はてなキーワード: WIN-WINとは
王様の耳はロバの耳的に、
増田に書いてみたくなった。
バレると怒られるかもしれないから、
(というか、俺が逆にやられたら怒ると思うから)
こっそりやってみてください。
何よりも、幹事になったということは、
集金も支払いも一手に引き受けることができるということ。
さらに、余ったお釣りは、次回のプールにするねーといってくすねると、
飲み会に参加するけど200円くらい儲かるぞ!
領収書欲しいって言う人いなければ、こっそり領収書GETもできる。
これも地味に美味しい。
勝手にラストオーダーとか言って、2次会に流して自分はサクッと帰る
なんてことも思いのままだ!
これぞまさにWIN-WIN。
以下TIPS
ドタキャン野郎が2〜3名も出ると、さくっと赤字になったりする。
そのためいくつかの方法を併用する。
・キャンセル率(5%程度)を想定して、リスクヘッジした金額を全参加者に乗せておく。
・料理のキャンセルができるタイミング以後のキャンセルは参加費を徴収すると事前にきちんと告知する。
・極限まで会場を席のみ予約+飲み放題という形で借りて、参加者数確定後に「料理を○万円分で○名分良い感じで」というお願いをする。
・日程調整
あとは、めんどくさいのが日程候補の設定。
キーパーソン(可愛い子、イケメン、場を盛り上げてくれるやつなど)に狙いをつけて
「誰が来るか」で参加率が大きく変わる。
逆にめんどくさそうな偉い人とかは
その人を呼ぶことがマストじゃなければ、ある程度、
その人来るだけで参加率が下がったり、ドタキャン率があがったりする。
・場所調整
これは、真剣度によるけど失敗できなければ「下見」しておくといい。
直接、飲みに来た客に対して、店は絶対に無下にできない。
例えば電話だと3500円からの食事コースしかないような場合も、
直接言って相談すれば2500円とかのコースも作ってもらえたりする。
・告知
告知するときは4000円の想定予算であれば、5000円とか高めで伝えておく。
人間は覚悟した金額より高いと、不満が残るが安ければ感謝される。
・早く帰る人対応
その人が飲み食べした想定金額+500〜1000円程度とっておく。
1000円ちょっとくらいなら2000円もらっておくみたいな。
お通しとかチャージ料とかメニューに載ってない金額がかかるリスクを
ちゃんと把握しておくこと。
人間も動物なので繁殖活動が必要だという遺伝子で動いています。
例えば花が時間の経過で知識を得て「なぜ受粉されないといけないのだろう」と思うようなことであなたの考えていることは無駄なことです。
しかしネットの発達によりSNSやそういうもので興味のないものも目に入り無駄な情報が入ることが多いため、自分の意思よりも周りの情報の速度の方が早く自身がついていけなくなってしまったが故そういう疑問にたどりつくのでしょう。
人の存在している定義など存在しませんし、人が人の為に社会を創りその中で生まれたのがあなたです。
この地球に生き物として人間として生まれてきたのであればそれだけの観察力があれば良くお分かりでしょうが、生き物の世界に競争も存在して当然であり多かれ少なかれ勝ち負けはあります。
恋愛に妬みを持つということはその妬みを負けだと思っていることに素直になるべきです。
その負けを認めずに否定することは悪いこととは思いませんが、絶対に勝ち負けは存在します。
あと特定の人間を好きになると他を除外と思っているようですが、それが正しいなら浮気や不倫は存在しません。
あなたが老後、一人で生きていけるだけの財産や人脈があるのなら生涯自身で生きていくのも悪くないと思います。
本題の付き合うということは何かということですが、一緒にいてステータスになる人であれ一緒にいて生涯すごせる安心感が感じれるであれ金銭面での安定の為に応援するであれ
個々がその人と関わっていて得だと思えばwin-winで良いのではないでしょうか?
はてブ テクノロジジャンル http://b.hatena.ne.jp/ctop/it
現在情報系学生で、よくはてブの「テクノロジ」記事一覧を見てるんだけど、
みたいな記事がランクインしているのを見るたびに、うんざりさせられる。
別に、個人のブログにそういう記事を載せることを否定するつもりはないし、そういうアフィリエイト関連の記事をまとめたジャンルがあれば、それはそれで大いに役立つような気がするんだけど、そういう記事が「テクノロジ」ジャンルとしてまとめられるのが非常に気に食わない。
個人的に「テクノロジ」ジャンルに対しては、例えば現場のエンジニアが書いたソフト開発手法に関する記事とか、フレームワークの評価とか、そういう真に「技術的な内容」の記事がピックアップされてくることを期待しているんだけどなあ。。。
(ブログ運営術みたいな記事は、現状のジャンル分けでも「テクノロジ」より「暮らし」のほうがしっくり来そうな気がするものだけど)
ブログ運営術みたいな話まで「テクノロジ」としてごちゃまぜにするのは、なんかものすごく違う気がする。「アフィリエイト運営戦略」みたいなジャンルを作ったほうが、テクノロジ系記事を期待する人にとっても、アフィリエイトで収入を得る人たちにとってもwin-winだと思う。
百理ある。
お互いがWINーWINになるような時にユーザー側として喜ぶのは分かる。
WIN-WINなんだからやれとユーザー側として提案するのも分かる。
だが運営も一緒に幸せだから素晴らしいねとかわざわざ言う奴はちょっと信用できない。
ユーザー側が損しているのに運営の都合で仕方ないとか言い出す奴は絶対に信用できない。
運営だって暇じゃないと言う奴もいるだろうがそういう奴は運営が24時間ずっと働いてるロボットだと思っているのだろうか。
中身が人間なら当然仕事以外の可処分時間もあるし、組織が人間の運営するものなら仕事中に他との兼ね合いで空白時間が生まれたりもする。
そういう時にステマ活動に手を出してないなんて保証がどこにあるのか。
そいつの言うこと全てを耳に入れる価値がないというだけの話だ。
無視は最も卑劣な行いだなんて口にするのはいつだって粋がってるか人の心が分からない構ってちゃんの小悪党どもだ、言葉を耳に入れる価値はない。
じゃあそういうのをどうすればいいか? と言えば、すごく現実的な話になるが社会的に監視するしかないのではないかと思う
例えばキュレーションサイトへのバッシングに対して、コミケや二次創作へに関しては極めて寛容な現状は矛盾している。同人作家や読者、二次創作に寛容な著作者などのマジョリティの利益のために、そうでないマイノリティの権利が捨て置かれる現状は看過できないと思っている。現に法に則って著作権者に問い合わせて許可を取ろうとする者がバッシングされるなど完全に倫理が崩壊している。
これだいぶ根が深い話だよ
CtoCサービスにおいて、黎明期に著作権侵害を放置することで伸びたサービスが有る
こういうサービスは、著作権侵害しちゃダメですよとか言いつつユーザーの行動を黙認することで一定の水準まで規模を拡大してきた
個人的に印象に残ってるのがimgur(http://imgur.com/)
世界的なアングラ画像うpろだだと思ってたら、一昨年に40億調達してる
彼らのスタンスは巧妙だ
著作権的にアウトだったり、エロ的にアウトな画像などは「通報されたら消す」「やるユーザーが悪い」というスタンスで
(ちなみにこれらのサービス、私は大好きだ)
それらを利用するのがキュレーションサービスを持っている企業だ
彼らはSNSなどにアカウントを作り、そこを通してサービス内のコンテンツを利用する
[コンテンツ] → [誰かがアップロード] → CtoCサービス → [解析用アカウント] → ぶっこ抜き → キュレーション(見せ方を工夫する) → ユーザー
著作権違反の責任を「アップロードした誰か」に全部かぶせることで、多くのサービスが成り立っている
既に上場しているキュレーションメディアでさえ、ほとんどこの手法を使っているか、過去に使っていたと思っていい
今回パレット側で画像ロンダが燃え始めたのはもちろん「誰かがアップロード」の部分を自分たちでやっていたからというのと
あくまでキュレーションというサービスがBtoC(B側はライターや編集者だけど)なので、批判されたときに「ユーザーを指導しておきます」などと言い訳できないからだ
でもじゃあこのCtoCサービスは問題ないの? と問われるともちろん問題ある
問題あるが、世界的な慣例で行われすぎて、誰が騒ごうがどうにもならないレベルにあると思う
それほどまでに彼ら泥棒サービスは成長してしまったし、コンテンツ業界としても「無視できないビジネスパートナー」になってしまった
今更「Youtubeは著作権侵害を助長している!」と声を荒げたところで株価に何ら影響すら無い
それどころかコンテンツプロバイダー側が「Youtubeが無くなったら困る」時代にすら突入している
パレットはそこら辺の根回しがお粗末だったと思う
コンテンツプロバイダーにとって利益になるなら、アングラ文化だったゲーム実況文化ですらあそこまで広がるのだ(とても意外だった)
もう既に「勝ち逃げした」憎いやつらへの感情は脇に置いておくとして(炎上したら皆で叩く)
これから立ち上がるサービスでも、まだまだそういったコンプライアンス的にアウトなものが多い理由もある
規制されていないとやったもん勝ちになる
キュレーションメディアも、襟を正そうとかじゃなく、もっと燃えないように巧妙にやることしか考えないはずだ
襟を正した瞬間他に負ける
一つは勝ち逃げした奴らがいること
彼らがペナルティを負ってないから「火の輪をくぐって逃げ切ったら勝ち」という考えが
もちろん焼け死んだらアウトなので、常に「超えちゃいけないライン」を必死になって模索している
welq騒動で他のキュレーションサービスがボーダーラインを変更してきたのもそういうアレだ
(※一応擁護すると、多くのベンチャーは何かしら社会的に価値あるテーマを取り扱っているが
それを成長させるためにどれだけ無茶をするか、という悩みを常に抱えていると思う。狂気は必要だが、やり過ぎると燃えると言う状態)
最後に、皆逸脱行為をしているせいでボーダーラインがわからなくなっているということ
著作権違反というのは、ユーザー個々としては楽しいので多くの人は批判しない
そのうちに、著作権リテラシーが低い人(IT業界、創作業界内にすら相当多い)は、ボーダーラインがわからなくなる
個人的に印象的なのがLGTMの文化だ(例:http://www.lgtm.in/ https://www.google.co.jp/search?q=LGTM&source=lnms&tbm=isch&sa=X)
プログラムの修正のレビューをしてもらった際、レビュアーが「いいと思うよ」という時に画像を用いてLGTM!と言う流行りがある(LGTM=Looks Good To Me)
その時使う画像やgifは、どこかからか拾ってきたもので、もちろんほぼ著作権無視だ
しかしこの文化はシリコンバレーから火がつき、今や多くの日本企業でも「素晴らしい文化だ」と受け入れられている
(※個人的な経験から言うと、法務部がきちんとあるような上場大企業では「普通にダメでしょ」という空気だったので、どこかにボーダーがありそう)
要はWeb系に居る、最先端のサービスを開発している人間や会社にとって、コンテンツの著作権とはその程度の認識なのだ
気にしているのはあくまで怒られるか、怒られないか、怒られたら致命的か、という点だ
(それらがどこに端を発しているか考えると、おそらくGoogleやOSSの思想に行き着くのだろうと予想している。
検索でいろんなコンテンツがヒットするようになってから、ボーダーラインはよくわからなくなった)
slackやskypeやその他のチャットシステム、あるいはSNSにURLを貼るとサムネイルが表示されるが
厳密に言えばあれもアウトだそうだ
皆それを知っているのだろうか
じゃあそういうのをどうすればいいか? と言えば、すごく現実的な話になるが社会的に監視するしかないのではないかと思う
そして法律が及ばない領域が確かにあるし、企業間でwin-winなら外野が怒ってもしょうがないという事情もある
もちろん全てを解決するシステムができれば、それが一番いいのだけれど(世界を敵に回しそう)
あとサービスプロバイダー側は、わざわざチキンレースするんじゃなくて、もう少し利害関係者の感情を考えたいよね
サービス提供というのは、個人的にはどれだけ関係者全員をハッピーにできるかというゲームだと思っている
極一部の利益とか、自分たちの利益ばかり追求しすぎると、いずれ誰かが地雷を踏んで燃えてしまう
しかもユーザーというのはいきなり炎上する「いきなりキレるような奴」だ
普段から市場の声を聞かないと、いきなりブスリと腹を刺されることになる
「他がやってるから大丈夫」は言い訳にできないというのも、今回の件で分かったはずだ
___
http://bylines.news.yahoo.co.jp/yoppy/20161209-00065195/
著作権ロンダで伸し上がったサービスが多くて、一つの勝ちパターンになっちゃってる問題
にしてもヨッピーはすごいなぁ
濃い。髪の毛より少し細いくらいのやつが1~2センチの長さでびっしり生えてる
手の甲も同、指毛は1センチくらい
いままでずっと別に気にしてなかったんだけど、なんか他の男の腕見たら全然生えてない人とかも結構いて、そういう人が俺の腕見たら引くのかなとか思ってしまった
少し刈ったりして処理したほうが良いんだろうか
禿げの人の頭皮と交換するとかできないんかね?
ただ意見を言える環境だからといって良くならないのはトランプの件でも分かる通り、
リベラル層の基礎教養が下がりすぎるとやばいっていうのは資本主義の一番大きなリスクだと思う
資本家・経営陣・政治家・投資家が民衆のために生活水準レベルを引き上げるための画策をして、
民衆はその見返りとして労働力を提供するっていうのが資本主義社会の健全なWin-Winの関係だったはずだが、
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
この「飴をくれる危険な大人」というイメージは、割と昔からあるようだ。
1968年製作の映画「チキ・チキ・バン・バン」では、とある悪役が子供をさらうために、餌としてアメを用いているシーンがある。
まあ、もっと探れば歴史がありそうだが、少なくとも「飴をくれる危険な大人」というイメージは、1968年あたりから既に確立されていたというのは確か、だというのが私の見解だ。
正しさというものは多側面から見ればいくらでもあるので、側面的に見なければ齟齬をきたすからさ。
恋愛工学とかで考えた方がいいことに数学を持ち出して、その数学的な正しさが破綻していなくても適切とはいえないだろう?
まあ、一つは「大義名分」だな。
だから、税を徴収したいとき、そういうものは増税の対象として都合がいいのさ。
まあもう一つの理由は、身も蓋もない言い方をすれば「それでも買う人がいる」からだな。
過去にも何度か増税があったが、今なお多くの人が愛用している。
つまり、たくさん税を手に入れられて国は喜ぶ、喫煙者や酒飲みの肩身が狭くなったとして善良な市民も喜ぶ。
Win-Winというわけさ。
レタスなどの店頭価格が、例年の2倍とか3倍とかになっています。
この価格は、どのように決まっているのでしょうか。
初めにことわっておくと、農産物の価格の決定権は、基本的に農家にはありません。
誰が決めているかと言うと、青果市場で農産物を買い付けるバイヤーの権利を持った人たちです。
(一般には仲卸とか言われますが、必ずしも仲卸とは限りません。所定の条件を満たせばバイヤーの権利は買う事が出来ます。ただしかなり高額です。)
、
値段が2倍になった、とかいうと、「供給が半分になったのか?」と思うかもしれませんが、多くの場合、そこまで供給は減っていません。
しかし、バイヤー達の買い付けノルマ(今日は最低でもこれだけは仕入れなくてはならないという量)の総量よりも、青果市場に出荷されている物量の方が少ないとなると、バイヤーどうしで争奪戦になります。いわゆる「せり上がる」ってやつです。
供給量が1割足りないだけで、価格が2倍ぐらいに跳ね上がる事もあります。つまり、農家にとっては、この状況はオイシイ。
逆に、生産過剰になると、卸値が半分になることがあります。どのぐらいの生産過剰で半値に下がるかと言うと、ほんの1割程度の過剰生産でそうなってしまうこともあります。
バイヤーがあせってせり落とさなくても、確実に自分の買い付けノルマを達成できそうだ、となると、値段がまったく「せり上がり」ません。
バイヤーとしては、仕入れ価格が下がっても、小売の値段はそこまでさげる必要は無いので、商売としてはオイシイわけです。
しかし、バイヤーとして新規に参入する人というのは、今どきそう多くはありません。そういう状況が長く続くと、バイヤー同士も顔見知りで仲良し、なんていう状況になります。そうすると、「逆談合」とでもいうべき状況が発生します。
入荷量と買い付け量がほぼトントンだったとしても、バイヤーどうしがみんなで共謀して、買い付けの値段を底値まで買いたたくのです。
バイヤーみんなで安く買えて、みんなでWin-Winです。農家にとってはたまったものではありませんが、それが今日の青果市場の日常だったのです。
そういう状況がもう何十年も続いてきました。そして農家は疲弊し、高齢者ばかりになってしまいました。
高齢になると、年金がもらえるので、農産物の利益が無くとも食べて行く事は出来ました。
しかしそういう高齢者も、いよいよ年を取って農業ができなくなりつつあります。ごく少数の若い農家に依存する状況に変化しつつあります。
このことは、覚えておいてください。
もし、レタスが今後、ずっと今ぐらいの値段だったなら、野菜工場も軌道にのるでしょうし、これから農業をはじめようとする人も、サラリーマンなみの収入を得て、地方が復活するかもしれません。
まぁ、きっとそうはならないのでしょうけど。
好きな時に好きな事適当にほざいてたいだけなんだよこっちは
いちいち繊細チンピラみたいな奴に気使ってオブラートに包んで書いてられんわ
ブコメの質が低下だの最近へンなのが増えてきただの自治厨気取ってる老害どもには
こっちだって見られたくねーんだよ
オレが非表示にしてもどーせ質の悪いブコメしてる奴らで一括りにしてグチャグチャ言い続けるんだろし
本人に見えない裏非表示リストつくってそこにこっちから突っ込めばいいだけなんだから
オレも気にせずブコメできるし
そして、そのサークルの数名に愚痴(あいつのこれが嫌い〜)をこぼしている。
間接的に知った「B」は、まったく悪くないのに謝罪して場を収めとようとした。
※サークルでしか会わない/話す機会がない(隣の部署にいてランチタイムに見かけて会釈する程度と思って頂ければ)
そして、いざ収める場を作ろうとしたら、面倒だと拒否された。
「B」としても、そこからへりくだってまでそのサークルに居る理由がないので、「じゃあ辞めます」と言った。
すると、取り巻きが「辞めなくても謝ればいいじゃん」と言い出した。
たがいにWin-Winなはずなのに、なぜか取り巻きはそれを認めない。
挙句の果てに「それ(辞めること)は子供のやること」と言い出した。
「Aサイド」の言ってる意味が解らないでしょ。
私はまったく分からん。
御所貝は貝と名前がついているが、軟体動物ではなく、腕足類の仲間である。
腕足類は翼型と形容される非対称の殻をもっており、
この殻で水流をコントロールすることでザコナメクジウオの死骸などの
水流の強さや餌にあわせて彼らの形状は最適化されており、
単体ではなく群生の相互作用によって水流を高度にコントロールしていた。
互いが互いの口元に水流を呼び込むことでWIN-WINの関係を築く、
長い箸でごちそうを食べる天国みたいな関係。そうして海底の「御所」を広げる
――と言えば聞こえはいいが、現実には複雑な自然を相手にしているゆえに、
位置によって得られる利益には格差があり、面倒くさい序列が存在していた。
新入りの御所貝は古参の御所貝に多くの栄養を提供しなければならず、次の新入りが来てやっと大きな利益が期待できる。
かくして不労所得を楽しんでいた御所貝たちは互いのコミュニケーションに消耗し、最大の利点を失った。
地軸が容易に横転する増田アースにありがちな環境の激変に対応しようにも、
自分たちの関係が第一に接する高コストの環境内環境になってしまっていた。
それが彼らの衰退の原因であったという。
「価値」とはなんでしょうか。
しかし前売りでのこのような市場にて飛び交う価格は、あくまでもタレント看板だけの「タレント価値(ネームバリュー)」であって、
有名著名タレントだからというだけに殆ど依存された状態にあります。実際の中身はここでは完全に度外視された状態にある・・
これが実に不透明であり、不安定であり、実態のない価格になる・・。
とある、何代にも渡り市場の中でステータスを確立して来た、Aという人気ベストセラー自動車が新型をリリースすることになったとします。
「今まで総じてよいデザインだったし、エンジンも作りも他より毎度抜きん出ていたから、今回も良いに違いないだろう」という前評判は生まれやすいでしょう。
これはいわゆる「期待値」。実車の写真やスペック等、メーカー発表も何もない状態の中、価格だけを先に発表。
それを受けて早くも市場にて、期待値のみで価格が変動、高騰していく・・
中身を全く把握されないのに、定価と過去の実績や経緯から生まれた「期待価格」だけで市場価格が先行していく・・こんなことはあり得ませんね。
ライヴに特化すれば、これがあり得るとし、事前にオークション販売にて価格が釣り上がって行くことが、果たして健全な商法なのか!?と。
「事前価値」はあくまでも「仮の価値」なわけです。決定価値ではない。
もし本当にオークション販売など主催者がやるとすれば、せめてゲネプロのプロモ映像やステージ写真等を参考資料として、事前に揃え明かさなければならないことになります。
ライヴとは、行って初めて分かる、「開けてビックリ玉手箱」の要素が本分でもありますから、それはそぐわない。
だからゆえ、プランに基づいた「制作費」を基礎に定価を定め、なるべく均等広範に売ることが結局はベターなのです。
「高額転売」のみに言及特化しようとするため、その手法のみに知恵を講じようとしますが、それ自体はよいとしても、
その有り様がライヴ興行のあり方や根本的構造、ひいては多くのファンの純然なものまで大きく揺さぶり変えるとすれば、
メリットに対してデメリットの方が勝ってしまう、ということでしょう。
よって、オークション販売などは多くのアーティスト側が望まないことは容易に想像がつきますし、
長いプロモーション活動の中に位置づけられるライヴを、点ではなく線で勘案しているアーティストサイドとしては、
このようなやり方は不健全であると認識するでしょう。無論、時として特別な企画を全面にし、このような方式がとられることは有り得るでしょうし、
またそのような他のアーティストとは一線を画した、特異なアーティストが現れることもあり得るでしょう。
そしてそのアーティストが独自手法で探求していくという活動を行うことも、それはそれとして構わないとは思いますが。
但し、後者の場合そうした「広範な音楽市場から分離した」、「二極化や孤立化された」状態で長く売っていくことはおそらく至難の業であり、
極々狭い領域と特定ファンだけしか対象にしないと端から決め打ちし、僅かの利益で細々と生きていくとするならそれでもいいでしょうが、
そう望むアーティスト等皆無に等しいでしょう。
ライヴにおける本当のWin-Winとは、グッズや付加要素で、小手先だけで埋めるのではなく、多くのファンが一律に目の前のステージにて
アーティストの価値を共有する、ライヴ自体の価値を共有する、そのボルテージや反応によって更にアーティストが昇華する・・
その場その時だけの特別な空間でボールを投げ受けし合う・・ものにも多少よるものの、そこが核であり、それをファンもアーティストも期待します。
その本分を中心に置けば、ファンが二極化してしまうような売り方は受け入れられない、となるでしょう。
なので、高額転売に対する方法論は、諸悪の根源とも言える手法を販売元が公式的に成り代わり行うことではなく、
本人確認等のテクニカルなものを探求し構築、法的な整備、そしてファン側のモラル・・多面的に、同時に回して機能させることが総体的な抑制となるってことでしょう。