はてなキーワード: パンパンとは
もちろんノーメイク。
唇の上はなんともなかったけど、アゴになんていうかワサァ……って産毛が密生してて、勢いのないヒゲって感じ。
あと太ってるせいだと思うけど、なんか臭い。
私の職場にいる女の人は老いも若きもみんな化粧してるし、多少ふとましい女性はいても百貫デブなんかいないし、みんなニコニコしてるし、ヒゲ生やしてる人なんかいない。
臭い人もいない。
地元で会わなくてよかった。お盆明けに出社して職場の人に「増田ちゃんが友達と歩いてるとこ見たよ」とか言われたら恥ずかしくて死ねる。
ボロクソ言ってるけど、嫌とか嫌いとかじゃなくてフォローも外す気ないし1年以上やり取りしてていい人だってことはわかってもいるんだけど、
とにかくブスで臭いのがただただ衝撃だった。
女捨ててるって表現、目にはするけど実物に会って会話したの初めてだからびっくりした。私の人生にあんな感じの人が登場したことなかった。
人の見た目にあれこれ言えるような顔でもないけど、社会通念上メイクしたり体臭に気を使ったり電車の座席1.5人分占領しないようにデブデブ太らないようにした方がいいかなとは思ってそうしてるよ。
性格はご覧の通り悪い。衝撃を共有したいという理由で投稿するぐらいに悪い。
ごめんねフォロワー。
娘がチック症になった。やたらと目をしばたかせる。たぶん、ストレスが原因だろうと思う。
うちは母子家庭だ。昨年、離婚した。当時、娘は小1だった。ずっと一緒に暮らしていたパパがいなくなり、やはりつらい気持ちなのだろうか。
娘は二年生になってから、本ばかり読んでいる。近視なので、分厚いレンズのメガネをかけている。振動に強いという、ゴーグルのような形のメガネで、子供にはそれが最適だという。でも、そのゴーグルのようなメガネをかけて、一心に本を読んでいる娘の姿が、何となく不憫に見えてくるのだ。
あまり本を読みすぎないように、注意もしているけれど、娘はどうにも夢中だ。学校の図書館で、シャーロックホームズを順番に借りてきては、貪り読んでいる。
娘は学校に友達がいないのではないかと、心配でならなかった。それとなく尋ねても、反応は薄い。もしかして、メガネやチック症のせいで、バカにされているのではないか。そんな不安がよぎった。
つい先日、私の誕生日。パートから帰ると、娘が家にいなかった。午後6時。この時刻に家にいないなんて、初めてだった。私は不安になり、動悸が激しくなった。奥の間のテーブルに書き置きがあった。
腰を抜かすとはこの事かと、実感した。私はテーブルの前にへたりこんでしまった。手紙を持つ手が震えた。
まずどうすればいいのか、考えをまとめようとした。警察、学校、親、誰に連絡すべきなんだろう。うまく頭が回らなかった。
パンパンと、大きな音が鳴った。押し入れの中から、クラッカーを持った子供たちがわらわら出てきた。
娘を含めて、5人。
みんな、娘の友達だそうだ。相談して、私の誕生日を祝いに来てくれたのだ。押し入れに隠れるのも、書き置きも、娘のアイデアだった。
私は、うれしさと、娘にたくさん友達がいたという安心感と、こんな悲しいイタズラをさせてしまう申し訳なさと、いろんな感情がぐしゃぐしゃに混ざって、声を出して泣いてしまった。
私があまりに泣くので、子供たちが少し引いてしまった。うれしくて泣いてるんだよ、と慌ててみんなに説明した。じっさい、うれしくて泣いたのだ。でも、そんなに単純な感情でもなくて、なんともいえない。
どこで覚えたのか、娘たちは、寒天ゼリーを作ってくれていた。美味しかった。一口食べたとき、また涙が出そうになったので、今度はぐっと堪えた。
寄せ書きもくれた。見たこともない友達のママの為に、みんながメッセージを書いてくれていた。
娘が友達に恵まれていて、本当に、飛び上がりたくなるぐらい、嬉しかった。
でも、やはりチック症については心配なので、近いうちに医師に相談してみようと思う。
娘を育てていると、知らなかった感情に、次々と出会います。その感情について、立ち止まって考えるまもなく、娘はどんどん成長していく。いつのまにか、私が予想できないようなことまで、するようになっている。
実家暮らしだったから、そもそも外で全く飯を食べなかったし食べてもすき家かコンビニで悩み結果水を買わなくてはいけないコンビニを除外したりしてた。
居酒屋もただひたすらに安さを追求し、安くたくさん飲めるしか考えていなかった。
結果牛丼食べてから居酒屋で焼酎ボトルにたこわさが一番コスパが良い事が分かったのも人生経験なんだろう。
そもそも働くの嫌いでバイトもギリギリしか入れなかった為に金が全然なくて余裕が全く無かった。
卑屈だったんだと思う。友達に彼女できたらムカついてたし、なんかいろいろ上手く行かないしで嫌な気分でいっぱいだった。
碌な服も買えなくてひどい格好してたし、我慢に我慢を重ねても買いたいものが出てしまい、1万のモノを10回払いとかにしていた。
当然遊びらしい遊びはほとんどせず、ただ飲みまくっていた。
だが卒業から数年たち、いろいろやった結果自営業で1000万を超え俗に言う寿司が止まって見える状態になった。
今の趣味だと車と家以外の欲しいモノは大体一括で買えるようになったし、限度額パンパンに使って一括で払ったりできるようになった。
酒も飲まずに1万超える肉も食べられるようになった。
そしてこの前、学生のときに食べていた店に久々に行く機会があって行った。
でも味付けに気を遣ったりしてて美味しかった。
これは高いものも食べないと分からなかったし、世界が広がったことをとても実感した。
夏!って感じ
東京から福岡行きの飛行機に乗ったら、隣の人がポテチの袋を持ってて、おっ!と思ってワクワクした
なぜかというと、ほら富士山の頂上でポテチの袋膨らむっていうじゃん?
それが飛行機でも同じもの見られるんじゃない!?と思ったんだよね
そしたらまさに予想通り、高度が上がるにつれてふくらんでいって最終的にパンパンになった
俺はこっそり横目でそれを見てウホー!と内心興奮してたw
で、パンパンになったやつをあけるとどうなるか気になるからはやくあけてほしかったんだけど隣の人が寝ててなかなかあけてくれなかったんだよね・・・
やきもきしながら待ってたら、例の福岡空港閉鎖よ
それで長丁場になるってことになったからその人が起きてくれたわけ!
なんでもないようなそぶりしながら内心もうどっきどきのわっくわくもんだぁ!って感じだったのね!
隣の人女の人だったんだけど、パンパンにふくらんでるせいか、やっぱりあけるのにちょっと苦労してた
そんで開いたよ!
小さくポンと音がした!!!!
まあそういう音だろうなとは思ってたけどめっちゃ満足した!!!スッキリ!!!!
飛行機の高度が、かなり上
(具体的には雲の上、衛星写真っぽいレベルの夜景が見える、町の光が夜空の星みたいに見えるレベル)
になったときに窓から外みたらまるい月が見えたんだけど、地上から見る月の大きさと同じだったんだよね
上空になったら多少は大きく見えそうだなって思ってたから、なんか新発見って感じで、これまたわくわくもんだったよ!!
それで思い出したのはエヴァだね
ヤシマ作戦直前、屋上でレイとシンジが話すシーンで、けれんみきかせるためにめっちゃでかい満月がバックにあるシーン
ありえないけどわざとそうした、って製作サイドの誰かがどっかで話してたのを見たのを思い出した
一時着陸時に、大学教授がキャビンアテンダントに「明日朝から大学で講義しないといけないんだけど、タクシー代と新幹線代出るんだよね?勘違いしないでほしいけどこれ文句じゃないから」みたいにクレームつけてて、聞いてるこっちがすげー気分悪くなった
言いたいことはわかるけど、今のってる飛行機の整備ミスとかじゃないし、しかもキャビンアテンダントにイライラぶつけてもどうにもならねーだろうに、いい年してそんなこともわかんねーのか、と
隣に座った若い女性がキャビンアテンダントに何かしてもらうたびに、よろしくお願いします、ありがとうございますってハキハキ言っててすごくよくできたいい若者だなと思ったのと正反対だったよまったく
朝持ってくか迷った小説、上巻だけあれば十分と思って下巻もってきてなかったけど、下巻ももってきとけばよかった・・・とめっちゃ後悔した・・・
隣の女性が寝こけてめっちゃこっちに傾いてきたからめっちゃ緊張して体を窓側に必死に寄せた
それでも空港復旧はまだ早いほうだったと思うから、もっと時間かかってたらもっとひどかっただろうなあと
そうだそうだ
福岡空港閉鎖解除されて給油も終わってさあ離陸ってなって滑走路走り始めたとき、
俺が乗ってる飛行機の整備してくれた人たちがふかぶかと一礼して手を振ってくれたんだよね
俺窓際だったからそれを食い入るように見てて、めっちゃ手を振り返したくなった(さすがに恥ずかしかったからできなかったけど
空港の人だってトラブルおきて大変なはずなのに、一礼して手をふってみおくってくれたんだよ?
感動するやんそんなの・・・
差し入れをいただくことが多く、その際に「来ていただきありがとうございます」と言えて、それがとても嬉しいことだ。
差し入れの内容は美味しいお菓子やお茶、自引きできなかったグッズ、アニカフェ限定のコースターなどなど…。
こんな弱小サークルに差し入れなんて申し訳ないと思いつつも「美味しい!」「推しがかわいい!」「こんなレアグッズもらっていいのかな!?」と、
一人キャッキャしながら名前と差し入れを確認してツイッターでやり取りができる方にはお礼を言って回る。
だが、本音を言うとそんなにたくさんんの差し入れをいただくと困ることもあるのだ。
行きはキャリーケースに36ページのコピー本数十部と10冊未満の既刊、設営グッズ、憧れのサークルさんへの感想手紙を詰め込み、普段使いのバッグを持って出かける。
帰りは運良くコピー本が完売すれば良いが、戦利品を押し込めばもうキャリーケースはパンパンだ。
それに加えて上記のようにたくさんの差し入れをいただくと、折りたたみ式エコバッグに差し入れを入れるのだが、入り切らなければ普段使いバッグに入れて帰ることになる。
戦利品と設営グッズと差し入れ、全部送ればいいじゃん!と思われるかもしれないが、売れ残った新刊や既刊を小さめのダンボールに入れて送るだけでも着払いは高い。
地方住まいなら迷わず宅急便を使うが、都内在住だし、せっかく手持ちで持って来ていただいたものを宅急便で送るのも何だか気が引ける。
加えてかわいくラッピングされて中身がわからない状態のカステラや最中は早々に食べなければならない。
別ジャンルの友達と合流し、アフターに行く際に差し入れをもらいすぎてキャリーケースにも入らず、
ノベルティの紙バッグに入れていたら持ち手が切れて大変な事態になったこともある。
そこで私は思った。「差し入れは同人誌の感想手紙が最強」であることを。
嵩張らず、すぐに仕舞えて、日持ちを考えなくて良い。手紙すごい。
だが、私だけかもしれないが同人誌の感想を書くのはかなり神経と精神をすり減らす。
普段は70~100P程の同人誌を頒布する小説サークルなのに、1冊24Pの同人誌の感想手紙(2500字程)を書くのに半日を費やしてしまう。
推しカプが一緒のコマにいるだけで幸せなのに、好きな作品のどこが良かったかを文章化して伝えるのはとても難しい。
「最高です」「好きです」「萌えます」「ありがとうございます」…大抵この4語が文末に来てしまう有様だ。
普段キーボードばかり打ってるせいか字は汚いし、文字を書く行為事態も疲れて(筆圧が強い)残りの半日は疲れで目眩を起こしたりする。
なので、自分でも「差し入れは同人誌の感想手紙最強論」を謳いつつも、
申し訳ないが本当に本当に好きな人や毎回忙しいのにコンスタントに新刊を出す友達、最近同人トラブルに巻き込まれた人、憧れのサークルさんにしか書けない。
今度スパコミがあるけれど、一生懸命書いているのにまだ1通も書き上げていない。
目標は5/4までに3通なのだが、思いを伝えるのにこれほどまでに「手紙」というツールが大変だとサークル参加を経験しなければわからなかった。
これを知ることができただけでも同人活動をやって良かった。
さて、皆さんは2Lペットボトルを見たことはあるかと思いますが、このペットボトル、相当な大きさがありますよね。
家に置いておくのは結構ですが、持ち運ぶとなると一苦労。結局出先では然程嵩張らない500mlのペットボトルを持って行くのがベターとなります。
しかし僕は「外ではペットボトルを持って行くのが良いか」という至極どうでも良い話をしたいのではありません。
――――華麗な美少女のお腹の中に、2Lペットボトルと同じ量のおしっこが溜め込まれているとしたら――――
様々な理由によりトイレに行けず、なまじ女の子の”我慢”の能力が強かったが為に解放を許されずに居る大量のおしっこ。
それは結局はただの液状の老廃物でしかありませんが、我々生物の持つ社会的機能/思考により"恥ずかしいもの"という意味を付加させます。
”恥ずかしいもの”、つまり下品、異常なもの。それらを隠していくことで、正常であり、立派なものと見做されます。
当然”恥ずかしいもの”を皆の前で露呈させるわけにはいきません。出しても良い場所に移動するまで、必死に必死に我慢します。
しかし彼女の膀胱の中に入っている2Lの量のおしっこは相当な物です。本来一般女性の限界容量は平均500mlと言われており、1L以上我慢出来る人は稀有であると言われているほど。
(因みに、実際に2L以上の量を我慢した例は存在しており、この量は非現実的な数字ではないということを明記しておきます)
本作では着ている服装の関係から下腹部の膨らみは見られないだろう、と言う事で描写を省きましたが、彼女の下腹部は大量のおしっこでみっともなく膨れ上がって居ます。
見てて痛々しくなる程にパンパンに張った彼女のお腹。そこまでお腹を膨らませた原因はおしっこであり、実に下品で”恥ずかしいもの”そのものであると考えられます。
しかし同時に、そこまでしておしっこを必死に我慢する行為には「彼女が”正常”で”立派”なものであろうとする」ことへの拘りが感じられます。
”下品な身体”と”立派な思考”。おしっこが詰まった彼女のお腹は、そんな二つの側面を兼ね備えているのです。
勿論そこまで我慢をしていて平気な筈がありません。恥ずかしい部位に意識を集中させ、身体を捻らせ我慢をしなければその場でお漏らしをしてしまうことになります。
必死に足をクネらせ、手は恥ずかしい部位をグッと押さえ、腰は引け、お尻はもじもじと捩り、顔は真っ赤になり、目は涙で滲み、頬は汗が伝う。
その姿は、この手のフェチシズムを持たない人でも扇情的に映るでしょう。そしてそこまでの醜態を晒しても尚、出口からじわじわと染み出る熱水。
駄目だ、漏れちゃう、もう我慢が出来ない。彼女の思考はおしっこに関することで埋まります。
暴力的な尿意による痛み、公共の場で醜態を晒さなければならない辱め。しかし真に辛いのは、それほどの苦痛を味わいながらもまだ我慢をしなければならないという状況にあります。
おしっこを本当に漏らしてしまえば全てが終わる。その恐怖から逃れる為に、彼女は必死に尿意を我慢するのです。そう、お腹をみっともなくおしっこで膨らませながら。
僕はそんな彼女に「じっと立ってろ」と命令したいのです。おしっこを我慢している彼女には無理な話ではありますが、無理矢理じっとさせます。
そして服を捲り、パンパンに膨らんだ下腹部をじっくり観察したあと、その神秘的なお腹をギュッと押したいのです。
その固い感触、触って改めて感じさせられる途方も無い量のおしっこ。そしてその瞬間に喘ぐ彼女の声、同時に響くド派手な水音。
滝の様に溢れ出る下品な熱水は下着を突き抜け、あっという間に巨大な水溜りを作ってしまいます。
その水溜りは僕の方まで伸びており、彼女と僕の足元はおしっこでビショビショ。我慢に我慢を重ねたおしっこの匂いが、より”お漏らしをした”という事実が事実であることを強調します。
一通りおしっこを出し切ったあと、泣き喚く彼女。僕はその場を離れます。最早この場において、僕は不純物だからです。頬を伝った彼女の涙が、水溜りの中でぽちゃんと鳴り響くのです。
※コピペ
信じられないなら反証を示せばよい。外形的には「本土決戦の前に空爆を受けていただけで降伏した」ことに変わりはない(個人的にはソ連参戦こそ降伏を決心させたのだろうとは思うが)。
しかも現在では民主主義で、世論が折れればもはや継戦は不能だ。果たして100万人死んだとき、100万の復仇を訴える叫びと、次の100万人の喪失を恐れる声とどっちがでかくなるか。仮に韓国なら後者を弾圧する手法も前歴もある。そういうときの米の短期的な世論の沸騰はよく知られたとおりだ。だが、こと日本はどうか。
さて、北が核を撃つと決めた時、既に彼らの中では彼らのレッドラインは踏みにじられている(ひょっとすると彼かもしれないところが恐ろしいが)。その時点ですでに彼らにとっては「タダではすまない」んではなくて、もう十分代価を奪われた状態だ。そこで、座して死を待つか起死回生の博奕をするときに、前者の死亡確率100%で、後者が99.998%だったら、それでも後者に賭けるのは、相当に悪い手ではあるけれども合理的ではある。
そこに至る計算式が客観的に見れば誤っているかもしれないけれども、彼らにとってそうなのだから決心するには十分だ。我が国だって(あの計算だって、後知恵で言えば相当に悲惨なものだった)清水の舞台から飛び降りてえらい目に遭ったではないか。
その時に一番リーズナブルな標的はどこだろう、というのが前回の増田の趣旨だ。
逆に言えば、ある日なんの計算もなく脈絡のない先制攻撃をするような非合理性はない。ただし、彼らにとってのレッドラインがどこにあるかは分からないから値踏みを誰かが誤る可能性もあるし、偶発的な事態(緊張パンパンなところに、悪意なく大韓航空機的なものが飛んだら誤解するには十分だ)だって完全にあり得ないわけではない。
http://www.keikubi.com/entry/2017/04/03/070000
このブログを読んで10年くらい前にやっていたバイトを思い出した。
大学生の頃、管区警察学校の中にある居酒屋でバイトをしていた。別に警察に興味があったわけではなくただ下宿先から近かったので。
なぜか学校の敷地内にいくつか居酒屋があって、そのうちの1つで働いていた。お客さんは20代後半〜40代くらいの警察官のみ。みんなジャージだったような気がする。バイトは夕方だけだったのでよく分からなかったが日中は座学の他に走ったり剣道、柔道をしているようだった。(居酒屋のそばに武道場があった)
働いていた当時は理解していなかったが、今調べたところ「管区内各県警察の中堅幹部職員、管区機動隊、広域緊急援助隊等に対する教育や訓練を行うための学校」だそうだ。
1年くらい働いていた中で一度だけ、女の子が客にお尻を触られた事件があった。自分はいない日だったんだけど、毎日働いてるパートのおばちゃんに聞いた。警察なのに尻触るんかい?!って思ったよね。まぁそれだけなんだけど。事件としては女の子が悲しみ、パートのおばちゃんが憤慨しただけで終わりです。
お酒の飲み方は、普段は3〜4人とかで普通に飲んでるんだけど、しょっちゅう大勢での宴会をしていた。多分クラス単位で、20〜30人くらいだったかな。
なんかコールみたいなことをして飲んでいた。大学生みたいなやつじゃなくて、管区の部署か地名かよく分かんないけどそれを節をつけて一人で大声で全部言う、途中で間違えたら一気飲み、みたいな感じだった。全員がやらされてる感じではなかったと思う。
他に覚えてるコールみたいなのは、なんかやたらと「橋本〜聖子!パパンパ、パンパン!(手拍子)橋本〜聖子!パパンパ、パンパン!」となぜか橋本聖子を連呼してたのと、「(なんちゃらかんちゃら)イナバウワー!」と叫んでおじさんが上体を反らしていたこと。他にも流行り物が色々取り入れられていた。これは普通の企業でも一緒なのかもしれないけど。
とにかくノリが体育会系で、こういうノリが嫌いな人にはなかなか辛そう、というか無理そうだと思っていた。
ああああああーーーーー
つらいーーーーー
ハッシュが死んだよーーーーー
何で死なないといけなかったかなーーーー血が足りねえ?
あっそうーーーーーー!!そうですか!!!!!
私何で見てるのかな鉄血のオルフェンズ。
もう次最終回だよ!
足掛け2年つきあったからさ~~~、言わせてくれる??
49話の話からね。
ガエリオは生きててよかった…えっ生きてるよね?
アインも生きてる(広義)よね?
正直こっちの脳がシャットダウン気味だったからよくわからんけど…。
ガエリオが「俺を見ろ!」つってたね。
いいシーンだった。
これが2期の前半ならね!!!
こっちはさあ、1期と2期の間
マクギリス、革命の英雄でもなけりゃサイコパスでもないんだよね~~
1期が終わった後、
「マッキーが何を思ってああしたか、納得いく説明なんかしてもらえるの?」
って話してたんだけど、
怒りの中で生きてきたのはわかるけど
そこで私のマクギリスが死んでしまった。
ガエリオは必死にマクギリスに対峙してくれたけど、そのマッキー、死んでっから。
そんな等価交換じゃないもののために、一度助かった命を懸けなくていいよ。
なので生きてて欲しい。
マクギリスの間抜けさ、何のためなの??
そんな人と手を結んだばっかりに鉄華団(主人公サイド)は死にますーーーってなるの、お話として面白い!??
結局マクギリスの軸さえブレてなきゃ、そんなに荒唐無稽な話にはならなかったと思うんだよね。
ずっとブレてないのかもしれないけど、それならそれで
って問い詰めたい。
もう一つしんどいのが、女と大人の立ち位置…まあ主に女かな…。
1期の時はクーデリアもアトラも、
俺だーーーー結婚してくれーー!って気持ちにさせられてたのに、2期の二人は何なの。
別にアトラが三日月とクーデリアと家族になりたいというのはいい。
子どもがいれば三日月を引きとめておけるかも…ってアトラが思うならそれはそれで仕方ない。
それなら、
「子どもがいても三日月は遠くにいってしまうかもしれない、自分は間違えていたかもしれない」
ってアトラに思わせてあげろよ。
だって三日月の子作り後の行動のどこに安心が得られる要素があるのか。
(クーデリアに後を託したところを聞いていないのをさっぴいてもだ)
クーデリアも…もうクーデリアを1期のような形でジョーカーにできないのはわかる。
ただでさえ天丼なのに、クーデリアの演説一発で解決しちゃいけない。
でも、クーデリアは1期で成長したじゃん…全然違うアプローチから何とか活躍させてあげられなかったのか……。
戦後処理で頑張ってくれるんだろうけど、あまりに…1期でお役御免感が強くて馴染めなかった。
雪之丞とそういう仲になるのはいい。嫌いじゃない。
でも彼女が1期で「このままじゃいけない…」って言ってたのを、
2期で「腹を括った」って思考停止させるのは何なんだろう。
何か結論を出すなら我々を納得させるイベントが必要じゃないのかな。
エドモントンの闘いで充分だった、っていうこと?
じゃあ、机上の空論よりも現在血を流している子たちの中で支えて行こう、って決意するシーンが欲しかった。
1カットでいいんだよ。
言いたいことはまだまだあるけどさーーー
多分最終回後だと、見たことを記憶から消したくなるんじゃないかな。
それが怖くて今書いてる。
個々の人間関係はすごく丁寧に描いてるけどさ。
めちゃくちゃ丁寧に。匠かよ。
そりゃ良かったよ。
人が死ぬのは仕方ない。
ガンダムだしな。
の繰り返しで話を引っ張るの、あまりにも知恵が無さすぎない?
そりゃあエモーショナルなドラマをされたら感情は動かされるけどさー
縦軸がぐにゃぐにゃ過ぎない?
我々をどこに連れて行きたいのかわからないし、目の前虚無だし
何がしたいんだい。
「足掻いても変えることができない現実もある」、そういうリアルを描きたいのかな。
こちとら現実で嫌というほど味わってるよ。
「彼らが世の中を変えたりはしない」って最初の頃から監督のエクスキューズらしいけど、
こうして2015年から2017年まで画面の中で彼らが生きて来て、
世の中は変えられなくても、彼らは何か得るんじゃないかって思いたいじゃん。
アトラの子が~次の世代が~~~~とか言ってんじゃねえぞ!!!
三日月やオルガやユージンやシノや昭弘やダンテやチャドが報われてえって話なんだよ!!!!
最終回でこっちも、あー最後まで見て良かったなーって言いたかったけどさ。
そう思ってここまで来たけど
何もねえよ。
ある気しないよ。
どうすりゃ良かったのか教えてあげてよ。
話作った人に。
ちなみにババアはさ、Z、ZZ、Vガン、Gガンとリアタイしてっけど
何をどうすりゃいいのかわかんねえよ。
話聞いてくれてありがとな。
【追記】2017.03.29
足掛けなら3年だね。
'15~'17だもんね。
ツイッターも見たよ。
testa_kitchenさんが貼ってくれてたリンク先のブログ…アグニカポイントの奴ね。
http://shiratamazenzaitsubu.blog14.fc2.com/
とても参考になったよ。
「シュテッケンが足りない」には笑ったわw
やっぱバクシンガーENDなのかな。
ババアだからさ、経験上アニメーションの筋が誰か一人の意志だけで決定されるとは思ってない。
連続ドラマと一緒で、よほどの強権が無いとブレやすいもんなんだとは思ってる。
それでもしんどいもんはしんどいんじゃーーーーーーーーーーい!!!!!!
という情動に突き動かされて書いた。
アトラとクーデリアとメリビットの話を優先したのは、他の人が書かなさそうだから。
オルガに言及しろよじゃねーーよ!!!お前が言及するんだよ!!!!!
お前のオルガへのありったけの想いを、お前が書くんだよ!!!!!
そういう趣味が無ければ増田に書いてババアに読ませてくれよ!!!!!
最後になりましたが、「暖簾にダインスレイブ」評価して頂いてありがとうございました。
それが生まれつきの性質であるかの様に言われ、他人から羨ましがられる事がとても多い。
それが私はちょっと悲しい。
片付けをちゃんとする様にしつけるの、結構大変だったんだけどな……。
自己満足の為に、ここに私が子供達に片付けをさせる為にした事やしなかった事を書いていく。(超長い)
あまり誰かの助けになったり参考になったりはしないのだろうな。
何故かというと、上の子が生まれたばかりの頃は家にあまり物が無かったから。従って片付ける必要が生じなかった。
支援センターには、自分で使ったものは自分で片付けるというルールがあるから、親の私としても子供が中々やる気出さないからといって妥協する事は出来ないし。
あまり経済的に余裕があるとは言えないのだが、専業主婦となった。時間に追われないで子供の相手出来るのって気が楽でいい。
まだ腰が据わって間もない子のおててに使った積み木を持たせて「さぁ、お片付けしましょうね~」と声をかけ、抱っこで積み木箱の所まで連れて行き、子の手を取って積み木を箱に入れさせる。という感じ。はたから見れば赤ちゃん使っておままごとをしている様だったろう。
見られたら「ママがやってくれるのが当然」と学習されるだろうから。ソースはない。
既存の歌でも良かった気がする。
私自身が幼稚園児だった時、担任の先生が片付けの時間中ずっと「おかたづけ~おかたづけ~、さぁさみんなでおかたづけ~」とリズミカルに手を叩きながら歌っていたので、それを真似た。
ちなみに小さい子供は「おかたづけ」と発音出来ないし聞き取れもしないっぽかったので私は自作おかたづけのうたを「ナイナイあそびのうた」と呼んでるし、歌詞でも「おかたづけ」という単語の代用として「ナイナイ」という単語を使っている。余談だけど中国語で「ナイナイ」といえばおっぱいの事だと聞いた事があるのだが、本当だろうか。
ちょっと恥ずかしいが、支援センターや児童館など人前でも自作おかたづけのうたを歌ってた。
ママが「ナイナイあそびのうた」を歌い出したら片付けして帰る合図。
子供が歩ける様になりなり、自分でオモチャを持ち運ぶ事が出来る様になると、片付けの最中に子供が急にやる気を無くしたり別の事に気を取られたりするということが起こる様になった。なので手拍子と掛け声で子供の意識をお片付けに引き戻す必要があった。
ナイナイ!(パンパンパン
ナイナイ!(パンパンパン
ナイナイ!(パンパンパン
( ゚∀゚)o彡°
( ゚∀゚)o彡°
( ゚∀゚)o彡°
「片付けなさい!」と叱ると泣いて愚図るだけだが、こうしてエールを送ると不思議と頑張る子供達。
そうそう、初期から「片付けましょうね~」と声かけはしていたのだが、子供達は「片付けをする」という言葉の意味を中々覚えなかった。上の子は年中さんになってやっと、「これ片付けてね~」だけでも動く様になった。
・指示は具体的に
繰り返すが子供は「片付けて」と言われてもその意味することがわからない。
「片付ける」という単語の意味を覚えて貰う為に、まず子供に聞き取り易く発音しやすい「ナイナイ(無い無い)」を用い「ナイナイしようね~」と声をかけ、「お片付けしようね~」に移行していったが、それを言っただけでは子供はどうしたらいいのか分からないので、
「○ちゃん(子)がおててに持ってるこの積み木を、この箱にポンしてね」
などと指示する。
(「入れてね」じゃ分からないみたいだったので「ポン!」と投げ入れるのを実演してみせ「ポンする」を覚えさせた)
・一人で片付けさせない
一歳位の子供に自主性は期待出来ないと私は思う。なので子供と一緒に私も片付けをした。
子供が途中で嫌がったら、
「大丈夫!ぜったいできるよ!」
と言いつつ(子供にというより私自身への言い聞かせである)、手に積み木を握らせて、手を繋いで積み木箱まで子供と行き、子供手を取り積み木を箱に入れさせた。
ナイナイ( ゚∀゚)o彡°
ナイナイ( ゚∀゚)o彡°
ナイナイ( ゚∀゚)o彡°
と励ましながら見守っていた。
すると、しばしば面倒見の良い保育士さんやよその子の保護者さんが「あっいいですよ~わたしがやります~」と片付けてくれようとする事があるのだけれど、すかさず
「ありがとうございます。でも子供にやらせて下さい」
とお願いした。相手に怪訝な表情をされたら「うちの子、今、何でも自分でやりたいお年頃なんです~☆ミ」と言うと、皆気持ちよく納得してくれる。
・やりとげたらめっちゃ誉めまくった。
「すごーい!」
「全部出来たね!」
「パーフェクトだよ!」
などなど。
しかし
「さすが女の子だね~」
「お姉ちゃんだもんね~」
とは言わない。片付けは女がするものだと思われない様にしたいから。
あと「お姉ちゃんだもんね~」と言われると上の子は嫌な顔をする。下の子の姉という立場を負担に思うらしい。
でも、
「さすが○ちゃん!もう○歳のお姉さんだもんね!」
というと、逆に誇らしげな顔をして喜ぶ。「大人のお姉さんみたいだね!」も有効な誉め言葉だった。
「ありがとう、本当に助かったよ!」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170323-00000005-jct-soci
この記事を読んで、(全くの他人事だけども)久しぶりに真剣に腹が立った。
「ポジティブに読むのであれば、子供が泣くのは仕方がないけれど、それを親がフォローしないのは如何なものか、公共の場は皆が気持ちよく過ごせるように全員で協力しましょうね」ていう趣旨なんだろうけど、それでも「うるせー」としか思わないし、本当に腹立たしい。
100歩譲って、公共の場だから少数の人間の特殊事情が大多数の人間の迷惑になる場合は、少数の問題を抱えている方が我慢するというルールを受け入れるとしよう。
それで、そのジャッジをするのは誰なの?
「声の大きな人」「会話をしてる人たち」「酒臭い人」「化粧臭い人」「顔が好みじゃない人」「太っている人」「汗をかいている人」「体臭のある人」「口臭のある人」「見た感じ何か嫌な人」「泣いてる赤ちゃん」みんなデッキから追い出すの?板東英二さんはどれにも該当しないの?最終的に新幹線の席に座ってられる人っているの?新幹線のトイレ足りる?
要約すれば、ただの「いじめ」じゃないの?
あと、親なんだから子供が泣いていたらあやせばいいんだ、というのが本題なんだろうけども。
それこそ本当に腹立たしい話しだと思う。
あやすってなんだよ。
赤ん坊が腹を空かせればご飯をあげる、オムツが汚れたら交換する、怖がっていたら気を紛らわせる。
やってるに決まってるじゃん、赤ん坊が泣いてる親は全員なんもしてないと思ってるの?それ本気かよ???
そんなに育児放棄している親がゴロゴロいたら、もう子供なんて全員死んでるし、児童相談所も孤児院も満杯でパンパンだろうよ。
そうじゃなくて赤ちゃんは泣くんだし、板東英二さんだって僕だって誰だって、みんな赤ちゃんのときは泣いて何かを知らせて、泣くしか出来ないってことでしょ??
こんな発言をを公共の放送でシラフで出来る、その発言を聞いた人が誰も全力で反論しない、1つの意見として成り立ってしまう社会こそがどうかしていると思う。
子供が泣いて親がオロオロする必要なんて全くない、そのまま当たり前に座っていて欲しい、周りの人が協力しろとかでもなく、腹がたっても少しだけ寛容で許しあればいいのに、心からそう思う
いまだに腹が立ったまま書いてるから支離滅裂かもしれないけど、書かずにはいられなかった。
ていうか僕は何にそれほど怒っているのだろうか……。