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はてなキーワード: シャッターとは

2018-04-22

あと30年

ごめんなさいね奴隷がお寝坊して。

今日洗濯物が少ないのでお寝坊していいかなって思ったけど

電話が掛かってきたので起きざるを得ませんでいた。

何時だと思ってるの?

どうやら奴隷洗濯をしないこと。窓のシャッターを開けない事に怒った様です。

ごめんなさいね奴隷がお寝坊して。

ごめんなさいね。少ないなって思って勝手選択をしないでいいと思って。

ごめんなさいね

ごめんなさいね

これがあと30年続くのかと思うと気が長くなってしまう。

多分この生活が始まって5~10年だと思うけれども、あと30年だと思うととても長い。

最近、月日の流れの速さを感じたけど、とんでもない。

年月が経つのはとてつもなく遅い。

あと30年この生活が待っているし、それ以上に厳しくなるのだろう。

こういうことを表では言えないけれども早く死にたいな。

あと30年もこんな生活が起きるのかと思うとそれよりも先に死にたい

長生きなんかしたくない。

積極的自殺はしないけれども、消極的に死を望んでる。

いつだって望んでいます

愚痴ってごめんなさいね

動かなきゃ。怒られる前に働かなきゃいけないと思うけれども

一瞬たりともその姿を見たくもないし、声も聴きたくない。

誕生日なんて嬉しくもなんともないけれども

このカウントダウンが減っていくのだと思って喜ぼう。

さぁ、今日も一日働こう。

奴隷から

2018-04-09

彼女ポートレート写真を撮るのにオススメカメラを教えて下さい

eosmっていうキャノンミラーレス一眼は持っているんですが、

シャッターボタンを押してから1秒以上経過してから写真が撮られて不便で困ってます

2018-04-01

昨日の夜

ちょっと気がかりなことがあって、

ぼんやり家を出て家族との待ち合わせ場所に向かってたの

考えても仕方ないことだよなあ。とかいいきかせて、

1歩1歩あるいてたら、

すみませーん、写真撮ってください☆

近所のレストラン結婚式二次会終わりの新郎新婦とおそらく幹事のみなさんがいてさ。

もちろん!よろこんで!

と、スマホを借りて、

じゃーとりまーす

男性のひとりが

せーの、だっちゅーの

笑ってシャッターボタン押せなかったし、

それでまたみんなが笑うし。

おめでとうございます

新郎新婦に言いながらスマホ返して、

横断歩道わたってちょっと振り返ったらまだレストランの前でみんな笑い合ってた。

薄く風がふいて、満月だった。わたしはやっぱり幸運だとおもった。

……

閑話休題

気がかりな事は、

夫が風俗にいってること。

それはいいとしても顔面騎乗の店

というのが、かなり無理で

もう、顔がまともに見れない。

性癖かに差別的気持ち自分にもあったんだな。

2018-03-23

自宅に何台も防犯カメラをつけている人が近所に住んでいる。

どうも毎日防犯カメラ映像をチェックしているようで、何かあるとすぐ近隣の家に怒鳴り込む。

女子供がいる時間のみを狙って中年男性が凄みをきかせた声で怒鳴り込んでくる。

ただ、恐喝にならないように使う言葉は気をつけている。

防犯カメラは近隣の家のリビングや台所、玄関を向いている。

抗議しても無駄だと皆諦めたので、家を買ってからリビングシャッターを開けない人、自宅台所の前に高く塀を作った人などいる。

うちは玄関に向いているが、場所が悪く、塀などの自衛ができない。

2018-03-17

anond:20180314232313

大東建託の1階に住んでたときは窓にシャッターついてた。

それ下ろしたら100%完全に遮光出来るんで良かったよ。

2018-03-15

観光地で人が写ってない写真を撮ってる人って

良好会社の人もどこかの誰かも累計何億枚撮影されてるんじゃないのか

なんの意味があってシャッターを押すの

2018-03-12

麻生さんの会見の動画を見たけど

シャッター音がうるさくて声が聞こえにくかった。

記者プロのくせにシャッター音をoffにする裏技しらないんだな。

あと代表記者マイクを何本も束ねて両手で持ってたけど、一本でインタビューしてほかのマスコミには音声データメールオクレバいいじゃん。

もっとpcリテラシーたかめて欲しい。

2018-02-14

誰も作ってないけど、やりたいゲーム

ある?

私は、そのままVRに入り込んじゃうようなやつ。

忍者みたいに建物駆け上ったり、ぴょンぴょン飛んで敵から逃げたりしたい。

スマホとかだったら持った手の加速度を利用してできそうとか思ったけど

両手両足に何かつけないといけないから無理か。

先日みた夢が忍者みたいなやつだった。

アントニーみたいな黒人研究所に向かってきて、特定キーワードだけ何を言っているかからなかった。

すみません!助けてください!○×※◆で△×○○なんです!」、みたいな意味不明ワードになってた。

ヤバイやつを助けたらこっちも危ないということで「どういう意味?状況を教えて」と聞いていると

研究所シャッターを開け、黒尽くめの集団を指差した。

黒尽くめの集団気づきこちらに向かってきてアントニーが捕まった。

捕まった後腕をひねりあげ正座させられていて「あぁ、これは腕を折られるな」と思った。

その時の研究所空気。「こいつ売りやがった」という感じがとても嫌で

博士と二人で逃げ出した。何故か自転車を漕いでた。(有吉自転車をこぎまくる番組見た影響だと思う)

黒尽くめの集団から逃げて色んなところに駆け込むが、

知らぬ間に近くに居たりする。途中で自転車を乗り捨て、

パルクールみたいに建物忍者のように走り回ってた。

怖かったけど楽しかった。

体感できるなら、このゲームやってみたい。

anond:20180214111806

そうだよなw

文化シャッター → モデル体型が良いと思われガリガリに痩せるよな

IBM? →BMIにあわせておけば良いんだよ!!

という内容かと思った。

2018-02-13

文化シャッターが悪い?IBMが悪い?

この界隈って、IT関係の人が多いから、どうしても目線がそっちになるので、

「どうせ顧客が今までと同じにしろ」とか「無理な要求したんだろ」とかの

コメントが多いが、自分は少し違う。

自分も一応エンジニアという職について、上流の仕事をしているが、

この案件あくまで外側から見る限りIBMに落ち度がありそうな気がしてならない。

 

なぜなら自分たちRFPを作って、自分たちで開発しているからだ。

RFPを作っている段階である程度開発の提案の形は見えていたはず。

RFPを作る段階で最上流の要件定義ができるはず。それが全くなされていない。

要求の変更が多かった。とあるが、その時点で最上流のRFPの失敗だし、

その責任IBMにないとは到底思えない。

 

RFP顧客と一緒に作っていくものだ、顧客が丸投げであるのなら、

顧客システム開発に対する意識をこの段階で変えなければいけないし、

啓蒙をしていかなければいけない。

システム刷新業務全体の刷新なのだということに。

だが、それを怠り、言われたままのRFPを作り、何とかできる形で、

作り上げ、RFPを作っていたコネクションでそのまま受注し、

後は開発部門エイヤ!っと丸投げたら、それは失敗するに決まっている。

逆に顧客システム開発に対する認識ギャップRFPの段階で埋められないなら、

その案件下りるべきなのだ

 

赤字が出るとわかっているプロジェクトなのだから

だが、IBMは受けた。受けた以上QCD責任をもたなければならないし、

それが履行されなかったのだから損害賠償は当然となる気もする。

 

だが、一方で、顧客はどうだったんだろう?

IBMがもしそういった働きかけをしていたとしたら、それにどれくらい応じれたのだろう?

システム刷新に対して業務が変わることを極端恐れ、RFPから多くの変更を

強いる形になっていなかったか

そういうところはこれから明らかにしていく必要がありそうではある。

 

だが、現時点ではIBM側に何等かの落ち度があったことは否めないと個人的には感じている。

2018-02-12

生きていく力が失われてしまった

今まで頑張って働いてきたけど転職で失敗し鬱→今短期派遣でなんとか食いつないできたけどそれもままならない体調と精神状態でこの先どう生きていいのかわからない。

自分が悪くて、合わない人がいる職場適当に合わせてやり過ごすということができなくて、わかってるんだけど「この人合わないな」と思うとシャッター下りるように思考身体も動かなくなってしまう。

与えられた仕事だけをやるような短期派遣を選んだはずなのに、そういうところほどブラックが多くて短期派遣で補える仕事内容ではなく余計に自身悪化させてしまった。

先に言ったように転職に失敗しているので雇用保険傷病手当ももらえず、撤退の時期を見誤ると本当に打つ手がないんだなと実感した。

なんだかとても焦って自分を追い込みすぎて自滅した3年間だった。

いや、自滅が自分に相応しい結果なのかもしれない。

普通に働いてご飯が食べれれば、それでいいんだけどな。

そんなこともできない自分が情けない。

みんな勤続10何年とかすごいと思うよ。

若かったらまだなんとかなったかもしれないけど、流石にこの歳だとどうしようもなさそう。

普通に暮らしたかったなぁ

2018-02-11

の子育てを見ていて気持ち悪いと思った瞬間

・泣いている子どもシャッターチャンスとばかりにスマホ撮影する大人たち

子ども粗相おなら、うんち等)を小馬鹿にしたように笑う大人たち(「うんち出ちゃったんでちゅか~」的な)

・↑のようなことを食事中に平気で言う大人たち

ビールを指差しながら「これは大人ミルクでちゅよ~」って言う大人たち

・母方の親族の前では「母似な子ですね」と言い、父方の親族の前では「父似な子ですね」と言う八方美人大人たち

子どもの姿が見えなくなった瞬間ケンカを始める大人たち(戸を1枚しか隔ててないからその怒鳴り声聞こえてるでしょ)

大人って気持ち悪いや

2018-02-02

ダイナミックコードが忘れられない

私はそこらへんに転がってるような普通腐女子だ。

仲のいいリア友たちと、ツイッターリア友限定アカウントを使って、ソシャゲの話やらアニメ感想やらを仲間内でわいわい呟き、ふぁぼを飛ばしまくっている。

ダイナミックコードを見るきっかけは、鍵垢のリア友の「何このアニメちょっとからない。見てほしい」という呟きだった。



もともとダイナミックコードがやべぇアニメだということは知っていた。Why字路や車の天井から生えているシートベルトはあまりにも衝撃的だった。


ただ、それだけでは見ようという気にはならなかった。

リア友とのやり取りがなかったら今の私はいなかっただろう。







一話はニコニコで見た。




私がダイナミックコード一話を見たのはちょうど村祭り難民が発生しまくってた頃で、コメントにやたらと流れてくる"村祭り"が何なのかわからなかった(気になる人は検索してください)。





最初最後ツッコミ、偽フーガ、詫びヌードドラゴンボールみたいな靴、さっきまであったのに一瞬でなくなる木、アハ体験、そして案の定、追いピアノで笑い死んだ。





ライブシーンがとにかく酷くて(歌はめっちゃいい曲ばっかです)Live2Dみたいなモーションが曲の間に何回も何回も使いまわされる。本当に酷い。





セリフがやけに少なくて微妙に間が空いてなんだか怖かったし、ダイナミック構図(画面の半分以上が誰かの横顔で埋まる構図)や、場面が切り替わるときに必ず上にスライドし必ずエコーの効いたカメラシャッター音がするという、言っちゃ悪いけど適当なつくりであった。





このクオリティ最終話まで維持された。





極めつけに、一話でキャラが15人弱ぐらい出たにも関わらず、キャラ名前が1/10ぐらいしかからなかった。



一話はまだ笑えるシーンばっかりだったけど、個人的には本当に面白くない回もいくつかあった。



アニメは1クールで終わった。


多分、今まで行ったどんな2.5舞台よりも、どんなライブよりも、どんな映画よりもロスがでかい

すごく寂しい。


ニコニココメントを見ながら、毎週みんなで見てた感覚がとても心地よかった。





ダイナミックコードのOPの出だしに「僕のことすっかり忘れたのかい」という歌詞がある。




最終話OPに、「忘れらんねえよ」「ずっと覚えてるから」「絶対忘れたくない」といったようなコメント弾幕みたいになって流れてきた。



私もコメントネキ達と全く同じ気持ちだし、これからもきっとダイナミックコードのことが忘れられない。



こういうの書き慣れてないし多分伝わってないだろうけど、ダイナミックコードはみんなが一つになれるすごいアニメだった。


から、私と同じ気持ちの人がきっといるはずだ、と思って書き込んでみた。


もしもこの日記をここまで読んでいただいているなら、ダイナミックコードを見たことがある人も無い人も、よかったら一話を見にニコニコを開いてほしい。

2018-01-31

開店直前のコンビニ

本日開店だったコンビニの前を前日の夜に通りかかったら、警備員入り口の前にいた。

なぜだろうと思ったけれども、開店してしまえば24時間営業のため、閉店する事は想定しておらず、シャッターも無いため、

おそらく品物も搬入済みの開店直前に限定された対応なのだなと納得。

レアものを見れて良かったと思った。

anond:20180131215401

iPhoneでかけた月の写真撮ったよ!ちっさいしスローシャッターとかの高度な技使ってないけど

食が始まる前は満月だったのですごい!

2018-01-30

anond:20180130111205

ほんと、承認欲求お化けになる話よく聞くな。

褒められたいって気持ち理解できない。

同人二次創作なんて、自分萌えを吐き出して、それに共感してくれる人がいたら儲けもの、やったー赤字じゃないから次の本出せるー

以上の感想持ったことない。

感想がないと死ぬマンも周囲でよく見るし、twitterで絵をあげてもいいねがつかない、とか言う奴もよくいる。

全然意味分からんわ。認められたいが為にやるもんじゃないだろ二次創作なんて。

私はこういうのが尊いと思うんだけど、どうよ!と披露するのが同人誌だろうが。

ファンです!って言ってくれてる人は、自分ファンなのではない、原作の二人のファンなのだ。読む方も書く方も同じキャラを愛する同士でしかない。

ピコからシャッター前まで経験してるけど、ちやほやされたいとか思ったことないし、感想なんてゼロでも描き続ける。本当は感想なんてなくてもいい。買ってくれてるだけで、自分萌え共感してくれているのだと分かるから

単に手を動かし続けないと、萌え脳みそから溢れて死ぬ

2018-01-27

コインチェック社の記者会見を見た所感

記者質問対応に非常に不快感を感じた。

コインチェック社は確かに悪い。セキュリティが甘かった可能性がある(コールドウォレットマルチシグ等)。

だが、今回の記者会見はあまりにもコインチェック社に対する攻撃が強かった。

GOXられた客がキレているのはわかる。

しかし、記者がコインチェック社を責められる理由はない。記者事実のみを聞き出し、平等報道すべきである

無駄に、「セキュリティが甘かった」と言わせようとしたり、頭を下げる場面で多くシャッターを切ったりしている記者が多く非常に気分が悪かった。

決して記者が高位な存在でないことを認識していただきたい。

(的確な質問をされている一部の記者もおられましたが)

もう今の日本にはフェアな報道を行える機関はないのだろうか?

2018-01-22

昨日、パチンコ換金所シャッター閉まってた

パチンコで5000円程度の換金握り締め

換金所に向かった。

シャッター閉まってた。嫌がらせ?

二度見しても開くことは無い。

目の前に立ってもシャッターは上がらない。自動じゃない。

まさかの閉店ガラガラ!?と思ったが

パチ屋に戻り店員さんに聞いたら

「後日でも良いですよ^^」と言われた。

面倒だから来週換金するw

2018-01-21

商業になりつつある同人誌

時代の流れなんだろうが。

 

売れるためのレイアウト

こうすれば部数が上がった

 

などなどのまとめを最近よく見る

そりゃ売れないよりは売れたほうがいいからそうなんだけどね。

 

175といわれるジャンルジプシーや、限定商法などなど、ありとあらゆる手で売れようと宣伝する同人サークルの増えたこ

……ちがう。

戻ったのだ。

まだ同人世界税務署が気づかなかった時代

大手サークルは売り上げで売り子を引き連れ、海外旅行に行き、自分プロデュースビデオ!を出し、某大手サークルに至っては、二次創作本人の声優呼んでイベントしたりしていたあのとち狂った時代

ここまで騒がれていながらも一般世界ではまーったく知られていなかった時代

最近あの頃のことを思い出す

どのサークルもほっとけば売れはしたが、もっと売れよう売れようと必死だった

意味のない特殊紙で豪勢な本を出したりしていた

最近鬼太郎の再アニメとか、昔のリバイバルが増えたと話題だが、同人誌も一周回ってバブルのころに戻っている気がする

 

男性向け事情は知らないが、そんな中、女性向けサークルでいつも大手ジャンルで壁にいた漫画家さんが、どマイナージャンルにはまっていきなり消えたことがあった

最近コミケのWebカタログのせいで、ジャンルが変わろうがサークル名が変わろうが追いかけられてしまうので、新しいスペースに行ってみたら、いつもシャッター前だったサークルさんが島中で売っていて衝撃だった

買った本は、愛の感じられるいい話で、感動した

このサークルさん、おそらくうん百万円単位の売り上げを失ったはずなのに、それでも移ったんだなあ。

最近商業主義に染まりつつある同人界の中でも、こういうサークルさんがまだまだいるのだからそう捨てたものじゃないのかも

2018-01-16

新たな文章練習法について

 文章サボり過ぎている。頑張ろう。

 文章トレーニングのための新機軸練習方法を思いついた。まだ思いつきの域を出ていないとは思うが、それはどんなものかと言えば思いついた単語を片っ端から書くというものである。あるいは頭文字共通している単語を書きまくるというものである赤ちゃんあんこアンダンテアスキー、とかみたいにね。つまりそうやって適当単語を書きまくっている内に――つまり無秩序単語を書きまくっている内に――秩序のある文章を書きたいという純粋欲求が生まれてくることを狙った文章練習法なのである。訳分からんことを敢えて書きまくっていると勝手に訳の分かることを人間は書きたくなるのではないかと俺は思っているのである。どこかの作家が言っていたが「誰にでもできることから始めることで、より高度な行為可能になる」ということなのだ。思いついた単語を書き並べることは(殆ど)誰にだってできることである。だから、まずは誰にでもできることを行うのが肝要なのだ。俺はそう思う。


 例えば、今ここまで文章を書いたところで俺のモチベーションは随分と下がってきているのだけど、あんことかアンダンテとか有馬記念とかみたいな単語を並べることは当然できる。だからモチベーションアップを図ることができるのだ。多分。知らんけど。


 ここまで書いたところで更にモチベーションが低下してきた。それでもまだ例の文章練習法に頼る必要は無さそうである。このままとりあえず書き続けてみよう。それで、モチベーションが底をついたところで実際に例の文章練習法を試してみるのが良いかもしれない。とは言え一応文章を書き続けることが(今のところ)できているので、そう、今のところその文章練習法に頼る必要は無い。やったぜ。


 そろそろモチベーションが再び尽きかけてきた。いや、まだだ。まだ何とかなりそうだ。独り言のように何とかなりそう何とかなりそうと呟ける内はまだ何とかなるのだ。しかしそろそろ難しくなって来た感がある。というのもさっきから同じことの繰り返ししか書けていないかである。「そろそろモチベーションが尽きかけてきた」→「何とかなる何とかなる」的な。しかし先程の論法に従って言い換えてみれば次のようになるのかもしれない。「同じことを繰り返し書くことは誰にでもできる。だから、そうやって誰にでもできることをやっている内に、再びモチベーションが生まれてくる」と。そういうことなのかもしれない。書くことに迷ったらあんことかアンダンテとかアルゼンチンとかそういうことを書かずに、今まで書いたことを書写していくのがいいのかもしれない。その方が文章推敲にも役立ちそうな気がする。今にして思えば。


 例えば、今からこの直前の段落を俺は複写しようと思う。「そろそろモチベーションが再び尽きかけてきた。いや、まだだ。まだ何とかなりそうだ。しかしそろそろ難しくなって来た感がある。というのもさっきから同じことの繰り返ししか書けていないかである。」

 やはり同じことの繰り返しとは言え、何かを書いている分には脳の方でも「こいつ何か書いてんな」と反応している感がある。つまり、脳は割と鈍感なのかもしれない。同じことの繰り返しであれ複写であれ何であれ、ともかく何かを書いていれば「こいつ何か書いてんな」と脳は認識し、結果的に「何かを書く練習」になるのかもしれない。つまり文章技術一般を鍛えるための練習になるのかもしれない。人間の脳なんて基本的に騙し騙されなのだ適当文章を何度も何度も複写していれば、まるで新たな文章を五千文字書いているかのように脳は錯覚してくれるのだ。多分。知らんけど。実際知らんけど。そもそも練習になっとるのかどうか知らんけど。結局は脳の判断云々よりも人間が如何に新しいものを書こうとするかに文章価値根本存在しているのだとすれば、今俺が「脳は結構鈍感で勘違いする」とか言ってる傍からオリジナル文章を書きまくっているその意味もはっきりしてくるのかもしれない。しれない。よく分からないけど、多分そうなのかもしれない。

 というか今これだけ色々と文章を書けているのはひょっとしたら昼間に飲んだコーヒーに含まれカフェイン効能なのかもしれない。それだけのことなのかもしれない。しれない。よく分からない。でもそうかもしれない。何か結局同じことを繰り返し繰り返し書いてるだけにはなっていやしませんかね自分

 あいうえおあんこアンダンテ、秋、憧れ、有馬記念阿久津主税八段(将棋棋士)。


 以上の文章文字数は千八百文字程度である。こんなに書いたのに、普段目標としている千文字文章を二つ分弱書き終えた程度の文字数しか稼げていないことに愕然としている。やはり繰り返すしか無いのかもしれない。あるいはあ行の単語やか行の単語を並べていくしかないのかもしれない。


 ところで自分が何故このような文章練習法を思いついたかと言えば、それは安眠法の記事を読んだからなのだ。その安眠法は「連想式安眠法」と言って、先程述べていたような頭文字限定した単語を幾つも幾つも思い浮かぶ限りで頭の中で唱えていくという安眠法なのだが、これが中々人の脳の中にあるざわめきを抑える効果を持っているようで、つまりは実際安眠に役立つのである。で、俺もその安眠法のファンになってしまったのだが、しかし何度も何度も頭文字共通する単語を頭の中で唱え続けていると、今度は秩序だった文章を頭の中で唱えたい欲求が生まれてきたのである。この文章練習法は以上の体験を元に考案されている。どうだろう。結構この文章練習法良くないだろうか。実際相当文字数を稼げていると思うのだけど、でもやっぱりこれも昼間飲んだコーヒー純粋作用しているだけなのかもしれない。だってそんな簡単文章を大量に生産できるわけがないと思うのだ。今まで俺は文章をたくさん生み出すことが中々できないから焦ったり悩んだりしていたわけであって、それがこんな簡単方法によって改善するとしたらおかしいではないか、と心の一方では思っているのである。だから、どちらかと言えば自分自身の考案した練習法が功を奏したのではなく、昼間飲んだカフェイン所為と言ってしまう方が安心するのである。変な話だけど。

 基本的に俺という人間人生において空回りばかりをしており、自分の考案した方法が功を奏したことなど数える程も存在していないのだ。あるいは一つとして存在していないのだ、実数分からんけど俺本人の印象としては一つも存在していないと言いたいくらなのだ。だから、実際物事が功を奏したとはどうしても思いにくい、そう、「自分の手柄とは思いにくい症候群」が現れているのである。難儀なもんですね全く。ところでキーボードを叩き過ぎて段々指先が痛くなってきた。キーボードを叩くという実にヤワ運動が指先の神経を破壊したりするものなのかどうか俺には分からない。もしそんな事実存在するのであれば全国の小説家廃業しなければならなくなってしまう。だって彼らは日常的に三千文字とか四千文字文章を書きまくっているわけだから、つまりもしそんなペンだことかと同じキーボードだこ的な職業病存在するのだとすれば全国の作家及びキーボード日常的に使用する全ての職種の人々は皆等しく指先の神経破損症候群的な持病を抱えることになってしまうのであり、しかし世の中で生きていてもそんな持病の存在について耳にすることは殆ど無いことから、あるいはそんな持病は存在しないんじゃないかと思ったりもする。とは言え、俺のキーボードタイプする力は常人よりもやや強いのかもしれない。若干指先がひりひりし、指の第二関節が少しばかり痛む程度には俺のタイプチカラは強いのかもしれない。そもそも俺は小指を使わずタイピングを行う自己流の要矯正タイピング法に慣れ親しみすぎており、つまり他の人々よりも指の負担がやや多くなっている可能性があるのである。小指が本来受け取るはずであった負担を四本の指に分配してしまっている可能性があるのである。そう考えると俺だけがこの指先神経破損症候群的な症状に罹患してしまうとしても強ち想像力の枠外とは言いにくいのではなかろうか。


 こんなところでようやく文字数が三千文字を超えていった。とは言えまだ三千文字しか書いていないのかという感覚存在している。あるいは俺の考えた文章練習法のお陰ではなくカフェイン所為なのではないかという疑惑も依然として根強く存在し続けている。

 しかし今ふと思ったのだけれど、やはり効果的な練習法の条件の一つには、人間心理的ハードル技術的なハードルを落とすことが含まれるのかもしれない。あるいは技術的なハードル心理的ハードルを下げることを含む必要があるのかもしれない。だって幾ら効果的な練習法が存在したところで、それが技術ハードルおよび心理的ハードルをゴインゴインと引き上げてしまったら元の木阿弥で誰も挑戦しなくなってしまうことになるではないか。俺今正しいことを言ってる感覚がある。そう、「誰にでもできることから始めよう」作戦は実に正しいのである。例えば、カメラに習熟したいならシャッターを押しまくれば良い。シャッターを押すだけなら大概の人間にはできるからだ。バカチョンカメラとも言うではないか。誰でもちょんと押しさえすればカメラは大抵風景を切り取ってくれるものである。多分。もっと専門的でテクニカルな要素を持ったカメラ撮影があるのかもしれないけれど。

 ホラ見ろそんな注釈自分で付け始めることないのに自分からハードル高くしにいってんじゃねーかと思う。「もっと専門的でテクニカルな要素を持ったカメラ撮影があるのかもしれない」とか言い出しちゃうタイプ人間なのだ俺は。つまり自分心理的技術的なハードルをゴインゴインと上げてしまタイプ人間なのだ。俺は。そう考えるとやはり誰にでもできることをやることは、全くもって善なる練習法なのではないだろうか。だって俺がこういう性格しちゃってるもんだから、尚更その「バカチョンカメラ」式練習法が輝かしいものに感じられるのだ。つまり自分が書いた文章最初から書写したりとか、あるいは頭文字が「あ」で始まる単語を書きまくるとか、そういう「誰でもできること」がやっぱり大切なんではなかろうか。そんな気がどんどんとしてきた。ホラ、だって文章が目茶苦茶量産体制に入ってるのは、さっき自分心理的技術ハードルを落としたからではなかろうか? そう考える傍から「いやいやカフェイン所為でしょそれ」的な思念が浮かんできてしまうのだが、これは良くないことなのかもしれない。しれない。分からない。小麦粉か何かだ。古いねこのネタ。正直昔このネタ聞いてもあんまり面白いとは思わなかった。恐らくこのネタ楽しいと思うにはそれまでラーメンズが演じてきた演目に対する知識必要になるのではなかろうか。なかろうか。俺、さっきから「なかろうか」とか「かもしれない」的なことを書きまくってるけど、それは俺の中にある自分が書くものに対する不安の念の現れなのかもしれない。現れなのではなかろうか。しれない。かもしれない。分からない。小麦粉か何かだ。


 ようやく四千五百文字を超えた。というか文章を書き始めてからこの辺りで既に四十分近くの時間が経過している。あっという間だ。今俺はライティングハイ的な状態になっているのだ。それがカフェイン所為なのか、あるいは俺の編み出した練習法により心理的技術的なハードルが下がった所為なのかは分からないが(その真偽は恐らく明日以降カフェイン摂取しない自分が自ずから証明してくれるであろう)、いや分からんね。そもそも自分が何を書こうとしてるのか分からんから必然的に「分からん」とか「知らない」とか「小麦粉か何かだ」的な記述が増えてきてしまうのです。


 ところでアレですよ、最近「なろう小説」というもの流行ってますよね。流行ってるんです。ええ。流行ってますとも。多分。知らんけど。

 この「なろう小説」の特徴としては、大体物語の冒頭で主人公が死んで転生するところから始まる。そして転生後の世界主人公稀有な才能を持った偉人として君臨することになる。そういう筋書きが殆どなのだ。この呼称はどのように生まれたかと言えば(アノニマスダイアリーに生息する御仁達には説明不要かもしれないが)この小説ジャンルは「小説家になろう」という小説系の投稿サイトで幅を利かせたジャンルなので、「なろう系小説」とか「なろう小説」といった呼称をされているのだ。説明すればするほど醜悪まりない作法によって書かれた小説ジャンルだと思うが、中には面白い作品もあって、個人的には「異世界料理道」なるタイトル作品推しておきたい。これはもう既に商業デビューを果たした作品であり、商業デビューするだけのことはあって世界観の組み立てやストーリーテリングが非常に上手い小説なのだ。二百話近くあるエピソードの半分以上を読んでしまったくらいだ。

 で、俺が言いたいのはそういう稀有面白さを持った小説に対する賛辞ではなくて、その「なろう系小説」を書いている人間文章生産能力に対する賛辞なのだ。俺はプロになる為には一日最低三千文字から四千文字文章生産する能力を持たなければならないと思っているが、いわゆる「なろう系」の小説を書く人間の中には一日に一万文字とか二万文字を平気で書き上げる人間ゴロゴロしていると言うのだから驚きである。一日二万文字と言えば、速筆で知られたか西尾維新氏が、それくらいの文章生産能力の持ち主だったかもしれない。しかし俺だってカフェインブースト心理的技術ハードルを下げる効果的な練習法さえあればそれぐらいの量の文章を書くことなんてお茶の子さいさいだぜと言いたくなってくる。実際そろそろ五千文字突破して六千文字に迫るか追い抜くかをしているところだと思うが、あ、そろそろキツくなってきたかもしれない。いやしかし「キツい」キツいと繰り返している内はまだ大丈夫だと先程言ったばかりである。これもまた繰り返している。繰り返し。繰り返し、リピートリピート。繰り返すことが人間心理的ハードル技術的なハードルを下げ、人間効果的な文章トレーニング提供することになるのだ。多分。でも一応今日はこの辺にしておこう。

2018-01-01

嫌いな人がいるか悪口を書く。

嫌いっていうか自分の癪に触る、どうしても好きになれない人物がいる。

その人物の特徴

感情的ポエムツイート

自分スタイルはこうであり、それを認めない人物を毛嫌いしているところ。認めてくれる人物に対してデレデレなところ。

自分が最大限の力を発揮できないのは環境のせいとしていること。

・でも周りの人の支えで私は今生きてるありがとう卍って言うところ。(周りの人はあなた環境の一つじゃないの?環境非難しておきながらそう言うことを周囲の人はよく思わないんじゃないの?)

自分作品(写真)のいいねの数、反応の多さに敏感なところ。

・忙しいアピールをするところ。

熟語を多用するところ(「刹那」「繊細」「希望」「瞬間」など)

書いてみて思ったが、様々な事柄に対して気にしない(ふりしてる)けど自尊感情高い、承認欲級の塊、構ってちゃんな点を感じさせる点が私が嫌いなところであると分かった。

芸術家気取りで自分には実力があると確信していそうなんだその人物は。

と、ここまで書いてきて気付いたのは、

◯◯そうな印象を与えてくる彼女が嫌い。

うんこれ、私の受け取り方の問題であった。

私自身、彼女と同じ趣味を持ち、感覚的に良いと思った作品(写真)をSNSにあげている。自分写真コメントがついたり、反応数が多いと少し嬉しくなるものだ。

彼女が関連ユーザーの欄に現れて興味本位で見てみたとき、私と同じ趣味、そして、「ポエムと一緒に投稿する写真に惹かれない。自分シャッターを押すのは押したい特別な瞬間にだけ。」といった彼女写真に対する価値観を目にして興味を持った。

…それってなんか…何枚も写真を撮り、それらを厳選し、一言添えて投稿する私のことを非難している?という思いが芽生えた。素直に馬鹿にされたと感じた。

自分大事な一瞬を切り取って投稿している。その辺の軽い思いの写真と一緒にしないでほしい」

という彼女が浮かんできて、なんだか彼女のことが嫌になった。

嫌なのになぜ彼女価値観が丸ごと詰まったSNSを見てしまうのか。

彼女に負けたくないと思う気持ちがあるからなのだと思う。自分自身感情に走り、日常でいい対応が出来ない経験が今までに何度もあった。それでも人に迷惑はかけまいと、感情を抑える方法を見つけながら、自分なりの対処法、処世術は身につけてきたと思う。

彼女とは高校が一緒だった。(そこまで話す中ではなかったが、彼女はよく人前で泣いていたので印象的だった。)

高校卒業をして2年も経ってはいないが、大学という環境に身を置いた私たちはある程度のカタチとして大人になったと思っていた。

でも、彼女まだ子ものままだった。子どものままに見えた。彼女が発信しているものを見ると。

大人じゃない彼女を私は見下したいのだと思う。

そして、私の方が優れているんだという確信自分の中に持ちたがっているのだと思う。

私が最も嫌いな人物に、私がなっていくというのが今後の恐怖でしかない。

人は私のことを「悪口言わないね。なんか不満あるでしょ?」とか「なんでそんなに優しいの?」というが、全くもってそれを否定したい。外から見た自分と内から見た自分ギャップの影響が怖い

今年成人式を迎えるにあたって、なんとなく自分の中で整理したくて一気に書いてみました。

多分同窓会でその子のことを過剰に気にしてしまうんだろうなあと思います

瞬間とか刹那とかちょっと聞こえのいい感じの言葉使いやがって…おめえは毎秒の世界で生きてんのか?

頑張って悪口言いました。

変な文でごめんなさい

2017-12-28

コミケ初めていく人にアドバイスしま

冬コミの忘れがちな注意点

ものすごく寒い→恐らく行ってみるとわかるが、思っている以上に寒い絶対マフラーを忘れずに。5枚くらい重ね着しよう

トイレ→とんでもなく並ぶことになるので、6時以降くらいから並ぶ人はトイレに行かない覚悟で、前日夜から水を控えよう。水なんて飲まなくても冬なんだから大丈夫

優先順位→全部のサークル回れると思うな。フォロワー5桁後半~6桁レベルシャッター前)なら1時間、5桁前半レベルなら15分~30分くらいは食われると思え。沢山サークルを回る人は優先順位をつけよう。


良いオタクライフを。

2017-12-26

電線エヴァ庵野宮沢賢治

日本アニメではなぜ徹底的に電線が描かれるのか?を海外メディアが推察

https://gigazine.net/news/20171225-why-anime-power-lines/


電線アニメ嚆矢エヴァである、という彼の推測は正しい。

アニメにおいて背景・風景として電線描写されることはエヴァ以前からもちろんあった。

ドラえもんにおける空き地土管。高度成長で開発されゆく街。

サザエさんの板塀や引き戸日本家屋。三丁目付近夕陽

そういった時代記憶を引き写した風景の中であくまで添え物として、

あるいは便利なオブジェクトとして最低限の作画で描かれていたのが、電柱電線

鳥が電線にとまっている、ゲイラカイト電線にひっかかった、犬が電柱に小便、電柱に隠れて尾行

そこに電線電柱への愛着美学はない。


エヴァとは何か。

それは深夜アニメの祖である

エヴァの深夜再放送高視聴率深夜アニメパイロット版として働いた。

その後、エルフを狩る者たちから深夜アニメ放送歴史が幕開ける。

異様なこだわり作画作画崩壊との背中合わせも既にしてその内に秘めていながら自身夕方アニメ

一人のユダヤ教徒でありながら死して新しく宗教を作ったイエス福音だね。


そのこだわりの一つに電線がある。

電線、無くてもいいですよね、そこ描く手間と映す時間キャラに割きますよね普通

そうじゃないのが、庵野

ただの背景以上の電線

街並みのディテールアップに電線

シーンチェンジ電線

使徒で揺れるのはシャッター電線

2015年第3新東京市ツイッタラーは、揺れたら「電線」ってツイートするから

そう、1995年に描かれた20年先の近未来2015年日本を描いてあの電線

エヴァより先を生きている私達は知っている。

まだ相当に電線してる。


庵野特撮なのは言うまでもなく、電線特撮由来であろう。

怪獣スケールが合うのは高圧送電線の鉄塔、架線に接して火花散るインスタ映え

逃げ惑う地上から怪獣を見上げる時には電線

なんて、俺が語るより本人がいろいろ語ってるし。

庵野秀明世界トークショーレポート2回目 「電柱積極的に残すべきだ」「特撮もやりたい」

http://neweva.blog103.fc2.com/blog-entry-3368.html

庵野「同じ電柱はないんですよね CGコピペしても違和感がある ナナメになっているのもいい」

氷川エヴァ以降、電柱を描くアニメ作品も増えているが 垂直な電柱が多いですね」

庵野電柱に対して愛情が足りない 表層だけ真似ても魂が入らない」


さて、庵野最新作といえば『シン・ゴジラ』。

冒頭の無人漂流船内に残されていた本は、宮沢賢治の『春と修羅』。

「わたくしといふ現象は假定された有機交流電燈のひとつの青い照明です」

そう、交流こそが真の天才発明。なのになぜ直流電気自動車

注文の多い料理店』所収の「月夜のでんしんばしら」も電柱モノのハシリである

戦前宮沢賢治時代から電柱風景とともに日本はあった。

文明開化で産まれた、すき焼きカレーライスあんパン現代日本食文化であると言えるならば

現代日本原風景電柱と言うのは過言ではない。

日本最後電気が来たのは宮沢賢治故郷岩手の「タイマグラ」。

開通はなんと1988年12月

電信テレグラムの「でんしんばしら」から電話電気USEN光通信

時代が変わり載せるものが変わっても STAND BY ME 電柱

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