2024-07-15

京アニ事件で本当は教訓を得ないといけないのではないかと思うこと

この事件会社側の責任はなかったことになっています

しかし、素人目には

・警備の人やカギがない状態でひとが入ってこられる

・このような自分で火を使わない場所から火災が起こることを想定していなかったのではないか

設備は十分だったのか(法的には問題なかったといわれていますが、それはこの会社構造的に考えて問題いかちゃん建築時に考慮たか?ということです)

といった疑問があります

とおもって検索すると、そのような疑問に答えてくれているサイトがありました。アゴラに牧功三氏というかたが書かれています

小生はまったく同意で、今の日本でも街中で警備員やカギなしで入ってこられるような環境ちょっと危険すぎだし、この方が書かれている、ガソリンといっても、

燃えたのはガソリン以外の家具などででは?という指摘は当たっていると思います

裁判での京都消防署お話はなぜか検察がきちんと自分で調べたものではなく、消防署員の証言という形でこれは刑事事件なのになぜだろう?となぞなところです。

もちろん会社の方々も悼む気持ちは強いことは理解しますが、だからといって、こういった労働環境課題が見過ごされることは、新たな事件を引き起こすことになり、亡くなられた方々への真の意味での追悼にもならないのではないでしょうか?

どっちにしろ、法的には十分であっても、火災被害というリスク対応する策として必要な条件は満たしていなかった、ということなのでしょう。

ちょっと牧氏に対しては失礼かもしれませんが、米国流も、規制という色合いはあると思いますしかし、防ぐべきものについての理解を、コンサルタントなどが十分に説明して、法や制度はそれを後押しするようになっているように見えるのは、日本とは逆だなあと。書かれているように特に消防関係利権はひどいと思われます

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん