震災から10年ということで感傷的な文章をつらつら書こうと思う。
私は大のNHK好きで受信料もお布施のような気持ちで支払っているが、あの曲が真っ向から受け止められなかった。
「花は咲く」ってそんなふわっとしたきれいごとを、、、くらいに思っていた。
けれど最近この時期に合わせて放送しているのを聞いてみて、印象が変わった。
「誰かの」、「いつか生まれる君」の幸せや未来を歌っている、それに気づいたときに何故かこの曲を素直に受け止められるようになった。
震災当時大学生だった私は、住んでいた自治体が受け入れた被災者のための避難所でボランティアをしていた。
発災から数日は、自身も電気・水道等のインフラ停止の影響を受けたが、時間と体力が有り余る大学生こそなにかをしなければと、避難所にほぼ常駐で、炊き出しの調整、物資の差配、避難所の環境整備等をしていた。
無邪気に遊ぶ子供たちもいれば、情緒不安定で泣き出す子供もいる。
大人も避難の疲れとストレスがたまっており、被災の度合いによって避難のスタンスも違うので、被災者同士が喧嘩になることも多々あった。
自宅と息子夫婦、孫が津波で流されて行方不明の老人、自宅は全壊したがなんとか全員無事で避難してきた一家、放射能影響を考慮して自宅を離れた若い夫婦、、、状況は本当に様々だったので仕方ないのかもしれない。
避難所でボランティアしている際、自分の中で決めていたことがある、
私は感動映画を見ればすぐ泣く質で、もらい泣きすることがしょっちゅうある。
話を聞くと共感して辛い気持ちになるが、決して泣かないようと頑張った。
彼らからその話を聞いたとしても、その悲しみは私のものにはならない。
彼らの悲しみは、彼らだけのものだ、私が聞いて泣いたらそれは勝手に悲しんでいるだけだ、自分が可哀そうで泣いているだけだ、と。
そんな風に思わなくても良いのかな、と思ったのは最近だ。
震災のことを思い出すと、自分の関わった被災者のことが思い出されて辛い気持ちになる。
でもその悲しみは、私が自分が可哀そうだと思って感じる悲しみなのか?
確かに彼らの悲しみは彼らのもので、誰も「理解した」なんて言えないと思う、
けれど彼らの悲しみに寄り添って一緒に悲しむことは、必ずしも自分勝手なことではない。
過去の自分を擁護するなら、震災直後、壊滅した沿岸部の映像を見ながら被災者のことを思って本当に胸が苦しかったし、
だからこそ少しでも助けになりたいと思っていた。
そしてそれは私以外も一緒だと思う、悲しみに寄り添う人を認めていきたい。
当時大学生だった私が、なんとかかんとか働きながら、
私にとっての「誰かの」、「いつか生まれる君」は、
ベッドの隣で眠る息子や、これから生まれてくるかもしれないわが子だ。
自分のために何か努力したり、我慢するのは容易ではないと思う。
大人なので一通りのことはできるようになったが、自分のためにという思いは続かない。
だが家族や、わが子のためなら違う。
地域がわからんけど、電気・水道が止まったりしてたんなら増田も被災者だと思うぞ
花は咲く嫌い、薄っぺらなメッセージに腹が立つ 誰もが共感できそうでできない歌 サンテツバージョンは好き