はてなキーワード: 喪主とは
今日は会社の同僚の親戚の葬儀に出席した。血縁関係も交流もまったくない赤の他人の葬儀であったがやはり人の死というのは悲しい、喪主の別れの言葉に思わず大粒の涙を流してしまった。
しかし周りを見ると若い連中は涙を流さず早く葬儀終わってくんねーかなぁという表情。これがゆとりかと感じた。
人を殺すゲームやアニメ漫画が溢れ人の死というものに抵抗を感じなくなってるのか?それでも人の死に涙を流さない若者に異常を感じた。
この葬儀、神式で行われたが二礼二拍手一礼をしなさいという立て札が堂々とあった。
ご丁寧に玉串奉奠のやり方まで司会がアナウンスする始末。これもゆとりか…。
辛いというか、憎い。
特定の誰かを憎んでいるわけではない。「特定の知人が憎い」、「有名なあの人が気に食わない」、「会社の〇〇さんとは意見が合わない」・・・そんなハナシであれば、逆にそれこそ万人が抱えているインシデントだと思っている。人間が社会的生物である以上、他人との齟齬や軋轢ははどうしても発生してしまうものだ。それは分かっているし、今までの自分はそういった「自分とはいまひとつソリが合わない人々」ともうまくやってきていた。・・・はずだった。
だが、最近の自分は明らかに何かがおかしい。友人の幸せな話を聞く度に心がすさむ。楽しそうな顔を見ると辛くなる。作り笑いの顔がばれてやしないかと変な汗が出る。
先日、友人の結婚式に行った。高砂に座る幸せそうな新郎新婦の顔を見て、「早く離婚すればいいのに」と思っている自分がいた。
facebookで、出産を報告している友人がいた。お祝いのコメントであふれる中、呪詛のようなコメントを書き込みたくてしょうがない自分がいた。
twitterで、ソシャゲの最高レアカードを無課金で引けたと自慢している友人がいた。10万円ぐらい課金してゴミばかり引けばいいのにと願っている自分がいた。
逆に、友人の不幸な出来事に聞くと、妙に心が躍る。辛そうな顔を見ると嬉しくなる。口の端がつりあがっていないかと、無表情を装う。
先日、友人の子供が難病に罹った。1年以上は入院生活を余儀なくされるらしい。その話を電話で聞きながら、ニヤついている自分がいた。
facebookで、母堂の喪主を務めた旨の報告をしている友人がいた。故人の意向だかで家族葬ののちに報告となった事を詫びていた。お悔やみのコメントが並ぶ中、皮肉たっぷりのコメントを書き込みたい衝動にかられている自分がいた。
twitterで、仮想通貨に手を出してウン百万円のマイナスになったと書き込んでいる友人がいた。「バカ丸出しだな」と思っている自分がいた。
これらの友人・知人達を嫌っているという事はない。むしろ好きと言って差し支えないと思っている。なのに、幸せな顔が、報告が、書き込みが、俺の顔を曇らせる。
友人知人とは関係のない、インターネットの別世界に逃避しようともした。だが無駄だった。炎上しているところを探して、ポリコレ棒持参で徹底的に叩くだけだった。左も右も主義も主張も関係なく、誰かが探し出してきたサンドバッグが設置されれば、ひたすらに叩き続けた。炎上の為の薪もせっせとくべたし、火のないところには煙を立てまくった。そんな事をしても誰も幸せになれないし、自分の胸のモヤモヤも大きくなる一方だったが、空虚な行為が止む事はなかった。
もうどうしたらいいのか分からない。
この気持ちが消えていけば一番いいし、こんなの二度と味わいたくない気持ちでもあるのですが溜めておくより吐き出したいので吐かせてください。
ネットを開いて目に入ってきたのはジョンヒョンの名前と、後に続く信じられない文字。見た瞬間から震えだす手と身体と、状況を飲み込めない脳、「はっ?え?」と勝手に動く口。
あの全ての瞬間をまだまだ3日前のことかのように身体がしっかり記憶してしまっています。
本当にいなくなってしまったのかどうかまだ定かじゃありませんでしたが、何かが起こったのは確かなんだなと。
ペン友達に連絡を入れて、とりあえずその子のバイトが終わった後日付が変わる頃に会うことを約束しました。それからは本当に祈ってばかり、こんな時だけ神様を信じてごめんなさい、でもそれしか頼れませんでした。
「生きてて」と誰かに対して切に願う日が来るだなんて。
遥か何十年も先に来ると思い込んでいたことに「今」向き合わなければならないなんて。
もうニュースの数や報道のリアルさなんかを全部無視してとにかくSMからの言葉を待とうと決めました。それまで何にも手につきませんでしたが頑張ってお風呂だけは入りましたけど止まらない吐き気と震えであまりそこらへんのことを覚えていません。
私は23:44に、見たくなかった文字を、向き合いたくなかった現実を、SMから突き付けられました。なんで時間を鮮明に覚えてるんだろう。
とにかく早く友達に会いたくて、会いに行きました。お互い呆然というか、出て来る言葉は「信じられない」ばかりで…特に会話した覚えはないんですけどあの時は本当になぐさめとかではなく、気持ちを共有できる子に会ったのは正解でした。またすぐ会おうと約束して、帰りの自転車に乗りましたが考えすぎてしんどかったです。一人になると考えますよね。
それから21日まで、学校もバイトも頑張って行きましたがずっとずっと彼と4人のことだけしか考えていませんでした。
辛くて苦しくて泣きたくて、でもメンバーやご家族はもっとそんな気持ちだし、そしてジョンヒョン自身が誰よりどん底の気持ちでいたのかと思うと余計に、今も悲しくて仕方がありません。
公開される遺影、弔問客の映像、画面に映る故人という表記、喪主として並ぶ名前たち、無情にフラッシュをたかれ撮られ続ける出棺の映像。これらには本当に現実を突き付けられましたが同時に意味がわかりませんでした。今も消化できてないです、この全てが作られた話で、観ているのは映画なんではないかと。今もニュースなどで嫌でも目に入るたびに「ん?」と首を傾げたくなります。
ジョンヒョンの死を現実で起こったこととして受け入れるには相当時間がかかりそうです。現実とはわかっていても、脳が勝手に疑問を持って信じられないと否定しているような、そんな感じです。みなさんもきっと信じられないですよね。
ここでちょっと私自身の経験を記します。私は物心つく前に父を亡くしています。彼はとある環境で周囲や家族からのプレッシャーを受け続けたせいでお酒と睡眠薬などの薬に逃げ、赤ちゃんだった私にまで手をあげ、頭はおかしくそしてガンになって人生を終えました。
そして物心ついたとき一番近くにいた血縁関係にある男の人は、祖父と二人の叔父でした。そのうち一人の叔父には息子が二人いて、一人は私と年齢が近く、家も近くに住んでいたのでいとこだけど兄弟のように過ごしてました。よく遊びに連れて行ってもらいましたし、外食もして、世間でお父さんがしてくれることは全て叔父がやってくれてました。
そんな叔父が、ある日うつ病にかかりました。突然というより、徐々にだったんだと思います。私と長男のいとこは10歳とかになっていたので(次男はまだ3歳ぐらい)、かつ叔父の姿は衝撃的だったのでかなり鮮明に覚えています。
叔父はうつに侵されている時間が長くなるにつれて、お酒や処方された薬にたくさん頼って、泣いて泡を吹いたり、時には何もしたくないと動かず泣いているだけの時や、だんだんと人生に希望をなくして祖母や私の母に「死にたい」「今から死ぬ」と言い出すようにもなりました。いつ本当に命を断ってしまうのか毎日毎日怖くて仕方がありませんでしたが、そんな時でも私といとこが叔父の姿を見ないようにと、家族がたくさん気をつかってくれていたのを今も覚えています。ほとんど覚えてるんですけどね。
そして、時間はかかりましたが、家族のサポートや真摯に話を聞いてくれるお医者さん、適量の薬のおかげでうつ病は少しずつですがよくなっていってる風に見えていました。
仕事も再開して、病院通いは続けながらもまた日常を取り戻そうとしていたとき、4年前の夏、叔父は他界しました。
原因などは書きませんが、一つだけ言えるのは叔父はまだうつと闘っていたということと、薬に頼っていたということ。
父の時は物心ついておらず覚えてないのですが、叔父の場合はお父さんがわりのような人だったので本当に悲しくて悲しくて仕方がありませんでした。
何より胸が痛くなったのは、叔父の苦しんでいる姿以上に、元気で明るく、優しい姿をたくさん見てきたというところです。もうあの愛に溢れた姿を目にすることができないんだと実感した時の辛さは果てし無かったです。
あれから四年経った今年の夏、ついに納骨しました。叔父は亡くなる前に離婚していたので(といってもずっと支えてくれましたし今でも関係は続いています)私の祖父母がいろいろと取り仕切り、骨壷も実家にありました。そばにいてあげたいという思いが強くあったようですが、二人とも前を向きたいと納骨に踏み切りました。
毎日お墓に行ってます。お参りするたびに「もういないんだね」と実感させられるし、どうしても小さい頃の姿とか思い出してしまって寂しくなると言っています。
でも、私の目から見て確実にみんなまた前を向いているし、最近私の祖父母や母は、叔父が生きられなかった分の楽しいことを今からでもたくさんやると決めました。
人の死って簡単に乗り越えられるものではないし、何年かかってもいいと思います。
特に、若くて前の日まで元気だった人とか、まさか逝ってしまうと思ってもみなかった人がいなくなると残される方の衝撃というものが大きすぎて心に傷が残ります。私は人との別れが極端に苦手になりました。
大事な人の死より大きい悲しみはないです。悲しんで悲しんでたくさん泣いて、それでいいと思います。なぐさめてくれるのはありがたいし元気出さなきゃいけないのはわかってても、悲しみに蓋をせず、共有できる人がいれば共有してたくさん思い出話もして、そしたら何年かかるか分からないけどいつか前を向こうと思える日がくるはずです。私はそう信じています。
私は、身近な人の死を経験して、以前以上に周りの人を大事にするようになりましたし、1日1日を大事に、周りの人を本当に愛して過ごしてます。そして時に叔父のことを思い出して、笑顔になる記憶を辿ったりします。
風邪から元気になるペースは人それぞれ違うように、悲しみから回復するペースも人それぞれ違います。「あの人はもう前を向いてるにに私は泣いてばかり」と思わず、自分の感情に素直に、正直に過ごすのが一番いいと思います。
今回ファンとして大好きな人の死に直面して、正直あまりの向き合えなさに驚いています。葬儀などに出席できないし、画面越しでしか現実で起こっていることを見ていないということも大きいと思います。
もうひとつは、忘れてしまえるほどたくさんの映像と音楽が残っていることも理由だと思います。ここ数日でやっとジョンヒョンの歌声や5人の姿を少しずつ観られるようになってきました。それらを観ているとき、自然と笑ったりしていると当然のようにジョンヒョンはまだ生きているんだと脳が思い込んでるんですよね。そしてふと我に帰った時に「あ、もういないんだ」と気分は奈落の底に落とされます。愕然とします。
その繰り返しではありますが、なんども言いますが私のペースでいいかなと。KPOPを全く知らない友達と出かけて他愛もたい話をしたり、美味しいものを食べに行ったり。どうせ考えてしまうから、無理やり考えない時間を作る。私は結構これが効いています。
ドーム公演もどうなるかわかりませんし、いずれにせよSHINeeが公式的に4人で私たちの前に姿を表す日はきます。その時にまた、シャヲルは改めて、ついに、現実を目の当たりにすることになりますが、その時はまた一緒に泣いて悲しみましょう。時間が解決してくれます。
(でも4人の気持ちが最優先であってほしいので無理はして欲しくないです。どんな結論を出そうと、絶対にみんなを応援します。)
ジョンヒョンがいなくなってしまった悲しみは今年の記憶として置いていくにはあまりのも大きすぎます。来年に持っていきます、連れて行ってたくさんたくさんジョンヒョンと、SHINeeと、これからの自分のアイドルへの向き合い方を考えようと思います。
思いを馳せて、忘れないでいます。絶対に忘れることはないんですけどね。
最高のアーティストで、最高のグループSHINeeに属するアイドルであるジョンヒョン。
すごく優しいからこそ繊細で、世間の嫌なところも人よりたくさん見てしまっただろうし、真剣に向き合ってきただろうし、全部背負ってしまったんではないかなと思います。だから彼が言ってほしいと残していった言葉、言わないとね。
ジョンヒョン、本当にお疲れ様でした。たくさん苦労して耐えて頑張ったんだよね。ずっとずっと大好きです。これからもたくさん、ジョンヒョンが残していったものを大事に愛します。
では、みなさん、良いお年を。
年末も近づいたこの季節、TVではM-1を始めとしたお笑い番組が大量に流される。
漫才、コント、色んな形態で芸人たちのネタが披露されるわけだが、
母親を亡くしたのは四年前で、自分でもずいぶん長いこと引きずっているとは思う。
また、自分は科学の徒であることを自認しているので、死後の世界だの霊魂だのが現実にあるとは思っていない。
ただ、自分を育ててくれた母親が、死とともに完全に消滅したと思うのも辛い。
生前あまり親孝行できたとも思っていない。ようやく孫の顔を見せてやることができ、
これからやっと親孝行ができるかと思った矢先に、母は病で亡くなった。
だからその母のためになることを何かしたい、母を喜ばせたいと強く思った。
もう死んでるのに。
肉体は完全に死んで、脳も活動を止めてしまい、客観的には母の人格は完全に失われてしまったというのに。
葬式というのは本当に優れたシステムで、一定のルールに従った服を着て、決められた儀式を開催し、
決められた受け答えをこなしていけば、死者のために尽くしたことにしてくれる。
それなりに信心深かった母のことだ、母が祖父母にそうしていたように、自分が母に対して正しく儀式を執り行えば、
母はきっと喜んでくれるだろう。
そう信じて、その場にしゃがみ込みたい気持ちを抑えながら、とにかく正しく、つつがなく儀式を終えるように努力した。
列席者もおそらく同じ思いで、ひたすら正しく、何事も起きないように儀式を進めてくれた。
ところが、お笑いのネタとして葬式を消費する場合、そうはいかない。
奴ら芸人は、ひたすら「正しくない」葬式を舞台で演じ、それを観客が嘲笑う。
例えば無神経な葬儀会社の人間を演じ、遺族の神経を逆撫でするような発言を連発する。
自分が母を送った時に、もしそうやって葬式を台無しにされたら、と思うと恐怖しか感じない。
亡くなった母のために何かしてやれる唯一の機会を、一人(あるいは二人)の馬鹿のために奪われてしまうのだ。
さらに恐ろしいことに、その状況はどうやら、他人から見たら面白いらしい。
死者を悼む無言の一体感など全くなく、喪主が何とか儀式を正常に戻そうと無駄にあがく様は、
どうにも笑えて仕方がないらしい。
恐怖だ。
そう遠くない将来、父も送ることになるだろう。
自分はその時も、信心深い父のために、正しく、つつがなく儀式を進めようと努めるだろう。
そのとき、TVでうまくいかない葬式を見て嘲笑っていた人々は、どう思うだろうか。
どこかで「喪主のセリフが飛んだら面白いのに」「焼香の時に誰かが祭壇をひっくり返したら面白いのに」
とか思ってるんじゃないだろうか。
もしそうなった時、場を収めようとする自分は、やっぱり笑えて仕方がないんだろうか。
その時が怖い。
結婚式に限らず、お葬式で「ご愁傷様です」も、死んだときの報告時でいいやんと思う人かな?
まぁ葬式じゃなくても、大きなランドマークのビルの竣工式なんかでも芸能人が来て「おめでとうございます~」っていう合図でテープカットするよね。
逆に、新郎新婦側も「ありがとう」「来てくれてありがとう」と何度も言ったり、葬儀も喪主や親族は「いらしてくださりありがとうございます」はよく言う。
おめでとうございます、ご愁傷様です、ありがとうございますなど、相手のことに対する賛意、敬意、労い、感謝など、人に寄り添った言葉を発するときは場所や状況などそんなに左右されず何回でも言ってあげることのほうがいいから、みんないっぱい言うんじゃないかな?
もちろん、今後の生活を見据えた「がんばって」という煽情も相応しいと思う。
ちなみに、「あけましておめでとう」だけは、「あけまして」と「おめでとう」で分かれているのではなく、「あけましておめでとう」と言う一つの慣用句に近い気がする。
二十歳ぐらいのころ(今から十数年前)母親から言われたフレーズだけど、未だに咀嚼できていなくて困ってる。
とか色々思ったけど、当時40代の母親が、病んで風俗にはまって会社も行けずに某大学病院から大量のステロイド投入されて結局精神面での悪化しか効果が確認できず果ては余命数ヶ月の患者しかいない療養施設に島流しされた(過酸化水素とおかゆと排泄物の臭いがする施設だった)夫の喪主立派に務めて、今考えると本当に大変だったろうし当時高校生だった自分は(上記疑問点もあって)正直全く手伝えていないところか、本当に迷惑しかかけてなかった。
その後結局増田は教科書通りに浪人・留年を繰り返してさらに母親に対し負担をかけた。
やっとの思いで就職が決まったときに言われたのがタイトルにあるフレーズで。まぁ増田自身に問題が多々あるのは認めるが、その上で増田は「家族って大事でしょう」が分からない。
死因は分からない。
会場には大勢の人が集まっていたので、私たちは2階で、うっすらと聞こえてくる読経の声を聞いていた。
私はぼんやりと、目の前にいるあの人は何の関係なのだろう、部活かなぁ、とか、
久々に履いたからヒール痛いなぁ、とか考えながら何とか泣かないようにやり過ごしていた。
その後、焼香のために下に行った。
ご両親が泣いている姿を見たら、とうとう堪えきれなくなった。
作業のように手際よく進める葬儀所の人とか、機械的でつまらない弔電に勝手に憤りを覚えたりして。
喪主の挨拶を聞いてボロボロと泣いていたら、そこら中からすすり泣きが聞こえてきた。
どうやらこれは、大掛かりなドッキリなんかではなかったようだ。
でも、まだ顔も見ていない。あの子はどこへ行ってしまったんだろう?
思い出話を一切せずに、不自然なくらい“これから”の話ばかりした。
あんなに泣いた後でも、「明日、仕事行きたくねえなぁ」って言い合える、
なんて人間らしいんだ。
まだぐちゃぐちゃしているけれど、
きっと私たちは明日からまた何でもないような顔で生きていくんだろう。
ふと襲いかかってくるやり切れなさと闘いながら。
葬式とは故人のためだけではなく、喪主の見栄も反映されるんだね
今回初めて喪主(じいちゃんの長男、つまり自分の父親)の家族として葬式をしたんだが、父は式が終わったあと何度も「アイツも来てない、コイツも来てない、俺はやつらの親父が死んだときに花を出したのに」と文句を言っていた
じいちゃんは100歳だったので死ぬ覚悟はできていて、そろそろヤバイなとなったとき、母から「葬儀費用として50万貸してくれないか」と持ちかけられた
子どものころから大学は出してやれないと言われて育ったぐらいだし、うちに金がないことは判っていたので、50万貸した
それで100万ぐらいの葬儀をするんだと思っていた
葬儀のあと、母から「借りた50万は出世払いとして~」と言われてショックだった
あ、これ返す気ないんだなって
はあ~還暦過ぎた父が出世するのかいつかなあ~国民年金も払っていなかったらしいからな~あ~やんなっちゃうな~
30にもなる妹は香典を持って来なかったので代わりに自分の分とはべつに包んで持たせてやったし、じいちゃんは貯金や年金を40代ぐらいの若い女にすべて渡してしまっていたようだし、もう疲れた
じいちゃんが死んだ。90近くまで生きて、死ぬ時もぽっくりの大往生で、ここまでは良かった。
大変だったのはそこから。火種なんて全く見えなかった我が一族にも相続問題が勃発した。
長男夫婦は、「長男として家を継いで欲しいと、昔からずっと父から言われていた。」と主張し、次男夫婦は「長男夫婦はたまに来てご飯を食べたり掃除したりするだけで、毎日世話をしてたのは近くに住んでいた私たち。それに実は死ぬ少し前に父から『やっぱり家はお前に頼む』と言われていた」と主張している。
それに対し長男夫婦は「そんな話は聞いてないし、そんな話があれば父が自分たちに言わない筈がない。次男夫婦は嘘つきだ。」と(心の中で)反論。(弱いww)
大した家柄じゃないので、家を継ぐ継がないっていうのはどうでもいいっていうのは分かりきってて、要は遺産の話。
じいちゃん普通のリーマンだったけど、先祖から継いだ土地が少しあるのと預貯金が数千万ある。(本当老人は金持ちでいいよね。じいちゃん戦争に行ってたし、公務員だったから年金40万近く貰ってた。)
まだ預貯金と、家以外の土地をどうするかの話し合いはしてないみたいだけど、葬式の喪主は押し切って次男が務めたし、じいちゃんの家も次男夫婦が継ぐことで確定してるみたい。
このまま行くときっと預貯金も次男夫婦が多くを持っていきそうな感じ。
結構すげーな、と思ったのがじいちゃんの葬式も長男が受取人になってたじいちゃんの生命保険金で挙げた
んだって。次男は「父にやっぱりこれはお前にやるって言われたからこれを使わせて貰う」って言ってたけど、それは流石に嘘っぽいかな。
自分としては自分が貰える訳でもないからあんまお金の行き先に興味もないし、兄弟で何やってんだよくだらねーなと思うけど、一つ言えるのはこんなんで兄弟の縁切れたらじいちゃんまじ悲しいだろうなー。草葉の陰で泣いちゃうよ、じいちゃん。
なんかこれを契機に出るわ出るわお互いの愚痴って感じでそれを聞くのも結構エグい。自分は長男夫婦の子供なんだけど、叔父さんも叔母さんもすっごくお世話になったし、大好きだし、いい思い出しかなかったから。
従兄弟の結婚とか将来お祝いしたかったけどなー。もうなんか笑顔で一同会することはないかもなって感がムンムン。
「近くに住んでて、どれだけ金持ってるかを肌で感じてたら人間何でもするかもね」って言ったのはまた別の親戚の人。「えっ、次男夫婦が金目当てでじいちゃんに良くしてたって言いたいの?」って聞いたら「悲しいけどね」って言ってた。
そんなことー、切なすぎるー、知りたくなかったー。
「じいちゃん、遺言書書いとけば?」って一言じいちゃんにやっとけばよかったな。
はてなーのみなさん、一回ちゃんと話し合いの場を設けとくといいよ!本当に。うちだってすっごくすっごく(表面上は)ずっと仲良し一家で、まさかうちが!ですよー!
やあみんなお尻の拭けなかったお(兄|じ)さんだよ。
俺も歳をとったね。うんとった。どれくらいとったかというと母が死んだくらいとった。
そうなんだよ、この前母がなくなったのね。
もともとは姉がいたけどいろいろあって今は一人っ子なのね。
でほらさ、うち一家離散しちゃってんじゃん。
父母姉俺だったけど、
姉はいろいろあっていなくなっているし、その十年後くらいに父母は別居して、
父と実家に残った俺は、けっきょく父が嫌んなってさ、大学卒業してすぐ東京出てそれっきりって感じじゃん。
だけど俺においては両親の連絡先だけは知っててさ。
「だけは」っていうのは文字通り「だけは」でさ。
連絡なんて5年に1度もしなければ、実家に帰る、別居先に会いに行くなんてことも当然なくてさ。
まあ不完全ながらも一家離散しちゃってるわけですよ。
「家族」って形式にもそういうことってあってもおかしくないわけさ、ってのがあってさ。
まあいいや。
でだ、喪主をすることになるわけですね。
ほら、母と父は別居状態だから子である俺がやる流れになるわけですね。
「葬儀」というものは畢竟親族のためにあるんだ、ってな勢いで考えていたわけさ。
ほんとに非情に思えるかもしれないけれど、これはけっこう本心なんだよね。
お金の話しようか。
喪主っつったって単に火葬しておしまいなんて話だったらそこまでお金かからないわけじゃん。
それでいいじゃんって思ったわけですよ、当初は。
俺だってそんな金もってるわけじゃないし、葬儀屋みたいなのいい噂聞かないしさ。
「こっちは一人っ子だし喪主だ」なんて大義名分背負ってるから、
その俺が「そんな大層な葬儀必要なくね」って思ってんだからいいだろって思ったわけですよ。
でもまあ「そうじゃなかったしそいつはちっと浅はかだったかな」って話をするね。
母が死んだ病院ってのはもともと母の勤め先だったんだよね。
これは俺、その場で知ったんだ。
というか彼女がどこで何していたか、出ていったあとの20年くらい詳しい話を俺は知らないんだよね。
で病室片付けたあと遺体を葬儀場の霊安室に運ぶって段になったときに、
忙しい病院だよ。そんな暇ないはずなのにそれだけでも十数人くらいは来てくれたのね。
俺はまったくあったことない人だよ。
でも俺の母のことを思ってきてくれて涙をしているというのを目の当たりにしたときに、
なんか俺は間違っていることをしたんじゃないか、しようと思っていたんじゃないかって気になった。
整理するね。
俺の死生観ってのはこの状況を見ても実のところ全く変わらなかったんだけど、
でも「葬儀」を私物化してた、しようとしていたことは間違っていると思えたんだよね。
その「家族」のいままでなんもしてこなかった「息子」とやらがいきなり現れて、
今ここで見送ってくれている人たちをないがしろにしていいのかなって思ったわけですよ。
「ああこれ俺たしかに喪主なんだけど、これはこの人達の代理でやるべきなんだよな」
とか、もっと言えば
「この人達こそが葬儀運営したいんだろうけど、世間の仕組み上、確定された『喪主』である俺に一任する他ないんだよな」
とか感じたということなんだよね。
「何をすべきか」がわからないからこういう状況になっちゃってんだけど、
でも「これしたらまずいよね」はさすがにわかるんだよね。
たぶんこの場に見送りに来れない人もいただろうし、
遠くからでも葬儀に出たいという人がいるかもしれないだろうし。
いやあったこともない人たちだし、そんなものは憶測でしかないんだけどさ、
でもそれで誰かの、少なくとも母と時間を共有した人の人生を、不容易に傷つけない方向で考えるべきなんだろうね、
って思ったんですよ。
それじゃあ喪主の話するね。
2. 返礼品オプション外す
3. その分通夜ぶるまいはする
4. 葬儀連絡を母の知人にする(98%くらい、俺は全く知らない人たちだ)
1. は一番安いのにした。そこは本質と関係ないと思ったから。
今回はこの場を設けることが重要でありミッションだったからね。
2. は礼を失するという話があるやもしれんけど、
思い出してほしいのは「今まであなたが参加した葬儀で返礼品あったか」
で俺個人としては「そんなこと気にする人いないでしょ」って結論だった。
あとお金の話(大好きなんだ)すると、
「香典平均5000円/1人」って情報を葬儀屋から聞いていて、
その計算すると「香典5000円 - 返礼品2000円 = 3000円」とかになるわけ。
しかも葬儀屋は「返礼品は日持ちするからキャンセルありで補充可能」って感じで、
バンバン持ってこようとするわけ。
どうなるかっていうと会葬者x2000円の出費が変動費で乗ってくるということなんだよね。
これだと費用読めないからさ、なのでやめてくれって話にしたんだよ。
3. は2の逆なのね。これは費用が読めるんだ。
香典はこっちに当てさせてもらうほうが正しいと思ったんだよね。
故人を登場させてもらうって場所なのかなって思うんだよな。
4. これが一番たいへんだったこと。
なのでお前さんがたが喪主をする側か亡くなる側かはしらんけれども、
まじで。
このご時世メーリングリストで一発やんか。
なんで年賀状あさって簡易住所録つくって、
「ちょっと誰呼べばいいか分かる人いませんかー」ってプチ個人情報漏洩しなきゃいかんのじゃ。
とはいえ、これを難儀するのは俺が親不孝だった証明でしかないですね。
という感じで式に臨んだ結果、120人くらい来てくれたわけだ。
前日御見舞きて「花見行こうね」って言ってくれた人を、
この期間中、よくしてくれた母の元同僚の方にも「ほんとうによかった」といってもらえた。
この言葉聞いて、人として危うい選択をするところだったけど、俺は間違わずにすんだかな、と思った。
「自分で自分の尻をふけるような大人になりたい」なんて言ったけどさ、
まだまだ全然拭けないよね。喪主なんて助けてもらってばかりだったよね。
最後に言いたいのはね、こんな俺が言うのもあれなんだけど、
「同僚」や「友達」以上の存在でなければならないってことではないと思うのね。
逆説的に言えば「家族」以上の「同僚」や「友達」がいる形はあっていいんだよね。
それらは比較するべきでなくて、並列に存在して全部大事でいいんだよね。
だから「家族離散」してるからといって「家族の葬儀を簡略化していいってわけじゃない」ってこと。
俺はそれを今回知れたってことを、みんなに教えたかったんだよね。
めんどくさい。
職場の飲み会、入社してから10年ほど、歓送迎会と忘年会の年五回くらいの飲み会にはほぼ参加していた。
が、体力が曲がり角を迎えたことで、何もかもすべての飲み会はお断りすることにした。
別に仕事は仕事で普通に回るので、出なくなってから仕事で困ったりは一切ない。
飲み会に出ないから仕事上の連絡をしない、とかいう無能な社員は幸いなことにうちの会社にはいない。
しかし、そんなことをしていたら親から「そんなことをしてたら葬式誰も来なくなるよ」と言われた。
そうだなー、たしかにそうかも。
でも別に死んでるじゃん?
誰も来なくても知る由もなくね?
来なかったからと言って誰か困るんかな?
子供は一生持たないと決めてるから旦那より長生きしたらそもそも葬式やってくれる人いなくて、無縁仏だし。
旦那も私も兄弟いないから、甥っ子とかにお金渡して葬式お願いすることもないし。
そんな人生なのに、何をそんなに葬式に誰も来ないことを気にしなきゃならんのだ。
だいたい葬式に来てもらうために人間関係を持つわけじゃないだろうに。
人間関係を継続した結果として葬式に来てくれる奇特な人が現れるわけであって、そのために人付き合いするわけがない。
そんな親の葬式に何人が来るんだろう。
喪主は私になるんだろうけど、親の知り合い呼んだら私が疲れるし、父親は誰々に連絡しろと言ってるけど全て無視して親戚も会社関係も一切呼ばず私と母親だけの密葬にするつもりなんだよね。
呼んでほしい人リスト、みたいなものを渡されたけど渡されたその日に捨てた。
持ってたら後々面倒だし。
だから、そんなこと言う親の葬式にこそ誰も来ない確率が高いんだけど。
死んだあとのことなど誰もどうにもできないこと。
口うるさい親戚に振り回されて恥をかかされて余計につかれるよ。
親戚が喪主にあれこれ口出ししてくる、仕切りたがりの親戚がいると大変。
その人が頼れる人だといいけど、喪主の未経験者でその地方や宗派の葬式もしらないトンチンカンなのに
自分のやり方を押し通そうとギャーギャー言うので
故人を悼む暇もなく、精神的に磨耗するわで大変だよ。
ただでさえ
骨上げに出席する親戚を確認するのに恥を忍んで親戚に名前を聞きに言ったりとか大変なのに。
先々月に風邪をこじらせて肺炎で入院した際に、医者からはもう長くないと言われていた。
11月に入り危篤状態になりそのまま息を引き取った。齢90歳。大往生だった。
亡くなった後の手続きはめまぐるしかった。といっても喪主私の叔父が忙しかったのだが。
たとえば、
入院した病院で死亡診断書を貰い、死亡診断書を役所に提出して火葬許可証を貰ったり、
家系図を引っ張り出し祖母に近しい親類から順に参列する親戚の焼香順を決めたり、
叔父がはじめての喪主として慣れてない葬式の手続きを頑張って進めていたのを見て、自分も勉強になった。
普通に葬式が終わっていたなら、葬儀は高価で忙しかったって話で終わっていたと思う。
こっちの方が正しいだの、ああしろだの。弟親子は喪主なんて一度も経験したことはない、
何度か近所の葬式を手伝った程度なのに喪主すらやったことのあるような口ぶりで喪主である叔父に指図する。
そのくせ、喪主が一緒に親戚へのあいさつ周りなど、喪主の仕事をさせようとすると
叔父の弟は、日常でもたびたび自分が正しいと思っていて間違った他人を仕切ろうと、あれこれ指図するが、
葬式の時までそれをやられるとは、思わなかった。
正直、私も葬式の運営の手伝いより、喪主の弟の仕切りたがりを右から左に流すことに疲れた。
私が喪主だったら叔父のように笑顔で流すことができず、葬式の邪魔をするなと喧嘩になっていたと思う。
あんなわずらわしい親戚を呼ばず、自分の身内だけでひっそりと火葬だけする直葬にして、後で親類にはがきで知らせようと思った。
なお、葬儀は一般的な斎場で行ったので場所代と飲食費で100万。お坊さんへのお布施で20万程度でした。
小さめの葬儀とはいえ普通の葬儀って高いんだと実感しましたとさ。
平成28年3月14日、特別養護老人ホームに入所していた認知症の叔母さん(父方)が亡くなりました。齢90歳。
叔母さんからみて、兄の子である私がひとりでこの叔母に関する全てを執り行ない、総額42,360円の支出のみで完璧に満足のできる葬儀が出来ました。
本日様々な手続きを含めて全てが終わったので記録として書いておきます。
もしかすると家族葬の費用をかけずに行いたい方には参考となるかも(?)しれません。
隣接した岐阜県に私は現在居住しています(実家には車で高速道を使って約2時間30分の距離)。
老人ホームに居たのは私の父の妹で、結婚はしていましたが旦那は既に他界、子供は居ませんでした。
旦那の両親も兄弟も他界して、その旦那の兄弟には子供が居る模様(不明)。
叔母の兄弟は3人。上から順に姉(他界)、私の父(他界)、叔母。他界した姉さんには女1人と男4人の子供がいます。叔母さんから見て、その5人は私と同じく姪とか甥にあたるわけですが、今も健在。 姪とか甥は全部で6人居てそのうち1人が私というわけです(私が最年少)。
叔母は旦那の他界後に体調を崩して富山県内の老人ホームに入所しましたが、その時に保証人となっていたのが私の父でした。
父の他界後は母が時々面会に行っていましたが、母は高齢で運転免許もないので、私が父の後を引き継ぐ形で叔母の保証人になっていました。
入所後は月に1回くらい母と私で施設に面会に行く程度。従兄弟や友人が面会に来たという話は施設の職員の方に聞いてもほぼ皆無。
そんな叔母さんが「食事を充分に摂れなくなった」と施設から連絡を受けたのが今月の初め。
施設に行くと、「食事が自分で摂れなくなったので"胃ろう"にしますか?それとも"点滴処置"を希望されますか?またはこのまま看取り介護に移行しますか?」と選択を迫られることに。
"胃ろう"なんて造っちゃったらまた数年生存してしまうかもしれません。それで元気になるのであればいいのですけど、既に認知症が悪化していて先はありません。点滴したとしても数週間生存が延びるだけです。施設の順番待ちの方も沢山いますし、これ以上税金が叔母さんに使われるのはかなり躊躇われます。
「看取り介護にしてください」と、迷わず伝えました。この時点で全て自分の責任と判断で進めることにします。
さて、ここで叔母さんの余命はあと2週間程度であろうと推測。そうなると近いうちに葬儀の準備が必要となります。
以前私の父が亡くなったときには普通に葬儀を行いましたので150万円ほどかかりましたが、叔母さんは長く施設に入っていましたし、面会者も私と母以外に全くいませんでしたから家族葬で充分です。なお、叔母さんは認知症でありながらも面会毎に「私が死んでも葬式は要らないからね」といつも言っていたのですけども。
まずはネットで検索してみます。業者を使うと直葬(火葬のみ)で10.8万円とかのプランもありましたが、叔母さんが以前から檀家であるお寺が存在していることを聞いていましたし、せめてそちらのお坊さんにお経だけは読んでもらおうと考えました。
(激安のプランって結局「霊安室別レンタル時間料金」とか、「搬送は10km以内でそれ以上は激割り増し料金」だとか、「エンゼルケアは完全別料金」とかどんどん高額にならざるを得ないシステムなので要注意です)
次にネット検索で棺を購入します。直葬セット6点セット(棺(折りたたみ式)、白布団、仏衣、骨壷6寸、骨箱、顔あて布)というものが送料込み27,600円。早速注文して実家に送ってもらいました。amazonでも18,000円とかで棺が売っていましたが(笑)、実家に大きな棺をそのまま何日も置いておくのも嫌でしたのでそちらの折りたたみ式のものを選択。
その後は私も普通に職場で仕事をしていましたが、「叔母さんが亡くなったら自分が喪主となる予定ですのでその時はすぐに休暇ください!」と職場ではアピールをしておきました。
そして、3月14日17時すぎ、施設から「亡くなられました」と電話がかかってきました。私のスイッチが入ります。
すぐに実家近くのレンタカー屋さんに電話し、ハイエースバンを予約。死亡から24時間は火葬することが出来ないため、その翌日17時ではすでに火葬場は時間外となります。ですので、火葬はさらに次の日になるはずだと判断して48時間借りることにしました。
車で帰宅途中にレンタカー屋さんに直行、実家に帰ったときはすでに21時を廻っていました。
借りたハイエースバンに届いていた棺一式を載せ、母と一緒に老人ホームに向かいます。
ところで、以前父が亡くなったときに家族の前で葬儀屋さんが身体を拭いたり仏衣を着せたりするのを私は見ていたのですが、当時その行為にものすごく違和感を感じていましたので、次に自分が執り行う葬儀の場合は全部自分ひとりでエンゼルケア(死後の処置・湯灌)や納棺を行おうと心に決めていました。
22時頃に施設に到着。職員の方に「私がエンゼルケアをしますので部屋は私一人にしてください!」と宣言し、「葬儀屋さんは呼ばれないのですかっ?!」と職員さんに驚かれつつ、エンゼルケア中は母にも外で待機してもらいます。
叔母さんはずっと食べていなかったので排泄物はほとんどないはず。身体を拭き、準備しておいた紙おむつを履かせました。あとは購入した白装束を着せて手を組み、数珠を持たせます。
お化粧もしてあげました。アイラインを引き、チークを入れてリップも塗ります。
叔母さん、とても可愛くなりました。お化粧なんて施設入所してからしていないもんね。
亡くなってはいますが、ちゃんとお話をしながらお世話出来たことが私にはとても満足でした。
痩せて小さな方なのでなんとかお姫様抱っこで棺に収めます。「終わりました!」施設職員の方々に手伝ってもらい、棺をハイエースバンに載せます。法的には死亡診断書があれば車に載せたままどこに移動してもOK。
荷物は後日取りに行くことを伝えて実家に帰宅。ホントは棺を一時家に入れてあげたいところですが、私一人の力で棺を移動させることは到底無理なので、そのまま毛布を棺に被せてハイエースバンを霊安室の代わりとさせてもらいます(汗)。
寒い時期だからよかったのですが、夏だったらドライアイスの購入が必要ですね。
翌日、朝一で市役所に行って死亡届を提出し、火葬許可証を発行してもらいます。次の日の午前10時に火葬予約が取れました。
早速、叔母さん本人が檀家だというお寺に行って、お坊さんにお経を読んで頂くためのお願いをします。
「叔母さんが昨日亡くなられました。明日10時から火葬します。お骨になったら都合のいい日にこちらのお寺に持ってきますので、その時にお経を読んでいただくことは出来ますか?大変失礼かもしれませんが、お布施の予算は3万円です!」
あらかじめお布施の予算をお坊さんに宣言してしまう私も私だと思いますけども、どこまでやってもらえるのかが全く解りませんし、あとで揉めないためにも仕方がありません。
住職のお坊さん、その唐突なお願いと内容に大変驚き、しばらく唸って考えていましたが、「わかりました。それでは、明日直接火葬場に出向きますので、お葬式としてのお経をそこで読ませて頂きます。お骨になったら、骨壺を持ってもう一度お寺に来てください。」と提案していただきました。
これでお坊さんの手配ができました。本来、枕お経(?)と言って火葬前にお経を読むこともあるようですが、お葬式としてそこで読むのは初めてとのこと。
ここまでで、この日に行う調整は全て終了です。老人ホームに挨拶に行くと、施設長さん(高齢の女性です)が応接室に通してくれました。
昨日からのお話をしたところこれまた大変驚かれ、「私もそうやって家族にやってもらいたいわ!」と感動されました。何でも、今の人達は全部業者(要は他人ってことです)にお金を払ってやってもらうのが普通で、「昔はそういうことは全部家族でやったのよ・・」と全てお金で解決して他人事のように進めてしまう現状を嘆いていらっしゃったのが凄く印象的でした。
帰宅して翌日の葬儀のための喪服を母と準備。ここで叔母さんは亡くなってから2日目ですけども、ハイエースバン霊安室にはあと1晩活躍してもらうことにします(汗)。
翌日、母と一緒に棺を載せたハイエースバンで火葬場に行きます。寒い時期なので、ドライアイスがなくとも車内に全く臭いはしませんでした。
火葬場の玄関に車を横付けし、火葬場の職員さんを見つけて「棺を降ろすのを手伝って頂けますか?」とお願いします。職員さん、承諾はしていただいたものの、何か怪訝な表情。
「葬儀業者の方?」と聞かれて「いいえ。家族です。自分で持ち込みました」と言ったところまた大層驚かれて「経験があるのですか?」「いえ、全くありません。何事も初めてですから教えてください」と答えるとさらに周囲の職員皆驚いている様子(←なぜそこまで毎回毎回皆さん驚くのか未だに全く解っていない私)。
そういうやりとりをしているうちに、お坊さんが15分前に到着。棺の前でお葬式(告別式)としてのお経を読んで頂きました。お経がめちゃ早口です(笑)。内容はわかりませんけど、それなりのお経だったのだと思います。10時ピッタリに読経終了。さすがプロですね。
火葬が終了するのは11時50分とのことだったので、それまでの時間を利用して、棺を降ろして空になったハイエースバンで老人ホームに向かい、残っていた荷物を引き取りに行きました。
お礼やら挨拶をして11時30分に火葬場に戻ると、職員さんが既に玄関先で待っていて「もう終わりましたので収骨に来てください」とのこと。
収骨は別室で行なわれます。通販で購入した6寸の骨壺は全骨収骨にはピッタリの大きさでした。骨箱に壺を収めてお寺に向かいます。
お寺に着くと、そのまま壇上に上げてお経を読んで頂きました。15分くらいでしょうか。檀家ってことで、壺に戒名?を書いて頂き、そのままお骨は預かってもらうことになりました。もしも拒否されたら散骨でもしようかと考えていましたけども。
「これで全部終わりました」とお茶を出されて母と一緒に一安心。(お坊さんが関わったのは車での移動を含めて約1時間程度)
住職に「今までこのような葬式をされたことはありますか?」と聞いてみると、「以前1回だけ、身よりの無い人に対してお経だけというのはしたことがありますが、こういうのは初めてです」とのこと。うん、そうなのですね。よほど珍しいのですね・・、まあいっか。
お約束どおり3万円の入ったお布施の袋を渡し、お礼を言って今度は近くのリサイクルショップに先ほど施設から回収した大量の衣服やキャビネット家具等の荷物を持ち込みます。「全部置いて行きますが、お金要りませんので処分もいいでしょうか?」との条件で交渉成立。
そのまま帰りにレンタカー屋さんに寄ってハイエースバンを返却。母と歩いて実家に帰ります。途中でお昼ご飯。
さて、火葬の手続きで前日に市役所に行ったとき、年金手帳や国民健康保険証等の返却等は除籍謄本が出来る1週間後でないと事務処理は無理だと聞いていましたので、私はここで一旦仕事のために岐阜の自宅に戻ります。
葬儀を執り行った連絡を先の5人の従兄弟に通知します。以下の内容でハガキを送付しました。
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叔母 ○○ ○○儀 かねてから特別養護老人ホームにて療養中でございましたが
ここに謹んでご通知申し上げます
葬儀におきましては 故人の生前の意志により 誠に勝手ながら家族のみにて執り行いました
本来ならば早速申し上げるべき処でございましたが ご通知が遅れましたことを お赦しください
生前中賜りましたご厚誼に心より御礼申し上げ 失礼ながら 書中をもってお知らせ申しあげます
〒○○ ○○-○○
○○ ○○
喪主 ○○ ○○
……………………………………………………………………………………………
一週間後、休暇をとって実家に戻り、市役所と年金事務所に行きます。この年金の手続きを行うため、あらかじめ私の居住地で自分の住民票(家族全員)、戸籍抄本を取得しておきます(これがないと叔母との関係を証明できない)。
また、生計同一関係に関する申立書(遺族年金・未支給・一時金)※配偶者・子以外が請求するとき っていう書式が必要となります。直系家族ではないので、関係があったということを第3者が証明するためです。理由は「毎月面会して日用品などを援助していました」とかでいいみたい。証明には老人ホームの施設長さんの名前と印が必要だったので、FAXしてあらかじめ返送をお願いしておきました。
市役所で取得するのが叔母の住民票の除票、叔母の除籍謄本、私の父の除籍謄本。返還するのが叔母の後期高齢者医療被保険者証(国民健康保険証)。これを返すと葬儀費用として3万円が支給されますので、棺とレンタカーの領収証を提出します。あとは介護保険の保険証や障害者手帳、印鑑登録証なども返却。自分の預金口座を通知します。
次いで年金事務所に行き、叔母の住民票の除票、叔母の除籍謄本、父の除籍謄本、私の住民票(全員)、私の戸籍抄本と準備しておいた生計同一関係に関する申立書を提出。これだけ揃わないと、叔母との関係を証明できないとのこと(謄本等に祖父母の名前が書いてあることで関係を確認)。ここでも自分の預金口座を通知します。
叔母が亡くなるまでの1ヶ月程度の年金が支給されるのですが、凍結されてしまった叔母の口座では入金できないため、私の預金口座にしないといけないのです。
ちなみに、こんなこともあるだろうと以前叔母の口座はネットから操作できるようにしておいたので、残っていたわずかな預金は凍結前に私の口座に振り替え済みなのでした(笑)。
これで叔母さんの葬儀と様々な手続き全てが終了しました。実際に私が動いたのは亡くなった日の夕方から葬儀終了までの2.5日間の間と、1週間後に市役所等の手続きに使った1日間の計3.5日間のみ。
直葬セット6点セット 27,600円
合計 72,360円、市から葬儀費用30.000円が支給されるので、
葬儀支出総費用は 42,360円 ←後日支払われる日割りの年金支給分で完全に相殺される予定
そして最後に 叔母さんのご冥福を心からお祈りして終了させていただきます。
合掌