はてなキーワード: 逆効果とは
そもそも、経済理論上の投資というのは家計の住宅投資、企業の設備(研究)投資、政府の公共投資など「資金調達して支出」する行為なんだよね。財サービスの需要要素だから。
金融投資は、企業の設備研究投資の原資になれば財サービスの需要となり景気を上げるけど、金融市場で株の売り買いだけでは金融市場への資金供給で、事実上の貯蓄。
増資や、優先株、劣後債など金融市場から出す手法を緩和して金融市場から金を出やすくする。
あくまでそれらの増資、優先株、劣後債に付き合って、証券会社で5年程度保持するなど、企業の設備研究投資に貢献するものだけ減税で、それ以外は増税とメリハリを付けるべきだわ。
他にも減税は良いと言われるが、消費税を増税して、それを貯め込まれる場所の減税に使えばむしろ景気を落とす。
内部留保は、設備研究投資の原資となれば景気を上げ、産業を強化するが、現預金で滞れば景気を落とし産業を劣化させる。
企業や投資家が楽をするために、わざと他の要素も混ぜ込んで捻じ曲げて、むしろ逆効果となっているのが経済学周り多いなと思う。地道に指摘しているが。
物凄く態度も悪いし、私の友人達と混ざっている時も「ヒヤッ」とする発言が多い。学校でもなかなか馴染めていないだろう。
悪い子ではないが、最近心臓の持病が発覚したり、アトピー持ちだったり、親も頭が悪いので何度行っても意地悪な叱り方・怒鳴り散らすのみでメンタルもきていると思う。
その拠り所がカラオケ配信なのだろう。フォロワーが結構いるらしい。
だが、学校に行かず寝転がりながらそればかりやらせるのはありなのか。あの年代の子供、しかも色々問題がある子のデリケートさはよくわかっている。携帯を没収したら逆効果か?
私の予想だが、単に寝不足で朝起きるのが辛いのでは?と思っている
そして、正直に言って騒音がストレスすぎる。歌声もそうだし、一日中喋っているのでうるさい。
頭も悪い。本当に。私はガリ勉だったので妹に勉強を教えたいがそれも拒否される。
素直に何かを受け入れられない、プライドが高い、努力ができない、勉強もできない
どうしたらいいんだ
申し訳ないが、元の日記に来ている言及に対する言及以外はワイのものとは違うで。
勝手に想像して、人の痛いところを突こうとしているんだろうけど、逆効果やで。
この言及先の増田が「男のフェミニスト」の増田ではなかったら、以下は無視してくれ。
あんたの態度な、それ開き直りって言うんやで。大人ぶってワイの負けです。引き下がりますって言っとけば自尊心は保てるやろなぁ。ムキになっている相手vs冷静な私って構図は皆が大好きな自尊心の保ち方よ。
でもな、本来はなそんな開き直りをしない人の方が自尊心は高いのよ。つまり、開き直りの言及を飛ばさないといけないくらいに、あんたの自尊心は低いってこと。
上記はフェミニスト憎しで言ってるんじゃなくて、純粋にあなたという人格に対して思うところがあったから言っていることはお忘れなく。
以上。
強固ではない。「成人済」は自称だし、システムを迂回して自己判断で「成人だな」と通していることになるので、却って脆弱化している可能性もある。まあ現状Webサービス側の年齢登録も詐称はできて本人確認あるわけじゃないけど。
それ以外にも、逆効果になりえると言うことはこっちの記事にも書いたので読んでみて。
それから、条例というのはその自治体ベースで取り締まるもので、市民が協力的になるのは悪いことじゃないが、県どころか国も分からんネット上でいち市民にあらゆる条例を把握させて取り締まる役を演じさせるのは無理があるだろう。だからサービスにビルトインされているコンプラシステムに委ねるのがスマートだし、適当な理解での自警団ごっこはむしろ邪魔では。仕事が過剰だったり不足だったり何が正しいのかも分からなくなる。私人ではなく法人であればそのへんも網羅してコンプラ遵守の配慮をしたほうがスムーズに事が運ぶだろうが、なんで自分を政府や自治体や大企業と同列の存在と思いたがるんだろう。お客が勝手に店員をやりだすような倒錯を感じる。
昼飯食ってたら涙でてきた・・
年に1回か2回あるんだよな。
こうなると10日ぐらい死んだ感じになるんだよな。
手帳見返すと、12月中旬からずっと働いてきた。年末年始は一番忙しいけど、わりと充実感もあるからよかった。
去年はその後一休憩したけど、今年はその流れでここまできた。先週辺りから少し落ちてきた感じもあったけど、
先週から仕事の合間の息抜きで楽しいことがあったので、息抜きの時間を確保すべく猛烈に効率をあげてきた。
もう限界だったけど、その息抜きを頼りにやってきた。その息抜きも終わって、なんか全て切れた。
まぁ本当は先週ぐらいに終わってる感じだったけど、ここまで無駄に延命してきたんだよ。
はぁ・・・
この状況でSNS見るのは一番悪いんだよ。だから旅行に行って暇だからスマホ触りまくるのが逆効果って前に気づいたんだよな。
美術館行くか、その辺の寺社周りでもするのがいいんだけど、それができるのはもう一つ前の段階であって、こうなるとどっか行くエネルギーすらない。
「#単身女性に公営住宅を」という主張自体には大賛成。私自身もフェミニストを自認しているし、単身女性で今でこそ賃貸を借りて何とかなっているけれど今後はどうなるか分からないし。
だけどどうしてそれに「女はみんな結婚したがる生き物っていう思考回路だったんだろうな」なる、異性愛ヘイト、ヘテロ女性蔑視をくっつけるのかな。
単身女性って別に「結婚したがらない女」ばかりじゃないでしょう。
「女はみんな結婚したがる生き物っていう思考回路だったんだろうな」とか言ってる人こそ、「結婚したがる」という事と「結婚出来る」「結婚生活を生涯にわたって維持出来る」という事を当然に結びつけているという点で
ヘテロ女性に対して偏見を持ちすぎだと思う。「結婚したがる」女の中に男に選ばれないブスや、途中で離婚や死別に至る不幸な女性は一人も存在しないと思ってるんだ?
世の中には結婚手前で交際が破局した女性や神田沙也加さんのように子供がいない状態で離婚し生涯再婚しなかった女性、赤木雅子さんのように子供のいない状態で夫と死別した女性だっているだろう
渋谷区でホームレス状態になって撲殺された女性だって結婚歴があるらしいよ?
https://www3.nhk.or.jp/news/special/jiken_kisha/kishanote/kishanote15/
「シンママだけじゃなくて子供のいない単身女性の貧困にも目を向けろ」という主張をするために、「結婚したがる」女をわざわざ見下す必要がないだろう。
異性愛ヘイトの反出生フェミってこれだから支持を得られないと思うんだよなー
「いつか単身になる」可能性のある女性は既婚女性だって多くがそうなんだから、性的指向や男との交際の有無に関わらず単に女性が単身であるという「状態」を語ればいいものを
なんでああも結婚したくない男と番いたくないという主張を全面に押し出すかね
そうする事で結婚「出来ない」ヘテロ女性や、将来離婚や死別の可能性のある既婚女性といった多数派の女性からはNot for meと思われるんじゃないのかなあ
男や子供とセットではない女単体の権利を保障しろという話において
結婚「しない」だろうが、「出来ない」だろうが、かつて結婚していて今は単身だろうが、そこをいちいち分ける必要ある?
あの辺の反出生フェミの人達が「結婚したくない」「子供を産みたくない」を前面に押し出すのを見る度に、あーこの人達はわざわざ宣言しないと男がどんどん寄ってきて何もしなくともプロポーズされるようなモテる強者女性ばかりで
自分のようなブスはお呼びじゃないんだなって思う
男の場合、異性と結婚したいけれど出来ない弱者男性って是非はともかくとにかく頻繁に取り沙汰されるのに
女の場合、異性と結婚したいけれど出来ない弱者女性の存在は単身女性の権利を語る場ですら存在しない事にされるのか…ととても絶望的な気分になる。
あと、世間での単身女性のイメージってどちらかというと「バリキャリ」「男を選り好みしてる」というハイスペイメージが強いと思うんだよね。あるいはレズビアンとか。
反出生フェミの「結婚(しようと思えば出来るけれど)したくない」を声高に主張すればする程、
「単身女性はハイスペック」、だからわざわざ助ける必要などない、という方向に世論が傾きそうだし
単身女性の権利獲得という点で見たら彼女達の主張はやっぱり逆効果だとしか思えない。
あの人達は結婚して夫の愚痴を言う女性に対しては男は99%クズだから自己責任だと言うけれど
でもその理屈で言うならあの人達みたいに確固たる意思を持って男と番わないと最初から決めていた女性だって
一生一人で自立して生きるという堅実なライフプランを決めてその通りに生きなかった事だって自己責任になるんじゃないの?
自分の知り合いの女性には三十代後半で一生独身の覚悟をしてアパートだかマンションだかを買った人もいるから
死にたいと言われたとき「死ぬな」はNG、って記事のヤフコメ(https://news.yahoo.co.jp/articles/1e432e55f3c0565f3132b2a2dca7035c35b014a6)
「俺は親父に俺より先に死ぬなと言われてよかった。全ての親は死ぬなと言うべき。」「死にたいとか言われたらあたしだってつらい。」「じゃあどうすればいいの💢!?あれもダメこれもダメって😡」(記事には良い声かけの例も示されている)「杓子定規の答えより自分の言葉がいいに決まってる。この記事は危険。」みたいなコメントがいっぱいあって怖い。
「死ぬな」は逆効果って、政府もガイドラインに書いてるぐらい認められてることなのに、この受け入れなさ。何がそこまで彼らを頑なにするのかわからない。n=1で専門家に反論する。なぜ?怖すぎる。
昨年叔父が自死しました。叔母からの電話で駆けつけ、説得しました。死んじゃ駄目だよ。家族もいるんだよと。言ってはいけない言葉だったんですね。でも、私にはそれが本当の心の叫びだったんです。それから1週間ほどで、亡くなりました。本当に死のうとしている人は、寄り添っても、話しを聞いてあげても、結局死んじゃいますよ。
怖い。
無知→無関心→知識の拒絶→失敗→正当化→知識の拒絶→無限ループ
この流れが怖すぎる。怖すぎ。
★この記事はいわゆる「"LGBT"教育」についてそのへんの素人が管を巻いている話です★
前段は省くが、高校生を対象としたデザインコンテスト(毎日・DAS学生デザイン賞 第36回高校生デザイン賞)の結果一覧を見た。
その中の「プロダクト部門」で部門賞を受賞している作品が(より正確に言うなら、この作品が部門賞を受賞していることが)むちゃくちゃショックだったのでここに書いておく。
審査員を非難したい気持ちはなくはないが、問題は日本全体のLGBT理解の鈍さだと思うので、運営(毎日新聞社と(一社)総合デザイナー協会)だけを責めるのも違うと思う。
「これが日本の現状なんだよなあ」みたいな諦め感と「それにしてもひどいな!?」という憤りを書き散らしているだけなので、関係者の方々はどうか適当に読み飛ばしてほしい。
早速本題に入るが、本大会のプロダクト部門賞受賞作は、『Say hancall』という作品である。こちらの作品紹介のスライドを見れば分かる通り、「性別」を表す記号を組み合わせた図柄の「はんこ」が4つ並んでいる。
みなさんは「LGBT」について考えたことはありますか?
日本は異性愛者が一般的だという考えが多いと思いますが、少なからず同性愛者・両性愛者・心と体の性が一致していない人がいます。今もなお、そのような人たちへの差別意識がある人は多いのではないかと思います。ですが、人生は一度きりだし自分らしく生きるのが一番だと思いませんか?
そこで私はSay hancallを提案します。男女の記入欄にぽんっと押すだけで自分の性を理解してもらえます。世の中のイメージは無視して自分の性をオープンに楽しんで欲しいです。
デザイン意図としては、いわゆるシスヘテロ(「心身の性」が一致する異性愛者)が「一般的」な日本社会で、LGBT当事者が差別に負けずに「自分の性を理解してもら」い「自分の性をオープンに楽し」むことを応援する、「LGBT理解」を目的にしているのだろう。
しかし、私はこの作品がその目的を達成できているとは到底思わない。むしろ、逆効果なのでは?とすら感じてしまう。
以下にその理由を思いつくまま列挙する。
・「男女の記入欄」に何で性指向を記入しなければいけないのだろう? 性指向に関わるLGBと性自認に関わるTを同列に扱うこと自体に無理があるというのはもう散々言われていることだが、現在の日常的な質問で「性別は?」と聞かれて「異性愛者です」と答える機会はまずないだろう。にもかかわらず作品の企画としてそれが通ってしまうのは、日本のLGBT教育がいかに「性的マイノリティー」の解像度を上げないままお題目だけ唱えているかの証左ではないか。
・「自分の性を理解してもら」うことをカジュアルに考えすぎではないか。性指向や性自認に限らず、人種や家族構成など自分が持つ「マイノリティとしての属性」を誰かに打ち明ける、理解してもらうということは、本来すごく負荷がかかる行為だ。嫌われるかもしれない、わかってもらえないかもしれない(そして現実としてそれが杞憂で終わらないことは少なくない)……当事者たちは、そんな不安を抱えながら、カミングアウトする/しないを決めている。間違っても、マジョリティ側が「自分らしく生きるのが一番! 言っちゃおうよ!」と強引に背中を押すことがあってはならないはずだ。
・徹頭徹尾「"LGBT"問題」を他人事として扱っている雰囲気がある。LGBT当事者が「自分らしく生きるのが一番」だと思っていないとでも言うのだろうか。そうしたくても社会や周囲の人々、内面化された自分自身の偏見から、「自分らしく生きる」ことを抑圧されているケースが多数ではないのか。「世の中のイメージは無視して自分の性をオープンに楽しんで欲しいです。」などというのは、本来マジョリティ側が負うべき、現在の差別的な社会を是正する努力を放棄した上で、マイノリティが「自分の性をオープンに楽しむ」ことを強要し、それをもって「LGBT差別の根絶」を図る、極めて傲慢とも捉えうる発言だ。
以上のような理由から、私個人はこの作品を受け入れ難かったし、もしこれが「LGBT理解を促進する素晴らしいデザイン」だと称賛されるのなら、それはとんでもない話だな、と思わざるを得ない。
単身女性の権利主張系のフェミニストの人達(ラディフェミ)、自分も単身貧困女性なので言っている内容そのものには同意する事も多いんだけど
どうしてああも言葉遣いが汚らしいのか
あんな言い方ばかりじゃ反発を招くのも当然だし、あんな事していて単身女性の立場が少しでもよくなるかっていうとどう考えても逆効果でしょ
こういうと、優しい言葉じゃ聞いてもらえない!女だから女らしくしろというのはジェンダー規範の押し付けだ!とか言われるけれど
別に、「女らしく」「優しく」言えとは言ってないよ
「汚い言葉」「差別的な言葉」をわざわざ使わず、普通の日本語で普通に話せって言ってんの
男だって専業主婦を寄生虫だの、女性を「まーん」「ま○こ」と言っていたらこいつらヤバいなと思って無視されてるじゃん
なんで自分達だけ許されると思ってんの
そもそも夫に養われている主婦はけして「奴隷」や「家畜」なんかではなく優遇された特権階級だと思うし…
女性の権利と言えばいつも既婚女性が前提で単身女性は無視されているっていう話と
男と番って産んでも女には損しかない、既婚子持ちは奴隷や家畜!って話を同時に展開するラディフェミの人達、言ってる事が矛盾していると思わないのかな?
しかも彼女達、表だって何かをしているかというとそうでもなさそう
韓国の非婚主義は羨ましいとか女性単体の権利を主張するソウル市長候補の演説が素晴らしいとか言っても
じゃあ韓国の女性を見習って自分達も表でそういう活動をするのかと言えば別にしてなさそう
まあ表だって活動するのはリスクが高いし金も時間も必要だからそうそう出来ないだろうからネットで愚痴を吐くのがせいぜいというのは分かる
こういうのとかさあ。もう鼻で笑っちゃうんですよね。
こういう文章にはだいたい「私はクズ」とか「私が悪い」とか、そういう言い回しが登場するんですが、どうせそんなことは毛の先ほども思ってない。
全部バレてます。
むしろこいつらは、自分がクズとか悪いとか、親を見殺しにしたとか、そういうことは死んでも言われたくないのです。
「自分が一番言われたくないこと」を先んじて自分で言ってしまうことで、他人から言われないようにする。
そういう予防線を張っているだけ。
だからもし「そうだなお前クズだな」ってマジで同意されちゃった日にゃ、期待を裏切られたと言わんばかりに逆ギレしてくることでしょう。
わざわざ嘘のアピールをしては、それを他人に否定してもらおうとする。
もうこういうの「私ブスよね話法」とか呼んでよろしいでしょうか。
「『全部私が悪いんでしょ!!』ってキレる母親」みたいなのと、本質的にはたぶん一緒です。
自分がクズだと本当に思っているなら、クズらしく堂々と振る舞えばいいと思うんですが、この匿名の場ですらそうしない。
代わりに自称クズのくせして「私悪くないですよね!? この位普通ですよね!?」と、同意をカツアゲするのに必死。
なろう系だったら村のババアとか殺して「俺は悪くねぇ!」って言ってる小悪党の所業です。
ひたすらセコい。
「毒親見殺しにしたった! ざまあ!!」ってストレートに本音言うより、なんか余計に図々しくなってねえかって。
最初に「女が」って書きましたが、こういう手口は女特有のもので、男はまず使いません。
心にもない自虐なんかしたって女みたいに同情されないし、むしろ否定してもらうつもりで引いた線まで踏み込まれて、そのままの勢いでブン殴られかねない。
ついてるものがついてないと、そこまで忖度してもらえないのです。
まあ、そういうメンヘラもいないことはないでしょうが、たぶん相当ウザがられてます。
そもそも、男がてめえのお気持ちを雑にブン回して同情されるケースというのは、私の知る限り、ひとつしかありません。
「そいつ以上にムカつく奴がいて、殴るのに使えそうな時」。これだけです。
あくまでそいつらへの反感ありきで、もっと言うなら当事者への同情なんか、本当にあるんだか疑わしい限りです。
つーか、こんなこと今更言わなくたって、ブクマカの皆さんはだいたいわかってると思うんですよ。それこそ増田だけでも結構見てるはずです。
「そんなことないよ!」とか「気にしなくていいよ!」とか、しまいにゃ「よく言ってくれた!」とか。
どいつもこいつも、さも一連の構造に全然気付いてませんみたいなツラしてるのが本当に面白い。
ウソをつく方もつく方ですが、それを真に受けたフリして、おまけに否定するフリまでしてるこいつらだって、まあ大したタマです。
目から精液流してやがる。
そんなに女のやることなすことしょうがないしょうがないとヨチヨチ許容したいんだったら、いっそのこと死刑執行も外人の迫害も、後ろ暗いことは全部女にやらせたらよろしい。
きっと皆さん仕方ない仕方ない言いながら許してくれることでしょう!
zeromoon0 「そんなことないですよぉ!増田さんは普通です!先々のことまで考えてて素晴らしいですね!私には真似出来ないです!」
そこへ来るとb:id:zeromoon0さんは本当によくわかってました。さすがにいつも不安になっているだけのことはあります。
小学校の先生がなかなか嫌な(婉曲表現)先生で、何かにつけて「男のくせに~~するな」「男なら~~しろ」というのが口癖だった。私はその先生が本当に嫌で、誇張や比喩ではなく学校が怖くて夜にはよく泣いていたし、割と慢性的に自殺を考えたりしていた。そんな経験があったので、私がジェンダー論や性差別に興味を持つのはごく自然な流れだった。「女性になりたい」と思ったことや、「私はもしかしたら"男性"ではないのかもしれない」と思ったこともある。今となってはそれはトラウマや思春期による揺らぎの一種であったと認識していて、性自認に関しては私はシス男性だと自認しているけれども。
私の初恋は、とある絵本のキャラクターだった。絵本や児童文学を読みながら、キャラクター同士の親密な関係(カップリング)や、窮地に陥ったキャラクター(ヒロピン)などに触れて、何かいけないものを見ている気分で、こっそり楽しんだ。同級生達の、「どの女の子がかわいい」とか、「誰とそれが付き合ってる」とか、そういう話は嫌いだった。その頃から私はフィクトセクシュアルだったと思う。
当時放送していたアニメと言えば、『幻想魔伝 最遊記』とか、『しあわせ荘のオコジョさん』とか。テレビゲームだと『テイルズシリーズ』とか。そういうのを見て育ったオタクなので、「オタクたるもの、男でもBLくらい嗜んでしかるべし!」くらいに思っていたし、今でも思ってる。ちょうどニコニコ動画が流行った世代でもあって、(今の倫理観では褒められたことではないにせよ、)「ホモネタ」でケラケラ笑うのも楽しかった。
先にオタクになったのは私よりも兄の方だった。当時の私は兄を「ホモソーシャル(という言葉は当時知らなかったが)に親和的な人」と見下していたが、兄は兄で色々と思うところがあったと今では思う。兄はあまり頭が良くないので、私のように細かく言語化したりはしないが、おそらく私たちの世代の平均的な「オタク」だと思う。美少女と美少年が好きで、百合とBLが好きで、口では「恋人欲しい」なんて言うけど、内心エロゲで満足してる。そういう人。『ガンダムSEED』が「腐女子向け」と叩かれていたのを兄も知らないはずはないが、兄はそんなSEEDに心からハマっていた。『テイルズシリーズ』については私よりも兄の方がハマっていたから、いのまたむつみの美少年絵は兄の琴線に強く触れたのだろうと思う。
兄が好んだ「ちょっとえっち」な漫画やゲームを、私は内心見下しながらも、それは常に身近にあった。エロ漫画について伊藤剛先生が『MANGAの自由 平成から令和へ』の中で、「あんまいいもんじゃないだろうという感じで、手に取ろうとはしなかった。」と語っているけど、私もそういう感じ。読まず嫌いだった。でも実際にはむしろその中にこそ多様なジェンダーとセクシュアリティが描かれていることに気付いた。セックスをパロディし、時に嘲笑うことが、セックスを相対化するのだと。
少なくとも私にとって、ジェンダーやセクシュアリティの呪いから逃げられる空間が、オタク文化だった。
2ちゃんねる(今は5ちゃんねる)というのは、今も昔も治安の悪い場所だった。大学院生から「無敵の人」まで、全く知識・知能・倫理観レベルの違う人々が同じ空間で同じ顔をして過ごしている。まともな精神じゃできない書き込みなんていくらでもあったが、それはほんのひと握りの底辺の書き込みでしかなかったのだろう。そしてそんな底辺の書き込みの一つは「女性蔑視」だった。当時の私はまだ子供で、ジェンダーとセクシュアリティの話題に興味のある子供だったから、それがどうしても許せなくて、「論破しなければいけない」ものだと思い込んでいた。今思えばそれは逆効果だったのかもしれない。私が来る日も来る日も女性蔑視的な書き込みを「論破」しても、その勢力が衰えることは無かった。昨日論破したばかりの同じような書き込みを、今日も明日も繰り返すような、そんな連中ばかりだった。
しかし、ネット空間というものが、誰もが使う表の空間に成り下がると同時に、そうしたネットの闇はあっさりと自然消滅していった。厳密に言うと消滅はしていないが、その権威はもはや見る影もなくなった。犯罪や誹謗中傷は取り締まられ、多くの暴言も各種サービスの規約によって削除されやすくなった。何よりも、そのような暴言を吐くのは、少数の異常者であることが露呈した。
私は安堵した。しかし、そんな時代になっても、「表現の自由」を掲げて「フェミ叩き」を頑張っている人達がいるらしい。私は呆れた。非実在児童ポルノ騒動の時、表に立って漫画を擁護してくれたフェミニストの人々のことを忘れたのかと。
私はほんの少し、Twitterのフェミニストの人々と繋がってみた。とても勉強になる話をたくさん聞いた。その話は納得できるものが多かった。しかし、次第に違和感を覚えてくるようになった。その違和感がなんなのか、すぐに言語化することは出来なかったが、どうも彼らは「フィクションを性的対象とする」というセクシュアリティについて、全くと言っていいほど無知で、配慮がないどころか、むしろ憎んでさえいるのだ。恥ずかしながら私自身、「エロ漫画」や「えっちな表現」というものを読まず嫌いしていた時期もあるから、他人のことは言えないのかもしれない。しかし、ジェンダー論や文学を研究している大学教授などが、そうしたセクシュアリティについて全くの無知で、研究など出来るのだろうかと心配になった。そして怖くなった。現代の「ジェンダー論」というものは、そのような前提の元に立脚しているのかと。そして「エロ漫画は女性蔑視」のような前時代に封印したはずのトンデモ言説が、再び亡霊のように復活しつつあることを。あの「非実在児童ポルノ騒動の時、表に立って漫画を擁護してくれたフェミニストの人々」ですら、彼らが味方する対象ではなかった。
結局私は苦しくなってTwitterもやめてしまった。トランプが大統領に当選した時、オバマは「国の歩みはジグザグだ」と言った。もしもわたしが第三者の立場であれば、昨今のフェミニズムの暴走も、「ミソジニーに対する反動」として呑み込む事が出来たと思う。「今はまだ無知でも、時間が解決してくれる」と、民衆の成長を待つことができたと思う。でも残念なことに私は当事者だった。私は、性差別を憎む二次元性愛者の一人だった。
とにかく怖くて仕方がない。苦しくて仕方がない。そして、憎い。ああ、これは、かつて2ちゃんねるで女性蔑視の書き込みを見た時と同じ感情だと思った。
今では私は子供ではないから、もう少しだけ冷静に論じたいと思う。でも、行動を多少抑えることは出来ても、感情それ自体を抑えることは難しい。悔しいとか情けないとか。無力感とか徒労感とか。
2ちゃんねるで女性蔑視を批判した日々は無駄だったのだろうか。実際、無駄だったのかもしれない。でも、せめて、それをした私自身のことは誇りたい。誇りに思えるだろうか。彼らをのさばらせた責任の一端は、私にもある。
脚本家はあんなデフォルメされたヒステリック集団に見てもらいたくないって書いてたけど、実際に組合(特に御用じゃない方たち)って匂い立つ政治臭で見た目の運動をやりすぎるから、デフォルメ感はあっても「あー、こんなんこんなん」って感じだったよ。
一般の非正規からすると、関わり合い持ちたくなく思うので、環境改善に逆効果に作用したりするので、キ印みたいに運動してくれる人は対応者側としてはめんどくさいけど、経営側には有効に作用しちゃうんだよね。今の時代って。
経営側も待遇改善を打とうとするときに、「あいつらの主張に回答してやった形になる」というので改善の障害になったりもするので、労働者的にあんまりメリットがやいのも残念。