正確には中庸が苦手なので極端に逃げると言ったところだろうか。
世の中で真実と呼べるもののほとんどは、中庸というか、程々というか、どっちつかずな場所に存在するということが、ここ最近になってようやくわかってきた。
「やり過ぎも、やらなさ過ぎもダメ」とも言い換えられる。当たり前っちゃ当たり前だけど。
なぜなら中庸や程々というのは、その場における最適解を現物合わせで編み出すことを意味する場合が多いが、この「現物合わせ」というのが、とても苦痛だからだ。
現物合わせの何が苦痛って、かなりの注意力と機転を求められ、簡単なセオリーやパターンで解決できないところ。しかも曖昧でハッキリしないから難しいのだ。
もちろん複雑なセオリーや無数のパターンを覚え、ほとんど全て納得ずくでこなすのも手だが、自分はそれが出来るほど頭良くないし、現物合わせの本質を外していることには変わりない。
こう書くと「極端に徹底するほうがキツくね?」と思う人がいそうだけど、むしろ自分にとって極端志向はルールやセオリーが明確になっている点で、とても楽だったりする。
やらなきゃならないことがハッキリしているなら、あとはどうやり込むか・やり抜くかだけだし、こういうのはパターン化できるので頭痛の種は何もないし。
むしろ現物合わせなんて、あんな難しいことを、世の中の大半の人がごく自然にこなせることが驚異的でならない(少なくとも自分にはそう見える)。
なんでそこまでパッと分かるの?なんでそこまで頭が回るの?という感じ。