・警備の人やカギがない状態でひとが入ってこられる
・このような自分で火を使わない場所から火災が起こることを想定していなかったのではないか
・設備は十分だったのか(法的には問題なかったといわれていますが、それはこの会社や構造的に考えて問題ないかをちゃんと建築時に考慮したか?ということです)
といった疑問があります。
とおもって検索すると、そのような疑問に答えてくれているサイトがありました。アゴラに牧功三氏というかたが書かれています。
小生はまったく同意で、今の日本でも街中で警備員やカギなしで入ってこられるような環境はちょっと危険すぎだし、この方が書かれている、ガソリンといっても、
燃えたのはガソリン以外の家具などででは?という指摘は当たっていると思います。
裁判での京都消防署のお話はなぜか検察がきちんと自分で調べたものではなく、消防署員の証言という形でこれは刑事事件なのになぜだろう?となぞなところです。
もちろん会社の方々も悼む気持ちは強いことは理解しますが、だからといって、こういった労働環境の課題が見過ごされることは、新たな事件を引き起こすことになり、亡くなられた方々への真の意味での追悼にもならないのではないでしょうか?
どっちにしろ、法的には十分であっても、火災被害というリスクに対応する策として必要な条件は満たしていなかった、ということなのでしょう。
ちょっと牧氏に対しては失礼かもしれませんが、米国流も、規制という色合いはあると思います。しかし、防ぐべきものについての理解を、コンサルタントなどが十分に説明して、法や制度はそれを後押しするようになっているように見えるのは、日本とは逆だなあと。書かれているように特に消防関係の利権はひどいと思われます。