はてなキーワード: シャッターとは
グリッドマンが実体化できるという事で、舞台は電脳世界とみてよさそうだ。
彼らは現実世界に物理的実体を持つ人間なのだろうか?それとも、疑似人格的なプログラムなのだろうか?
仮想世界の存在する理由によっては、グリッドマンを取り巻く善悪の事情は全く変わってくる。
ところで、3話でグリッドマン敗北後も世界が復元している事から、復元は仮想世界自体の機能もしくはアレクシスが行っているのだろうか?
グリッドマンは仮想世界の秩序を守るように戦っている。つまり、仮想世界の運営寄りの勢力と言えるはず。
一方でアレクシスも仮想世界のホストであるかのように来訪者(グリッドマン)を "お客様" と呼んでいる。
しかし、アレクシス&アカネが仮想世界のホスト側であるなら自ら世界を破壊する理由がわからない。
そもそもアレクシス&アカネは仮想世界をどうしたいのだろうか?
単に破壊し、支配したいのだとして、物語開始前(つまりグリッドマン到来以前)なら対抗勢力もなく、怪獣一匹で即時征服完了できそうなものだ。
怪獣を繰り出したのは第一話が最初という事は無いように思われるが、世界は、少なくともアカネの生活圏が支障なく維持される程度の小規模な被害しかこうむっていない。
3話でグリッドマン撃退後のアンチがそれ以上の破壊活動を行わなかった事から、アレクシス&アカネを放置したところで、案外大した危機は訪れないようにも思える。
グリッドマンのいう "迫っている危機" とは何なのだろう。そしてなぜ、グリッドマンは具体的な説明をしないのだろう。
※元々グリッドマンてそういうキャラだから、と言うのは置いておいて
主要キャラクターはトランスフォーマーのキャラになぞらえられているという。それも、善悪反転のパラレルワールドを描く「シャッタード・グラス」シリーズのキャラ。パッと見の善悪とは逆の真相が隠されている暗喩、と言う説も。
OPの歌詞には「君を退屈から救いに来たんだ」とある。が、その動機はアカネ&アレクシス陣営の方がしっくり来る。
「あの日の誓い」「教室で語った」など、一見すると第1話の展開を連想させるがこれはミスリーディングであり、「誓い」も「語った事」もアカネと別の誰か(EDから、中学時代の六花、とか)との出来事かも知れない。もしそうなら「僕らの世界」が「侵略」される意味が異なってくる。
EDは歌っているのはアカネという体で、本編とは異なりアカネと六花が仲良く絡んでいる場面が続く。制服も本編と異なり、冬服ないし中学時代の物のようだ。
アカネと六花の2ショットを単なる視聴者サービスではない、何らかの情報開示であるとすれば、アカネの行動原理に関する何らかの秘密が隠されていそうだ。
見えるというか「復活を待つつもりはない、田中琴葉というアイドルをミリオンライブから消し去るつもり」「琴葉ごと切り捨てようと」との論旨に沿わない多数の事実を意図的としか思えない規模で無視・誤認していることから煽り目的の創作。ミリシタに至ってはサービス開始時の代表者挨拶で触れている。
4thライブ
毎回コミケの時期になるとTwitterに現れるのが徹夜組に対して異様な敵愾心を見せる人たちなんですが、わたくしあれが理解できません。
なぜかというと、徹夜組よりもサークルチケット入場組のほうが確実に早く本を買えるからです。
よって真にヘイトをぶつけられるべきはサーチケ入場組であって、徹夜組ではないと思います。
いや徹夜組が許されるわけではありませんが、ぶつけられるヘイトの量はサーチケ入場組>徹夜組であるべきです。
1. 徹夜組対策でスタッフが多大な労力を割かれてるという理論。
それはそうかも知れませんが、同時に準備会はサーチケ入場+フライング行列を認めるという対応をとることによって館内整理の手間を削減しています。
というのは、20年くらいまでは、サーチケ入場者の列形成って認められてなかったんです。スタッフは入場者が列を作らないように散らしていました。
ところがいつからか、散らすことをしなくなったばかりか、サークル入場時間と同時の列形成は事実上認められています。
列作成時にスタッフが誘導・列圧縮を行っており、そればかりかシャッターから外に出るときには「このサークル行きたい人はこっち」と分割列作成誘導までしてくれます。
これは事故防止という観点からやむを得ない処置なのかもしれませんが、これは徹夜対策に人員を割くのと同じ理論であり、事実上の黙認です。
2. サークル参加した経験があり、かつ自分たちのサークル(3人まで)の誰かをファンネルに飛ばした経験のある人に、徹夜組をディスる資格はありません。
ファンネル飛ばすのは結構ですが、だったら徹夜組にも文句言わないでください。というかなんで徹夜組をディスる必要がありますか?
あなたがたは徹夜組よりよほど勝ち組ですし、負け組のことを考える必要などないはずです。
3. 一般参加者でかつルール内で定められた時間以降に来場しているという方には、徹夜組をディスる資格があります。
ただし、徹夜組よりサーチケ組のほうがよほど甘い汁を吸っていますので、サーチケ組をディスったほうが生産的です。
以上がわたくしの見解なんですが、わたくしスタッフやったことがないんで、スタッフの方で「それはちげーよおめー」というのがあったら教えてください。
😺こんにちはー。
折角だから2人並んでうしろのコーヒーショップのカウンターも写しておきたくて
当時はスマホがなかったんで、カメラを渡してシャッターを押してもらったんですが、
私と友人2人の後ろに、そこの近くの大学生たちが4-5人?がまるで集合写真みたいに
私と友人がしてたピースサインを一緒にしてて、
これじゃ私ら、まるで旅の女の子2人じゃなくて
留学生じゃん!!みたいなのが撮れてました。
まるでゼミの合宿か、学校のあとにコーヒーショップにみんなで来ました風の
たぶんシャッター押してくれたのが地元の学校の子で、その仲間たちが後ろで
(ぜんぜん知らない人たちなんだけどね!)
或る意味良い思い出になりましたよー。
その考えはそれはそれで正しいと思う。私は写真が趣味なので、旅行などは一眼レフ背負って行くけど、そうすると旅の目的が写真撮影になってしまい、現場の雰囲気を本当に味わえているのか疑問だ。昨日は花火の写真を撮りに行ったけど、カメラの設定とか何秒シャッターを切るかとかそんなことばかり気になって、本当に花火を楽しめたかは分からない。
むしろスマホでしか写真撮らないのに、絶景スポットとかでしゃかりきに自撮りしている連中を見ると「あんたたちどうしたいの?」と思う。スマホはお手軽に写真を撮って「こんなところに行ったよ」とSNSなどで他人に自慢するには良いツールだと思うけど、写真を重視するならもっと良いカメラ使えよと思うし、そうでなければしゃかりきに写真撮るより現場を楽しめよと思う。
というかその同人誌の必要経費さっぴいたら大した売り上げはない気がするんだけどそこのところ完全に無視してないかな…
同人で儲けるという話になると毎度毎度売上と利益ごっちゃにされてると思うわ
元増田妻の20ページの同人誌なんかせいぜいワンコインまででしょ
シャッター前クラスで2000部売って100万の売り上げがあったとしてその100万の売り上げから必要経費(印刷代・サークル参加費・交通費・売り子への謝礼など)引いてどれだけ残るのかって話
数ヶ月で書き上げた、というけどその数か月の時給換算してみたらいいんじゃない?
ちなみにいまどきSNSでの宣伝皆無でポッと出のサークルが大人気!なんてことは普通にありえないからTwitterで落書き的な絵を定期的にアップするとかpixivで作品を公開するとかいうのも全部稼働時間に含めると相当時給低くなる…
本業もちで趣味でやるなら黒字になってるだけで御の字だけど正直フリーランス在宅イラストレーターとして仕事するのと大差ないって状態だと思うわ
趣味でやってる人なら趣味だからノーカンで済むけど商売な視点から見ると労力とバックが見合ってないと思う
ありえそうなのが元増田には腕試しとか言ってるけど実際はガチで遅咲きのオタクになって趣味の時間を大っぴらに取るために仕事と言い訳している状態…かな?
まあどっちにしろ現状でも元増田の稼ぎがなきゃ成り立たないだろうし元増田レベルで専業同人しようとすると相当生活を犠牲にして発行ペースとページ数を上げなきゃいけないだろうから安心してればいいんじゃないの
もと南海の電車からホームに降り立つと、千頭駅にはたくさんの親子連れがいた。
妻と、4歳の娘と、1歳の息子と、チケットがとれてから、楽しみにしていたトーマスに会える日だ。
子供だけではなく、大人が見ても、このトーマスはテレビから飛び出した等身大のヒーローだ。大きさだけのハリボテではない。ホンモノなのだ。
トーマスの種車はC11-227。かつてはテレビドラマや映画で大活躍。裸の大将(雁之助の再放送)をよく追いかけていたのを覚えている。
正面にはトーマスの顔をつけ、ライトブルーに化粧をして、動輪までしっかりカラーリング。
大ベテランが子供の前で大活躍する姿をみて、Eテレの幼児番組、みいつけた!のワンワンと中のチョーさんを思い出してしまった。
千頭駅では機回りをした後で転車台で方向転換。ちゃんと顔を新金谷方面に向けるためだ。周りには子供も大人も集まっている。
転車台にのって、係員が人力で回すと、トーマスも汽笛を鳴らしてアピールする。
ぐるぐるっと向きをかえ、止まるかと思ったら、あれあれ、まさかのファイブフォーティ。魅せます、トーマス。一回転半まわって転換完了。
駅構内はイベント会場に整備され、パーシー、ヒロに、方向転換を終えたトーマスが並ぶと、地方私鉄の構内とは思えない華やかさになった。
トーマスの汽笛に合わせて、他の列車も汽笛を鳴らす。効果音ではない。本物だ。
新金谷駅の売店で買ったお弁当をベンチで広げ、子供たちの声を聞きながらお昼ご飯を食べる。ホームに入る風は山岳ローカル駅の風だ。
ただ、駅全体に子供の声があふれている。混んではいるが、人道的な混み方だ。ちょっと並べば、トーマスの前で写真も撮れる。
トーマスは発車直前まで写真撮影に応じている。煙突からは煙が出ている。発車が近くなると、黒い煙が増えてきた。
小型タンク機関車とはいえ、1,600mmの動輪径は子供の身長の倍。ホンモノのトーマスは、車輪の大きさも圧倒的だ。
みんなが並んでいるその前を再びゆっくり走り出し、再び客車に連結。
鉄道界の老老介護、最後尾の補機、電気機関車E10-2に感謝の黙礼をする。
そして、7輌の客車なかほどのスハフに乗り込む。
青いモケットのボックスシートに、トーマスのシートカバー。そして、所々にJNRマーク。
娘は、窓が開く、扇風機があると大喜び。昔はみんなこれだったと喉まで出かかったが、トーマス号とは関係の無いこと。
千頭駅から新金谷駅まで1時間強。途中の鉄橋や通過駅ではみんなに手を振ってもらえる。
特急となっているが途中の駅に止まらないだけで、各駅停車の電車と所要時間はほぼ一緒、のんびり走るのだ。
だから、手を振ってくれる人の顔がよく見える。子供はもちろん、大人も年寄りも、みんな笑顔だ。
白レンズを構えたおじさんもお兄さんも、客車が通過するころにはシャッターチャンスはすぎたとみえ、ニコニコしながら手を振る。
本命はこの後のC56-44かもしれないけど。
大井川にかかる鉄橋は見晴らしも良く、遠くから手を振る人もみえる。
吊り橋の上から手を振ってくれる人もいる。
茶畑のおばさんも手を休めて両手を振っている。
新金谷駅に着くと、車両基地の機関庫に入っていくトーマスがみえた。
子供と近くまで歩いてみると、もと近鉄電車や他の蒸気機関車とならんで、トーマスがみえた。
写真教室で知り合った先生と個人的にやり取りをするようになり、色々教えてもらったり、機材購入時にはアドバイスをもらったりしていた。
最近、知り合いの経営するフォトスタジオが深刻な人手不足に陥り、私にカメラマンのピンチヒッターの話がきた。まだ具体的なことはひとつも決まっていなかったし、採用になるかどうかも分からない状態だったけれど、先生に少しだけ相談をした。
そうしたら、同業者とはもう付き合えない、ライバルだ、応援もしないと切り捨てられてしまった。インスタのフォローも外された。インスタに載っていた、先生が撮影した私の写真も削除されていた。
確かに私の考えが甘かった。先生以外の、ベテランのプロカメラマン何人かに褒められたりもして、調子に乗っていた。スタジオの話がきた時も、プロに可能性を見出されたと思って、浮ついていた。本業も別にあって専業で写真を撮ることができるわけでもないうえに、たかだか2年程度の経験で出来ることではなかったのだ。そのことについては、深く深く、反省している。
先生の写真が本当に好きだった。先生に写真の評価をもらいたくて必死で撮っていた。ひとりで写真を撮っていても、気持ちの上では先生と撮っているくらいの感覚でいた。先生ならどう切り取る、先生ならどこで、先生なら、と。こう書くとちょっと気持ち悪いかもしれないけれど、先生からもらえるSNSの「いいね」が、日々の生きがいとか、支えみたいになってたんだと思う。
私は主に家族のことで多くの悩みや迷いを抱えていて、世界は私の敵だくらいに思っていた。だけど写真を始めたら世界はあまりにも美しかった。何を見てもたいして感動なんかしなかった私が、見るものひとつひとつに感動しながら写真を撮っていた。生きるのが楽しくなった。周りにも、最近とても楽しそうだと言われて、自分の人生もそう悪くないと、少し思えるようになっていた。
もう先生は私の写真を見てくれない。私をモデルにして撮影した写真を削除したということは、顔を見るのも嫌だということなんだろう。
今でも綺麗な景色とか感動する場面に出くわしたら、写真が撮りたくなる。でも先生に見てもらえない写真を撮ることが悲しくて悲しくて、シャッターを切りながら涙が止まらない。先生を心の中に抱えながらじゃないと、撮れない。重いですね私。
先生は、スタジオの仕事を受けるなら、10年たったら来いと言っていた。いつか認められる日を目指して写真を撮り続けるべきなんだろうか。スタジオの仕事を受ける受けないに関わらず、もう謝ることすら許されない状況になってしまったけれど、写真を撮ることも含めて何もかも諦めるべきなんだろうか。
これは「キレイな写真を撮るためのテクニック」とかじゃない。単に「失敗した写真」を減らすための方法だ。
写真の失敗というのは、大きく分ければ
ほぼこの4つしかない。これさえ解消すれば、とりあえず写したいものがちゃんと写るようにはなる。それがイイ感じに写るかどうかはまた別の話だが。
現代のカメラはほぼ全部オートフォーカスだから、ちゃんとピントを合わせて、というかピントを合わせる箇所をカメラに指示してシャッターを切れば、かならずピントの合った写真が撮れる。逆に言えばピンボケになるのは、
のどれかだ。
このうち、4はレンズの問題だからどうしようもない。その距離でピントを合わせられるレンズを使うか、あるいはピントを合わせられる距離まで離れるしかない。
で、1〜3は、コンパクトデジカメやミラーレスカメラなら、ある機能で簡単に解決できる。それが「タッチシャッター」だ。
メーカーによって多少名前とか違うかも知れんが、要するにこれは「画面の中を直接タッチすると、その部分に自動でピントを合わせ、合った瞬間に自動でシャッターを切る」機能のことだ。お前がピントを合わせたい場所をタッチすれば、かならずその場所にピントが合った写真が撮れる。
まあタッチで指定できるのはある程度の「範囲」なので、その場所がちょっと入り組んでいる場合……たとえば手前にフェンスがあって、その向こうに花が咲いてて、その後ろに木の枝が見えている、とかだとフェンスにピントが合うか花に合うか枝に合うかわからないような場合もあるが、お前がピンボケ写真ばかり撮っているようなら、この機能は強力な味方になってくれるはずだ。
人はじっとしている時でも鼓動などに合わせ、わずかに揺れている。特に腕を空中で静止させておくのはかなり難しく、お前がカメラを手で支えて撮ろうとしているなら必然的にカメラは揺れ動く。
手ブレを防ぐための一番簡単な方法は、シャッタースピードを早くすることだ。どれぐらい早くすればブレずに済むかは写し方によるが、まあ大雑把な目安として言うなら、1/200〜1/400秒ぐらいの速さがあればまず手ブレは防げるはずだ。
しかし暗いところで撮影する場合などはもっと遅くしないと写せないことがある。そういう時はISO感度を上げろ。画質は荒れるが、ブレるよりはマシだ。
もしかしたらお前は、シャッタースピードの変え方もISO感度の変え方もわからないかも知れない。そういう奴は手ブレ補正を手に入れろ。もしくは三脚でも使ってカメラを固定しろ。
カメラの固定や手ブレ補正を使っても、被写体がぼやける場合がある。ピントが合っていて、背景はブレていなくても、被写体が激しく動いている場合はそれがブレとなって写る。
これはもう、シャッタースピードを早める以外の方法では防げない。
とはいえ、被写体が常にすごい速さで動き続けるわけでないのなら、動きがゆっくりになったり止まっているところをじっくり狙う手もある。
だいたいはカメラに任せておけばいい感じに撮ってくれるものだが、設定によっては撮ってみても暗くてなにも見えない場合がある。
暗く写るということは明るさが足りていないのだから、場を明るくするか、カメラがたくさんの光を取り込めるようにシャッターを長く開けておくか、感度を上げて無理やり明るくするしかない。
場を明るくすることができるなら話が早い。だが急に昼間になれと言っても仕方ないし、部屋が暗くても電灯を点けられない場合もある。よく使われるのはフラッシュだが、明るくできない場所では無闇に使わない方がいい。雰囲気ぶち壊しになったり他の客に迷惑をかけたり、色々あるからな。
じゃあどうすればいいかというと、手ブレの時と同様にISO感度を上げるか、手ブレとは逆にシャッタースピードを遅くすることで多くの光を当てて明るい写真にするかの二択になる。
だいたい予想できると思うが、シャッタースピードを遅くすると手ブレや被写体ブレが起きる。手ブレ補正か三脚を用意しろ。
あと、そろそろ観念してシャッタースピードの変え方とISO感度の変え方を覚えろ。
以上だ。要するに
できれば劇的に人生がマシになると思うんだよな。
まず「キモイ」を取ると「キモくなくて金が無いオッサン」になる。
地元の工業高校卒の工場勤めや現場職のマイルドヤンキーなどがこの人種だろう。
金は無くともキモくないのでとりあえず適齢期前後で嫁は捕まえられる。
ダブルインカムで「金が無い」という問題はある程度カバーできる。
コミュ力も問題ないので旧来の友人や快活な同僚たちと狭く深く付き合うこともできる。
派手な暮らしはできないだろうが嫁と粛々と働くことで人並みの幸せは手に入れられるだろう。
ただし地方に蔓延するパチンコ沼や風俗沼に嵌ると生活が瓦解するので注意が必要。
次に「金が無い」を取ってみよう。
「キモくて金のあるオッサン」、中小企業の成金社長やB級病院長などだな。
このタイプは人格破綻しているパターンが大半だが、いかんせん金だけはある。
東南アジア出身の若くて可愛い娘を囲うなど醜悪な金の使い方をする。
ダサい高級セダンを乗り回し、コンクリ張りの要塞に住む。厳つい玄関に自動開閉シャッター、セコムのロゴ。
キモイので身の丈にあった幸せは掴めずに壮年期で悲惨な最期を迎えることが多い。
ただ金に物を言わせてやりたいことはすべてやるので案外楽しそうに暮らしている。人生に一片の悔いなしだろう。
そして「オッサン」、3つの要素のうちで最も重い十字架である。老いとは不可逆であるからだ。
「キモくて金が無い若者」、なんというありふれた響きだろう。こんなの理系界隈ならゴマンといる。
正直「若さの持つバイタリティーとポテンシャル」+「行動力」があれば「キモさ」も「金が無い」も超克できる。
KKO諸兄は若い時分にここに気が付けなかったからみっともないKKOに落ちぶれてしまったのだ。
ということでKKO予備軍の皆さんはKKのいずれかを全力で除去することに注力されたし。
体力・気力・精魂が残っていれば、の話だけどね。