はてなキーワード: 誰かのためにとは
30代までは自分が楽しむためだけに生きてもいい。
でも、40過ぎたら、他の誰かの、大なり小なり助けになるために生きるべき。
"べき"というか、そうでないと存在価値がないんじゃない?
例えば、40すぎても独身で会社では万年平社員のやつの存在意義って、何?
頼りにもされない、てめぇの替えなんて優秀な若者がいくらでもいる最中で、何のために生きる?
そんな輩にも寛容な世の中になったもので、"自分の人生を愉しむ"とか"個人の尊厳の尊重"なんて言われてるけど、正直、生き続ける意義ってあるの?
そんな奴らが40代で死んだら、せいぜい年老いた親が悲しんでくれるくらいかな。
他の誰の心にも存在がないんじゃない?
別に死ねとはいわないけど、いい加減、何かに本気になったほうがいいんじゃない?
ヤベェよ、マジで。
自分は性犯罪被害にあったことがないと思っていた。痴漢にすらあったことがないと。
被害に苦しむ人、性被害に遭わない女性などいないと言う人を見て、なんて自分は幸運なんだろうと思っていた。
だけど、思い返せば一度だけあった。
小2〜小4くらいのことだった。
一人で下校していた私は、自転車で男に追い抜かれ、その際お尻を触られた。
結局誰にも言えなかった。当時はなんでも親に言う子供だったと思うのに、何故言えなかったんだろうか。不審者情報が出るたび、言おうかなと思ったが、今更という思いが邪魔して言えなかった。
思えば当時私の学校周辺ではよく不審者が出たようだった。痴漢の情報も、女子高生が押し倒されて触られたという情報も先生から聞かされた。それで、集団下校を勧められていた時の事だった。
私は周りに馴染めなかったのと危機感がなかったのとで一人で帰り、触られた。
特段心の傷にはなっていない。だから、フェミ系アカウントでも言ったことはない。ただ、あんな小さい頃からこんなに身近に性犯罪があったんだと思い出す。
なんで言わなかったんだろうと後悔している。他に被害にあう誰かのためになったかもしれないのに。
ついでに、5歳の頃幼馴染の男の子に「パンツ見せないと年長さんになれないぞ」と脅されて馬乗りにされた記憶があるけど、こっちはもしかしたら記憶違いかもしれない。自信がない。記憶違いだったらごめん。
"政治的決断というものは、常に誰かのために、別の誰かの犠牲を強いるもの"
だからこそどんな優先順位をもって有限な資源を配分するのかに、その人の心が現われるよ。自分やオトモダチを優遇して、ばれると理由は有耶無耶にし、お金の使途の明細はナイナイしちゃうやつじゃダメなのよ。
基本的には、人の心なんてものがあったら、政治なんて出来ない。
なぜならば、政治的決断というものは、常に誰かのために、別の誰かの犠牲を強いるものだからです。
まあ、ごく稀に「人の心」がある政治家もいるのですが、それは基本的に「別の誰かの犠牲」に気づいていないか、あるいは「別の誰かを人間と思ってない」だけですね。
しかし昨今の感染状況を鑑みると、娯楽のために地方から東京へでる気にはならなかった。
ワクチンは2回接種済だが、だからといって感染しないわけではない。正直いまの東京にいくのは怖い。
舞台と客席の間隔をあけて全員がマスクをして一言も喋らずに座っているだけならそうだろう。
でも実際はそれだけじゃない。
現場にいくまでに公共交通機関をつかって移動しなくてはならない。
食事も水分補給も必要だし感染リスクのある公共のトイレを利用する瞬間もある。外にでる以上人との接触は避けられない。
それに現場が感染対策の徹底した安全な空間だとも思えなかった。
現場には全国各地からオタクが集まってくる。狭い界隈だから、全員が全くの他人というわけではない。
この半年間にいった現場はいつも賑やかにざわついていた。久しぶりに会った友人知人に声をかけたくなる気持ちもわかる。
劇場側から注意されても無視して喋る・食べる客を何度もみた。劇場が会話を注意しないこともあった。
現場のたびにヒヤヒヤしていたが、同じ現場にいたオタク仲間が現場後に感染した話は聞いたことがないので、あの環境でも問題はないのだろう。
でも万が一ってこともある。
幸い観劇予定だった公演は自粛によるチケットの払い戻しを受け付けていたので、主催者の寛大な対応に甘えさせてもらうことにした。
自分の身を守るために取った行動とはいえ、この行動がまわりまわって誰かのためになるかもしれない。
今の状況を乗り越えるためには一人一人の行動が大切なはず。
まずは自分の行動を見直す。今は我慢の時。これが正しい判断。そういい聞かせてチケットを返送した。
でも、コロナ禍における正しさと、オタクとしての正しさは違うんだよな。
地震だろうが台風だろうが、公演がある限りはなんとしてでも行く。私もそうだった。
感染爆発だろうがなんだろうが、この世の全てを振り切って推しをみる。
それがオタクとして正しい姿だと思う。困ったことに今もそう思ってる。
ツイッターでは保健所や医療現場の悲惨な状況を伝えるツイートが拡散される一方で
チケットの交換募集や週末の公演を楽しみにしているオタクの様子も流れてくる。
公演が始まれば毎日舞台の感想や仲間たちとの集まりを匂わせるツイートが溢れるだろう。
現場を楽しんでいる人たちをみると、なんで私だけ自粛してるんだろうとバカバカしくなってしまう。
そのあとやっぱり東京にいけばよかったと思う。
軽率な行動で感染したくない。感染拡大に加担するべきではない。でも推しの現場には入りたい。
社会の構成員である私の正義とオタクである私の正義。理性と欲望がせめぎあう。
悩んだところでもう手元にチケットはない。
私の判断は間違ってないと思う。でも悲しい。推しの舞台を観に行けないことが悲しい……。
悲しみを癒したくて推しのブログを開くと、医療従事者に向けた文章をあげていた。
「医療従事者の皆さんの頑張りが報われるよう、自分も気をつけます。」というような内容だった。
感染爆発中の東京に人を集めていながら、なにをいってるんだろう。
どこからきたかもわからない人間を2時間以上劇場にぎゅうぎゅう詰めにしながら、なにをいってるんだろう。
推しが舞台に立つことで余計に苦しめられる医療従事者がいるかもしれないのに、どの面下げていってるんだろう。
まぁただの一出演者である推しにこんなことを思っても仕方ない。推しに罪はない。
チケット販売時に緊急事態宣言下でなければ制限なく売れることをいいことに満席にしてしまう主催者も
エンタメといってもただの商売なんだから、それでご飯を食べているんだから、やめろといえるはずがない。
そういうものだし仕方がないとわかっているけれど、
自分たちに都合が悪いことは無視して自己陶酔する推しに腹が立つ。
実家帰省すら控えるように言われている中で平気で遠征するオタクの正気を疑う。
なによりこんな状況になっても休業要請・補償をださない政府はなんなの?
なんか、疲れたな……。
今日も昨日も、一部の男性が創り出した加害のルールの中で、被害を避けるためにセンサーを駆使する。
間違ってるとか、合ってるとかではなく、そうなのだ。
加害を責める無意味さを嫌というほど味わった後に、生き方を変えることもなく、世代を分断し傍観する。
そこまでして保守したい加害の蜜と利益とは、一体どんな味なのだろうか。
相手の肉体におけるナルシズムを受け入れ、ヘテロロマンティクで飾るように指導され、一緒にため息をついた方が賢いとシグナルを送るのは、別に限られた領域や世代の同性だけではない。
無意味にも近い自己否定と自己肯定を繰り返して、振り返った道は、取り除いてない地雷だらけ。
避けれたから良い。で、良い。今は。
自分の思考の悪癖と、どう向かいあって自分を幸せにしていくのか。
誰かのために役割演技をパフォーマンスするよりも、自分のしたいことを。
という連絡を見舞いに向かう新幹線で受け取った。
誰かに話を聞いてもらいたい気もするが友人に突然こんな重い話をしても反応に困らせてしまうだけなので、匿名で流してとりあえず自己満足を得ようと思う。
いろいろと問題もあるが、こういうおおらかさはインターネットのいいところだと思う。
話を戻す。
癌による病死だった。60台半ばだったので、特別に早いわけではないが、今の時代から考えると少し早いなと感じる。祖母もどちらも健在であるし。
増田は兄姉に比べてだいぶ年の離れた末っ子で、母が増田を生んだのは38のときであった。ちょうど羊水が腐る歳なのでよく覚えている(増田自身はおおよそ健康に生まれ育ったが)。
増田は大学院の修士課程まで通わせてもらった。大学では留年もしてしまったが、おかげで学んだことをほぼそのまま活かせる技術者として働くことができるようになった。就職したのは去年のことである。
母は PTA だの保護者会だのをよく押し付けられるタイプの人で、それなりに忙しそうにしていたことが多かった。
その中で人間関係を築いたりと良いことももちろんあったし楽しんでいないこともなかったのだろうが、自分ではなく他の誰かのために時間を使うことが多いなと感じていた。
年の離れた末っ子であったことやそのくせ大学院まで通ったこともあり、もう少し早く子育てから解放されてもおかしくないと考えることもあったのが、より強くそう感じさせたのかもしれない。
まあ、生まれ育ったことも大学院までぬけぬけと通ったことも特に後悔はしていないのだが。
後悔はしていないのだが、なんにせよ母が(子供ではなく)自分のために時間を使えるようになったのは去年になってようやくである(と増田は感じている)。
いわゆるセカンドライフがこれからだ、というところで逝ってしまったことがとにかく悲しい。
これからまた楽しいことがあるぞ母さん、と思っていた矢先のことであった。
母は何をしたかったのだろうか。
数年前にゴルフを始めていて、父もゴルフが好きだから一緒にたくさんゴルフをしたかったのだろう。
手先が器用で刺繍などもしていたことがあったから、そういう時間を今まで以上に取ることもできただろう。刺繍は猫によく邪魔されていたが。
そうやって猫に邪魔されて仕方ないなと笑いながら猫を構ってやることもあっただろうと思う。
父の住む田舎と子供の住む東京を行ったり来たりして、友人に会ったり孫の世話をしたりすることもあったと思う。
孫の世話に疲れたときは独り身の増田の部屋に避難させてくれ、なんて言っていたこともあったから、今住んでいる部屋を出るときは広めの部屋にしようなどと考えていたこともあった。
きっと思い出せばいくらでもこのようなことは出てくるであろうが、なんにせよ母にはこれからも楽しく日々を過ごしてほしかった。
とりあえず学校を卒業できて就職も叶い一人で生きていく姿を見せられたから、最低限はクリアしたと言えるのかもしれない。
友人の中には早くに親を亡くした奴もいるから、彼らに比べれば贅沢なことを言っているかもしれない。
ただ心残りがあるとすれば、一回でいいから自分で稼いだお金で美味しいものを食べさせてあげたかった。
そうやって感謝を示したかったのかもしれないし、単に立派になったと褒めてもらいたいといった子供じみた思いを抱えているだけかもしれない。
なんにせよ、その機会が訪れることはなかった。就職と新型コロナウイルスの流行が被らなかったらそうした機会もあっただろうと思うと、どうしても時期が悪かったなぁと感じざるを得ない。
昨日の夜に容態急変の知らせを受けて次の朝というタイミングとはいえ、死に目に会えなかったのも不孝者なのかもしれない。現に姉家族は始発の新幹線に乗っていて間に合っている。起きるのが苦手なのはずっと変わらなかったよ、母さん。
先程母は自分のために使えた時間が少なかったと書いたが、それでも母は幸せだっただろうか、いい人生と言えただろうか。
兄姉ともども迷惑や心配のかけ通しであったが、増田たち兄弟や父をはじめとする家族との時間が少しでも楽しい、幸福なものであったらいいと願わずにはいられない。これは不出来な息子のエゴであろうか。エゴであったとしてもいい、どうせ自分で思うだけだから。
少なくともこちらは幸福であったのだろうと思う。以前自宅で療養している母を見舞いに行ったときに「ただいま」と言って「おかえり」と返ってくることが、「いってきます」と言って「いってらっしゃい」と返ってくることが、母の発するその言葉の響きが殊の外好きであるらしいことに気づいた。
変わらない日常の、帰ってくる家の象徴だったのであろうと思う。気づいたときは唐突なことであったし気恥ずかしさもあって伝えそびれてしまったが、こんなことになるなら伝えておけばよかったかもしれないと思う。急にこんなことを言われても困ってしまったかもしれないけど。
このような小さな後悔はいくらでも出てくるし、これからも出てくるのだろうと思う。ただどうしようもないことでもあるから、それらを教訓に父などの家族をはじめ他者との関わりに活かしていくのしかないのだろう。このようなありふれたことに改めて気づくなど、愚者は経験に学ぶというのは本当にその通りなのだなと感じる。
さて、いよいよまとまりがなくなってきた。だからといってまとめ直したりすることはないし、「結局何が言いたかったのだろう?」と考えることもしない。もしこれを読む人がいたとして「結局何が言いたかったんだよ」となるかもしれないが、それについては本当に申し訳ないが特に考えていないとしか言いようがない。
多分この手のことは何かを言いたくて言葉にしているのではなくて、何かしらを言葉にすることが大事なのだろうと思う。
20水先案名無い人2012/12/09(日) 22:54:51.80ID:6+ES5Qvf0
461 名前:没個性化されたレス↓[sage] 投稿日:2008/10/10(金) 19:48:43
腐女子から見て憧れを感じ尊敬出来る相手はルックスも人柄もよい優れた高潔な人である。
そういう人は腐女子を叩くはずがない。
男だってキモオタだって優れた人と比べたら劣っているんだから、腐女子を叩く資格などない。
という思考。
何故腐女子である自分が叩かれるのかに考えが及ぶことは永久にない。
480 名前:没個性化されたレス↓[sage] 投稿日:2008/10/11(土) 22:55:04
461
「男が憧れる男」(百合に手を出す腐女子なら「女が憧れる女」も同様)なんてものを、
「自分もああなりたい」対象として人間的に尊敬しているのだと素直に解釈するより、
「好き=恋=肉欲=ドロドロに溶け合うまで愛し合いたいんじゃね?」と読み解きたがる。
要するに、優れた人物を、「自分に何かしてくれる人」や「自分を高めてくれる人」としか想定できてない。
それは結局、ノーリスクで自分を受け入れてちやほやしてくれる素敵な王子様が欲しいというだけで、
尊敬する対象を辱めないよう、自分もしっかりしなければならないなんて自覚には繋がらない。
いつまでも思春期の精神性のままでいることを肯定してくれるという点で、
BLって間違った意味で精神のアンチエイジングというか、人間的成長を拒む魅力があるんだと思う。
21水先案名無い人2012/12/09(日) 22:59:11.01ID:6+ES5Qvf0
483 名前:没個性化されたレス↓[sage] 投稿日:2008/10/12(日) 11:11:31
優れた人を、「自分に何かしてくれる人」や「自分を高めてくれる人」としか想定できてない
こっちのみだな。
484 名前:没個性化されたレス↓[sage] 投稿日:2008/10/12(日) 11:31:00
だからサイトとかで「あれ書けこれ描け」メールを送り付けたりするのか
485 名前:没個性化されたレス↓[sage] 投稿日:2008/10/12(日) 11:47:46
意識してるか無意識(無自覚)か関わらず、世の中で一番なのは自分と思ってるから
そんな人が誰かを尊敬したりできるとは思いにくい
賞賛できないといけない。
486 名前:没個性化されたレス↓[sage] 投稿日:2008/10/12(日) 11:58:33
うまく発達せず周りとの差が広がるにつれて
22水先案名無い人2012/12/09(日) 23:15:06.75ID:6+ES5Qvf0
487 名前:没個性化されたレス↓[sage] 投稿日:2008/10/12(日) 12:34:31
480
自分にシックリ来る逃避用偽同性愛物語を生産してくれる作者に向けて。
488 名前:没個性化されたレス↓[sage] 投稿日:2008/10/12(日) 13:24:41
480
お姫様願望とピーターパン症候群がごちゃ混ぜになったような感じか。
自分の事だけを見てくれて、大事に守ってくれて、一生懸命尽くしてくれて、どんなわがままも聞いてくれて、
いつでも常にリードしてくれるような都合のいい王子様にもパパにも下僕にもなりうる男性を求め、
自分はそんな男性に無条件に保護されちやほやされ愛される対象である永遠の少女でありたがるから、
腐女子には自らの言動に責任を持つとか自立(自律)するという意識が極めて薄い。
したがって自立(自律)した大人の女になることは自己責任の必然にかられ、
庇護の対象から外れてしまう事を意味するからそうなることを徹底的に避けようとし、
永遠に理想の王子様を夢見ることのできるBLを心の拠り所にするわけだな。
489 名前:没個性化されたレス↓[sage] 投稿日:2008/10/12(日) 13:26:00
487
それも自分にとって都合がいい話を書いてくれる間だけだけどね
途端に親の敵とでも言わんばかりの憎悪を見せてくるけどね
受け止める能力が乏しい
23水先案名無い人2012/12/09(日) 23:19:35.31ID:6+ES5Qvf0
492 名前:没個性化されたレス↓[sage] 投稿日:2008/10/12(日) 13:47:36
485
二人で完璧な「カップル」になるという形で、優れた特性を自分の価値として取り込むことができる。
まあ、ここまではそこらの少女漫画でもないわけじゃないけど、
腐女子は半端に「女性が守られる側だなんて納得できない!」という後ろめたさを抱えており、
「男同士だから対等なんだもん!」という風に、何か高次元に昇華してるような感覚を作り出す。
しかしそれは結果的に、完璧超人の王子様に引け目を感じるヒロイン(=自分)程度の自覚すら拒絶し、
正面から王子様願望と向き合ってそれをどう乗り越えるかというテーマを回避することに繋がってる。
そのせいで、表面的に「リアル男になんて期待してねーよ」というポーズを取りながら、
今時の中学生ですらキープできないような「王子様への期待感」を保ち続けていられる。
24水先案名無い人2012/12/09(日) 23:27:27.18ID:6+ES5Qvf0
493 名前:没個性化されたレス↓[sage] 投稿日:2008/10/12(日) 14:43:48
脇役の状態が受け入れがたい
なんかフィクションを読み続けることで、生来の自分との乖離が発生
感情は矛盾したままだが、自分(女)が関わらないBLは感情が逆立てられないから
楽なんだろうなと思う
25水先案名無い人2012/12/09(日) 23:30:18.74ID:6+ES5Qvf0
533 名前:没個性化されたレス↓[sage] 投稿日:2008/10/16(木) 09:14:51
530
ウジウジ悩ませて、時には別の男にレイプされてプライドをズタズタにされる様を妄想し、
それを眺めてその「可愛さ」を見出してやれる自分を礼賛したがるんだよ。
男尊女卑どころか、発想としてはその逆だったりする。
また世間で自由を謳歌する腐女子以外の女が増えるほど、劣等感によって女尊の自信を持てなくなる。
だから、
自分≧王子様>BLを理解する選ばれし乙女たち≧乙女達がネタにするイケメン>スイーツ>ブサメン
こういう構図を使って、ブサメンに対しては「スイーツ」の側に立って嘲笑い、
一般の男に対しては腐女子の一方向的妄想による優越的地位を感じ、
同じ腐女子に対しては「王子様」を一枚噛ませることで優位に立ち、
その王子様の内面を完璧に支配し、できれば王子様に尽くさせる側になるべき自分が一番偉い、となる。
534 名前:没個性化されたレス↓[sage] 投稿日:2008/10/16(木) 11:36:33
格上げしてあげる!と
なんというか王様が下賜するといった感じ
26水先案名無い人2012/12/10(月) 01:18:31.93ID:ocZen2Ux0
■腐女子の壁
1. 第一関門
「私は絶対間違ってない」の壁
↓
2. 第二関門
「私が間違ってるとしても、優しく見逃してあげるのがいい大人でしょ?」の壁
↓
3. 第三関門
「看過できない間違いがあるとしても、
そんな当たり前のことをあげつらうお前は何様!?」の壁
↓
4. 第四関門
なぜか被害者意識を持って
「(○○は)容認されてるのになんでアテクシたちだけ!?」と逆ギレ
↓
5. 第五関門(最後の砦?)
過去の自分の言動と動機を都合よく改竄または捏造して、意図的または無意識的
に責任逃れに腐心する
「実は自分は♂野郎として厨腐女子を注意してきた賢い子の側なんだぜ」等
27水先案名無い人2012/12/10(月) 01:21:29.96ID:ocZen2Ux0
11 名前:水先案名無い人:2007/01/11(木) 23:16:20 ID:ofNbkHEE0
19 名前:水先案名無い人 投稿日:2006/12/21(木) 18:43:27 ID:FjvBmXsN0
948 名前:水先案名無い人[sage] 投稿日:2006/12/20(水) 22:46:39 ID:HBR9ehwq0
933 名前:水先案名無い人[] 投稿日:2006/12/20(水) 21:53:49 ID:5+6/t8Y/O
お前ら腐女子を叩いてる暇があったら、誰かのために何かやって見ろ。
腐女子を叩くのはその後でも遅くないだろ。
殿堂入りだな
949 名前:水先案名無い人[sage] 投稿日:2006/12/20(水) 22:57:18 ID:cPIgtjGm0
改変してみました
お前らアーアー言ってる暇があったら、誰かのために何かやって見ろ。
『駆け出したかもしれない
@oAFj4d7zFGPvZpI
こんなに死ぬ気で働いて、「誰かのために」と思いながら泥だらけになりながら原稿を書いているが、
マスゴミマスゴミ言われると純粋に悲しいなあ。あなたたちのためになればと思って、私たち頑張ってるんだけどな。』
たったこれだけの文章でマスコミ関係者の腐敗っぷり、勘違いぶりを如実に表現していて笑ってしまった
マスメディアというのは、現実的にしばしば逸脱するにせよ、公平中立客観的が原則だ
人間の活動にはおおよそ肯定的な意見と否定的な意見があり、マスメディアも当然例外ではない
世の中には現代日本のマスコミの活動に対して否定的な人間が当然のようにいるわけで
この人は、そうした立場の人の意見に立って物を考えたことあるんだろうか?多分ないだろうね
自分たちマスコミの活動は社会的善行であり、身を削って社会に奉仕する自分たちの活動が不当に貶しめられているという意見しか内面化できていない
震災から10年ということで感傷的な文章をつらつら書こうと思う。
私は大のNHK好きで受信料もお布施のような気持ちで支払っているが、あの曲が真っ向から受け止められなかった。
「花は咲く」ってそんなふわっとしたきれいごとを、、、くらいに思っていた。
けれど最近この時期に合わせて放送しているのを聞いてみて、印象が変わった。
「誰かの」、「いつか生まれる君」の幸せや未来を歌っている、それに気づいたときに何故かこの曲を素直に受け止められるようになった。
震災当時大学生だった私は、住んでいた自治体が受け入れた被災者のための避難所でボランティアをしていた。
発災から数日は、自身も電気・水道等のインフラ停止の影響を受けたが、時間と体力が有り余る大学生こそなにかをしなければと、避難所にほぼ常駐で、炊き出しの調整、物資の差配、避難所の環境整備等をしていた。
無邪気に遊ぶ子供たちもいれば、情緒不安定で泣き出す子供もいる。
大人も避難の疲れとストレスがたまっており、被災の度合いによって避難のスタンスも違うので、被災者同士が喧嘩になることも多々あった。
自宅と息子夫婦、孫が津波で流されて行方不明の老人、自宅は全壊したがなんとか全員無事で避難してきた一家、放射能影響を考慮して自宅を離れた若い夫婦、、、状況は本当に様々だったので仕方ないのかもしれない。
避難所でボランティアしている際、自分の中で決めていたことがある、
私は感動映画を見ればすぐ泣く質で、もらい泣きすることがしょっちゅうある。
話を聞くと共感して辛い気持ちになるが、決して泣かないようと頑張った。
彼らからその話を聞いたとしても、その悲しみは私のものにはならない。
彼らの悲しみは、彼らだけのものだ、私が聞いて泣いたらそれは勝手に悲しんでいるだけだ、自分が可哀そうで泣いているだけだ、と。
そんな風に思わなくても良いのかな、と思ったのは最近だ。
震災のことを思い出すと、自分の関わった被災者のことが思い出されて辛い気持ちになる。
でもその悲しみは、私が自分が可哀そうだと思って感じる悲しみなのか?
確かに彼らの悲しみは彼らのもので、誰も「理解した」なんて言えないと思う、
けれど彼らの悲しみに寄り添って一緒に悲しむことは、必ずしも自分勝手なことではない。
過去の自分を擁護するなら、震災直後、壊滅した沿岸部の映像を見ながら被災者のことを思って本当に胸が苦しかったし、
だからこそ少しでも助けになりたいと思っていた。
そしてそれは私以外も一緒だと思う、悲しみに寄り添う人を認めていきたい。
当時大学生だった私が、なんとかかんとか働きながら、
私にとっての「誰かの」、「いつか生まれる君」は、
ベッドの隣で眠る息子や、これから生まれてくるかもしれないわが子だ。
自分のために何か努力したり、我慢するのは容易ではないと思う。
大人なので一通りのことはできるようになったが、自分のためにという思いは続かない。
だが家族や、わが子のためなら違う。
仕事をやめてまもなく1年が過ぎる
1年たつと、去年の感情も風化して、昔の私は真面目に働いていたんだなという風に自己評価をする
んで、ゆとりの時間を作って、もう一回就職のことを考えている夜中な訳です
キャリアプランとかってなりたい自分をイメージとかしたりするじゃんよ
オフィスカジュアルでパソコンに向かいながら、業務に追われてるけどなんかキラっとしてる感じとかあこがれの職種とか
最終的に人のためになっているだろう仕事とか
けど、イメージするだけで、今私がやりたいことって何か、という問いになるととたんに固まるのね
将来、家族が欲しい。子育てをしてみたい。そうすると、お金もそれなりに、でも育休や復帰しやすいところに。
あれ、キャリア断絶するだろうから、30代の経験はガタガタになるのかなとか。
仕事に追われて子どもとの時間がなくなるのも、それはそれで嫌だな、とか。
これからの人生が、未知すぎて固まってしまう。というかやってきた。まじで人生のライフステージ激動の時期ここに来たわ、ってなっている。
私だけで生きるんじゃない場合、私はどうやって生きるの、とか考え始めたんよ。
もし、つーかまだ結婚もしてない身だけど、今後結婚して、子ども出来てってなった時に、おそらく私は家族のために働くっていう目標にした方が生きやすいなって思っている。現時点で。
子育てが落ち着いたら、その目標がなくなって働く気力が失せたり、何をやってきたんだとか絶望するんだろうか。
自分がどうありたいかを大事にしてねって言われてるご時世だけど、近くにいる誰かのために働くって、今の私にとってはすごく原動力なんだよね
んでそういう目標を据えると、自然とこの仕事で頑張ってみようって決意ができるようになるの。
再び、家族のためという目標を除去した場合、あなたにとって仕事は何になるの?っていう声が聞こえてくるんだけど
私が選択した仕事は、自分の関心と家族をかけあわせた最大公約数みたいなところにあるから、まあまあな納得はできるんだと思う、と考えている
前の職場は、あまりにも向いてなかったと思う。また働いてみないと、向いてるか向いてないかなんて分からないかもしれないけど。アラサーだからね。厳密に分析しながら仕事先選ばないとかな。
なんていうか、仕事仲間も大事だし、友達も大事だし、支えになってくれる存在って感じるけど
なんかなぁ、暮らしを共にする人がいれば、もっと頑張れるって思うんだわな。
こういう年ごろなのかな。
学生時代は一人でも大丈夫って思ってたのに、最近は家族が欲しいって思う。細胞から語り掛けられてる感じ。
仕事の話を書いてたつもりなのに、なんか家族が欲しい話になっちゃった。
でもつらつら書いてみた結果、私は自分の気持ちが少しだけ明るみになったのであった
夜中に長文でごめんね、みなさんおやすみなさい。