はてなキーワード: RADとは
ボーカル遠っ!
第一印象はそんな感じだった。バンド名は有名だからかなり前から知っていたけど、ついこの間名前を目にする機会があって、それで聴いてみようという気になった。
私が普段聴く音楽といえば、最近で言えばRADとかストレイテナーとかアジカンとかで、90年代後半の音楽はほとんど知らない。何せ自分が生まれた年代辺りの曲なんて、よっぽど機会がない限りは耳にしないからだ。
最近の音楽はレコーディングの質が上がったのと、オーディオ機器の性能の向上でめちゃくちゃ鮮明に音が聞こえる。細部まで気をつけて聴いたりすると息遣いまで聴こえたりする。ていうかそれが当たり前の時代に育ってきた。
そこにやってきたナンバーガール。
なんだこれ!!!?音質以前に声遠くない?!!仕様なのかこれは……でもこれこそが現代のあらゆるロックバンドに影響与えたナンバーガール……
最初はそんな感じで、このバンドの良さが正直わからなかった。確かに今のバンドの土台のようなものは感じるけど、ワンオクみたいな衝動とか、スピッツみたいな軽やかさとか、万人が掴みやすい個性はなくない?
そんなこと考えながら適当に流してて、何曲か聴いた辺りでハッとした。
イントロがいい。
すごくいい。ギターの響き?専門的なことはわからないけど、そこはかとないエモを感じる。演奏から滲み出る哀愁というか、明るさというよりはがむしゃらさ。
この、何とも言えないクセになる感覚の正体が知りたくて、何回も何回もリピートする。歌詞は相変わらずわからない。でもなんでだろう、すごく、ノれる。そしてがむしゃらなだけじゃない。基本的にはすごくクールだ。演奏のクールさが、ボーカルのシャウトといい感じに調和してる。声質がそんなに重くないから、曲の雰囲気自体も暗くなりすぎなくて丁度いい。
すごい。すごいぞナンバーガール。
実はここまで書くのに、すでに5周ぐらいは軽く聴いている。聴いても聴いても、どこか正体の掴めない音をしているからだ。それが知りたくて、また何度も聴く。耳に残る演奏のかっこよさは、どれだけ聴いても色褪せない。
最近流行りのバンドは、何となくやっぱりルックスで売る傾向が強くて、その上音も薄っぺらくて心に響かない。別にルックスだけで売ってる訳じゃないけど、どの音も同じように聴こえるのだ。青春の眩しさを歌った、あの純粋なロックの衝撃を求めていた私にとって、ナンバーガールは、革命家だった。
高校3年の今、若くて凡庸で純粋な青春の賞味期限は近い。受験勉強に必死な人や、はたまたそんなの関係ない人もいる。それぞれの高校最後の一年を過ごしている。苦くても、幸せでも、楽しくても、それでも年が明けたら、みんな揃って卒業なのだ。だからこそ、あと4ヶ月の間に、少しでも多くの高校生が、高校生である間に、どうかナンバーガールを聴いてほしい。そして、青春の結び目として、ナンバーガールを思い出の曲に加えてほしい。そのくらい色褪せないバンドだと思っている。ぼんやりしたセンチメンタルに訴えかける、思わず走り出したくなる、そんな力がナンバーガールの曲にはある。大人になってから思い出してほしいバンドだと思っている。だってナンバーガールはかっこいいからだ。
だから青春真っ只中の、若い君たち私たちよ、ナンバガ聴いて熱くなれ!胸の奥まで!
追記
RADの知名度は某映画でかなり上がったので大抵の高校生はわかる。テナーとかアジカンとか、最近好きになったバンドばかりを挙げてしまったことは申し訳ない。確かにミスチョイスでした。ワンオクとかドロスが入り口で、そのまま好きな方面を探してたらアジカンに行き着いた、が正しい。
大前提として、2016年紅白は近年まれに見る失敗回であり、大敗北だった。「いやいつもつまんないでしょ。今回だけとか騒ぐのセンス悪すぎ」というあなたは正論だがフシ穴だ。
ここ数年、マンネリ紅白は、それでもなにがしかの爪痕を残していた。「千の風」など販売面での掘り起こし、サザン、長渕などのサプライズ、Perfume、金爆、ももクロに代表される抜擢人事、あまちゃんオールスターズなどNHKならではの組閣などなど。
で、2016のこの無風具合はなんだ。
なんだといえばこれは、会社組織でもストーブリーグでもなんでもいいんだけど、典型的な「世代交代の失敗」である。
高報酬の高年齢層をリストラし、未知数の若年層登用を止め、見た目の効率のいい中年層とコネ人事で固めた結果、全員が自分の数字と派閥の力学しか見ない「無責任モード」になってしかもそれが悪い方向にしか働かなかった。
よく見すぎる失敗。
北島三郎、鳥羽一郎、和田アキ子、小林幸子、美輪明宏そしてSMAP! こういったハイレイヤーのいわゆる「精神的支柱」機能を甘く見積もりすぎ。
サブちゃん祭りしかり、ジャニ勢だって「最後はSMAPさんが」という心づもりがあってこその馴れ合いが可能だった。
高年齢層のリストラは必然だし粛々と進めるべきなのは確かだが、それにしたって0にするのは急すぎた。
五木はAKB喜び組で満足しちゃってるし、美輪明宏代役の大竹しのぶにしても、幸子代役の三森にしてもアッコ2.0のAIにしてもまだカリスマにはほど遠かった。
そして「新しい血」登用の停止だ。
お気づきだろうか。今年アニソン/声優枠は0、ネット枠も0、V系枠も0、アイドル新規も0だ(RADとXは勘定に入れづらい)。
近年の紅白の下がり続ける価値を、辛うじて上げ方向に下支えしてきたのが彼らだ。「他人が憧れるものに人は憧れる」。「紅白」を「オーヴァーグラウンド」の象徴としてとらえ、いまどき珍奇なことに「紅白に対する憧れ」を冗談でも口にし、紅白出場をフリでも盛り上げてきた彼らの功績を全切り捨てした罪は、単純に「驚きと喜びの低下」として番組に表れた。
後に個別に触れるので、軽くにとどめるが高中堅層のプロモっぷりはひどかった。低中堅層のフレッシュ、冒険の少なさっぷりも。
巷間ささやかれる「リハ不足」はいつものことだ。これはさらに大元の、個別の企画力の低さが原因だ。
前半出番のぶった切り編集演出は大成功だった。新曲初披露というフリを経ての「期待の裏切り」「紅白という『枠』のメタ視」「フレッシュさ」で群を抜いており、TVギャグとしても定番が故の爆笑があった。
そして圧巻は後半のPPAPフロイデremixだ。前半の原曲で「いかんせん大舞台には音薄すぎで向かないよね」との印象をすべて覆す音圧。
そして前半のアッちゃん絡み、タモリ絡み、ゴジラ絡みと、2016紅白の演出側ストーリー全てを引き受けたカタルシス(大したものでなかったとしてもストーリーは必ずカタルシスを生む)。
フレッシュさ、裏切り、時代感、引き受け具合、芸としての確かさ、音楽の喜び、笑い、めでたさ、我々がNHK紅白に求めるすべてがそこにあった。
文句なしの「今年の顔」。
ワンショットがMVPを取ってしまうのは、チームとしての紅白にとってもちろん悲劇でしかない。
サプライズという意味ではあれだけガッキーに振っておいてあの体たらくは、座組み側の失策。きっちりガッキーをキャスティングできていればMVPだった(あの恥じらいながらしょうがなくやらされるのがタマラン!というご意見は共感するが、マニアの見立てだ)
芸の確かさを見せた。
AKB五木以来、近年紅白演出が気に入り始めている「ソロ+応援出演」とかいうクソ手法を、本物の芸と華で打ち返し、格の違いを見せた。
子役とかソロダンサーの人は残念な見栄えだったが演出側が悪い。
周りが凹みまくる中、アンセムを堂々とやりきった。
This is 歌番組というセット、演出、選曲で、この中では逆にフレッシュだった。
ライブパフォーマンス単体として見れば2016紅白最高水準。でもそれ紅白ちゃうよね。
歌舞伎町の女王が西新宿の政治家になりました、という何の面白みもない追認劇。
かろうじて演出はフレッシュさがあったが、楽曲パワーなし。そして演出も結果TOKIOと二回まわしするという貧乏くささで台なし。
いやこれは東宝も新海も悪くないし、庵野組に至っては大変仕事したと思う。NHKなに考えてんの感。
「歌合戦」にワンフレーズもなし、来日ツアー告知だけのケータイ動画とかなめてんのマジで。
毎年なので言うに及ばず。とくに嵐の「政治だねえ」感は周囲の状況もあっての結果だがひどかった。新王誕生の祝賀とは到底見えない。
よりによって「メドレー」と称してデビュー2曲だけかよ。hi hiとかサンライズとかいくらでもあったろ若番なのに引き受け過ぎ。その後も何もないし。
LEDダンサー自体もう数年前の技術だし、「人数ふやしました!」と言われても…
キメの2階席同期ロトスコープ演出もカメラが追えてないという体たらく。
あと満島出すとこまでがんばれよNHK。
映像出しそんなにもったいつけてひっぱらなくてもよくね。新海がサボったのか、バンドが嫌がったのか、いずれにしろエゴの匂い。
無料投票で40万とかヤバくない? 票の実数を出したことで凋落が見える化された。
天人五衰。圧のなさがすごかった。
魔法も何度も見せられれば慣れる、とはいえ今回は福山林檎にすらアイディアで負けててライゾマ何やってんの弾幕薄いよ!ってなった。
そして有村架純は今さらのあまちゃん演出でのん(能年玲奈)代役だったことが判明。地獄。
秋にNHKであれだけ圧巻のステージ見せたのにまさかの中森明菜枠。地獄。
コメント切りのタイミングで「マジか」顔してたのがさらにつらみ。
もちろんSMAPという政治劇に巻き込まれた結果、目論見が外れたというのもあるでしょう。2016紅白は新帝王SMAPの戴冠式になるはずだったのは明白でした。それにしたってリカバリの仕方は他にあったし、それ以外の面でも粗だらけ。
結果、ゆく年くる年後に東京国際フォーラムから放送した生さだのほうが生放送音楽ショーとして5万倍良かったというすばらしい皮肉。さだまさし×岩崎宏美、生バンドバックの「夢で逢いましょう」の多幸感、スペシャル感、客席との一体感たるや、「ああ、年初から思いがけずいいもん見たな」と思えました。
修正ナイスバディ値 BWHd = sqrt(バスト[cm]^2 + ヒップ[cm]^2)/ウエスト[cm] - 189 (小数点以下四捨五入)
日曜にでっち上げたナイスバディ値 http://anond.hatelabo.jp/20161210174254 があまりに雑だったので、もうちょっとまともな指標はないものかと思った。
現代女性のからだの美しさを示すバランス指標の一つとして、BWHの周径バランスがあり、ヒップウエスト比(H/W) とバストウエスト比(B/W)の散布図によって評価されている[1]。
そこで、修正ナイスバディ値を、H/WとB/Wの値の組を極座標表現した際の距離dとして捉えることにした。
これにより、メリハリの効いた体型は距離dが大きく、ストレート型に近い体型は距離dが小さくなるはずであり、この分布がナイスバディさを表すことになるものと考えられる。
(以下あとで書く。なお極座標表現した場合の位相角 Atan(バスト[cm]/ヒップ[cm]) は pi/4[rad] を中心に胸優勢か尻優勢かを評価する数値となるが、超爆乳も超巨尻も等しく愛することにしたので評価の対象にはしない。)
[1]BWHの周径バランス http://www.bodybook.jp/dictionary/201304/bwh-1.html
でも9割方サボってた
どうせ残業代出ないし
はてぶみたりhagexみたりyoutube(roofer deathで高所チャレンジャーの事故動画見て手のひらと足の裏にめっちゃ汗かいた)みたりしてた
シャフトだけど新房昭之っぽさはかなり抑えられてて良くも悪くも普通のアニメでしかない
さすがにテンポが遅すぎるし、既読の原作と同じものを見るほどファンでもないしそもそも時間的精神的余裕もないし
こっちもすわRADか?と思ったけど、やっぱバンプはあきらかにバンプってわかるね
声も曲も
EDで一回流れたの聞いただけだけど、別によくもわるくも思わなかった
印象にまったく残らない
エンドカードが三浦建太郎の書いたれいくんだったからワロタwww
ベルセルク書けよwww
まあいつぞやに3月のライオンのマンガのカバー書いてたこともあったし、縁が深くて知名度も高いアニマルの作家ってことで初回にもってこられたんだろうな
んで2にちぶりのふろ
風呂上がって1時半
それからうつぶせになって枕元のパソコンでネットしたり動画、マンガチェックしたり
何度も寝落ちしそうになった
3時までそんなことやってた
んで寝た
たぶん1分以内に寝た
http://anond.hatelabo.jp/20160925060352
辻褄あってるというか「整合性の塊」なんてコメントもでるくらいだけど、やっぱ辻褄あってないんだよなー
映画の始まり、彗星が落ちてくる場面のあと、瀧と三葉がそれぞれ東京暮らししている家で目覚めて、
2人とも「何かが消えてしまったという感覚だけが、残る」という意味のことを言って、出勤。
電車に乗って、それぞれドアの近くに立って外を見ながら、
「ずっと誰かを探している、そんな気がする」「そんな気持ちになったのは、たぶんあの日から」となる、
そして、瀧は、自宅団地というかマンションの屋上っぽい場所で割れている彗星を見上げている場面の回想シーンになる。これはいい。
しかし、三葉のほうは、浴衣姿で、割れている彗星を眺めているシーンを回想する。これは明らかにおかしい。
彗星落下日に浴衣姿だったのは、【彗星が落ちて500人死んだ時】のものだ。
考えてみて欲しい、彗星落下日に避難訓練というテイで奇跡的に三葉も四葉もテッシーらも死なずに住んだあの日、
中身が瀧の三葉は、朝、制服姿で学校に行って、「このままじゃ全員死ぬ」とか言って作戦を練るも、
中身が瀧の三葉は、「俺じゃダメなのか」ってなって例の酒のある場所に行って三葉と会う。
あの日、中身が瀧の三葉も、中身が三葉に戻った真三葉も、一度も浴衣姿にはなってない。
制服姿で街中をあちこち走り回って、彗星落下のグラウンドゼロ周辺から住人を避難させたわけで。
だからこそみんな生き残って東京で電車に乗れて、そして最初の場面が最後の場面につながるわけで。
世界線が変わって2人が入れ変わって奔走したわけでない浴衣姿の時にも被害でなかったってなら、
東京の電車に乗ってる2人は入れ替わりもなく出会うこともないし。
浴衣姿で空を見上げていた世界線でさえ2人が出会うならそれはもう単なる運命でしかなくて、
辻褄合ってるとかじゃなく、辻褄合わせようとして設定とかあれこれこねくり回しているレベルにすぎない。
「運命だとか未来とかって言葉がどれだけ手を伸ばそうと届かない場所で僕ら恋をする」ってことと真逆のことにもなるしね。
落ちてくる彗星、死んだはずの人々、そういう運命を、互いを好きだという2人の行動で変えたからこそ、その2人がラストで出会うことに意味があるわけだし。
個人的にこの作品大好きでだから何度も劇場に行ってるわけだけど、辻褄合っている、整合性の塊みたいなのは言いすぎかな。
自分の大好きで最高だと思う作品が、完璧で誤謬も矛盾もない素晴らしい作品だ、
あるいはほとんど矛盾もなくほぼすべてのことに説明がつくんだ、と思い込みたい気持ちや、
自分の大好きな作品へのツッコみや批評を、まるで自分が否定されたかのような気になってイラついてしまう気持ちはわかるけどね。
設定ゆるゆるだしツッコミどころやおかしなとこともあるけれど、俺は好きだよ、おもしろかったよって言ってる人たちはずっと真摯だよね。
バイトや学校行ってるのにまったく時間のズレに気づかないとか、都合のいい部分だけ忘れる、とか、
そういうあれやこれやのご都合主義解釈や、スピンオフ小説や、監督の後説でツッコみどころもなんとか説明できないことはない、
くらいのレベルのお話って、少なくとも「辻褄合ってる!すごい!」って言えるレベルのものではないと思うよ。
盛り上がる印象的なシチュがまず第一で、それらのつながりの辻褄はこの映画はお世辞にも上手いものじゃない。
でも俺はおもしろかった。俺はあわなかった、そういうことでいいじゃない。
パンツが見えたので★5つです(前置き)
でも中盤から最後にかけては2コマガイジンのシーンって方の感じになった
悪い意味で新海誠っぽさが出てしまってて首を傾げる出来になっちゃってた
最後は秒速5cmの焼き直し、もといバタフライエフェクト、シュタゲでさんざんみた演出の焼き直しだし
唯一氷菓できる部分は10年かけて秒速5cmの鬱屈を晴らしてくれたことに尽きると感じた
ありきたりでもバタフライエフェクトでもシュタゲでもなんでもいいから最後は気持ちよく見る人間を帰らせてくれるような終わり方
それをやってくれたからすっきりした
フィクションでくらい都合よくていいよね
結局このパターンか、みたいな
今はまだいいけど、これしか引き出しないってみんながわかったらソッコー見捨てられそう
遅れて鑑賞。若い子も多かったがカップル以外の客も増えていて、結構年齢層も公開初週よりは上がって来たのではないだろうか。以下、長い。
年間とかではなく今までの興行収入ランキングみたいなものを見たら分かると思う。
何故売れたのか?と疑問に思うものまでさまざまだ。
少なくとも「スカスカ」映画ではなかったし「何故売れたのか」という点でも完璧ではないが、ある程度説明つくのではないか。
ステマだけではなく本当に評判が良い映画が自分に響かないと、ただ普通につまらない映画を見たとき以上にガックリくる。
この映画を見る今日まで、映画通やら映画通という名のアニメファンやら映画通という名のやり○ん騒動男やらの、いろんな批判を見た。
映画が好きな自分からすると、「そうか。食いつける映画なんだな」ということで、自分にとっては逆宣伝になった。
(まぁ信頼する映画通たちは結構試写時点で絶賛してたんだけど)
映画が好きだと書いたが、アニメ映画に関してはもっぱら円盤待ちの人間なので、その自分を映画館に行かせたという効果は絶大だ。
まず自称新海ファン評の「新海らしくない映画」だが、しっくりこない。
むしろ新海監督のファンサービスがちりばめられていて、過去作好きこそ振り回される映画ではないだろうか。
キャラ、ストーリー構成から唐突感だったり、詩的な部分だったり、感覚的な部分。とても「新海らしい映画」だと感じた。
むしろ新海らしくないというのなら、何らしいのか。
思いつかないので、やっぱり新海らしい映画だった。
隣りで見てた50オーバーが号泣し、終わった後感想を熱弁していた。50オーバーを若い世代という世界には住んでいない。
しかし確かに今まで見てきたアニメ映画とは、一味もふた味も違うのかもしれない。
ニュージェネレーションに対するギャップが、ある人にとっては大きかったのかもしれない。
例えば主役が高校生だから高校生しか感動しない。というのは馬鹿な話である。
じいさんが主役でも、子供が主役でも、感動するものは感動するだろう。無理なら想像力が欠如している、と言っているようなもんである。
RADWIMPSは嗜む程度だが、あまりRADWIMPSらしくもなかったので、激烈RADファンからすると絶賛はしにくいんじゃないか。
自分のような嗜む程度のやつに、ちょうどよかった。
歌もしっかりはまっていたし、劇判にも仄かにRADらしさがあった。しかしやっぱりそんなにRADらしさは無かったかもね。
つまりファン以外も満足しているということだ。(ファンもある種の初期RAD感が出ていて嬉しいのかもしれないが)
ここはとても「邦画」感が溢れていた。秒速~以外に、自称映画通なら何作品か思い浮かべたいところだ。
昨今の邦画は設定を詰め込み、それを全て説明しようとしてくる。故に物語に勢いが無くなったりする。
しかしそこまで説明されずとも作りこまれている映画に傑作が多い。本家アカデミー賞受賞作などを見ると、設定をしっかりした上でとにかく勢いが凄くて、設定なんてどうでもよくなる。
その部分がエンタメ邦画には足りないなぁと常々思っている。(無いとは言わないし、説明カットし過ぎてダメなのも邦画あるある)
結局作りこみすぎると、ヲタクは解説したくなってしまうのだ。(ヲタク=脚本家・監督)
君の名は。はその絶妙なバランスにたどり着いた。日本人が受け入れられる塩梅での。勢いと説明の狭間だ。
例えば、見てない人には分からないだろうネタバレだが、三つ葉が父を説得するシーンが今作には無い。しかし説得した、と分かる。
でも後々…もしかしたら見終わった後で、もしかしたら2回見た後で「あ、そういえば説得してたな」と気付く仕組みになっている。
見ても無い自分が「フィクションだからさぁ…」と突っ込みたくなるような批判だったが、見た今なら「あれはこういう意味があったんじゃないかな?」と推測できる部分がしっかりある。むしろちりばめられている。突っ込んだ人はもっとストーリーをみるべきだった。
きっとリピーターは血眼で探しているだろうし、他のそういう手品のトリックみたいな演出も、多分2回見たいと思わせる構成だ。
男女入れ変わりと聞いたら、転校生を始めいろんな作品が頭をよぎるだろう。使い古された設定に見えるかもしれない。ボーイミーツガールは王道だし。
その設定を使ったこういう構成の脚本を、薄っぺらいと言うのか。本当にそう思ったのなら絶望的な感覚である。とまで言っちゃう。
「薄っぺらい」ではなく「説明なさすぎ」の言い間違いじゃないのかなあ。
これくらいで良いと思うけどね。商業映画は。(もう一度見て理解したいと思わせる技は必須)
おっぱい揉んだりパンツが見えたりしただけでヲタク向けになるのか。
パンチラは角度的にどうしても見えてるだけであって、逆に見えないのはあの画の中では大きすぎる嘘になってしまう。
パンツが見えないのはギャグだ。リアリティがない。むしろ日常萌えアニメはミニスカで絶対見えるパンツを描かないことで、フィクション感をだしている。
ていうかパンツ一瞬しか見えない。コンマ何秒とかしか見えない。騙された。
この理屈と同じで、実際あの状況なら胸は揉むだろ。
そんなわけであがっている批判を見ても、「え?なんでそんな批判があがるの?」というものばかり。
(例えば漫画原作のように<漫画という神>と違うからという批判は、心情的に良く分かる。調理した方と見た方の問題は根深い。)
是非まだ見てない人に、見てから判断してほしいと頼みたい。別に批判をする人がわるいわけではない。的外れな批判が溢れているだけだ。
どうも売れすぎて、色んな雑音が耳に飛び込んでくる状況になっている。
これを読んでる人は、君の名は。のことが気になっているはずだ。素直に、自分がどう感じどう思うか?と映画で考える良いチャンスなのだ。
そういう空気が付きまとう世界情勢で、映画界、とくに邦画界にもある時点から閉塞感があった。
いつだって現実が向かってきたし、夢物語は無い。そう示してくる話が多く、心の片隅が窮屈な想いをしていた。
若者たちは経済が少し上向いても無駄遣いをしない世代になった。夢を見るやつは、馬鹿だと思っていた。
でも「君の名は。」は希望のある夢を見せた。ここまでの大きな夢は、もしかしたらあの時の自粛ムードと共にタブーになっていたたのではないかと思う。
フィクションだから、アニメだから、一つの大きな嘘を内包することができた。
なにかの穴を埋めてくれたのかもしれない。
「君の名は。」の本当のEDは、Aimer「蝶々結び」だったのではないだろうか。
・2016/8/17リリース(「君の名は。」公開日は2016年8月26日)
・MV監督は岩井俊二 <-映画クレジットにスペシャルサンクスとして名があり
http://blog.szk.cc/2016/09/04/a-story-of-the-power-of-musubi/
「蝶々結び」のシングルにはRADWIMPSの「セプテンバーさん」のカバーも収録されていて、もしやと思ってTwitter検索したら、『君の名は。』の黒板に「9/3(=セプテンバーさん)」の日付があったというRADファンのツイートもあるし、やはりもう1回見に行かなければ……!
RADつーのを聞いてみたんだけどさ、これまんまbumpじゃん。
つって調べてみたらbumpの「ひとりごと」って曲をうけて、RADは「ふたりごと」って曲作ってた。
いやそんだけっす。
ヒットしたわけは分かるが
君は本当に彼らの口コミスピードと新しいもの好きを知らないんだね。
まずヒットした理由を3行で,
中高生に焦点をあてたボーイミーツガールだということ,そして彼らの口コミ伝播速度はまるでそこだけが別世界のようにはやいということ。
つまり,全体のアーリーグループに裾野まで収まるほど時の流れの早い中高生をメインターゲットにしたこと。
もちろん,この理由でなければ"メガ"がつかないなんてことはない。しかしこの作品はこれで"メガ"がつく。
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他愛のない会話をすることにとっても慣れている。
しかもそれがとっても共感できる,キュンキュンできる作品なら…そりゃあとってもオススメするだろうね。
多感な中高生なら2時間で突然「君の名は。」のコアなファンになってごリ押しまくってもなにもおかしくない。(新海誠のそれではない。)
そこにRADWIMPSだ
彼らは中学生でも理解できる語彙を使って,中高生が惚れるような詩をかく。
胸が締め付けられるような詩 カッコよさで狂ってしまいそうになるような詩
/// 追記 - 201609152329
/// 君の名は。では
/// 「でも君のいない 世界など 夏休みのない 八月のよう」
/// が一番記憶に残った。これはRADの作家性をとてもよく表現した良い詞だと思う。
バンドなんてメジャーレーベルだけでも一人の人間が全部聞くのは不可能に近いくらい沢山ある。中高生に聞かれるのは一握り。
そのくらいにはRADは中高生に好かれてる。これ以上は日記がRADWINPSに寄り過ぎちゃうからコレでも置いとくさ。
http://music-book.jp/music/news/column/107155
9割(1割はマセた子)がRADも好きになる世代だから,観たやつはみんな君の名は。を"べた"褒めしてオススメした。
だから観に来るし,予約してないのにギリギリに行くから観れないと文句を垂れる。
彼らの熱量はすごい。__世界は若者の熱量供給で回っていると俺は思う。__彼らの影響力は大きい。
朝のニュースは彼らを取材して,彼らのコメントを拾い,そして私達はいつも彼らの声を聞く。
彼らは当然中高生並の感想を喋るが,熱量は伝わる。その熱量に気圧されて,アーリーマジョリティが動く。
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また,中高生は新しいものを抵抗なく好きになれる。まだ知らないものばかりだからだ。
裏を返せばまたすぐに塗り替えられるのだが,上映期間の3ヶ月くらいは保つ。
知らないことばかりの彼らの時間は,大人と比べてとてもはやく流れる。
彼らの世代では既にレイトマジョリティまで届いているかもしれない。
彼らが受け入れられるものについて,彼らの裾野はいつもマジョリティの山まで引っ張られていると思う。
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この映画はリピートにもそれなりに耐えられるが,中高生には金が無いし,時間も土日にしかない。
彼らが受け入れたせいでこの映画の動員数は過去の曲線よりも頭を打つのが早くなると思う。
2% - 200万 - ヒット
5% - 500万 - 大ヒット
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追記
『君の名は。』のメガヒットは製作委員会とみんなのツイートがもたらした(境治) - Y!ニュース
http://bylines.news.yahoo.co.jp/sakaiosamu/20160914-00062175/
映像は綺麗だけど、話に穴があったり、感情的に置いてきぼりにされてしまったせいで、
「売れるように作っているなあ。」とは思ったけど、楽しむことは出来なかった。
友人のオタクに「あの話で泣ける人が結構いて驚いた」と話した所、
「あのアニメは細かい所は抜きにして、エモい感情の流れだけを見るアニメだよ。それが出来ないオタクだから置いてきぼりにされたんだよ。」と言われた。
確かに話が破綻していたりしても、「メカがかっこいい」とか「女の子が可愛い」って理由でアニメが売れたりするし、