コンビニ店長が野菜を売る側としての苦悩を吐露していたのでちょっと思った事を書いてみる。
運用でミスがあったことが発覚した場合、責められるべきは運用であって理論に問題があるかどうかは
慎重に調査しなければ分からないと理解している人たちが多い。
じゃあ、辺鄙な村の中だけではなくもっと広い日本全体に視野を広げてみてはどうだろう?
全く別件だけど「うちらの世界」に通じるものがあるかもしれない。
政治、学問、そういった小難しい世界を「別世界」と認識してる人だって沢山いる。
その人たちにとっては、運用者も設計者も理論構築した学者も全て「あっちの世界」の住人だ。
そしてその「あっちの世界の人たち」が「安全だ」と言っていたはずの原発が事故を起こした。
そうすると「あっちの世界の人たち」に対する信用は失われる。
運用者への信頼も、設計者への信頼も、理論構築した学者先生への信頼も全て失われる。
それが「放射脳」だと罵られる人たちの今の状態だ。
その信用出来なくなった「あっちの世界の人たち」が「この野菜は原発と同じ県で採れたけど安全です」といくら必死に説明しても無駄だ。
そう簡単に信用し直すことなんてできない。だって以前にその口から発せられた「安全」は嘘だったから。
「うちらの世界」の住人からしてみればオオカミ少年が必死に助けを求めているように見えているんではなかろうか?
「何言ってんだよお前、この間嘘ついたばっかりじゃねぇか」って思うんではないだろうか?
そういう人たちに一朝一夕に信用してもらおうってのがそもそもの間違いだと思う。
信用できる人たちが黙って信用してあげればいいんだよ。
「放射脳」といくら蔑んだところで、北風と太陽の北風と同じだ。それはどんどん「うちらの世界」の人たちの
態度を硬化させ、信用回復を遅らせるだろう。
じゃあ、その信用を回復するにはどうすればいちばん早いのか?
でも、「あっちの世界の人たち」はそれが無理であることも分かっている。
かといって、地道に信頼回復を待ってもいられない。