はてなキーワード: 格差社会とは
いざ開けてみるとどの競技もつつがなく進行するので現場の人たちはやるかやらないかわからない状態でもちゃんと準備してきたんだな。
思えば開会式もドタバタで自分はとんでもない進行ミスが起きるんじゃないかってハラハラしていた。ハードル低いからか開会式は統一感ないなと思いながらやってる間は楽しめた。あるいは無観客だったのがよかったのかな。実際ボランティアはスタッフが余ってるみたいだし。
選手もすごいよ、卓球も水泳も感度した!ずっと非常事態が日常化していてあらゆる祭りも自粛してきた中で、無観客のオリンピックは今できる最大のハレの日なのかもしれない。
でも今まさにコロナ禍における人類最大の実験が目と鼻の先で行われていることに恐怖を感じる。二週間後に何が起こるんだろう?去年のニューヨークのような医療崩壊?世界各地で変異したコロナウィルスが東京で再集結したことによる最強最悪の変異株の誕生?それが世界中に再拡散することによる同時多発的な医療崩壊?その責任を日本が追求されたことによる国際社会からの追放?
それと、東南アジア諸国が今まさに感染爆発してロックダウンしている中、先進国のメダルラッシュは世界丸ごと格差社会なんやなあってベトナムの取引先と必死に納期調整しながら思いました。
なんでこうなるのかというと、田舎は何もなく、地方は簿記と珠算で、東京はSAPIXと英検だったんだよ。
嘘じゃないよ。
いま桐原書店がいっぱいコリンズ系統の教材を売ってるでしょ。あれ昔はないんだからね。
こうやって、地域ごとに習い事の質を変えて、中央でコントロールしようとしていたんだよ。これで昭和はうまくいったんだよね。
ところが平成に入ると、ネット環境で全部ばらされてしまった。人々は余計に、自分の幸福度を他人と比べる時代に入ってしまった。
いまや、比べない人がいないくらいで、2030年代はすべての日本人が比べているのではとすら思える。
こういう格差社会と比較社会が同時に訪れた国家は、少子化するのは当たり前で、人口が増えることはもう二度とやってこない。
まだ、田舎のリアルと東京のリアルを同時に知ったという人間は運がいい。
私は田舎のリアルと地方のリアルに加えて、東京のリアルと海外のリアルも知ってしまった。
将来的に、東京人は海外のリアルを一切知らされないまま成人する可能性が高い。
今東京の作曲コンクールよりも、四川の作曲コンクールのほうが投函率が高い。
中国が全部持っていく。
こいつら声だけは一丁前にデカくてその実アニメ自体に興味なくてただ単に共感したいだけだから人気のアニメは中身がなんであれ鬼のような人気になる
鬼滅の次はチェンソーマンになりそうなのかな?ティザームービーでゴキブリみたいに人が集まってたけどかなり人選ぶからなまあそれもどうでもいいのかみんなが見てるから見てるのか
それだけならまあいいことなんだがアニメという実質的に秘めてるまあどう頑張っても一般層に理解されない性癖やエロを出した作品は忌み嫌われるだってこいつらは二次元に興味がないから
だから一々リアルの話題を持ち込む現実はこんな女性いないこんな体型のやつはいない倫理的にどうなのとか
うるせええええええええええええ!!!
エヴァだって一般層に取り入ってるように見えるけどピッチピチのプラグスーツで何人の性癖歪ませたと思ってんだ
後エロ関係以外でも一般層は人気じゃないアニメはとことん見ないからちゃんと面白い作品があっても見ない
滅茶苦茶埋もれてるアニメの格差社会よラピスリライツ見た?見てないよね
売れてるやつはとことん売れて売れないやつはとことん売れてないそれも昔より見てる人が増えたはずなのに
アニメ界が盛り上がってるようにメディアとかでも多く取り上げられる機会が増えたがその実儲かっているかといえばそうでもない
昔……おそらく2006年くらいの自分は、家庭を持つ事に憧れていたし母親になりたいと思っていたと思うんだけど。
いつの頃からか、小さい子供を持つ「母親」というものは世間で無条件に持て囃され、何ら責任を負わずに済むようという風潮になってしまった。こんな世の中では世の「母親」というものに対して反発と敵対心しか持てず。母親は子供を虐待死させようが無条件で庇われ、肯定されるという世の中。とにかくそれが嫌で嫌でしょうがない。
ネット言論はどこを見ても、母親に多くを求めるな、三歳児「神話」なんてない、子育ては保育園に丸投げしていい、母性信仰の押し付けやめろ、といったものばかり。育休や子供の急な発熱による遅刻早退欠勤仕事で独身の同僚に皺寄せがいっている事を愚痴られても会社や経営者が悪いで済ませ、彼女達自身が会社を改善するために自発的に動く事などはない。独身者女性の声と違って聞き入れてもらいやすいにも関わらず。あなたたちの娘だって将来独身の成人女性になる可能性はあるのに。それに比べると父親に関しては虐待や育児放棄は叩かれ、多少はまともに親の責任を果たす事が求められている。とにかく小さい子供を持つ「母親」は全面的に肯定され、何ら責任を果たさずに済むようになっているもよう。
子育てに対する金銭的・精神的な支援も昔に比べれば格段に増えたのに、もっともっとと際限なく求める。日本の経済状況が悪化する中で、こと子育てに関してはじゃぶじゃぶお金を使えるんだから、その税負担が独身や子無しにいっている事はちょっと考えれば分かる筈なのに、感謝するどころか日本は子持ちに優しくない!と被害者面するばかり。
映画の『トゥモロー・ワールド』が2006年か。あの映画は好きだったけど、繁殖力が衰えて少子化が進んだ未来社会で妊婦と赤ん坊に希望を見出すというテーマ、正直今だと全く受け付けないような気がする。あの頃も「少子化」が叫ばれてはいたんだろうけれど、少なくとも今よりはまだ気にならなかった記憶なんだよな…。
東日本大震災での原発事故後の「子供を守れ」の大合唱や、その後の「保育園落ちたぞ日本死ね」辺りが契機だったように記憶している。
ただ2011年3月の時点では既に少子化悪玉論にうんざりしていたような記憶はあるな…その辺どうも曖昧。
自分の記憶だと2006年頃は、「貧困」「格差社会」「プレカリアート」が標語とされ、年齢を問わずに非正規労働や貧困の問題が語られていたような記憶。少子化は話題にされてはいても、その原因として貧困故に結婚できない若者の存在はちゃんと話題にされていたし、少子化対策として今のように「子育て支援」一辺倒ではなかったような記憶だ。それが今では「貧困」は「子供の貧困」になり、子供のいない成人の貧困は置き去りにされるようになってしまった。給与についても「若者の給料は低い」とのみ語られ、現在の中高年(かつての若者)だって給料は低いし上がる見込みもない事は無視される。
2000年代後半から震災前後にかけて、だんだんと年齢や子供の有無による選別が進み、生産性のない人間を露骨に虐げてよいという風潮になったのか…?と思っているけれど、どうだろう。
フィクションだと『TIGER&BUNNY』の主人公が、娘を郷里の母に預けていた事で育児放棄と叩かれていたのが印象的だった。これ、もし主人公が父親じゃなくて母親だったならこんなふうに叩かれたんだろうか?って思った。いやそもそも女性だったら主人公にならなかったのかもしれないが。
現実と同様にフィクション作品においても父親は叩かれるが母親は全面的に擁護されるという傾向、いつの頃からかあからさまになったなーって思う。
あと気持ち悪かったのが『おおかみこどもの雨と雪』に対するネットでの反応。母親に完璧を求めるな母性信仰を押し付けるなと、あくまで一人の女性を描いたフィクションであるにも関わらずそれを現実の全ての母親に対しても求めているかのような意見が異様に多くて怖かった。まああの作品は娘の視点から見て、息子と娘で差をつけすぎという感想も結構あってそれには納得したけれど。
昔の自分は漫画の『フルーツバスケット』のようにシングルマザーの子育てを描いた作品が好きで、自分もそんな母親になりたいという気持ちがあったんだけど。今は何かもう未成年の子供を持つ「母親」という存在自体が地雷で、見るに堪えない(明確に古い時代を舞台にした話ならばかろうじて大丈夫かもしれない)。好きだったんだけどなー。母親が愛情を持って子供を育てる話。今の母親はどこまでも自分が自分がで子供の事なんかアクセサリー程度にしか思っていないようなのばかりだし、フィクションでもその手のコミックエッセイが異常に増えて、もううんざりだ。
今だと『破壊神マグちゃん』とかも、これは一見母親が子供のために頑張って稼いでいるように見えても実際には税金で十分な支援を受け子無しから搾取してるんだろうなと思うと嫌な気持ちになる。
作品や作者に罪はないんだけどもう昔のような純粋な目では見れない。
何がしんどいって今生きてる子供達は皆、そういう我が儘で傲慢な母親から産まれてきたって事だよなー。だから子供を助けるような仕事をするのもそういう母親を助ける事に直結してしまうので嫌な気分になるというか。
子供のため、じゃなくてその子供達が大人になった時の、大人の人権を守ろうという発想ならまだ少しはマシかもしれないけれど。それでも今の「母親」世代を利するのかと思うとうんざりではある。
ほんとうに凄い!
これは凄いことだ。
何故かって?
今までのMOBA(マルチ・オンライン・バトル・アリーナ)とは全く違うからだ。
マルチオンラインバトルアリーナとは日本語に直訳すると「多人数ネット対戦式集団処刑場」だ。
MOBAの本質は「ゲームが上手い奴らがゲームの下手な奴らに敗北の烙印を焼き付けに行くゲーム」だった。
RTSが「どっちがゲームが上手いのか完全に白黒をつけ、一生消えない挫折を刻み込みあい続ける」というゲームだったのを、チーム戦にすることで一度に5人の心に傷を植え付けられるようにしたのがMOBAなのだ。
MOBAの勝利条件は相手陣地の破壊であり、それは言い訳のしようがない完全敗北を意味する。
勝負に負かした相手を試合のルールの元で完全に踏みにじる行為がシステムに組み込まれているのだ。
「10分間に多くの点を稼いだほうが勝つ」
これによって「いや……あのポイントが入れば勝っていた」「あと10分やってれば俺が勝ってた」「集団戦1回負けただけ」などの言い訳が無限にできるようになった。
そんな言い訳が出来ないほどの大差がついた場合は「レート詐欺の初心者狩りにあった」と言えばいいので、ユーザーの心は完全に守られる。
凄い。
今まではレーンで負け、集団で負け、陣地を守れず、強力なタワーに守られながらもボコボコにされ、もはや完全に負けたと言わされてきたのが、今度はいくらでも負けてないと言い続けられる。
なんて優しい世界。
今までのMOBAにおいては視界の管理だのレーンの責め合いだのジャングルの管理だのと煩わしい要素が無数にあった。
それらが上級者~初心者までを細かく切り分け、プレイヤー達は自分たちの屍によって格差社会のピラミッドを作らされてきた。
タワーもない。
ただプレイヤー同士が競い合うフィールドがあり、狩られるだけの野良モンスターがいて、ダンクするだけのゴールがある。
レベリングし、相手プレイヤーと戦い、たまにゴールを割って点数を稼ぐ。
それだけでいい。
煩わしい格差を作るためだけのシステムに邪魔されることなくのんびりとゲームだけを楽しめる。
まさに理想だ。
そうかも知れない。
だがそれでいい。
作戦なんていらない。
ゲームなんて遊びだ。
ゲームで仕事がしたいならポケモンなんてしてないでDota2でプロになれ。
・死にそうになったらキッチリ逃げるか味方に仇をとってもらうために削るかハッキリさせよう
これだけ守ればいい
もしもこれがLoLだったら「チームビルドではタンクの数がNでキャリーがXでジャングルがAじゃないと……」「(俺以外の)誰かがワードに金使わないと負けるよ」「なんでジャングルバフ管理してねえんだ」「ラストヒット奪うのやめろ」「ラストヒットちゃんと取れ」「俺が取れそうもないときはちゃんとラストヒットお前が取れ」とあーだこーだクッソくだらんゲームとしての面白さを底上げする役に立ってるんじゃなくて単にプレイヤーにランクをつけて誰が敗北者かを決めるためだけに作られたような要素が山ほど出てきてゲームを楽しむ余裕なんてない。
・人数差を生み出せそうなときには上手く集まろう
・無駄死にを避けてチームのキルレをあげよう
だけでいい。
神ゲーだ。
報告書では、英国の学校で広く使われているStar Assessmentsと呼ばれるReading(国語)と算数・数学の学習成果について、2019年11月のデータを用い、2020年の11月時点での結果との比較を行い、学習の遅れ(ロス=損失)の推計を行っている。
過去の学力調査との比較を可能にするデータだからこそ、このような推計ができる。
日本で同様の分析や報告が行われた形跡を、寡聞にして知らない。両国間で、全国的な規模での学校閉鎖の時期や期間がほぼ同じであったこと(ただし、新年度が何月に始まるかといった違いはある)をみれば、教育を担当する行政や調査機関、マスコミや社会の関心度の違いのあらわれといえるだろう。
さらには、いざというときに、このような分析を可能にするデータの蓄積や分析手法の開発という点での両国間の能力の違いのあらわれだということもできる。
日本で多額の税金を使ってほぼ毎年行われている全国学力・学習状況調査は変化を捉える設計で行われていない。そのために、今回のような緊急事態に直面した際に、学習の遅れを測定するためのデータとして使うこともできなかった。
学習評価の専門家はそのような調査設計(項目反応理論を応用したテスト開発)を提唱してきたが、その提言に従い、異なる時点間の比較を可能にするデータを構築するための方法を取り入れてこなかったのである。
その結果、莫大な税金を投入してきた全国学力テストは、社会の変化に対応するための政策研究に資するデータとしては、役立たずであったと言っても過言ではない。
記事の大部分は、イギリスの報告書をもとにした、休校による学びの遅れの指摘ですが、著者の主張は、「評価と意思決定のためのデータを集める体制が整っていない」ということですね。Twitterでの反応が「格差社会ガー」「政治ガー」ばかりなのが残念ですが。私も、昔いた教育系の職場で項目反応理論 (IRT) を調べて、ちょっとしたプログラムとかを書いていましたが、非同期的で、個々人に合わせたアダプティブな教育が求められる今こそ、必要な領域だと思います。もちろん、ちまたの「AI教材」を売っている会社はそれをやっているでしょうし、IRTよりももっとモダンな理論があるかもしれませんが。
社会問題について述べた,意識のお高~い記事にありがちな締め文句,
彼らによれば,地球の裏側の貧困にも,地球規模の水不足にも,アメリカの格差社会にも,全部俺らは関係者で,責任があるらしい.そんでもって,自分たちの活動が,他人にとっても価値のあることだということが,彼らには全く疑いの余地がないらしい.そんなわけねーじゃん.
俺は個人的には彼らの活動を評価しているし,見かけたら募金くらいはしてやろうというつもりはある.実際にしている.ただ,上記のような文句は,あまりに不遜な態度ではないか.事実を伝えて,それだけでよいのに,他人の良心にまで踏み込む権利は彼らにはない.彼らのような活動は,本来自発的なものであるし,それに,社会問題に目が向かない人は,怠惰でも不誠実でもなく,ただ余裕がないだけの場合が多い.当然国内にも貧困はある.無い袖を振らないことを,ともすれば悪意と取らせかねない,そんな言い草はやめるべきだ.身近にある貧困を無視して,「日本人は恵まれている」と主張するのは,あまりに冷酷じゃないか.
悔しい思いを糧にして切磋琢磨できる人間だけにチューニングされた社会は幸福を生まない
競争に興味のなかった人間でも、競争に触れ続けることで毒されていく
一度毒されていけばどれだけ勝てなくても競争をし続ける
毒に耐性を得られれば、その人間はどこまでも成長していけるだろう
しかし耐性が得られなければ、毒によって得る多幸感以上の不幸に苛まれ続ける
競争は発展を生む
発展し続けなければ外敵に対応できない
格差や差別は客観的なデータにおいてのみ存在するものではなく、「これは格差だ」「これは差別だ」と認識する人間の主観にも存在するものだ
十分な資産を持っていても「自分は敗者だ」と認識していれば格差を感じ、差別感を味わう
勝者と敗者は競争社会である限り、絶対にこの世からなくならない格差であり差別なのだ
それならせめて、競争に勝てない人間は競争に興味を抱かないように、競争以外で幸福を得られるように洗脳することを許容しなくてならない
大きくなって「競争に向かない」と自分で判断したら、自分の心から競争への興味を取り除く精神的な施術を受ける事を義務付けるべきなのだ
昨今snsや動画サイトのコメント欄では全肯定の空気が漂っている
まあなんでもいいが肯定と捉えることができる言葉ばかりが散見される
正直気持ち悪い
まあ気持ちは分かる最近は何かにかこつけて誹謗中傷と言われ最悪裁判、罰金を取られるなんてパターンもあるから
いやそれにしてもさ限度がない?もう中身がないのよただ肯定を投げかけるbotそこに意思もなければ感想と言えるような言葉もない
これってさ包丁で人を刺し殺すようなやつがいたからもう包丁を使うこと自体禁止しますって言ってるようなもんなのよ
お前らあれか0か100かなのか
格差社会が広がったとか言われてるがなんだ肯定否定さえも格差社会か(?)
後あれだ誹謗中傷云々で一々訴えるやつもうるさいわ
はっきり言うが、中途半端な演劇見せるくらいならやらなくて良かった。そりゃできれば開催してくれた方がお金回りが良くなるのは分かっている
そもそもガチャゲーはとてもシビアで、手に入れたいキャラは入手期間が定められており、少しでも課金を躊躇すると機会を逃す、とても財布が軽くなる趣味だ。
なのに捻じ曲げられた二次創作物がそこら中にはびこっていて、舞台の登場人物のキャラクターには最早統一感が存在せず、やたらオリジナルキャラクターを出す、その癖自分だけがキャラクターを独占したいとグッズを買い漁り、好きあらば運の良さをSNSで自慢したいというクソ野郎ばかりだ。
そもそも舞台でのグッズはランダム商品がほとんどだ。推しの物を手に入れるには膨大なハズレを引く必要がある。
いくつかの同人誌はネット上で公開されていたりもする。何なら、このサービスに固定で付いている客は少なく
なのに脚本家はその自由性に付け込んで、中身のない演劇を原作者の権利だと言わんばかりにやっていくんだ。マジ粛清されてくれ
引退して別ジャンルに移ったユーザも見受けられた。今はコロナにより中止している劇場がほとんどだ。
山姥切長義に関してはグッズの高騰が激しいらしい。駿河屋など中古屋ショップに出るだけで珍品だろう。運営はキャラの格差社会を生み出してると自覚した方がいい。