はてなキーワード: WIN-WINとは
政治の世界って基本、自分に塁が及びそうになると、必ず他人や社会のせいにするよな。
将来が不安なのは他国の軍事力増強のせい(=他の集団のせい)。
保育園不足問題は地域住民が園児の声を騒音扱いするから(=社会のせい)。
不利益を他人や他集団に押し付けることで回ってるところもあるし、
結局、他人のせいにせずに努力しろ、と言ったところで、俺らがやれることと言ったら、
原発問題も、男女差別問題も、恋愛格差問題も、ブラックバイト問題も、
全部誰かが不利益を避けて、その不利益を誰かに押し付けているから起きてるんだよ。
そりゃそうだ。みんな仲良くし平和にWIN-WINなんてあり得ないものね。
Win-Winぽいが、どっちかというと、そう。女がやり手だった。
貧乳なのはただの事実である。カップサイズが物語っている。そんなことはどうでもいい。『だから』『似合うドレスがなかなかない』と言っている。
お前が乳にコンプレックスを持っていて「大丈夫だよ」と言われたいなら言ってやる、別にそれはいい。だが今は私の話だ。
貧乳という事実を「そんなことないよ」と否定して、で?どうするんだ。そこ否定したら似合うドレスが増えるのか。
違うだろ。
世のパーティドレスのほとんどは胸があった方が綺麗に見える。女性らしい膨らみを計算に入れて設計されている。
そんなのただの事実だ。いいと思う。私自身ドレスとはそういうものであるべきだと思っている。そこに憎いとか悔しいとかそういう感情はない。訂正、やや寂しい気持ちはあるものの。
私の胸が単純に既製品向けのサイズではないという、ただそれだけの事実を『述べている』。否定も肯定も求めていない。
確かに既製品では合わないというのはマイノリティである証拠であり逸脱した個性だ。特に劣化方向に逸脱したものは哀みが湧いてくるのも分からなくはない。
だが別に着られるものが皆無な訳ではない。この世で最も全ての人間に優しくあろうとするのがアパレル業界だと思う。ある基準以下の人間は裸でよろしいなどと切り捨てたりはしない。大変ありがたい。
だからどんな体型でも探せばある。ただ、少ない。
その事実をもってして、『購入を検討できるものが少ない』から『探すのが大変』であり、ギリギリでは間に合わないだろうから『前々から探してる』のである。そういう話をしてる。それに「大変だね」と共感してくれのであれば嬉しく、であるからこそその予定をあまり奪わないで欲しいと思う。
別に貧乳に限らず、フリーサイズではうまく収まらない体の部位を持つ全ての人々(無論巨乳を含む)が同じような事態に直面し、それぞれに対応しているだろう。根は同じである。
私個人は服屋へ赴く度に己の貧乳に向き合い悩むなど時間の無駄の極地であると思っているので、前提条件として受け入れておかないと話が始まらない。特に哀れまれるような悲しみを与えられた記憶もないのに、何故こうも尽く貧乳であることを哀れまれねばならないのか、憤懣やるかたない。
貧乳の話に関わらず、本人が気にしてないことを相手がコンプレックス扱いしてやるのは親切なのかどうなのか。大きなお世話じゃないのか。
一応善意は受け止めて「ありがとう」と言っておくけれど。思ってもないこと言うお前のストレスってどれくらい?win-winに対するlose-loseみたいな単語を心の底から掲げたくて仕方ない。
しかしこれ、私が言えば『ドレスが見つからないことに対する不満』100%だけど、普通サイズの胸の人が言ったら『優越感くすぐれ要望』(別名:謙遜)の場合もあって見分けつかないんだろうな。
というか多分事実を述べるような人より謙遜する人の方が多いんだろう。特にこういう反応返す人は。
でも、でもだ。割合の話ではなく、私を見て欲しい。よく見て欲しい。謙遜で済む話ではないだろう。否定してどうなる。何度でも言う。否定してどうなるって言うんだ。現実の話をさせろ。
そういう、謙遜に対して否定という形で優越感をくすぐってやるテンプレのせいですぐ「そんなことないよ」と言われてしまうのにイライラする。
そもそもへりくだった状態ではないし、話の腰を折られた意味も理解できない。
仮に説明しようとしたとしても途中経過で毎度「そんなことないよ」と言われるのだろうし(貧乳向けのドレスが少ないことに対して「そんなことないよ」と言うなら首都圏のドレスの入荷点数カップ別のデータ提示して欲しい、もしくは店舗教えろ)、そう想像すると更に苛立ちが増す。そんな非生産的なやり取りに時間や気力を割く未来を可能な限り避けたいのでやはり説明などという手段は選ばず、
「んーでも私が嫌なんだ」
という主観100%の感情論で終了させる事にしているんだけど。
毎度それだとそれはそれで向こうは相手にされてない感じがして嫌だろうなと思いはする。私に話す意味あるの?みたいな。
まぁ……ないといえばない、かな……。あえて言えば気持ちよく会話がしたい。
そもそも保育所に預ける必要があるような貧乏家族が都会に住む時点で間違いだが、それでも住みたがる人は後を絶たない。
そんな貧乏家族のために場所代がやたら高い土地にボコボコ保育所を作ってたらいくら税金かき集めたって足りない。
だから埼玉とか群馬とか栃木とか千葉の田舎に数百人規模の保育所を作ってそこで面倒見ればいい。
子供を日曜の夕方に預けに行って土曜の昼間取りに行く。そうすれば親は平日仕事にプライベートに集中でき、行政はハードルが高い都内に保育所を作らなくて良く、保育所経営者は騒音気にせず大規模化で高効率運営だし、子供たちは大自然の中でのびのび生活、早々に親離れするから自立して生きる力を得られる。
九州だと福岡以外で積極的に外車を選ぶ人ってのはほっといても選ぶ人だ。それは無視していい。
なので今回の元増田の提示している問題は「外車に興味が無い地方人にどうやって外車の魅力を伝えるか」だろ?少なくとも自動車雑誌の書いてあるようなことではダメってことだ。新車はディーラーもサービスも貧弱だからまず無理だ。
あと、外車ならではの魅力といえば中古車の下落の凄さ一択。1万キロ未満で半値スタートさえありうる外車の程度良中古車の探り方を教えるべきだ。若干維持の面倒はあるが、それを補って余りあるコストパフォーマンスがあればひっくり返る可能性がある。3年2万キロのBMWディーゼルダーボで150万円とかあるし、そうなるとアテンザのディーゼルに350万円出そうとは思わんだろう。
都市部の外車ディーラーってのは、お得意様には車検ごとに乗り換えさせる。そのかわり凄い下取りを付ける。車検通すぐらいなら買い換えようかと思わせるぐらいのな(金持ち限定だけど)だから金持ちは安く外車に乗れるんだ。(相対的金額の話ね、絶体的金額は高いけどな、3年に一度国産コンパクトカーぐらいの値段で新型車になるなら買い換える金持ちはいるんだよ主にBMW)その下取り車は当然金持ちが乗っているからだいたいは程度がいいし、外車の中古車なんて物好き以外には売れないから、値段も安くなる。そうすると新車のバカバカしいプレミアムが禿げた素の値段になるので同等程度クラスの国産車より安くなる。安さはあらゆるポエムな価値観を凌駕する。そういうのを狙うんだ。
整備のパーツは主にネット、取り付けだけでもやってくれるような良い整備工場との付き合い(取り寄せ面倒だ、工賃だけくれたほうがありがたい、ぐらいのWIN-WIN関係)こうなると見つけるところから宝探し感覚になって楽しい。貧乏人の楽しみ方だけどな。
すでに携帯ゲーム機はビジネス的に厳しいというコメントがソニーからされています
なのでVITAの後継機がでることはおそらくないとおもわれますが
こういう理由で出したほうがいいんじゃないかという話をしたいと思います
ぼくのかんがえたさいきょうのPS経済圏ってことでしかないのですが
大きなお世話でしかないものですが暇な人は読んでみてください(ネットの文章なんてみんなそんなものじゃないですか)
今はPS4が順調のようですが、このままだとMSか任天堂、またはべつの企業にやられてしまうとおもうのです
なので、それはPS4が抱えている問題に起因し、そしてそれはPS4ポータブルによって解決するという順で書いていきたいと思います
そしてそれがPS4の次世代(噂のPS4Kというものや、PS5についても言えます)に影響が出てきます
容量の限界
BDは規格上、一層25GB,二層50GB,三層100GB,四層128GBが可能ですが
PC用のGTA5が60GBを超えてついに二層式BDに収まらないなんて話がありましたが
今後そう言ったゲームが4K8Kになると加速していくでしょう
(層が増えると読み込みエラーが増えていくなんてはなしもありますし)
BDの等速での転送速度は4.5MB/sで10倍速でも45MBです
高速転送しようと回転早くすればするほどうるさく壊れやすくなります
HDDの転送速度は90MB/s出ますが現状のHDDでも転送速度が遅くてブラッドボーンなどでは読み込み時間が問題になりました
現状2.5インチHDDは1TBが標準で2TBがごく少量といった状態です
メーカーはもうHDDへの開発をやめていてこれ以上の進化は期待できません。
2016年現在でのSSDの価格は、ノンブランドITBで約22000円です。(ブランドものだと3万円超えます)
安くなったとはいえ、東芝ITBが5000円のHDDに比べるとバイト単位でいうと4倍以上です。ブランドものだと6倍。
キネクトをつけてしまったがゆえにPS4よりも割高な価格になったXBOXONEが
厳しい立場になったのを見ればわかると思いますが、ゲーマーというのはこういったことに敏感だと思います。
そもそも金に余裕があるならPCにするわいみたいな話ですし
(あとなによりインストールが面倒ですよね)
肝心なのは供給メディアで、ロムカートリッジの採用を提案したいと思います
SDカードをみれば数GBから上は256GBまで登場してしますし、切手サイズでおさまります
SDカードは90MB/sが当たり前で、ソニーのXQDカードだと読み込み400MB/sにもなります
半導体の技術はもうここまで来ているのだなと感心しますし、ゲームメディアでも十分可能ではないでしょうか
VITAとちがい、PS4ポータブルはあくまでもPS4を小型化して液晶をつけたものです
PS4のゲームが完全にプレイできるのでゲーム機立ち上げのタイトル不足問題が解決できます。
テレビ出力をつけて、大画面でやりたいアメリカでの需要も拾えますし
開発費が高騰しているいろんなメーカーもにっこりでしょう
PS5でもこのメディアを使いソフト供給ができれば互換性というアドバンテージができます
おそらく今後のゲーム機はゲームメディアというレガシー問題と向き合うことになると思います
なので今のうちにPS4ポータブルでメディアの切り替えを用意しておくことで、他社との差別化ができるというわけです
急にPS5でカートリッジになってもユーザーは切り替えに時間がかかってしまうと思います
あと個人的な好みの話ですが
ゲームメディアの供給がダウンロードのみになることの問題も指摘しておかなければいけないでしょう
ダウンロードは確かに便利ですし、試験的に運用されているPSnowみたいなストリーミングのようなものもそうなのですが
企業(権利者)がそのきになればゲームの供給を止めることもできてしまいます
ユーザーとしてはこういった物理メディアでの供給は続けてほしいなという思いがあります
(追記:最近amazon unlimitedで懸念してたことが起こりましたよね。配信するしないを向こう側に握られるってオタクとして気味が悪いので何とかしてほしいです。)
最近なにかと話題のVRも、振動に強いメディアのほうが良いと思いますし
任天堂の目指すところはこういうところなのではないかと考えています。
携帯ゲーム機と据え置きの共通メディア化が今後のカギを握るのではないかと
だからと言ってネットでのサイト視聴も、権利者側の都合で修正とか提供終了とかそういう主導権をにぎられるのも嫌です
(これはゲームと同様ですね。権利者に主導権を握られることに精神的不安があります。)
そうなるとやはり持っておきたいと思います
差別や偏見と戦いマイノリティだって自由に自分を表現していいんだ
こんなにそれらに配慮した内容が盛り込まれている!いった旨のRTを連日沢山見るようになりました
小さくてかわいいウサギは警察官になれないのか?いやそんな事はない!
決めつけてはいけない!差別はよくない!だって努力すれば夢は叶うのだから!
といった主旨をどうこう言うつもりはまったくない
だがなぜそんな中で、なぜ『肉を食べること』は悪としこれを排除したのだろうか
そこがずっとひっかかっていて、素直に良い映画だった!と言えなくなっている
(世界観の設定上やストーリーの進行上そうせざるを得ないのは理解できるのだけれど)
誰だって望んだものになれる!と謳っておいて肉食獣のそれは奪うのか…と思ってしまって
肉食獣だってただ趣味で殺すのが目的ではなく生きるために肉が必要でそれを食らうのであって
それ自体は悪ではないはずだ
野生に戻ったら凶暴になったと本編で言われていたが
何かを襲う時はそれを食べる必要がある時か自分の身を守る必要がある時だ
むやみやたらと目の前のものを殺すものがイコール肉食獣ではないわけで
差別なんかダメッて言ってるんだ!!ともてはやされている映画が
素晴らしい!と言われていれば言われているほど複雑な心境になる
こんなところを気にしてしまう私の感覚がズレているのかもしれないけど
そりゃあいつ食われるかわからない恐怖と戦っていた草食動物から見たら
捕食者である肉食獣は天敵になるわけだけれども
『狩りをする必要が無くなる』のを仮に利点とするとして
かわりに与えられるものが肉でなく虫などで代用されたものでそれで本当にWin-Winなのか
肉を食べる事はこの先(この理想郷に居を構える限り)永遠に諦めないといけないのか
(昔は食べていたという肉を食べてみたくなった、という理由で
狩りをするために牙が鋭くなったもの
動物の特徴になる部分はおおよそ『狩るため/狩られるのを防ぐため』、
それらの器官ももしかしたらどんどん退化してしまうのではないだろうか
服を着て脳が発達し、特徴のある器官が退化していったらどうなるんだろう
みんな人間になるのかもしれないですね
震度6の揺れが来たこともあった。
4/14の最初の地震があった時点では、震源地の益城とその近くでは大変な被害があったけど、その他の地域への影響は限定的だった。
一部地域で水道水が濁ったり断水になったりというライフラインへの影響と、スーパー・コンビニから水とパンが消えたというのが主な被害だった。
余震は続いたが、本震は過ぎたことだし、徐々におさまってまた日常が戻ってくるだろうというのが大半の人の考えだったに違いない。僕もそう思っていた。
そして、その不意を突くように、4/16未明、あの大地震が起きた。
南阿蘇村を中心に大きな被害があったことは周知のことだと思う。
この地震以降、僕の周りでも状況の深刻さの度合いが変わった。
ほとんどの店がクローズしており、営業している店を見つける方が難しくなった。当然、営業している店には長蛇の列。
炊き出しや給水場などが増え、そこでお世話になることが普通になった。ああ、ここは被災地で、僕も被災者なんだなと実感した。
事態が完全に回復することの見通しが立たない中、これじゃ生活がままならないなと思った僕は県外の実家に一時的に帰ることにした。幸いにも僕の実家は熊本からそう遠くない。
僕の友人にもそうする人はいたし、テレビでもそういう人たちのことが写されていた。
高速道路が一部閉鎖されたりと多少の交通規制はあったが、通常の1.3倍程度の運転時間で実家に帰りつくことができた。
実家では、スイッチを押せば電気が点いたし、蛇口をひねれば水もお湯も出た。
快適だ。僕はあっさりと快適な生活を取り戻すことができた。
こんなにも簡単に元の生活を取り戻すことができたことに、僕は言いようのない違和感を覚えていた。
そしてその違和感が、熊本に漂っていた雰囲気としての深刻さと、そこから簡単に抜け出すことができたこととのギャップだということに気づいた。
もちろん、阿蘇大橋が落ちて身動きがとれない阿蘇の人達や家が倒壊するなどの大きな被害を受けた人達を始めとした「どうしようもない理由」を抱え、支援に頼らざるを得ない人達はいる。
だがそれ以外の人達は、案外簡単にこの状況から脱することができるんじゃないか。
僕は実家に帰ったが、友達の家でも、親戚の家でもいいし、宛がないならしばらくビジネスホテルに泊まるでもいい。
緊急事態だし、ゴールデンウィークの代わりの旅行とでも思えば出費のことは我慢できるだろう。
熊本は車社会だから大半の人は自家用車を持っている。車を使えば簡単にこの被災地から抜け出すことができるのだ。
仕事は、電気が来てないんだから大半の職場では休業だろう。僕の会社も数日間は臨時休業となった。有給をとってもいいだろう。
地震が起きたのは土曜日の未明だから、土日の間だけでも避難するという選択肢もある。
もちろん県外に出ることを強要することはできないが、何かそこにとどまらなければいけないという思い込みがあるような気がする。閉じ込められたという勘違いがあるような気がする。
ライフラインが機能しない状況では、金銭的に余裕がある人でもその場所に留まる限り、支援に頼らざるを得ない。
余裕がある人は、県外へと出て、自分が支援を受けなくてよい状態にすることが、「本当に支援に頼らざるを得ない人」を助けることにならないだろうか?
その方が、不自由がないからその人自身も時間を有効に使えるし、win-winな結果になると思うのだが。
[追記]
ついにエコノミークラス症候群で死者が出た。
熊本を出さえすれば、あっけないほどに、いつも通りの生活を送ることができるのに。
会社の上層部が、法律なんてものはうまいこと解釈して回避したらいいじゃん、みたいな姿勢で、
グレーなんだかホワイトなんだか真っ黒なんだかよくわかんない手法で社員旅行を豪華にしようとしている。
どうも福利厚生と、景気がよかった頃の名残で久々に豪華な旅行行きたい気持ちと、節税とを考えて会社も従業員もWin-Winだぜ!みたいに思ってるっぽいけど、
普段からよく言ってる「完全週休二日制とは書いてるけど、土曜日は別に法律上は休日じゃないんだからお前らもっと自主的に出社しろ」
っていうのと根っこが一緒な感じがしてとてもゾワゾワする。
最近だと、今まで有給とは別に夏休みとか年末年始の休暇があったけど、有給5日くらい取得させなきゃいけないルールになったから、
その辺の休みを有給取得日ってことにします、もちろん追加の休暇はありませんって急に変わって、実質休みが8日くらい減ったりとか。
まだかなり恵まれてる環境だし、贅沢な愚痴なのはわかってるんだけど、
「ブラック企業にしたくない」って言いながら社則変わる度にちょっとずつ会社に有利な方向に変えられていくのを見ていると、
何かあれば平気で今のところ違法とは言い切れないが……ぐらいのことを要求してくる(そして選択の余地はきっと実質ない)んだろうなっていう不信感があって大変モヤモヤする。
まあ、きっと大体どこに行ってもこんなもんか、もっとひどいんだろうなーって思うんだけど、実際はどうなんだろうなあ。
はてなである程度のしあがってきたアフィブロガーの多くは独自ドメインを所得する。
これぐらいの頃になると丁度生来の面白さを失ってただ調子に載ってるだけのアフィの亡者となる。
私はこれを「アフィに飲まれた」と脳内会議で個人的に表現している。
無難にPVを稼げそうな記事か、適度に炎上してPVを稼げそうな記事しか書かなくなる。
はっきり言おう。
なぜなら奴らは上に書いたように「PVは稼げる」と「つまらない」を両立した記事を量産するのだ。
そのためホッテントリは隙あらばこいつらによって汚染されていく。
だが彼らが独自ドメインを所得してくれれば楽々NGにぶっこむ事が出来る。
独自ドメイン所得でメリットがあるのはアフィブロガーだけではないのである。
彼らを応援するROMユーザー、そして奴らが大嫌いなROMユーザー双方が得をするのだ。
これはね、凄いことですよ。
そして身内にヨイショだけされてアフィブロガーが劣化していく速度も上がるのだ。
つまり奴らがアフィに飲まれ人生を見失っている期間が短くなるのである。
これはね、本当にWIN-WINですよ。
(本来の仕事なら存在しているはずの)中間でマージンを搾取する会社を抜く事によって、
クライアントもエンジニアもwin-winの関係を保つためにつくられた物のはず。どっちが優勢とかじゃなくて。
勿論、本来であればの話。
現状それがクライアント側に偏ってしまっているから一方的な搾取になってしまってるのかな、と。
逆に言えばそこら辺改善すれば今後クラウドワークスはもっと成長してくんじゃないかなー。
この炎上の流れで色々クライアント側への制限とかもつけやすそう。
例えば、