はてなキーワード: カワイイとは
HUNTER×HUNTER休載以降、ジャンプから離れていたけれど今は鬼滅を楽しみに毎週買ってる。
キャラはみんな魅力的で好きなんだけど、戦う女の子大好きマンとしては、やはり柱の2人は推すよね。特に天真爛漫、ピンク髪の甘露寺ちゃん。他の隊士が極めて露出の少ない格好(不死川除く)なのに対して、彼女は胸元ドーン!太ももばーん!の衣装である。谷間を強調とかいうレベルじゃない。乳首が見えないのが奇跡なレベルの衣装である。
いや、なんかもう、がっかりである。甘露寺蜜璃は、ちょっとおバカで都合の良いお色気要員でしかないのだ。作者だけでなく、あの世界の全員からそういう扱いを受けている。
たしか隊服は、並の鬼の爪程度なら防げる特殊な生地で仕立ててあるはずだ。なるべく丈夫な素材で作るのは、隊士の体を守るためだから当然だ。それなのに、彼女の隊服は急所である胸と足の大部分が露出している。仮に彼女がその格好を望んだとしても、そんな衣服で戦わせていいわけないだろう。お館さまは何やってるんだ?
しかも彼女の隊服は、ゲスな隊員に騙されて仕立てられたのだ。「女子はみんなこれだから」「えっ…本当ですか?」⇨他の女子隊士は着ていませんでした…の流れ。いやあのさ…。本人が「可愛いからアレンジしました!」のが、同じ都合の良さでもだいぶマシだよ……。お色気要員鉄則その1、露出は本人の意志に反していなければならない。自分から「私の体、美しいでしょ!だから見せる!」じゃダメなんだ。恥ずかしがりながら、でも大した抵抗もなく、怒らずに肌を見せねばならない。
周りの隊士はというと、伊黒が「靴下をあげた」だそうだ。優しい。優しいが、あれだけ正義感の強い煉獄さんも、大人な悲鳴嶋さんも、お館さまでさえ、「こんな隊服を着せるなんて何を考えている?危ないじゃないか。彼女は立派な隊士だし、柱だ。馬鹿にするのもいい加減にしろ」と彼女の心と身体を案じて制服の作り直しを命じなかった。彼女が仲間ではなく、そういうエロい人形だからだ。
一方、女子でもうひとりの柱のしのぶは、露出の多い隊服を燃やしたらしい。彼女は露出もほとんどなく、医療をたしなむ昔ながらの回復系女子。蜜璃がバラエティタレントたとしたら、しのぶは清純派女優。過剰な露出は望まれない。
ちょっとおバカで露出過多な女の子と、俺たちの理想の清純派女優(ちょっと毒舌なところもカワイイ!)。結局のところ、柱のふたりはそういう役割だ。戦隊モノのピンクにすぎない。
何度も言うけど鬼滅は本当に面白くて、続きを楽しみにしている。でも進撃の巨人がそうだったように、女子のキャラクターに防御無視した露出の多い服を着せなきゃ、キャラクターって描けないのか?
蜜璃の露出は極めて少年漫画的なラッキースケベの趣があると思う。きちんと最初は恥ずかしがりながら、その後はあっけらかんとエロい衣装で日々を過ごして「露出を強要されて可哀想な女の子」にはならない。ビッチも嫌だし、いつまでも気にして泣いたりガチで怒ったりする女も嫌。罪悪感を与えない、男性に向けて作られた人格。
剣盾ネタバレ有
自分は初代からスピンオフ作品、アニメや漫画まで広く手を出す信者だった。
特にポケダン空は今でも遊ぶしED迎える度にわんわん泣くくらいには好きだ。
この作品に対してはじめて不信感を覚えた作品は剣盾の前に発売されたUSUM。
「ここは君の知ってるアローラではない」のキャッチコピーを謳うこの作品、SMをプレイした人たちにとっては9割は知っているアローラだった。
従来のマイチェンとは違い主人公があたかも別人かのようにデザインが変更され掲げられたキャッチコピーの内容からファンが連想したのは間違いなくBW2という作品だと思う。自分もそうだった。
めっちゃ信じていた。
余談だがBW2みたいに○年後が舞台と勘違いした絵描きが未来の姿のキャプテンを描いていたのが印象的だった。
で、
SMで相当不評だったのかリーリエに関するイベントが一部削られていたが、開発者はどうしてもリーリエをピックアップしたくて堪らなかったらしい。
USUMの伝説ポケモンであるソルガレオ・ルナアーラは不自然なほどにムービー中リーリエしか頭にないしリーリエしか見ない。
誇張抜きにこのポケモン、主人公がまるでその場に存在していないかのように振舞っているのだ。
主人公がネクロズマと融合した伝説ポケモンを救った後に流れるムービーでも目と鼻の先にいるはずの主人公とは一切目を合わせず、言わば救世主ともいえるその主人公そっちのけでその場にはいないリーリエに思いを馳せるという徹底っぷり。
そのイベントの後伝説ポケモンに乗って帰れる選択肢があるのだがもちろん選ばなかった。誰が乗るか。
むしろ嫌いなポケモンは自分の中に存在しないので永久にワースト1位。
文句は言ってるけどこの主人公のみを認識できないアホ伝説ポケモンをのぞけば作品としてはよくできていたし、なによりぬるぬる動くアニメが最高だったので自分の中の評価として割と高い方だ。マオちゃんはカワイイ。マオちゃんはいいぞ。
そして、問題の剣盾。
信者の自分は迷うことなくアートブック付きのダブルパックを購入し、文句言ってた連中が手のひらクルクルする様を見るのが楽しみにしていた。
が、結果自分は完全なアンチと成り果てていて、こうして書き込みをしている。
何があっても「ゲーフリそういうとこだぞ~」って茶化す程度にしてやろうと思っていたのに。
カセキメラとかいう断面図丸見えのグロポケモン出してきたり、レイドでわざと負けるよう仕向けてるとしか思えないNPCが出てきたり、マジカル交換で永遠にマッチしなかったり、過負荷が原因なのかはわからないがワイルドエリアでエラー落ちしまくったり、滑るように回転するまるで機械のような伝説ポケモンだったり、物語の超終盤でいきなり悪役になる委員長だったり、そういうの全て笑って許せた。
ウルトラビーストが存在せず、そういった驚異に晒されているわけでもないガラルで何故か量産されているヌル。
グラジオという救世主が存在しないこの地でヌルは意味もなく生産され続けるのだろうか。
もしヌルが単に財団で作られただけの背景しかなかったらここまで拒絶反応はでなかったと思う。
1人と1匹の絆を見てきた人間として、これだけは許せないよゲーフリ。
一般職員が適当に手渡してきたり、タワーで当たり前のように使われていたり、そういうヌルの姿を見たくなかった。
世界観やクオリティ重視の為にリストラしたんじゃなかったのか。
SNSでの「少しでも不満を口にするとすっとんでくるポケモン警察」の連中にもウンザリ。
もう無理だ。
ただの愚痴だ、聞いてくれ。
私は腐女子で、文字書きだ。文字書きといっても大したものは書けないのは自分が1番わかっている。
ただそんな私でも支部にあげた小説がたまたま少しばかりウケた時があった 。それはジャンルが盛り上がっている時でタイミングがよかっただけだけれど、ランキングに乗ったりなんかしてTwitterで同じジャンルの人をフォローすると「○○書いた人ですよね」と言ってフォロバしてもらえたりするようになった。嬉しかった。
すると、ある時フォローしていた1人の絵師さんにフォロバされた。その方は頭身低めの可愛く、ほのぼのテイストなイラストを描かれる方でとてもファンが多い方だった。
対して、私はほのぼのからは遠い、年齢制限のあるような話をよく書く。マニアックなネタも多い。そんな私の作品なんて読むのだろうか…と思いつつ挨拶すると「○○読みました、好きです。仲良くしてください」と返ってきた。嬉しかった。
絵師さんの絵を見られるだけで満足だったけれど、好きと言われ、仲良くしてくださいといわれ欲が出てしまった。仲良くしたいと思った。社交辞令だというのに。
ある時、ジャンルのイベントがあった。その絵師さんは相互のフォロワーだけ本の取り置きをするとTwitterでいっていたので私は取り置きを頼み、当日イベントに参加した。
イベントでは私も本を出していた。自分のサークルで本を頒布し、少し手が空いた頃に私は差し入れと手紙を持って絵師さんのスペースに向かった。すると開口一番、絵師さんは差し入れは全て配ってしまったと目を逸らし気まずそうにいった。別に差し入れを貰いに来た訳では無いのだ。気にしないでくださいといえば、後で本買いに行きますねと彼女は言った。なんとなく、もやもやした。
彼女がよくRTしたり好きと発言する作品はやはり彼女の描くようなカワイイ系やほのぼの系だ。
きっと彼女は興味が無いと思いつつスペースで来るかなあと思っていたけれどやっぱり彼女は来なかった。
私が帰った後に彼女は「買いたかった本買い逃した〜 やっぱり一人参加はダメだ〜」と呟いていたけれど、きっとその中に私の本は入ってないんだろう。
それから暫く、なぜだか今まで反応がほとんどなかった私の何気ない呟きにいいねが彼女から何回か飛んできた。買いに行く、といって行かなかったからその後ろめたさからだろうかそれは分からないけれど。
それからちょっと経って、彼女が呟いていた言葉にリプライを送ってみた。「私を〜に例えるなら何ですか?」みたいなよくある構ってタグだ。他の人にはありがとうございます〜!なんて返信があったけれど私にリプライはなかった。
今更何しているんだ、という感じではあるが、返信来るかなあと期待してしまったのだ。彼女と似た雰囲気の可愛い絵や文を作る方には返信してわちゃわちゃと楽しそうにしているのを羨ましいなぁとTLで眺める。
見てるだけで満足だったのに、フォロバしてもらえて、好きですと言われて、仲良くしてくださいと言われたから。期待してしまったのだ。
そうしてこれとは別にもうひとつ。馬鹿で滑稽な私の話を聞いてくれ。
彼女もイベントで取り置きをします、と呟いていたので私は取り置きを頼んだ。
彼女は私のことをフォローしていなかったが、当日スペースで取り置きを頼んでいた〜と差し入れを渡しながら名乗ると、あぁ○さん!といわれた。彼女は私のことを知ってくれていたのだ。
そうして彼女は「私も○さんの本欲しいです〜 」といった。 名前を知ってもらっていた上に欲しいと言われて嬉しかった。
しかしその時私の本は完売してしまっていた。もう完売して…というと彼女は「余部、ないですか?」と聞いてきた。
確かに自分の分と何か不備のあった時のための交換用に2冊は残している。今思えば馬鹿な話だな、好きな絵師さんに欲しいと言われて舞い上がっていた私は、いいですよと言ってしまった。おそらく彼女は私がいいですよと言うとは思わなかったのだろう。
じゃあ後でスペースに取りに行きますね、と言われて私はスペースに戻った。頒布するものはもうないわけだから彼女だけをただ座って待った。
1時間以上待ったけれど彼女は来なかった。TwitterのDMに○時に撤収したいと送ったけれど既読はつかなかった。あともう少し待とう、そう思った時彼女はやってきた。隣のスペースに。
隣のスペースの作家さんのご本を購入した彼女は私のスペースを通り過ぎてどこかへいった。
彼女たちのイラストは好きだからいいねもするし、本も出たら買う。けれど、もう取り置きは頼まないし、声もかけない、期待もしない。
ただの愚痴だ、聞いてくれ。
私は腐女子で、文字書きだ。文字書きといっても大したものは書けないのは自分が1番わかっている。
ただそんな私でも支部にあげた小説がたまたま少しばかりウケた時があった 。それはジャンルが盛り上がっている時でタイミングがよかっただけだけれど、ランキングに乗ったりなんかしてTwitterで同じジャンルの人をフォローすると「○○書いた人ですよね」と言ってフォロバしてもらえたりするようになった。嬉しかった。
すると、ある時フォローしていた1人の絵師さんにフォロバされた。その方は頭身低めの可愛く、ほのぼのテイストなイラストを描かれる方でとてもファンが多い方だった。
対して、私はほのぼのからは遠い、年齢制限のあるような話をよく書く。マニアックなネタも多い。そんな私の作品なんて読むのだろうか…と思いつつ挨拶すると「○○読みました、好きです。仲良くしてください」と返ってきた。嬉しかった。
絵師さんの絵を見られるだけで満足だったけれど、好きと言われ、仲良くしてくださいといわれ欲が出てしまった。仲良くしたいと思った。社交辞令だというのに。
ある時、ジャンルのイベントがあった。その絵師さんは相互のフォロワーだけ本の取り置きをするとTwitterでいっていたので私は取り置きを頼み、当日イベントに参加した。
イベントでは私も本を出していた。自分のサークルで本を頒布し、少し手が空いた頃に私は差し入れと手紙を持って絵師さんのスペースに向かった。すると開口一番、絵師さんは差し入れは全て配ってしまったと目を逸らし気まずそうにいった。別に差し入れを貰いに来た訳では無いのだ。気にしないでくださいといえば、後で本買いに行きますねと彼女は言った。なんとなく、もやもやした。
彼女がよくRTしたり好きと発言する作品はやはり彼女の描くようなカワイイ系やほのぼの系だ。
きっと彼女は興味が無いと思いつつスペースで来るかなあと思っていたけれどやっぱり彼女は来なかった。
私が帰った後に彼女は「買いたかった本買い逃した〜 やっぱり一人参加はダメだ〜」と呟いていたけれど、きっとその中に私の本は入ってないんだろう。
それから暫く、なぜだか今まで反応がほとんどなかった私の何気ない呟きにいいねが彼女から何回か飛んできた。買いに行く、といって行かなかったからその後ろめたさからだろうかそれは分からないけれど。
それからちょっと経って、彼女が呟いていた言葉にリプライを送ってみた。「私を〜に例えるなら何ですか?」みたいなよくある構ってタグだ。他の人にはありがとうございます〜!なんて返信があったけれど私にリプライはなかった。
今更何しているんだ、という感じではあるが、返信来るかなあと期待してしまったのだ。彼女と似た雰囲気の可愛い絵や文を作る方には返信してわちゃわちゃと楽しそうにしているのを羨ましいなぁとTLで眺める。
見てるだけで満足だったのに、フォロバしてもらえて、好きですと言われて、仲良くしてくださいと言われたから。期待してしまったのだ。
そうしてこれとは別にもうひとつ。馬鹿で滑稽な私の話を聞いてくれ。
彼女もイベントで取り置きをします、と呟いていたので私は取り置きを頼んだ。
彼女は私のことをフォローしていなかったが、当日スペースで取り置きを頼んでいた〜と差し入れを渡しながら名乗ると、あぁ○さん!といわれた。彼女は私のことを知ってくれていたのだ。
そうして彼女は「私も○さんの本欲しいです〜 」といった。 名前を知ってもらっていた上に欲しいと言われて嬉しかった。
しかしその時私の本は完売してしまっていた。もう完売して…というと彼女は「余部、ないですか?」と聞いてきた。
確かに自分の分と何か不備のあった時のための交換用に2冊は残している。今思えば馬鹿な話だな、好きな絵師さんに欲しいと言われて舞い上がっていた私は、いいですよと言ってしまった。おそらく彼女は私がいいですよと言うとは思わなかったのだろう。
じゃあ後でスペースに取りに行きますね、と言われて私はスペースに戻った。頒布するものはもうないわけだから彼女だけをただ座って待った。
1時間以上待ったけれど彼女は来なかった。TwitterのDMに○時に撤収したいと送ったけれど既読はつかなかった。あともう少し待とう、そう思った時彼女はやってきた。隣のスペースに。
隣のスペースの作家さんのご本を購入した彼女は私のスペースを通り過ぎてどこかへいった。
彼女たちのイラストは好きだからいいねもするし、本も出たら買う。けれど、もう取り置きは頼まないし、声もかけない、期待もしない。
(書きなぐりでごめんなさい)
全く情報なしに観に行ってきた。
涙腺がかなり緩い方なので、観賞中、何回か泣いちゃうんだろうな……とか予想していたが、
結局、全く泣けなかった。
すぐ物語に入り込み、即座に泣くタイプの私が、ここまで感情移入できないのは珍しい。
口直しと言ったら失礼だけど、「大人が観ても楽しい子供映画」を観たい気分になった。
良い作品を進めてもらえると嬉しい。
◎結論
傑作ではない。良い映画とも言い難い。
「子供向けだと思って大人が泣かされる」と評された映画はいくつもあるけど、
そうした作品と同レベルを期待していくと、とてつもなく落胆すると思う。
【以下、ネタばれ有り】
◎見どころ
良かったのは、冒頭のすみっコぐらしのキャラ紹介の場面。
トンカツ(すみっコぐらしのキャラの一人)の端っこは、肉が少なくていつも残されちゃう。
二人とも、いつか食べてくれる人に出会えるといいな、と思っている。
このあたりで、「すみっコぐらしってそういうコンセプトのキャラ達なんだ。面白い!」と感心した。
でも、ここがこの映画の最高到達地点だった。
◎キャラ
オオカミ(コミカルでカワイイ)、キツネ(カワイイ)、鬼(ほぼどーもくん)のキャラは
とても可愛らしく、好きになった。
似たような見た目、似たような性格で、劇中もほとんど個性が描かれず、魅力を感じなかった。
元がゆるキャラ(?)なのが不幸の元だったのかもしれない。
のんびり、まったりがコンセプトの彼らに、強い意志を持たせたり、自らの考えを語らせたりするような表現を
させたくなかったのかもしれない。
例えば、自分探しをしているというペンギンが、仲間を探しているひよこにシンパシーを感じるシーンがある。
だが、自分探しも、ひよこへの協力も、訪れる別れも、すべてが空々しく見えた。
なぜなら、ひよこをどうしても助けたいという意思、そう決意する経緯、
ひよこのことを心配する素振りも、一切何も描かれてこなかったからだ。
ラスト間際の別れのシーンで、急に別れのつらさを表現されても、口先だけというか、
制作側が場面を盛り上げるために用意されたセリフとしか、私には見えなかった。
トンカツ&エビフライとか、トカゲ&ニセつむりとか、設定は好きだし、
ネコの爪とぎとかモーションは可愛らしいんだけどね。
キャラ紹介の導入は良かったものの、平板な展開がだらだらと続く。
終盤まで退屈という声がしばしば聞かれるが、全く同感。
「どこを楽しめば良いの?」という思いながら観てた(後述)
終盤には、とってつけたようなピンチにおちいる。
そして、100人中100人誰でも思いつくような、ありきたりな展開で皆はピンチから脱出する。
◎驚いたところ
観ている方は「さあどうなる?」と期待するのだけど、何も起きない。
時間が来ると、勝手に別の物語の世界にキャラたちは飛ばされるだけ。
まるで遊園地のアトラクションを赤の他人が体験しているところを見せられているようだった。
だから、「これ、どこをどう楽しめばよいの?」という感想しか出てこない。
※2つのシーンは良かった。
1つ目は、赤ずきんちゃんの世界で、トンカツ&エビフライがオオカミに食べられそうに
なって喜ぶギャグシーン。
2つ目は、人魚姫の世界で、ニセつむり(カタツムリに化けたナメクジ。塩水は苦手)が
海水に落ちそうなところを、トカゲ(実は恐竜の生き残り。正体を隠している二人は仲良し)が
体を張って助けたシーン。
制作者が物語の見どころを作る必要性があると認識していることが確認できた点で
映画を観ようという気力が湧いた。
猫が来た初日、友人はウキウキで写真をツイッターに投稿しまくっていた。フォロワーも猫の話を聞きたがり、友人は嬉しそうに猫のことを話していた。私も「一回くらい会いにいきたいな~」と思っていた。
友人と会った時に、猫の様子を聞いてみた。
どうやらその猫は体が弱く、よく食べたものを吐いたり、円形脱毛したり、血尿を出したりして、頻繁に獣医のお世話になっているらしい。
猫はかわいいが、正直大変だと言っていた。
友人が本当に猫をかわいいと思っているのか少し不安に思ったが、客観的な情報を見る限りでは、通院しているし、世話もきちんと行っているし、問題はない。
ただ、浮かれて「うちの子カワイイ!」できるようなメンタルではない、というだけだ。
私もそのうち猫を飼いたいと思っていたのだが、友人の話を聞いているうちに自分には無理だと思った。
一人暮らしだから、猫の体調が悪い時に日中様子を見る人がいない。猫が大きな病気をしたら、治療費をちゃんと払い続けられるか分からない。猫の病気は、任意保険に入っていなければ数十万かかることもある。保険に入っていても、条件を満たしていなければ保険金は出ない。
一回二回の病気ならなんとかするけど、三回四回と続いていくと、さすがに困る。困った末にどうしたらいいのか、全然想像がつかない。借金をするべきなのだろうか。
多分、そこまで考えてペットを購入する人は少ないだろう。「猫を飼って後悔したこと」みたいな話題でも、大体のろけエピソードがバズるし、拡散される。だから、安易な考えでペットを飼う人が出てくる、みたいな面もあると思う。
タイトル通りなんだけど。
中出しのために、一生懸命に精子の製造を促してる制服18歳ってのに優越感感じていた。
いや~。凄いね。
大してカワイイわけでもないんだけどさ、AKBの下の方な感じ。
まあ、ブスではないけど、普通かなあ、パンチ足りないかなあって感じ。
休みなんかも、1か月に1,2回なんだけど。
それくらい追い詰められて何も成し遂げてこなかったオッサンなんだけど。
キャバクラだの、ゴム付風俗だの、勉強だのに小銭使っても意味ないわ。
子孫残した感じなのかなあ。
はたまた、僕の憂鬱は、「若い子に中だし出来ない生物としての劣等」から来てただけなのか。
学術的な悩みとか人間的な悩みかと思ったら、そうか、プログラムされた狂いそうな苦しさだったのか。
案外、難しく考えても体が答えだすような、こんなもんかもなあって思った人生。
てやんでぃベイビーみたいに大人の意識を持ったまま赤ちゃんになってカワイイ赤ちゃんがおっさんみたいな行動をとるギャップの笑いも狙えるし
氾濫しまくりの育児漫画みたいに珍奇な行動を取る赤ちゃんそのままでも笑える
同様の主張をどこにも見ないのでここに書き出す!!!
ある程度いろんな人が見る場所に出すにあたって、何が過度に性的なのでアウトで、何がそうじゃないのからセーフなのかという話だ!!!
簡単に言うと「どれだけ建前をちゃんと持っているのか」あるいは「あからさまではないか」というところが基準だ!!!
今話題の秋葉原の広告はエロゲの広告であることがあからさまなのでアウトだ!! 煽り文言だって完全に性的なところを隠していないではないか!!! 女の子があの格好で並んでいることに対して何らかの非エロ的建前があるのか!!! なかろう!!!
一方、献血のポスターはアウトではない!! なので、あの絵があからさまに胸を強調しているので性的なのだと言う人とはここでわかり合えない!!
つまり、あれが乳袋なのであからさまだという人とはわかり合えない!!
俺の中の乳袋のあからさまのラインは「下乳の丸みでのみで描かれる輪郭がはっきりと出ていること」だ!! あのポスターの3巻の表紙イラストは、はっきりとした輪郭線ではなく影の具合でとどめているのであからさまでなく、アウトではないという判断だ!!!
そういう意味では2巻の方の表紙はあからさまに乳の形を曲線の輪郭でかたどっているので、俺の基準ではアウトだ!!!
総合的な話もする!! 月曜日のたわわはタイトル込みだとアウトだ!! 単体のイラストだけならアウトだと思うことはそんなにない!! あれはタイトルがくっつくなら駄目だ!!! たわわってあからさますぎるだろ!!!
an・anのセックス特集の表紙はどうか! これはちゃんと見たことがないのではっきりとは分からないのだが、建前として「より性生活の品質を上げたい」というのがあるとするのなら、そこはセーフへの加点だ!! 建前は大事だ!! ただ、セックスとあからさまに書いてあるのなら、そこをどう読むかだな!! 中身については知らん!! 建前をちゃんと整えているのならそこを評価する!
基本的にエロゲはコンテンツがエロなのであからさま度が高い!! ただ、エロゲにも色々ある!!! 建前としていわゆる純愛系というか!! らぶらぶいちゃいちゃしてるやつで、それで露出の少ない制服姿とかであればそこはセーフ加点だ!! 逆に痴漢だとか陵辱だとかそういうの!! そういう奴はアウトだ!!!!!
アズールレーンの広告の話をする!!! なんかホノルルの浴衣の乳が目立っていた奴だ!! あれは建前上浴衣だからそこはセーフで、乳袋については乳の丸さに沿ったくっきりとした輪郭ではなく、まだ浴衣の布地の皺だとか影があるから俺の中ではあからさま度が高くないという判断になって許されている!! アウトの境界に近いというのは認める!! もしあれが浴衣ではなくゴム表面のようにぴったり身体の表面にくっついた素材だったら俺でも乳袋判定されていたであろう!!!
次!! バニラカーについて!!! あれはバニラカーとあの広告ソングだけ見るのであればアウトではない!!! 単に高収入の求人が欲しいという建前があるからだ!!! 俺の中ではその間接化・切り離しが妥協のポイントとなっている。抜き系のエロゲの広告はそれそのものがエロであり何の建前もないので駄目だ!!!
なので!! もし、エロゲがエロゲという売り出し方ではなく、例えば「映画監督をするゲーム(ポルノムービーも撮ることができますけど……)」だったらセーフに寄っていく!!! 建前だ!!! 純愛だとか切ないだとかなんでもいいけど、そういう感じの建前が重要なのだ!!!!
大体こんな感じだ!!! 俺の中においては「目的が単なるエロではないという建前」と「エロをあからさまストレートに表現しないだけの距離感」で判断している!!
そういう意味で言うと、芸術系は解釈が難しいですね。当時の視点としてあからさまにエロ目的であればみんなが見られない場所に置くべきですし「これは美しさを描いた物なのだ」みたいな建前の立て付けがしっかり構築されているのならセーフです。
芸術で思い出したけど、俺が覚えている感じだと、ろくでなし子の作品についてはあれは本人が「そもそも女体そのものはエロではない」という主張でやっているので、それを受け入れるのならセーフになります。ついでに女体で思い出したけど、つまり医学的なものだという前提があるので、人体の図鑑・解剖図だとか保健体育の教科書はアウトではないという判断になります。
逆に!!! イメージビデオ!!! 俺が認識している限りはあれはダメダメ!!!! そこになんかの建前があるのなら良いけど!! ただ「大事なところは見えてない」というだけでパンツがバーン! だったり、肌色を増やしているのだとすると、それはあからさま度が上がっていくからダメ!!!
そういう肌色だとかパンツを増やすのではなく、単にコスプレみたいなものであれば……そのコスプレの建前によるけど……少なくともアウトではない!! そういう判断!!!
そういえば宇崎ちゃんの話に戻る!! 増田だと適当に書けるから楽だな!!! 漫画の方の話だ!!
キャッチコピーが「ウザい! カワイイ! でもウザい! ウザカワ系後輩とのドタバタラブコメディ!」であるのなら、建前としてはそれになる!! セーフ!!
「ウザいけれどカワイイ巨乳後輩宇崎ちゃんとのドタバタラブコメ」になると曇る!! 装飾成分表としては「ウザい、カワイイ、巨乳、後輩、ドタバタラブコメ」になって、このコピーだとどうしても巨乳があるのでそこはあからさま減点がどうしてもある!! 老若男女が安心して眺める場所に出す場合このコピーはダメだ!!! 巨乳の文字は書くな!! これが献血のポスターに書かれていたらアウトと言われても仕方ない!!!
繰り返しになるが、巨乳という文字で売り出すのはアウト! 特に言及しないのならセーフ!! 3巻の表紙は俺基準では乳袋ではないのでセーフ! 2巻の表紙は乳袋というか輪郭があからさま乳形状なのでアウト!
……という感じで、結局はお気持ちの延長だとは思いますが、俺の中ではこういう言語化に至りました。それを作る側、見せる側がちゃんと建前を持つこと、あるいはあからさまなものとして置かないこと、このあたりです。
何度か増田で書いたけど(anond:20191018235243、anond:20191102145214)、一部フェミニストの「萌え絵」の定義がどこかおかしい。
躍起になって萌え絵を叩く言説を読んでいて「……ん?」という気分になることがある。違和感。
上の増田で書いたことの繰り返しになるけれど、「性的に強調した表現がある・エロティックなアニメ・マンガ絵」を「萌え絵」と定義しているように見える。
でも、性的に強調したエロティックさのない表現がなくても萌え絵ではありうるし、エロいアニメ絵でも「いやこれは萌え絵じゃないです」ってなる場合もあるよね。
だから萌え系と絵柄の似た少女漫画とかを「これも萌え絵じゃん」って出されると「はぁ??? エロスの要素がないでしょ??? オタクのくせに表象の区別もつかないの???」などと謎ギレをおっ始める。
逆に萌え系の絵柄とは似ても似つかないエロいアニメ絵を出してきて「萌え絵っていうのはこういうやつ!」などと言い張る。
いや、そもそもそれはお前らの「萌え絵」定義がおかしすぎるだけなのでは……? フェミニストの人の「萌え絵」に関する議論が意味不明なのは、そもそも連中の「萌え絵」定義がおかしいからだという気がしてきた。
上でいくつか例を挙げたけど、『らき☆すた』の泉こなたや柊かがみ、英語教科書のエレン先生、この辺り典型的な萌え絵でしょって思うんだけど、別にセクシャルな要素は強調されてない。
もっと言うと、仮にエロゲのキャラであっても、エロシーンでなければ特に性的な強調がなされていない場合もある。『月姫』での遠野秋葉の立ち絵を赤十字が使ってもたぶん燃えなかっただろう。単に普通の女の子の絵にしか見えないもん。宇崎花の爆乳イラストで炎上した『宇崎ちゃんは遊びたい!』の中身がくっそ健全なラブコメなのとある意味正反対。
萌え絵の源流(のひとつ)にエロゲがあるというのはまあそれはそうなのだろうけれど、それはあくまで様式としての源流であって、実際にその絵がエロティックかどうか、あるいは絵師がエロゲーマーだったかどうか、というのは話が別だよね。
ではなぜフェミニストの人らは「萌え絵」に関する狂った定義を支持するようになっていったのか。
これは憶測でしかないんだけど、碧志摩メグ、のうりん、駅乃みちかや境界線上のホライゾンといった萌え絵が「エロすぎる」として燃えた結果、「萌え絵=性的な強調表現があるもの、エロティックなもの」という認識が育まれてしまったのでは。
単に性的な強調表現に乏しい無難な萌え絵は燃えなかったというだけで、萌え絵が全てエロということには当然ながらならないんだけど、どうもそこで妙な混同が起きてるんじゃないか……?
というか、子供向けの絵本とかの表紙が「萌え絵」って言われたときになんか変な空気になってたのもそれか!? 俺らオタクは「なんということだ絵本にも萌え絵が使われるようになったのかいい時代になったもんだ」って騒いでたのに出版社の人が「これ萌え絵のつもりじゃないんで……」ってすごい言い訳してたけど、まさか「これはエロくない」って意味だったのか!? そりゃ話通じないわけだ! 萌え絵は「カワイイ」と「エロい」の両端の間に広がっているんだよ! 可愛いに寄せてあってもエロに寄せてあっても萌え絵は萌え絵だよ!
まあ言葉の意味というのは時代とともに移り変わっていくものではあるのだけれど、流石にこのコミュニケーション不全の責任は「萌え絵」に妙ちきりんなニュアンスを付加して騒いでる一部フェミニストの皆さんが取ってくださいとしか言えない。俺たちアラサーオタクは原義通りの「萌え絵」を使い続けるだけなんで。それは萌え絵じゃないとか言われても困ります。いやそれは萌え絵です。あんたらの定義がおかしすぎるだけです。
あれは正直微妙なラインで、カラー絵を見ると「萌え絵やんけ」って思いそうになるけど、中身を見ると「うーん、これは少女漫画系統のタッチだろうな」と思うから、俺は萌え絵とは呼ばない。
でも、あれを萌え絵と呼んであそこまで強烈にdisられるのはマジで意味がわからない。
萌え絵呼ばわりに対する反論が、これはどう見ても少女漫画のタッチです、画風が違います、なら理解できるのよ。でも実際は、これはエロくないから萌え絵じゃない! エロの記号がない! とかの意味不明な反論だらけなわけ。これおかしいでしょ。エロは萌え絵に不可欠の要素ではないのにまるで不可欠であるかのように論じられている。
ファーwwwwwwwwwwwwwwwwwww
あんな萌え萌えド直球の絵柄ですら萌え絵じゃない判定する人がいるのか。そりゃ話が通じないわけだ。
「これ萌え絵だよね」って、オタク側としては単に「これ泉こなたとか伊原摩耶花とかエレン先生と同じカテゴリの絵だよね」って意味なんだけど、それを「これエロコンテンツだよね」と言われたように受け取ってる人がいるのか。
ひょっとして「萌え絵は公共空間に出すな」とか無茶苦茶なイチャモンつけてくるのもそういうことか!? オタク側としては「それって『Fate/Zero』のセイバーの絵を出すのもダメってこと? 『氷菓』のポスターもアウトってこと? 艦これの三越コラボとかもNGになっちゃうよね。なんて不当な要求なんだ!」って思っちゃうんだけど、向こうとしては単に「エロい絵を公共空間に出すな」って意味だったの???
なんかもう、理解が及ばないってレベルじゃないな。共通言語を探求してくれ~~~~~~。
いやおかしいかもしれんけどだから何?って話でしかなくない? 別に「オタクの土俵」に乗って「オタク世界の現象」について議論してる訳ではないので。こういうの考えるの別にいいけど論じるのは時間の無駄。
おかしな定義が原因でコミュニケーション不全が生じてるよねって話してるんですが理解できないんですかね……
いや別に一部のフェミニストが萌え絵に関するおかしな定義を信奉してるのはいいですよ。でもそのおかしな定義を元に「これは萌え絵じゃない! 萌え絵呼ばわりするなんて失礼!」とか「萌え絵を公共の場に出すな!」とかの主張しはじめたら「お前らの定義おかしいよ」って言うほかなくない???
オタクの土俵に乗る必要はないってのも、表現の自由とか女性の権利とかの普遍的な問題系についてならそうかもしれないけど、萌え絵なんてオタク発祥の語彙使って論を立てる以上はオタク側の語義を尊重してもらわんと。もともとは別の意味なのを一部のフェミニストが捻じ曲げて使っているという話なので……
2016年の年末にデレステ内で「あんきら!?狂騒曲」というイベントがあった
この時に同名の楽曲が追加されたが、吐き気がするほど嫌いだった
「だった」というのは狂騒曲に対する感情が風化・変化してきたからだ
なにせ2年以上も前の話で、他のPと話していて何が嫌いだったのかうろ覚えになりつつある自分に気付いた
ただしこれは一ユーザーの意見であり「こんな人もいるのか」程度に読んでほしい
最初に違和感をおぼえたのはイベ告知時の曲名にある「あんきら」という単語だった
今まで双葉杏と諸星きらりという二人のアイドルは、公式や二次創作問わずコンビとして描かれることが多かった
その際にプロデューサーの間で使われ、親しまれた呼び方が「あんきら」だ
ただし「あんきら」という呼び方は公式では数える程度しか使われていない
その一つに双葉杏と諸星きらりのユニット「杏ちゃんときらりんのハピハピツイン☆」があるのは間違いないと思う
何度かの表記揺れを繰り返し、先に挙げた「あんきら!?狂騒曲」において「HappyHappyTwin」と名称が固定された
そう、双葉杏と諸星きらりのユニットは「HappyHappyTwin」であり「あんきら」ではない
「HappyHappyTwin」についてはゲーム内イベント「あんきら!?狂騒曲」コミュ
杏「ふたりで、話したんだ。
他の子たちが、ユニットでお仕事をしているのを見て、いいなぁって。」
トレーナー「そういうことだったんですね」
杏「それと……杏ときらりって、ヘンじゃん。ヘンなヤツじゃん。
ダラダラだし、ハピハピで、ヘンでしょ。」
カワイイって言ってもらいたいって思ったの。」
文脈から察するに、デレステの世界では他アイドルやファンから「あんきら」呼びが定着していると考えれる
そこからの脱却。仲の良い二人だからこそユニットとして活動をしたいという話だ
二人とも「可愛い」と言われるアイドルであるため、奇を衒わず可愛い路線で攻めるということだろう
モバマスの頃は何となく一緒にお仕事しているだけだったため、明確にしてもらえるのは有り難い
冗長になるため割愛するが、イベント告知コミュ、エンブレム等においても「HappyHappyTwin」という名称が使われており
現実世界においても「あんきら」という愛称から脱却させようとする意図が読み取れた
これについては見てもらうのが早い。以下冒頭の掛け合い
杏「え~~、もう歌うの?」
杏「それよりさ、アンキモ食べたくなってこない~?」
杏「アンキモ食べたい~!」
イェーイ!
こんな調子で、もいっちょ
イェイ!イェイ!イェイ!
やっぱり一緒がいいよね?
うん、いいんじゃない?
ハピハピな関係、続けていこうよ
そうです わたしたち
二人であんきらなんです
二人で「あんきら」と締めくくっている
ただの仲良し二人組の「あんきら」ではなく、
ユニット「HappyHappyTwin」ではなかったのか?
上述した「カワイイ」のくだりは
ダメダメ~;
と、アン肝が食べたいと言っている杏を注意するセリフだけである
ファンにカワイイと言ってもらいたいのではなかったのか?「HappyHappyTwin」とは何だったのか?
どう考えてもイベントコミュと齟齬があり方向性が定まっていない
同時期に実装された曲として
PCSの「ラブレター」、Rock the Beatの「Jet to the Future」があり
ここにHappyHappyTwinの「あんきら!?狂騒曲」が並ぶ
これがHappyHappyTwinの代表曲だなんて思いたくもないし思われたくもない
これは「HappyHappyTwin」というユニットが出来る前のものであり、正真正銘仲良しな二人「あんきら」で歌っている曲で
二人がわちゃわちゃしながら歌っているのが特徴的で仲の良さが伝わってくるものだ
では「HappyHappyTwin」のことは一旦置いておいて、そういった目で見てみたらどうか?
あんきら連呼も違和感なく、杏がサボりきらりが叱るいつものパターン
杏が飴を欲しがり、2番ではきらりが本気で怒って仲直り、最後に飴あげる
「あんきら」の二人としては悪くないと思えてくるが
わざわざそれを歌詞に起こして表現する必要はあるのか?と別の疑問が湧いてくる
というのも上述した「ハピ☆ハピver」は一応本来の歌詞をなぞって歌っており、
アレンジしたり、コールを入れ、間奏に掛け合いを入れることで「仲良さそう」なのが初見でも分かる作りになっている
この二人はこんなに仲良い!こんな掛け合いをする!実はこんな側面がある!と主張が強すぎる
二人の関係は良いものだが、古くからのコンビであるため担当外のプロデューサーもご存知だろう
ましてや担当Pからすれば周知の事実であり、わざわざ新曲として披露されてもくどい
そもそも杏ときらりはお互いを分かり合ってるからこその二人で、
たとえミュージカル調でも曲中に怠けたり、飴を欲しがって曲を止めたり、キレてふくれるなんて関係性ではないし
お互いについて吐露するようなとこは何年も前に通過している
イベントコミュ内では二人も楽曲制作に絡んでおり、二人がこんな曲を欲しがったとは考えたくもない
そういう方向性のユニット「HappyHappyTwin」の楽曲なのだから
可愛さやハピハピ系に重点を置いて、二人の仲の良さが分かる要素を少し盛り込んだ曲で良かった。そういう曲がほしかった
「あんきら!?狂騒曲」のような二人の関係性を重視したものにするのであれば
イベントコミュと話を擦り合わせて、やっぱり今までの二人の感じでいくことを明言してほしかった
いずれにせよ「HappyHappyTwin」としてやるなら「あんきら」の文字は下げてほしかった
「あんきら!?狂騒曲」の作詞・作曲・編曲はヒゲドライバーという方で
そんな状態でありながら双葉杏と諸星きらりに関する資料をバンナムから貰えず
ヒゲドライバー氏はPixiv大百科を見て勉強したというエピソードがある
(ソースはイベント実装時のデレラジ。双葉杏役の五十嵐裕美さんの発言)
だからこそ「アン肝」なんてものが出てきて面白かったという発言に繋がるものだが
くれと催促しなかったのか?資料なしで作れとのオーダーだったのか?
ヒゲドライバー氏がTwitterやブログで「あんきら!?狂騒曲」について何度か触れている際に
また上述の「アン肝」についても語感から選んだというエピソードも嫌いだ
今まで杏はアン肝が好きというエピソードもなく
実家が裕福な設定なため、実家にいる頃に食べていた可能性はあるが、その程度である
その程度のものをキャラクター性の強いコンテンツに入れてきたのだ
「単純に曲の好みが合わなかっただけ」と片付けれる話ではあるが
ヒゲドライバー氏の資料貰ってないエピソードや、語感で「アン肝」を入れたエピソード
こういったものが出てくると、ユーザーのことは舐めきって仕事をしているんだなと思ってしまう
「HappyHappyTwin」がふわふわする事になったのではないか?
もし「HappyHappyTwin」の2曲目が出る時があれば、こうはならないことを切に願う