はてなキーワード: 現物とは
「円安が進むと日本の景気が良くなる」というコンセンサスが世界的にあるから、円が下落すると、先物価格の上昇を期待して大証、SGX、CMEで取引される日経225先物を世界の投資家が買い、先物価格が理論価格に比べて割高になる。そうなると、「先物売り、現物買い」の裁定取引が行われ(先物ではなく)日経平均株価が上昇する。
んー? いやでもさ
「日本の景気が良くなる」=「現物の価格(単純化すれば日経平均株価)が騰がる」って展開を予測するからこそ「先物価格の上昇を期待」するわけでしょ
円が下がったらあとはいつも通りの展開だから、先んじて「先物を世界の投資家が買」うわけじゃん
「裁定取引によって日経平均株価が騰がる」というのはちょっと違う気がするんだけど
例えば普通にお店で売ってる商品で言えばさ、消費者がいて生産者がいるわけじゃん
で、ワイドショーで話題になったとかで、消費者が殺到することが予測できたとするじゃん
そうすると中間業者(仲買人とか卸とか)はわれさきにと買い占めるじゃん
それによって生産者価格も騰がるし卸価格も騰がるし中間業者も儲かるじゃん
先物っていうのは、この中間業者みたいなものじゃないの?まあちょっと違うかもしんないけどww
とにかくそうだとすると、ワイドショー(円安)によって消費者価格(現物の価格)が騰がるっていうのがあくまでも本質じゃん
中間業者の買占めによって騰がったとも言えるけど、それはあくまでも値上がりの先取りでしかないじゃん
と思ったけどやっぱ違う?w もう分かったと思うけど俺は完全な素人なのでw
>>俺が辞める段階で60人以上の研究者が居たんだから、日本のゲーム業界最大の研究部隊を持っているのは今でもスクエニだと断定できる
インタビューやPVであれが出来るこれが出来ると片っ端から嘘ついて金を巻き上げた事実だけは今もユーザーの心に不信として残ってるぞ。
他にも幻術バグの対応事件や規約で堂々と「不満の流布を行えば処罰」等、組織全体が腐っていると考えるには十分だ。
http://bonnoh.jugem.jp/?eid=1228574
を読んだ。スクエニの社員でもなかった人間が良くもこれだけ断定できる。
偏見による分析とは酷いものだ。ろくなゲームが作れないタイプの似非プランナだろう。それはまぁいい。
俺は最近まで開発部門に所属しているプログラマだった。今はプーだがw
社長とは何回か酒の席やらで話したことがある。これは特別なことではなく、ある程度社歴のある人間はほぼ皆、社長に接したことがあるはず。
新卒なんかは和田塾と称して何度もあってる訳で、和田さんは社員を愛していたし、力のある開発者を優遇しすぎてさえいた。
…ただ面接の場面からも、スクエニがおかしくなってたことを痛感した。
ゲームを作る…ということを、スクエニは徹底的に馬鹿にしていたのだ。
面接官であったであろう幹部とその後ろに控えていた和田ら経営陣にとって、ゲーム開発はただのコストであり、開発者は会社の金を奪う泥棒にしか過ぎない。
和田さんほど自社のゲームを遊んで愛している社長を他に知らない。
彼は開発者ではないから技術などはないし浅い知識しかないが、それでもネットワークゲームの技術書を読んだり、ゲーム開発に参画したりしてきた。
そこにかかるコストの圧縮と効率は重視していたけど、ゲーム開発をコストとは考えていないし、開発者への敬意と信頼がありすぎるくらいの人。
もしも馬鹿にしてると感じたなら、それは目の前のあんたが余程の馬鹿に見えたのだろう。不合格だったのは当然だ。ご愁傷様。
ゲーム開発をコストとして考えていたのは、むしろ別の派閥で、今回の人事によって開発部門の縮小が加速する可能性が高いかもしれない。
和田さんは開発部門を守ろう、国内の開発力を落とすまい、とし続けてきた。
そのことは、何度失敗しても”健全な赤字”のRD部門を立ち上げ続けていることを示すだけで十分だろう。
俺が辞める段階で60人以上の研究者が居たんだから、日本のゲーム業界最大の研究部隊を持っているのは今でもスクエニだと断定できる
和田さんの失敗・欠点は、むしろ開発者を愛して大事にして、信頼しすぎてきたこと。
切るべき時に大物や大型PJを切るに切れなかった優しさが、あれほど正確な分析と判断が出来ていたのに、会社を傾ける結果に繋がってしまった。
信じるべきではない人間を過剰に信頼しすぎてきたがために、社内の人間関係を複雑にして、PJ経営を難しくしてしまった。
もっと和田さんが冷酷な人間で、ゲームが嫌いで、オタクなんかクソだと思ってくれていたら、社員ならそう思うはずだろう。
和田さんの器の中で、多くの人間が甘えた仕事をし続けてきたんだが、もうそれは出来ない。
信頼を裏切り続けてきて、まともなゲームを出せなかったスクエニの開発者の地獄はこれから始まる。
俺が無能かどうかはどうでもいいが、多少なりとも和田さんに感謝しているのなら、匿名でdisるようなことはやめたほうがいいぞ。
俺の文書でもないものを俺と断定するあたり、思い込みが強そうなので元記事に書く
Disでも擁護でもない。感慨にふけったるだけ。
どちらかと言えば、スクエニの和田社長の取り巻きDisにはなるかもしれないな
和田さんは個人として見れば凄いよ。戦国IXAなんかも彼の功績の一つだったし、語られてた経営戦略や分析は振り返っても妥当だった。
それを実行に移せなかったのは、和田さんの甘さ故か周囲が弛んでたからかって話
スクエニには話に聞く柳井さんとか、三木谷さんあたりが社長としては向いてるんだ
君が悔しい思いをしたのなら、それは元社員としても忸怩たる思いだ。申し訳ない
俺としてももっと面白いものをもっと沢山作りたかったが、それは出来なかった。
色んな事実を上げたいが、それは許されることではないし語らない。
和田さんに対して社員の誰もが公開質問状を出せる時があった時、俺も経営方針に対する不満を送ったことがある。
それに対してもちゃんと返信をくれたことがあった。
次の社長がそこまで社員に歩み寄ろうとして、一緒にいいものを作ろうとするかは分からない。
損になると分かっていて研究開発をするかも分からないし、金の無駄だと数年かかってるプロジェクトをあっさり潰すかもしれない。
スクエニ再建に向けて多くのプロジェクトを畳んで行って、外注中心の開発にするのが、あるいは正解かもしれない。
しかし、その時には皆が望むスクエニには、本当にもう戻れないかもしれませんね。
んじゃ、ま、俺はこれで。皆さん、多くの反応をありがとう。
amazonが頑張って、家電量販店は大慌て。それが現状としてその先を考える。
amazonはそういったショウルーム化している家電量販店に対しては特に積極的なアプローチをしていない。否定もしていない、消極的な肯定だ。もし積極的なアプローチ、つまりショウルーム機能をamazonが内包したらこの現状は大きく崩れる。
ショウルームでは好きなだけ商品を手にとって現物を確かめる。店舗には見回りの人間を配置。商品の説明、解説は動画形式にしてその場、もしくはamazonの商品ページから自由に閲覧。それでも分からない質問があればビデオコールセンターで専門アドバイザーに聞いてもらう、この時のビデオを編集、関連商品にタグ付けして解説動画の更なる充実を図る。ビデオコールセンターは店舗からの質問に対してのみ応対することで、ショウルーム来店のメリットと、店舗営業時間に合わせたアドバイザーの使用を実現。買った商品は基本的に配送のみ。店舗は展示スペースのみが必要なので店舗ごとに倉庫スペースを作る必要はない、省スペースな店舗は郊外ではなくて都市部に集中展開(ここら辺はあんまり今の量販店と変わらんかな)。倉庫と物流は現時点でamazonが有しているものを使えばいい。
こんな感じだろうか。amazonがこのモデルに開発コストをかけるのは厳しいように見えるけど、家電量販店を買い取ってしまえば特にめんどそうな人材開発も簡単に出来そう。
ショウルーム自体のランニングコストをどう回収するかがネック。コストコみたいな会員制サービスにするなり、入場料は回収するが入場チケットに記されたコード入力で入場料分の割引がamazonでの購入に対してされるとかかな。でも家電量販店がなんとかなるしまわると思うのよ。
今現在はショウルームコストがamazonにとって外部化しているからこその利点もあるけど、内部化することで家電量販店にトドメをさしてネット販売家電店が最強になる時代が来るんじゃないだろうか。
こんなこと言っても、amazonはマーケットプレース化していて売主じゃなくなるって話もどっかに乗ってたしこれはアリエナイ話かな。一方の家電量販店が生き残るために積極的にショウルーム化を進めていくのはアリエルかなあ。
元増田様の優しい言葉を真に受けてうんこ記事Lv.2を送ります。恥ずかしいけど私もわかるようになりたい。
起案の手引き記載例p8の9
同時履行の抗弁、解除権消滅の抗弁のほか、(ク~コ)もありそう(類型別p14のウ(イ))。
類型別p.13に以下のようにあるので、不当利得返還債務も目的物の滅失を抗弁として主張しうるのではないでしょうか。
内容が実現不能になることによって債務は消滅する
解除前の法律関係が売買契約のような双務契約であっても、解除後の関係は双務契約ではないから、解除後の原状回復義務相互間は牽連関係がなく独立に存在する。
この説の原則例外を素直に考えると、原告は履行不能だけで抗弁主張でき、原告有責が被告の抗弁に回ることになりそうです。ただ、履行不能の免責につき債務者が無過失の立証責任を負うこととの均衡から、原告に無過失まで主張させるというのも悪くないように思えます。前者だと立証責任からみて解除権消滅の抗弁に対する独自の意義がないようにも…。
原告有責と想定すると、被告は相殺の抗弁を主張できそうです(基づく引渡し∧履行不能(∧原告有責)∧意思表示)。
この説からは、原告の過失問わず原状回復義務は価額返還義務に変わるので、原告は履行不能のみで抗弁主張しうるのではないでしょうか。被告は常に相殺の抗弁を主張できそうです(基づく引渡し∧履行不能∧意思表示)。
解除に伴う原状回復としての不当利得返還請求権は、契約関係の清算・巻き戻しであるので、当初の契約関係と同様に存続上の牽連性を認める。
この説からは、目的物を占有する原告が危険を負担することになり(536条1項類推)、原告は債権者主義(536条2項)類推の抗弁を主張するように思います(履行不能∧被告有責)。
問題は、被告は請求原因に対する独立の抗弁として536条1項類推を主張できるのではないか、その場合の抗弁事実はどうなるか、上記原告の抗弁(536条2項類推)との関係は?ということですが、536条1項について考えられる組み合わせとしては…
\ | 被告の抗弁 | 原告の再抗弁 |
---|---|---|
1 | 履行不能 | 被告有責 |
2 | 履行不能∧原告無責 | 被告有責 |
3 | 履行不能∧被告無責 | |
4 | 履行不能∧原告無責∧被告無責 |
536条1項の文理に素直なのは4ですが、立証の負担が重く、原告無責を被告に主張させる点で履行不能の免責につき債務者が主張立証責任を負うこととの均衡が気になります。2も同様です。3は債務者主義を原則とする制限説からすると例外にあたる債権者主義を主張したい原告に被告有責を主張させるべきではないか、上で原告に536条2項類推の抗弁(履行不能∧被告有責)を認めたことと矛盾しないか、問題となりそうです…。
文理からは遠くなりますが実は1がいいような気がしていて、元記事の疑問上段に賛成です。被告は請求原因に対する独立の抗弁として債務者主義(536条1項)類推の抗弁(基づく引渡し∧履行不能)を主張でき、原告は債権者主義(536条2項)類推の再抗弁(被告有責)か危険負担排除特約の抗弁(危険負担排除の合意)を主張することになるのではないでしょうか…。
この説に言及のある資料はありませんでした。しかし、危険負担を類推するなら特定物の債権者主義についての解釈がこの場面にも影響を及ぼすように思うのですが…どうでしょうか。
534条1項類推で処理すると、原告は債権者主義(534条1項)類推の抗弁(履行不能∧原告無責)を主張できそうです。
内田先生が推されている立場かと思うのですが、契約の対価が均衡を欠いていた場合を考慮して、536条1項類推で処理しながら、時価相当額の返還債務存続を認めるようです。
ただ、被告有責の場合は原状回復義務の消滅を認める(536条2項類推)ようなので、危険負担類推説①と同様に、原告は536条2項類推の再抗弁を主張できそうです(履行不能∧被告有責)。
この説からは、危険負担類推説①と異なり、被告は請求原因に対する独立の抗弁として536条1項類推を主張することはできないように思います…。
ウエダは仮名ではなく本名ですが、もし現役家庭科教師のウエダ先生という方がこの記事をご覧になっていたら、あなたの事ではありませんので安心してください。
ここに登場するウエダ先生はとっくに定年退職されているはずです。
高学年になると、担任の先生から受ける基本科目のほかに「家庭科の先生」から受ける家庭科の授業があった。
座学授業のほかに調理実習や手縫いの裁縫実習、ミシンを操作して作品を完成させるまでの実習が行われる。
あるミシン操作の実習でエプロンを作る授業があったのだが、私は数種類の色柄から選べる内、白っぽい色のエプロンを作るキットを選んだ。
白っぽい生地にはこの白いミシン糸を使います、という指導のとおり白い糸をミシンに装着した。
ボビンにミシン糸を巻き取る操作、上糸と下糸の設置、針の設置、針穴に糸を通す操作、上糸も下糸も強さは“3”に…すべて教科書通り且つ家庭科のウエダ先生の指導どおりに行なった。
針のついている機械を操作する授業なので、慎重に慎重を期したつもりだった。
が、いざ縫い始めるとの上を糸が何針も通らないうちにミシン糸が千切れる。
高速で稼動するミシンの上下運動の数だけミシン糸が千切れる音がし、あわててペダルから足を離しても、ボビンには既に細切れになった糸がぐちゃぐちゃにからまっていた。
時間をかけてボビンから糸を取り除きながら、もしかして糸の強さの設定を間違えたのかな…ペダルを強く踏みすぎたのかな…と自分のした事を振り返った。
再度、気を取り直してボビンに糸を巻き取り……また同じエラーが起きた。
糸がちぎれ絡まる→取り除く→再度挑戦…そんなことを何度も続けて、2時間の授業中に私の作品は30cm程度しか縫い進まなかった。
翌週の家庭科の授業に、「もしかしたら私がたまたま選んだ糸がすごく古かったのかもしれない」そう思って、同じ色の別の糸を取ったが結果は同じ。
更に翌週の授業に際しては、「もしかしたら私がいつも選ぶミシンは特別調子が悪いのかもしれない」そう思って、使うミシンを変えた。結果は同じ。
ちなみに私が前週まで使っていたミシンを今週選んだ子は、順調に作業を進めていた。
一方、クラスの中でもとくに優秀な生徒は既に作品が完成間近だった。
自分が大事な操作手順を何かひとつ、すっかり忘れているのかも知れないと思い、教科書やマニュアルを何度も読み返した。
でも、「見落とし」が見つけられない。
途方にくれた私は、困窮した現状を伝えて解決方法を教わるために糸が絡まりついたボビンと作業の進んでいない自分の作品をウエダ先生のところへ持っていった。
「先生、あの、これ」私は現物を見せながら説明しようと思い、話かけながらボビンを差し出した。
ウエダ先生は私が具体的な説明を開始する前にボビンを手に取り絡まりついた糸をつまんだり引っ張ったりした。
ウエダ先生は私への返事はせずに数秒間、絡まった糸を解こうとしていたが簡単には取れないと判断したのか顔を上げ、次に私の顔を平手で打った。
家庭科室が一瞬静かになったが、生徒達は見なかったことにしたのかまた雑談交じりに自分の作業に戻っていった。
ウエダ先生は糸でモジャモジャのボビンを預かり、先生の机に戻っていた。
私は惨めで恥ずかしく、まさに泣きたい、泣こうと思えば泣ける心持ちであったがそれはできなかった。
自分をいじめている生徒の前で先生に叩かれたということは、今以降彼らが私をいじめる正当性を先生が与えたようなものだと思った。
その上、無様な泣き姿を見せれば燃料を投下したも同然ではないか。それだけは避けないと。
話が少し逸れたが、私はミシンの操作の何がいけなかったのか、どうすれば上手くいくのかについて教育を受けることは出来なかった。
作品完成までの残りの作業は、家に持って帰って行なった。翌週が作品の提出日なので、未完成の作品を持って帰るのは私だけではなった。
おかげで家に作りかけのエプロンを持ち帰ることについてはあまり惨めな気持ちを味わうことなく済んだ。
家に持って帰った作品は、およそ3時間で完成し私は黙って翌週作品を提出したが、その際にもそれ以降もウエダ先生からミシンの操作に関する助言も説教も無かった。
私が受けた体罰は、たったの平手一発。巷で横行している体罰と比べると、まったく甘い。
体罰といえば、竹刀や木刀や握りこぶしで何度も殴られること、というイメージがあったので当時の私にはそれが体罰だという認識は無かった。私が受けたのはミシンの操作をしくじり先生に糸を解くという手間を与えたことに対する只の「罰」であって「体罰」とは呼べないと。
しかし今こうして詳細に増田に書ける位覚えている。あの時の恐怖や、惨めで恥ずかしい気持ちや、それらがこみ上げるのを耐えるために歯を食いしばったことは覚えている。20年前の平手一発が、私の内に刷り込んだ恐怖・惨めさ・恥ずかしさ。今回の報道を見ていてようやくわかった。あれは体罰だったんだ。
そして、あの体罰には教育としての価値はまったく無かった。教育としての価値があったなら、私はなぜミシンの糸があのとき絡まったのかを今説明できるようになっているはずだから。
まだテレビなんで取り上げられる前。ユーザーはほとんど物好きそうな人ばっかりだった。
自分も小規模ながら趣味をやってる人間。同じような趣味を持つ人の会話を何気なく聴いたり、
たまにそこに参加して過ごすのは、現実世界では味わえない楽しい時間だった。
しばらくするとユーザーも増え、自分と同世代で同じような趣味を持った人間を見かけることも増えた。
当然、趣味の話以外にも同世代ならではの共通の話題で盛り上がるようになった。
SNS内でのつながりもも増え、複数人で会話をすることも少なくなかった。
テレビや雑誌で取り上げられるようになると、身の回りの人間もそのSNSの存在を知るようになった。
オフラインの友人とも、SNSで繋がるようになった。互いの趣味が垣間見え、
普段は口にすることが無いような趣味の話を聴くことができるのも楽しかった。
気がつくとオフラインの友人とオンラインの友人がSNSで繋がっていた。
特に不都合は感じなかったし、むしろ自分が友人関係の橋渡しをできたような気分になっていた。
生活の都合で大都市を行き来することが増えた頃、オフ会をすることになった。
普段オンラインで話してる彼と実際に会って会話してもいいだろう。
趣味の話を、現物のグッズを持ちあって話せたら楽しいじゃないか。そう思った。
そうやっていくつかのオフ会に参加した。
複数人が集まることもあった。
そうやって恋人ができた。
出会いの場が違ってもプロセスは一緒。きっかけが違うだけだった。
なんの問題も無いと思っていた。
もちろんその中には私のオフラインの友人のアカウントも含まれていた。
対人関係は個人が好きに創り上げるものだし、そこに何か制限を設けるのはおかしいと思い、
そのことには疑問や特別な感情を抱くことはなかった。
私も反論を書いた。
SNSはやめた。
アカウントを消したりとあからさま過ぎる行動を取ると面倒を引き起こすので、
忙しくて覗くことも会話することができない旨を、たまに投稿する。
身を引くときも気を使い、しかも身を引ききることができていない。
単純に書けば以上だが、実際は文字通り目が出て花が咲いて枯れるくらいの期間の出来事だった。
振り返ってみれば、オフラインの愚痴をオンラインにぶつけていた自分が、
オンラインのおかげで今もこの関係続けていられるとも言える気がする。
SNSをやめるとき、一番気がかりだったのがオフラインの友人たちとの関係だった。
SNSを通して遠くに言ってしまった友人の恋愛事情や仕事の話を聴くのも楽しかった。
幸い、今はLINEのようなオフラインでのつながりを前提とするサービスのおかげで、
オンラインの友人とオフラインの友人を隔離して会話することができている。
公私混同というこばがあるが、会社と私事以上に属するコミュニティが多数存在する現代では
私私混同に気をつけなければならないと痛感した。
http://matome.naver.jp/odai/2135321398034940301
を元に各党の政策をまとめてみた
自民 = 維新 = みんなの党 = 新党改革>新党日本>緑の党 = 新党大地 = 社民党 = 共産党 = 公明
正確には中庸が苦手なので極端に逃げると言ったところだろうか。
世の中で真実と呼べるもののほとんどは、中庸というか、程々というか、どっちつかずな場所に存在するということが、ここ最近になってようやくわかってきた。
「やり過ぎも、やらなさ過ぎもダメ」とも言い換えられる。当たり前っちゃ当たり前だけど。
なぜなら中庸や程々というのは、その場における最適解を現物合わせで編み出すことを意味する場合が多いが、この「現物合わせ」というのが、とても苦痛だからだ。
現物合わせの何が苦痛って、かなりの注意力と機転を求められ、簡単なセオリーやパターンで解決できないところ。しかも曖昧でハッキリしないから難しいのだ。
もちろん複雑なセオリーや無数のパターンを覚え、ほとんど全て納得ずくでこなすのも手だが、自分はそれが出来るほど頭良くないし、現物合わせの本質を外していることには変わりない。
こう書くと「極端に徹底するほうがキツくね?」と思う人がいそうだけど、むしろ自分にとって極端志向はルールやセオリーが明確になっている点で、とても楽だったりする。
やらなきゃならないことがハッキリしているなら、あとはどうやり込むか・やり抜くかだけだし、こういうのはパターン化できるので頭痛の種は何もないし。
むしろ現物合わせなんて、あんな難しいことを、世の中の大半の人がごく自然にこなせることが驚異的でならない(少なくとも自分にはそう見える)。
なんでそこまでパッと分かるの?なんでそこまで頭が回るの?という感じ。
東京電力もダメ、ドコモもダメ、じゃあ次は三井物産、三菱商事を買うしか高配当狙えないじゃん。。。
せっかくだから、俺の株式売買で学んだこととか、いろんなこと書いてみる
素人はナンピン買いしちゃう。かっこよく言えばドルコスト平均法ってやつ?下がったから買い足す行為をナンピン買いっていうんだけど、だいたいうまくいかない。下がりだした株は上がりだした株より高確率で下がる。これ本当。
だから、俺はドコモをナンピン買いしなかった。だって、底が見えないもの。高配当だからって、また素人の買いを誘って、また素人からぼったくるんでしょ、きっと?だから、空売りする方がいいよね。
現物買だけでは、絶対に利益でない。下がり相場の時は空売りするのは当然。と、思ってたけど、案外空売りを知らない、やっていない素人って多い。チャートみたら明らかに窓開いちゃってる銘柄あるじゃん。今だったらKDDIとか??
そういう急騰した株はかなりの確率で下がる。だから空売りする。そりゃあ、そのまま天に飛び立つ龍のごとく上がっちゃう銘柄あるけど、上がるより下がるほうが株の価格は簡単に動く。
今まで、テクニカルで急落した株を買ってたけど、反発、押し目買い狙いって案外むずかしいね。だから、普通に順張りでよかったんだね。というか、中期的に順張り、短期的に逆張りという基本スタンスを忘れていたんだね。
だから、ドコモなんて買っちゃう、あれは配当だけが高いだけで、中期的、短期的にも下落トレンドだから本当に典型的なジリ貧株。だから、高配当というメリットがなくなったら誰が相手にするんでしょうね。
確かにキャッシュリッチだし、NTTグループの稼ぎ頭だし、なんやかんやで国内一位だし、良さそうに見えるけど、ああいう株はいかにも主婦ウケが良さそうだから買わない。そういう株はだいたい下がる。そして、素人がカモられる。
基本的に100万円以下なら本当にお金が増えない。練習って言っても金額がしょぼいから全然緊張感が足りない。だから、100万は最低でも貯める必要がある。
あと、安易に信用取引するなよ、死ぬよ?FXと同じ目に合う可能性あるからね。
どうせ、貧乏人が頑張っても100万円、踏ん張っても300万円だったら投資なんていう優雅なことはせずにいかに回転率を高めて倍にしていくのか、という投機をするべき。
だから、デイトレ、スイングトレードをしろ。それがいやなら、株を買うな。買ってもインデックス投信を買って黙って働いとけ。個別銘柄になんか手をだすな。手を出してもイオンを100株買っとけ。
株の本質は結局ギャンブルなのだから、だったら、パチンコ気分でやっているぐらいがマシ。
だいたい何でいきなり全額投資する奴がいるのか俺にはわからない。これは書くのも馬鹿馬鹿しい。
これも上と同じ。
俺です。配当狙いで株を買うとだいたいミスる。ドコモを安定収入のコアにしようと考えていた時点で俺は間違っていた。しょせんは一企業。JALだって一度破綻したんだ、あのナショナルフラッグ様がだよ!だったら、ドコモだって例外じゃないし、破綻はなくても配当ぐらい下げるよね。
あと、配当ってこれから税金が上がるからますます手取りが減るから良くない。変に配当しなくていいから、その分自社株買いして欲しいと思うのは、俺だけ?キヤノンを見習えという話。
あと、配当もらって、その分ゆうちょに定期預金している奴いるらしいけど、冗談だよね?
日本独特の株主優待制度はいい加減なくして欲しい。それより、配当。それより、自社株買い。別にトマト好きでもないのに何でトマトセットがくるわけ?近くにラウンドワンないのに、何でクーポンがこんなに来るわけ?ヤフオクで売るしか無いよ。面倒くさいよ。
株主優待制度こそ、庶民を集めてカモにするための装置にしかみえない。そんな株主ばっかりだったら、さぞ経営者はラクでしょうね。株主に愛されて良かったね!
さて、話題を変えて、今日スタートトゥデイを買った。これは賭けだね。悪材料出尽くしか、それとも一段安か、後者なら本当にZOZOTOWNの将来が不安になるね。キャッシュ持っているんだから自社株買いしろよ、って感じだけど、まあいいや。
あの社長だから何かサプライズというか、プライドが高い分どこかで見返してやろうと思ってるんじゃないかと期待。やっぱり、自社株買いして欲しいや
現物株は買い方次第じゃない?
震災後に下がったときに、100円割れのみずほ銀行を現物でかなり買ったんだけど
今130円弱くらいだし、半年ごとにけっこうな利回りで配当もらえてるし
あんなレバレッジかけて、全力で買う、売るなんて普通では考えられない。
まだ株式投資を現物でやれば損も限定されるし、絶対に借金を背負うようなことは無いと思うんだけどな。
でも、それ言い出したら、素人がFXや株式に手を出す時点で馬鹿。
確かに地道に貯金しても今の御時世ならお金なんてたまらないし、一発逆転かけて、カイジになりたいと思うわな。
そんなこと、みんな知っているのに何でまた一生懸命貯めたお金をまたドブに捨てるようなことするの?馬鹿なの??
誰か、株式投資をやる人の気持ちを代弁してくれないでしょうか??
追記です。
トラックバックの中で、みずほ銀行について書いているものがありました。
確かに利回りが高そうでしたね。
http://blog.livedoor.jp/ringubareru-kabu/archives/3913645.html
キットを半田付けして動いたのレベルなら、普通に中学の技術の授業でみんながやったわ。
独学するような元増田なら、当然もっと上のレベルに行くだろう。
偏見もいいとこ。
世の中のハード屋は「ソフトを触ったことがない未開人」か「ソフトを触ってもハードに戻ってきた変人」って言ってるのと同義だぞ。
お前本当に理系かよ。
「自分の周りにはそんな奴はいなかった。ゆえにそんな奴は世の中に存在しない」とかアホすぎる。
すげー悪意に満ちた書き方だな。お前、高専の教官に親でも殺された?
どんな人間だってある意味イタイだろうし、行うことには大なり小なり趣味的な要素が含まれるだろうに。
中華バブルが弾ける弾ける言われてるけど、へっちゃらだと思う。
「破産したらまた這い上がればいい」
くらいの発想がデフォじゃん。
「親は死んだら代わりがいないが、子供はまた産めばいい!(ドヤッ)」
な国だし。
中国に投資した外国の投資家ばかり自殺したり現物資産に逃避したりしてる横で、外国人が手放した優良株をタダ同然で買い漁りそうな。
世界中に迷惑をかけても、自分たちは何食わぬ顔、そういう国民だと思うんだな。
世界一の繁殖力と、バカだけど突き抜けたポジティブな国民性、華僑は金儲けの天才。
やっぱ、かなわねぇよ。
私は少なくともお金持ちではないが、お金に対して恐らく真理であるだろうことの一端を掴んでいると思う。それは、お金に価値があるという誤解が経済を破滅へ導く、ということだ。
まず最初に自覚すべきことは、お金というものはそれ単体ではなんの価値もない、ということだ。本当に価値があるのは土地や食べ物といった現物であり、お金そのものではない。お金は単にそれらのものと交換が出来るだけで、もしお金を何かしら現物や権利と交換できないとしたら、それは単なる紙切れでしかないのだ。
ここで敏い方ならこう思うだろう、定義が違う、何かと交換できるものがお金と定義されているのだ、と。しかしそれはやっぱり違う。お米と着物を交換したとしても、お米も着物もお金とは違う。では、いったい何がお金をお金たらしめているのか?それは「信用」だ。
そもそも私たちは物を売るとき、買うとき、なぜお金を使うのか?それは、私達がお金は多くのものと交換することが出来ると信じているからである。ここで重要なのが、みんながお金を信じている、ということである。
ここでひとつ極端な例を出そう。あなたはコンビニでレジ係をやっている。やってきたお客が山ほどのお札を出してジュースを一本買おうとした。しかしそのお札は、ジンバブエ・ドルだった。あなたはジュースとジンバブエ・ドルの交換をするだろうか?しないだろう。お客は一生懸命あなたに説明する。このジンバブエ・ドルは偽札ではないこと。日本円で考えたらジュース一本分の値段に相当すること。しかしそれで納得するだろうか?しないだろう。なぜか考えてみた時、答えはジンバブエ・ドルは他の場所では使えないから、というものが出て来はしないか。それはジンバブエ・ドルが通貨として有効だと思われていない=「信用」がないからである。
この「信用」がなければ、お金はただの紙切れにすぎないのだ。
では、この「信用」を作り出しているのは何者なのか、現代のお金はいかにして発行されているのかを追求して考えると、巨大な詐欺と呼んで差し支えない構造に行き当たるが、それは本題ではないので置いておく。今私が話題にしたいのは、みんながお金を信じているという事だ。みんながお金に価値があると信じた時、お金は様々な手段で自己増殖をはじめる。
上手く説明できるかわからないが、例を紹介しようと思う。余談だが、この例を理解してくれる人に出会ったことがない。
AさんとBさんがいる。AさんはBさんに100円を借りた。利子は1割で、AさんはBさんに110円返せばいい。そしてBさんはAさんに100円を1割の利子で貸すという証文を書いた。この証文は約束を書いた紙切れである。しかし、お金を信じている人にとっては110円の価値がある証券である。けれども待って欲しい。今、AさんとBさんの間には100円しかない。だが、利子付きの借金のおかげで、二人の間では110円のお金がやり取りされることになっている。この10円はどこから生まれたのだろうか?それは二人の間の「信用」から生まれたのだ。Aさんは、後から110円にして返すから今100円を貸して欲しいとBさんに頼んだ。Bさんはその言葉を信じたから100円を貸したのだ。その「信用」を計ったところ、10円に相当した。言わば、この10円は「信用」に依って生み出された仮のお金なのだ。
さて、Aさんがどこかから10円余分に引っ張ってきてBさんに110円を返すことができたら、めでたしめでたしである。しかしそれが出来なかった時、どうなるのか?110円を用意できなかったAさんは、他の人から120円返す約束をして110円を借りるかもしれない。しかしそうしたらまた10円分仮のお金が増えてしまう。この利子分は仮のお金で現金ではないが、お金を信じている人は利子分を含めた証券を見て、120円のお金があると計算してしまう。こうして仮のお金は増えていく。このお金が増えるプロセスの中で、20円に相当する現物などの富が新たに生み出されたりしたわけではない。未来にそれが手に入ると信じて増えたお金なのだ。
この利子(と言うより信用取引全般)に依って増えるお金は「信用」さえあれば簡単に増える。実態のない仮のものという注意書きはつくが。そしてそれは条件を満たせば実際に現金に化けるのだ。お金そのものに価値があると信じている人は、額面のお金を増やすためにどんどん信用取引をはじめる。お金が自己増殖をはじめるのだ。
しかしこのお金は実態のない仮のものだということを忘れてはならない。それを忘れた顛末がバブル崩壊やサブプライムローン問題なのだと思う。これらの事件では膨らみすぎた架空マネーがポンとはじけて消えてしまった。増えすぎた仮のお金が実際の富と釣り合わなくなったのが原因だ。
だが、仮のお金が生み出される構造が残っている限り、同じ事件は何度でも起こるだろう。そして大きな問題は、現代の資本主義は信用取引なしでは回らなくなっている。
ここでもう一度声を大にして言いたい。本当に価値があるのはお金の額面ではなくて現物なのだ。それを忘れた取引を続ける限り、資本主義経済は自滅への道を歩み続けることになるのだ。
【PC Watch】 楽天「kobo Touch」試用レポート(後編) ~電子書籍の購入プロセスと自炊ビューアとしての使い勝手をチェック
上の記事読んで気になったんですけど、『大東京トイボックス』ってカバーの表示では「ギガトウキョウ」がヨミですよね?
もし奥付とか標題紙も同じような表示なら、転記の原則からして図書館の目録的にヨミとして記述されるのは「ギガトウキョウ」ですよね?
でも例えば、Books.or.jpだと下記URLみたいに「ダイトウキョウ」です。
http://www.books.or.jp/ResultDetail.aspx?IdString=3129518
Wikipediaでもそうです。
Wikipediaが参照してるラジオ番組のの記事には正式名称は「ダイトウキョウ」って書いてあります。
ヨミは「ギガトウキョウ」で、注記に「ヨミ:ダイトウキョウ」的なことにするんですか?
『大東京トイボックス』を所蔵してる図書館が見つけられないので、実際を確認できません。
現物を持っていないので、もしかしたら奥付とかの優先順位高い情報源は「ダイトウキョウ」になってて、問題ないのかもしれません。でも、これ以外にもこういう状態はありえるんじゃないかと。
(追記)
Googleのinurl指定検索でなんとか所蔵のある図書館を見つけた。
広島市立図書館は「ダイトウキョウ」でヒットし、「ギガトウキョウ」でヒットしない。
稲沢市立図書館は「ギガトウキョウ」でヒットし、「ダイトウキョウ」でヒットしない。
(追記)
奥付にはヨミの表示なかった。
ビルを建造するのに設計図を書かない、というか設計士がいない建造物なんて誰も入りたいと思わないだろ?
でも、何故かソフトウェア業界では成り立ってしまっている不思議。
「下回りは大分出来てるけど、ドキュメントなんて無いからソース読めよ!」を言い換えると、
「ビル三分の一位出来てるけど、図面も仕様設計書もないから、現場で現物みて雰囲気で!」
くらい無茶な事だよね、本来。
ネジ種や長さは外からの見た目じゃ分からないから、一回抜いて長さみたりね。
建築現場の大工さんらにそうやって仕事してよ!って頼めるものだろうか。
そういう風に例えていくと、プログラマ以外にも如何にある種のソフトウェア業界の
現場のアレさ加減がよく分かると思うんだけど。
死刑廃止論反対から消費税増税賛成に誘導・・・できてないからw
ぱっと思いつくものに現物支給制(食料・住宅・最低限の光熱維持費の支給)への移行があげられる。
配給機関への天下り→政治家との新たな癒着の温床化(http://blogos.com/article/40467/)などといった問題があるが、
ネット量で考えれば実質的に支出はかなり減ることが予想される。
それは、血税が例えばパチンコ屋→半島へと流失していくような可能性を排除できるからだ。
結局奴等は消費税収が減るのを何としても阻止したいんだろうけど名。
有象無象が財政健全化を騒いでいる度に思うことは、子供でもできるプロセスだが、
小遣いをねだる前に毎月その小遣いを何に使ってるか思い返せ。
そしてもっと安く売っている店に行ってもっと安くて美味い菓子を買え。
そしてそもそも食いすぎだったら菓子なんか食うな。
http://anond.hatelabo.jp/20120608000450
http://anond.hatelabo.jp/20120608000522
お前らの会社はサビ残が横行していて給与が現物支給なのかもしれないが、世の中では一般的にモノや労働などの対価としてカネを受け取ることになっているんだ。
結婚手当ってのは結婚しているが故に入ってくるカネ、つまり結婚の対価として男を経由して女に回ってくるカネだ。
じゃあ男は女にしっかりそのカネを渡せるよう早々結婚しなきゃならないし、結婚しない男は未熟でわがままなガキだ。責任感の欠片もない、恥ずべき奴だ。