今日も昨日も、一部の男性が創り出した加害のルールの中で、被害を避けるためにセンサーを駆使する。
間違ってるとか、合ってるとかではなく、そうなのだ。
加害を責める無意味さを嫌というほど味わった後に、生き方を変えることもなく、世代を分断し傍観する。
そこまでして保守したい加害の蜜と利益とは、一体どんな味なのだろうか。
相手の肉体におけるナルシズムを受け入れ、ヘテロロマンティクで飾るように指導され、一緒にため息をついた方が賢いとシグナルを送るのは、別に限られた領域や世代の同性だけではない。
無意味にも近い自己否定と自己肯定を繰り返して、振り返った道は、取り除いてない地雷だらけ。
避けれたから良い。で、良い。今は。
自分の思考の悪癖と、どう向かいあって自分を幸せにしていくのか。
誰かのために役割演技をパフォーマンスするよりも、自分のしたいことを。
嘆きの壁、と増田が言われる日は近い(^ν^)