はてなキーワード: 腐向けとは
またの名を、昨今の「感想は絶対送るべき! 送ろう!! ていうか送れよ!!」風潮にもモヤるという話。
う〇こです。とぐろが巻けるほどの凄く長いう〇こです。読むならそのつもりで。
前提として。
私は某ジャンルで腐向け二次創作をしている字書きだ。イベントは諸事情で参加していないが、年に2~3冊ほど新刊を出しては自家通販をしている。また、オフだけでなくオン活動もやる。
それなりに同人女歴の長くなってきたBBAなので、ありがたいことに、部数・発行スパンが大したことない割には、そこそこの頻度でご感想をいただいている。
そしてこのご感想は、本当にいつも大変うれしく頂戴している。絶対に何かしらの形で御礼をするようにしているし、次の作品への大きな原動力にもなっている。ありがとうございます。
書き手であると同時に読み手でもあるので、自分も比較的よく感想を送る。「萌えた!」「性癖です!」「たまんねぇ」などを拙い語彙力をどうにか駆使して書いているのだが、結構喜んでいただけるのでこれも嬉しい。
で、そうやって、感想をいただく側でも送る側でもあるから、思うのだ。
たまに見かける「感想貰えない、つらい。かく意味がないので筆を折ります」っていうかき手に、とても露骨な言い方をすると「は? お前何言っちゃってんの?? 何様のつもり???」と。
いや、感想貰えたらうれしいし、いただけるものならぜひいただきたいし、貰えなかったら「あーウケなかったのかなぁ」って地味に凹むのもわかる。凄くわかるけど、わかるからこそとてももやもやする。
理由は次の通りだ。
まず第一に、書き手の立場から。例えば同人誌として有料頒布したものなら、「お代を払ってまで自分の作品を手に取ってくれた」、それだけで充分に対価は受け取れているんじゃないのか。印刷費負担という建前とはいえ、訳わからんアマチュアの本にお金払ってくれてるんやぞ? そのお金がなかったらオフ活動続けられんのやぞ? 充分ありがたいだろうが??
その本を手に取ってもらう対価としてその金額を設定したのだから、それ以上のものを要求する、というか、「それ以上のもの(≒感想)も貰えるはず」みたいに考えるのは何だか筋違いだと思うのだ。はっきり言って図々しくないだろうか。
もちろん、無配やオン作品はこの限りではないけれど、でも、これだって作品を読むことに対価を設定しない選択をしたのはあなたでしょと思う。閲覧数が伸びるだけで少なくとも誰かには届いているし、ブクマやいいねがつけば御の字じゃないんだろうか。ブクマは「また読もう・後で読む」とか「お気に入り」とかの証みたいなもんだし、いいねなんて「いいね!」だぞ。いいねだぞ!? 悪いねじゃないんだぞ!?!?
あのね、感想を送るのって、ぶっちゃけボランティアみたいなもんなんですよ。いやそうじゃない??
別に送ったからって、同人誌と違って便箋代を払ってもらえる訳じゃないし、いやそんなのいらんけど、だったらせめて神のモチベーションに少しでも繋がれば……と思って送っても、次作が保証される訳でもない(どころか、迂闊なこと書けば逆に筆を折ってしまいかねないというリスク付き)。
場合によっては返事も貰えず、喜んでいただけたか、最低限ご迷惑ではなかったかもわからないことだってざらにある。
下手をしたら「作品への感想が来ない」こと以上にリターンが少ない行為、それが「感想を送る」なんだってことを、「筆折り宣言」をするかき手はわかってるんだろうか? と思う。
そんな、自分の神がワンチャン喜んでくれる(かも知れない)以外には読み手にとって何のメリットもない感想を、無償で書いて寄越せっていうのは、普通に考えて割に合わない話だとは思わないか? それこそ「愛がなきゃできない」ことだ。
割に合わないと言えば、送る以前の問題で、多くの人は「感想を書く」段階で物凄いハードルがあるんだということも、かき手は理解しておいた方がいいと思う。
漫画にせよ小説にせよ、同人作家は「表現する」ことに慣れているから、感想を書くくらい何てことはないかも知れない。だが、多くの読み専門の人はどうやらそうじゃないと聞く。「いい……」「神……」「萌え……」「やばい……」だけでもよいとかき手は言うが、そんなつまんねぇ言葉を己の神にかけられるか? というのは、神を神と崇める多くの読み手の普遍的な悩みではないだろうか。いや無理だわ。神には祝詞を捧げなきゃと思うだろ。
ところがそれで「語彙力がなくて悔しい、申し訳ないです」の言葉が出てくるならまだ語彙力がある方で、感想って、どんなに感動してたって書けない人には本当に書けないんです。マジで。
つまり、「感想を送れない・書けないからと言って、感想が『何もない』訳ではない」場合も往々にしてあるということ。そこを、かき手はわかっておく必要がある。
愛があってもできないことはあるんよ……。鳥じゃない私に空は飛べないし、身体を揺すっても鈴みたいな綺麗な音は出ないの。(突然のみすゞ)
感想はほぼ好意100%のボランティアで、ましてや「義務」でなどある訳がない。加えてしたためるにはかなりの時間と労力がかかる。だから、「感想は貰えて当たり前のものじゃない」「むしろ来ないことの方が普通」。
というかまず、感想が来ないから筆を折るという人は、本当に自分とその作品が感想を貰うに値すると思っているんだろうか? 感想を貰えるだけの、全ての努力と手段を尽くしたんだろうか?
まずは作品の出来。巧拙という話ではなく(それもあるけど)、そのジャンルやカプでウケる作風と内容か? どんなに上手くても、シリアスがウケないジャンルでシリアスは絶望的に読まれないし、萌え絵がウケるジャンルで劇画風は評価されない。そういう、読み手のニーズは掴めてますか?
そもそもの話、あなたのジャンルやカプに人はいますか? 斜陽ジャンルのマイナーカプでかいてたって、感想はおろかまず読まれる確率からして低いんだけどそこのところはご承知でしょうか? あと、界隈が感想を頻繁に送るような雰囲気かどうかも結構関係しているよ?(マイナーゆえに感想が盛んとかいう界隈もあります)
感想が欲しいことは主張していますか? 絡みやすそうな雰囲気をツイッターで醸していますか? 鬱ツイートばっかしてる奴に絡もうとはなかなか思わないからな? 交流してると義理だとしてもお友達から感想いただけるようになるけど、来る者拒まず的な交流してます? 感想を送りやすい匿名ツールはわかりやすいところに置いてる? 毒マシュには一応気をつけような?
感想欲しけりゃジャンル移動しろとか、媚びたものをかけとか言いたい訳じゃありません。のであしからず。
そういう作風、ジャンルやカプ、作家としての芸風(?)で活動しているなら、感想が貰えないのもやむを得ないと自覚しような? そこんとこわかっておこうな? と思うんです。という話です。
そうやって、かき手としての自分の身の程も弁えず、感想をくださる読み手さんの事情や心境も酌まずに、「感想が貰えないので心が折れた。筆折ります」と言う人は、申し訳ないけど、じゃあ折れば? って感じ。(過激派)
私は、同人即売会に「お客様」はいない、かき手(サークル)も読み手(一般)も等しく「参加者」である、という話がとても好きです。
かき手と読み手は対等な立場。読み手がかき手を神と崇めるなら、私は読み手さんにも神読者はいると思う。感想をくださる人。言葉はなくとも毎回本を手に取ってくださる人。オン作品をブクマやいいねをしてくださる人。ていうかまず読んでくださる人。それだけで神!
感想をいただけることは普通じゃないんですよ。めちゃめちゃレアケースなんですよ。神と崇めてくださる方こそ類稀なる神なんだよ!
あと、とばっちり的な関連の話題として、「感想は送れ。ぜひとも送れ、絶対に送れ」みたいな最近の風潮もあまり好きではない。
さっきも言ったけど、感想を書くのって凄く労力と時間がかかるものだから。そりゃかき手としては、貰えたら嬉しいけど、読み手さんの大切な生活を必要以上に削ってまで欲しいとは思わない。申し訳なさ過ぎる。
感想は、熱い思いが溢れて書けちゃったならぜひ送ればいいと思うけど、義務でも何でもないし、同人誌と同じで「書きたければ書く、送りたければ送る」でいいと思うんだよな。
受け取るも受け取らぬも自由。
それで折れるような心と筆ならそこまでの話。どーぞどーぞ折れてください。
というのは、実はでも、半分は自戒です。
先日新刊を出したんだけど、前と比べてサンプルのブクマは伸びないし、頻繁に感想をくださってた神読者さんも今回はまだ何もくださってないし……で、あーこれはやっちゃったパターンかな……もう書くのやめよっかな……と図々しくも凹んでしまったので。
てめぇはそんな、感想貰えて当たり前みたいなタマかよ!? 身の程を知れ身の程を! とセルフ往復ビンタのつもりで書きました。あーすっきりしたぁ。
って、今更「感想来ない 筆を折る」でググったら、似たようなブログ記事とか色々出てきて、こんなん私が書くまでもなかったか……って思いました。まる。
言いたいこと言ったらすっきりしたって、マジう〇こじゃん。
TwitterやPixivなどで腐向け一次・二次創作小説を日々拝読しているのですが、もちろん大人なのでエロ描写を含むものを好んで嗜んでいるわけで……。そんな中たまにここちん(心のちんちんの意)が途中で萎えてしまうような、普通の言葉で言えば興奮が一気に醒めるような作品に出会うこともあるわけです。
このここちん中折れ状態に至るには自分の場合「シチュエーションに萌えない」「お互いへの想いの描写が足りない」などといった本質的な理由よりも「日本語がおかしい」みたいな些細な理由が多く、今後の自分への戒めも兼ねてここに列挙しておこうと思います。小説書かないけど。
「考えれる原因は3つ」
もはや説明は要らないと思う「ら抜き言葉」・・・普段喋っている時には全然OKだと思うけど、いざ小説内の地の文で使われると即萎えてしまう…。キャラクターの口調などによってはら抜きの方が合うなぁというケースも多く、会話文やセリフではそんなに気にならないけど、地の文で使われると違和感が凄まじい。”ら抜き”を使わなくて済むような違う言い回しにしてくれないかなと思ってしまう。ただし「”ら抜き”が標準である方言を使用する地域」というものが多数存在するらしく・・・うーん。
「まだ試合には出せれないな」
「指一本すら動かせれなかった」
「れ足し言葉」という呼び方は私が勝手に言ってるだけなのであまり気にしないで。具体的には不必要なれが挟まってくる感じです。上記の例だと正解は出せない、表せない、動かせない。結構いるんだこれが。
「そうゆう言い方は卑怯だ」
大昔から言われてるのにまだユーザーがあまりにも多い。ご存じの通り「そういった」「そのような」みたいな意味の「そういう」の砕けた言い方なんだけど、この「そうゆう」を使うだけで受けちゃんだか攻めちゃんだかのIQが50ぐらい下がって見えてしまう…。実際に会話してる時はいいけど、文章上で「そうゆう」はほんとないわ…。
一度の間違いなら「タイプミスよね」と温かい目で見ることができるけど、延々同じ間違いを繰り返していると「地名や人名すらちゃんと覚えてないなんて作品愛が足りなくない?!」と萎えてしまうやつ。舞台が日本や漢字圏だとあまり発生しないタイプだけど、カタカナの固有名詞ベースの作品では結構な割合で発生しているように思う。
多いのが「グ」がつく名称を「ク」、「ド」がつく名称を「ト」で間違っているやつ。ハグリット、グットマン、ガラハット、ゲイボルク、ゴットストライク、ジャレット、ブラックドック、モードレットなど。
他にも「ヴ」を「ブ」と書いていたり、半濁点と濁点を間違えていたり(バイコーンをパイコーン、など)、固有名詞の中で文字の順番を間違えていたり(ガタノソアをガタソノア、など)。お名前はちゃんと確認しようぜ!
「今まで気ずかれないように必死で隠してきた」
「経験を一つづつ積み重ねて来た」
「近づく」「気づく」「一つずつ」が正解(※一つづつ、については歴史的仮名遣いとしては正解らしいけども)。なんとなく、カクッと膝の力が抜けるような気持ちになりませんか。
「彼のbikeの心地よいsoundが忘れられなかった」
「学校に戻ったがgroundには誰の姿もない」
こういうタイプはむちゃくちゃレアケースで、今まで2回ぐらいしか遭遇したことがないのですが、恐ろしいことに実在します。すぐ読むのやめたよね。なんかこっちが恥ずかしくなっちゃって。
「結局それを手に入れることはできなく、後悔が残った。」
「反対する者は不思議といず、あっさりと決定された。」
「〜できなく」からは幼稚な印象を受けてしまう。かと言って後者のようにむやみに「ず」に置き換えるのも珍妙な印象を生んでしまう場合があって、ケースバイケースで考えないといけないから難しいなぁ。「いず」は「おらず」に置き換えるのがベターだと思います。
また何か見つけたらまとめます。
Twitterが高専というワードだけでR18作品とか一般的じゃないものが流れてくるようになってるとか。
それについて「R18やBLは検索除けしてくれ」という苦言ツイートが投稿されて話題。
いつまでオタクはゾーニングができないまま他者に迷惑をかけ続けるんだ?
話題のツイートではご丁寧に「成人向け・腐向け二次創作作品をツイートする際は~」と前置きしてるにもかかわらず
やれR18は手前でミュートしろだのやれ呪術自体の話題を取り消すのは無理だから自分たちでもコミュニティづくりを譲歩しろだの思いやりのない反応も多い
やけにr18/bl作品と二次創作全般を混同させて反論しようとする論理すり替えマンが異常に多い
そりゃ呪術に高専が出てくる以上高専のワードでそっちがヒットすることは何の問題にもできないししてないだろが
不意に不快なもんが呪術知らない人間に流れてくるのが問題なんだろうが
お前ら以外に譲歩させてる時点で間違いなんだぞ
勿論わかってる人間もいるのもわかったうえで言ってるが
いまだにあんなにわきまえない奴らが多いことにびっくり…
ここ数日で、掲示板で腐の話が上がってしまった!大問題だ!これからは皆鍵にしよう!!って流れになっている。正直そこまでする必要があるか?と思う
nmmnでは「表に持ち出すな」って言葉をよく使われるけど、掲示板も「表で言えないからここで吐き出す」という文言が出る。掲示板も裏じゃん。そりゃあnmmn界隈の話題が公式ファンタグ付きでツイートされてたら問題だろうけど、今回は公式が自分から深淵を覗きにいかないと見れない場所での出来事で、気にする必要ないと思うんだよな………。
だいたい同ジャンルでも百合おじさんの掲示板での気持ち悪い発言はまとめサイトにしっかり取り上げられてるのに、なんで腐向けだけこんなに自治厨多いんだろうね。
関係ないけど、界隈の雰囲気として、百合と夢は(2次元、nmmn問わず)その辺ガバガバなイメージがある。そう感じたのはTwitterの作品名タグにR18百合作品が平気で載ってたり、お題サイトで男性アイドルのR-18夢女子向け文章生成スロットがいくつもあったりするからなんだけども。
昔から恋愛を描いた創作が好きだった。少女漫画も青春モノもボーイミーツガールも、他ジャンルの作品のサブ要素として描かれる恋愛要素も、ジャンルを問わずそういう作品を好んで読んできた。数は少なかったが同性愛を描いた作品も昔は抵抗なく恋愛を映画居た創作の一つとして楽しんでいた。恋愛とまではいかなくてもどこかそういった雰囲気を感じ取れる、いわゆる”百合”や”腐向け”と呼ばれるような作品も昔は楽しめていたと思う。
具体的にいつからというのは覚えていないし、オタク文化の歴史に詳しいわけでもないけど、おそらく日常系アニメが流行りだした頃からだと思う。世のオタクの中で”百合”と呼ばれる作品が流行りだした。日常系アニメが全体的に”百合”と呼ばれがちというのもあるがどちらにせよ世のオタクが数々の作品に”百合”を見出しそれを今まで以上に持て囃すようになったのは間違いないと思う。
その結果日常を飛び出して明確に女性間恋愛を描く作品が増えた。正しく言うなら日の目を見る作品が増えた。
先述したように僕は同性間であれ異性間であれ恋愛を描く創作作品は好きだったから特別その流行に対して思うところはなかった。ただ、段々と「百合はいい」から「異性間恋愛より同性間恋愛のほうがいい」という主張を目にする機会が増えた。単純に目にするオタクにそういうのが多かっただけというのと、語の強い主張は目立って記憶に残ってしまうだけだとは思うのだけれど、僕はとにかくその主張が苦手だった。単純に理解が出来なかった。恋愛が同性間で行われていることと異性間で行われていることに違いを感じられなかった。同性間であればそれ特有の葛藤が生まれて、その特有の葛藤が面白い……等の意見ならわかるのだが少なくとも僕が目にしてきた上記の主張をするオタクはそういうわけではなさそうだった。どちらかというと異性間恋愛に対して否定的な感情を持っていて、同性間恋愛であればその不快な要素を排除された恋愛を楽しめる……というような主張に僕は感じてしまった。別に人の好みだろと言ってしまえばそれまでなのに、オタク全体の流行としてそういうものがあると思ってしまったのがおそらく失敗だった。
結果として、僕は百合作品を好むオタクのことを「純粋に恋愛を楽しむことが出来ない下等な存在」と見なすようになってしまった。さすがに語が強すぎるしここまでは思ってないと思うがまあわかりやすく言うとこういうことなんだと思う。異常に見下すようになってしまったことは少なくとも間違いないと思う。当然その評価は作品そのものへ伝播する。いつの間にか、百合作品に対して「ああ、また百合というだけで持て囃される作品か」と思ってしまい、不快感を覚えるようになった。作品に対する不快感というより過剰に持て囃している(と僕が勝手に判断している)オタクに対する不快感なのだが、どちらにせよその不快感は結果として作品に向けられてしまう。よく創作内で貴族とかが下民の文化なんて汚らわしくて……みたいなことを言っているのをみてなんだこいつらとか思ってたけど多分自分がまさにその状態になっている。なんなら自分が貴族なわけでもなく相手が下民なわけでもないという意味でより酷いと思う。
とにかくそういう感情を持ち合わせて以来百合作品を一度も楽しめていない。先入観は良くないと思い挑戦したこと何回もあるのだがどうしても不快感が生まれてしまう。
ただのオタクが勝手に被害妄想膨らまして、オタクを見下して、気分を悪くしているという内容の日記でした。頭の中では自分が一番おかしくて自分が一番悪いと理解しているつもりではあるし、いざ文字化してみて改めてそれを感じたけどそれでも一生治る気配がない。
キャラ設定で人気なんじゃなくて、その人達が何をやってきたかで人気なんですよ。
そこは女VTuberと大した差異はないですし、逆に腐向けに作ったものは受けません。
ずっと前に島田紳助が言ってたことを腐女子達自身も理解してないからメンズアイドルがどーのとか言ってんだろうけど
別に彼らはメンズアイドルだから売れてるんじゃなくて、メンズアイドル路線もあるけど個人個人で配信者としてちゃんとしたものを提供してるから人気なんですよね。
だからユニットで組んでる時より個人で配信してる方が視聴人数が多いなんてザラにありますし、その差異が圧倒的ではないし、上手く組み合わさった時の爆発力もちゃんとあるから未だにユニットが維持出来てるんですよね。
そういう何かしらのメリットがない限りセット売りなんて負担にしかならんのです。
装飾めっちゃ付けた設定なんて視聴者から見てもしんどいんです。
何かしらの美味しい要素全部乗っけで人気になるなら誰もASMRやメントスコーラに手は出さんのです
島田紳助は言ってましたよ。
男同士が楽しそうにはしゃいでるからキャーキャー言えるわけで、狙い出したらなんか萎えて人が離れていってしまう。って。
私は刀剣乱舞の住人で、刀剣乱舞はそのゲーム性ゆえに様々なキャラクター設定ができるんです。
アニメも漫画もあるが、そのどれもが“とある本丸”と言う設定で、必ずしもこう!というわけではない。
そのおかげで同じキャラでも、うちの本丸ルールが通用して様々な正確の子が生まれています。
そんな中、私の推しはファンが少ないのか二次創作が少なかった。
もちろん、他の人気キャラクターのようには増えていませんが、それでもそのキャラがメインの作品がほぼ毎日上がるようになったんです。
それはジャンルとして、そのキャラクターを愛しているものとしては嬉しいのですが、問題はキャラ付けです。
今までは様々なキャラクター設定で、その人独自のそのキャラがいたのですが、神作家がその小説を投稿してからは誰もがその正確に寄せてくるようになったんです。
その中には人気の神絵師もいて、そのキャラはこういう性格だよね、と言うのが共通認識になってしまいました。
ゲーム開始半年もたっていない時期で、みんながキャラを探っているような状況でした。
そんな中、キャラの歴史的背景も盛り込んだ神作家のキャラ付けは影響が大きく、公式アンソロですら神作家の小説から影響を受けたのではと思えるものもありました。
自分の推しキャラ界隈が賑わうのはすごく嬉しいんですが、せっかく独自に自由な設定ができるのに、一人の神作家のキャラ設定に引っ張られているのはもったいないと思うんです。
というか、私にとってそのキャラは花丸本丸みたいな感じであってほしいのに、みんな神作家の性格にしかしてない!
腐向けのカップリングも、夢ですら神作家の設定に引っ張られている!
自分好みの話がないのなら自分で書けばいいと思う人もいるでしょう。
私もそう思って自分で書いて、いくつかpixivに投稿しました。
推しは違いますが同じジャンルの友達には、このキャラってこういう性格だっけ?と言われる始末。
花丸では!そうだったんだよ!!
結局、私の様な平凡なタイプは神には勝てないのだと実感してます。
正直その神作家は筆も遅いし、今は別のジャンルがメインになっているのに、いまだに影響を受けている人がいてすごく悲しい、と言うか寂しい。
高校3年生のときに字書きを始め、早6年。ちゃんねる系や18禁エロ小説も書きながら、細々と二次創作を続けてきました。
そんな中で感じた、支部で小説を投稿する際の自己評価の基準とか、閲覧数を上げるために気をつけていることを字書き初心者向けに書いていこうと思います。
自分の小説の客観的評価としては、最大ブクマ数は♡2500くらい、平均ブクマ数は♡100〜300をうろうろしている程度の字書きなので、ご参考までに。
支部にはブクマ機能がついていて、他の人の作品もブクマ数を確認することができます。タグで「1000users」的なのもあるから、検索しやすい。だいたいの人は検索ジャンル+100usersとかで徘徊してるんじゃないでしょうか。
なので自然と、自己評価もブクマ数になります。自分の性癖のために書いているとはいえ、レスポンスがあるからこそモチベーションはあがるので。
ところが、ジャンルやCPによって大手/マイナーよりけりなので、自分としては同じクオリティを保っているのに、読み手の母数が少ないためにブクマ数が伸び悩むこともある。
そこで個人的に作品のクオリティを評価するのに使っているのが、ブクマ数/閲覧数の比です。これがなかなか使える。言ってみれば、「そのジャンル/CPを好む人の中で何割くらいの人に刺さったか」が分かる指標なのです!!!
自分の作品で言うと、閲覧数10に対してブクマ数1くらいが平均的で、良く書けたなと思う作品はもっと割合が良くなります。逆に、とてもブクマ数をもらえた作品でも、対閲覧数的にはあまり良くなかったりする(エロとか)。
これはブクマの絶対的な数に比べて、自分の小説の質の評価に使えるので、例えブクマ数が少なくとも、閲覧数に対して多ければ質の高い特定の人たちの性癖に刺さりまくった作品が書けたということになるのでモチベーションがめちゃくちゃ上がります。
あとは感想。コメントひとつあるとブクマ数100レベルの嬉しさがある。スタンプ一個でも、「最高ですた…!」一言でも、100人の人のいいねに相当するので……みんな感想送ろうな。
あと、自分は「名前+#支部」でエゴサするタイプなので、Twitterで「よかった… URL://〜」みたいなツイート見ると1000人分のいいねに相当する悦びを感じます。自分も神作品見つけたら積極的に呟こうと思いました……
ブクマ数は貴方の小説のクオリティだけじゃなくて、読み手の数とか時間帯とかにも左右されるから他の基準も持とうねって話でした。
それはそうと、たくさんの人に自分の作品を読んでほしい!評価されたい!あると思います。では、閲覧数の高い作品(=人の目に触れやすい作品)とは何なのか。
結論から述べるとエロメインの小説は閲覧数が高いです。夢のない話でごめん。それは、カプ推しの人だけじゃなくてジャンル推しの人とかキャラ推しの人も検索するから。
とか、
とか、それで引っかかるし皆エロは見たいので()閲覧数があがる。ついでに性癖タグとか付いてるともっとあがる。
「腐向け ♡喘ぎ」
とかで検索する人がいる。
前に「エロは情景描写と台詞と心情がバランス良く書けるので練習に良い」みたいなツイートを見かけたけどホントその通りだと思う。
(高校生以下、未成年は書いても読んでもダメだよ!!!!!!!)
ちなみに私もありえん勢いでめちゃくちゃブクマ数ついた作品は大手CPのエロでした。「快楽堕ち」タグついた瞬間に爆上がりしました。
ちなみにエロ以外で書きやすいかつ読み手が多いジャンルで言うと、ちゃんねる系だと思います。
2chは廃れたのに未だにちゃんねる系作品は新たに生まれ続けているからすごい。
ちなみにちゃんねるジェネレーター(http://salthome.php.xdomain.jp/chtool_v2.1.php)を使うとコテハンとか番号を振ってくれるのでとても楽です。
もう一つ、エロでもちゃんねるでもなく、閲覧数を上げる工夫があるなら、タイトルです。
おしゃれな単語とか、外語使うとか、素敵なタイトル付けたい気持ちもあるけど、内容が分かりやすいタイトルのほうが読まれる可能性があがります。
ラノベやなろう系から続くテクニックなので今更なのかもしれないですが……
あとは、
「〇〇が記憶喪失になる話」
よりは、
「ものわすれが多い〇〇くん」
携帯で空いてる時間にちまちま書いていくのに使えるアプリとしては、
Evernote (https://evernote.com/intl/jp)
Nola (https://nola-novel.com)
idraft (https://dictionary.goo.ne.jp/info/app/)
あたりがオススメです。
Evernoteはオンラインに自動保存されるので、PCからもリアルタイムで編集できるのが便利。あとフォルダ分けとかも細かくできる。アプリだと、書いている途中に上にスクロールされちゃったりバグりやすいのが難点。
Nolaは小説ツールでプロットとか設定も細かくメモれるので、長編書くときにおすすめです。これもPCとデータ共有できるから両方で編集できて便利。
アプリ開くと、執筆画面までに何回かタップしないといけないのと、自動保存機能がないので、そこが改善されたら完璧かなぁ。フォルダ分けとか章分けできるのも良い。
idraftは最近のお気に入りで、言い換え機能と校正機能がついてます。アプリとしてのバグも少ないし、フォントやUIも見やすいし、文字数が自動で左下に表示されるので、パッと書きたい時にホント便利です。
あとはおまけで縦式(https://apps.apple.com/jp/app/%E7%B8%A6%E5%BC%8F-%E7%B8%A6%E6%9B%B8%E3%81%8D%E5%85%A5%E5%8A%9B/id1415281201)も。
縦書きで原稿用紙に書くみたいに書けます。pdf出力してくれるので、オフ本発行やネップリにも使える。
あんま面白いこと締めで書けないけど、参考になったら嬉しいです。
ちなみに私が初めて書いた小説は、推しのティンコが呪いで無くなるという全年齢作品でした。
良い字書きライフを!
この前、銀英伝の二次創作BL出身の作家が本屋大賞を獲ったという記事が朝日新聞に掲載された。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASN47463NN46UCVL03T.html
http://itest.5ch.net/test/read.cgi/nanmin/1567735670/l50
要するにBLを書いていたのを何事も無かったかのように隠し、一般向け作品を書いているのが気に食わないという人間(恐らくレスの内容からするとほぼ女)の吹き溜りである。
また非腐女子専用スレとは書いてあるが普通に腐女子も書き込んでいるだろう。
そしてBLは責めるが百合やGL二次創作に言及の無いのも察するものがある。
彼女達は何が気に食わないのか?何がここまで駆り立てるのか?答えは至って簡単だ。
妬みである。
自分の好きなキャラをBL二次創作、もしくはBLでも相手違いのカップリングで創作していた(彼女らにとっては罪に匹敵する所業)作家が、
商業という場で、しかも一般雑誌でより多くの人間に称賛されているのが腹立たしいのだ。
また「BLが好きな者は男女の恋愛、男同士の友情という概念がない」という思い込みがあるので、
男同士の友情を描いていても影でBL妄想をしているのではないかという被害妄想に囚われているのだ。
一般向けの作品は男女の恋愛や男同士の友情、BL作品ではBLを書くという割り切りや両立があるのを混同して憤っているのはスレッドの住民の方ではないか?
(書き終えてから思ったが長いかもしれない。それでも多くの人に読んでいただけたら嬉しいな。)
まず私は自身のことをオタクだと思っているが、腐女子でも夢女子でもない。そういった嗜好のないただのオタクである。
アニメ文化に初めて触れ、オタクという存在を知った10年近く前は、もう既に夢女子と化していた友達に影響されて夢女子になった。しかしそれも2年経つとなくなってしまった。これに関しては後述する。
(以下、ここでいう腐向けは商業作品でなく、二次創作の腐向けを表す。)
早速だが本題に入る。皆がこの日記を訪れた理由は恐らく「何故腐女子が嫌いか知りたいか」だろう。それに関しては一言で表せる。
元よりオタクだったこともあり、腐向けに関しては何度アカウントを作ってもきちんとブロックで自衛していたし、ミュートワード機能が実装されてからはこれ幸いにと最大限活用していた。(すり抜け等で出来なかったときもあるが)
当時はすり抜けで見てしまっても「ああ今こういうの人気なんだ。へえ」程度で済んだものの、ある時を境にして一部を除いて受け入れられなくなった。
年齢制限をされるような絵でなくとも、ただ手を繋いでいるだけの絵でも、接吻をしているだけの絵でも駄目になった。
ある時というのがそう、8年前だ。夢女子でなくなった8年前、西暦でいえば2012年のこと。
何故夢女子でなくなったか、それは当時の推しに公式で恋人ができたからだ。それに対して嫉妬するタイプの夢女子ももちろんいるだろうしいてもいいが、私は「ああ、これが正解か」としか思えないようになった。
それ以来、公式から与えられる関係性以外が受け入れられなくなった。当然夢女子の友達とも分かりあえなくなったし、腐向けの受け入れも一切できなくなった。(公式で同性愛を公表している人は別として)
「そういう考え方もあるんだな」とか「こういう見方をしているんだろうな」とかで済ませればいい。作品の愛し方は人それぞれで、推しにどういう感情を持つかも人それぞれ。第三者が文句を言えることじゃない。そんなことは分かっている。
だから今書いているこれも、決して腐向けを好むこと自体への文句じゃない。そう頭の片隅に入れた上でこの先を読んでほしい。
まずオタクの中でも腐女子が一気に増えたことによって、オタク=腐女子、という固定観念で見られることが増えた。bio欄や他サイトを利用したプロフィールに腐女子との記載がなかったからフォローしたものの、予告なく腐向け年齢制限付きの絵をRTされる、投稿される、なんて日常茶飯事だった。
でもその人の絵柄は好きだから腐向けは見なきゃいい話だしいいや、と思ってフォローしたままにして、時折リプライでやり取りをすると、その会話を見たのかなんなのか、新たな腐女子にフォローされる。そしてまた予告なく腐向けイラストが投稿される。
その絵を見ると、「どうして?」と思ってしまう。公式のストーリーで「仲間だ」とか「親友だから」とか言っていたのに、何故恋人にしてしまうんだろう。何故体の関係を持たせてしまうんだろう。彼らの友情を自分の性癖で壊して楽しいのか。それはキャラクターに愛情があるというより、自身の性癖を押し付けて辱しめているだけなのではないのか。
……と、こんな具合に、様々な負の感情が沸き上がってくる。もちろん公式でそういった設定があるキャラクターは別だが、何故公式で与えられた関係性を壊してしまえるのかが分からないのだ。ここまでの文を書いていて「設定がなくとも同性愛者かもしれないだろう」というクソリプが来そうだなとも思ったが、そもそも現実でも同性愛者だと打ち明けられなければ周囲は気付かないだろうと論破しておく。
じゃあ異性愛だけが正しいのか? と聞かれれば言葉に詰まることなく違うといえる。しかし人間は生物で異性と交わらなければ子孫を残すことができないため、そっちの方が大多数だろう。だからといって同性愛者に偏見があるわけでもなく、その人が幸せならばそれでいい、という考えだ、とだけ述べておく。
それから夢絵(ここでは夢主とキャラクターのカップリング絵のこと)はいいのかとも訊かれそうなので予め答えておく。夢絵はそもそもTwitterに載せる人が少ない上に、夢女子の性質として一人のキャラクターに一人の恋人(夢主)までとする人が多く、鍵垢で活動する人が大半なので、これは特別気にしていない。あまりにも過度だったらブロックしているが。
話を戻す。上記で述べた通りオタクの大半はオタクだったら腐女子だろう! と決めつけるきらいがある。そして何が起こるのかというと、マナーがほとんど守られなくなるのだ。
端的に言えば棲み分けに非協力的になるのだ。「私達(腐女子)が大多数なんだから、見たくない人は自衛して見ないようにすればいい」という主張をし出す。見たくない人は自衛すれば良い、それは間違っていない。けれど、何が問題かと言うと、自衛が出来ないような方法で腐向け絵を載せられるようになってしまうのだ。
例えば今の時代、ミュートワードをこれでもかというほどに設定し、画像のプレビューを切り、腐向け絵師を見つけ次第ブロックする、というような自衛が出来る。にも関わらず、何のキャプションも注意書もせずに腐向けを載せる人が沢山いる。それこそブロックしてもしきれない程に。
自分の書いた絵を見てほしいのも分かる。同士と語り合いたいのも分かる。分かるが、自衛をさせてほしい。棲み分けもさせてほしい。検索にヒットしないようにするとか、注意書をいれるとか、それだけで済むのに。
出来れば腐向け絵は鍵垢でやれ! と声を大にして叫びたい。夢絵も際どいパロディ絵も鍵垢でやれ! と。実際夢女子は、鍵垢にこもっている人が多い印象がある。だが鍵がついていない腐女子は沢山いる。それこそブロックしきれない程に。だけど、オタク界隈は全員が腐女子じゃない。皆が皆過ごしやすいような配慮をしてもいいのではなかろうか。
そして、途中で述べた公式から与えられる関係性以外が受け入れられなくなったこと。これは当てはまる人も多いのではないかと思う。というよりも、広いオタク界隈で腐女子と夢女子しかいない、オールジャンルしか愛せないオタクがいない、とは思いたくないという希望的観測なのだが。
オタク界隈で生きていくためには自分は腐女子でなきゃいけない。そう思っている人がいたら、そんなこともないよと言いたい。私はもうオタク界隈で生きようとするのをやめたオタクだから、何を言われようが他人事に聞こえるかもしれないけど。
腐女子も夢女子もそれ以外の人も、全員が完璧な棲み分けを出来て、配慮しあえて、心地よく過ごせるツイッターランドがいつの日か来ますように。
増田のオタクジャンルは男性向けでも女性向けでもないようなジャンルで、故に男女共に幅広い人脈がある。
既に別のジャンルに移動したがそのままつながっているような人もいる。
男オタク、女オタク、LGBTのオタク。作るオタク、作らないオタク。プロの人、アマチュアの人。
腐向けの人、百合の人、男女カップリングの人、男性向けエロの人、夢女子思考の人、オールキャラギャグなどを作る人。
絵師、字書き、コスプレイヤー、MMDer、3Dモデラ―、DTMer、人力師、ドールオーナー、イベント主催、紹介や感想側専門の人……。
色々見てきたが、やっぱり最も卑屈属性なのが「字書き」だった。
さらに細かく言えば、
・字で仕事を食っているプロ字書き → もうビジネス的な領域なので趣味の話をしている我々とは視点が違う。
・男の字書き → 二次創作では人口が少なく、やっても日常系アニメを突然SFにするなど突拍子もない世界観の改造を行いがち。最終的に「なろう」とかライトノベル一次創作方面に走りがちな為、二次創作のオタクという土俵で必要以上に戦おうとしない傾向にある。
・絵師兼字書き → 絵が描けるので、必然的に字を書くときに「わざわざ小説にしなければならなかったもの」しか書かない。
あたりを除外した、「字書きの女オタク」だ。
そして特にその中でも「卑屈になる字書きの女オタク」にはある特徴がある。
……それは「小説が下手」だということだ。
そもそも、絵師に対してコンプレックスのある字書きが何故発生するのか。それは絵が描きたいのに描けないからである。
本当は絵が描きたいが、絵の才能がないので絵を描けない。なので彼女たちは仕方なく小説を書いているのだ。
日本人の日本語識字率は殆ど100%に近い。その為、小説というのは書こうと思えば形は書けてしまう。
1つ目は、絵師の殆どは才能ではなく努力で絵を描いていること。
2つ目は、絵師の絵の上手さを仮に「才能」と形容するのなら、小説にも「才能」は必要であること。
「卑屈ではない字書きの女オタク」、それはみな好きで小説を書いている人間だった。
もともと本を読むのが大好き。小説という表現媒体が肌に合っている。小説でしか書けないものが書きたい。という人たちだった。
「小説なのに」「字書きは不遇」のように、小説を下に見る発言をすることを嫌う。
そしてそういう人たちの小説は大抵、他の媒体にはとても真似できない小説ならではの良さを生かした素晴らしい作品ばかりだ。