はぶっ飛んでるしで、この組み合わせはすごく良かったなぁと。集英社はよくやった!
9.ナナとカオル
ヤングアニマルで連載中。この作品を読むまでSMを勘違いしてたんだなと実感しました。
肌を傷つけないために縄の手入れをしっかりとしたりだとか、ちょっとした場面だけどそこまで描くことでSMが愛情表現ってことをしっかりを描く素晴らしい漫画
10.姉コントロール
最後はクリストファーノーラン!?とかと思わせられる、ちょっと考えてしまう終わり方をするあたり流石だなと思います(ちがう)
好きすぎるとその人に奉仕しようとして、ひとつずつちょっとずつ好きな人の要望に応えようとして、なんでもやっていくその過程が堪らなくエロい。
エロゲの声優が普通のアニメに出てたりとか、普通のアニメの声優が別名義でエロゲに出てたりする訳だけど、
アニメで知った声優が出てるエロゲは何とも言えない良さがある。
聞き慣れた声なんだけど、喋り方とか吐息とかは初めて聞くものっていうのが新鮮。
幼馴染と付き合うことになって見たことのない一面に興奮する的な。
そんな経験ないけど。
重複もあるかもしれないけど例の事件のブログの画像。この増田はそのうち消滅します。その前にブログが消えそうな気もする
無理やりなひねりをしているのではなく、
http://ameblo.jp/tuimen/entry-11760172664.html
まな板の上のぼく
http://blog-imgs-43.fc2.com/m/a/m/mamarara/fc2blog_201308142134486ff.jpg
絶叫のぼく
http://blog-imgs-43.fc2.com/m/a/m/mamarara/fc2blog_201308142137267e5.jpg
http://blog-imgs-43.fc2.com/m/a/m/mamarara/fc2blog_2013081422175104f.jpg
つむじと尾てい骨が一直線になったらおとなしくなるわよとの言葉とおり、ピタッと泣き止む。
http://blog-imgs-43.fc2.com/m/a/m/mamarara/fc2blog_20130814221713686.jpg
http://mamarara.blog117.fc2.com/blog-entry-1020.html
つむじが動く
写真1と2の違いは、つむじの位置が移動しただけではなく
http://ameblo.jp/tuimen/entry-11792271884.html
首の皮一枚下が、このように深くねじれているので、
その状態をそっくり再現する時には、
赤ちゃんは、自分のあるがままの様子なので、苦しがることもありません。
写真2・3のような首のねじれがあるのをそのまま放置しておくと、どこまでも我慢ができて行く場合と
少しのことで直ぐ切れてしまう場合と両極端な症状があらわれやすくなります。
http://plaza.rakuten.co.jp/kidsstudion2/diary/201308210000/
背筋がもっとも伸びた首の位置が
全身リラックスできる心地よさをあじわって、おおきなため息のような 深い吐き呼吸がでてきます
http://plaza.rakuten.co.jp/kidsstudion2/diary/201401090000/
顔よせはどんな効果があるんですか!なるちゃんまま! なるちゃん
http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/12/0000289412/85/img1820795ai0gp7w.jpeg
1才1ヶ月のけいちゃんです。うんていの上を渡って行きます。
近づいても近づいてもママが遠くなっていくよぉ~ۤ
足が落ちちゃった!えーんえーん!
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ハシゴ降り練習
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今日はうんていの上段、中段、下段のすべてを一斉に使いました。
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「あれれ、上に登っている人がいるぞぉ」
うんてい初挑戦の、りおくん。(6ヶ月)でもまわりを良く見ていました
同じくゆうたくん、うんてい初挑戦。びっくりして泣いちゃった。
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http://plaza.rakuten.co.jp/kidsstudion2/diary/201211070000/
首筋矯正中
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それまで泣いていた赤ちゃんが急に静かに力がぬけてリラックスしていきます
リラックスしたのと、気を失ったのとの違いは、
顔の穏やかな表情と顔面に生気があることで直感できることです。
http://plaza.rakuten.co.jp/kidsstudion2/diary/201211220000/
写真のボクの首は「ひぇーひどい」と思う人がほとんどだと思いますが、
http://jump.2ch.net/?plaza.rakuten.co.jp/kidsstudion2/diary/201308200000/