はてなキーワード: 人格障害とは
かもしれない、というか当にそうなのだが。
特徴の一つとして「周囲から見ると何を考えているかわからない」が挙げられ、この障害を知らない人からしたら、ただただ取っ付きにくいタイプの人間だと思われがちで、少しでもこういった障害があることを多くの人に知って貰えたら、という願いを込めてここに書くことにした。
端的に言うと、他人に興味関心がなく社会的関係を育みたがらず一人でいることを好み、感情表現に乏しい。
以下の項目の4つ以上が当てはまるとこれに診断される。
殆どが後天性のもので育った環境や人間関係の縺れ、うつ病などの経験を通じてこのような障害が生じてしまうらしく、他の人格障害である「回避性パーソナリティ障害」「妄想性パーソナリティ障害」「境界性パーソナリティ障害」なども併発していることが多いらしい。
また、一見して感情的に冷めていて無関心であるように見えるが、実際には非常に感受性豊かで何か大きく感情が揺さぶられるとすぐに泣いてしまい、それを"恥"だと認識している為、他人の前では見せたがらない。
他人にどこまでも寄り添う正義感を冷ややかな目で見たり、同調して特定の人物を叩きたがる傾向のある現代社会(特にソーシャルネットワーク)においては豊かすぎる感情の露呈はやや「変わり者」と見られる風潮があり、それを"回避"するべくして無関心を装っているのかもしれない。
ここからは私の話をする。
両方において少しやりづらい点は、他人に興味関心をあまり持てない故にコミュニケーションにおいてやや近寄りがたいと思われがちなところだ。
その上、他者との対立を望まず、「波風立てない優しい人」を演じている為に、一般的に社会的弱者と呼ばれるような方や精神的障害を抱え悩んでいる方、主に年下から懐かれやすいと感じている。
そう思うのは、もしかしたら私自身の精神年齢が低いからかもしれない。
表面上では波風立てずに他の人の意見に賛同・同調したり、話が進展しない時は自分から立候補して意見を出すなどしているが、そもそも「自分の本心での考え方」が意識下にあり、その大凡がその場の空気に逆らう考え方や批判的な内容なのだ。
勿論同じ世代の人間と会話をすれば本心から同意・納得するのだが、こうして自分の本心を隠して「いい顔」をすることによってメンタルの弱い子相手には「自分はこの人に肯定されている」という気にさせてしまうのだろう。
普遍的・平均的価値観の人間からすれば私のようなタイプは「本心では何か考えがあるのにそれを表に出そうとしない」ことが感覚的に伝わって近寄りがたく感じているのではないだろうか。
また、上の項目に関しては、性的活動に対する興味と親しい相談相手以外の全ての項目が当てはまった。
家族に育てられ今もなお健在だが、今まで一度も「親孝行をしよう」という気持ちが持てなかったのである。
大人にもなれば自分の誕生日を祝われるのも気が引け、両親の誕生日も自分から祝うことはなくなった。子供の頃は、社交辞令としてそれを受け入れていた節がある。
誰にも打ち明けていなかったが、自分はなんて薄情な娘なのだろう、と何度も自分を責め立てていた。一般的に親子は仲良しであるという理解があったからだ。
シゾイドパーソナリティ障害の多くは、小児期の育ての親に冷たい態度を取られたり育児放棄をされるなど、なんらかの切っ掛けがあり他者との交流を拒むようになるらしいが、私の場合そんな大それて分かりやすく暗い過去は持ち合わせていない。
せいぜい、躾の為に押し入れに閉じ込められたり、大声で怒鳴られたりしたぐらいでそれが自分の今後の社会性に繋がっているとはあまり考えられなかった。躾だと分かっていたから。
むしろ自分の友人が悲しい過去を背負う人たちばかりで、自分は親に愛されて育ったのだと実感したぐらいだ。
何故人は喜び、悲しみ、笑い、傷つき、怒るのか?
その理屈を探るべく、クラスメイトに様々なアクションを起こし(聞こえは悪いが決して悪意はないもの)経験を得て人間が何をされたらどう感じるのか、どんな過去があればどの解釈が生まれるのか等々、自己陶酔気味に理解を深めていった。
今よくよく思い出して考えてみれば、若干サイコパスの素質はあったのではないかと思う。
自分自身の成長が遅く、それらを"恥"だと感じて回避するようになったのは高校の途中ぐらいからだった。
私はその頃ようやく、自分自身の性格が酷く醜いものだと悟り、表に出さないよう気を付けて生活するようになった。
ちょうどバイトを始める時期でもあり、結局若さ故に大人とぶつかっていくことになるのだが。
思い返せば、こうした気付きや自覚から、トラブルメーカーである自分は常に一歩身を引かなくてはならない、と抑圧を始めたことでシゾイドパーソナリティ障害は生まれたのだろう。
社会に出てからも若い時は大人とぶつかり最大のトラウマを抱え、しばしのうつ病闘病期間の末にある特定の人種との関わりがアレルギーになるなどしたが、もともと感受性と被害意識が強い為、感情を表に出せばどうなるかは火を見るよりも明らかだ。わざわざあの内容を書くほどでもないだろう。
長々と書き綴ったこの身の上話を誰が読みどう感じるのだろうか?
出来れば、私と同様に「何も感じない」で終わって欲しい。ただ、シゾイドパーソナリティ障害というものが存在すること、それを患う人間がどんな人間であるか、だけ分かってくれたらいい。
インターネットには批判をすることが好きな人間がしばしばいるようなので、私がコメント欄を開くことはないし、肯定的な意見に全身全霊で耳を傾けることもないだろう。
なぜここに書いたのかという経緯を最後に綴る。
他者への興味関心が薄く、打ち明けてどうこうされたい相手もいない。(相談相手はいるが、解決できないと私が結論付けた問題を提起したくない)
カウンセリングや心療内科の先生にすら、これらの障害・過去を「私」と結び付けられることが"恥"だと感じている。
受診したところで、気持ちを落ち着ける薬を処方されるだけなら、むしろそれだけでいい。
だけどたった一度だけ、どこかにこの思いを落としておきたかった。
残念ながらこの障害を抱えていることに対して「辛い」「悲しい」等の感情は持ち合わせていないが、心の奥底に眠る承認欲求と抑圧前の煮えたぎる反社会的な感情が私の手を動かしたのだ。
反骨精神ともまた違う気がする
共感性欠如の人格障害は実際ありますよ。障害だと納得したいわけではありませんが、これが自分の性格だと思えば納得もできます。
ショックは受けたことはもちろんありますが、まぁそれは色々と仕方ありません。
人は、よく言われますが、持って生まれた性格や人格など、直しようがないんです。
トランスジェンダーの人をご存知ですか?
自認は治せる病気なのではありません。よく誤解されてきましたけど。
それと似たようなものです。
問題は、その自分自身の性質や性格、あるいは障害などと言ったことと「自分がどう向き合っていくか」です。
そこを分かってもらえたらなぁと思います。
他の趣味なら没頭しても良いのかな?(バイク、魚釣り、フィギュア、サーフィン、DIY、ガチアウトドアなど)
株運用も?
>・アイドルに興味がない
>→ドルオタは一日中2chやってる人と同レベルに見なしてる。
>→飲酒、喫煙は健康を害するためにお金払う全く馬鹿げた行為。
マウンティング体質、潔癖症、承認欲求が強い、執着心が強い(こだわりが強い)も、か
>・SNSで自分にまつわる情報を明かさない。明かしたとしても絶対に個人特定されないように最新と注意を払える
>→ネットリテラシーない人はリボ払いしちゃう人くらいの知能だと思ってる。
著名人、名士も除外か
>・芸能ニュースに興味がない
「芸能」ってアイドルの事?演劇なども除外?映画や小説に関する話題もか。
>・大卒
>・正規雇用
起業してる人も除外か。
週末は図書館通いってことになるが...
・買い物に時間をかけない
→無駄な時間だから許せない お金が無いから冷やかしでウインドゥショッピングとか只の迷惑行為
→努力しないで痩せようとする知能が論外
・アイドルに興味がない
→脱毛、ネイルは肌や爪を害するためにお金払う全く馬鹿げた行為
・非フェミ
→料理の写真なら食べログでいつでも見られますからあなたにアップしてもらわなくて結構です
ほんとこれだけでいいのよ
なんなら家事手伝いでもいい こんな女たくさんいるよなあ?
条件一つ追加しました
ただ、例えばそれ以外でメイクは絶対にNGってルールにした場合に「すっぴんで外出なんて無理だ!!」なんて反応するくらい脳がヤラれてる人は絶対に無理
言いたいことはわからないとは言わないが…
自分が理解できないものに対する許容が限りなく無い人ってのは、それも人格障害だと個人的には思うのよね。
理解できないけれど、理解できないまま飲み込むってことがまったく出来ないと、結局結婚してもなかなかうまくいかないと思う。
ギャンブルは基本やらないが、人生の中で数回触れたことはある。あれは期待値マイナスわかった上で、ここまでなら捨ててもいいってお金で楽しむって目的ならありなんだろうなと思ったよ。500円や1000円買うだけで、競馬のレース観るのがちょっと面白くなったりね。
まぁ個人の好みの話だから否定する気はさらさらないんだけど、自分の考えや価値観以外のものを許容できる幅が少なすぎると、きっと共同生活はつらいと思う。なので、よほど完璧に思考が合致する人か、いいなりになってくれる人が現れない限り、独り身でいるほうがおそらく精神衛生上いいんじゃないかなー。
・はてなアイドルに興味がない
・おちんぽ、パンティー大嫌い
→飲パンティー、おちんぽは健康を害するためにお金払う全く馬鹿げた行為。
・SNSで自分にまつわる情報を明かさない。明かしたとしても絶対に個人特定されないように最新(常に新しい情報を提供しろってことかパンティー?)と注意を払える
→ネットリ テラシーない人はリボ払いしちゃう人くらいの知能だと思ってる。
・芸能ニュースに興味がない
→安倍を叩くのに忙しいんだ。
・グエー死んだンゴ
・正規うんち
ほんとこれだけでいいのよ。
・アイドルに興味がない
・SNSで自分にまつわる情報を明かさない。明かしたとしても絶対に個人特定されないように最新と注意を払える
→ネットリテラシーない人はリボ払いしちゃう人くらいの知能だと思ってる。
・芸能ニュースに興味がない
・大卒
・正規雇用
ほんとこれだけでいいのよ。
なんなら年収400万でもいい。こんな人たくさんいるよなあ?
条件一つ追加しました。
ただ、例えば自宅で飲酒は絶対にNGってルールにした場合に「そんなの無理だ!!」なんて反応するくらいお酒に脳がヤラれてる人は絶対に無理。
はじめにすごく飛躍した話になることを言っておきます。
「個人的なことは政治的なこと」といったのはフェミニズムからだが、このテーマはいまやフェミニズムの域に収まっていないと思っている。
「結婚しろはセクハラ」これはアウトな感覚は私にもあるのだが、それが職場や政治的言説(議会や討論など)、アカデミズムの場で言われたら文句なしにアウトだと賛同する。
しかし、職場ではないコミュニケーションの場で同僚に言われたら?あるいは友人に言われたら?
仮に不快に思った私がSNSにそれをアップしたら?その言説が共感して多数にシェアされたら?
あるいはSNSで誰かから言われたら?その反論が広くシェアされたら?
もし、多数の人間の社会的関係性に影響をあたえる言説が政治的言説だとすれば、この世の中の仕組みそのものがすでにいやおうなしに「個人的なことは政治的なこと」なしくみになっているんだと、思う。
(多分、もともとそんな境界などなかった。遠かっただけ。SNSは政治的言説と個人的言説の距離を近づけただけだ。)
ここにポリティカル・コレクトネスとして、ありとあらゆるコミュニケーションの場を政治的正しさで塗り替えようとする言説がある。
行政や統治よりも先に、個人間のコミュニケーションやSNSのような一対多のコミュニケーション、芸術表現や私小説的表現などありとあらゆるところに浸透している。
それを支持している人たちの一部は、個人的な苦悩やトラウマをなにか政治的言説に仮託しているように感じる。
これの行きつくさきはなにか。
私小説を政治的文脈抜きで語ることはできず、私の日記ですら政治的である可能性がある。
40手前にもなって結婚できない私は政治的不策の積み上げによって生み出されたのか。
他人とコミュニケーションがとれず、友人がほとんどいないのは私の人格障害が政治的に見逃されたからなのか。
違う、と思いたい。
私の苦しみは私のものだと、多分5%くらいは政治かもしれないが、残りは単なる不条理だと。
違う、と思いたい。
歪んでてもいいんだと、思わせてくれる、もしくは許しかもしれない。
人とのコミュニケーションを拒んできたお前が共感できる言説はもうどこにも残されるべきではない、とされ、
せいぜい5chか増田に行き、
それすらもやがて叩かれるようになり、
死にたい。
調子に乗っていたがために、境界性人格障害に自己愛性人格障害まで付け加えて
あまりの酷さに
助けてくれそうな人さえ手放し
周りに人もいなくなり
孤独で
チャンスも逃し
男だから助けも来ないし
同級の奴らは会社でバイトしてたので実力があるものの、私はするなと言われていたがために実力もなく(最近まともになった)
金もなく
自分は食わせられないし
人を食わせる自信もないし
どうやっても生きていく自信がない
虚勢を張る
無理なの分かっているのに
自分で育ててきたんだ
口先だけは達者になり
大きなひびさえ入り
もう、昔のイケイケだった俺はそこにはない
色々可能性に満ち溢れていた俺はない
わざわざ可能性の低い方を選んでやってきた
人の嘘を信じ
あまり調べず
考えもろくにせず
方向修正もせず
自己憐憫ばかりし
いつの間にか酒浸りになり
やっていきたくない
元増田です。
失敗したところで、私のような人格障害がどれくらい受け入れられるかが分からない。
まぐれ当たりを逃したので、人生の期待値もはや当初の1/2未満だろう。
しょぼ婚、できたらいいな。
すぐフォローするのは私にはできなかった、そろそろ1年になる。
KKOになる可能性だってあるさ、つぶしの効かないキャリアを歩いてきたんだ。
まぁ、それは無能だったんだよ、本来学歴だとかそういった点では有能だったはずなんだけどね。
人の嘘にも騙されたようにも思うし。
第一感を信じて生きてこなかった。
自分に嘘をついていた。
よくTwitterで見かける、発達障害、または精神病を患った女性が、生きづらさやそれをどう乗り越えているかを、コミックエッセイ風に綴っているやつ
に、ほぼ必ず、理解がありその女性を支えてくれる男性が登場するやつ
というのを非常によく見かける。揶揄する人の言いたいことはとてもよくわかる。
とっても生きづらいけど、良いパートナーのおかげで生きていけている、というのは、パートナーに恵まれない障害や病気を抱える人々を改めて絶望の淵に突き落とすようなものだ。
非常に一般的な考え方として、例外は必ずあるにしろ、基本的に、女性のほうが男性に比べ、恋愛的なパートナーを得る機会が多いのはおそらく確かだろう。その理由はいくつか挙げられるが、ここでは割愛する。
ゆえに、パートナーに恵まれ日常を送ることができている障碍者/精神疾患持ち女性という存在を見せつけられると、同じような状況にある男性のなかに、『では誰にもかんがみられることなく、パートナーに恵まれない自分たちは、どう生きていけばいいのか』と暗澹たる気持ちが生まれてしまうのは仕方がないのではないだろうか。
私の話をしよう。
私は女性である。そして発達障害者であり、精神疾患を持っている。
具体的に言うと、ASD優位のADHD、かつ、うつ病と解離性同一性障害の診断が下りている。
理系の大学院を卒業後、財閥系企業に勤めていたが、病状の悪化に伴い退職した。
そして離婚歴がある。
私の持つ障害と疾患は、両親からの虐待に由来する可能性が高く、主治医の所見もそのようになっている。私の両親は裕福で社会的地位のある人たちではあったが、あまり子供を育てることは得意ではなかったらしい。成人し、うつを発症し、自殺未遂後、弁護士を通して虐待の事実を認める旨、慰謝料を支払う旨、それができないのであれば縁を切る(ことは非常に難しいのだが)協議書を送り、その段階に至り、はじめて自分たちがしてきたことが客観的に虐待に当たると気づいた、なかなか能天気な人たちでもある。
この虐待由来というところがネックなのか、私の抱える障害と精神疾患は非常に根深いところにあり、もう10年近く投薬を続けているが、治るというよりもただ生きているだけだ。
さて、表題の話をしよう。私の人生において、障害や精神疾患を支えてくれるパートナーはいたかという話である。
結論から言うと、いなかった。これからも現れない気がしている。
そもそも、私は強い気分障害を持っているが、精神が不調の際は自ら抗不安剤(軽いものならソラナックス、リボリトール、ひどければヒルナミン)を飲んで、迷惑をかける前に自分をコントロールしていた。これはたぶん、両親による『人に気を遣わせるな』という強い教育が行き届いた結果だと思う。もちろんこの人という言葉には、家族も含まれている。
解離性同一性人格障害というのは、簡単に言うと多重人格のことで、現在この病名が診断されている患者はかなり少ない。最近は発作もあまり怒らないが、解離時、私にはなんの記憶もない。どこで何をしていたのか、ポケットに入ったレシートや、体についた汚れや傷、SUICAの履歴など、いろいろなものからなんとなく推理するしかない。でもそれがとても怖いともあまり思わない。発作が起こるタイミング、シチュエーションは決まっている。そうならないよう、そういった状況に自らを送り込まないよう注意すれば、ある程度制御できる。
私は精神療養手帳も持っているし、飲んでいる薬の数も種類も途方もない数だが、それでいて、一人できちんと精神科に行き、診察を受け、薬を飲んで生活している。もちろん生活も一人だ。親元なんて考えられないし、世間体のためだけにした結婚は、結局相手が何を考えているのかわからないまま、かつ、相手も私がどういった人間なのかわからないまま終わった。
主治医はあまりこの状況をよしとはしていない。つまり、頼れるだれかが近くにいたほうがいいのではないかという話をされることもある。しかし私は、短い結婚生活のことを思い出す。いつも誰かがそばにいるのに、その人がひとつも自分のことをわかっていないという状態は、単純に一人でいるより何倍もつらい。元夫との生活の中で、私は何度も『大丈夫』と言った。ぐうぐう寝息を立てる元夫のとなりで、絶望が押し寄せてきて一晩中声を殺して泣いた。これではいけないと、元夫に私は何度か自分の話をしようとした。それはかなり勇気のいる行為だった。他人の精神がいびつになるに至る理由を、好んで聞きたがる人はいないし、そのあと慰めるのだって面倒だろう。もし、面倒がられたら、聞いてくれなかったら、と思うと、だれにも言えなくなってしまうのだ。
結果から言うと、元夫は私の話を聞いてはくれた。その間ずっとドラゴンボールかなにかのソーシャルゲームをスマホで遊んでいた。
最初から期待していない分、絶望も少なかったが、たとえ結婚していても、他人は他人であり、興味のない話を無理やり聞かせることはできず、自分のことは自分でけりをつけなければいけないのだとわかった。私は、元夫がしてくれる自分の話を聞くのが好きだった。それは元夫に興味があったということだろう。そしてその逆はなかったということだ。
ちなみに離婚の直接の理由となったのは、元夫の暴力的行為により、私が結婚前に拾いともに暮らしていたネコが、ストレス性の病気になってしまったことだ。ネコは家具が破壊される音を聞き、泣き叫ぶ私の声を聴き、壊れた箪笥を見、過度のストレスで過呼吸を起こし、自らのしっぽをかじり始めた。ネコの異状に気づき、獣医でそれがストレス性のもので、環境を変えるか、抗不安剤を投与するかしかないと聞くその瞬間まで、私は無気力のあまり離婚することすら考えていなかった。動物病院を出た私は、その日のうちに離婚届を手に入れ、元夫に書くように強制した。
元夫は渋っていたが、一連の暴力行為を私がICレコーダーに録音していることを知ると、あきらめたようにぐちゃぐちゃと署名をした。
おそらくこれを読んで私に好意的な気持ちを抱く人は少ないと思う。それは私が完全に自己完結しているからだと自分でも思う。私は折り紙付きの障碍者で、精神疾患を抱えているが、誰にも頼りたくないと思っているし、私が求めているものは、他人に求めるにはあまりにも重たいものだという自覚がある。
私はネコと暮らしている。ネコは私がいなくてもおそらく生きていけるだろうが、私はこのネコがいないと生きていけない。ネコは私の話を聞いて頭をなでてくれるわけでも、そっと抱きしめてくれるわけでもないし、「つらかったね」とかそういうことを言ってくれたりもしない。ただ生きていて、日向ぼっこをして、昼寝をして、ノートPCに向かう私の邪魔をチョコチョコとしてくるだけだ。
でもそんな存在を私は心から愛し、どの人間よりも深い信頼を抱いている。
誰にも愛されない、だれも愛すことができないと思い、絶望している、私と似たような境遇の人がいるとしたら、まずネコを拾うことを強くお勧めする。
あるいは怖くて逃げ出したり、
自己中心的すぎるが故にしなかったり、
運命に逆らってみたり
結局は自分の中の悪魔に従ってしまっていたがために招いた事態。
全くいいことないんだよ。
いや、ある程度はやってたんだよ。宿題。
でも、決定的なところで間違える。しない。
1学期まではちゃんとやってたんだけど、その後やってなかった感がひどい。
みんな人生の宿題やってるのに、一人だけ一日中寝てたり遊んでたりするから、差が広がっていて仕方がない。
間に合わせたいんだけど。
9月1日に宿題が終わらない人ってどうする人がいるか知ってる?
【追記 2020/04/04 7:36】
そうそう、これ。
私の場合決定的なところまで言ったんだけど圧倒的に間違えた。
この上なくいい人だったんだけど、踏ん切りがつかなくて諦めてしまった。
運命を受け入れればよかったのに。
それまでたまってた不徳が邪魔したんだろうなぁ。
【追記 2020/04/04 7:50】
心理的に言うと自己肯定感の問題、人格障害の問題とか他人との関係性の構築だとか
経済的に言うと稼ぐ基盤づくりとか(いちおう国家資格は持ってるけど)
勉強的に言うと、いやこれは特にないかな。稼げる資格を暇なときに取っておけ、ということか。
そういった、片付けておくべきことを片付けてこなかったツケなんだよね。
2ヶ月ほど前、3年くらい付き合ってた彼女と別れました。
ごたごたが収束して僕にも新しい気になる女の人ができたので今これを書いています。
・発達障害らしいが、それを言い訳に使って僕に家事をさせたり金を出させたりする。
・ちょっと休んだだけですぐ「私のこと放置した!どうでもいいの?」と鬼電(夜寝かせてくれない日も何日もありました。そのせいで今は僕が精神科にかかる羽目に......)
「メンヘラってかわいいイメージあるよなw」とか抜かしてきた僕の友達、見てるか?
メンヘラが可愛いんじゃなく、可愛い子がメンヘラだと許せるだけ
これに尽きます。見た目の伴わないわがままは殺意を向けざるを得なくなる。
では、なぜ僕がそんな彼女とお付き合いしていたのか。思い返すと、あの頃の自分はいわゆる「オタ仲間」に飢えていたように思います。同じジャンル、キャラクターを愛するフォロワーさんにはそこそこ恵まれていたのですが、いまいち話のピントが合わない。そんな時にツイッター上で出会ったのが彼女だったのですね。ツイッターはアイコンを本人にする義務がないので、顔が基本的にわかりせん。まあ、ツイート内容のキモさと言うか、オタクとしての"濃さ"みたいなものがにじみ出ていて、よく考えられたらその時にこじらせたブスが背景にいるアカウントであることは察してしかるべきだったのです。僕のミスです。
愚かだった僕は、その子(元カノ)にコンタクトを取りました。「〇〇さんのツイートほんと共感性高い!」みたいなことを言って褒めちぎりました。彼女は頭が悪い上、一度もモテたこともない汚い女だったので、すぐ僕になつきました。深い話を通話でするようになりました。
ここが騙されたポイントで、彼女は気持ち悪いツイートばかりする「限界オタク」のようでしたが、初めて一対一で通話した時には「意外と声が可愛いな」と思わされる声質だったのですね。通話では顔は見えません。僕は彼女がもっと自分に好意を持つように、「かわいい声」「お話がおもしろい」などと褒めちぎりました。これが大きな過ちの一つだった。
男でも女でも陰気なブサイクはモテない。分かりやすい言い方をするならちやほやされたことがない。彼女もまたそうで、「かわいい」の一言を両親以外から言われたことがなかったようでした。(もちろん交際経験もゼロ)そうなると、毎日馬鹿みたいにそいつを褒めてやっていた僕は、ブスの片恋の的にされてしまうわけです。
複雑な事情があり、大きく端折りますが、結果的に僕とそのメンヘラブスは付き合うこととなってしまいました。
僕は幼い頃のさまざまな経験や育ちから自己承認力が弱く、汚いメンヘラの女からでも優しい言葉をたまにかけられるだけで依存してしまうほど弱い存在でした。
いつしか思考は「この子を手放したら自分には誰もいなくなってしまう」という強迫観念に囚われていました。
働かない彼女にご飯を食べさせる。誕生日に花束を贈る。汚いメイクのようなものを頑張ったね、上手になったね、と褒める。自分に優しくしてくれる存在であればどんなことでもしてあげよう、と思っていました。今考えると完全に病んでいますね。
余談ですが、僕の好みはボーイッシュ系が映えるショートの美少女、体型はスレンダーが好きです。しかしこのメンヘラ彼女は真逆で、手入れされていないボサボサの黒髪をだらりと流し、大会はババアかよって何度も言いそうになるくらいブヨブヨでした。そんな彼女を必要に応じて何度も抱きました。頑張って自分を奮い立たせ、彼女に失望されないようにそれだけを考えていました。そうしていたら、別れる間際から別れた直後あたりはセックスという単語を見るだけで彼女を思い出して具合悪くなるまでになってしまいました。
そうまでしてなぜ繋ぎ止めたのか?やはりこれは僕の自己肯定感の決定的な不足だったと思います。あとは周囲に本音で語れる人がいなかった。いかに関係作りが大切かその頃の僕は気づいていなかった。本当に、恋人以外に本音を話せる友人を作ることは大事ですよ。
そんな彼女との縁の切れ目が見えたのが交際して2年半ほどのころ。
毎日僕が先に眠ると、明日は仕事だから寝かせてくれと何度伝えても暴れて起こされます。まるで赤んぼうのようですが、彼女は20代の太ったブス。僕の精神は完全に疲弊していました。
その日も、僕が明日に備えて早めに床に着くと、「あたしがブスだから逃げるんでしょ!」「あたしのこと嫌いだから寝るんだ」等の支離滅裂な言葉を叫ばれました。彼女はこのように「自分のせいなんでしょ」というスタンスでこちらを攻撃してくるタイプの人格障害者でした。
その次の日は本当に大事な仕事があったので、つい「そうだよ。だから寝かせて」と曖昧な返答をしてしまいました。
当然メンヘラの彼女はショックを受けて、黙ったのち彼女の鍵アカウント(僕も当時は相互でしたが)に勢いよく愚痴を書き込んでいるようでした。その日はその光景を横目に寝ることができました。
次の日の朝、いつものように彼女が「ごめんね、昨日暴れちゃって......」と誤ってきます。そうです、迷惑をかけるだけかけておいて、そのあとついでのように謝ることで自分は悪くないと思いたいクズ人間なのです。
僕は寝ぼけながらいつものように「〇〇さんは悪くないよ」と優しく言いました。重ね重ねですが、当時の僕は初めてできた"恋人"を何が何でも失いたくなかったようです。
そんな言葉を交わして僕が会社へ行き、帰ってきて通知を確認すると彼女から「ごめんね」「ブスで」
とだけメッセージが。これは「ブスじゃないよ待ち」です。しかし、夜中に大騒ぎされ、就業の後で疲弊している僕は優しく対応する気力はなく、つい「そうだね」と返してしまいました。常日頃から醜い姿(顔だけではありません、体型や体毛の処理の甘さなども辛かったです。)を見せつけられ続けているストレスも溜まっていたのでしょう。
そうすると、彼女から「え、やっぱりブスってことでいいんだよね」
という返信。そうだっつってんだろ
これを送った瞬間、「終わった」という気持ちと「言ってやった」という気持ちが混在した不思議な気持ちになりました。
そしてしばらく連絡が途絶えた彼女。しかし1週間後に「ごめん、かわいくなるから。捨てないで」というメッセージが届きました。
しかし、こちらとしては一週間距離を置いたことで彼女に対して実に冷静な対応ができました。
「それは聞き飽きた。誰のお金で可愛くなろうとしてるの?たぶん〇〇さんじゃ無理だよ」
突き放すことができたのです。自分で自分を褒めてあげたかった。
「見た目も問題かもしれないけど、〇〇さんの性格の荒さにはもう付き合えないよ」
ときっぱりと追い討ちをかけることができました。
その後彼女からの鬼のようなメッセージや着信が来たので、すぐに全ての連絡先とツイッターアカウントをブロック。だいぶ端折っていますが、そういう感じで彼女とは切れました。
「意外とあっさり別れたんじゃん」
と思われるかもしれませんが、生々しいので省略している箇所が多々あります。彼女から受けた暴言、軽い暴力、メンタル的なハラスメント、金銭の搾取......etc.
それでも、しばらくは喪失感にぼんやりする日々が続いていました。
僕が今現在素敵だなと思っている人は、またツイッター上にて知り合うことのできた同じジャンルのオタクの方です。彼女とも話が合い、なんども通話を重ねていっているのですが、やはりあいつ(元カノ)はおかしい。今の方は人の話を聴くのが上手だし、僕の話を遮ってどうでもいい自分の自慢をしない。すごく大人な方に感じます。
依存体質のままで、まともに恋愛はできません。狂った恋愛をするか、別のものに依存するかです。僕の場合、「新しい爽やかな出会い」が腐らせないでいさせてくれましたが、「メンヘラモラハラ恋人とは別れましょう」と言ったところですぐに分かられられないのが依存カップルです。
だからこそ、今一度関係や、相手のことを見直してほしい。たいして好きでもない相手に、自分の大事なリソースを割かないでほしい。若いうちに考えましょう。意外と、自分のことを理解してくれたり、受け止めてくれたりする人なんて結構いるもんです。