はてなキーワード: 跋扈とは
多くの人間が「議論イコール一方が他方を打ち負かす手続き」としか捉えていない環境の中で何を言っても無駄でしかないよ。そうじゃ無い建設的な議論を呼びかけるまともな知性を持った人間も多少はいるかもしれないけど、そんな声は罵り合いの中であっという間にかき消される。意味なんて為さないよ。テーマが何に成り変わろうが関係ないしキリがない。なにが「はい論破」だよ。それで何がどうなるんだ。学級会じゃあるまいし。子供ならともかくいい歳こいた大人が何やってんだ。そんな程度の自称大人が大声上げて跋扈する社会にまともな未来が訪れるとでも思っているのか。満足行くまで勝ちだの負けだのと潰し合ってくれよ。その先には疲弊して対消滅する以外の道は無いという事に想いが至らないのなら、もう好きにすればいいさ。どうでもいい。もう本当にどうでもいい。まるっと全員でまとまって仲良く滅ぼし合うといいよ。くだらないにも程がある。
地方の田舎からのお上りさんのヤンキー文化とか笑えるんだよね。東京が関東連合とかの夜露四苦の田舎のヤンキーを遥かに極悪にした半グレが跋扈してるんだから。
怒羅権とか何なんだよ。
それで、関東連合は特殊詐欺とかにも大いに関係していて、東京であらゆることに手を染めてるんだよね。
田舎のヤンキーとか馬鹿にする前に、東京の半グレのセンスが夜露四苦でやってることは、田舎ヤンキーより陰湿残忍なことを無視して地方ガーとか、もはや、東京の問題を地方にすり替えることしか頭にないわけで。
それで、これだけ東京半グレ田舎センスが跋扈したんだな。田舎のヤンキー文化が嫌だから東京に行って、さらに田舎センスの半グレ文化がある東京となるわけだから、笑えるよね。
喧嘩はするけど後に引きずらないし、喧嘩のたびに反省会をするから今が1番仲良し。
結婚したいと思った私が、結婚するためにしたことを書いていく。
・結婚相手の条件は、何かしら真っ当な方法で収入があること、自分と似た人
・結婚後は相手に養ってもらうのではなく共働きをし、お互いに助け合う関係を目指す。
・自分が働いていたとすると、仕事場、本屋、図書館、カラオケ、スーパーくらいしか行かない。
①外見を小綺麗にする。
・化粧で激変する動画を見て頑張る。
・髪をツルツルにする。
・美容院で髪を切る。
・捻くれて自己中でいじけることを出来る限りなくしていく。
・明るい人を参考に自分も真似できるところはしていく。
こんなことを考えて実行したら、始めて3年後にお付き合い、その後1年で結婚、その後1年で子どもが生まれた。
どこで主人と知り合ったか知りたいですか?
私以上の奇人変人が跋扈し、正規非正規職員共に未婚率が高く、社内恋愛率が異様に高い日本全国にある、あの企業。
陰キャの巣窟、年齢=いない歴ばかりで若い女の子というだけで優しい態度をとり、社内恋愛させようと周りがくっつけたがるあの企業。
喧嘩はするけど後に引きずらないし、喧嘩のたびに反省会をするから今が1番仲良し。
結婚したいと思った私が、結婚するためにしたことを書いていく。
・結婚相手の条件は、何かしら真っ当な方法で収入があること、自分と似た人
・結婚後は相手に養ってもらうのではなく共働きをし、お互いに助け合う関係を目指す。
・自分が働いていたとすると、仕事場、本屋、図書館、カラオケ、スーパーくらいしか行かない。
①外見を小綺麗にする。
・化粧で激変する動画を見て頑張る。
・髪をツルツルにする。
・美容院で髪を切る。
・捻くれて自己中でいじけることを出来る限りなくしていく。
・明るい人を参考に自分も真似できるところはしていく。
こんなことを考えて実行したら、始めて3年後にお付き合い、その後1年で結婚、その後1年で子どもが生まれた。
どこで主人と知り合ったか知りたいですか?
私以上の奇人変人が跋扈し、正規非正規職員共に未婚率が高く、社内恋愛率が異様に高い日本全国にある、あの企業。
陰キャの巣窟、年齢=いない歴ばかりで若い女の子というだけで優しい態度をとり、社内恋愛させようと周りがくっつけたがるあの企業。
再定義されても、その度に企業はわずかな隙間を抜けて新たなタバコを作り出したのだ(厳密にはタバコという名称ではなく色んな名前がつけられていたが、みんな普通にタバコと呼んでいた)。
そうすると自治体は新たにタバコの定義を加えたり変えたりする。
企業は企業でその度に新たにタバコを作り直すというイタチごっこがしばらく続いた。
最終的に自治体が企業そのものに圧力をかけることで、この流れは沈静化する。
だが、この頃になると世論の流れが大きく変わりつつあった。
こういったタバコの中には、他人に害を与えないものも多くあった。
それらまで禁止にすることに疑問を抱く人たちが、非喫煙者からも多く出てきたのだ。
そもそもタバコを吸わない人たちが禁煙法に賛成していたのは、副流煙による健康被害や紙巻きタバコ特有のキツい匂いを理由としていたのが大半である。
槍玉に挙げられやすい喫煙者のマナー問題も個別の事例でしかなく、市民のほとんどは必要以上のマイナスイメージを持っていなかったのだ。
吸わない大衆にとっての分かりやすい理由がない以上、全面禁止を訴える声も必然小さくなっていく。
「いや、タバコじゃない」
「けど、その筒はパイプのように見えるけど」
「これはパイプじゃなくてポエプ。煙はフィルターによって有害でもないし、無臭だから匂いもつかない」
「え?……だったらいいのかな……あ! そっちのあなたは違うでしょ」
度々起きたタバコの再定義に組員が対応しきれず、ロクに取り締まれなかったのだ。
そして、この頃になると喫煙行為は、歩行者の信号無視くらいに有名無実化していた。
自作で“タバコっぽいもの”を密かに楽しむ人が増え、時にはそれを売り叩こうとする者までいたのだ。
当然、そんなことが裏で起きているのを苦々しく思っている人も多い。
その中でも特に眉をひそめていた層は自治体……ではなく元タバコ組合だ。
そもそもタバコの販売は、地域で競合が起きないよう組合で決まりが存在していた。
それが禁煙法で丸ごとなくなったのをいいことに私腹を肥やす人間が跋扈し、元組合の者たちは不満を募らせていた。
市場に出回る粗悪品は排除し、よく出来たタバコを作っていた者は組織に引き込んだ。
当然、サクリムケ組合の統制を快く思わないタバコ販売人も多かった。
このためサクリムケ組合とはしばしば小競り合いが発生し、そこに自警団が介入した日には収拾がつかないことも珍しくなかった。
結果として、禁煙法をきっかけに治安まで悪くなってしまったのだ。
そしてその二つの組織の争いは、いよいよ大規模なものへと発展しつつあった。
「社会を回すためにルールがあるのに、そのルールのせいで乱れるなんて皮肉なこともあるよな。有害なものを禁止にするという点では、決して悪法というわけでもないのに」
マスターたちは談笑していたものの、俺は心のうちに焦燥感を抱えていた。
ハトとタカの争いも、鳥に関心のない人間からすれば同じ動物同士の戦いでしかない。
あの二つの組織の争いが激化し、表面化すれば事態は更に悪化することだろう。
マフィアの抗争じみたことが起きて、一般社会にまで波紋が広がる可能性がある。
「何とかして止められないものでしょうか」
「それは構わないが、あの二つの組織をどうこうしても根本的な解決にはならないだろう。その場しのぎにしかならない」
「それって、つまり……」
確かに禁煙法がなくなれば、以前のようにタバコ組合が公に活動できるから統制しやすくなる。
禁煙法に相応の理由がある以上、撤廃することにも相応の理由がなければ政府は動かないと思うのだが。
「ま、ちょうどいいタイミングだろうな」
タケモトさんたちはゆっくりと立ち上がった。
その動きには焦りも迷いもない。
何らかの打算があるのだろうか。
これは、典型的な「自分でやっていない、なにやら盛り上がっている作品を、気に食わないと上から目線で批判する文章」だ。
本文は『月姫』と『Fate/stay night』のネタバレを含む可能性がある。特に『Fate/stay night』原作を未プレイで、劇場版『Fate/stay night [Heaven's Feel]』の続きを楽しみにしている人は、ネタバレを含むため読まないでほしい。
私が奈須きのこの作品と出会ったのは2003年。月姫、月姫PLUS+DISC、歌月十夜の3作が収められた『月箱』であった。いわゆる型月ファンとしてそれほど古参というわけではない(型月における古参とは、竹箒に連載されていた時代の『空の境界』読者――とまでは言わないものの、最低でも2001年には『月姫』に触れたレベルを指すものだろう)。当時『ONE』『Kanon』『AIR』に心酔する所謂「鍵っ子」であった私は、もちろん月姫の噂は聞いていたものの、手を出すきっかけを掴みかねていた。月箱が頒布されたのは、そんなときである。歌月十夜まで一揃えで化粧箱に収められたそのパッケージは、初めてのTYPE-MOONとしては最適であった。同時期、彼らが商業へと移行し、次回作「Fate」は商業ゲームとしてリリースすることを発表したことも背中を押した。群雄割拠のエロゲ界についに鳴り物入りで乗り込んでくる新進気鋭の代表作を、体験しておかねばならぬと考えたのだ。
『月姫』は衝撃であった。連綿と積み重ねられてきたビジュアルノベルや恋愛アドベンチャーゲームの文法に沿っていそうに見えながら、しかし決定的に異なる「それ」は、私に新しい刺激を与えてくれた。私はシエル先輩が好きになった。この文章を打っている2018年に至ってなお、人生のオールタイムベストはシエル先輩だと胸を張って言える。もちろんそれだけではない。ファーストインパクトとなったアルクェイドが醸し出す寂しさを、そして、ひまわり畑で微笑む琥珀さんの愛おしさを、今なお昨日のことのように思い出せる。
月姫の魅力のひとつに、不思議なノスタルジーがあると思っている。あの文章とグラフィックと音楽には、懐かしいナニカを思い出させるものがある。去り行く少年時代を描いた作品だからだろうか。遠野邸の遠い記憶がそうさせるのかもしれない。
PLUS+DISC、歌月十夜まで一気にプレイした私は、そのまま『MELTY BLOOD』も楽しんだ。シエル先輩を動かせるのが楽しかった。弓塚さつきの話が出ると抜き身のナイフのようになる志貴を思うと切なくなった。琥珀さんが楽しそうで涙が出た。G秋葉でゲラゲラ笑った。
したらばのTYPE-MOON板にも入り浸った。それまで葉鍵板が主戦場であった自分が。当時、すでに「月厨」は鬱陶しい存在として認知されていた。私は努めて無関係な場ではTYPE-MOONの話をしないようにし、型月板でその分、目一杯、楽しんだ。たくさんのアンソロジーコミックにも手を出した。武梨えり、佐々木少年、磨伸映一郎……(そういえば特に好きだったこのお三方はみな現在も商業作家として活躍中であり、同時に、シエル先輩ファンであった。当時、武内崇は「シエル先輩が好きな作家さんは漫画力が高い人が多い」というような趣旨の発言をしていた記憶がある)。
だが。不思議なもので、このとき私は『空の境界』にはハマらなかった。もちろん原作は読んだのだが。当時、マルチシナリオ形式のビジュアルノベルに未来を見ていたためか。あるいは、純粋に趣味に合わなかっただけなのか。後年、空の境界はアニメ映画化され大ヒットを飛ばすことになる。
2004年、ついにTYPE-MOONの商業作品第一弾『Fate/stan night』がリリースされる。もちろん発売日に予約して買った。事前の雑誌での情報を見ていて、藤ねえがお気に入りだった(まさかあんなことになるなんて)。ライダーさんはビジュアルだけ見て絶対にアサシンだと思っていた。体験版の段階でクオリティが大幅に上がっていることは明らかだった。心が躍った。世界が変わる瞬間が、目の前にあった。
魔術師と英雄が跋扈する本作を終えて、私は思った。私は優秀な魔術師でも高潔な英雄でもなく、なんでもない、取るに足らない、醜い人間が好きなんだと。だから私は、間桐桜と衛宮士郎の物語が好きになった。
桜は魔術師ではあるが、本作においては魔術師としてよりも、もっと違う存在として描かれる。衛宮士郎もまた、魔術師ではなく魔術使いとして描かれる。そしてラストシナリオである桜ルートでは、桜は家族の呪縛から解き放たれて人間として生き始め、士郎は正義の味方に憧れたロボットからひとりの人間に生まれ変わる。魔術師と英雄が闘い続けた果てにたどり着いたのが、ふたりの人間の、人間としての歩みであったことは、とても感動的で、同時にこれが、奈須きのこが幻の弓塚さつきルートで実現しようとした未来なのではないかと想像した。
そして絶望する。ご存じの通り、桜ルートは批判された。当時の型月板は荒れた。セイバールートと凛ルートが絶賛されるとともに、桜ルートは徹底的に批判されたのだ。
イリヤスフィールの物語とオーバーラップして主題が分かりづらいという主張には一理ある(一説にはイリヤルートを作るリソースが間に合わず、桜ルートに混ぜた、と言われている)。描写不足であるという批判も、ある意味では仕方ないだろう。だがそれ以上に、ファンたちは、「多くの人間を殺しながら幸せなエンドを迎える桜」と、「正義の味方であることを諦めてセイバーを犠牲にした士郎」を批難した(正確には、彼ら2人に対してというより、そのようにある物語を避難した)。私は憤慨した。衛宮士郎の、何を見てきたというのだ。
正直に言うならば、私はセイバールートや凛ルートの衛宮士郎が嫌いだ。凛ルートの遠坂凛も苦手である。はっきりと言ってしまえば、物語として楽しみながら、登場人物たちに対しては苦々しい思いを抱き続けてプレイした。そんな彼らが、桜ルートで丸ごと好きになった。桜ルートでは、みな、人間として生きている。それが愛おしかった。
同時に、TYPE-MOON作品のふたつの側面のうち、ファンに望まれる側と、望まれない側が見えた気がした。考え過ぎかもしれないけれど、私がより好む側は、望まれていないように見えた。
これ以降、私はTYPE-MOON作品と少しずつ距離を置くようになっていく。厳密に言えば『Fate/hollow ataraxia』は心から楽しんだ(アンリマユとカレン・オルテンシアの物語はとても好みだ)。だが、『DDD』は未読、『Fate/Zero』は同人誌として頒布された際に1巻だけ読んで断念、『Fate/unlimited codes』『Fate/EXTRA』には手を出さず、期待した『魔法使いの夜』はプレイしたものの、それほど心惹かれなかった。この間、各種メディア展開で楽しんだものは、佐々木少年による漫画版『真月譚 月姫』のみであった。パスタ先輩のことは一生許さないよ。
時は流れ、2014年7月27日。もうTYPE-MOONに何の期待もしなくなった私は、それでも「Fate Project 最新情報発表会」をニコ生の中継で見ていた。そこでUBWのテレビアニメ化や『Fate/strange fake』の正式出版化に並んで、ひとつの新作が発表された。『Fate/Grand Order』。通称FGO。ついにソーシャルゲームをやるのか、と私は冷めた目で眺めていた。むしろ発表会本編終了後のサプライズ、Heaven's Feel の劇場版制作決定の発表の方が魂が震えた(今でもあの瞬間の、観客席からの絶叫と、涙を流しながら挨拶をする下屋則子さんの姿をよく覚えている)。
私はソーシャルゲームをほとんどやらなかった。手を出してみたことはあるが、純粋に楽しみ方が分からなかった。というよりそれ以前に、私はいわゆるオンラインゲーム全般が合わなかった。だからFGOが楽しめるかどうか不安だった。2015年、サービス開始に合わせてダウンロードし、序盤をプレイした。だめだった。まったく合わなかった。どう頑張っても楽しむことができなかった。私はFGOをアンインストールし、Twitterのタイムラインに流れてくるFGOプレイヤーたちの悲喜こもごもを眺めるだけになった。年を重ねてしまった、と感じた。
やがて、現実の人間関係の中でも、FGOの話題が上がることが増えてきた。2016年末のイベントの様子はTwitterでも見ていたが、彼らはとても熱っぽくFGOがいかに面白く、衝撃的で、とてつもないかを語った。私は羨ましかった。もうTYPE-MOON作品でこんなにも熱く語れることはないだろう。そう思った。
私はFGO本編をプレイしていない。いろいろと明かされたアレやソレを、なんとなく知識で知っているだけだ。そうした立場で評価するのは御法度であろう。それでも私はFGOが気に食わない。これは負け惜しみだろうか。それともただの老害でしかないのだろうか。私が好きだった奈須きのことTYPE-MOONの描く取るに足らない人間たちの物語は、もしかするとFGO本編でも繰り広げられているのかもしれない(琥珀さんルートや桜ルートが好きで、かつFGOのシナリオがそれと同様に面白い、という人がいたら、ぜひ魅力を語ってほしい。皮肉ではなく、ぜひ知りたい)。だけれども、数多くの英雄がスマートフォン上で戦い続け、それをプレイするファンたちが嬉々としてお気に入りの英雄が引けたことをTwitter上に報告する様子を、どこか冷めた気持ちで眺めてしまう自分に気付く。私がTYPE-MOONに求めていたものは、これだったのだろうか? 幾度となく繰り返されてきた、単に自分が望むような創作から外れていってしまった存在を寂しく思うという、これはきっとただそれだけのことなのだ。つまり、八つ当たりと取ってもらって構わない。
劇場版『Fate/stay night [Heaven's Feel] I.presage flower』は、公開初日に映画館に観にいった。素晴らしかった。須藤友徳監督の、間桐桜と桜ルートに対する圧倒的な「理解」に目眩がした。アバンで桜と士郎の「それまでの日々」をたっぷり描いた時点で、完全に勝利だった。FGOで得た利益でこんなにも素晴らしい映像作品が作れるのなら、FGOに感謝すべきであろう、などと思った。第二章も楽しみだ。
聞くところによると、FGOの世界には死徒二十七祖(という概念)は存在しないそうだ。私が好きだった奈須きのこワールドとは違う世界がそこにあるのだな、と改めて思った。繰り返すが、これはただの八つ当たりだ。
2017年末も、FGOは盛り上がっていた。きっと酸っぱいに違いないと、私は新年からこのような文章を打っている。2008年4月、月姫リメイク制作決定が発表された。今年、ついに発表から10年が経過する。優先順位があることくらい私だって理解できる。だからもう「月姫リメイクはよ」とは言わない。そのようなファンに耳を貸す必要だってない。FGOを楽しむ人々に向けて頑張っているスタッフの皆さんに、おつかれさまです、と声をかけたい(年始メンテおつかれさまです)。FGOという作品を批判する気もない。そもそも批判できるだけの素地すらない。何しろ、プレイしていないのだから。本当に申し訳ない。
結局のところ、私はTYPE-MOONが、奈須きのこの世界が好きだったのではなく、ただ『月姫』という作品が好きだっただけなのだろう。あるいは、月姫が生まれた、あのころが。
親告罪がどうしてあのような形態なのか今一度考えるべきだし、警察とヤクザは同じ解決方法の助力をしているけど決定的に違うのは公にして第三者評価をもって利益を得ているかどうかであり、現在の警察が信用ならないというのはすぐに公にするところ。そこにメディアが集金係として跋扈するためヤクザが特定の暴力集団から不特定多数の攻撃要因に変化してる。
なのでどこも信用ならないというのはわかるけどそこで取るべき手段は「みんなで声をあげやすくする」つまり第三の暴力団をつくろうという話ではないはず。
暴力団でないというのならば、無償である、被害者は加害者を被害者として貶めることを目的としない、という大前提が必要になる。
すると、実被害者を支援対象として擁立することは社会的な人身御供をつくることになる。永遠に被害者となる人をつくらねばならなくなる。少女像でもつくろうということになる。
望むべきは警察のような公平で誠実な組織が実際に必要な解決を、現行公務では民事不介入となっているような事案についても立ち入る第三者組織が解決だけを目的として情報を開示しないという活動をすることが「問題の解決」については最大に効果を発揮すること。
痴漢を捕まえたら金がもらえるないしはもちあげられる存在になるということが公の情報になると冤罪がでる、という可能性がゼロではないことはわかるはず。
家族内で信頼をもって結束して「加害者・被害者」をつくって資金の移動や収入源をつくることを防ぐこと、というのもすこし考えてもらえればわかるはず。
自分一人が失った何かなりを取り戻す、得ようとすることについて個人的に活動することはよいことかもしれないと見えるけども、現象として広汎にある問題については拡大させていることになる。
ハラスメントの各種も行為自体は合法的に存在する局面がある。それが不必要な場で強要された場合、損害であるということを申し立てることはできる。
そこまでの法整備がなされている現状で「自分のつらかった思い出を実名で公開する」という行為がほかの商業商品と何の代わりがあるのか、事実・ノンフィクションであればそれはなにかの法的根拠としてつかえるのか。
ノンフィクション小説であればそれをもとに社会的制裁を個人が行ってよいという条件になるのかということを考えて行動してもらいたい。
微妙だった
見る前から「頑張って1体くらいは倒すけど『実はいっぱい居る内の1体でしたー』ってオチなんかなぁ」って予測は付いていたけど、結局それ以上でもそれ以下でもない無難な展開に…
全ては主人公の「ゴジラから逃げたら俺たちは終わりだ」というよくわからない感情論一本で全押ししていく
隊長の「月に移住して地球から資源だけ回収するという案もある」という超正論にも「逃げんのかよ!!!」とかガキみたいなこと言ってごり押し
空気も土地も汚染されてる上に凶悪な怪獣が跋扈していることが判明して、ゴジラを倒しても移住は不可能ということが分かったのに
「ゴジラからは逃げましぇーん!みんなで戦おう!!」の糞演説で兵士たち全員スタンディングオベーション
挙句に「俺たちに逃げ道はいらねぇ!」とか言って脱出用の輸送艇を最前線にぶち込む愚行
正直見てて耐えらんなかった
これ地味に理想じゃね?
全部のソシャゲがこれやるべきでしょ。
「ソースコードも公開出来ないうちはまたやらかすだろうな」
ユーザーが長年言語化したくてもできなかった本当に求めていた答えがここにある。
究極の再発防止証明とは、ユーザーに公開できるように書き直したソースコードを元のソースコードと共に公開することだ。
最高の時代が来た。
ユーザーと開発者が共にゲームのソースコードについて意見を語り合える時代が来た。
これと比べれば今まで住んでいた世界は火を恐れる猿が跋扈する原始の時代だったのではないだろうか。
今、ゲーム開発の歴史はようやく石器時代に突入したのかも知れない。
ピテカントロプスになる日も近づいたんだよ。
あとから「あれはうまくいかないことだ」なんていくらでも言えるのが起業。
そして「起業は素晴らしいよ」と言いつつ煽り、進んじゃって、うまくいかない予兆のやつに「きみは勉強不足だったね/準備不足だったね」
というのがまあ、起業界隈。そんないかれた世界。まさにキュウベェが跋扈する世界。キュウベェの元ネタのメフィストフェレスでもいいが。
仕込みは前職在籍中に営業も技術もめどを完全につけとけという意味かね?
それならわかるけどね。
だけど、技術ならともかく、営業は平日日中動き回れるような状態じゃないとダメだろ。
そして、技術だけ一人でやってヒヤリングしないというのも起業周りに多くいる病。
だけど、技術を表に出したら、もうすぐ動きまわるつもりでないとならない。その踏ん切りが微妙。
特許は世の中に情報を出してしまったらもう出せない、けど、特許出してから、1年以内じゃないとPCT出願できない。
かなり時間は少ないよ。
仕込みが完全な起業なんて世の中あるわけ無いだろ。あるとしたら、ただの既存企業の新事業に過ぎない。まあ、そちらの枠組みでやるのが健全だろうがね。
既存企業が稟議と、承認欲求暴走して身動き取れなくなってるから、「生贄」を探しているというのはわかる。
そちらに最後売るというのも起業したらのシナリオとしては考えるべき。まさに、「魂を売る覚悟がないとできない」
いかれた世界だとわかって、今考えていることををなすには起業しか無いなと思ってくるのならともかく、フワフワと起業いいよというのを煽るのは
利休役が海老蔵だったので、歌舞伎という「粋」のプロから見た侘び寂びとはどういうものに感じられたかは非常に興味深い。
他にも日本人の感性や美意識を特徴づける幽玄だとかそういったものが色々あるはずなのだが、あまり注目されていないことは今後問題として大きくなっていくのではないか。
日本人のこころの所在がわからず、ふわっとしたままでいる現状。それが続いた先に、日本が卓越した魅力を持つと感じ、愛着を持つ気持ち――即ち、愛国心は養われないだろう。
最近、ネトウヨの言う所の「愛国心」が跋扈してし、「愛国心」が論争の話題となってしまい距離をおいて構えるが吉と考える人も増えているといってよいだろう。
ある国を愛すにはその国の人が愛着を持つ感性や美意識に共感する必要がある。