はてなキーワード: 読書感想文とは
まあ、それ自体はどうでもいいのだが、どうにもその目的が「自分が思ったことを書けるようになりなさい」とのことだった。
だって、現代日本で「思ったことを書く場面」って存在しなくないか?あくまでピュアな視点だが。
読書感想文なんてのはちょっとませた子供なら「読む大人が望む文章を書く」課題だということに気づいているじゃん。
社会において、自分が感じたこと、思ったことをそのまま表明する場面ってなくない?
SNSなんてのはワンチャンバズってチヤホヤされるだとか、いいねやRTやブクマ稼いで承認欲求稼ぐためのツールじゃん?
アニメや漫画の感想をブツブツ呟いてたり書き込んだりしてるやつらってみんなそれが目的なわけじゃないですか。
もっと「相手からレスを貰うため」みたいな微弱な動機かもしれんけど、
どうあがいても「ウケ狙い」からは逃れられないよね?
読書感想文だって言わば国語の先生相手の「ウケ狙い」の文章なわけだしな。だから別に読感文自体が不必要な宿題だとは思わんが。
そしたらもうさ、「思ったこと」なんてものからはどんどんと離れていくのは必然的じゃん?
このアニメ面白かった!この映画面白かった!なんて本当に思ってるわけないじゃんね。
むしろ自他の感情を上手い事言語化したような文章を作り出す選手権なわけじゃん。俺が得意なやつな。
てか娘が読んでいた若年層向けのキャピキャピ雑誌でも、「SNSに思ったことなんて書いちゃダメ!」とカリスマギャルが書いているレベルで「SNSで思ったことは書かない」なんてのは常識だ。
話を戻す。
もっとオフィシャルな場面、入試や就活で書く『志望動機』だの、会社で書く『所感』だの。
そんなもん自分が思ったことを正直に書く馬鹿なんて1人もいないわけじゃん。
私小説作家にでもなるんか?でも私小説作家だの純文だののやつらだって読者受けを考えてる以上「思ったこと」なんてのを純粋に書くわけねえんだよな。
日常でも思ったことを書く場面なんてねーよな。家族や親戚にメッセージをよく送るけど、思ったことなんて書いたら間違いなく離婚やら村八分案件になるじゃん?
もうテンプレな文章でそれっぽい感謝のメッセージ書くマシーンと化すわけじゃん。
これから二週間後にはバチバチ送り合う「明けましておめでとう」だの「今年もよろしく」だの、そんな文章と同レベルに感情なんざ籠ってないわな。
現にこの俺の文章だって俺が純粋に思っていることや考えていることを書いてるわけじゃないしな。わかるだろ?
逆に聞きたいんだよね。
「思ったことや感じたことを文章にする」なんて能力本当に必要なのか?
WAIS-Ⅳ受けたらVCI(言語理解)が100くらいしかなくてショックだったけど、考えてみると小学校の読書感想文とか全く書けなくて中学の時に小学校低学年並の文章力と言われたこともあるくらいなので、実際問題言語能力無いんだろうなと思った。勘弁して欲しいけど。
ADHDの診断ではVCIとPSI(処理速度)の差が大きいという基準があるようで、俺は両方100くらいだったので特に診断は出なかった。世の中的には普通なんだけど、変にお勉強に興味が出て頑張っちゃったせいで持って生まれた知能よりだいぶハイレベルな環境に入ってしまったのが生きづらさの原因なんだろうなあと思う。。。
なっがい愚痴です。吐き出せばすっきりするかなって思ったので、ここならいいだろっていう精神で吐き出します。
思えば幼稚園児のころから、帰ってきたら弁当を流しに出せだとか、園服を洗濯かごに入れろだとか、細かい面倒くさいことがこなせない人間だった。そんなに困っていたわけじゃなかったし、みんなこんなもんだろと思って何も考えてはいなかった。
本格的に困り始めたのは、小学校に入ってすぐのころ。宿題は全くこなせない、親へのプリントは出さない。やること全部がちんたらしてて、毎回怒られる。
学校の授業でプリントをやりましょうと言われたら、ぜんぜん終わらない。それで宿題になる。宿題の量が増える。もっとやりたくなくなる。宿題をやらない。明日の宿題になる。ずっと負の連鎖。
提出物が出せないと黒板に名前を貼られる。それで毎回帰りの会になると、名前をひとつづつ先生が読み上げる。先生の機嫌が悪い時は、出せてない人はその場に立たされて、ひたすら詰められる。それが怖くて仕方ない。「いつだすの?」「いつまで待てばいいの?」先生にさんざん言われて、帰りの会が大嫌いだった。
もちろん帰ったら親に怒られる。宿題をやれってずっと言われる。そりゃやらずに遊んでるんだから当たり前だけど。
でも、言ってくれるだけましなもんだったと、今ならいえる。低学年の頃は、何度も親に言われてやっとその日の宿題を終わらせた。たまに忘れていったけど。
そんな人間だったが、テストの点は悪くないし、騒いだりしなかったし、自分でいうのもなんだが割とフレンドリーなタイプだったので、学校での評価は「真面目な子」だった。周りの友達からもそんな感じの扱いだったのがなんとなくわかる。学校には毎日行ってた。
小3、そして小4。なぜか、プリントの問題を解くのが早くなって、優秀な奴扱いになった。結構気持ちよかった。
このころの記憶はあんまりない。なんでかはわからない。ただ、同じクラスの女の子が頭おかしいくらいメンヘラで(それは覚えてる)、母や友達いわくそいつにいじめられてたらしい。自分は全く記憶にない。
記憶ないけど、たぶん宿題はいやいややってた。担任の先生が変わったから、黒板に名前ドンの立たせて詰めまくり拷問はなくなった。それが楽だった。
反抗期はここら辺から小6がピークだった。結構えぐかった。風呂で自分の母親が声出して泣いてるのを見たとき、どうしようもない気持ちになった。それはずっと覚えてるし、たぶんこれからも忘れない。
この反抗期を機に、親が宿題に何も言わなくなった。学校はたぶんまともに行ってた。
最大の問題が起きたのは、小5の夏休み。宿題が終わらなかったのだ。今まで真面目キャラでやってきてた自分にとって、これは一大事。夏休みの宿題を出せないとなれば、まわりからは「お前何やってんの?(笑)」と言われ、「こいつさぼり魔(笑)」と陰でニヤニヤされるに違いない!今までにない危機感を感じた。
さて机を見る。残っているのは、読書感想文と、福祉のポスター。あと、ワークも少し...つまり、ぜんぜん終わらなかったのである。ちなみに、夏休みは何をしていたかというと、ゲーム、それからぼーっとすること。
ゲームが大好きというわけでもないが、簡単に宿題を忘れて遊べるので気に入っていた。
それで、最終的にどう決断したかというと、休んだ。ひたすら布団に引きこもって、親の声を無視した。部屋の惨状を見れば、どうして行きたくないのかくらいだれでもわかるような感じだったと思う。
まあ、その日は何とか休めた。
次の日は、ポスターだけ終わらせて行った。そうやって何とかちまちま先延ばしして、なんとか全部出し切った。
しかし、私の脳はその味を覚えてしまった。宿題ができなければ、休めばいいと。
それからは、宿題が終わらなければひたすら休みまくった。親ももちろんただじゃおかなくて、髪引っ張り回して学校連れてかれたこともあった。でもとにかく休んだ。
たまにどうしても無理だと悟ったら、保健室に逃げ込んだ。お腹が痛いって言ってベッドでゴロンゴロンしてた。
思春期真っ盛りだったからか、メンヘラ化が異常になった。当時好きだった奴がいたんだが、そいつが男女問わず誰かとは話すだけで異常に嫉妬した。(幼稚園のころから生活が苦になるほど嫉妬には悩んでたけど、だれにも相談できないままだった)それを理由に休んだこともあった。親にはお腹が痛いとだけ伝えた。
公立のただの小学校だったので、成績優秀でそのまま卒業した。小学校は割と提出物を出さなくても何とかなる。
あと小学校生活を振り返って、体育がどうしても嫌いだった。というかできなかった。周りからは笑われるし、役立たず係だし、チーム競技はクラスのカースト上位に嫌われてた子と一緒に二人ではぶられてた。別にその子のことは自分は嫌いじゃなかったけど、はぶられてるっていうのが嫌で仕方なかった。最後のほうの体育は、腹痛い作戦で休んでた。
そして中学1年生。
つらかった。何がつらかったかって、部活がつらくて仕方なかった。部活の内容自体は大好きだったけれど、放課後も休みの日もいつもちゃんと集合して、ちゃんとやるってのができなかった。それを見越して、超ゆるゆる運動部に入ったが、それでも全然続かなかった。一日学校で勉強するだけで精一杯なんだよ。部活選びに全力で失敗したと思った。毎週毎回のように休んだ。でも、変なプライドが邪魔して、転部出来なくて、結末を言うと中2の冬に完全幽霊部員化した。
メンヘラ化がいよいよヤバいことになってきた。息ができない。何をしていても苦しくてつらい。それを理由に何度か休んだ。
宿題がいよいよ終わらなくなってきた。学校で終わらせることで何とか解決した。実際、毎日出る宿題は小学校と比べて少なかったから、学校でやっても割と楽勝だった。
困ったのは定期テストだった。全く終わらない。体が動かない。毎回前日近くになって、ワーク開いて答えを映して、それじゃ到底間に合わない。先生に謝って、なんとかやってた。
テストの点は悪くなかったので、成績はまあまあ良かった。
中学2年生の時に、自分の中でつらかったものが爆発した。それから学校に行けなくなった。
メンヘラ化によるストレスが限界点に達した。定期テストで思った通りに勉強できないことで、自分にイライラした。体育の授業も、もう出たくなかった。できないから。
内申点もがた落ちした。テストだけ受けた。下から3番目だった。もう何もやる気が起きなかった。でも行きたい高校もなかったし、それでいいやって思った。
毎日自分に失望し続けた。情けない自分と目が合うのが嫌だった。
周りはつらくても頑張ってる。自分が恥ずかしくて、だれとも目を合わせたくなかった。
でも、休んでたおかげで好きなことがみつかった。これだけ落ちぶれたので、全体はプラスかマイナスかと言えば完全にマイナスだが...
中学3年生、今年は絶対頑張るって思った。春から毎日教室に行った。
内申のためにひたすら頑張った。提出物は相変わらず終わらないので、全力で謝罪して(それをすれば評価がよくなるかどうかは知らないが...)、なるべく全力でやり続けた。
あと、行きたい高校がみつかった。自分にはこの学校しかないと思うくらい、自分の希望にぴったり合った高校。
将来の夢と、自分のやりたいことと、全部かなえてくれるのはここしかないと思った。周りに聞いても、今自分で調べても、ここよりいい学校は見つからない。ここに入れなくて、別の高校で妥協するなら死のうと思うくらい(本当に死ねはしないだろうけど)。
中学3年生の1学期は、自分なりに全力で頑張った。テストの点は見違えるほど回復したし、内申も上がった。
でも、1学期の定期テストが終わって、もう学校には行きたくないと思った。これ以上頑張りたくないと思った。テストが終わった次の授業で、「この授業は2学期の内申に入ります」って言った。その時にぷつんって切れた。いつ休めばいいのかわからない。ずっと苦しいまま。
みんなそうってわかってるつもり。だからこそ、自分だけできないって余計につらい気持ちになる。(もちろん不登校が自分だけなわけではないが)
メンヘラ化も治らなかった。死にたくて苦しいままだった。
中2は休んでた体でいきなり全力出してうまくいくはずもなく、元々体力なかったのもあって、いろいろ限界だった。
2学期、学校に行かなくなった。もう何もかも終わりだと思った。毎日、「今日休んだらもう取り返しがつかない」って思いながら休んだ。
志望校にはまだ行きたいって思ってたけど、自分じゃ入学しても無理だと思った。
でも行きたくて、でもだめでっていう気持ちにはさまれて毎日泣いて、悩んで、死にたいって思って、また悩んだ。
周りの大人は全員、不登校受け入れの、私立を進めてくれる。それが最適解だってわかってるが、どうしても志望校があきらめきれない。そのうち、自分の中で周りの人間は自分の夢を応援してくれないクズだと思うようになった。とんでもないと自分でも思うけど、自分は昔からこういう被害妄想の激しい人間だったから仕方ない。
ここまで全部読んでくださった人がいたのなら、その方にはわかると思うが、もちろんこんな奴がまともに受験勉強できるはずがない。そもそも学校に行っていないので、出席日数と内申の関係で普通の人が行く高校に受かるはずがない。志望校行きたい、でも勉強はしない。勉強が嫌いなわけじゃない。でも、勉強しなきゃって思うと、めちゃくちゃ大きい自分からの自分へのプレッシャーが強くかかって、体が動かない。こんな人間社会に出ても何もできないと思って、本当にもう死にたい。周りがうらやましい。みんなできるのがうらやましい。ならやればいい。でもできない。
それが今。何もできないまま、何も進まないまま、何も決められないまま、今になってずっと過去を後悔し続ける。
言いたいこととりあえずほとんどかけたと思います。書いてたらすっきりしたようなしなかったような気がします。まあ、要は受験のストレスです。
こんなことに時間使ってる間に勉強すればいいって言われるのが目に見えているので、これはここら辺にして今日は勉強します。
もし読んでくださった方がいらっしゃいましたら、ありがとうございました。
実際その傾向あるからしゃあないでしょ。
男でもミーハーな奴はいるけど、そういう軽佻浮薄な連中はちゃんと
周囲の男達から審美眼が無いことを理詰めで非難されてやがて淘汰されていく。
増田みたいな日陰な場所だと男のアニオタやらアイドルオタは多数派かもしれんけど、
普通の集団なら可愛い女の子が出てさえいれば諸手を挙げて喜ぶ馬鹿なんてコケにされて隅に追いやられるよ。
「僕は審美眼が無い阿呆です!」って堂々と公言しているようなもんだからね。むしろそれが健全なんだよ。
女はミーハーを爪弾きにせずにむしろ私も私もと進んで迎合していくでしょ。
女に創作物見せて感想や意見を聞いてもマトモなのが出てこないもん。
雁首揃えて「〇〇イケメンすぎ!」「共感の嵐!」「推し!」「尊い!」「エモかった!」とかそんな感じ。
https://anond.hatelabo.jp/20211010213345
これへのブコメで、
こうして中身のない感想文が量産されるんやな
感想文は嘘つき大会だから正直で素直な子には書けない。面白かったの一言で終わるからな。自分の心の内ではなく他人からどう見られるかに関心がある人が得意だった記憶がある
他の人も言ってるけど書評と感想文は違う。そして感想文嫌いだった派からすると、そもそもなぜ本の感想で自分語りをするのかわからない。実は本の内容なんてどうでもいい自分大好き人間なのか。
こういうやつね。見苦しいな〜〜
じゃあわかった、
お前らが使ったそれらの貶し言葉を、俺はぜっったいに言わないって約束するからさ、
読書感想文じゃなくてもいいよ。
書いてみ。書ける?
ビジネステンプレでもネットコピペでも誰かとのレスバトルでもなくて、
元増田(大本の書評増田ではなくて感想文増田)も似たようなこと言ってると思うけどさ。
あった出来事の羅列ではなく、
その形のないものを捉えて言葉にできるなら、本当はなんだっていい。
本をトリガーにして自分の考えてることを書いてみろって言ってるの。
そんなコミュニケーションのチュートリアルみたいな課題をサボりまくってきたくせして、
お前らは一生ネットミームばっかり喋ってなにか言った気分になってろよ。
自分で考えたことを自分の言葉で表現できてるやつなんて、ネットを見回したって少数派だ。
枕草子がなんで千年も読みつがれてるかわかる?
春は明け方がいいよねー、夏は夜がいいよねー、なんてただのお気持ち文章が。
そりゃまあさ、当時の宮廷生活を描写した歴史的価値が、とか「をかし」の文学的価値が、とか色々言えるだろうけどさ、
枕草子こそが、「感じたことを言葉にするのは価値がある」と歴史に位置づけたはじめの作品だからだよ。
自分が何を美しいと思ったか、どんなときに嫌な気分になったか、何を見てどんな気持ちになったか、
そういう黙ってたら消えてしまういろんなことを言葉によってすくい上げることの喜びを、
歴史に残ったのは、中宮定子に捧げるためのものだった、って背景も含めてだけれど。
「中身のない感想文」なんてつまんねーこと言うけど、
自分が何を思ったか、自分で言葉にする努力をするのはそんなに簡単なことじゃない。
それをパズルみたいに並べて何かを言った気になれるならそれでもいいよ。
お前らがいいならそれでいい。
だからといって、真剣に自分の中に潜って、思ったことを自分の言葉にしてきた、
少なくともそうあろうと努力してきた、
数多の「読書感想文を書いてきた人たち」を、適当にバカにしてんじゃねーよ。
こういう「自分に引きつけて書け」系のアドバイスって、どう考えても「学校課題の読書感想文を苦手とする奴が何とか文字数を埋めるために使うバッドノウハウ」的なものであって、普遍的な「コツ」なんかではないよな。
「書評が書けない」という投稿を読んで、いつか自分が言語化したいと思っていたことだったので整理したいと思います。
https://anond.hatelabo.jp/20211010201513
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https://anond.hatelabo.jp/20211010213345
これはこれで少し躓いている人には良いアドバイスだと思うのですが、
私の「書けなかった」のはかなり深刻なので、下記のブコメに納得していたところもあります。
そのため筆を執る気になったということも付記しておきます。
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こういうのは「得意だったタイプ」の人のアドバイスよりも、「壊滅的にできなかったけど教えてもらったらそこそこできるようになった」みたいな人のアドバイスの方が欲しい気がする。|「なんとでも書け」ないんだよ
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私も大学生の途中までレポートが全く書けませんでした。そこそこの大学に通っていたのでそれなりに学力はあったとおもうし、その後書けるようになってからは書くことが楽しくなって今ではムダにFacebookに長文を書いているぐらいなので、つまづきのポイントは自分の中では明確になっています。
私の場合の結論から書くと、「読み手がどう思うだろうか」「読み手が気分を害さないだろうか」という配慮が働きすぎて、怖くて文章が書けない(主張ができない)というものが原因でした。
自分は少し毒のある家庭環境で育っていたので、正直に自分の考えたことを吐露すると家族に叱られる。みたいなことがよくありました。(今となっては少し社会的配慮が足りてなかった側面は否定できませんが。)
今回の「書けない」方の状況に必ずしもマッチしているかどうかわかりませんが、参考になれば幸いです。
一般的に対話において過度な配慮をするような性格の持ち主は、日常的なコミュニケーションでもつい遠慮がちに話したりするので聞く側もそれなりの配慮が必要になるケースもあります。
何れにせよ、そういう性格、気質の持ち主の場合は「自由に書いていいんだよ」ということを伝えても内在する遠慮が邪魔してなかなか改善されません。
私の場合問題の解決につながったことは、私の場合は大学の途中でマーケティングリサーチの会社でアルバイトをするようになったことがきっかけでした。
最初は報告書に使う帯グラフなどをExcelでシコシコつくるような作業をしていたのですが、その後の工程でその集計結果を見てかんたんなコメントを書くようになりました。
「ウマ娘をプレイしている人についてみると、女性より男性が20ポイント高い」みたいなコメントです。このようなほぼ事実を記述する内容はほぼ怒られる心配はありません。
単純な文章ですがその作業を任されるようになって楽しくなりました。
一般的なマーケティングリサーチの報告書ではそれらの単純な集計結果を統合して、「ブリーフィング(まとめ)」を書きます。
これはそもそも調査の目的が、いまとある商材を売っているメーカーが今後どんなプロモーションをしたらもっと売れるようになるか?みたいなケースが多く、ある種の問題意識や仮説が明確です。
その仮説を検証するためにアンケート調査を設計して、結果を分析しているので概ねまとめは書きやすいものが多いです。
もっともまとめはある程度シニアなリサーチャーが書くので、バイトが書くものではありませんでしたが。
私はこれらの経験・作業を通じて、自分の意見を主張する、考えを披露するということに関する自分なりのパターンを掴みました。
整理すると下記のようになります。
4)解釈をまとめて、問題意識に対する自分なりの見解を書くこと。
結局、私はバイトで経験したマーケティングリサーチが面白かったので、その後色々あってアンケートやスクレイピングデータを用いた実証的分野の大学教員になるのですが、文章を書くときの考え方の基本は一緒です。
もっとも、実証的な研究というのは論文の価値にしめる実証データの存在が大きいので、上記の考え方を当てはめやすいですが、実証という考え方が存在しない読書感想文や書評のケースでは困ってしまうかもしれません。その場合の「事実」はその本に書いてある表現や書き手の主張として考えてもらえると良いのですが、自分が大学教員としてレポートを指導していても書けない学生にはなかなか伝わらないことも理解しています。
そのため、下記のような思考実験をやってみてもらえませんか?
A)自分が興味がある対象を選ぶ(漫画でも鉄道でもいわゆる趣味と呼ばれているものが良いと思います。)
B)その対象において自分の選択を振り返る(例:少年漫画より少女漫画が好きだ。)
C)その理由について考えて、構造化する。(自分が少女漫画が好きな理由は〇〇である。)
世の中の読書感想文のよくある問題は、読み手が全く興味がない本でも読まされて何か意見を表明しなければならないことだと思います。
すくなくとも、同好の士との対話を想像して、自分がそれなりに語れる(周辺知識と単語が内在している)ジャンルを選んでください。その語りの内容をテキストに落とすことを考えます。
もちろん書評の場合は、自分が興味のある本をA)の対象にしてください。
また、読み手の読解力に比べて記述内容が難解な本の場合はなかなか感想が出ないことも一般的だと思います。
(例えば村上春樹は私にとって面白い小説であるが、感想をかけと言われてもとても困る題材だったりする。そのあたりは個人によって異なる。)
Withコロナの時代になり、私もフルリモートで勤務していますが、知識労働としての適切に文章のまとめられる能力はますます重要になってきていると思います。
いいか、よく聞け。書評には三種類ある。逆に言うと三つしかない。
勉強会で輪読するような場合、読んできたやつが読んでいないやつに本の内容を伝えるのは要約が一番だ。
同ジャンルの本を多く読んでいる場合、それらとの比較をして今回読んだ本を評価できるはずだ。
他の本にない特徴や新規性はなにか、他にない独特のストーリー展開や表現はなにか、
他にくらべてどのくらい優れていてどのくらい価値があるか。
ここの部分は何々の引用で、ここは何々の影響がみられるとか。
プロの書評はこういうやつだ。読書量が少なく自分の評価軸を持っていない素人が真似してはいけない。
読んだ本に書いてある内容にむりやりこじつけて自分のエピソードトークをするんだ。
その中に自分語りが出てくると読む方はおっと思う。
そしてレポートを採点する大学教授は、要約や比較はお前よりずっと上手いだろうが
お前自身の物語は世界で唯一お前にしか書けない。その教授にだって書けないんだ。
追記:
トラバついたので補足しておくな。
トラバにもあるようにいわゆる書評は(2)で、むしろ「(2)書評」という見出しにしたかったくらい。
元増田は書評と言いつつ大学のレポートや卒論、書評ブログ、読書感想文なんかを挙げているので、
要は本を読んでそれについて何か語る文章をうまく書きたいのだと解釈した。
仕事や学業の課題ではないみたいだし、読書ブログのようなのを書きたいのかな、と。
本をうなずきながら読む
読み終わってみたが、とくに書くことがない
1+1=2という記載に疑問のもちようがない
イスラムはこういう教え、キリスト教はこういう教え、仏教はこういう教え
そういうもんなんだから読んで書けと言われてもまとめるだけになってしまう
そういえば、大学のレポートや卒論も参考文献のダイジェストを「思われる」、「考えられる」で締めて考えたフリをしているだけだった
「書き続ければ上手くなる」。みんなこういう。文章が上手いやつに限ってこういうことをいう
けれど、上手いやつは最初からキラリと光るものをもってる。問題意識というか、物事を力強く疑うことできる体力というか、明らかに他の人とは違う原石をもってる
昔から自分にはそういうものがなかった。読書感想文も目も当てられないほど平凡で、自分が自分にいつも落胆させられていた
文才があるやつの強さに憧れる。ただ、著者に同調するのではなく、著者と対峙し、仮想的な著者との議論に何万文字と最後まで付き合える強さに感嘆する
この強さは絶対才能だと思う。だから、どれだけ国語辞典を目で追っても、文章術を箇条書きにしても、本を読んでも、そして増田でこうやって愚痴を書いても
僕は書評が書けない
かなしい
http://www.library-archives.pref.fukui.lg.jp/tosyo/category/shiraberu/368.html
タイトルの覚え間違いだけじゃなくて「読書感想文におすすめの本は?」「自由研究の題材が決まらないんだけど何か参考になりそうな本は?」「講師をしてるんだけど道徳の教材にぴったりのノンフィクションってどんなものがあります?」ってざっくりした相談を受けることもある
聡明なはてなー諸兄はきっちりメモったお目当ての小説のタイトルをPCの検索画面に打ち込んで棚の前に行って見つけて手に取ることができるしそういった使い方しかしないから
専門書や児童書コーナーで探し物をしてうろつく人のことなんてピンと来ないんだろうしそんな低能は切り捨てればいいくらいにしか思ってないんだろう
そうやって分断が進んでいくんだよなあ
当時の小学校はやたらと子供同士を競わせる教育方針で、各々の達成状況をシールで示した一覧表が教室の後ろの壁に貼られていた。ドリルを1ページ進めると先生から一枚の赤い丸シール(詳細を忘れてしまったがなんらかの条件を満たした時は合格シール、2周目は青シールだった気がする)がもらえる。それを自分の列に棒グラフ状に貼り付けていく仕組みだ。進めている子とそうでない子が一目瞭然である。
学年が上がると読書感想文の実績競争が開放される。これは書名と感想文を書いたB6だかの小さな用紙を一覧表の自分のマスに重ねて貼り付けていく方式だった。用紙は10冊目からはピンク、20冊目から黄色というように色分けされていた。読書家さんが一目瞭然である。
ある時、読書家の児童が「私は増田ちゃんよりずっと多くの本を読んでいるのに算数のテストで負けた」と言うようなことを呆然と呟いていたのを私はたまたま耳にした。
私としては素朴なツッコミだったが大いに嫌われたようで、その後は彼女と会話した記憶がない。次の年にはクラスも変わってしまった。
☆3 普通
画力 漫画で音を伝えようとしている気概が伝わる絵。主人公らが演奏する曲によって画風を変えるなど工夫も凝らされている。もちろん崩れているところも見当たらない。
設定 主人公とそのライバルの関係が韓ドラみたいなドロドロの設定で面白い。親父がカス。
話の展開 わりと単調。また深掘りが出来ていないように感じる。もっと波を付けて欲しい。折角の思い切った設定が活かしきれていないように感じる。
演奏パートの長さ 単行本ほぼ1巻全て演奏パートだったりする。演奏している描写がずっと続くのでは無く、曲のイメージを伝えるための風景描写や登場人物の心理描写・少しの回想も含まれているためはある。しかし、流石に1巻丸ごとというのは話の展開に変化が無いので難しい...。スポーツ漫画でいう1つの試合に1巻使うみたいなものではあるが、スポーツでは試合中の成長を描くことで変化を生ませられるが、音楽だとそこが無いので難しいのだと感じた。
実際に曲を聴きながら読む 曲のイメージを伝えることにかなり力を入れている漫画なので聴きながら読むと理解が深まる。
良作ではあると思うが特別面白いといったわけではない。親父との確執であったり恋路に関してのドラマ、学年が上がることによる変化など描けることが沢山あると思うのでこれからに期待。
あのさ、
気が付いたらもう8月終わるくない?
なんか夏らしいことぜんぜんしてないし
花火大会もないし、
夏を締めくくっても良いかもしれないわね。
だから今年のちびっ子の宿題の絵日記ってどうなってるのかしらって思うし、
読書感想文なんて!ってもうどうすりゃいいのよって。
もう私もかつては数年は現役夏休みの宿題やってたんだけど、
すっかりもう何やってたか忘れちゃって本当に全部あれやってたのかしら?って思うぐらい
夏休みってそんなもんかも知れないわね。
洗剤って中性や酸性かどっちか忘れたけどアルカリ性のものもあったりして、
最終濯ぎの時に中和した方が良い仕上がりになるのよね。
かといって、
そう思いだしたけど弱アルカリ性のもので洗った方が汚れ落ちが良かったりと、
おばあちゃんの智恵袋的なそんなことをやって本当に中和した洗濯ものが
いったいどう乾し上がりに違ってくるのか?
洗濯を化学するって洗剤のシーエムばかりそんなこといってなくて、
今はそんな時間がないけど、
誰かやってたら教えて欲しいわ。
私は残り少ない8月を
井上陽水さんの曲とかジブリのトトロとか観てみようかなって次第よ。
うふふ。
こっちの方が味が濃いような気がして飲み物にも合うかも知れない作戦なの?そう言う味付けみたい。
へーって思ったわ。
お店によっていろいろと味が違うのは当たり前だけど、
キャロットダイコンって英語でなんて言うの?そうラディッシュよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
まず本を読まなきゃ始まらない!!
だけど読書感想文大嫌い勢の半分は「そもそも本が嫌い」のはず!!
その辺は知らん!!
他の詳しい人に当たってくれ!!
まずは「何を書くか」を決める!!
まずは「こんな本を読みました」という紹介や本を選んだ理由など前書き!!
最後に「よかった」「悪かった」「戦争はよくない」「僕も頑張ろうと思います」など適当に書いておけ!!
作文のまとめであって必ずしも自分の意見100%である必要はないぞ!!
後は下書きを元に文字を埋めろ!!
原稿用紙の使い方が最低限出来てりゃなんでもいいぞ!!
こういうのは短期集中で一気に終わらせた方がいいぞ!!
内容は基本自由だけど先生が読んで困るような題材はやめておけ!!
差別的題材や人殺しを安易に肯定すると人と違ってかっこいい気がするけど、それは気のせいだからな!!
あと読書感想文パクリサイトで律儀にパクると大体バレるから!!
評価はその学校ごと担任ごとだから何も言えないけど、パクリがバレたら「こいつはパクる奴だ」と思われるのは間違いないぞ!!
それでいいなら好きにしろ!!
以上!!
夏休みの課題の定番と言えば読書感想文や自由研究などであったが、はたして今も同じく定番の課題なのであろうか。できればそうであってほしい。
ところで今の自分にしてみれば、読書感想文なんて原稿用紙が3枚程度じゃもちろん足りないし、自由研究のテーマを見出すことも容易である。
これはまさに大人と子供とが抱えるギャップであり、「そんなもんとっとと片付けちゃいなさい」と言う親の言葉が理解できず、ひたすら反感を抱くばかりであったのだろう。
読書感想文の攻略法、自由研究のテーマ探しに関するHow toなんていうのは探せばいくらでも見つかる時代である。
しかし例えば読書感想文を取り上げるとして、大人と子供、自分と他人、そうした分別を認識するようになると、主観と客観とから物事を論じたいという気持ちが湧いてくるのかもしれない。
もちろんそのタイミングは人それぞれであるにせよ、それに備えたトレーニングとして読書感想文は非常に有用であるとも考えられる。
問題がどこにあるかと言えば、そうしたトレーニングの方法はあまり体系的に行われず、長期休暇へと放り出されることになり、これまた教育の専門家ではない家庭に一任されてしまう。
そりゃ「そんなもんとっとと片付けちゃいなさい」なんて言われるわけだし、こうした課題が嫌いになるわけだ。