はてなキーワード: 人格障害とは
よくTwitterで見かける、発達障害、または精神病を患った女性が、生きづらさやそれをどう乗り越えているかを、コミックエッセイ風に綴っているやつ
に、ほぼ必ず、理解がありその女性を支えてくれる男性が登場するやつ
というのを非常によく見かける。揶揄する人の言いたいことはとてもよくわかる。
とっても生きづらいけど、良いパートナーのおかげで生きていけている、というのは、パートナーに恵まれない障害や病気を抱える人々を改めて絶望の淵に突き落とすようなものだ。
非常に一般的な考え方として、例外は必ずあるにしろ、基本的に、女性のほうが男性に比べ、恋愛的なパートナーを得る機会が多いのはおそらく確かだろう。その理由はいくつか挙げられるが、ここでは割愛する。
ゆえに、パートナーに恵まれ日常を送ることができている障碍者/精神疾患持ち女性という存在を見せつけられると、同じような状況にある男性のなかに、『では誰にもかんがみられることなく、パートナーに恵まれない自分たちは、どう生きていけばいいのか』と暗澹たる気持ちが生まれてしまうのは仕方がないのではないだろうか。
私の話をしよう。
私は女性である。そして発達障害者であり、精神疾患を持っている。
具体的に言うと、ASD優位のADHD、かつ、うつ病と解離性同一性障害の診断が下りている。
理系の大学院を卒業後、財閥系企業に勤めていたが、病状の悪化に伴い退職した。
そして離婚歴がある。
私の持つ障害と疾患は、両親からの虐待に由来する可能性が高く、主治医の所見もそのようになっている。私の両親は裕福で社会的地位のある人たちではあったが、あまり子供を育てることは得意ではなかったらしい。成人し、うつを発症し、自殺未遂後、弁護士を通して虐待の事実を認める旨、慰謝料を支払う旨、それができないのであれば縁を切る(ことは非常に難しいのだが)協議書を送り、その段階に至り、はじめて自分たちがしてきたことが客観的に虐待に当たると気づいた、なかなか能天気な人たちでもある。
この虐待由来というところがネックなのか、私の抱える障害と精神疾患は非常に根深いところにあり、もう10年近く投薬を続けているが、治るというよりもただ生きているだけだ。
さて、表題の話をしよう。私の人生において、障害や精神疾患を支えてくれるパートナーはいたかという話である。
結論から言うと、いなかった。これからも現れない気がしている。
そもそも、私は強い気分障害を持っているが、精神が不調の際は自ら抗不安剤(軽いものならソラナックス、リボリトール、ひどければヒルナミン)を飲んで、迷惑をかける前に自分をコントロールしていた。これはたぶん、両親による『人に気を遣わせるな』という強い教育が行き届いた結果だと思う。もちろんこの人という言葉には、家族も含まれている。
解離性同一性人格障害というのは、簡単に言うと多重人格のことで、現在この病名が診断されている患者はかなり少ない。最近は発作もあまり怒らないが、解離時、私にはなんの記憶もない。どこで何をしていたのか、ポケットに入ったレシートや、体についた汚れや傷、SUICAの履歴など、いろいろなものからなんとなく推理するしかない。でもそれがとても怖いともあまり思わない。発作が起こるタイミング、シチュエーションは決まっている。そうならないよう、そういった状況に自らを送り込まないよう注意すれば、ある程度制御できる。
私は精神療養手帳も持っているし、飲んでいる薬の数も種類も途方もない数だが、それでいて、一人できちんと精神科に行き、診察を受け、薬を飲んで生活している。もちろん生活も一人だ。親元なんて考えられないし、世間体のためだけにした結婚は、結局相手が何を考えているのかわからないまま、かつ、相手も私がどういった人間なのかわからないまま終わった。
主治医はあまりこの状況をよしとはしていない。つまり、頼れるだれかが近くにいたほうがいいのではないかという話をされることもある。しかし私は、短い結婚生活のことを思い出す。いつも誰かがそばにいるのに、その人がひとつも自分のことをわかっていないという状態は、単純に一人でいるより何倍もつらい。元夫との生活の中で、私は何度も『大丈夫』と言った。ぐうぐう寝息を立てる元夫のとなりで、絶望が押し寄せてきて一晩中声を殺して泣いた。これではいけないと、元夫に私は何度か自分の話をしようとした。それはかなり勇気のいる行為だった。他人の精神がいびつになるに至る理由を、好んで聞きたがる人はいないし、そのあと慰めるのだって面倒だろう。もし、面倒がられたら、聞いてくれなかったら、と思うと、だれにも言えなくなってしまうのだ。
結果から言うと、元夫は私の話を聞いてはくれた。その間ずっとドラゴンボールかなにかのソーシャルゲームをスマホで遊んでいた。
最初から期待していない分、絶望も少なかったが、たとえ結婚していても、他人は他人であり、興味のない話を無理やり聞かせることはできず、自分のことは自分でけりをつけなければいけないのだとわかった。私は、元夫がしてくれる自分の話を聞くのが好きだった。それは元夫に興味があったということだろう。そしてその逆はなかったということだ。
ちなみに離婚の直接の理由となったのは、元夫の暴力的行為により、私が結婚前に拾いともに暮らしていたネコが、ストレス性の病気になってしまったことだ。ネコは家具が破壊される音を聞き、泣き叫ぶ私の声を聴き、壊れた箪笥を見、過度のストレスで過呼吸を起こし、自らのしっぽをかじり始めた。ネコの異状に気づき、獣医でそれがストレス性のもので、環境を変えるか、抗不安剤を投与するかしかないと聞くその瞬間まで、私は無気力のあまり離婚することすら考えていなかった。動物病院を出た私は、その日のうちに離婚届を手に入れ、元夫に書くように強制した。
元夫は渋っていたが、一連の暴力行為を私がICレコーダーに録音していることを知ると、あきらめたようにぐちゃぐちゃと署名をした。
おそらくこれを読んで私に好意的な気持ちを抱く人は少ないと思う。それは私が完全に自己完結しているからだと自分でも思う。私は折り紙付きの障碍者で、精神疾患を抱えているが、誰にも頼りたくないと思っているし、私が求めているものは、他人に求めるにはあまりにも重たいものだという自覚がある。
私はネコと暮らしている。ネコは私がいなくてもおそらく生きていけるだろうが、私はこのネコがいないと生きていけない。ネコは私の話を聞いて頭をなでてくれるわけでも、そっと抱きしめてくれるわけでもないし、「つらかったね」とかそういうことを言ってくれたりもしない。ただ生きていて、日向ぼっこをして、昼寝をして、ノートPCに向かう私の邪魔をチョコチョコとしてくるだけだ。
でもそんな存在を私は心から愛し、どの人間よりも深い信頼を抱いている。
誰にも愛されない、だれも愛すことができないと思い、絶望している、私と似たような境遇の人がいるとしたら、まずネコを拾うことを強くお勧めする。
あるいは怖くて逃げ出したり、
自己中心的すぎるが故にしなかったり、
運命に逆らってみたり
結局は自分の中の悪魔に従ってしまっていたがために招いた事態。
全くいいことないんだよ。
いや、ある程度はやってたんだよ。宿題。
でも、決定的なところで間違える。しない。
1学期まではちゃんとやってたんだけど、その後やってなかった感がひどい。
みんな人生の宿題やってるのに、一人だけ一日中寝てたり遊んでたりするから、差が広がっていて仕方がない。
間に合わせたいんだけど。
9月1日に宿題が終わらない人ってどうする人がいるか知ってる?
【追記 2020/04/04 7:36】
そうそう、これ。
私の場合決定的なところまで言ったんだけど圧倒的に間違えた。
この上なくいい人だったんだけど、踏ん切りがつかなくて諦めてしまった。
運命を受け入れればよかったのに。
それまでたまってた不徳が邪魔したんだろうなぁ。
【追記 2020/04/04 7:50】
心理的に言うと自己肯定感の問題、人格障害の問題とか他人との関係性の構築だとか
経済的に言うと稼ぐ基盤づくりとか(いちおう国家資格は持ってるけど)
勉強的に言うと、いやこれは特にないかな。稼げる資格を暇なときに取っておけ、ということか。
そういった、片付けておくべきことを片付けてこなかったツケなんだよね。
2ヶ月ほど前、3年くらい付き合ってた彼女と別れました。
ごたごたが収束して僕にも新しい気になる女の人ができたので今これを書いています。
・発達障害らしいが、それを言い訳に使って僕に家事をさせたり金を出させたりする。
・ちょっと休んだだけですぐ「私のこと放置した!どうでもいいの?」と鬼電(夜寝かせてくれない日も何日もありました。そのせいで今は僕が精神科にかかる羽目に......)
「メンヘラってかわいいイメージあるよなw」とか抜かしてきた僕の友達、見てるか?
メンヘラが可愛いんじゃなく、可愛い子がメンヘラだと許せるだけ
これに尽きます。見た目の伴わないわがままは殺意を向けざるを得なくなる。
では、なぜ僕がそんな彼女とお付き合いしていたのか。思い返すと、あの頃の自分はいわゆる「オタ仲間」に飢えていたように思います。同じジャンル、キャラクターを愛するフォロワーさんにはそこそこ恵まれていたのですが、いまいち話のピントが合わない。そんな時にツイッター上で出会ったのが彼女だったのですね。ツイッターはアイコンを本人にする義務がないので、顔が基本的にわかりせん。まあ、ツイート内容のキモさと言うか、オタクとしての"濃さ"みたいなものがにじみ出ていて、よく考えられたらその時にこじらせたブスが背景にいるアカウントであることは察してしかるべきだったのです。僕のミスです。
愚かだった僕は、その子(元カノ)にコンタクトを取りました。「〇〇さんのツイートほんと共感性高い!」みたいなことを言って褒めちぎりました。彼女は頭が悪い上、一度もモテたこともない汚い女だったので、すぐ僕になつきました。深い話を通話でするようになりました。
ここが騙されたポイントで、彼女は気持ち悪いツイートばかりする「限界オタク」のようでしたが、初めて一対一で通話した時には「意外と声が可愛いな」と思わされる声質だったのですね。通話では顔は見えません。僕は彼女がもっと自分に好意を持つように、「かわいい声」「お話がおもしろい」などと褒めちぎりました。これが大きな過ちの一つだった。
男でも女でも陰気なブサイクはモテない。分かりやすい言い方をするならちやほやされたことがない。彼女もまたそうで、「かわいい」の一言を両親以外から言われたことがなかったようでした。(もちろん交際経験もゼロ)そうなると、毎日馬鹿みたいにそいつを褒めてやっていた僕は、ブスの片恋の的にされてしまうわけです。
複雑な事情があり、大きく端折りますが、結果的に僕とそのメンヘラブスは付き合うこととなってしまいました。
僕は幼い頃のさまざまな経験や育ちから自己承認力が弱く、汚いメンヘラの女からでも優しい言葉をたまにかけられるだけで依存してしまうほど弱い存在でした。
いつしか思考は「この子を手放したら自分には誰もいなくなってしまう」という強迫観念に囚われていました。
働かない彼女にご飯を食べさせる。誕生日に花束を贈る。汚いメイクのようなものを頑張ったね、上手になったね、と褒める。自分に優しくしてくれる存在であればどんなことでもしてあげよう、と思っていました。今考えると完全に病んでいますね。
余談ですが、僕の好みはボーイッシュ系が映えるショートの美少女、体型はスレンダーが好きです。しかしこのメンヘラ彼女は真逆で、手入れされていないボサボサの黒髪をだらりと流し、大会はババアかよって何度も言いそうになるくらいブヨブヨでした。そんな彼女を必要に応じて何度も抱きました。頑張って自分を奮い立たせ、彼女に失望されないようにそれだけを考えていました。そうしていたら、別れる間際から別れた直後あたりはセックスという単語を見るだけで彼女を思い出して具合悪くなるまでになってしまいました。
そうまでしてなぜ繋ぎ止めたのか?やはりこれは僕の自己肯定感の決定的な不足だったと思います。あとは周囲に本音で語れる人がいなかった。いかに関係作りが大切かその頃の僕は気づいていなかった。本当に、恋人以外に本音を話せる友人を作ることは大事ですよ。
そんな彼女との縁の切れ目が見えたのが交際して2年半ほどのころ。
毎日僕が先に眠ると、明日は仕事だから寝かせてくれと何度伝えても暴れて起こされます。まるで赤んぼうのようですが、彼女は20代の太ったブス。僕の精神は完全に疲弊していました。
その日も、僕が明日に備えて早めに床に着くと、「あたしがブスだから逃げるんでしょ!」「あたしのこと嫌いだから寝るんだ」等の支離滅裂な言葉を叫ばれました。彼女はこのように「自分のせいなんでしょ」というスタンスでこちらを攻撃してくるタイプの人格障害者でした。
その次の日は本当に大事な仕事があったので、つい「そうだよ。だから寝かせて」と曖昧な返答をしてしまいました。
当然メンヘラの彼女はショックを受けて、黙ったのち彼女の鍵アカウント(僕も当時は相互でしたが)に勢いよく愚痴を書き込んでいるようでした。その日はその光景を横目に寝ることができました。
次の日の朝、いつものように彼女が「ごめんね、昨日暴れちゃって......」と誤ってきます。そうです、迷惑をかけるだけかけておいて、そのあとついでのように謝ることで自分は悪くないと思いたいクズ人間なのです。
僕は寝ぼけながらいつものように「〇〇さんは悪くないよ」と優しく言いました。重ね重ねですが、当時の僕は初めてできた"恋人"を何が何でも失いたくなかったようです。
そんな言葉を交わして僕が会社へ行き、帰ってきて通知を確認すると彼女から「ごめんね」「ブスで」
とだけメッセージが。これは「ブスじゃないよ待ち」です。しかし、夜中に大騒ぎされ、就業の後で疲弊している僕は優しく対応する気力はなく、つい「そうだね」と返してしまいました。常日頃から醜い姿(顔だけではありません、体型や体毛の処理の甘さなども辛かったです。)を見せつけられ続けているストレスも溜まっていたのでしょう。
そうすると、彼女から「え、やっぱりブスってことでいいんだよね」
という返信。そうだっつってんだろ
これを送った瞬間、「終わった」という気持ちと「言ってやった」という気持ちが混在した不思議な気持ちになりました。
そしてしばらく連絡が途絶えた彼女。しかし1週間後に「ごめん、かわいくなるから。捨てないで」というメッセージが届きました。
しかし、こちらとしては一週間距離を置いたことで彼女に対して実に冷静な対応ができました。
「それは聞き飽きた。誰のお金で可愛くなろうとしてるの?たぶん〇〇さんじゃ無理だよ」
突き放すことができたのです。自分で自分を褒めてあげたかった。
「見た目も問題かもしれないけど、〇〇さんの性格の荒さにはもう付き合えないよ」
ときっぱりと追い討ちをかけることができました。
その後彼女からの鬼のようなメッセージや着信が来たので、すぐに全ての連絡先とツイッターアカウントをブロック。だいぶ端折っていますが、そういう感じで彼女とは切れました。
「意外とあっさり別れたんじゃん」
と思われるかもしれませんが、生々しいので省略している箇所が多々あります。彼女から受けた暴言、軽い暴力、メンタル的なハラスメント、金銭の搾取......etc.
それでも、しばらくは喪失感にぼんやりする日々が続いていました。
僕が今現在素敵だなと思っている人は、またツイッター上にて知り合うことのできた同じジャンルのオタクの方です。彼女とも話が合い、なんども通話を重ねていっているのですが、やはりあいつ(元カノ)はおかしい。今の方は人の話を聴くのが上手だし、僕の話を遮ってどうでもいい自分の自慢をしない。すごく大人な方に感じます。
依存体質のままで、まともに恋愛はできません。狂った恋愛をするか、別のものに依存するかです。僕の場合、「新しい爽やかな出会い」が腐らせないでいさせてくれましたが、「メンヘラモラハラ恋人とは別れましょう」と言ったところですぐに分かられられないのが依存カップルです。
だからこそ、今一度関係や、相手のことを見直してほしい。たいして好きでもない相手に、自分の大事なリソースを割かないでほしい。若いうちに考えましょう。意外と、自分のことを理解してくれたり、受け止めてくれたりする人なんて結構いるもんです。
海外ドラマですぐにカウンセリングを勧められる登場人物見ていたら面白そうだと思ったので自分も受けてみようかなーと軽い気持ちで申し込んだらたまたま枠が空いたからと2日後に予約が取れてしまって特に話すべきこともまだ何も考えていないからどうしたもんかな…と悩んでる
カウンセリングって海外ドラマでみたやつ以外だと、中学の図書室にあったとりいへいでる?の児童心理士?の本の内容くらいしか知らない
継続的に通うものらしいけど、そんなに話すこと無いし、単なる好奇心です!とも言って良いものか…
自分が発達障害とか人格障害とかに当てはまりそうだなっていう病識は持ってるけど、どうにかこうにか生きていけてるし、治すために努力とかもしたいと思ってないし、ますます何話そ…って悩んでしまう
衝動的に申し込んでしまうようなことがよくある…といえば問題あるけど、申し込んだこと自体には後悔したこと無いしなぁ
普通に、海外ドラマで見て面白そうだと思ったから、って話せば良いのかもしれないけど「へーそうなんですねー」「はいそうです」で終わりじゃん…
自分の能力に著しい凸凹があることは、幼い頃から気づいてきた。
親が「みんなそんなものよ」と言うものだから、みんなそうなのだと信じて生きてきた。
物心ついた頃から知能は高かった。しかし勉強という行為は地獄のように退屈だった。
なぜこの教師は1時間も使って足し算を説明しなければならないのか、なぜ周囲はこの程度も理解できていないのか、そして既に理解できている自分がなぜ1時間も退屈に付き合ってやらないといけないのか、ひたすらに理不尽だった。
教室を飛び出したい衝動に常に駆られていたが、飛び出せば落伍者扱いされることは解っていた。だから我慢した。
授業を聞いている振りをして空想に耽ることだけが、唯一の自由だった。
「持たざる者は、持つ者を妬む」と、親がよく口にしていた。
同級生よりも【持っている】と気づいてしまった事柄は、片っ端から隠し倒して、持っていないふりをした。
持たざる者の苦しみを想像し、「私も…」と同調し、仲間としての承認を得てきた。
運動能力や感覚過敏など極度の身体的欠陥と、そしていくつかの規律性の欠如、それらに私は救われた。
「勉強以外は欠陥だらけ」とレッテルを貼られることで、嫉妬のターゲットを回避する絶好のポジションを、コミュニティ内で獲得できた。
とにかく周囲を観察し、人に好かれる態度と嫌われる態度を学習し、目立たず騒がず当たり障りのない人物を演じ続けてきた。
それでも「人並み以下の努力で、人並み以上の成績を維持していること」に気づき、妬み、攻撃してくる者はいた。
この頃から人付き合いに疲れだした。自分と似た性質を持つ者が、およそ存在しないことを悟りはじめた。
人に打ち明ければすぐさま嫌われる類の悩みばかりが増幅した。
外面的な交友は虚しく、内面的な孤独は深まり、学校生活はさらに退屈になった。
学歴なんて何の役にも立たないと言い張る世間の大人たちと、難関大に受からなければ人扱いしない教師たちの顔色を伺いながら、適当に受験し、就職し、いよいよ三十になった。
会社でも学校でも、凸凹を隠して「普通の人」として生きるために必死で擬態を続けてきた。
擬態に疲れ、精神を病んで辿り着いた自助グループでは、いかに正直に凸凹をさらけ出しても「普通の人」と敬遠された。「あなたは大丈夫だから」と、励ます口調で突き放された。
どこまでいっても異端扱い。
鬱病でも、人格障害でも、社会不安障害でも、発達障害でも、HSPでも、ギフテッドでも、なんでもいい。
どの看板を下げても被差別階級になることは解っている。もうどれでもいい。
対策を示せ。
これ以上待たせるな。
これ以上翻弄するな。
原因がはっきりわかっていないのも、正しく診られる専門家が国内に少ないのも、学術データが揃っていないのも、誤診が起こりうるのも、すべて私のせいではない。
どこまでが普通なのか、障害と呼ぶべきなのかの議論なんて今はどうでもいい。
ただ私が困っている。それが真実ではないのか。
いわゆる「2018年東海道新幹線車内殺傷事件」で、検察は被告に無期懲役を求刑した。世間の憤りは大きいわけだが、検察側は被告が若いこととその人格障害を考慮して、このような求刑となったらしい。
私とカミサンは死刑反対派である。こう言うと「何を甘っちょろいことを。テメエの親族や配偶者が殺されても同じこと言えるのか」とか言われそうなのだが、私とカミサンは、
と考えているだけのことである。率直に言うと「死刑などでは足らない」のだ。そして「悔いと苦しみを以て」償わせるためには社会的コストが発生してもやむなし、というわけだ。
とは言うものの、こういう事件、しかも「無期懲役狙い」なんて話を聞くとさすがにムカムカしてくるわけだが、こういうときにカミサンが決まって主張するのである。「だからさ、地雷除去刑だよ」と。
地雷除去刑とは何か。この刑に処された者に最低限の教育を施し、たとえばカンボジアやスーダンのような、地雷で人々が苦しんでいる地域に派遣し、厳重な管理の下、地雷除去に従事させる。当然、事故が発生するかもしれない。その際には万全の手当てを施し、治癒したところで現場に復帰させる。腕や脚を吹き飛ばされようが、極端な話、江戸川乱歩の『芋虫』のような状況に陥ったとしても、躄って動かさせ、口を使わせて除去に従事させる。そこから逃れさせない。
逃げ出そうとしたり、自殺だとばかりに地雷原に踏み込もうとする受刑者もいるだろう。しかし、対人地雷は人を殺さないように作られている。そして彼らに「引退」はない。万が一彼らが死に仰せたとしても、少なくともいくつかの地雷は除去できるのだ。人柱としては少しは役に立つだろう。
中には、覚悟を決めて、有能な地雷除去のプロフェッショナルになる者も現れるだろう。現地の人々から尊敬を受ける者も出てくるかもしれない。しかし、彼らが現場から解放されることはない。もし天寿を全うしたいなら、地雷を除去し続けて生き残るしか術はないのだ。それができるなら、受刑者をただ execute することよりも、その命の価値というものが活かされるだろう。受刑者も命の価値を思い知ることだろう。