はてなキーワード: チキンとは
Twitterに親の財布からお金をとって30万課金した話が流れてきた。
十分な小遣いがいくらかわからないけど、きっと子どもは幸せだろうなと思った。
お年玉も少なくてかなり苦労してた。特段裕福でもないけど、貧乏でもない家庭だったのに。
「親の財布からとればいーじゃん笑」
私はそこまで落ちちゃいないし、そもそも親が厳しかったからそんなことできないし。
そのツイートのお子さんと変わらない歳で。
ここからはフィクションだと思って読んでほしい。虚実のない混ぜでお送りします。(元ネタ分かる人いるかな)
インターネットってさ、お金を持ったおじさんがたくさんいるんだよね。
知ってるかもしれないけれど、かわいい自撮りをおじさんに送ると、お金がもらえるんだ。
肌色が多いとたくさん。
でもやめた。めんどくさくなったから。
バイトができる年齢になっても、小遣いは上がらず毎月1000円。
しかも進学先はバイト禁止だった。(部活でバイトする暇なんてなかったけど)
みんなタピオカ飲んでる中、私は100円のハンバーガーを買うか、チキン○リスプにするか悩んでた。
辛かった。だから再開した。
今度はより稼げる方法で。
ネットで画像送るより、会ったほうがたくさんお金もらえるんだよね。
時給1万とかになるともう嬉しくてさ。
10万稼いだ。同じ一ヶ月で。
やめたよ。惨めだったから。
こんな思い、しなくて済んだのにな。
親に何度も小遣い上げてって言ったけどさ、
だってさ。
結局今も理解されてないけどね。
もし、これ読んでる人の中に『親』の人がいたら教えてほしい。
どっちがマシなのか。
私にはわからない。
書いてて思ったけど、結局一番羨ましかったのは、親の財布からお金をとったことだろうな。
いいな、傷の浅い方法で。
いいな、親に怯えてなくて。
いいな、プライドがなくて。
幸せだろうな。
私も親の財布から取れたらな、増田でこんなこと書いてなかっただろうな。
今も怒りと憎しみと後悔と懺悔で、感情に押しつぶされそうになりながら書いてるよ。
数日前に流行った某Twitter漫画に触発され、私の意見も吐き出してみようと思う。
私はとある大手ジャンル(といっても、最近の流行を代表するほどの人気ぶりではない)でBL漫画を描いてはTwitterに上げてを繰り返している腐女子だ。フォロワー数は4桁を最近越えたくらい。決して神ではないのだが、普通絵師と自称してもまぁ許される程度だと自負している。
そんな私は、承認欲求をこじらせて「こんな雑魚な私が神絵師様とお話してはいけない」などという考えを無意識ながら持っていたことを、今回のTwitterバズ漫画を読んで自覚した。
元から陰キャで対面コミュニケーションが苦手な私。多少はネット弁慶で画面越しなら強気に話せても、対面とならばすぐ声がうわずる筋金入りのコミュ障である。オフ会などがあれば、緊張して前日は寝つけないほどである。
だから、私はおけけパワー中島なる存在が苦手だ。…いや、苦手ではない。嫌いだ。もちろん、私の沼っているジャンルにも、おけけパワー中島によく似た存在のフォロワーが居る。(以降、彼女をそのままおけパ島と呼ぶ。)
私の沼のおけパ島は、成人してから腐ジャンルに転入した陽キャでリッチな美人で、オフ会で出会った時は眩しすぎて目が潰れるかと思った。ブランド物のバックに大量の同人誌を入れ、マツエクの施された美しい瞳でBLを読み、ネイルサロンで整えられた綺麗な手で私が描いたスケブを手に持ち、華が綻ぶような笑顔を私に向ける。こんなん惚れてまうやろ。実際、彼女が私に微笑んでくれるたびに、私はキョドりながら早口でしどろもどろに返事をするのだった。
そんな彼女。もちろん私以外のフォロワーとも仲が良く、しばしばTLにフォロワーとの焼肉写真がアップされる。沼に新規加入してきた神絵師ともすんなり仲良くなり、いつの間にか彼女と神絵師がタメ語で話す間柄に。そんなことが頻繁に起こっている。
私の心境を上手くは表せないが、「なんでフォロワー少ないくせに神と仲良くしてるんだ」という、承認欲求こじらせなクズ思考と、「おけパ島が私以外のフォロワーと仲良くしてるなんて悲しい」というヤキモチにも似たメンヘラ思考が半分ずつ混じっているのだろう。私の沼のおけパ島は誰からも愛される素敵な女性だ。だからこそ嫌い。だからこそ疎ましいのだ。
私も軽率に神絵師にリプしたい。Skypeに誘いたいし、絵チャとやらにも参加したい。それができないのは、この生まれ持ったチキンメンヘラネガティブ思考が邪魔するからだろう。新しいフォロワーが増える度に、そのフォロワーのホームへ行ってフォロワー数を確認するという動作も、人を数で判断しているみたいで気が引ける。しかし、そうでもしないと自分がとるべき態度すらつかめないのがもどかしい。
絵や漫画だったら画面に描かれたものから異図を汲み取って、小説ならその比喩に込められたものを感じ取って、それを伝わりましたって言葉にして表現するんだからすげーー難しい
褒め言葉って無限じゃないからずっと追いかけてる書き手だとどんどん使える言い回しがなくなってくのが手に取るようにわかるし万が一致命的な解釈違いがあるかもしれない
「萌えました!」「サイコー!」だけでも嬉しいとはよく書かれるけどさ、全員それ本心からの本音?
毎回その一言ならふぁぼと変わらないし長文で読み込んだんだなって感想の方がやっぱり喜ばれるじゃん? 送るからには喜んで欲しいのに送ってちょっとでもガッカリされたくないじゃん?
何より感想を送るってのはプレッシャーと想定されるデメリットとの戦いでもある
もし下手な感想で気を害したら?
もし地雷を踏んでブロックされて二度と創作が見られなくなったら?
擦り寄りでも媚びでも交流お義理でもないんだから絶対贈らない方がデメリットがないのにそれでも送るメリットなんかあるのか?
作者を応援したいならメリットデメリットで考えるなって言われるかもしれないが、ここで全く損得考えないのは無理
だって自分は一ファンでしかないからその人の創作を継続的に見るのが第一の望みに決まってるじゃないか
そういうハードルの高さを超えた上で送るから一度送ればヘロヘロだし正直言えば感情の負荷で吐きそうになる
暫くは送った相手のSNSにビビって近付けなくなるし何気ないツイートにすらビクビクする
こんなチキンは自分だけだろと言われるかもわからんが感想の成否は判断基準が自分にないだけに難しいし緊張するのは何回感想書いても変わらないと思う
こんなビクビクしてプレッシャーと緊張感じてるのを自分が感想送る相手には伝わって欲しくないけど感想なんて簡単だろって言ってるやつには伝えたいし感想貰ったいろんな人にはこれを超えてでも伝えたかったんだって伝えたい
感想超難しいし超考えてるし超伝えたいが爆発してるってこと
両親と絶縁した.正確に言えば両親との全ての連絡を絶った.
1. 社宅に入ることになり住所が変わった.新しい住所は教えていない
2. 社会人になったのでとりあえず1人で生活できるようになった.
小さい頃からとにかく両親との折り合いが悪かった.
母親は口を開けば,私の悪口,父親の愚痴,いかに自分が悲劇のヒロインかを語るか,どれかだった.
毎日容姿をけなされた.自分の娘の容姿を悪く言い続ける親って普通なのだろうか.
足が太いだのケツがデカいだの,デブでブスでかわいそうだかなんだか....
私は別に太ってはいないし,太っていた時期もなかったと思う.ずっと日本人の平均より少し細いか平均くらいで成長していた.
思い出せば全てのパーツに文句を言われていた気がする.お前の遺伝子だよ.
よくよく考えてみれば小さい頃から恥骨に肉がのっているのが下品ってけなしてくるのって普通じゃないし,
一緒に風呂に入るくらいの小さい頃は風呂でしょっちゅう恥部を触られていたのもおかしい.
彼氏には「俺の母親が妹にそんなこと言ってるの見たことないよ」とドン引きされた.
私が今GUの黒いスキニーパンツしか履けなくなっていること,母親のせいにしたい.
理由は,田舎特有の「成績がいいから」とか,「なんかノリが悪い」「ブス」「暗い」とか,そんなもんだと思う.
学校で居場所がないのに,家に帰ってきても居場所がないのは辛かった.
「お前がいじめられているから部活のママさんの間で私の肩身が狭い」とか.
少しは寄り添って欲しかった.
そんな感じで母親にはいつも自分がいかにつらいか,私が醜く劣っているかばかり聞かされ続けていた.
小学校も中学校も成績はずっと学校のトップだったけど,褒められた記憶は1度もない.
母親の中では,成績トップで当たり前なんだったと思う.世間体大好きな母親だったし.
父親は私が小学校に入学した頃からずっと単身赴任だった.ずっと不倫していた.
もの心つく前から母親と父親は仲が悪かった.なんでかは知らん.
単身赴任している10年間,ずっと不倫していた.子供に関心はほとんどなかったと思う.
私は小さい頃から両親に,
「地元で1番の高校に入って,旧帝大に入って,いいところに就職しなさい」
しかし,私が高校生になれば,母親は「そんなに勉強が嫌なら職業高校に行って就職しろ」,
確かに高校生の頃家ではあまり勉強していなかった.学校で済ませてきていた.
かといって別に成績が悪かった訳でもない.なんなら割と良かった方だと思う.
この頃は親の言うことがコロコロ変わることにクソほどムカついていた記憶がある.
「自分は進学したかったけど,家にお金がないから職業高校に進んだ」と言われたことがある.
自分が進学できなかった当てつけを私にされても困る.
大学受験の時期はほんとうに親と衝突した.嫌すぎて逆に覚えていない.
母親に怒鳴られ,殴られるのが毎日のようにあったのだけ覚えている.
おかけで卒業式は真っ赤に腫れたまぶたで出席した.最悪だった.
「お前にいくら金かかってると思ってるんだ」
「どれだけ金使ってもらってると思っている」
何度も言われた.
こんなこと,弟が言われているのは一度も見たことがない.
学校の偏差値が高いと言うことは,通う学生の親は金持ちばかりということである.
私だって一度は「お金のことは気にしなくていいから好きな道に進みなさい」とか言われてみたかった.
「お前にいくらかかってると思っている.大学は国公立しか認めないからな」
弟は「早稲田でも慶応でも,好きなところにしなさい」とか言われてたのに.
大学はお金がかかるところだとは重々承知している.出してもらって当たり前じゃないのも理解している.
が,それを子供に「こんなに金がかかってるんだ,感謝しろ」なんて押し付けるのは違うと思う.
もしかしてどの家庭もこんなこと言われてるんですか?これが普通ですか?そうだったらすみません.
実はウチ,奨学金が借りれない.2種も借りれない.なぜかというと,父親の年収が奨学金の制限を超えるからである.
でも家にお金はない.母親の口癖だった.「うちは貧乏」「周りとは違ってお金がないの」
それがなぜか私は知っている.父親が家にお金を入れず,すべて不倫相手に使っていたからである.
自分の家族養って,その上で不倫相手にクソほど金使ってアパート代と光熱費出してやってたの,
マジですげーと思う.めっちゃ稼いでんな.だったらそのお金家庭に入れてくれ....
父親は終始「学費を出して”やっている”」「生活費を入れて”やっている”」と言った感じだった.
確かにお金を出してくれるのはありがたいけど,そんな態度でいられても...
母親にマジにそう言ったら「産んだ時は大学に進学すると思わなかったんだもん」と言われた.
絶句した.
どうしてなんほんと.だって自分で産みたくて産んだ子供なんでしょ.
ノープランで子供産んだんか?一銭もかからずに勝手に育つと思ったんか?
なんで自分で欲しくて産んだ子供に向かってバカにするようなこと言えるの.
なんで自分で欲しくて産んだ子供に向かってお金がこんなにかかってるんだとか恩着せがましく言えるの.
親に向かって言ったことがある.
「自分で産んだんだろ」「育てんの嫌ならそもそも産むなよ」「産んでって頼んでない」「産まれてこなければ良かった」
心からそう思って言ったので,言い過ぎちゃったな,なんか思ってない.
たぶんこれを読んだ人からしたら「こんな程度で絶縁?」なんか思われると思う.
自分でも「親が嫌になった具体的なデカいできごとがあるか」って言われても出てこない.
だからちょっと不安になって,自分で確かめるために文字に起こしたくてこれを書いたんだけど,
ほんとにこの程度で絶縁?って思われる感じになっちゃった.
でも私はもう親と関わりたくない.
私の神経すり減らしにかかってくる人たちとはもう関わりたくない.
自分のこの選択が間違っていると思いたくない.私が正しいと思いたい.
幸い,友人の中に「でも親なんだから大切にしないと」と言う人はいなかった.
本当にありがたい.
祖母は「どうしてもっと早く言ってくれなかったの」と泣いていた.
本当に申し訳ない.こんな孫でごめん.
父親も母親も,周りに「娘が旧帝大に合格したんだ」「娘がいい企業に入ったんだ」って
言いふらしてたし言いふらしてるらしいけど,その娘に絶縁される気持ちはどんなんでしょうかね.
私がこんなに嫌な思いをあなたたちのせいでしてきたんだから,少しは味わってほしい.
自分が卑屈になったのを,自己肯定感が低い人間になってしまったのを,私は親のせいにしたい.
今まで様々な人たちに「どうしてそんなに自信がないの」「お前の自分に自信なさすぎるところ,本当に嫌い」と言われた.
親のせいにしないと腹立たしい.お前らがこんなこと言わなかったら.こんなことしなかったら.
もっと私に寄り添ってくれる人だったら.
本垢では絶対言えないし、リア垢でも吐き出しにくいのでここに書き出す。
わたしは不幸に生きる事をやめようと思う。その区切りとして、そもそもどうしてメンヘラになったかを吐き出したい。
わたしは教師に無視されるタイプの子供であった。と言っても、いじめとかそういうものではない。小さい頃はまあまあ社交性もあり、頭もさほど悪くはない。放っておいても勝手に何とかする子だった。
だが、わたしは生来の構ってちゃんだった。これは現在進行形だし、変えるのは難しそうなので諦める。しかし一方で、変なところで引っ込み思案でもある。授業で先生が教室を巡回する時に聞こうと思っていたらわたしに見向きもせずに通り過ぎていく。そのたびに、自分に関心はないのだと思い知らされた。
いつからだろうか、「変わった子」「変なの」と言われる事に安心感を覚えるようになったのは。普通である限り、構ってもらえない。変わっている、という時はわたしを見てくれる。そんなふうに思っていたような気がする。それからわたしは、変わった子を目指すようになった。普通である事、平凡である事に恐怖を覚えていた。
変な子を目指す分には、さほど問題はなかった。だが、恐らく悲恋系の小説にハマり始めた頃がターニングポイントだったかもしれない。
わたしは不幸であること、鬱のような考え方をする事に特別感を見出し始めた。
最ッッッッッ低である。いや普通にクズだわ。とまあ、このままわたしのクズさについて語ってもメンヘラに逆戻りするだけなのでここらで切り上げる。
痛いのは嫌いだし死ぬ勇気もないので、リスカも自殺未遂もした事はない。ただ死にたいと泣いたり首を絞めてみたり、どうやって死んだら苦しくないかと考えたりする程度である。単純にクッソめんどくせえ奴である。つまり生活上さほどの影響はない。元々チキンなので学校もちゃんと行くし、試験も粗方合格ラインはキープしていた。ただただ自分でメンタルを削っているので生きにくいのである。
細い橋の上に敵が群がっているが、走り抜けの際にドラゴンが追いすがってきて路上を焼き肉パーティーにしてくれる素敵な場所。
ラスボスはPS5版のプレビューに出てきた規格外にでかい騎士。塔の騎士というらしい。
彼は遠距離攻撃で魔法エンチャ剣をぶっ放してくるほか、盾によるバッシュ攻撃をかましてくる。
その範囲が異様に広くて離れていても削られまくる。
ただ、一旦城壁に登ってしまうとそれほどでもなく、一匹づつ弓兵を始末してゆけば城塞そのものは丸裸になる。
本題はここから。地面に降りて戦うこと三度。近づくこともままならず一撃死を繰り返す。
コツは相手が振りかぶりモーションを掛けた瞬間にソウルの矢か弓矢を放ってすぐさまローリング。
お昼、松屋のごろごろチキン親子丼を食べに行ったら売り切れでした!
なにー!やっちまったな!男は黙ってごろごろチキン親子丼豚汁変更!男は黙ってごろごろチキン親子丼豚汁変更!とクールポコりたい気分です。
いつも親子丼食べているのを店員さん覚えててくれてたみたいで「親子丼今日は売り切れですみません」と。
たまになぜか謎に品切れになっていて、謎が今日解けました。
店員さん曰く、食材はあるんですが焼きが必要なのでシェフがいないときは、ごろごろチキン親子丼作れないんだそうです、確かに松屋もシフト大変そうだなって思いました。
おかげで代わりに今日は牛丼でした。そして謎解き謎が解けたのは牛丼の前でした。ちなみに『謎解きはディナーのあとで』にかけてます。
その作品はそろそろn周年を迎える。(nには任意の数字を入れてほしい。)
そして私は、そのお祝いの作品を作っている。
けれど、私はそれがまったく楽しくない。
その理由も分かっている。そのことを書きたいと思う。
信じて、この作品が好きだ!と発信し続けてきた。
それは世の中に出たばかりで、たまたま手に取った私は今までに出会ったことのない世界観、表現の美しさ、その他全てに心を奪われてしまった。
今思い返しても、人生で五本の指に入る素晴らしい偶然の出会いだと思う。
私はクラスメイトや友人にその作品を布教しにかかったが、作品のターゲット層と私の年代が合っていないこともあり、あまり捗らなかった。
それからしばらくした頃、世の中でインターネットで好きな物を発信する手段が出てきて、
学生から社会人になり、様々な自由を手に入れていた私は当然、インターネットの場でこの大好きな作品を広めよう、もっと色々な人に知ってもらおうと活動しはじめた。
しかし、その時にはもう遅すぎた。
作品はヒットすることなく数年が過ぎ去っていて、インターネットにあったのは一握りの熱心なファンの集まりと、「あの作品面白かったよね」と思い出話として語る人々だけだった。
天変地異でも起きない限り、あの作品が多くの人の目に留まることはなくなってしまっていた。
もちろん、多数の人の目に留まることが全て善というわけではないし、私はファンの集まりで出会った皆さんにも思い出でも語ってくれた人たちにも大いに感謝している。
ただ、私自身が、「自分の好きな作品が沢山の人の目に留まってほしい」と強く思っていただけだ。(言ってしまえば、メジャーになってほしかったということだ)
私は何度も、作品が出た頃に何もできない学生だった自分を恨んだ。あの時に何か出来ていたら、と。でも恨んだところでどうしようもない。
それは同じようにインターネットに流れていた、『ファンの声で公式を動かした』という先人たちの実績の数々だった。
最近Twitterに流れてきていたものだと、サクラ大戦のような、あれ。
私はそれを信じて、声を上げ始めた。
といってもそこまで大それたことをしたわけでもなく、推し作品を布教する話になったら本気でプレゼン画像を作ったり、良さを語るブログを書いたり、
あるいは公式に定期的に作品展開の希望を送ったり、n周年の時にお祝いの二次創作をしたり、幸運にも作者さんと直接お会い出来たときにファンレターで思いを伝えたり。そんな感じ。
(今思い返せば、署名活動の1つでもやればよかったと思う。それをしなかったのは私の怠慢だし、何より「もし集まらなかったらどうしよう」という、自分の好きな作品を好きな人の人数が可視化されることへの恐怖にビビったチキンさ故だ。情けない)
たくさんの良き出会いもあったし、嬉しいことに私の発信から作品を手に取ってもらえたこともあった。
そのことには感謝してもしきれないし、ファンとして声を上げていて本当に良かったと思う。
ただ、私には天変地異を起こす力は、なかった。
なかった。
数年前出た小さな設定集を最後に、私の好きな作品は止まっている。
きっとこれはよくあるありふれた話なのだろう。悲しい思いをして諦めているのは私だけではないのだろう。それは分かっている。
作品のヒットだって時の運だ。どんなに作者さんが粉骨砕身しても、プロデュースが頑張っても、ヒットしないものはヒットしない。
分かっている、分かっているのだけど、「どうして私の好きな作品が」という思いは拭えない。
(私の好きな他の作品も似たような感じなので、余計に思ってしまうのだろうというのもある)
そう思っているうちに、声を上げることが辛いと思ってしまうようになってしまった。
馬鹿な、と思ったし、そんなことはない、たとえ天変地異を起こせなくても声を上げる意味はある、と言い聞かせた。好きな作品について話せる人に出会えるんだし。いいじゃん。
そう、これは一人のファンが作品から離れることを、おおげさに書いた文章だ。
気持ちが離れたことを「公式を動かせないことに疲れた」と言い訳している、身勝手で自信過剰で自分の力量を見誤ったファンのたわ言だ。
たわ言だ。
絶対に言いたくなかった、たわ言だ。
言いたくなかったけど、吐き出さないとおかしくなりそうだったから、ここに書き殴っている。
その作品はそろそろn周年を迎える。(nには任意の数字を入れてほしい。)
n周年が過ぎた時、私にとってその作品は、
「あの作品面白かったよね」という思い出になってしまうのだろう。
もし、これを目にした人で、私と同じように公式に届け!と動いている人がいたならば。
私はあなたが天変地異を起こせることを、強く、強く、願っている。
そして、それと同じくらい、あなたがあなたの好きな作品を好きでいることに疲れてほしくないと、強く、強く、強く、願う。
おわり
安いバーガーならマック、ロッテリアで確率していて(最近は安いバーガーに行くなら喫茶店になってきているが・・・)
ふとした瞬間に和風チキンカツサンドが食べたくてケンタッキーにわざわざ出向いていく。
おいしいとは思うけど食べにくい。
わりとすぐにスター200もらった。だいぶ慰められた。
スター200はその後も何回かもらった。とても慰められた。
次は増田を書くようになった。
その後、同じようなことはなかった。
細々と反応がある程度。
基本、反応はない。あっても罵倒だ。
先日初めて、罵倒でない反応がきた。
「わかる。それなー。じゃあ、こういうのはどう?」みたいな。
これがなぜか、やたらめったら嬉しくて、でもすぐ返信したらキモい気もして、
どうしようかと思ってる(のが、余計キモいとは自覚している)。
「わかる。それなー」なら、ブコメへのスターもそういう意味でのものが多いだろうし、
承認欲求ならすでにある程度満たされてるはずだと思うのだが、
なんであれがそんなに嬉しかったのか。
自分はずっと、リアルでもネットでも、人間関係を築くのが苦手で、
そう思って怖くなってる。
婚活を始めた。その手のサイトに登録し、ガイダンスを受け、美容院に行き、スーツを新調した。
APEX LEGENDSというFPSゲームがある。3人1チームとなって縮小していくマップに追われながら20チームの中から最後の1チームになるまで戦い抜くバトルロワイヤル形式のゲームだ。
メールを確認し、送信し、あるいは受けたメールに返信する。内容は当たり障りなく、それでいて相手に興味があるような素振りのものだ。大体はうまくいかないが、俺みたいなやつでも意外と向こうから連絡されることもある。
バトルロワイヤルに参加する20チームの中で勝者になれるのは1チームのみ。勝ち抜くのは腕前と判断力、そして運が大切だ。生存が主目的なのだから戦闘はほどほどに、無理そうならさっさと逃げるのが
一番だ。
相手と喫茶店で会う約束を取り付ける。最初からディナーに誘うのは踏み込みすぎなので昼間に軽くお茶するだけだ。会って1時間程度会話をする。身の回りの話をして人となりを伝え、相手の様子を観察する。特に問題はなさそうだ。相手の離席中に会計を済ませにこやかに別れる。早々に連絡先も交換できた。次は夕食か。
俺が使うキャラクターはオクタン。アドレナリン中毒のイカれたYoutuberみたいなやつだ。興奮剤を自分に打ち込んで加速し、ジャンプパッドを設置して無謀な大ジャンプをやってのける。オクタンの立ち位置は割と弱キャラで、他に似た役割をもっとうまくこなせるキャラがいるし頭の喰らい判定が大きくてヘッドショットをもらいやすく事故も多い。しかし加速して駆け抜けていく快感はなかなかの物だ。
二度目は駅チカのチキンの店。少々ガヤガヤしてるが店は小綺麗で悪くはない。そこそこ打ち解けて次回の約束を取り付けた。三度目は少し上等なレストラン。面白いハプニングもありかなり距離が縮まったと思う。四度目は何度か足を運んでいる専門店で、なんだかいつもより味が落ちてる気がした。
マップは縮小しきり残っているのは俺のチームと相手のチームだけ。つまり逃げ場なしのガチンコ勝負だ。立ち位置は高度のある相手が有利だが次のマップの縮小ではあいつらが追い込まれる…俺達は下からも果敢に銃撃をかまし相手をマップの中央に寄せ付けまいとする…撃たれた敵はドームシールドを展開、これは内外の攻撃を寄せ付けない鉄壁のバリアだ。効果時間いっぱいまで俺たちは攻めあぐねて相手は回復する時間を得る…いや俺は何だ?俺はオクタンだ。オクタンは強くはないがイカれる事に関しては一級品だ。こういう時に一番"楽しい"戦い方があるじゃないか!俺は敵側に駆け込みアルティメット・アビリティを使用する。つまりはこう、ジャンプパッド放出!ハッハー!!天高く飛び上がった俺はそのままドームシールドの中に突入する。ドームシールドの中は何だ?アサルトライフル・ライトマシンガン・サブマシンガンで武装した敵チーム3人だ!しかし集中砲火を受けるのが間違いないドームの中に単独で、しかも真上から突っ込んでくるバカがいるとは思ってない連中はまだ呑気に回復アイテムを使用していた。俺は銃は構えずとっておいたグレネード…足場を燃やすテルミットと着弾点に張り付くアーク・スターをドームの中に投げ込んで自分がテルミットの炎に巻き込まれるのも気にせず脱出する。慌てた敵チームは三人揃って俺を狙う。興奮剤だ!!背中をバシバシと撃たれながらも爆速で駆け抜ける俺は体力ミリで逃げ切る。その間に炸裂したグレネードで相手は一人ダウン、残り二人も少なくないダメージを受けて瓦解したところに俺のチームの残り二人がトドメを刺す。優勝、チャンピオンだ!!!オクタンを通じて俺にもアドレナリンが身体を駆け巡るのを感じる。これだ。これに比べたらまともな成人男性のまともな人生なんて屁みたいなもんだ。