はてなキーワード: トンネルとは
以下、妄想。本当はこれから述べることくらいはやってほしかった。
A:ひそかに1億円ほど資金を貯めておいて、大学当局との交渉でマスコミ含みで現金を見せる。その場で、独立国家を宣言し、難民を受け入れると表明。国連に掛け合う。
B:退寮させられて終わるが、ひそかに京都御所へと通じる地下トンネルを完成させて、取り壊されたその日に「京都の中心の空き地にて、ここを吉田寮とする!」と宣言。
C:来年の五山送り火に合わせて、キャンプファイヤーに処す。焼け落ちた後に、記念碑が現われる演出があるとさらに良い。
D:現行の建物を覆う、新しい吉田寮外壁を自分たちで建築してしまう。
スペックの欄に書いた通りうつ病を患っている。そのため仕事ができない。
原子力関係のシンクタンクで働いていたところ、ある日ストレスの多さから突然自殺未遂をし、以降休職している。
しかし先日、精神障害があるのでこれ以上雇えませんという宣告を勤務先から受けた。
ハローワークに行って障害者枠で仕事を探そうとしたが、「主治医から『仕事ができる』と言われないと仕事探しは出来ない」と門前払いされた。
大学の非常勤講師にでもなるかと思ってJrec-INを見てみても、能力的な面や専攻的な面、そもそも業績を上げていない(零細学会で一回発表しただけ)より、自分が出来そうな講師職はなかった。
理系の研究職ならまだあるだろうが、文系で「若者の『地元意識』を数理統計的アプローチから明らかにする」という謎研究を修士課程でしていた身としては、研究を生かせる職があるとは思えない。
SPSS(重回帰分析・二項ロジスティック解析)とかEXCEL太閤、KH CODERなら何とか使えるが、それらが使えても何の足しにもならない。
プログラミングや数学(高校時代文系クラスだったため数ⅢCは受けていない)、英語が出来ないため、プログラマーとして働くこともできない。
実家に帰って仕事を探すにしても、実家は熊本の山奥である。一件だけ工場のライン工があったが、体力がないので長続きはしないだろう。土木作業員や警備員も同様の理由から候補から外れる。
普通免許も持っていないため、できる仕事も限られてくる。外回りの営業職はまず無理だろう。
そもそもコミュニケーション能力が皆無だと医者から言われたため、高度なコミュニケーションや感情労働を要する仕事(コンビニやファミレス、居酒屋の店員、営業職)も向かないだろう。
結果できる仕事もほとんどないことになる。フリーターすら無理である。バイトすらできないなら詰みである。
しかし家賃(6万7000円)を払うのもやっとで、生活できるとは思えない。
親に金を無心するにしても、実家もお金がほとんどないとのことなので、お金を無心することは出来ない。
社会保障の緊縮化が叫ばれる中、生活保護を受給するのも難しいだろう。
貯金も尽きそうになる中、お金がないのは致命的である。東京の自宅を引き払って実家に戻るにした場合、恐らく二度と東京には戻れず、実家に軟禁され続けることだろう。
その場合仕事もないし一生ニートになるしかないが、その場合貧乏な実家にさらに迷惑をかけてしまうことになる。
宝くじ一等当たれば話は別だが、そうでないなら人生詰みである。
コミュニケーション能力がないためコンビニバイトすら務まらないということは先述したが、コミュニケーション能力の欠如は友達がいないという形でも顕在化する。
友達がいなければ自身が抱える孤独とかを吐き出せる相手もいないということになる。また、友達がいないことは社会から孤立していることを表している。
社会から孤立している人が人的資源を使って今の窮状から脱することは出来ない。詰みである。
大学時代、オタクコンテンツの消費者のインサイトを探るための参与観察の一環として漫画研究会に所属していた。そこで友人関係を築いておけばよかったと後悔することしきりである。
うつ病をり患しているという事情も勘案せねばならないが、それを差し引いても日々の生活の楽しみがまるでない。
戦隊モノや仮面ライダー、ウルトラマン、一部の深夜アニメ(日常系)が好きだったのだが、最近そういうのを見ても面白さとかを感じることはなくなった。ゲームも同様である。
成城石井に行くために秋葉原に行くことが結構あるのだが、そこでアニメや漫画、ラノベ、ゲームを楽しんでいる人を見ると嫉妬で頭がおかしくなりそうになる。
そのほかに楽しみがあればいいのだが、それもない。大学学部生の頃までは鉄道模型とかトンネル巡りとかしていたのだが、お金がないせいでそういった趣味にももはや手を出せない。
楽しみがなく生ける屍になっている。楽しみがなければ生きる希望もない。生きる希望がないことは人生詰みである。
自殺すれば楽になるとは思っている。他人に迷惑をかけ続けている以上、けじめとして自殺しなければならない思っている。しかし自殺すらできない状況である。
先日も神奈川県のダムで自殺未遂をして警察に保護され、父親が迎えに来たが、熊本から神奈川まで往復数万円かかった。そういった経済的支出が出来るほどの余裕は実家にはない。
今度自殺未遂したら一生実家に軟禁するぞと両親から言われた。実家に軟禁されれば仕事することも、金を稼ぐことも、鉄道模型やトンネル巡りもできなくなる。
実家の通信回線は貧弱なので、アニメや特撮をインターネットで見ることもできない。
つまり、今度自殺未遂をしたら仕事もお金も友達も楽しみもすべて親により永遠に奪われることになる。それだけは何としても避けたい。
今年末にスピリタスを一気飲みして自殺しようかと考えていたが、それもかなわぬ夢となりそうだ。
家族や周辺の人々に不幸をまき散らしている自分がいてよい道理などない。詰んでいる人生から離脱することすらできない。これを地獄と言わずに何と言おうか。
実家に戻ったら二度と東京には戻れないし、働けるような職もない。つまり一生ニートでいることが確定である。何としてもそれは避けたい。
だからと言って東京にい続けるにしてもランニングコストがかかりすぎて、お金を費消することになる。お金が無くなれば生活できなくなり詰みである。
次自殺するような真似をすれば実家に一生軟禁確定である。だからと言って無駄に生をむさぼっていても詰んだ状況から脱出する術は一向に見いだせない。
結局自分の人生は詰んでしまったのだ。自殺できないので、来世に期待すらできない。
クソみたいな人生なので皆さん嗤ってください。
看護師で、複数人に対して処女喪失の相手となった側の男性です。大変お疲れ様でした、、。
女性にとって破瓜は1回きりのことですが、男性は0回から複数回経験する可能性があります。
なぜか当時の彼女は処女の方が多かったので、現在の医学的知識と合わせて少し書いてみようと思います。
経験した当時は医学的知識などまったくなかった頃なので、この記事は過去の経験と現在の知識を統合して考えた内容ということになります。
私は処女喪失を4名分経験していますが、1人を除いてみな初めてのときはとても痛そうで、1人はあまりに痛がるので結局途中で断念しました。
結論から言うと、「サイズを選ぶ」「先行鎮痛」「リラックス」「翌日は休めると良い」です。
ずいぶん前の話にはなりますが、当時調べたときには、「破瓜の痛みは処女膜が破れる痛みは少しで、膣壁が初めて男性器を受け入れ押し広げられる苦痛と、恐怖など心理的苦痛が大きい」ということでした。
医療職で、創傷を扱う現在では、「普段刺激がない敏感な粘膜がちぎれて、その後も摩擦されるとかめっちゃ痛いに決まってるやろ!」と思うのですが、それ以外にも膣の大きさや心理的な構えが関係しているように思います。
「僕も童貞、彼女も処女」という初めて同士のときの方は全然痛くない様子で、彼女は僕より背が高かった(>170cm)し、他の女性と比べるとナカも広い(狭く感じない)方でした。
膣の大きさは男性器のサイズのようにわかりやすくはありませんが厳然として存在し、人によって狭さ・深さともかなり違います。主観的には狭い方は浅いことが多いように思います。
私の男性器のサイズは変わらないので、このサイズで余裕がある方、狭めで窮屈に感じるという方、大きすぎて痛いという方(非処女)など様々です。
ご自身のサイズを見極めるのは難しいですが、指を入れてみる、タンポン使用時の感覚、ご自身の身長などから類推して使用するもののサイズを調整してもいいかもしれません。
物理的には「荒廃したトンネル」との表現にあるように、経験のない部位を異物で押し広げられる圧力と違和感は避けられません。
これに対しては、上述の通り必要以上に大きなサイズを選ばないという対策がメインになります。
また、2回目は1回目より痛くなかったとのことですが、粘膜損傷の痛みと「押し広げられる痛み」は別物に思います。これは慣れです。クスコはそれほど大きくないので、2回行う必要があるかわかりませんが、、
1回目は粘膜の損傷を伴いますので普通にケガです。自らケガしようとしているので、手術後の方がリハビリ前に痛み止めをするよう、予防的鎮痛をしたほうがいいですね。
キシロカインゼリー(表面麻酔)、と言いたいところですが、キシロカインショックに至る可能性も0ではないので素人さんにはオススメできません。
ロキソニンなどを30分ほど前に服用してからことに至るのをおすすめします。
最も苦労し、ついに完遂できなかった方は、指だけでもとても痛そうで、「指から慣らし、2~3回目で挿入」という当時の僕の対処女作戦も全く通じませんでした。
この方は、心理的にセックスに対して恐怖感もあり、全身は力み、僕はそれを緩和することができませんでした。
がん医療などの現場でも、痛みは学習される、痛みは身体的なものだけでなく、心理的・社会的・霊的な要素で構成されるとされています。彼女の場合はその恐怖感が苦痛を相乗的に高めてしまったのでしょう。
筆者さんの場合は、自らディルドでもってこじ開けようとされる程の方ですので、心理的な恐怖などは少ないように感じました。
行為に対して恐怖や不安が強い方は、できるだけリラックスできる環境を整える必要があるでしょう。
ゆっくりできる場所・音楽・アロマなどリラックスできる環境を整え、気持ちを整えましょう。
また、複数の方が、姦通後も、帰り道は歩くだけでも痛い、足がガクガクする、股間の違和感、何かが挟まっていて足が閉じている感じがしない、などの訴えがあり、翌日も自転車に乗れないなど影響は残っていました。
お風呂などを済ませ、もう寝るだけの状況で。できれば翌日もゆっくりできる日取りを選ぶといいと思います。
まず、ご自身がシャワーを浴びて清潔になり、道具も流水で洗浄、消毒します。
マキロンの成分はよくわかりませんが(調べてみたけど)、手術に使用するヨードが良いように思います。
イソジンうがい液7%を原液のままディルドにぶっかけ、乾くまで待ちます(消毒は乾くときに殺菌効果を持つ)。これにコンドームを被せれば完璧です。
使用したディルドは石鹸で洗ってください。ヨードが長期間皮膚についていると良くないのでコトの後もシャワーを浴びてくださいね。
長々と書いてみましたが、、、僕はいったい何を書いているのだろうという気分になっていますが、同様の経験をされた方が複数名いるようですので今後の参考になる方もいるかもしれませんね。
事の起こりは数か月前、持病の薬を貰うため通っていたレディースクリニックにて
私「え、あ、はい」
比較的空いている朝一番の予約で、半分寝ぼけた頭のままぼんやりと、いつものように血圧を計られ、薬だけもらって帰宅する予定だったのに。
医師の言葉に、ぼんやりしたまま普通~に返事をしてしまったが、私は、処女である。
説明しよう、子宮頸がんとは、性的接触により子宮頸部に感染するHPVというウイルスにより発生するガンである。
「すみません、私経験がないので、がん検診はまた次の機会にしてもらっても良いですか…?」
と、この一文をサラッと医師に告げれば良いだけだったのに、
「ああ、はいはい、がん検診ですね?了解で~す」的な雰囲気を醸し出しつつ、私は澄ました顔をして承諾してしまった。
やっちまった。
完全にミスった。
何がやべえって、子宮頸がんの検診は、
<股にクスコをぶっ刺し穴をかっ開いて、器具入れて子宮の入り口の粘膜をこすり取ってくる>
30年間使用されず、廃墟と化した山道のトンネルに、いきなり車両が通行するようなものである。
病院からの帰り道、冷静になった頭でがん検診をシュミレートしていたら、じわじわと恐怖が襲ってきた。
(クスコとはどういうものか、イメージがわかない方は、「クスコ 婦人科」で画像検索されたし)
しかし私の頭には恐怖と同時に、一筋の光も差し込みつつあった。
<これは処女を脱することができる、チャンスなのではないか…!?>
話が前後するが、私は若い頃から卵巣嚢腫を患っていて、婦人科には定期的に通院している。
初診の婦人科では最初の問診で「性経験の有無」について必ず答えるようになっているものではあるが、問診表に素直に「性経験無し」と記載したところで、世の中のすべての人間が私に対して処女としての対応をしてくれるわけではない。
これは完全に個人の体感であり、偏見でもあるのだが、「婦人科で処女だと申告した時に、それを受け入れ当たり前のように処女として対応してもらえるのは、20代前半まで」であるように感じられる。(あくまで主観ですが)
今まで転勤などによって、5カ所の婦人科を渡り歩いてきたが、問診表で処女を申告していても、いざ診察室に入ると、もう一度経験の有無を確認されたり、酷い時には何の疑いもなく股に器具を突っ込まれそうになったことすらある。
残念ながら、
というのが、世の常識なのであろう。
実際、私の周りにも処女なんていないし、この年齢になると5割は経産婦である。
友人同士の女子トークは、自分に話すことがあんまりないからか、ちょっとわずらわしく感じられる時があったりもするが、まぁ問題ない。
じゃあどういうときに肩身の狭さを感じるのかというと、高齢処女が一番のストレスにぶち当たる場面は、やはり病院なのである。
私は卵巣嚢腫を患っている。
経験者はマンコに、処女はケツの穴にこれを挿入して診察するのだが、例えば歳若いお嬢さんであれば、「経験が無いのでお尻から」というのはあたり前に受け入れられるだろう。
しかし30女になるとどうだ。
まず世の常識として、30代は大体非処女、という大前提がある。
医療従事者も人間だ、無意識に刷り込まれている先入観には抗えない。
そんな常識をぶち破り、
「男の経験無いのでケツからお願いシャス!!!」と申告しなければいけないこの心苦しさは計り知れないものがある。
羞恥心、虚しさ、自嘲感、気まずさ。
圧倒的ストレス。
まだ1度や2度くらいなら割り切ってわりとサラッと言える。
しかしながらこれが定期検診となるとストレスの度合いがぶち上がる。
内診の度にじわじわと心が削られる。
しんどい。
一切心苦しい思いをせず、マジョリティのひとりとして診療されたい…
そういう思いもあり、今回の子宮頸がん検診を念願の<非処女>として受診するべく、私は荒廃したトンネルを開通させることを決めたのであった。
そう、自らの手によって。
ここでタイトル回収。
まず彼氏を作る努力をしろよという指摘には、30代で経験が無いことがすべてを物語っているので察してくださいとしか言えない。
始めては好きな人と…なんて可愛げのあるセリフは可愛い女が言えばいい。
誰がなんと言おうと、私の初めての相手はディルド!君に決めた!
アマゾンで1600円くらいで購入。
実家暮らしの為、万が一家族に箱を誤開封された時のことを考え、コンビニ受け取りにする念の入れよう。
まさかこの中にチンコが入っているとは思いもよらないであろう、シンプルな包装。わかっていらっしゃる。
開封。
しかしこれが世の平均サイズ…事前に平均サイズを調べておいたけど、まさにこのディルドも平均of平均といった造形であった。
こんなものが入るのだろうかとヒヨりそうになるが、女の穴は本気を出せば赤子だって通すことができる穴だ。
なんかこう上手いこと出来てるに違いない、と信じるしかない。
さぁ、いざ勝負。
衛生的には被せたほうが良いに決まっているのだが、気持ちが乗っているこの状態を一時中断して買いに行くべきか、悩む。
ゴム無いけど気持ちが盛り上がってるから生でやっちゃうとか、漫画で100万回くらい見たことあるけど、なるほどこういうことね。理解理解。
マキロン信者である私はマキロンにすべてをゆだねることによって、ゴムの購入を省略した。
乾いたバスタオルをケツの下に敷き、事後、すぐ体を拭う用に濡らしたハンドタオルをサイドテーブルにセット。
寝っ転がって股を開脚。
開戦。
「待って待って待って。無理、入らん。普通に痛い。無理。」
10秒後、敗北。
とりあえず先っちょだけ頑張ろうと思った出鼻をくじかれる。
先っちょが、まるで入らない。
入らないのに超痛い。
嘘やろ?世の女たちみんなこんな痛い思いして合体したの?
とりあえずググる。
結果、処女膜はマンコのめちゃめちゃ入り口にあるということが判明。
先にググっとけよという話だが、なるほど把握した。
たかが先っちょ、されど先っちょ。
再戦。
「ぐわあああああ痛ええええええああああああああ!!!!」
と呻きつつも、ディルドの先端を穴に当てがい、グググと押しやる。
ここで引いたら一生勝てない。
押し込む手の力を弱めず、攻め込む。
激しい攻防は20秒ほど続き、そして
「!?」
行けるところまで前進するべし、という軍師の命により、ディルド軍は奥へ歩を進めるものの、
半分くらい行ったところで、ちょっともう股間の痛さが無理すぎてギブ。
終戦。
ディルドを引っこ抜くのもまた怖いやら痛いやら。
準備しておいた濡れタオルで股をぬぐい、ベッドの上でしばらく放心。
体感時間は1時間くらいだったが、実際は途中ググってた時間を含め、10分ほどの戦い。
股間はなおもジワ~~~!!っと痛い。
もう完全に怪我。完全に怪我の痛さだわこれ。股間の怪我。明日は出歩かず安静にしておこうと決める。
それとも好きな男とのデートの途中だからこそ、心身共に盛り上がることによって軽症で済むのだろうか?
30分くらい横たわったのち、そろそろ動くか~と体を起こしたと同時に、尿意を感じトイレへ。
そしてふと股と便器をのぞき込んだら、真っ赤で仰天。5秒おきに股から血が滴り落ちている。
真顔で股の血をトイレットペーパーで拭き、パンツにナプキンをセット。
事前に世の人々の初体験をググっておいた時に出てきた情報では、「パンツに血がにじむ程度」とか書いてあった気がするが、
な~~~にがにじむ程度じゃ馬鹿野郎!垂れ流しって書いとけ!!などと心の内で悪態をつく。
血はほとんど止まっていた。
一週間後、貫通具合を確かめるため、2回戦目。
「え?待って?普通に痛い。」
一度処女膜が破られたら、その後はもうズッコンバッコン余裕なのかと思っていたら、全くそうではないらしい。
初回貫通時の痛みを100としたら、2回目は40くらいの痛みであった。
しかし痛みはあるが、出し入れ自体は初回とは比べ物にならないほど容易ではある。
この調子なら、婦人科のクスコや超音波器具も、もう大丈夫かもしれない。
どうでもいいけど、この椅子はアトラクション感あって、動き出すとちょっとワクワクする。開脚されると正気に戻る。
器具を股に当てられ、そのまま何のためらいもなく流れるように挿入される。
「やべえ、普通に痛い。」
「まだ普通に我慢できる範囲の痛さだけど、これ以上はやばい。これ以上痛くなったらやばい。これ以上は…!」
と頭の中でヒヤヒヤしていたら、一瞬で器具が抜かれ、終了。
早い。
想像以上に一瞬。
椅子に座ってから30秒も経ってないんじゃないかと思うほどの早さ。
この30秒のために大いに悩み、戦をした自分は一体何だったんだ、と思わなくもないが、
心からホッとした。
これから先は婦人科にかかる時、何の心配、心苦しさも感じることなく、内診を受けることができる。
こういうめちゃめちゃしょうもない下の悩みを抱えている人が、もしかしたら私の他にもいるかもしれない、ということで
この日記をここに残しておくことにする。
JR東海:リニア中央新幹線 静岡県の同意なく着工を検討 - 毎日新聞
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新しく掘ったトンネルから水が湧いているのなら同じ分だけ地下水が減っている。それを川に戻さずに下水道か何かで海に流せばトータルで利用可能な水資源の量は減る。こんな簡単な算数もできない連中がドヤ顔で静岡県を叩いていてイヤになる。
b:id:keisuker まー減った分はポンプで戻してもらわないとね、静岡がんばれ、と思ったら違った。「今より川の水を増やせ!」と言ってる。相変わらず静岡は意味わからん。
この核家族化が進む世の中にあって、いまだに「家を継ぐ」という概念が存在する、そんなおうちの長男に私は生まれました。
江戸時代、徳川御三家の威光を受けて参勤交代だの江戸詰めだのでそれなりの栄華を極めましたが、明治維新によってすっかり没落してしまった武家がうちの本家であり、私の実家はその分家にあたります。
一時は地域一帯を治めていたこともあり、今では誰も使っていない土地もわずかではありますが残っています。
そしてそんな一族の歴史とは別に私の家にはもうひとつ別の顔、家業があります。それが宗教です。
キリスト教の教会や仏教の寺にあたるものが実家の家業なのです。
小さな頃から両親をはじめ、周囲からも後継者、跡取りとして期待され、私も幼いながら「大きくなったら家を継ぐのだろう」となんとなく感じて育ってきました。
しかし、今この歳になり、それでいいのだろうかと感じるようになりました。
周りは就職活動を始め、自分の人生を自分の足で歩いています。社会と関わり、社会の真ん中へ飛び込んでいく。しかし私は、学業を終えれば家を継ぐための準備に入ります。
いわゆる神職ですから、それを継ぐためのさまざまな勉強や修行に身を投じるわけです。社会との関わりはほとんどありません。信じがたいことですが、俗世とかけはなれた世界というのはこの平成の世にも存在するのです。
そして今、それを「なんだか嫌だ」と思うようになったのです。私もみんなと同じように社会に出て、普通の生活がしたい、と。
しかしこの気持ちを周りに伝えることはできません。今まで「この子が跡取りだ」と育ててくれ、多大なる期待をかけて見守ってくれた人を裏切るということが、やはり自分にはできないのです。そして、今でこそ嫌だと感じていてもそれまでの自分は「跡を継ぐんだ」と思って生きてきたのです。だからこそ、継ぐことを否定することは今までの自分の人生を裏切り、否定することにもつながるのです。
普通の家に生まれていればこんな風に悩まなかったのだろうかと何度も思いました。もっと自由に自分の将来について思いを巡らすことができたのだろうか、と。
もし「継ぎたくない」と言えば父や母はどんな顔をするのか、悲しむだろうか怒るだろうか。そう考えると話を切り出すこともできません。
将来や人生に対して展望が抱くことができず、長く暗いトンネルの中を彷徨っているような毎日を過ごしています。一体これから先、どのような気持ちで人生に取り組めばいいのでしょうか...
答えは未だ出ないままです。
やれ、夜中0時にそこに入ると女の霊がいるやら、このトンネルは事故で多くの人間が亡くなったのでその死体を食べるために鬼が出るやら、カップルで入ると近い内に不幸が起きる、そんな曰くつきのトンネルが。
小学生の時、友人の田中と、橋田と俺の3人でそのトンネルで肝試しをしようとしたが、トンネルに着くまでに人に見つかり「絶対に行くな!」と強制的に連れ戻された。田舎だからそこらへんのおっちゃんおばちゃんっていうのは全員知り合いだ。
この体験が俺や田中や橋田にとって「あのトンネルは絶対になにかあるんだ」と印象づけた。その一年後、隣に作られていた新トンネルが開通し、そのトンネルは封鎖されることになった。
自分たちが大学生になった頃。久しぶりに俺と田中と橋田、そしてこっちに遊びに来ていた田中の大学の友人の井口と相川で遊んでいた時、ふとそのトンネルの話になった。
「絶対なにかあるんだべ。」
「行ってみる?」
といった感じで話してその場は終えた。大学生になった頃にはそんないわくを信じてはいなかったが、わざわざトンネルを男5人で見に行ってキャーキャー騒ぐのもよくわからないからな。
「前言ってたトンネルってどんな噂があったの?」
「案内してくれないか?田中は行こうと言っても行きたがらない。」
自分も、その頃ソーシャルゲームにハマっていたので「いや、俺はいかんよ。噂は、女の霊が出るとか、鬼が出るとか、あとカップルで入ると不幸が起きるとか。そういや、高校の時の友達の森本君が彼女連れて入ったから彼女はその後交通事故にあったよ。」(森本君の彼女が事故にあったのは事実)という話をしたのを覚えている。
橋田のところにもかかってきたようだが、橋田は県外に出ているので噂だけを伝えたそうだ。
それから、そんな事を教えたのもすっかり忘れてた30手前の時。
「君って○○町出身なんでしょ?○○トンネルの噂ってしってる?」
あのトンネルの話だった。
「えぇ知っています!女の霊が出るとか、鬼が出るとかいうやつですよね。高校の時の森本という友人が彼女と一緒に入ったら彼女がその後交通事故にあったんですよ。」
と話すと
「やっぱり何かあるんだね。うちのバカ息子がそこに肝試しに行ったら何かに見られてる気配がするっていうもんだから、お祓いしてもらってた。」
と話を続けて、何分が盛り上がった後、打ち合わせも終わり、帰路についた。
家に帰って、ふと気になって「もしかしたら有名な心霊スポットになってるのかな?」と検索をする。
すると、一発でHIT。
黒い背景の赤い文字が乱舞するページにたどり着く。○○県の心霊スポットというようなページだ。
そこにそのトンネルは
「危険度SSSS(命の保証はできません)」と書いてあるのだ。
自分は「うぉ!すげぇ!」と思いそのページをみる。
「このトンネルは、建設途中落盤事故で多くの人間が死んだらしいです。
また、女の霊が出て、カップルで入ると女の霊の嫉妬で女性に不幸が降り注ぐといわれており、
情報元の友人は彼女と入った後、交通事故にあいお亡くなりになったそうです。」
若干、自分がもってる情報とは違うがどうやらこのトンネルの事で間違いがない。てかもしかして最後って森本君の彼女の話?とか思いながら、画面をスクロールする。
そして、写真が現れた…
そして、そのサイトは多くの人から情報提供をいただくようで、多くの人間が体験談を書いて、いったという証拠に写真を載せていた…
他のサイトも周る。
そして出てくるわ出てくるわ
が。
そして、みんな口をそろえて言うのだ
「このトンネルには間違いなくなにかあります。霊感が強い友人が絶対に入りたがりませんでした。」「お祓いに行ったけど事故にあいました。」「このトンネルに入った後、家にかえったらうちの猫が怖がって寄ってきませんでした。」
新トンネルには「なにかある」と…
今年の夏もその新トンネルは心霊スポットのようで、夜になると結構人がいると田中から聞く。(なぜか田中は大笑いして報告をしてくる…なぜだろうか…)
19世紀中盤以前の歌謡や、和歌漢詩の類は多すぎるので除外して、成立年の古い順に
Arma uirumque cano
Gallia est omnis divisa in partis tres.
ガリア戦記の冒頭文。日本で言う平家物語のノリで昔の欧州のラテン語学習者は暗記してるっぽい。これも教科書に載ってた。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を表す。驕れる者は久しからず。ただ春の世の夢の如し。猛き者もつひには滅びぬ。ひとへに風の前の塵と同じ。
遠く異国を訪らへば、秦の趙高、漢の王莽、梁の朱異、唐の禄山。これらは皆、旧主先皇の政に従はず、楽を極め、諌めをも思ひ入れず、天下の乱れん事を悟らずにして、民間の愁える事を知らざつしかば、久しからずして、亡じにし者どもなり
リアル中二だったので、冒頭のちょっと先まで、わざわざ図書館で書籍を探して覚えた
In principio creavit Deus cælum et terram.
in principio erat Verbum
これらも教科書に載ってた
Freude, shcoenell goetterfunken, Tochter aus Elysium.wir betretn Feuertrunken himmlishce dein heinligtum.
Deine Zauber binden wider was die Mode streng geteil.Alle Menshcen werden Brueder,wo dein sanfter Fluegel weilt.
一応読んでるけど、覚えたのはアニメかも
ラノベだとこれくらいかな。「東中出身、涼宮ハルヒ。だたの人間には興味ありません。この中に宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら、あたしの所に来なさい。以上」は冒頭ではないしなー
こうやって見るとやっぱり教科書は強いな