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はてなキーワード: 喪主とは

2016-01-23

私には、おじがいる。母方のおじだ。

おじは、10年ほど前まで実家住まいだった。

 

 

おじが住む実家には、私の祖父がいた。

祖父はいわゆる「昔の親父」であり、家庭内ケンカや酒のトラブルが耐えなかったようだ。

お盆年末年始あいさつに行っても、孫の私と会話なんかしない。

まらなさそうにしている私に声をかけたと思えば、「納戸に行って酒持って来い」と言った。

そういうとき、おじは実を縮こませてちびちびとキリンの瓶ビールを飲んでいた。

夜更けに私たち家族が帰るときには、たいがい自室でゲームをやっている。

丸まった背中をこちらに向けたまま、「気をつけて」と言った。

 

 

私が小学校の頃、おじは実家から出て行った。

おじにまつわること――このあたりの経緯も含めて――を、私の両親はあまり話したがらなかった。

から私も、無理に聞こうとはしなかった。

 

 

それから10年ほど経って、母方の祖父が癌になった。

あんなに怖かった祖父は、見舞いのたびにやせ細っていった。

「酒持って来い」とは言わず、「気をつけてやれよ」とほとんど呼気みたいな声で言うだけだった。

そういうとき、おじの話題なんてこれっぽっちも出てこなかった。

 

 

同時期に、母方の祖母が認知症になった。

弄便などはしないが、短期記憶からっきし、というレベル認知症だ。

介護をする私の家族が一番悲しんだのは、祖父が闘病中であることを忘れ「あんなのは使いものにならねえ」と大きな声で言ったことだ。

母方の祖父を慕っていた私の父は、拳を握りしめて耐えていた。

私は、もうおじのことは思い出さなくなっていた。

 

 

しばらくして、癌の祖父が亡くなった。

喪主は、長男であるおじがすることになった。

 

 

法事の運びを打ち合わせるために、おじは10年ぶりに地元の土を踏み、認知症の祖母と会った。

「母さん、久しぶり」とおじが言うと、祖母は「お前さんは誰だね」と怪訝な顔をして言った。

正座したおじは、黙って涙を流した。

祖母の傍らにいる母は、諦念の眼をしているように見えた。

 

 

葬式の日。

見舞いにも来なかったおじが読んだ喪主あいさつは、空虚だった。

精進落としが終わると、おじは逃げ帰るように誰も知らない棲家へ帰っていった。

 

 

来月は、祖父の一周忌だ。

2015-11-20

10か月児と行く葬儀

赤子から2親等の葬儀なので、通夜パスさせてもらったけど告別式はなんとか出席。

1日の流れ

9時過ぎに葬儀場に集合→10から告別式11時ごろ出棺→斎場に移動→11時半に火葬(1時間半ほどかかる)→葬儀場に戻る→昼食→再度斎場へ→お骨を拾う→葬儀場に戻って初七日法要(一緒に済ませた)→親族のお見送りで終了

終わったのが15時頃。

  • 身内なので早めに会場入り
  • 告別式はお坊さんがお経を読み始めてしばらくしたら焼香。喪主いちばんで前列に座ってる近い身内から。赤子はひざに乗せてたけど叩いた鐘の音がきらいらしく、鳴らすたびにギャン泣きしてしまって後方に移動せざるをえず、焼香できなかった
  • 出席人数にもよると思うけど、30人くらいで1時間くらいかかった。ほぼ後方で抱っこしていた
  • 出棺は近い身内からいろいろ役割がある(遺影を持つとか、棺を担ぐとか)、そして出棺後すぐに移動なので、おむつ交換や授乳なんかが必要な時は告別式の時に迷わず済ませた方がよさそう。葬儀場には授乳室などなく、控室もさえぎるスペースなどないので、人のいないタイミングはここくらい
  • というより、1度目の斎場移動は行かなくてもよかった感ある。お坊さんが簡単にお経読んでまた焼香して、という同じような流れなので。戻って昼食の時間20分くらいしかなかったし(赤子のごはんを食べさせながら自分ごはんを猛烈にかきこむなど)
10か月児赤子のスペック
総括

基本的に赤子向けのサービスはなし、身内なので控室があるけど、出席だけなら出棺までかな、、、(その時点で帰る親族もいた)

お経読んでる間はぐずったらさっさと退席するが吉かと、誰も気にしてない。

最後に、亡くなった身内が赤子と少しでもかかわってもらえてよかった、でも、もっと長く接してもらいたかったので本当に残念。空からずっと見守っていてください。

2015-08-16

ネタのようでネタじゃなく....。

先日、父親の遠い遠いお悔やみ貰っただけの親戚のばあさんが亡くなったので葬式に行ってきたわけさ。

いわゆるコンビニ葬儀って奴で、葬儀が始まったらあ゛ーだこーだとぐだぐだ続けることもなく、喪主挨拶が終わったら、システマチックに親戚組と、そうでない組に分かれてお焼香しておしまい

実際にかかった時間は15分くらいだった。

でもってやりがったのは坊主である

喪主挨拶が終わってから家族の焼香が終わるまでは、ゆったりした伝統的な父親から仕込まれたそっくりのお経を上げてたわけだが、それが終わって親戚の焼香に移るときに一旦お経を区切り、若干軽やかな調子でお経を上げだしたのさ。

最初はとっとと焼香終わらすためにそういう風にしてんのかなーと思ったのだけど、よく聞いてみると8ビートリズムでした。

まさか....と思って右手で太ももを叩いて、左手で膝を叩いてでリズム取ってみたら、バッチリ8ビートでした。

アイツ........

舐めすぎだろ.....。

2015-07-27

http://anond.hatelabo.jp/20150727032635

自撮り棒って流行ってるんですかね?

多分自分ちじゃなくて屋外で使うんだと思うんだけど、はずかしくないのかな。

告別式の前に喪主(従兄)が自撮り棒を使っていろんな人を撮ってた。

ピースサインしたら兄貴に叱られた。

2015-06-25

たまさん死去

たまさん死去

たまさん(たま=和歌山電鉄社長代理常務執行役員)22日夜、急性心不全のため和歌山県岩出市内の病院で死去、16歳。紀の川市出身。自宅は和歌山県紀の川市貴志川町神戸803番地の貴志駅構内。葬儀告別式は近親者のみで済ませた。社葬28日午後0時半から貴志駅で営まれる。喪主は、たまの飼い主の住友利子さん。葬儀委員長同電社長小嶋光信氏。

2007年1月5日和歌山電鉄から貴志駅長に正式に任命され、日本初のネコ駅長となった。就任後、たまさん目当ての観光客が増加し、08年には課長職に相当するスーパー駅長へ昇格し、県から和歌山県勲功爵を叙勲された。さら10年には執行役員へ昇格し、貴志駅たま駅長モチーフとしたものへ改築された。翌11年には常務執行役員へ昇格し、県知事より和歌山県観光招き大明神称号が与えられた。13年には社長代理就任したが、近年は高齢のため部下であるネコに実務を任せ名誉職として時折、利用者への挨拶をするにとどめていた。先月、動物病院で定期検診を受けたところ鼻炎であることが判明したため19日から療養し、入退院を繰り返していたという。

2015-03-19

地元土地や家屋持ってても何の得もないので遺産みたいのは欲しいともなんとも思わないけど、急に偉そうになった親戚には相続してほしくない。

盆・正月なんかはなーんにもやってこなかったくせにじいさんが死んだら俺が偉いから喪主やるんだとかいきなり仕切りだすのマジめんどくさい。

やるせねえなー。ほんとに相続問題ってもめるんだなー。

2014-12-28

爺さんの葬儀をお手伝いした時のメモ

はてブで上がってたこのページを見て、俺も最近爺さんが亡くなった時に葬儀のお手伝いをしたので忘備録がてら書いてみる。

爺さんのスペック

通夜まで

お坊さんとの調整とお布施

  • お寺との調整は葬儀屋ではなくて喪主自身で行う
    • うちはもともとつながりがあるお坊さんにお願いしたが、いない場合葬儀屋に聞けば多分紹介してくれる
    • 四十九日法要や1周忌など、今後長いお付き合いになるので挨拶はしっかり行おう
  • お布施戒名 + お経を挙げてもらうの2点に対する費用(という言い方はちょっとアレだけどあえてこう書く)
    • 相場なんてあってないようなもんだけどお寺側と話し合って30万円になった。
    • 加えて会場までの交通費とお食事代を別に包む。確か2万円

費用

  • 見積書が出る前は多分150万円前後で収まるかとおもいきや結局180万ぐらいかかったらしい
  • 事前の見積が甘くなる箇所はお返しの費用
    • 1セット3,000円で50セット用意し、使わなかった分は返品可能
    • 30組ぐらい来ることを予想していたが結局全部捌けてしまった
    • 爺さんの生家近くの電気屋の人が来るとか予想外でしょ…
  • 見積が甘くなる箇所その2としては告別式後の精進落としでの飲み物費用
    • 会場にもよると思うがとにかく飲めや飲めやというペースで飲み物が出してくる
    • もちろん、来てくれた方への感謝のために会場側の対応は正しいとは思う。ケチるべきではない。

その他

  • お花はたくさんあったほうが華やかになる
    • そんなに提供は無いだろう…と思っていたが気がついたら結構な量の花を頂いた
    • 量が多くなるにつれその並び順をどうするかで親父がものすごい苦労していた
    • メンツだけを気にするクソ親戚がいるかどうかでここの心労度はかなり変わってくる
  • 家紋はお墓の写真を撮るなどして予め把握しておけ
    • 親も正しい形が思い出せず、通夜準備の忙しい中墓まで確認しに行ってしまった

2014-09-07

個別具体的介護

http://kyouki.hatenablog.com/entry/2014/09/07/090356

ICHIROYAさんのブログで高齢のご両親の老い(痴呆)に関するエントリを読んだ。痴呆が進み夢の世界を生きているお母様と、だんだん小さく弱々しくなっていくお父様のエピソード。そしてその現実に対して自分には何が出来るんのだろうかというつぶやき。嘆き(?)。身に染みた人も多いようである。(cf.ブコメ)

しかし、読みきって、たいへんイラッとした。

具体的に向き合っていたらこんなセンチメンタルなこと言ってられないと思うからです。お母様は施設、お父様も一人暮らしの様子。つまり老いた両親の日々の個別具体的なことには向き合っておらず時々コンニチハゲンキデスカーしてるだけで、普段は遠くで自分人生を優先していて、そんで嗚呼悲しやいったいどうなってしまうのかむにゃむにゃって、・・・・・・ええい優雅だな!!!苛々する!もし本当にどうにかしたいと思ってるなら!戦え!それは現実だ!目を開けて見ろ!現実と戦え!今だ!今すぐだ!戦う気がないならグズグズ言うな!!!

と思うのでありました。

上だけだとちょっとキツイというか意地悪というか「俺もやってるんだからお前もやれ」系の感じだなって自分でも思うんですけど、実際問題、一度きっちり向きあってぶつかったら、何であれ自分なりの答えが見えると思うんですよ。

最後時間を穏やかに過ごしてもらうために、こういうことを努力してみよう」なり

あかんごめん無理ここまでで失礼しますほんとごめん」なり

たとえば糞尿まみれのお父さんやお母さん及び糞尿まみれの室内と毎日比喩じゃなくてリアル毎日)戦ってみたりすると何か違う扉が開けてきちゃったりすると思うんですが、まあ、それはイヤ‥っていうか無理‥ってかんじですかね。でも施設の人はその日々個別具体的なものと向き合っているわけですね。向き合っていればこそ「まあこういうものなのだな」という自分なりの悟りや答えが見えてくるのではないかとね。

たぶん、仕事にしっかりと向き合ってきた人は「仕事人生」に対する自分なりの解というか「こういうものだ」を発見すると思うんです。家族に対してもそうなんじゃないかなと。ああどうしよう…困った困った…悲しいなあ…。って仕事じゃそんなこと言わないだろと。ていうか「言ってらんない」だろうと。そう、真面目に向き合ってたらそんなセンチメンタルなこと言ってらんないだろって。ねえ!


具体的には一刻もはやくお父様の一人暮らしをやめさせるとか、日々誰かと食事をとるような生活ルーティンを構築するとか、なんかあると思うんですよ!お父様が「いやまだ一人で」って言おうがアホか!全然大丈夫じゃないわ!いいから来なさい!って引っ張ってくるとか一つ一つの作業は超めんどくさくてハートにクソ重労働です。で、それやってる感じぜんぜん受けないんですけど何してるんですか本当になんかしてるんですかしてたらグズグズ言うことなんて何もないとね!思うのね!いや色々やってるのかもしれませんけどセンチメンタル過剰な男子の語りは往々にして言い訳タイムだと思っているのですがどうでしょうか。もうなんでこんなセンチメンタルトークになるんだよ介護問題トークしたら個別具体的な情報交換の場にしかならないよ頑固じいちゃんのなだめすかし方プライドの利用法さりげない誘導のコツどの施設がいい何ヶ月まではOKデイサービスに紙おむつウンコ徘徊にすべて目の前にある現実だよ!!腹をくくれ!!仕事だそれは!!(あっだから家事仕事主婦/女ばかりがこれをやるはめになるのか

で、ここまでプンスカ考えてから、はたと下記のマンガのくだりを思い出した。

吉田秋生の「蟬時雨のやむ頃」から


壮年男性が闘病の末、癌で亡くなる。

深く嘆き悲しむ妻は葬式の場でグスグスと泣きっぱなし。式中に具合が悪くなりすぎて、喪主なのに席を離れてしまうくらいダメになってしまっている。

彼女に対する作中の台詞

「あの人はたいして病院にきちゃいないわよ」

「それでも本人はせいいっぱい看病してるつもりなのよ

 その意味では嘘はないの それが限界なのよ」

「以前はものすごく腹がたったけど

 それはそれでしかたないと思うようになったわ

 死んでゆく人と向き合うのはとてもエネルギーのいることな

 許容量が小さいからってそれを責めるのはやっぱり酷なのよ」


みんな日々せいいっぱいだから「そんなんじゃだめだもっとやれ愚痴るな」って言うのはやっぱり酷かと思いつつ、目を逸らしている問題の後ろには汗かいてる人たちがいることにフタする思考には陥りたくないとも思いつつ(介護だけじゃなくてすべてのことに関して/でも一人の人間リソースをそんなあちこちには割けないのでどこかにはフタをしないと仕方ないんですけど

日々粛々と向き合っている皆様の明日平穏な一日でありますように。

2014-04-01

先日祖母が亡くなった

オレはもう30になるのだがどこかで自分は年をとるけれども周りの環境はずっと同じような

状態が続くんじゃないだろうかとどこか期待していた.まあ当然そんなことはなく祖母は亡くなってしまった.

うちの家は典型的嫁姑中の悪い家庭だった.

どちらが悪いというわけではなくお互い自分の居場所を守ろうとしてのことだったのだろう.

3人兄弟長男だった自分は幼いころから母と祖母の板ばさみだった.

互いから互いの愚痴を聞かされながらも幼いながらにどちらかにつくべきではないと感じていたようで

お互いの愚痴に相槌を打つだけだった.どちらの敵にもどちらの見方にもならなかった.この環境結構きつかった.

中学にもなると多少みんなも経験あると思うけれど,

思春期で祖母のやや過剰な面倒が面倒くさくなり,距離を置いてしまった.

過剰な面倒というのは特にほしくもないお菓子をくれたり,

ゲームをしているときにやたら話しかけてくるとかだったり.

母親もやや過保護気味ではあったが,仕事をしながらの子育で,

かつ末っ子は手を焼く存在だったのでその過保護っぷりなりを潜めていた.

祖母からみると母親側についたように見えたかもしれない.

嫁姑の不仲は年月を重ねるにつれて悪化し,

兄弟3人は不仲であることを認識しつつも見て見ぬふりをした.

そしてオレと同じ用に弟たちも次第に距離を置き始めた.

もう遅すぎるけれども今ではこのことをとても後悔している.

祖母にとって不幸だったのは祖父がずいぶんも前になくなっていたことだ.

オレが生まれたときにはすでになくなっていた.

オレたち孫が距離を置いてしまったせいで家庭内での祖母はやや孤立してしまった.

親父はこのことにはわれ関せずだし大学進学時点でオレが家を出て,

次に次男が,次に三男がという風に物理的な距離もだんだんと離れていった.

話が脇にそれるが祖父と祖母ははもともと自宅を事務所として小さな会社運営していた.

祖父がなくなったと同時にこの会社はたたんだらしいが,オレの生まれる前の話なので詳細はよくわからない.

わかっているのはオレの親父とその兄弟はその会社を継がなかったということ.

おそらくだけれど,親父兄弟はまだその当時学生学校を辞めてまでやりたい仕事ではなかったんじゃないかと思う.

父兄弟は全員大学に行っていたらしいし.

祖父の死と一緒に切り盛りしていた会社をたたまなければならかったことで祖母の人生は大きく道を変えざるを得なくなってしまった.

祖母はお世辞にも常識人とは言えず,かなり変わった人格の人だったがこのあたりがなにか関係があるのかもしれない.

また先日の葬儀で初めて知ったのだけれどもこのとき祖母はすでに癌を患っていたらしい.

手術はしたけれども完全に取り除けたわけではなかったらしい.このことはまったくしらなかった.

実は祖母はかなり厳しい生活をしていたんだろうと思った.今となっては周りにあたりたくなるのもわからんでもない.

息子である親父は何をしていたかというとこちらは極度の面倒くさがりやで,

決して嫁姑問題をなんとかしようとはしていなかった.

子供のころのオレは親父のこういうところが大嫌いだった.

オレが大学院を出て就職するころには祖母はボケが進んでいたらしく,

おかしな言動が目立つようになったという話を母親づてに聞いた.

祖母は昔から懸賞はがきを出すのが好きだったようなのだが,明らかに詐欺めいた手紙が届くようになっていた.

あといくら払えば宝くじ当選確立があがります!みたいな.

母親は不仲ではあったがなんだかんだでずっと祖母の面倒を見ていた.

詐欺めいたはがきのことで注意したりもしたらしいが,祖母は頑固で母親に言われることが癪だったようで

やめる気配はなかった.注意してもけんかになるだけだし

家計に重大な問題になるレベルのものでもなかったのこの件は放置したらしい.

また祖母は自分の周りをごみ屋敷のようにすることが多かった.本当にごみ屋敷

お盆とかで実家に帰ると異臭がするレベルだった.

さすがにこれには母親も耐えかね,数ヶ月に一度たまったごみ(祖母にとってはごみではないのだけれども)を半ば強制的に捨てていた.

祖母はこのことにも大いに腹を立てそのたびにけんかをしていたらしい.久しぶりに実家に帰ると毎回こういったことの愚痴を聞かされた.

こういうこともあってたまに実家に帰ってもオレは祖母と積極的コミュニケーションをとることはしなかった.

会社に入って数年すると,ボケも進行してきて両親だけでは面倒が見れなくなって,介護施設に入ってもらうことに決めた.

その当時は祖母本人も嫌がり,祖母の実家家族も文句をたれた.

施設に入れるとは何事か.人でなし.人道にはずれたことをするなと.

さすがにこれについては親父も間に入って説明し,理解を得る努力をした.

最終的に理解は得られなかったが,実家でこのまま面倒を見ることもできないので結局施設には入ってもらった.

はじめこそやや問題があったものの祖母は以外にも施設になじんだらしい.

おしゃべりが好きだったにもかかわらず実家では話し相手がおらず,寂しい思いをしていが,

話し相手ができたのがうれしかったんだろう.これを聞いたとき結構胸がいたんだ.

施設に入ってもらってから実家に帰ったとき母親に連れられて何度か施設に顔を見に行った.

以外にも施設に入ってから母親との関係は同居していたときに比べてましになっているように見えた.

祖母はぼけが進み,孫のオレたちも自分の息子である父親も判別がつかなくなっていた.

ただ,近しい誰かということだけはわかっていたらしいく,たわいもない世間話をする分には問題がなかった.

皮肉にも祖母が最後まで唯一覚えていたのは母親のことだった.

母親は誰よりも祖母の面倒を見てくれた.

昔あれだけいがみあっていたのに本当によく面倒を見てくれた.

母親介護系の仕事をしていたのでなれていたというのはあれど本当に大変だったと思う.

祖母もいつしか母親を信頼するようになり昔のようなけんかはなくなった.

しろ祖母のよい話し相手になってあげていたようだ.施設に入ってから数年間は

お互いにまあまあ穏やかな時間をすごしていたようだった.

数週間前に祖母の容態は一気に悪化した.施設の人も驚くほど急なことだった.

救急車で運ばれたときには医者から余命1週間を告げられた.

それからはヘッドの上でほとんど動くこともできず点滴をされていた.

ただ,意識はあったのなくなる1週間前に帰ってちょっと会話した.

オレのことはたぶん誰だかわかっていなかったが,もうちょっとで元気になるから帰ったらパーティをしようとずっといっていた.

小説漫画で言えばべた過ぎるフラグなわけだけれども,リアルに聞くととてもつらかった.

でも会話をしている限りは全体としてはつじつまはあってないけれども,会話のキャッチボール自体はできていた.

からしかしたら本当に元気になるんじゃないかと思いもした.

だけども先日その祖母が亡くなった.余命1週間宣告から2週間後のことだった.

オレは特別おばあちゃん子ではなく,むしろ高校進学以降はやや苦手だった.

でも葬儀最後は涙がとまらなかった.なんの涙なのかよくわからなかった.

ただいなくなってしまうことのへの悲しみだったのか,やさしくできなかったことへの後悔なのか.とにかくとまらなかった.

こんなに泣いたのはほんとにひさしぶりだった.

オレたちは火葬された祖母の骨を拾わせてもらった.

比較対象がないのでわからないけれども年の割にはしっかりとした骨,ということらしい.

骨を拾いはじめてからはもう作業というかなんと言うか涙は出てこなかった.小さくなったなぁとただ思った.

葬儀の次の日は親父が死亡届やら銀行口座の凍結やらの手続きをして回るのについていった.

長男だし親のときはこういったことをしなけりゃならん可能性は高いしな.

さらに一日たって仕事はいった.仕事が手につかないとうことはなかったが何かとてももやもやしていた.

というか何か書いて残さないといけないなという気持ちがうちからわいてきた.これもよくわからん

祖母から特別何かを学んだということはなかったが,祖母の死は本当にいろんなことを教えてくれた.

通夜から葬儀終了までは大変だったいうこと,喪主は悲しむ暇すらないということ,人の骨は案外小さいということ,人は死んでしまうということ.

もう届かないかもしれないけれど,ばあちゃん,今までおつかれさま.ありがとう

2014-01-28

「ご職業教育関係ですか?」

身内の葬儀があったのだけど、私の父が喪主だったので、葬儀の前に一家で僧侶から説法のようなものを聞く時間があった。

  

僧侶「ところで、ご主人のご職業教育関係でいらっしゃる?」

父「いいえ、普通会社員です」

僧侶「そうですか。てっきりそういう風に見えましたので」

父「よく言われます」(ドヤ顔

  

家族であるからすると、父の外見も口調も別に教育関係者っぽくは感じないので、

(そもそも『教育関係者っぽい』とは何だろう。やたら声が通るとかか)

あれは僧侶リップサービスなのではないかと思った。

  

ニュースでは教育関係者イメージダウンにつながりそうな事件も見聞きするけど、

それでも未だに「教育関係者っぽい」と言われて嫌な顔をする人はそう多くないように感じる。

教育関係者っぽさ」の定義曖昧なうえ、文系理系体育会系(・芸術系)をカバーできる。きっと便利だ。

  

それにしても、あれに対して「よく言われます」のドヤ顔は正直恥ずかしかった。

実は外の人間から見たら、ほんとうに教育関係者ぽいんだろうか。

もしくは父がリップサービスを見抜き、それを制するためにわざと「よく言われます」と返したんだろうか。

私にはどうも「リップサービスを真に受け続けてきた人」にしか見えなくて、気が重くなった。

私がひねくれ者すぎるという点は自覚している。

2013-09-15

知り合いが死ぬ度に泣いている

http://anond.hatelabo.jp/20130914231818を読んで、自分はここ五年くらいずっと葬式の度に泣いているのに気付いた。

三十路を超えてこれまでに百回以上親戚・恩人・知り合いの葬式に参列している。

親戚の数が多いので葬式の回数も多い。

自分小学生の頃に死んだ父の葬儀自分にとって何回目の葬式だったのかは忘れたが、二十何回目かだったと思う。

自分を可愛がってくれた祖父母の葬式も同時期だった。

その時期はあまり葬式が続いて人の死に麻痺していたからか全く泣けなかった。

それからしばらく誰の葬式に行っても泣けなかった。

葬式で泣けるようになったのは八十何回目かに行った葬式から自分は二十代半ばだった。

それから親戚だろうが知り合いだろうが誰の葬式でも泣いてしまうようになった。

世話になった親戚のおばあちゃんの葬式では号泣した。

昔お世話になった人の葬式ではご遺族の泣き顔につられて泣いてしまった。

まり世話になってない人の葬式でもご遺族の言葉についほろりと涙が出た。

葬儀が終わった後でも、喪主さんやご遺族の言葉などを思い返して涙が浮かぶことがある。

歳をとったということなのかと思っていたが、回数の問題だったのかもしれない。

2013-08-13

http://anond.hatelabo.jp/20130813154029

横だけど、

墓とか葬式やらないとおかしい、という日本全体の雰囲気があるから

言ってみりゃコレが日本宗教なんだよね

普段の生活を縛る戒律はあまりないけど、人が死んだら遺族は葬式出して墓は建てましょう(守りましょう)、という「宗教」。


まぁ火葬はしなきゃいけないことになってるから、それだけやれば

親族関係者が納得すりゃあとはどうでもいいんじゃない

上述の「宗教」の信者との軋轢は生ずるかも知れないけど。

葬式なんて生きてる側のためのもんだし、生きてる側が出さなくて平気なら無理に出さんでもいいと俺は思う。

親の葬式兄貴喪主で出したしさすがに手伝ったけどね。

2013-06-26

http://anond.hatelabo.jp/20130625063057

極端な話、「お悔やみ申し上げますだって場合よっちゃ合わないこともあるじゃん

死んだ人が酷いDVで、喪主は死んでくれてせいせいしてる、って場合だってあるでしょ。

悔やんでない相手に「お悔やみ申し上げます」って言うなんて失礼だよね?

2013-04-11

死ぬまでにしておきたいxの事

しておきたいというか、死ぬ前までに考えておかなければならない事を逆算しながら考えてみた。

埋葬してもらう墓地はどうするか(田舎墓地に入れてもらうか、自前で用意するか)

葬式はどうするか(予算喪主、参列者のリスト

残った財産や持ち物はどうするのか

事故死などで脳死場合、臓器提供をどうするか

病死しかも癌のように死期がわかる場合、自宅で看取られるか、病院ホスピスを選ぶか

死ぬのがわかった場合、何かやり残した事や、会いたい人は居ないか

自分人生、満足/納得できる物として受け入れられるか、それに対する努力や行動はやってきたか

痴呆症老人ホーム行きになった時、公立の安い老人ホームに入れるか、私営の評判の良い老人ホームに入れるか≒自分年金支給額はいくらか

高齢者になった時、面倒を見てくれる家族または知り合いが居るか、それとも独りでどうにかしなければならないか

退職後のリタイア生活で何をするか、ボランティアでもするのか、趣味に徹するのか、それでお金が持つのか≒自分年金支給額はいくらか

退職した後に、再就職するか、リタイア生活に徹するか

退職年齢は60歳で辞めるか、それとも遅く辞めるか、早く辞めるか、それにより退職金はいくらになるのか

どんなリタイア生活するか、それに見合った年金支給額は貰えるのか

希望する年金支給額を貰うためには、年収はいくらになるのか、その為のポジションルートは確保できているか

今の会社で働いていていいのか、転職すべきか、そもそも老後も職場日本でいいのか

自分の親や兄弟葬式墓地を用意していなかった場合、墓や葬式費用を用意しているかどうか

自分の親が兄弟病気入院手術の金を用意していなかった場合、代理で払ってやる金は用意しているかどうか

今日はひとまずここまで めめんともり

2013-03-11

友人が死んだ。中学生の頃の同級生だった。

友人が死んだ。中学生の頃の同級生だった。

昨日の夜、通夜に出席してきた。あと30分程で彼の葬儀が始まる。

でも、僕は葬儀には出席しない。広島から東京へ帰る新幹線の中でこれを書いている。

通夜にはたくさんの人が出席していた。

式場には車で向かったのだけれど、駐車場が一杯なので申し訳ないが近隣の駐車場を利用してくれと誘導員に言われた。

お経が終わっても、焼香を行う人の列が残っていたのは初めてだと、坊主は言っていた。

中学時代同級生がたくさんいたし、おそらくは友人であろう同年代と思しき若い人達も多く見かけた。

本当に、本当にたくさんの人が、彼の死を悲しんで集まっていた。

けれど、その中の誰一人として、彼の自殺を止めることはできなかった。

きちんと誰かに確認をとったわけではないので、もしかしたら違うのかもしれない。

最初に連絡をもらったときメールには、

仕事に出て来なかったのを不審に思った同僚が彼の家を尋ねると亡くなっていたらしい、と書いてあった。

喪主である父親の挨拶の中には「事故」という単語も「病気」という単語も含まれていなかった。

まりはそういうことなのだろう。

彼は、自らの意思でその人生を終えた。何が彼をそうさせたかは分からない。

中学時代はそれなりに仲良くしていたが、卒業ほとんど彼と交流はなかった。

最後に会ったのは確か大学二年か三年のときで、そのときの話だと彼は短大を出てもう働いていた。彼女がいるとも言っていた。

そしてそれから数年。中学卒業してからほぼ10年。きっと、色んなことがあっただろう。

色んな人と出会って、色んな出来事を経験して、色んな苦悩があったのだろう。

でも、僕には分からない。彼の中学卒業後の人生を、俺は殆ど全くといって良いほど知らない。

お経が終わって、坊主説教が始まった。

坊主は彼の父親の知り合いのようだった。

万人向けで形式ばった、という感じのない、人間味を感じさせる説教だったと思う。

説教を聞いて鼻を啜る人達もたくさんいた。

けれど、僕は涙を流すことが出来なかった。

自分には彼のために涙を流す資格はないと思った。

自殺した人間に、この世での全ての人間関係を自ら断った人間を前に、自分はあまりにも無力だと感じていた。

彼の遺影を眺めながら、僕はただ、悲しい気持ちで途方に暮れて、そして、周りの人間に怒っていた。

親族や彼の父親の関係者以外の、彼自身の友人として参列した、自分を含めた全ての人間に怒っていた。

お前たちは何に泣いている?彼の死に対してか?だとしたらそれは間違いだ。

泣くな。彼は望んで死んだのだ。

例えどんな価値観を持って生きていようとも、自殺なんての簡単にできることじゃない。

彼はそれを行った。彼の胸中は想像を絶する凄惨ものになっていたはずだ。

その彼の亡骸を前にして、ただもう会えなくて悲しいなどと泣くのは間違っている。

彼はそれを選んだ。お前達にもう会えなくなって構わないと、彼は決めたのだ。

お前達の中には、僕を含む誰一人として

「あの人に二度と会えなくなるのは嫌だな。やっぱり死ぬの辞めようかな」

と、彼にそう思わせる人間はいなかったのだ。

そんな奴らに彼の死を悲しむ資格はあるのか?

お前達が涙を流すとすれば、彼の自殺を引き止められなかった、自身の不甲斐なさに泣くべきだ。

彼は死にたいと願ったのだ。自らの手で決行しなければならないほど強く。

ここにいる人間は誰一人としてそれを止められなかった。

そんなことを思っていたので、久しぶりに会う人間も沢山いたが彼らとは殆ど話をすることもせず、

通夜が終わると早々に逃げるように式場をあとにした。

あの場で歯を見せて笑う人間達の顔など見たくもなかったし、

久しぶりに会った友人達と、歯を見せて愛想笑いをしそうな自分が何より嫌だった。

名古屋を出てしばらく経ち、時刻は13時半を回っている。

まだ、葬儀は終わってない時間だろうか。もしかしたら、もう火葬場かもしれない。

通夜ときに会った同級生の一人が、一緒に火葬場まで行ってやろうと、他の同級生に声をかけて回っていた。

平日の昼間にも関わらず、葬儀に出席して火葬場まで付いて行く人間が何人いたのだろうか。

そしてその中に一人でも、彼の死を思い留めさせることができる人間はいなかったのだろうか。

そんなことも少しだけ思ったが、葬儀にさえ出席していない僕にはそんなことを言う資格はないなと思い直した。

僕はせめて、彼のことを覚えておこうと思う。

この稚拙な文章を、書いて残しておこうと思う。

僕の人生中学時代の3年間だけ交流があった、

背が低くて、でも走るのが早い、野球部の、

明るくて、人を笑わせたり茶化したりするのが得意な、

修学旅行で一緒に京都神戸の街をまわった、

休みにみんなと一緒にサッカーをした、

スマブラ三國無双が上手かった、

25歳で自殺した彼のことを。

お前の人生において対して役に立つ人間でなくてごめんな。

でも、俺はお前のこときっと忘れないよ。

ありがとう。そして25年間本当にお疲れ様ゆっくり休んでください。さようなら

2012-07-02

宗教葬式で「なんなんだ」って思った話

ある人の葬式に行ってきた。

自分も大好きだったその人は、某大型宗教敬虔信者だった。夫婦ともに。

2ちゃんねるでよく叩かれているその宗教は、まあ選挙前になるとちょっと電話わずらわしいけれども、直接の実害があるわけではないし、「自分にとってよくわからないもの」という不安はあるものの、取り立ててわざわざヘイトを表明する対象ではなかった。少なくとも俺にとっては。信じてる人に親切な人も多いし。

今回参加した葬式は、俺の知っている浄土宗だか浄土真宗だかの葬式はいくつかの点が違っていた。

まず、通夜坊主が来ない。

俺の知ってる通夜坊主が来て、読経があって、お布施だのお車代を渡してといった感じだったけどそうではなかった。親族でも友人でもない、喪主でもはっきり誰なのかわからないような人がたくさんやってきて、その中で一番偉いっぽい人がリーダーシップをとってお経を唱える。皆がそれについて一斉に読経するのだ。通夜が終わったら誰だかわからない人たちはあっという間に帰っていく。

そんで葬式

まず受付が違う。親族や友人、職場でお世話になった人用の受付と、その宗教の方々の受付が別に用意される。署名してお布施を受け取るんだけど、その宗教の方々専用の受付では署名しかしない。お布施を受け取らないか引き出物も渡さない。

会場は前後で半分に分けられる。前には親族や友人が。後ろにはその宗教の方々が。後ろ半分はあっという間に席が埋まる。座りきれずに立っている人もいる。どうやら故人は、県内でもわりと高いランクの人だったみたいだ。

葬式開始。

司会のおじさんがマイクで、県内でも偉いランクの誰々さんが来てくれている、みたいな説明をする。その人が棺の前に立つと会場後方のあちこちから数珠をこすり合わせるギョリギョリという音が聞こえる。俺が知ってるのと違う、長くて大きくてところどころ枝分かれしている数珠

棺の前には、戒名の代わりに、今回授与された「称号」が飾られてる。二階級特進みたいなものかもしれない。

会場いっぱいに広がる読経合唱リーダーシップをとる偉い人、マイクを持った司会、会場後方の信者の方々が一斉に、はっきりした声でお経を唱えている。初めは凄い音量だなと驚いていたがあっという間に眠たくなる。

でも会場に三色の旗が飾られているわけでもないし、会場前方の席の皆さんは普通だし、これはこれで、そんなに大した差異でもないのかな(許容範囲かな)とか思ったりしつつ、何しろ故人が惜しまれて仕方がないわけで、ご家族からのお別れの言葉で俺はめそめそ泣いてるばかりだった。

そしたら俺の涙が引っ込むようなことがあった。リーダーシップをとってる偉い人(普通葬式で言うところの坊主役)のありがたいお話のところだ。

故人のことも知っているらしく、思い出話をしつつ、故人が苦しまずに旅立たれたことがせめてもの救いだといった言葉もありつつ、人の命とは、残された我々はどうやって生きていくべきなのか、みたいなありがたいお話があった。内容はふつうに理解できる、何らかの方向に偏ったものではないように感じられた。

ただ、最後の言葉だけ違った。「~であるからして、皆さんもこれからも、この宗教を広めることをもっともっと頑張りましょう」という内容の言葉で締めたのだ。「広布」という単語を使っていたと思う。

葬式最後喪主挨拶だ。メモを見ながらも自分言葉で、故人が如何に家族や友人を愛し、愛されて過ごしてきたかを語る胸にしみる挨拶だった。俺はまためそめそ泣いた。ただ、ラストだけ違った。突然メモを読み上げるようにして、自分言葉じゃないお決まりの文句のように「これからも広布に励んでまいります」的な言葉で締めた。

正直なところ、なんなんだ、って思ったよ。

どんな宗教を信じたってかまわない。心底良いと感じているもの好きな人おすすめするのだって自然だ。俺はやらないけど、故人が夫婦で信じた宗教なんだから否定したくないし、故人の本望なのかもしれない。

でもなんで、最後最後で、会場にいる仲間に「これからも我らが宗教を広めるのを頑張ろうぜ」って言葉で締めくくらなきゃいけないんだ。親族にとっては、ご友人にとっては、故人を偲ぶ会で別れを惜しんでいる俺らにとってはそれは「求めてないプラスアルファだって感じた。なんで故人を偲んで終わりじゃダメなんだ。なんでなんだ。

俺は、俺の葬式では同じようにしてほしくないって感じたよ。例えば俺がものすごい極端なジャイアンツファンで、弔問客の9割がジャイアンツファンで坊主ジャイアンツファンだったとしても、最後最後で誰かに「だからジャイアンツ優勝を祈念しましょう、ファンを増やしましょう」とか言われたくない。俺がジャイアンツ狂いなのかもしれないけど、それじゃなんだか……バカみたいじゃないかジャイアンツファンの方、関係者の方、すみません。たとえ話です。他意はないです。俺、野球興味ないのにごめんなさい)。

葬式を終えた今。それまでその宗教は「自分にとって良くわからないもの」というステータスだったけど、今はなんとなく、「故人の葬式を利用しようとしている」という点で、ネガティブポイントが追加された状態です。なんなんだあれ。なんなんだ、って思ったよ。

2012-01-01

父が祖父の葬儀の出席を断られた。

2011年12月31日、僕の父方の祖父、父の父が亡くなったと田舎から連絡が入った。

葬儀は三が日が明けた4日になるそうだ。父の田舎の風習で、先に火葬を行うとのことで、火葬を3日、葬儀を4日に行う予定だ。

父は長男なので、当然喪主となるべきところなのだが、数年前に脳卒中をしており、言葉と体が不自由だ。

近しい親戚がいるので、その親戚が喪主をすることになる。本来は長男である父がすることであるのはわかっているのだが、

挨拶が満足にできない、歩くのも立ち上がるのにも時間がかかる父が、喪主のような忙しい役目は果たせない。

親戚が喪主を務めることには誰も反対しなかった。大晦日の時点で、祖母もそれを了承していた。

我が家田舎から離れているので、2日には現地入りができるように移動手段・ホテルの手配をした。

ここでも本来ならすぐにでも駆けつけなくてはいけないのだが、31日はまだ帰省ラッシュであり、新幹線飛行機も取ることができなかった。

ここからが問題なのだが、1日年が明けた頃に親戚から連絡があり、父は出席をしないように、と母が言われたのだ。

田舎では、脳卒中のような病気で障害をもつと、狐に憑かれたとか、祟られたと思われるというのである

父が脳卒中をして体が不自由なことも祖父母は近所に話をしていなかったそうだ。

そんな馬鹿な話があるだろうか。

実の息子である父が、障害を持っているからといって、葬儀に参加できない理由になるだろうか。

そりゃあアメリカだって創造論や神の存在を一般市民が信じているのだから日本の片田舎の住人が狐の祟りを恐れていても不思議じゃない。

しかし、親の死目に立ち会えなかった父が葬儀に出れない理由にはならないだろう。

無理解ゆえの憤りを、これほど覚えたことはない。

もちろん親戚や祖母も、父には来て欲しい気持ちがあるのだ。それは分かっている。

からこそ、世間の目のために葬儀に出席できないというのは、やりきれないのだ。

父は言葉不自由からか、葬儀に連れて行かないことを告げても何も言わない。

おそらく田舎の考え方が分かっているのだろう。しかし、葬儀に出たくないはずがない。

普通の家庭なら、親の葬儀にはなんとしても参加したいはずなのだ。どうかしている。

明日から、僕は葬儀に出席しに父の田舎へ行く。

長男不在のまま、長男の息子として出席する。おそらく何かしらの役目を果たすこととなるだろう。

きっと会ったこともないような祖父の知り合いなどに、父は病気で来れない、とか嘘をつくだろう。

そう言うように、という説明を親戚なりから受けるのだろう。

どのような顔をして親戚や祖母に会えばいいのか、まったく分からない。

教育とか宗教とか、原因を挙げて批判したって虚しいだけなのだ

まとまらない気持ちを誰かに話したくて、でも誰にも話せなくて、増田に綴る。

2011-12-07

田舎葬式マジすごい

親戚に不幸があって、約一年ぶりに帰省したんだけどさ、田舎葬式マジすごい。

なにがって、とにかくデカい。

だいたい、220~250人くらい来てるの。

政治家かよ!って感じだが、故人は一介の農夫である

そういや、昔うちで葬式やったときもこれでもかってくらい人が来たが、そのときは驚きはしなかった。

びっくりしたのはセレモニーホールでやったせいかもしれない。

椅子の数でだいたい人の数がわかるし、故郷を離れてから出席したほかの葬式セレモニーホールだったんで、それらと比べることが出来るしで。

よくもまあ、ほぼみな通夜葬式皆勤賞だ。

平日だってのに。

始まる前に腹ごしらえして「気合入れていくぞー!エイエイオー!」じゃないけど、そんな感じのノリでみな戦闘モード

終わったら終わったで、祭りの後の打ち上げのような感じで。

それが、通夜の日と葬儀の日の2日にわたって続く。

なんなんだろうな、この壮大なムダは。

僧侶に払うお金が勿体ないって言うつもりはない。

最近、「坊主はボリすぎ」って意見ネットで散見されるけど、個人的にはそうは思わない。

むしろ、都会の葬式と同じ料金だったら割りに合わないと思う。

人が多けりゃ焼香の時間も長いし、部屋が大きければ声も上げないといけない。

読経だって大変だ。

今回なんか納棺前に「和尚さんどうぞどうぞ通夜が始まる前に「どうぞどうぞ」終わったあとに「どうぞどうぞ」、葬儀前にry,葬儀後にry

といろんな人にひっぱられ、飲まされ、とまあそんな感じだし。

なにより、200人以上いる前で説法だし。

まあ、それよりお金の問題じゃない。

どうせ故人が生前貯めた金だ。

どう使おうが構わないと思う。

なにが無駄って、平日だってのに、みんなそんなに暇なの?ってとこだ。

野菜もってけーれ、スーパーだとお金だして買わないとだけど、もってけばタダだべ。コメ用意してやるから、またけーってこい」

おいババァ、葬式の後の会話がそれかよ。

タダってあんた、ガソリン代いくら使ってきてると思ってんだ。

ちなみに、この地域では町内会草刈りのため息子(といってももうすっかり中年だが)が有給とって東京からやってくる、などということがザラである

町長、ちっぽけな一人の町人葬式に出たりしてないで仕事しろよ。平日だろ?

まったくもう、イライラする。

無神論者なんで、故人を偲ぶとかそういうのはどうでもいいけど、どうなんだろうなぁ、このドタバタ感。

でも逆に、忙しいくらいのほうが遺族は悲しみに沈まなくていいのかななんて思ったりする。

それでもなお、やだ。

いつか自分喪主になって切り盛りする日も来るのだろうか。

お願いだから自分の親には、葬式はしないでくれという遺書でも残して欲しい。

250人っていったら、一人と2分ずつ挨拶したって500分だろ?

死ねるわ。

2011-08-01

都合のいい姉リタイアします。

5年ほど前に、夕方に職場で突然倒れて救急車で運ばれ、そのまま入院した。

両親には連絡がつかず、実家近くに住んでいる妹に連絡がとれたので、会社の人が来てもらうようにお願いしてくれた。

当時の妹は身重で、近所でパート仕事中。なんとか都合をつけて、電車で1時間半くらいの距離をかけつけてくれた。

すぐに必要なもの(下着とか)を買ってきてくれたり、手持ちがないだろうとお金を貸してくれた。

ありがたく受け取って、入院生活を乗り切った。(借りたお金+経費相当分は退院後すぐに返しました。お礼つきで)

ここまでは「姉妹ってありがたいなぁ」と感謝してたんだけど、問題はそのあと。

とあるごとに「私は身重で大変だったのにあんなにしてあげた」と言われる。

最初半年は「ほんと感謝してる」。次の半年は「ありがたかったよ」。

でも1年以上経っても同じように恩を売ってくるのには閉口して、次第に腹が立ってきた。

結婚のお祝いをあげて食事をご馳走しても、式にも呼ばれず妹ダンナと顔合わせもなくお祝い返しもないことも、

海外で2人だけの挙式+新婚旅行新婚旅行のお返しは数ドルチョコレート

出産後の退院帰宅を手伝ったことも、(妹ダンナからアドレス確認用テストメールと「生まれました」メールのみ)

子供に障害があるかもしれないと騒ぎ立てるのをなだめ続けたことも、(夜中に電話メールを3ヶ月ほぼ毎日

妹の気晴らし雑談につきあうために毎月呼ばれることも、(休日に片道2時間かけて行く。食事代とかもろもろはこちら持ち)

「ありがとね」の一言で済まされてきた私はいったい何なんだ?

頻繁な子供日記メールにつきあわされて、返事を強要されることもいやだった。

短い返事で済ませたり子供を大げさに褒めないと「愛情が足りない」あげく「たった一人の甥がかわいくないの?」

当日の夜8時までに返信しないとイヤミメールが届く。こっちが残業でヘトヘトな終電帰りであっても。

突発とはいえたった1回お世話になっただけで、こんなにもご奉公しなきゃいけないのか?

どうしても耐え切れなかったので、連絡を絶つことにした。まずはメールの返信をしなくなった。

それでもずっと送ってきたので放置していたら、「返信しないなんて人間としてありえない」と言われた。

私が連絡したいことはほとんどないし、妹からの返信に困る日記メールを受けたくないと言ったら、

「じゃあ○○家と一切縁を切れ」「両親とも連絡するな」

(両親の葬式喪主の話を振って「私はもう○○家の人間じゃないから」と言ったくせに)

なので、両親には申し訳ない気もするが、実家もひっくるめて連絡しないことにした。

一度メールがきて「そろそろ謝ったら許してあげなくもないよ」と書いてあったけど、鼻で笑い飛ばして削除した。

ついでに迷惑メールフィルタに登録したのでもう届かなくて済む。

妹と親は近居でべったり。親には妹に都合のいいような話が伝わってると思うので、連絡したくないし。

さすがに先日の地震ときは親に連絡を入れたけれど、それだけ。

いい年して大人気ないのも十分わかってる。

してあげたことはしてもらったことより20倍よく覚えているというから、私にも自分に甘いところがあるのは認める。

でも、もう無理っす。自分キャパシティ超えました。都合のいい姉リタイアします。

2011-05-23

http://anond.hatelabo.jp/20110521222816

1.増田

・出たい

・出たくない

2.母

・出てほしい

・出なくてもいい

3.親戚

・出てほしい

・出なくてもいい

4.祖父

・出てほしい

・出なくてもいい

この四者視点を複合的に考えた結果

弔い方なのかもと思ったけど

増田一言も「行きたくない」も「行きたくない理由」も書いてないよね。

せいぜい「行きたくない人は行かなくていい」止まりだし。

祖父と何があったかしらんけど、そこをぼやかす理由が分からんし、分からんと何も言えないよね。

あとは、今回は増田の祖父の話しだけど、母親の時はどうするんだ?

母は葬式出ろと言うならば、少なくとも母は葬式をやって欲しがっているわけだし、長男増田葬式の仕切りをやって欲しいと思っているだろう。

生前に、「葬式はこんな感じで喪主はお前」って言われたたらどーするんだろ?興味あるなぁ。

2011-05-22

http://anond.hatelabo.jp/20110521222816

祖父の葬式から自分葬式へと思考が直結しているけど、その前に増田の両親の葬式があるよ。

何度葬式(特に、喪主に近い立場の親族側)を経験していないと自分の父親や母親葬式の時に色んな段取りが全く分からなくて困る事になるぞ。

本家長男なら尚更色々あって面倒臭いだろう。

それとも自分の父親や母親葬式も欠席する(場合によっては喪主になる事を拒否する)つもりか?

2011-03-10

http://anond.hatelabo.jp/20110310145602

服装はキリスト教と同じで黒いスーツで黒い靴でネクタイは黒。

ご焼香は始めてだろうから事前に検索しておくといいよ。

#だいたい前の人を見ていれば分かるけど、間違えて柏手を打たないように。

外国の人だと分からなくて柏手打ってしまった場合を見たことがある。

http://www.a-sougi.com/2007/10/post.html

■焼香の仕方(一般的な立礼焼香の場合

1:順番が来たら後ろの人に会釈する

2:焼香台の少し手前で僧侶⇒遺族の順に一礼して焼香台の前に進む

3:遺影を見つめて一礼し、1歩前に出て合掌する(手を合わせる、数珠左手

4:左手は合掌の形のままで、右手(親指・人差し指・中指)で香(抹香)を軽くつまみ、顔(目の高さ)の前で捧げる

5:静かに香炉に香を落とします(宗派などによって異なりますが1~3回繰り返す)

6:再び遺影に合掌して一礼する

7:前向きのまま少し(3歩くらい)下がり、僧侶・遺族に一礼して自席に戻る

※一番初めに焼香をしないのであれば、喪主、前の人のやり方をよく見て、参考にして同じようにした大丈夫ですよ。

2011-03-03

http://anond.hatelabo.jp/20110225234111

トラックバックの仕方ってこれであってるのかな?

からニートになる死にたい大学生です

あれから数日たちましたが、

ハロワ行ってきました既卒ITだと驚くほど仕事がありました

かに経験は役立ちそうです

でも社員数十人とか経験重視とかで、

使えないとか言っていじめられるのが怖すぎて応募できませんでした

・要するに自分クズだと人に言われたくない甘えです

・もう一生プログラミングしたくないです。

・今週家族が死にました

葬式した。父が喪主した

・「これからのほうがもっと大変。これくらいで死にたいとか甘い」みたいな人。

ならこの先も生きて行くのはもっと嫌ですいまのうちに死にたいです

もういいでしょ。

・ぼーっとしてなーんにも考えたくないし考えられません。

人生にやること残したくないです。

やり残したことじゃなくて、これからやること。

なにか色んなものが切れた気がしました

実はこないだ書いたときには、

中学の友達とか元彼女とか、親しかった人と飲んだりしてきました

一月あたりにmixi口約束したんで、消化してきました

お別れしてきたつもりです

病院を推奨するコメントもいただいたので、

明日いってくることにしました。近所にしました

まらない増田にたくさんコメントいただいてありがとうごいました

本当にありがとうございました

2010-11-28

死から逆算するイマの大切さ

大学生になり自分が賢くなるに連れて親父の凄さが分かってきたところだった。本を読めば読むほど知識が増えれば増えるほど、政治経済から歴史に至るまで親父の知識の量と見識の深さに気付くようになり親父と話すことが一番の楽しみになり、話せば話すほど俺の考え方も知識も問題に対する切り口も論理構成力も一段上へと進化していっているところだった。自慢の親父で本当に尊敬していた。そんな時間が当たり前のものになっていた。

しかし親父は単身赴任をしていて50を過ぎているのに平日は一人で暮らしていた。週末帰ってくるので2日しか会えなかった。それでも平日は親父が購読しているメルマガから面白い部分を抜粋し俺転送してくれていて、週末帰ってきては趣味化しているコーヒーを豆から買ってきて自分で入れて飲ませてくれるのだがこれがまた最高に美味かった。

身長高校生の時に数センチ抜かし体型はここ10年で明らかに太り、ハゲかかって前髪が後退した額は俺に将来の毛根の不安感を与えるのには十分だった。そんな日常は当たり前のものだと思っていた。

日曜日、俺はいつも通りバイトを終えて携帯を見ると着信が死ぬほど入っていた。

ー 親父が死んだ

そこからはよく覚えてないけど、心が折れた母の代わりに喪主を務め、葬式にきた人間からは「しっかりしている長男さんだね」とか「20歳なのに精神力強いわね」みたいなことを言われていた。

実態は、想像もし得ないことがあっさりおきたので気持ちの整理がつかなすぎて、感情崩壊していたのだと思う。涙も出なければ死に目にあえなかったことも特段なんとも感じなかった。ただそこには、親父が死んだという事実しかなく、それを受け入れる準備ができていなかった分、その死がただただ自分の生にとって一つの通過点でしかないと本能的に感じていたのかもしれない。

親父が死んでも空の色は同じく、世間ではアホカップルが愛を誓い合い、時は流れ明日は必ずやってきた。しかし変化は微妙にあらわれる。

まず、平日、親父からメルマガ転送されなくなった。奇しくも、最後転送されたメルマガは「戦争による死の矮小化」だった。土曜日がきても親父は帰ってこなかった。そしてコーヒーは入れられていなかった。しかたなく、自分で入れることにした。そこで始めて涙があふれた。

親父の記憶とともに膨大な後悔が脳裏に浮かび視界は水没した。こんなことすればよかった、こんなことしてやればよかったということ。もしこの日に死ぬと分かっていたのなら、もっと多くの時間をそしてもっと多くの感謝を形にしていた。その後悔が脳を壊し心がなくなったような衝撃が俺を襲い視界は真っ白になった。

俺は夢から覚めた。

あまりにリアルすぎる夢で焦ってリビングに行くと親父がコーヒーを入れていた。

おはよう

この日常が当たり前のものではな奇跡連続だと感じるようになった。

さすがに神が存在するのかと疑った。

ここまでリアルな夢を見るということ自体はたしか縁起の良いことではないかもしれない。しかし、縁起が良かろうが悪かろうが、自分家族、大切な人はいつかは必ず死ぬ。それが明日なのか20年先なのかはわからない。しかし、死なれた時にになって初めて後悔するのは馬鹿だ。大切な人が生きているイマを強く意識することで感謝を形にすることができる。その感謝の積み重ねがいずれくるべき時になり事実を受け入れることができるようになる。だから縁起がどうこうではなく、一度自分の大切な人の死をリアルに考えることが必要なのかもしれない。軽々しく死を扱うなとかは的外れな指摘だ。事実、命は軽く他人の死も一つの出来事にすぎない。

一方で自分の死んだ後を想像する人間もいるがそれは多いに間違っている。死後どう思われたいかなんて考える時点で宗教狂だと認定していい。死んだらそこで俺らの人生は終わる。死後にあるのは無であり実質そこには何もない。死後が現在を規定するというならどうやってそれを確認するというのだろうか。(これも一つの宗教なのかしら

死ぬの対義語は生まれるであって生きるではない。

生きるというのは状態であり対義語は死んでいるである

だから、自分の生の流れの中に他人の死は起こり、自分の死はその生の流れを止める。

俺は常々目標や夢はその状態になっていないということが原因で自分に対するプレッシャーとなってブーメラン化する心の負債だと表現している。その原因は夢や目標といったものが極めて前向きであるからだ。今よりよくなるということを想定しているためどうしても向上的なものになる。しかし死について考える時、俺らはとんでもなく後ろ向きな仮定から始める。例えば「今日母親が死んだ」とか「彼女が死んだと連絡があった」ということを考える時、俺らは、そうなってほしくはな未来について考えるためそれは心の負債にならない上に、もし本当に死んでしまった時への心構え、さらには後悔しないためにやれるべき事をやっておこうと考えるようになる。

イマを強く意識して生きていくことこそ大切なことだと思うんだけどなぁ。

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