はてなキーワード: 訃報とは
5年前ぐらいまで頭おかしいジャニヲタだった者です。訃報で話題になっているので、当時ジャニヲタとしてどう考えてたかなーと思い返してみた。
こんな感じで、自己矛盾が自然に同居してる状態で安定していました。
ここまで書いて思ったが、好きなタレントの世代によって捉え方はすごく変わるのかもしれない。じいさんも流石にここ10〜20年ぐらいは精力尽き果てていたのだろうし…
いきなりすぎて今でも信じられない。
その事実を受け入れた瞬間、すべてが過去になるから受け入れられない、みたいな屁理屈をこねている。
だってもう死ぬまで会えないとか全然信じられない。こーやってぐちゃぐちゃ言ってたら、おーごめん、そんなに心配かけた?とか平気でメッセージ送ってきそう。
だってついさっきまでそこにいたし。ちょっと長い旅に出てるだけで。携帯水没させたとかなんかで連絡取れないだけで。
ふだんべつにいつもその人のことを考えたりしてない。むしろまったく。(ごめん)
たまに会う時、連絡する時、フェイスブックで見かける時とかそのくらい。
でも、他のことも全然考えるし普通に笑えるしごはんも食べれるし夜も寝れる。テレビも面白いしラインだって返せる。
だから。考えるだけ考えて、悼んだら忘れちゃう。それが嫌だから認めて過去のことにしたくない。
過去のことだいたい覚えてられないもん。もう会えなくなる君のことをいつまでもちゃんと覚えてられないと思う、私のちっぽけな脳みそと心じゃ。だってそういう冷たい人間だもん。薄情な友人でごめん。
でも勝手だけどいきなりいなくなった君に責任があると思ってる。いなくならないで欲しかった。おじさんになってお腹出てハゲたりしていくのを見るもんだと思ってた。結婚してこどもの話とかしたりさ。たまーに会って仕事の愚痴とか言って、俺はこう思うよとかさ、まじめに言ってくれたり。バカなことして周りを笑かしたりしてるのを、しょーもないなって笑いながら見てるはずだった。
ずっとそこにいると思ってたから、ただただわがまま言ったり愚痴言ったり振り回したりとかしかしてない。
思い出すのはいつも私が自分勝手なことしてるときそばにいてくれたこと。
不安な時自己嫌悪に陥りまくってる時、無理すんなよとか頑張れ!とか俺は信じてるよ、とかいつもどストレートに言ってくれた。私はただただ自分のことしか考えてなかったけど。そんで、照れ隠しで、いつもまともに受け止めることすらできなかったけど。ありがとう、とか、どれだけ助けてもらったか、嬉しかったかとかちゃんと伝えたこと一度でもあっただろうか。
結局今もなんでかわからない、全然理由も聞かなかったけど、いつも気にかけてくれていたと思う。
適当なやつに見えて、めちゃめちゃ懐が深くて、人に優しくて。案外かなり面倒見が良くて。どんな人でも、なんだかんだまっすぐ向き合ってて。結構いいやつだった、一本筋が通ってて結構かっこよかったの、本当は知ってたのに。面と向かったときは、からかうようなことしか言えなかった気がする。
付き合わない?って言われた時、なんか意味不明な理屈をつけて、ばっさり断ったことがある。
あの時私はそれがお互いのためだと思った。
自分に向けられる好意に戸惑って、調子に乗って、自分が良いように利用する姿しか思いつかなかった。付き合ったりしたら自分が嫌な人間になると思った。好きかどうかわかんなかったけど気になる人もいた。
今でもたぶん出す結論は変わらないけど、それを言ってくれた彼にそもそもちゃんと向き合えてはいなかったんじゃないかと今は思う。自分の恥ずかしさいたたまれなさとか謎のプライドが勝ってて、真正面から気持ちを聞けてなかったんじゃないか。そのあとも、ずっと気づかないふりしたり、向けられてる優しさも誤魔化してはぐらかしたり乱暴な言い方したり。
ずいぶん前のことだから今は付き合ってる人とか好きな人がいたかもしれない。そのあと、付き合っている人がいたのは聞いたし。
でもだからと言って切り捨てたり、気にかかるのをやめたりはしてなかったんじゃないかな。自意識過剰上等。
そう考えてみると、ほんと、実は甘えまくってるよな、としか思えない。
なにひとつ返せてないよ。そもそも返すつもりも、こんなことになるまでなかったけど。
なんかよかったところしか思い出せないのも癪にさわる。
べつに聖人君子でもなんでもなく、普通の生身のただの男の子だったのに。
もっとダメなとこ迷惑かけられたこと思い出すでしょ、ふつう、生きてる人間なら。美化してしまってるとしたら、もう会えないことを認めてるからなんじゃないのか。
恋愛的な意味で好きだったわけではないと思う。でも別に好きな人とか友人とかそういうカテゴリ以前に、君の場所にいれるのは君しかいなかった。しいて言うなら、めちゃくちゃしても最後まで味方してくれる戦友、感情表現が苦手な私が下手くそに甘えられる人、というか。本当、都合のいいことばっかり言ってて自分が嫌になるけど。
あーー生きててお互いもっといろいろあって、そんな過去のことなんてうわーそんなことあったよな、なんでそんなこと言ったかもはや思い出せないわとか言えるくらい風化してどうでもいいことになっててほしかった。むしろお前そんなん気にしてたのかよ、意識しすぎ、今俺めちゃめちゃ好きな人いるし、くらい上から目線で言われるくらいでよかった。
こうやって整理することですっきりなんかしたくない。穴を埋めたりなんかしたくない。
でも吐き出さないとこの複雑な気持ちごと忘れてしまいそうだ。ほんと、薄情な人間すぎるな。
ばーーーか。
早く帰ってこいよ。聞きたいこと話したいことたくさんあったのに。良い話なんかにしたくないんだこっちは。
Aviciiを初めて知ったのは、アルバム「True」が発売されて半年後くらいだったと思う。きっかけは、Twitterでフォローしていた誰かの呟きだった。Aviciiに関するニュースだった気がするけど、詳しいことは覚えてない。
でも、YouTubeでWake Me Upを初めて聴いたときの衝撃は、今でも鮮明に思い出せる。これまでの概念が完全に崩れた瞬間だった。EDMに似つかわしくないカントリー調の演奏、どうしたって印象に残る力強い歌声と、一度聴いたら離れられない旋律。その全てが初めて経験する音楽だった。
とにかく率直に思ったのは、こんな音楽とまだ出会えるのか、ということ。これでも一応30年近く生きてきて、大抵の音楽は知ったつもりでいた。もう音楽で心を揺さぶられることなんてない。明確に決めつけたつもりはなかったけど、無意識に、でも確実に諦めていたと思う。
だから、Aviciiのファンになるのは、曲が終わるよりも早かった。むしろ遅すぎたくらい。Wake Me Upをきっかけにリリースされた曲は全て、何百何千と聴いた。特に「Avīci (01)」は新婚旅行で行ったモルディブで一晩中流して、今でも聴くと必ずあの美しいエメラルドブルーの海が蘇る、妻との思い出のアルバムとなった。
***
Aviciiが引退すると聞いたとき、そしてその理由があまり前向きな理由ではないと知ったときは寂しかった。でも、今振り返るとそれは大したことではなかったように思う。昔ほど精力的ではないにせよ活動はしているようだったし、不意打ちのようなタイミングで発表されるリリースは嬉しくもあった。
ただ、突然の訃報はそんな細やかな楽しみも全て打ち消した。確か休日の朝だった。眠気が一瞬で覚めて、大声をあげて飛び起きたのを覚えている。でも、心のどこかでこれは現実だと冷静に受け止める自分がいて、驚きは波のように引けていった。その後はただただ悲しみだけが満ち溢れた。
***
今でもあなたのことを思うと何も考えられなくなる。偉大な才能だったのに。大切な存在だったのに。なぜ多くの人にとって希望だったあなたが、この世から居場所を失う必要があったのか。もしこれまでの作品が、あなたの尊い命を削ることで生み出されたものだとしたら、私はそれを聴く権利があるのだろうか。正直分からない。
ただ確かなことは、私含め残された者はあなたのいない世界を生きていくしかない。そのとき、きっとあなたが残してくれた作品は人生の大きな支えになるということ。これまでも、仕事で辛かったとき、人間関係で悩んでいたとき、「Wake Me Up」がどれほど心強く響いたか。どれほど勇気付けられたことか。
あなたのおかげで、また前を向いて頑張ろうと思えた。その事実は決して否定できないし、きっとこの先も変わらない。だから私は、あなたが投げ出してしまったこの世界を、あなたの作品と共に生きていきたいと願う。
好きなミュージシャンの一人が亡くなった。
ツアー中止が発表されてそれっきり2、3日アナウンスが無かったので何が起こってんだと気にしていていたらボーカルが亡くなったことが発表された。
テレビで有名人が亡くなろうがいつも思うことは一緒だったけど、今回は違った。
公式サイトで訃報の文章を読んだ時、信じる信じないとかではなくハテナマークが頭を埋め尽くした。
亡くなった。ただそれだけのことを理解するだけでいいはずなのに、文章を読み返してもなかなか脳が情報を処理できずにいた。
グランドセフトオートサンアンドレアスで主人公のカールジョンソンが母の訃報を聞き故郷に帰って母親の写真を見たときに似てる。なぜかそんなことを思った。
凄いバンドだった。
時代を先取るとか懐かしむとかではなく、そのバンドが一つの音楽ジャンルとして存在しているようだった。
最近出したアルバムはこれまでの音源と桁違いに良くて寝る前に毎晩聞いていた。
こんな凄い音楽を作れるなんてと一人で勝手に感動してはこれからはもっと凄い音楽を聴かせてくれるんだろうと勝手に期待していた。
亡くなってから一週間くらいは「死にかけました」とか「実は生きてました」とか言ってまた活動が始まるんじゃない?なんて考えては、でもそれだとあまりに不謹慎すぎるから上手いことやってくれよな。なんて考えたりもした。
Twitterを見ればまだ体温があるように感じるし、なんだかんだ曲作ってんじゃないかななんて思っていた。
思うのは、 バンドの音源を聴くたびに「でももういないんだな・・・」くらいだ。
2ちゃんにあった実況板にあったskypeで知らない人・国に安価で突撃リレーラジオ
DJ名はひろしの嫁で、
繋がりも薄くなってしまったけれど基本はPCを使ってインターネットをする時代で。
2019年の今と違って、youtuberなんかいなくてUstreamがちょっと出てきたくらいで、
今みたいに実名ありきでなくて、
世界中の知り合いでない人とも繋がることができる世界だったのかと思う。
だいぶ長くなるかもしれないけど、今日のことは記しておきたくなった。
2019年3月23日に心不全で亡くなったと彼のお仕事仲間の方から
facebookのメッセージを通して3月28日の夜に連絡がきた。
3月30日の13時から火葬場に行く前に斎場でお別れの会を開催しますと。
12年前のリアルな世界では、プロデューサーとして一流な仕事人と聞いていた。
でも、Skype上では酒、タバコ、女、鉄道、アニメが大好きで
すぐに下ネタに走るし、ド変態だし、セフレいるし、すぐにヤろうとかいうし、
お金持ってるはずなのに、たまに本当に金欠でお金貸してとか言って踏み倒すし、
強引でくずだなあwだと思っていた。
本名も知っている仲で、オフあったのも数える程度だったけど会っても同じ感じで
でもなぜか、嫌いになることができなくて、
猫が好きで、酔っ払ってすぐ仕事とはこういうものとチャットで語り出して
むしろ仕事の姿勢の話はほんと尊敬していて不思議な魅力のあるナイスミドルだった。
ここ5年くらいは全く連絡していなくて、
こないだつい3週間前に偶然facebookで誕生日のポップアップが出てきて
おめでとうとメッセージを入れたぐらいだった。
そんな彼が亡くなったと。
そんな彼の訃報が本当だったら?
12年前に、俺を呼べるくらい仕事で成功するいい女になれよ、と口癖のように
チャットでも、通話でも、オフで会った時も言っていた姿がよぎった。
嘘だったら、嘘でもいいし。
本当に最期なら挨拶したいと思って、今日、3月30日に横浜の斎場に足を運んだ。
もし本人が生きていてちゃんとした喪服で行かなかったら、
怒られるなと思って喪服も昨日急いで10着ぐらい試着して1着買った。
電車の中で、もしかしたら生前葬かもしれないとか考えたりしていたら目的駅に着いた。
話しかけると目的地は一緒で、彼に仕事を頼んでいたクライアントさんだった。
彼女も先日これからお願いしますと挨拶したばっかりで、びっくりなんですと。
そんな話をしていたら、斎場に。
受付して10mもしない先に彼の棺と思い出の品々があった。
お線香の匂いがして、棺の右隣にお母様とご親類の2人立っていて。
女性が2人泣いていて。
お焼香の仕方もおぼつかなくて、きたよと挨拶したけれど本人と顔をあわせるのが怖くて
棺の中は見れなかった。
棺の横にはサッカーのユニフォームの写真や猫を抱っこしている写真もあって、本人だ。と思った。
仕事仲間で今回の会をお手伝いしている方が
時間になったら献花とお見送りに向けて声をかけますと言われて待機することにした。
同じように待機している人20代くらいの2人組に話を聞くと、
4、5年前に知り合ってスポーツ関連の仕事を紹介してもらったんです。
お酒とタバコがだいすきで、仕事のオンオフがはっきりしていて熱い人でしたよ。と。
もう一人同世代の方とも話したら、
仕事に熱く、クライアント先で話し出したら10分ぐらい一人ノンストップなんですよ。と
笑いながら話してくれた。
12年前に私が思った印象とあまりリアルも変わらないんだな。と思った。
私も正直にネットで知り合った友達と伝えると、みんな意外そうな顔をしていたけど、
彼らしくいろんなことに手を出してるね。と笑っていた。
そんなことを話していたら、時間になってお母様のご挨拶があった。
お母様に挨拶させるなんて。
彼のお父様が若くに亡くなって、形見の結婚指輪をはめて大事そうにしていたことを思い出し、
なにやってんだと悲しくなってしまった。
ご親族がお棺を開けてYシャツにネクタイ、上着、彼の苗字が書いてある日本代表の青いユニフォームをかけてあげて。
マルボロだったり、ミニカーだったりを入れて献花の時に最期に顔を見て挨拶した。
昔と比べて白髪やしわが増えていたけれど安らかな顔をしていた。
ぽんさん、
相変わらずスーツが似合うね。
なんでか涙でちゃうなあ。
スカ凸のDJさんたちもきたがっていたよ。
リアルの人の話きいたけど、あいかわらず若い人への応援が熱いね。
喪服6万円のなんだけど、もっとちゃんとしたやつ買ったほうが長く使えてよかったかな?
昔、服を買うなら一流のやつを買って長く使えって言ってたもんね。
ちゃんと仕事できてるかな。ぽんさんがいういい女になれてるかなあ。
そんなことを心の中で思いながら最期のお別れをした。
霊柩車に乗って彼の棺はお母さんと、弟さんと彼女さんの3人と斎場を離れて
お別れの会は終了した。
どういった人選をされたかわからないけど、この場に来れてよかったと思う。
なぜかと言ったら失礼だけど、意外と彼が亡くなったことが悲しくて、
亡くなっても、なお人の死に慣れろよと、勉強させてもらっている気がする。
笑いながら、俺職場でも私生活クズだけど仕事は尊敬できますよねって言われんだよね。と
語っていたのを思い出した。
彼と色々12年前に話した思い出の中で一番印象に残っている言葉がある。
よく聞く「俺は会社の歯車だ」と愚痴るやつは歯車じゃねえ、会社にとっては埃なんだからと。
いま社会人として仕事をしている私の礎になっている言葉でもある。
実行できているかはわからないけど、これからもこの言葉を大切に仕事人として歩んでいこうと思う。
先に逝った飼い猫のポン太を撫でられているかな?
落ち着いたらまた、お墓に会いに行くね。
安らかにねむってね。
きこより。
亡くなったくらいの頃にちょうどそのひとのブログを読み返していたのに気付いてしまって、もういなかったんだということがどっと来てしまった。
とても不義理をしていて、2、3回会ったきりだった。
それでもいろんな話を聞いて、その頃会った他の人たちとも話題になったひとだった。
インターネットで人と会うと、本当にいろんな人がいるということを生の存在として教えてくれたひとだったのだと思う。
時が経って何者にもなれていないのが残念極まりないというのもある。
ふつうに、数ヶ月前まで、何なら近所に来ていたという記事まであったのに。
ああ元気そうだなと思っていたのに。
向こうにとっては記憶にも残らない程度の自分だったろうけど、どうにも泣けてしまってこの時間。
オフでもオンでも仲良くされていたひとが発信されたから気付いたくらいの距離でしかないのに、すごく悲しいのは、なんなんだろう。
その後もたくさんの人たちとネットを通じて出会い、交流し、途切れたり、またつながったり、危ない目にもあったりしながら、今、出会ったネットで訃報に触れて。
多くの人が悲しんでいる様子に、大して仲良かったわけでもない自分が悲しむのもおこがましいだろうけど。
こういうのってどう向き合ったらいいんだろう。
という吐き出し。
初めて教えてもらった遊びでした。
一緒に連れてってもらった友人たちとは離れてしまったけれど。
そのうちに。
※本文には「コードギアス 復活のルルーシュ」のネタバレを含む。
10年前のR2放送時物語が終盤に差し掛かり最終回というものを意識した時、本当に比喩ではなく毎週の楽しみであり、
生き甲斐だったコードギアスが終わるという切なさを感じつつ、その分素晴らしいものをみれるのではないか
という期待感もあった。
この素晴らしい物語が終わってほしくないという気持ちが重なる、そんな期間だった。
ルルーシュがスザクと行った本当のゼロレクイエム、ナナリーがフレイヤでやろうとしていたこと
この二つの類似性に打ち震え、あの悲しい最後のシーンはルルーシュ・スザク・ナナリーの物語を終わらせるにふさわしい、
素晴らしいもので、それまで見てきたどんな作品の最終回よりも美しいと思った。
それまでの話数は放送後何度も見返したが、
私にとって不可逆で不可侵の素晴らしい思い出だった。
最終回放送から8年後、西暦2016年にそのコードギアスが、ルルーシュが復活するとの特報が出る。
思い返せば亡国のアキトシリーズの放映や、パチンコ化などのメディアミックスの情報は、
アニメ放送後も途切れることはなく、コードギアスは死なないコンテンツになったのだと気付くべきだったのかもしれない。
情報は少しずつ鮮明になり、総集編としての劇場版3部作が放映されたのちに
与える変更点を加えつつ次々と公開していく。
そしてルルーシュが死んでから10年がったった昨日、西暦2019年2月9日、平成最後の冬に
ルルーシュは死んだのに。
美しく、そして気高く世界から憎しみを無くすために文字通り命をかけた主人公は
もういないはずで、それでも世界は続いていたのに。
復活
肉体が蘇るわけではないよ。
ルルーシュがいない世界で必死に、彼が求めた願いを実現するために
それでもよかったのではないかと考えた。
だがし復活したのだ、
策を練り、有無を言わせぬ迫力で味方を鼓舞し、指示を出す。
あれがルルーシュだということに異論を唱えるファンはいないだろう。
それほどまでに素晴らしくルルーシュだった。
詰め込まれており、それでいて色褪せない、新鮮さも感じることのできる、素晴らしいストーリだった。
完結した作品であるはずという思いが強い人が多いのではないか。
感情を抱いていた。
だけれども、観て、楽しんでしまうのだ。
どんなに抗おうとしていたとしても、
観終わった後に私がどんな感想を抱こうが、
それは全くもって否定できない。
観ないわけにはいかない。
すぐに決めることはできなかった。
少しでもこの胸のつかえがとれないかと
監督のインタビューのタイトルに「批判を覚悟で制作に踏み切った」とあった。
冷静になってみればそれはそうだろうという感想だ。
物語を美しく終わらせるのではなく、
解釈する私の様な人間から批判が出るのは覚悟していただかなくてはならないだろう。
とらえている人が多いように感じる。
また、劇場でも終幕後に涙を流し、
良かったと感想を漏らす人も多くいた。
どんなに賛否両論の意見が出たとしても、「賛」の意見が出続ける限り
今後も興行収入を伸ばし続けるであろう。
向けられる覚悟がないといけない。
「撃っていいのは撃たれる覚悟がある奴だけ」だ。
しかし、「復活」でルルーシュはこのセリフを否定するかのような言動を行う。
C.C.と同じ、撃たれてもその命を失うことがない
L.L.にはその覚悟がない。
人とは違う理で生きている。その悲しさを物語っているのかもしれない。
円盤を購入するという行為に我々は「支援」という意識を持って行っていたと思う。
我々の支援なしには生き続けることができないと、
その支援が乏しく、延命や繁栄をすることができずに死んでいったコンテンツを
観ていたからこそ、そうした感情が行動させていたのではないか。
私が「復活」を劇場で鑑賞した際に
本作でも重要な役割を担う「玉城真一郎」のクレジットを見た時だ。
ご存知の方もいると思うが、「玉城真一郎」をTVシリーズで演じていた、
もちろん総集編の劇場版で「玉城真一郎」を演じた演者の方の演技は
素晴らしく、引けをとっているだとか、優劣があるといいたいのではない。
その悲しさは、当然のことながら亡くなった人はもう「復活」しない
実際私もそうだった。こんなことを書くと現実とフィクションを理解していないと
否定されそうではあるのだが、私が10年前に愛した「コードギアス」には
壮大で近未来的なSFとしての要素もありながら、リアリティがあったのだ。
死にゆく人間を救うことはできない。そんな現実を突きつけられるような、悲しい物語だったのだ。
だからこそ私たちは最終話でゼロの剣に貫かれたルルーシュを見たとき、
そこにリアリティを、死んだ人間は蘇らないという現実をフィクションの
私は10年前の最終話でルルーシュの死によって完結した素晴らしい物語を
味わうことができたこと。
デザートのような続編を味わえたと、いうところだろうか。
何とか消化吸収に努めないといけないのだろうか。
吐き出したところで、何にもならないのだから。
同じく「死なない」コンテンツに「復活」した。
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ネット時代になってそれぞれ別のサービス?や界隈に分かれていった
ここらへんに「ご近所トラブル」とか入ってくるが、これ最近togetterとかTwitterまとめで多いね
そう言えば昔なくて今あるジャンルだと、就職関係とかかな、専門性が高いとテレビでやりづらいからな
君はそれをエンタメとして消費しているのだよ
カノン進行を大逆循環と呼ぶことについてを書いたが、パッヘルベルのカノンのようなほとんど無名だった曲が後世の神アレンジで有名になるということを考えたい。パッヘルベルのカノンが有名になった経緯というのは謎に包まれている。参考:【訃報】流石だったよなパイヤールhttp://lavender.5ch.net/test/read.cgi/classical/1366627357/ 他の曲ではヴィヴァルディの四季なんかもとてもバロック時代との作品とは思えないので後世の味付けで有名になったのだと思う。そういう曲は結構あるはずだ。
そもそもクラシックの指揮者はどういうところで評価されるのかを考えると、曲の発掘という面もあるとおもう。フルトヴェングラー、カラヤン、C. クライバー、小澤征爾などもそういう発掘曲があるのだと思う。ヴィヴァルディの四季の場合を調べると、イ・ムジチ合奏団が有名で日本でレコードがすごく売れたらしい。合奏団が有名なケースもあるようだ。
ネットではカノンのJPOPへの影響が拡散されているが、現代での過去曲の評価は作曲者の評価が上がることになる。演奏指揮より作曲者の評価が上なのは正当な評価だろう。実際パッヘルベルのカノンのような美しい同度3声カノンをかける作曲者が現代にいるとは思えない。でも場合によってはすごいのは誰なのか評価が安定しない事もありえると思った。
大腸ガン。87歳だった。
戸籍上の関係はなくもちろん血の繋がりもないが、家族以外に私のオシメを唯一変えてくれた人であった。そして学生時代には私のよき相談相手でもあった。
タイトルの玄海師範とは幽遊白書に出てくる玄海師範のことである。生前に彼女のことを玄海師範とあだ名していたわけではない。彼女の訃報から思い出を反芻してるうちに、武闘派でこそないが玄海師範と多くの共通点があるとかんじ、また匿名日記ゆえの都合の良さがある。
若い頃の彼女の写真はとにかく美しかった。東北人らしからぬ都会風の美人だった。しかし伴侶を持たず、生涯独身であった。
言葉は説教くさくなく、明瞭で簡潔で的確だった。理知的でドライで、自立した凛とした女性であった。
私の実家が家族を保っていたのは彼女の存在が大きく、それこそ家族をつなぎとめる文字通り重しであったと思っている(私を漬物石のように言うな、と怒られそうではあるが)。
私には長兄としての立場に理解をしつつも、お前の悩みはまだまだ浅く青いとケツを叩き、母にとっては精神的な疲れの定期的な拠り所でかつ、貴重な愚痴と感情のはけ口であり、父に対しては説教をし、そして父がこうべを垂れて反省する唯一の女性であった。
けして彼女のために家族を維持していたのではない。本当に彼女のみえない力で、私たち家族は維持され続けていた部分が確かにある。
「もう来ないで」「もう来ないでください」「もういいでしょ」
おそらく父や母が1人で行った時にも同じ言葉をかけていたのだろう。半分冗談で、もう半分はお前たちは私の家を駆け込み寺のように扱うな、自立しろというメッセージだったと思っている。
昨年末、彼女に数年ぶりに会った。衰弱した彼女と30分ほど会話をした後、不意にいつもの言葉を言われた。
「そろそろ帰りなさい。もうこないで」
わかった、じゃあまた、とだけ言ってその場を後にしたが、何かこみあげてくるものはあった。昔よく交わした最期の会話。雪が積もり始めた日だった。
彼女の出身地は既にダムの底であり、彼女自身の体は献体に参られるから、彼女が生きた痕跡は驚くほど速くなくなっていくのでしょう。
現在は予選も終盤となりより一層盛り上がっていくことであろうこのMリーグですが、僕は開幕時から視聴してパブリックビューイングという実際に試合会場近くまで足を運んで応援するというイベントにも参加してきました。それだけこのMリーグを楽しんでいたし、これからの発展にとても期待しています。
しかし、今の僕はほとんどMリーグを観ることが無くなってしまいました。
別に興味が無くなったわけではない。単純に疲れてしまったのだ。今回はこの理由について書かせてもらおうと思います。そしてもし「麻雀は好きだけど分かる」という声があればお聞かせください。
そもそもこんな話をするお前は何者だというところをお話します。僕は別にプロ雀士でもなければアマチュア強豪というわけでもなく、むしろ一般的に見ても雀力が高いとはいえないようなただの麻雀好きな男です。
麻雀を始めたきっかけはゲーセンの麻雀格闘倶楽部、麻雀を観るようになったきっかけはAbema TVという、およそ平均的なイマドキの麻雀ファンだと思ってます。
そんな僕に衝撃をもたらしたのは、Mリーグ開幕の吉報です。
名前の通りJリーグなどのナショナルリーグ化を目指す試みであり、今までは複数あるプロ団体が主催する独自のリーグがプロリーグとして認識されていた麻雀界に対して、スポンサードによる年俸制という革新をもたらしたのです。(そのため、前述した日本初のプロリーグには語弊がある)これはよりいっそう麻雀を楽しめる!!そう思っていた僕のところに思わぬ訃報が届けられたのはMリーグ開幕後すぐの11月末のことでした。
「RTDリーグの終了」です。
RTDリーグとは先に述べた各プロ団体が主催するリーグ戦ではなく、かといって最強位のような超短期戦でもなく、招待選手たちが1年という長期間に渡り繰り広げるリーグ戦で、AbemaTV麻雀チャンネルオリジナル企画であり看板番組でした。この番組をたまたま視聴したことが、僕が麻雀を観るきっかけとなり、ひいては観る雀が習慣化されるきっかけとなりました。
この番組は2016年から始まり、2018年の3シーズン目は入れ替え基準が不明確だったものを降格制度を導入して明確化し、「勝ちたいけど負けるのはもっと嫌だ」という選手たちの葛藤を間近に見ながらよりドラマのある展開となり(個人的には藤田社長の不参戦や、やや冗長にすぎるインタビューなど不満な点もありましたが)、10月に行われた決勝戦の結果小林剛プロの優勝で幕を閉じました。
また来年もこの熱い戦いを観ることができる、そう信じていた視聴者もきっと多かったと思います。しかし番組最後に流れたアナウンスは、無情にもRTDリーグ終了のお知らせでした。
Mリーグの放送母体はほぼほぼRTDリーグと同じで、Mリーグに出場する選手の大半はRTDリーグの選手と被っています。そのため並行して行うことは難しいという判断だと思われます。
当初はもちろんこの訃報を悲しく思いましたが、その分Mリーグを応援しようと思いました。しかし、このシコりは次第に大きくなっていきます。RTDリーグとMリーグは大きく違っているのです。
僕がMリーグを観なくなった1番の理由、それは「週4回という放送スケジュールを追いきれなくなった」に尽きます。
Mリーグは月曜、火曜、木曜、金曜の午後7時からそれぞれ半荘2回を行います。毎日およそ3時間強で、RTDリーグの単純に2倍の時間です。(RTDリーグは月曜、木曜の午後9時から半荘2回)
選手の思考に思いを馳せながら観るのは観る雀の醍醐味であると僕は考えています。そして視線は常に牌姿にいくため、常に集中する必要があります。
もちろん流し見をする人もいるかもしれませんが、麻雀は盛り上がりの場面が明確ではなく、いつその瞬間がきてもおかしくないのです。実況が盛り上がってきてから観ても、それまでの牌の動きや選手の思考に追いつかず、「ただ良い手が入っていたから勝った」だけのものになってしまいます。
そのため僕はRTDリーグを観るときはコンディションを整え眠い時は後からビデオで観るというのが常でした。それでもRTDリーグは週2回、追いつくことは難しいことではありません。
しかしMリーグはその倍の週4回。僕は1月20日現在12月上旬の試合のところで停まっています。
それでも追いつかなくちゃと当初は睡眠時間を削って観たり、食事をとりながなら観るなど、それまでしていなかった「ながら見」をしてでも追いつこうとしました。
そうなると今度は現在のランキングに違和感を覚えてくるのです。あれ、Abemasいつのまにこんな下に?とか。それは「ながら見」を行ったが故に、試合の結果が頭に入っていなかったのです。
そして、それは次第に試合内容にまで及び、ビデオ再生して見終わったものが実は既に一回観終わっているものだった、というのもザラにあります。これではとても麻雀を観ている、とはとても思えなくなってしまいました。
もう一つ決して小さくない理由として、試合以外の要素が多すぎるという点が挙げられます。
対戦前の選手紹介や毎回代わり映えのない対戦前インタビュー(そもそも選手に毎回インタビューの内容を面白く話せという方が無理がある)、そして長すぎるヒーローインタビュー(これについても松本圭世さんはものすごく麻雀の勉強してるし自分の色を出しながらインタビューして選手の個性を引き出そうと並々ならぬ努力をしていますが)などなど、RTD2018を観ていてやたらとインタビューが増えたことの集大成として実に1回あたり30分近く対局以外の時間があります。
もちろん対局だけ映す今までの各プロ団体主催リーグとの差別化を図り、よりドラマティックにエンタメ化をはかる上では必要なのかもしれないが些か長すぎるのではないかと…。
僕は今も麻雀は大好きですし、先日の麻雀チャンネルの新春特番など面白い企画をこれからもAbemaTV様には続けてほしいので僕はこれからもプレミアム会員でい続けます。
しかしMリーグに対して真剣に追うことは現在の体制下では自分の生活リズムの範疇での視聴を大きく超えているため、今後もないでしょう。結果だけみてもチームの点数だけなのでイマイチどのプロがどう勝ったなど分かりにくいところはありますが見るくらいはするでしょうが、ビデオでの後追いを時間ができたときにちまちましていくことと思います。このタイミングで記事を書いたのはなんとなくですが、Mリーグの盛り上がりに水を差したいわけではありません。来期以降のスケジュールを考えるうえでこういった意見もあるということを垂れ流したかった、ただそれだけです。